「きらりの旅日記」

PR

カレンダー

プロフィール

ほしのきらり。

ほしのきらり。

2022.02.20
XML
カテゴリ: 美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​1970年代になるとミロの作品は世界中で知られるようになります。1970年に大阪万国博覧会でもミロの作品が公開されました。1974年には・・・

パリ「グラン・パレ」Grand Palais

ジョアン・ミロの大回顧展が開催されました。

​​ Joan Miró 
ジョアン・ミロ

1893年4月20日〜1983年12月25日(90歳没)

​​Joan Miró i Ferrà​ ジョアン・ミロー・イ・ファラー)​​

スペイン・カタルーニア地方出身の

画家・彫刻家・陶芸家・壁画家。

ホアン・ミロ(カタルーニア語読み)

パリでシュルレアリスム運動に参加し

20世紀美術に独自の地位を築いた。




主として1960年代と同じガイドラインに添っ手描かれた。


『夜の中の女』 ​1974年​ では・・・

女が再び題材に取り上げられ、

女性を象徴するアーモンド形が描かれている。


同様に 『太陽の前の女』 1974年では、

太陽が・・・

『月の前の女』 1974年では、

月が・・・

『夜の中の女と鳥』 1969年〜1974年では、

鳥がそれぞれ題材になっている。


こうした晩年の作品の特徴は・・・



その黒との比率からして

他の色が極端に少ないことがあげられる。


このような特徴は、

トリックリングやプラッシング、ドリッピングなどの

技法を冷静に使いわけて色を塗ることと相まって、



だが、

攻撃性は色の塗り方よりも

フォルムそのもののなかに、より強く現れる。


これらの作品は、

抗議の叫びというよりは、

画家の感情を偽りなく

自然に表現したものと解釈されるべきだろう。


1970年代の初め頃には・・・

ミロの作品は世界中に知られ、

高く評価されるようになった。

事実、

ちょうど1970年代が始まる年に 大阪万国博覧会 が開かれ

ミロはこれに、

絵画の大作と陶壁画を1点ずつ招待出品している。

日本の観客は・・・

ミロの作品に強く魅せられ、共鳴した

今や、主要な作品展があらゆる所で次々に開催された。


1972年 (79歳 )​ には、

ニューヨークの「グッゲンハイム美術館」で「磁場」展 が、

ロンドンのヘイワード画廊で「ミロのブロンズ」展

それぞれ開かれ、

1974年 (81歳 )​ には、

パリのグラン・パレ美術館

私立近代美術館 で大回顧展が同時開催された。

そしてついに・・・

1978年 (82歳 )​ には、

スペイン政府主催による初のジョアン・ミロ代表絵画展が

マドリッドのスペイン国立現代美術館 で行われ他のである。

さらに、

メキシコ、カラカス、ミラノ・・・ とリストは尽きない。


一言で言って、

ミロは真に ​“宇宙的カタロニア人”​ と言えるだろう。

つまり、

一瞬にして世界中にその名と作品を知らしめた

我々の土地の人間である。


しかし、ミロは・・・

こうした国際的認可を受けながらも

生まれた土地への愛情を変えることはなかった。


ジョアン・ミロ財団を、

バルセロナ市に寄贈するという寛大な行為を例にとっても

それらは明らかである・・・

財団は1975年6月10日、一般公開された。


これより、何年か前から、ミロは・・・

友人たちと財団創設に向けて計画を練っていた。


協力した友人のなかでも、

ジョアン・プラッツ は特筆される人物だが、

残念なことに彼が情熱を傾けてきた

この計画が日の目を見る前の1970年10月に亡くなっている。


ミロの友人であり、

また我が国の前衛芸術における第一人者である

彼を記念して賛歌を称える意味から、

財団第一展示室には彼の名が記され、

その個人コレクションが収蔵されている。


モンジュイック公園に建つ財団を収容する

この建物は、 ホセ・ルイス・セルト によって設計された。


彼はミロの親友であり、

1937年のパリ万国博覧会スペイン共和国館における展示では

画家と共に作業をし、また

1956年には、

マヨルカのミロのアトリエを設計した人物である。


セルトはこの財団を、

外観にマッチし、

周囲の環境とのバランスも完全にとてた

広々とした内的空間をもつ建造物に仕上げた。


あらゆる空間に作品を展示する目的からして

セルトが初めに直面したのは、

言うまでもなく、

光と環境という二つの問題だった。


自然光をできるだけ多く取り入れるため、

彼は四分の一の円筒形をした一種の天窓を採用した。

ここから入った光は半紙焼こうとなって室内に差し込み、

時間や季節によってさまざまに変化する

太陽の位置にも関係なく、常に、

陰影を生むことも、

作品や鑑賞者の目に直射光をあてることもない。

鑑賞者の順路は、

中央中庭に囲むように組まれ・・・

こうしたやり方は、

古代ローマの住宅の中庭に設けた

雨水だめや中世の回廊などに

その起源が見られる・・・

訪問者が再び同じ所を通らなくてすむように工夫されている。


建物は鉄筋コンクリート製だが、

コンクリート独特の灰色の地肌が白く塗り替えられ、

いかにも地中海風な















m
(参考文献:美術出版社/Joan ​Miró​​ジョアン・ミロより)
(写真撮影:ほしのきらり)



​​ミロにぽち にほんブログ村 旅行ブログ 世界遺産へ ​​​​​​​​​​​​​​​


​​​​​​​​​​​​​​​​​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.02.20 00:10:08
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: