☆ ★ ☆ 堀 川 家 の 日 記 帳 ☆ ★ ☆

 ☆ ★ ☆ 堀 川 家 の 日 記 帳 ☆ ★ ☆

☆出産編☆

【緊急入院】

突然の入院、初めての入院、今までの私の人生の中で、病院が1番似合わない子(必要ない子)というくらい、とても元気に健康に過してきた。私は熱にも強いし(逆に熱があるとテンションあがってハイになる)私を良く知る友人たちは本当にこの事を驚くに違いない。 私は入院した事を家族に誰にも言わぬように口止めしていた。 こんなに健康体の私が入院だなんてみんなきっとめちゃくちゃ心配するし、それに赤ちゃんが絡んでればなおさらの事。 皮肉にも入院した日は中学校の同窓会の日だった。 ぎりぎりまで行くことを迷っていたが、さすがに8ヶ月のお腹抱えては行けるまいと思って行かなかった。本当はかなり行きたかったんだけどね。 大学病院に運ばれた私はとても元気なのに、絶対安静の車椅子生活。食事も緊急の帝王切開になるかもしれないという事で当日は食べさせてもらえなかった。この日落ち込んでたけど、それでもやっぱりお腹は空いてきてつらかった。 歯磨きとトイレ以外はベットから動いてはいけなく、刺激もいけないとの事で、雑誌もテレビもだめだった。 当日検査してもらい、今日は出産はしないということ。 ここでも私は、自分が元気なので前向きで、予定日まで病院で過すんだ。保険入っててよかった。などと思っていたのを覚えている。 急な入院なので、用意はしてるわけもなく旦那にイロイロと用事をいいつけたのも覚えてる。 パジャマもってきてだの、冷蔵庫の中のものを全部実家に持って行けだの。 あまり、深刻にった。は考えていなかった。


【入院生活】

毎日、ベットの上で食事。絶対安静。する事といえば赤ちゃんの心音とりとエコー検査。心音とりは日に日にする時間が長くなり、夜中もしてたりして、この時ばかりは寝れなかった。赤ちゃんが動いて心音が確認できないと看護士さんがやってくるので、何回も・・何回も・・・しまいには自分でし直してた。 毎日ヒマだったけど、今ではもう何をしたかも覚えていない(何も出来ないんだけど) 何を考えていたのかも・・・多分寝てばかりだったと思う。  赤ちゃんのことは考えていたけど、ちゃんと動いているし、大丈夫だよね・・・と思っていた。 本当に私はなんともなかったんだもん。 お見舞も誰にも来ないように言った(家族も)旦那だけでよかった、仕事が終わって必ず来てくれる旦那との時間に他の人が(たとえ家族でも)居るのが嫌だった。 その時間は旦那と二人で居たかった。私は育ててくれた親より旦那のほうが大切だった。(今思えば薄情なやつだな・・・)
今で言えば出産前日の日になるんだけど、その日は担当の女医さんが赤ちゃんの様子をいつもよりも長い時間エコーで見てた。その時に初めて、予定日までお腹では育てられない事を覚悟しておくように言われた。 出産が明日なのか、1ヶ月後なのかは今はまだ何とも言えないが、予定日まではまず無理だと。 この事を聞いて初めて涙が溢れた。 予定日まで育てられないという事は未熟児決定。 しかもこの時推定体重1000gだった。自分がこんな事になるとは夢にも思っていなかった。 この日女医さんにたのんでエコーの写真をたくさんもらった。 その中の1枚に、心臓の形がハートの形にうつっているのがある。 この1枚はとても気に入り、旦那にも喜んで見せた。 この次の日に出産になるとも知らず。


【出産当日】

1月11日、この日赤ちゃんは明け方から元気がなく、朝食もストップがかかった。11時くらいだったか、先生が来て『赤ちゃん元気がないので、今日出しましょう』と言った。 『旦那さんには連絡しておくから』とビックリした。が何も言えなかった。 昨日ハートの心臓みて喜んでいたのに・・・旦那は仕事を切り上げ2時には来れるとの事。手術開始は午後3時からに決まった。 両親と私の姉2人が来てくれた。父が姉も呼んだのだ。 父は普段から気性が激しく口もとてもいやめっちゃ悪いがかなり心配してて赤ちゃんより私の事(命)を優先してくれと私の前で平気で言った。この時かなり私は怒り狂ったが、今は私も親になったので父の気持ちも分かる気がする。やっぱり我が子は大切だもんね。 私がどうの・・・ということはなかったが一応手術だしね。同意書などもイロイロと書かされていた(旦那が)  出産が決まってから元気のなかった赤ちゃんは何故かとても元気に動き始めた。今までで1番元気!!というくらい。 みんなもモニターの心音みて今までとは違う元気のよさに驚いていた。 私はなんだか『ママ・ボク(男の子ってわかってた)元気だからね』って言ってくれて、私の事を勇気つけてくれているような気がしてた。とても嬉しかった。 時間になり手術室へ。旦那と家族にバイバイして行った。 手術室はとても暖かく、雰囲気も明るくて不安は少し和らいだ。下半身麻酔だったので痛みはないものの、切られてる感じなどはなんとなく分かった。その内お腹を『グッ』と強く押された(もちろん痛くはない・感覚だけ) その時に赤ちゃん産まれたようだった。産声が『オギャー』だったかは定かではないが、声が聞こえた。早急な処置が必要な赤ちゃんはすぐにどこかに運ばれるようだったが、頭の上の麻酔の先生が、『赤ちゃん、ひとめお母さんに見せてあげて』と言ってくれて、赤ちゃん見ることができた。 ☆可愛かった☆ 小さかったことなんて覚えてない。声を聞けたこと、顔見れたことが嬉しくて涙か止まらなかった。その後女医さんがずっと手を握っててくれた(手術は男の先生でした) この女医さんはとてもかわいらしい人だった。手を握っててくれてありがとう。


【出産後】

無事に出産も終わり、パパは拓也に会いに行きました。ビデオに、カメラ、デジカメ、チェキを持って、私がまだ会いに行けないので、チェキで写真を撮ってきてくれました。 とっても可愛かったです☆ 比べるものもないし小さいなんて全然わかりませんでした。その写真を胸に抱いて、赤ちゃんの無事を祈ってました。パパから、3日間何もなければとりあえずなんとか大丈夫だと聞かされていたので、3日間は本当に祈ることしか出来ませんでした。ビデオも少し撮ってきてくれていたので、みせてもらうと、うつ伏せで、丸裸でオムツも敷いてあるだけでした。とにかくなんて可愛いんだ~としか思ってませんでした。 それと同時に不安もイロイロとありましたが、パパがとにかく前向きな人で本当に救われました。 今までケンカもたくさんしてきているけど、本当にこの人と結婚してよかったと、改めて思いました。2日後、13日に日に拓也の顔を見に行くことが出来ました。やはり生拓也は小さかったです(笑) でも初めてマジマジと見た我が子はやはりとっても可愛かったです。

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