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バルト3国の旅も最後になりました。エストニア【世界遺産】タリン歴史地区の一番古い城壁は、お城の近くにあります。「台所をのぞく」不思議な名前の由来が気になります! キーク・イン・デ・キョク・ネイツィトルン「台所をのぞく」 KIEK IN DE KOK NEITSITON 「台所をのぞく」おかしな名前の城壁ですね! お城のあるトームペアの丘にあったこの城壁の塔の高さは 49m ここからは、下町の台所が、よ~く見えた事から ドイツ語で「台所をのぞく」と言う意味の名前が付けられたそうです。 この塔は聖ニコラス教会です。 確かに今でも、平民達の家が手にとる様に見えますね~ 南の城壁は、15世紀末に街の防衛の為に造られました。 16世紀に補修され・・・現在に至る 紅葉が美しかったです さて~お昼12時にホテルに集合です楽しかったバルト3国の旅も今日で終わり 現地の英語ガイドさんは、空港までバスで案内してくれます。 力持ちのホテルマンが大きくなったトランクをバスに積んで! イケ面のホテルマンが、いつまでも別れを惜しんでくれました できたらトランクに詰めて帰りたいけど・・・・あかんがな タリン空港 タリン発 14:20 エストニア 1クローン金貨 2枚 ライオン3頭 国の紋章 もうすぐユーローになるので、これは記念に! 関係ないけど金貨のチョコ1枚買って・・・出発! 14:20 美しいエストニアさようなら 所要時間35分 フィンランド ヘルシンキ着 14:55 フィンランドで空港内ではあるが・・・出国 パスポートハンコを押してもらう為に出国 ブランド街・・・・で 超・高級なカシミヤのお店でお買い物 自宅のお留守番の会計係に・・ほっかほかっ! ムーミンのキシリトールガム 北欧のパンおみあげおいしかった! お買い物は、30分程で切り上げ・・・パスポートにふたたびハンコペタッ! 待合室で長~~~く ヒマ ヒマ ヒマ 17:20 ヘルシンキ発 美しい フィンランドの森よさようなら 機内食 ディナー 機内食 モーニング ヘルシンキ 成田 所要時間 9時間35分 成田着 8:55 楽しかった バルト3国 リトアニア ラトヴィア エストニアの旅 完結 途中「モロッコ旅日記」があり・・・2年にまたがるブログになりました。 辛抱強い方々ありがとうございました「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう【最終回】 ・・・・・・・・インド旅日記につづく・・・・・・
2007.05.11
エストニア最古の教会は【世界遺産】タリン歴史地区の山の手地区にあります。ロシア正教とお城の間の道を進むと「大聖堂」が見えてきます・・・ウキウキ! Toom-kooli通り ロシア料理レストラン「カテドラル」の道 青 黒 白 の旗は、エストニアの旗です。 この辺りは、政府の建物だと思われます・・・ 建物から・・・顔が飛び出して居ます 何処かで見た様な? 写真家の『アラーキー』さん にクリソツです! VOLDEMAR PANSO ボルドマール パンソ 1920 1977 エストニアの方みたいです・・・その方の博物館だと思われます。 アラーキーさん? じゃないけど・・・かなりのインパクトでした! 大聖堂 (トームキリク)TOOMKIRIKU エストニア本土で最古の教会 1219年 デンマーク人がトームペアを占領して建設した。 1684年 大火災で焼失・・・・100年かけて再建現在に至る 大聖堂の前には、ヨーロッパ軍団が集結している! それより先に・・・急いで入りましょう・・・ 内部はお約束の撮影禁止 しかし・・・絵葉書を売っていましたので購入 何故だか解らないが?紋章がいっぱい掛かっている 教会の内部(絵葉書にて) すご~~~~い 暗いんです だから・・・不気味 ひとりは・・・・怖いので注意! 入口の前に台があり記帳してみました。 「タリンの街に感謝の言葉を記し 2006年10月3日 星野きらり」 誰か・・・・気づいて・・・星野きらり のサイン 最終日 エストニア=クローン=有り金をここで使い果たしました。「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.05.10
エストニアの議会は、トームペア城の中にあります。エストニア議会の目の前に、ロシア正教の立派な寺院が建っている。玉ねぎ頭は、どおしてもエストニアの景色に不自然さを・・・・ アレキサンダー・ネフスキー教会 Aleksander Nevski Katedraal お城と向かい合わせに、ロシア正教の寺院が建っている。 エストニアにおいて、最大のロシア正教寺院 エストニアの人口の26パーセントはロシア人であります。 聖人アレキサンダー・ネフスキーを祭る教会 ロシア人にとっては、大切な方であります。 ロシア サンクトペテルブルグは 彼の名前の通りがメインストリートになっているらしい? ロシア独特の玉ねぎ頭の寺院は、 ロシアに行かなくてもロシアを味わえる! 1901年 帝政ロシアによって建てられた。 5つの玉ねぎ頭の塔に 11個の鐘がさがっている 毎週日曜日朝には11個の鐘が一斉に鳴り響き 大きなミサがおこなわれる ミサは、毎朝あるそうです・・・朝寝坊で見れませんでしたが では、中に入ってみましょう~ 『禁止事項』 撮影禁止。男子は帽子脱ぐ。ポケットに手を入れたらダメ。私語禁止。 大きくて、結構さっぱりとした雰囲気かな? 何か? あまり印象に残っていないんですよね~ エストニアがロシアに支配された時代の最大の寺院が、 お城の前に建っている・・・・ロシア人のアイデアはスゴイ! エストニアが、最初に独立した時に、移転の計画があったそうだが・・・ できなかったみたいですね。2007年4月末=タリンにある第二次世界大戦時に戦った戦士の像を撤去して大騒動になった。 事件を思うと・・・どうにもならない複雑な気持ちを、 いまでも 引きずっている事を実感したのであります。 アレキサンダー・ネフスキー教会の左には、薄緑に白の『郵便局』 レストラン「カテドラル」ロシアとフランス料理の店がある。 各国の大使館が、並ぶ山の手も お散歩には楽しい所です 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.05.08
エストニアのお城は「トームペア城」ホテルの部屋から見えた【世界遺産】タリン歴史地区の丘の上にある美しいお城であります。 部屋からみたお城・・・ トームペア城 のっぽのヘルマン 塔の真上に旗が立っていますね 朝7時に 国の聖歌とともに国旗がかかげられる。 朝7時 部屋から見るの忘れちゃいました・・・・残念っ 夕方7時半に 国の聖歌とともに国旗はおろされる。 ホテルから5分歩くと・・・のっぽのヘルマンの下に着く 歴代の支配者が、城をかまえたトームペアの丘 石炭岩で できた高さ24mの丘 旧市内は、庶民が住む 「下町」と 時の支配者が、居住する「山の手」に別れていた。 のっぽのヘルマン Pikk Hermann 城の南にある塔 50.2m 国を象徴する塔であります。 真下に来るとのっぽのヘルマンさん国旗が誇らしげですね! お城の前まで登って来ました・・・ トームペア城 13世紀前半 エストニア人の砦があった場所に建てられた騎士団の城 現在の姿になったのは18世紀後半 表の壁は、真っピンクです! しかし 内側の壁は、真っ黄色です! 外から見ると ピンクで お庭から見ると 黄色 お城の表と裏の色を変えるのは、伝統的な建築様式だそうです。 中央にエストニアの国旗が掲揚されています。 その下に 国の紋章 ↓ 黄色に青いライオンが3頭並ぶ ライオンは、この国でも権力の象徴であります。 (英国・エジプトなどでもライオンは、権力の象徴でしたね) タリン世界遺産の地図がありました・・・ トームペア城・茶色 山の手地区 タリン歴史地区全体 ここで いきなりなのですが・・・・ 黒塗りの車が5台通ります。 何・・・・・・・・・・ 何 誰が乗っているの 若くて綺麗な女性が乗っているのが見えたけど・・・・ その人に見とれて居たら・・・・ どうも? 5台の車の中に 現エストニア大統領が乗っていらしたみたいです あああああ~見えなかった お城の中は、現在 政府機関があり 議会もこの中にあるのです。 大統領に遭遇しても不思議では、ないのです そんな こんな セキュリティーの為に・・・ 内部を見学する事は、出来ませんでした残念 見たいわ~真っ黄色い壁「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.05.06
バルト3国の旅も最終日になりました。お昼の集合までは、フリータイムが続きます。前日は欲張って世界遺産タリン旧市内を歩いたので・・・朝はゆっくりしたいな~ エストニア 首都タリンホテルは、旧市内から歩いて5分の所 メリトン・グランド・ホテル Meriton Grand Hotel ソ連時代は、国営だったホテルを改築した快適なホテル 537号室 最終日は、教会朝のミサを見学したいと張り切って・・・ シャ~~ッ カーテンを開けると 小雨が降っています・・・ あああ~~一気に やる気が うせたわ! (ひとり追加代金50000円を取りもどさねば・・) もう一度 ベットで ゴロゴロ だから 一人旅は 楽しい 行きたくない時は のんびりできるし・・・・ ホテル前の道路 バスが走ってます 向かいオフィスビル 右は、森です。 あ~やっぱり 雨か~ ゴロゴロしながら外を見る これは彼氏 トームペア城が見える・・・なんて贅沢なんだろう! トームペア城 右の塔は「のっぽのヘルマン」 歩いて5分です・・・そろそろ行こうか・・ ラウンジで朝食 そのままお散歩へ ホテルを出ると 雨は 止んでいる晴れ女 ホテル前 交差点 トロリーバスが走っているみたいですね~ トロリーバスとは、パンタグラフが付いたバスで バルト3国では、多いですロシア時代のものでしょう。 タリンのトロリーバスは、2両連結ですね。 バスも走っています 行き先は番号表示なので難しい。 こちらは、1両ですね! ポーランドは、バスが2両連結だったかな トームペア城があるトームペアの丘へ登りましょう~ 木に囲ってあるのは、雪囲いでしょうか? 虫除けかな? 昨夜白馬の騎士と歩いた森は、もう~きれいにお掃除してあります。 バルト地方の人は、本当にキレイ好きです。 ここで、同じツアーのこわもてのおじいさんに出会いました。 ↓ 一人旅で、ナンだか?謎のおじいさん・・モトヤン? おまけにビジネスクラスだし・・・本物か? 「写真を撮ってあげよう・・・こっちが良いからおいでよ!」 え~っ? ドッキン! 別に・・・写真 頼んでないけどサッ 断るのも・・・変だしね ま~いっか~撮ってもらおう! ちょっと おちやらけたポーズを・・・こわもてのおじいさんを笑わせる! 結構~良いおじいさんでした! 悲しみにくれる「リンダの像」 同じポーズのつもり『エストニアの神話』 トームペアは、古代の王カレフが眠る墓陵であると言われています。 王様の奥様リンダは、 王様が亡くなり埋葬した後 巨大な石を集め 墓陵を造ろうと考えた。 墓陵が完成する最後の石をエプロンに包み丘を登っていた その時 エプロンの紐が切れ石は、転げ落ちてしまった。 疲れ果てたリンダは、その石に腰を下ろし 悲しみの涙にくれた リンダの涙は、ウレミテ湖になったそうです(おしまい) そんな神話との出会いもこわもてのおじいさんのお陰かな? 今回の旅は、一人旅が多く、いずれも旅慣れている方ばかり 自由時間が多いと言う旅だったからかも知れませんね~「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.05.05
エストニア【世界遺産】タリン歴史地区を散歩しました。夜のレストランは、『金の豚食堂』で、エストニア料理を堪能。地ビールもいただいて少し良い気分で、ホテルに帰ります。 クルドゥセ・ノッツ・クルツ 「金の豚食堂」 「金の豚食堂」を出たのは夜の8時過ぎです。 も~真っ暗っ! 帰り道は・・・・ 幽霊の井戸と悪魔が結婚式を挙げた館の前を通り・・・・ 真っ暗な「豚足通り」の坂を独りで登り・・・・ ロシア正教のお寺を通り 宮殿を通り 森を下ると・・・・ホテルに着きます。 こんな怖~~い道を乙女が通れません! そおだ~っ市庁舎広場を通って帰ろう~ 下り坂をルンルン歩く・・・ 「こんばんわ~」おばさんが声を掛けてきた・・・ な な なんだ? 夜中に声を掛けられると・・・・怖いんですが・・・ (エジプトじゃないから・・・・チップくれ!じゃないだろうし) おばさん:「あなた~金の豚食堂に独りで居たでしょ?」 きらり: 「は・はい~居ましたが・・・・」 おばさん:「わたし達も居たのよ!」 見ると4人グループで歩いている・・・ おばさん: 「何処から来たの?」 あ~またか~「何処から来たのシリーズ会話」に花が咲く! オバちゃん達も北欧からの観光客だった・・・・ ナンだか?きらりと話がしたかったみたいでした?? エキゾチック・ジャパーン・ギャルは、気になるのか? ひとり旅ジャパニーズは、不思議なのか? おばちゃん会話も名残惜しそうに千切れんばかりに手を振る! 夜中の市庁舎広場もかなり不気味です。 メインストリートのヴィル通りから 右に歩けば・・・・ホテルに着くはず・・・・・ それが・・・・・・・歩けど 歩けど たどり着かない・・・・・ だ~れも 歩いていない! どおしょう? 交差点まで来た・・・・どっちへ行けば良いんだ?そこに白馬に乗った騎士が登場・・・・・いやいや ・・・・・・夜道で男に声を掛ける程の勇気が無い! でも・・・・・ この人に道を尋ね無いと・・・ 帰れない気がする・・・・・ ドッキンドッキン心臓の鼓動が・・・・ どうも・・・本当に白馬の騎士に見えてきた!きらり:「すみません~メリトン・グランド・ホテルには、どうやって行けば良いですか?」白馬の騎士: 何故か?しばし無言・・・・・ 怪しい女・・・と思ったのか? 夜中に四つ角に立つ東洋人女白馬の騎士:「知っていますよ!僕もそこに宿泊しています・・・だから一緒に帰りましょう」きらり:「ありがとうございます~助かりました」 でも・・・まだ彼を信用している訳では無い! 白馬の騎士が、ホテルは、この右に曲がり森に入ると言う! どう考えても・・・ここを右とは意外な道だと思うが・・・・ 白馬の騎士に森で襲われても逃げられる様に距離を置いて歩く! この場を無事に切り抜けるには「何処から来たのシリーズ会話」で 和ませるしかない! 白馬の騎士は、話に乗って来た! 白馬の騎士は、スウェーデンの商社マンで、ビジネスで来ている。 日本の事も詳しくて、1度だけ観光で来日した事があるらしい? きらりもスゥェーデンには、1度だけ観光で来スゥェしている事で・・・・話に花が咲く! あんまり親密になることも・・・同じホテルだとしたら怖いし・・・ 親密な英会話が出来ない女である事は、こんな時幸いであります。 本当に心が和んだのは、お城が見えた頃からでしょうか? 本当に良い人です・・・・優しい白馬の騎士でした! メリトン・グランド・ホテル玄関前にてここで、心からお礼を言い・・・彼の部屋へは、勿論お邪魔する事無くお別れしたのでありました。「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.05.04
バルト3国の一番北にあり、自由な雰囲気が漂う街、首都タリンの旧市内を歩いています。【世界遺産】タリン歴史地区は、トーム・ペアの丘に続く美しい中世の街であります。 トーム・ペアには、お城があります。 お城に登る道は、2つあります。 1)貴族が利用した馬車が通れる『足長通り』 2)庶民が利用した、階段のきつい『豚足通り』 お気に入りの道・・・・・・・・・・を歩いてみましょう~ 『豚足通り』 LUHIKE JALG お城のあるトーム・ペアの丘から降りてみました。 降り口は、かなり狭いですね。 平民は・・・・・坂を下ります・・・勿論わたしも『豚足で』 狭いトンネルを抜けます waku~waku~ 下り坂は、すでに始まっている! ロングスカートで降りてみましょう・・・ 観光シーズンなら・・・ここは、大行列ですが・・・ 今朝は、貸切です・・・・実は、この坂を降りたのは翌日の朝です。 降りてくると坂は、右に折れます。 左に Matilda cafe 鉄の看板が素敵ですね・・・・こんなの欲しいっ 坂の途中のショップに入る・・・・・美しい中年の店員さん ルヒケセ・ヤラ・ガレリー Luhikese Jala Galarie インテリアが素敵です・・・・ お客様が・・・居ません・・・ゆっくりできました。 ロウソク立てと 店員さんが楽しそうに(こうやって火を消すものよ!)との説明。 あ~~こうね~そうそう~ セットで買いました これも鉄の看板の想い出に・・・・ トイレット・ペーパー・ホルダー こうなります 分厚いフェルト生地にレースのコサージュ2色買いました。 これは、この冬に大活躍で・・・オキニです エストニアの旅は、きらりの胸とトイレの中に・・・いまでも存在感を残しています。「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとうね~
2007.05.03
タリン歴史地区に行くと必ず行く展望台は、トームペアの丘にあります。特に美しい景色が見える2箇所の展望台で下町の景色を眺めましょう~幸せな事に、お天気は最高でした。 足長通りを登り・・・山の手の展望台まで来ました。 聖オレフ教会が見えます。 聖オレフ教会から見たトーム・ペアの展望台は、このあたり 聖オレフ教会に登った景色は、やはり稀少価値! ラエコア広場 旧市庁舎の塔が見える 空の下には、美しい海が見える。海の向こうは北欧です~ 「タリンの景色」の紹介と言うと、この辺りの景色が多いです。 聖ニコラス教会は、10月になり見学出来なかった 船乗りの守護聖人ニコラスにささげた13世紀の教会であります。 北側の展望台に行ってみましょう・・・ 山の手 細い道を通り抜けて 北側にある展望台へ・・・・ タリン歴史地区の北側にあった城壁と10個の塔が見える。 ぜひ 北側の展望台も見て欲しいですね~ここも素敵でしょ 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう~
2007.04.30
エストニアのタリンで深刻な事件が起きてしまった。現在「エストニア旅日記」を書いている者として、この事件を無視できないと思います。事件は「こちらのニュースで詳しくご覧下さい。」 エストニア、旧ソ連兵の像撤去 ロシア系が反発、衝突で死傷者 2007年4月27日(金)17:49 (共同通信)から 【モスクワ27日共同】バルト海沿岸のエストニア政府は第2次大戦を戦った旧ソ連兵の銅像を首都タリン中心部から27日未明、撤去した。反発するロシア系住民ら1000人以上が警察と衝突するなどし、住民1人が死亡、住民40人以上が負傷した。警察も10人以上が負傷した。インタファクス通信などが伝えた。住民らの一部は通り沿いの窓ガラスを割ったり車を壊すなど暴徒化した。 事件の詳しい経緯は、良く解らないのですが、大変に根の深い問題であります。 【エストニア共和国についてのウンチク】 お相撲で活躍しているバルト関の出身国 首都 タリン 面積 北海道の6割の大きさ 人口 約136万6700人 エストニア人 67.9パーセント ロシア人 25.6パーセントこのロシア人とエストニア人が、仲良く暮らす国でありますが・・・ 何度か、きらりも遠まわしにお話していますが・・・・・ エストニアは、50年間ロシアの一都市でありました。 その50年間は、エストニア人にとっては、辛い辛い歴史でありました。 独立は、1991年 ・・・・・16年が経ちました・・・・・ 『タリンは、世界一平和で安全な都市』 毎日 言い続ける きらりは、嘘つきでは、ありません! タリン市民は、穏やかで優しい人達であります。 エストニア人67パーセント ロシア人25パーセント 何が起きたのでしょうか? 確かに、エストニア人は、心の底でロシアが嫌いであります。 しかし・・・それを口に出して言わない所が偉い所なんです~ どこかで? 何かが? ぶち切れたのでしょうか? どこかで? 誰かが? 何か? したのでしょうか? その辺が、知りたいですが・・・・情報が得られません! 悲しい事件が起きた首都タリン きらりが信じる世界一平和な国エストニアの首都タリンが永遠に平和である事を祈ります。 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→頑張れ~
2007.04.29
エストニア【世界遺産】タリン歴史地区の、お城があるトームペアの丘に登る道は、昔は1つでありました『足長通り』と言う名前のとっても長~い坂道を登ります。 ピック・ヤルク通り Pikk Jalg 下町からお城へ上がる道は、昔はひとつしか無かったのです。 このゲートタワーは、毎晩9時になると扉が閉められたそうです。 ゲートタワーをぬけると・・・・そこには、長~~い坂道がある。 トームペアの丘にあるお城に通じる道 『足長通り』の名前の通り・・・・ 足をメイッパイ広げて登る! は~っは~~っ!坂の半分まで来て・・・振り向く! もともと 1つだったお城に通じる道『足長通り』 だったが もう1つ 『豚足通り』を作った! 『足長通り』は、貴族が通る道・・・馬車で登る 『豚足通り』は、庶民が利用する道・・・急坂の階段 だれぞ~っ わらわに~馬をもて! 丁度良い所に茶店があるではないか? ポカポット・カフェ ・・・・お店の看板が可愛い 左にはピンクの壁は、レストラン ピカ・ヤラ Pika Jala 『足長通り』長~~いブーツが、さがっている 2006年9月2日(月)紅葉は、こんな程度です。 ピック・ヤルク通り 足長通りからの絶景は・・・いけてます! これから エストニア【世界遺産】タリン歴史地区の展望台へと行きましょう~「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとうです
2007.04.27
ラタスカエブ通りについて調べていたら・・・「悪魔が結婚式を挙げたお屋敷は、このすし屋だったらしい?」 すし屋 つるべ井戸の後ろに 銀のスプーン(タリン美味しいレストラン)すし屋さん ラタスカエヴ通り16番地 悪魔が結婚式を挙げたのはこのお屋敷らしい? もちろん・・・中世の頃は『すし屋』では無い! 表に「ミソスープ550円」と書いてあるから高そうです~ どうも・・・庶民には高級すぎる店なのか? 悪魔が住んでいた地域なのか? ここが魔界なのかは未確認であります 怖いお話は、前回で終わったのですが、またまた ごめんなさい「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.04.26
タリン旧市内には、怖い伝説が、いくつかあります。その中でも一番怖いのは、ラタスカエヴ通り(つるべ井戸の通り)にある『猫の井戸』の伝説であります。 Rataskaevu ラタスカエヴ通り ラタスカエヴ通りは、晩ご飯を食べた『金の豚食堂』の突き当たりの通りです。 そこには、美味しいと言う噂の寿司屋さんがあります。 猫の井戸 ラタスカエヴ通り=つるべ井戸の通り と言う意味 道の真中に不思議な・・・つるべ井戸があります。 かつて ここには・・・魔物が住んでいたそうであります。 残酷な事に住民達は その魔物の生け贄として猫を井戸に放り込んだそうです。 その為に井戸の水は汚染されて使えなくなったそうです・・・ 現在でも、しっかりと蓋がして封印されたままでした。 ラタスカエヴ通りには、 悪魔が結婚式をあげたと言うお屋敷があるそうですが・・・ 悪魔は、誰と結婚したのでしょうか? 中世の街には、こんな悪魔伝説や幽霊伝説が、必ずあるものですね。「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとうさん
2007.04.26
ロシアの前大統領エリツィン氏がお亡くなりになりましたご冥福をお祈り致します。バルト3国は50年間ソビエトの一部でありました。その独立は、エリツィン大統領の時代でありました。バルト3国の人々は、ソビエト時代の事は、とっても辛い時代だったと言います。食べ物を手に入れるには切符が必要でそれを持っていても行列をしないと買えなかった。1991年エストニアは、ロシアから独立したのであります。現在はEUに加盟して経済を立て直しつつあると言うところです。お酒が大好きだった前エリツィン大統領・・今頃は天国でウオツゥカを飲まれれいるのでしょうか? もしかしてエストニア辺りのビアホールをさ迷っておられるのでしょうか? エストニアの最後の晩餐は、やはりエストニア料理でなくてはいけません! クルドゥセ・ノッツ・クルス KULDSE NOTSU KORTS 金の豚食堂 下町から山の手を歩きとおし最後にディナーをいただきましたが・・・ どんな晩御飯か気になりそうなので・・・・ご紹介いたします。 『金の豚食堂』に入るにあたり・・・・とっても心配な事があるのです! すでに・・・エストニアのお金を少ししか持っていない! 日本円・米ドル・ユーローは、かなり持っているのですが・・・使えない! 『金の豚食堂』に入るなり聞くことは・・・ 「カードを使えますか?」 「はい!使えますよ!」 ああああ~~~良かった! レストランのほとんどは、カードが使えるそうですが、確認しないと安心して飲めません! 思った通りのインテリアです・・・・素敵な雰囲気! こちらは、道路から見えた窓際の席 きらりは、ひとりなので暖炉の隣2人用の席 エストニア民族衣装の綺麗なお姉さんがウェイトレス きらり:「すみませんが・・・英語のメニューありますか?」 ウェイトレス:「これは、英語のメニューですが・・・・」 きらり:「あ~御免なさい~英語メニューでした」 え~~~~っ!これって英語っ? あほちゃうか?きらり!エストニア語と英語の区別でけへんか? 中世風でお洒落な字体で書かれていると・・・英語に見えないし・・・ なんせ・・・むちゃ暗いし・・・(言い訳多過ぎ!) メニューひとりだからゆっくり見れちゃいます! 確かに英語です・・・ゆっくり読めば親切に書いてある! メニューを日本語訳するのに時間が掛かる・・・きらり ウェイトレス:「ご注文は?」 きらり:「あ!あ!も~少し待って・・・・」 夜は、長いんだ~ゆっくり楽しまないとね・・・ SOUPS consommeed with boiled egg and pastry エストニア6クローン 3.85ユーロー え?ユーロー使えるのか? コンソメスープにゆで卵か~ペストリーが付いてる? ナンだ? スープは、これね! メインディッシュも材料を見て注文・・・・どんなものが来るんだ? とりあえずエストニアの地ビールをいただきま~す! 入店したときには、お客が1組だったのに・・・・気が付けば賑わっている。 年配の観光客が多いです・・・ スープ来ました!ペストリー端にのってるヨ 挽肉が入った春巻き風のペストリーです。 コンソメにゆで卵は、少し変わってるけど・・・いけてます! メインは、きのこ入りチーズたっぷりのグラタンでした。 アッツアッツのこってり~ これは、スープとの組み合わせがバッチシ 店内を探検・・・ この色は、アボガドグリーンって言うのかな? ←WC ↑女子 ↑男子 ↑糸車も可愛いインテリア トイレの洗面所も日本とは雰囲気が違う・・・ ライトも可愛かった・・・明るいトイレさ~てお勘定は、メニューにユーロー価格があったが、支払いはエストニアクローンです。 カードが使えるので、観光客は、ほとんどの人がカード支払いでした。 きらり2000円弱でした・・・・・豪華にと思っても・・・こんなもん!昨日の【クイズ】金の豚食堂・・の見事な正解者は、 chikasanさん あいちゃんさん 「ねえさん」さん hammoさん の4名の方々でした 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.04.24
エストニア【世界遺産】タリン歴史地区・・・旧市内には、色々なレストランがある。始めに通ったメインストリートのビル通り沿いにあったのは、エストニア料理の店でした。 ヴィル通りに入ってすぐ左のエストニア料理の店 ヴィル通りには、オープンカフェやレストランが多い 屋台の後ろ Olde hansa オルデ・ハンザ 15世紀当時の商家の雰囲気で・・・肉料理がメインのお店。 ラエコヤ(市庁舎)広場では、各国の料理が食べられる。 左・水色の洋服屋さんの隣レストランは、高級だそうです。 左ラエコヤ広場 ニンニク料理のレストラン にんにくのアイスクリームが美味しいらしい? 右はマハラジャ インド料理の店 ラエコヤ広場 トロイカ赤茶色の家 ロシア料理の店 ラエコヤ広場から・・・山の手に向かいます Dunkri通り ダンクリーとおり 山の手に向かう道・・・・坂を登ります 左に ビアーハウス ビールを醸造している所が道路から見えます。 ドイツ風のビールのお店です 勿論おつまみは、ソーセージ リーズナブルで気軽に飲めるお店みたいです その坂の右にあるレストラン・・・ Kuldese Notsu Korts クルドゥセ・ノッツ・クルツ (エストニア料理) 金の豚の食堂・・・と言う意味らしい? 豚さんが可愛い~のぞくとインテリアも素敵です! 突き当たりに・・・車が来ました。 寿司ハウス 勿論 お寿司屋さんですお相撲さんの顔が書いてある! エストニアでもお寿司は、人気が出て来ています~ バルト 大相撲の把瑠都関(エストニア出身)が日本で活躍しているせいもある・・・? エストニアでも大相撲の放送があるそうで、みんなで応援しているみたいです。 ここは、美味しいお店の投票でタリン市民に認められたお店です。 何個☆ではなく・・・銀のスプーンマークがあります。 期待できそうなお店ですね・・・・・【クイズ】さ~て・・・きらりは、どこで晩御飯を食べたのでしょうか? 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.04.22
【世界遺産】タリン歴史地区の道ウオッチングは、とっても楽しい~マニヤックな道を探求してみましょう・・・その中でも何故だか懐かしさを感じてしまうものがある。 『足踏みミシン』と『アイロン』右下 シンガーミシン・・・・火のしアイロン?商人の通りピック通りのインテリア・ショップで見つけました。 お店の中は、なかなか撮影できないので・・・・せめて中から外を見て想像して下さい。 お店の中は常識的に、写せないので遠慮しています。 (ミシンは、快くOKが出ました) ミシンが大好きな きらりにとっては、嬉しい出会い。 木製の右の引き出しが・・・・無いのは惜しい! ♪とってもお洒落な おねえさん達が居るお店♪ テーブルクロス・ランチョンマットなどのコットン・インテリアが、おされ~ッ 色もサイズもとっても豊富で、しばらく時間を過ごしました 横丁に入り込んで行くと・・・・15~6世紀のお宅かしら? 1階に『アンティーク』と書いてあるので、お店みたいですね! 裏から見たので、解説が不能ですみませんBremeni kaik 通り ここは、タリン港に向かう道でオレフ教会の下の道です。厳密に言えば城壁の外・・下ですね 黄色い看板には「Orrerestoran Svejkijuures」と書いてある。 多分?レストランタリンの小道は、なかなか面白い! Pagari通り グレート・ギルドの会館 左の通路みたいな道路にさえも素敵な名前がある。Katariina kaik 通り ここでセーターの壁で出あった おばあちゃまが居たんだ! あら~っ! たった今気づきましたよ・・・だから写真は面白い! ピック通りから「聖ニコライ教会」に通じる辺りだと、思うのですが・・・ ここは、私も良く解らなくて、入りませんでした(おばあちゃまたちも迷ってます) トンネルの先には、おみあげ屋さんとレストランがあるみたいでした! Hobusepeea通り 商人たちの道「ピック通り」から、職人達の道「ライ通り」に抜ける道 くの字に曲がった通りは、とっても静か・・・石畳が素敵! お花屋さんの花達も・・・居心地がよさそうです 女ひとりで・・・海外の首都の横丁に入るそれは危険過ぎる行為であります。しかし、バルト3国は、とても気持ちが良い国であります。 今の所は、ほぼ安全すが・・・・ EUに加盟した為に今後どんな悪い人達が流れて来るかが心配であります「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.04.21
タリンの旧市内で職人さん達が、住んで居る地域ライ通りには、2本の大きな菩提樹が植わっている家がある。付近の家には樹木が無いのに・・・ここだけ2本の大きな木があります。 Lai通り ライ通り29番地 2本の木がある左の家 昔は、旧市内の下町では、樹木を植える事を禁止していた! ロシアのピヨトル大帝が タリンを訪問した時の事 この家の前で休憩したそうですが・・・・ 真夏で あまりにも暑くて! ロシアは、涼しいですから・・・ ピヨトルちゃん・・私たちとは体感気温が違うんでしょうね? ロシアのピヨトル大帝は、 「今度来るまでに 木陰を作る樹木を植えて置くように!」 と・・命令したそうです。 そして 2本の菩提樹 が植えられたそうです。 その菩提樹が大きく成長して・・・日陰をつくっていますね~ 日陰・・・・ここだけ日陰・・・・暗いんです・・・ ・・・・どうも出るらしい・・・・ 15世紀の修道僧の幽霊が出るそうです・・・・ そう言えば・・・・窓に沢山の・・・・・・あ~~怖い! 仏教徒として冷静に考えれば、成仏した場合は、幽霊には、なりませんが・・・ 徳を積んだお坊さんは、成仏するはずで・・・幽霊になるなんて、ありえない! 修道層の幽霊ってあるんだろうか?・・・・そこんとこどおなんだろ?「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.04.19
エストニアのタリンに城壁が築かれたのは、13世紀頃からでありました。その理由は、ジョニー・デップの様なイカレた海賊が来たり、オーランド・ブルームの様な弓の名手が壁を登ったり、ブラッド・ピットの様な剣の達人が攻めて来たからであります。そしてとんがりコーンの塔には、アンジェリーナ・ジョリーの様な姫様が立ってたらなぁ~なんて想像して・・・映画とシリアスがごちゃごちゃな・・・きらり 城壁(Kindlustused)には、10個のトンガリコーンの塔があります。 それぞれに名前があるそうですが・・・・ 辺りにそれを説明してくれるガイド(イケ面ジュニアー)はおらず ひとりで・・・・中世映画の世界にひたっていた・・・きらり ジョニー・デップ オーランド・ブルーム ブラッド・ピット アンジェリーナ・ジョリー ちょっぴり太めのディカプリオは出てきたか? アカデミー俳優がノーギャラで出演してくれたのであります(想像の世界)城壁の中に戻り右へ行き・・・・・ラボラトーウミ通り の先まで城壁の道を楽しみます。 Aida通り 道の先は、左にカーブしています。そこは、Aida通り 馬を使った時代の物でしょうか?鎖があります。 奥の家には、屋根裏部屋から・・クレーンが出ています。 窓も中世そのままの木製でいい感じですね~ 石畳もほぼオリジナルだと思います・・・苔むしています。 Lai通り 大通りであるライ通りに戻ってきました。 13世紀頃からの住宅が普通に並んでいる・・・・勿論【世界遺産】 ライ通り(Lai) 聖オレフ教会と粉挽き小屋はこの先です。 ピック通り(Pikk)とライ通りは、平行している。 こちらは、ライ通り カラフルな家並が楽しい♪ ライ通りは、職人達の住む閑静な住宅街です。 ピック通りは、カフェや商店が並ぶ商人の街で 平行していても・・・・雰囲気が一辺するのであります。 閑静な住宅街 今でも普通に人々は暮らしている。 ライ通り 職人さん達の住宅街だけあって、看板も面白い! この道を進むと山の手にあがる階段があります。 工事の為に石畳は、掘り起こされては、また並べられた・・・ 石畳にも歴史の後が見えますね~ 中世には、ガソリンで走る馬はおりませんでした。 だから駐車スペースは、無いので少しガソリン馬が気になってしまいました。「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.04.17
エストニア【世界遺産】タリン歴史地区は、中世の城壁タイムカプセルであります。城壁は、約2.5kmにわたりタリンの街を守っております。いったいどんな形なのでしょうか・・・・・ Suurtuki通り「粉挽き小屋」から・・ライ通りを行き右に曲がるとSuurtuki通り 閑静な住宅街ライ通りからながめると・・・・三角お屋根 城壁の塔を発見Labora tooriumi 通り ラボラトーリウミ城壁と平行している通り ここを発見した時には・・・うれしくてウキウキ! 塔は、全部で10個もある 現在残っている城壁は1.85kmだそうですが・・・ここは感動もの! 武装した兵士が最後にココを走り回ったのは1854年「クリミア戦争」 (イギリスとフランスの軍艦に囲まれた時でありました)城壁の外側に出てみましょう~「塔の広場」 城壁の塔の真中から「聖オレフ教会」が見える。 オレフ教会から・・・塔の広場を見ると ・・・・・・・・きらりは、芝生の森の中に居ます 城壁の外壁を利用して建物がありました。 「塔の広場」きらりお勧めの場所です。「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→も~素敵だった
2007.04.15
タリン歴史地区の北に「三人姉妹」と言う名前の商家がある。三人仲良く並んで着飾っているように見えるからでしようか?ピック通り71番地を探しながら旧市内の外れまで来ました。 ピック通り71番地・・・ 『三人姉妹』 たぶん・・・ここだわ! そこに向こうから・・・ ・・・・イケ面ジュニアが2名歩いてきた! 「三人姉妹は、ここですか?」 と聞いてみました! 聞くまでも無く・・・ ピック通り71番地と書いてあるのですから・・・ 聞く必要など無いはずですよ! だって~さわやかな男子だったんですもの・・・ 聞きたくなっちゃったのよ! (きらりったらもぉ~あきまへんがな) 少年:「そう~ここだよ!」 結構~そっけなく あっさりと答えて去っていった! おい おい それだけかい 東洋の綺麗なおねえさんには、まだ興味が無いらしい? (やはり値打ちが解る男は・・・・30過ぎからよね!)ピック通り71番地「三人姉妹」は、15世紀に建てられた商家であります。 正面の壁飾りが、とっても可愛くて・・・女らしい雰囲気だからだそうです。 三人仲良く並んでいる為に・・・・三人姉妹と名前がついた。 中世の時代の家は、「ハンザ都市」 リューベックの法律に従って建てられました。 ↓ 『入口は、道路に面している事』 上部にクレーンが突き出ています・・・ そのクレーンは、荷物を引き上げる為の物なんです。 これ等の商家の内部は、1階 Diele-Dornse と呼ばれる2つの部屋がある。 入口に近い大部屋 Diere 作業場 奥の小部屋 Dornse 住居 屋根裏は、倉庫 現在 「三人姉妹」は、ホテルになっているそうです。 15世紀のホテルに泊まりたいですね・・・ Tolli通り三人姉妹の角を曲がった突き当たり・・・ここは、すでに Lai通り47番地 「粉挽き小屋」 円形の建物で・・・この日は、動いていなかった・・・残念! 馬に引かせて粉を挽くそうですが・・・ぐるぐる周る姿が見たかった~ 主に有事の際に使われたものだそうです。 なるべく使われない事を祈りましょう!「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.04.14
私は、決して興味本位で幽霊屋敷をのぞこうと思っている訳ではないのですが・・・公式に幽霊通りとして認められた通りがあるそうなんです!日本からバルト3国へ行こうとすると、99パーセントの人が手にする本は 『バルトの国々』 これしかない これだけ情報が乏しい国々も珍しい! 薄くて3カ国も入っている・・・・旅の友として同行 インドは1国なれど~むちゃ重たい・・・乙女の力では無理です P.49 「タリンの通り」・・・・特に興味深い! ヴァイム通り Vaimu この本によると・・・・ ヴァイムとは? 「幽霊」の事だそうです。 ヴァイム通りとは「幽霊通り」と言う意味だそうで・・・ また~また~きらりさんの話だから・・・・あやしい・・・ ピック通りの左に曲がると・・・ヴァイム通りです。 昼間っから・・・やけに薄暗い・・・そして 何故か? ゾ~~~ッと! いったい何処が幽霊屋敷なんだろうか? こんな時 案内人がいたら良いのだけど・・・・ それに、ひとりで幽霊通りを探検って言うのもネ~ そんなパワーが漂う1件の家がある・・・・ここかしら? 何だか? ドキドキするこの辺り・・・・この本に寄ると・・・ 「この通りのある家で、オランダ商人が妻を惨殺し、その幽霊が出るようになった。」 17世紀以来、通りは公式に『幽霊』通りと名付けられている。 もし・・・この画像を見てどなたか?見えているでしょうか?「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.04.12
エストニア【世界遺産】タリン歴史地区の一番北まで歩いて来ました。タリンの港からの入口であり町を守る重要な要塞があります。要塞の名前が「ふとっちょマルガレータ」どの位太いのでしょうか? ピック通り Pikk「グレートギルド」「ブラック・ギルド」「聖ニコラス教会」展望が素晴らしい「聖オレフ教会」がある。 どこまでも歩くと・・・・ ・・タリン北の玄関口の港に出る 『ふとっちょマルガレータ』 Paks Margareeta 1529年 タリン港の安全を守る為に造られた砲塔です。 直径 24m 壁の厚さ 4.7m もの すご~い ふとっちょ 中世の時代は、北の出入り口を敵から街を守る重要な砲弾でした。 その後・・・砲弾も必要でなくなってからは、 倉庫 兵舎 監獄 などとして使われたそうです。 「ふとっちょマルガレータ」とは? 監獄として使われた時代に、本当にマルガレータおばさんが居た。 囚人達のご飯を作っていたマルガレータおばさんは、大変に尊敬された。 おばさんは、とっても太っていた為に、愛と尊敬を込めて砲弾もこう呼ばれた・・ ふとっちょ マルガレータ 1917年 ロシア革命時火災で焼失し、廃墟となっていた! どうも?顔に見えちゃいますが・・・・ 口みたいに開いている所が、北の出入り口です。 左がふとっちょマルガレーで・・・・ 右側が 『細身の見張り番』グレート・コースト・ゲート ふとっちょおばさん・細身の見張り番は、同時に造られた。 エストニア人のしゃれたネーミングは・・・まだまだ続く! ふとっちょマルガレータおばさんは、現在『海洋博物館』になっています。 エストニア海洋博物館 この日は、月曜日で休館日=残念 ピック通りから来ると、ここが博物館の入口になります(青い旗) 左の小道を探検・・・・・・ ふとっちょマルガレータおばさんからは、城壁が今でも残っている! こりゃ何かな? ただの古い倉庫でした・・ 城壁は、ず~っと続いているようでしたが・・・とっても不気味な道なので退散「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.04.10
タリン歴史地区で一番高い所「聖オレフ教会」124mからの絶景を眺めていました。すると、2名の男性がおりました。どうも?今考えると彼等は、階段に登らないお連れ様とカップルだったのね? あいちゃんさんの昨日の書き込みで気づきましたあ~そおか~あのふたりの連れ 聖・オレフ教会 きらりが眺めたのは、ここからです(ピンク矢印) 塔の上には2人の外国人男性が居た! どんな景色かというと・・・・ ・・・・こんな景色でした。 高い所に登ると 心もハイ になるもの! 2名の外人さんに 「ハ~イ!」 とご挨拶してしまう・・・ ハ~イ・・おいらアメリカから来たんだよ! も・も・物本のヤンキーだっ! (バルトではかなり珍しいアメリカ人だ・・・) きらり旅日記PART2になり・・・1000枚目記念の写真がこれだ 早速・・・写真を写してくれると言うので・・・ オレフ教会塔のポーズ! 大爆笑されてしまう!!! 愉快なジャパニーズだと解ると意気投合! わざわざかけたグラサンでこんなん撮れましたッ! もうひとりの人とも写しちゃいました! こんなにギュ~ット抱きしめたり! 教会下の上り口で待って居た人は・・・・・ 彼等の奥様2名とベビーカーに乗った赤ちゃんだった! と言う事に気づいたのは昨日・・・・ あ~あの美しい奥様方に、このブログの存在がバレない事を祈るばかりです「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.04.08
「エストニアのタリン旧市内で一番高い建物を制覇したいっ!!!」もう~お付き合いの長い方なら(きらりの性格)・・・「喜んで登るに決まっている!」と笑っていらっしゃる?勿論です勿論登りたい! バルト三国の一番北に位置するエストニア・・・首都タリン・・・【世界遺産】タリン歴史地区の絶景 ピック通り pikk『精霊教会』 や 『グレート・ギルドの会館』 のある「ピック通り」を北へ、北へ、と歩きます。 それは、とっても とっても 高~い塔を目指して歩きます 15世紀には、高さ159mで 【世界一高い塔】 であったらしいが? 1840年に現在の124mの高さとなった。 「聖オレフ教会」オレヴィステ Oleviste Kirik 真下に来てみると 首が痛くなる程に大きい! 教会の入口 教会の告知版 聖オレフ教会は、13世紀半ばにあったと言う記録がある・・ 15世紀 大規模に改築 その時に「世界一の塔」と噂された! 雷に何度も打たれ 焼失した。 1840年に現在の教会の形になったのです。 入口から入ると左前に「チケット売り場」にこやかな、おば様 左が登り口で・・・何故か? 長椅子があり3人ほどが座っている! お連れが登っている帰りを待っているらしい人だ! さ~登りましょう! 階段は、思ったより急坂! 何だか・・・暗くなってきた こんな時 女ひとりは、心ぼそい・・ いよいよ螺旋階段だ~ 螺旋階段は、 体力の限界まで達する! も~ダメ! その時 折りたたみ式の椅子がある! 椅子を倒して少し休憩! でも でも 怖ぁ~い! じっとしていると特に! だって だぁ~れも 居ないんですから! ヴゥアァァ~ッ・・登るしかない ヒ~ヒィ~ヒィ~ヴァ~ヴァ~やりました~124mの階段!綺麗です~城壁と三角の城門が見えます~ 左の木には、言い伝えがあるのです そして怖いお話もあるですョ 上部に旧市内の山の手地区トームペア城やロシア教会が見えます。 ライ通りです 閑静な職人達の通り 【世界遺産】タリン歴史地区を真上から見る事ができるのは、勝者のみ! タリン港が見えます バルト海の貿易と軍事的な意味もあるタリン港でした。 現在は、ホバークラフトに乗り 短時間で北欧と行き来ができる観光都市になりました。 手前に「ふとっちょマルガレータ」どっしり!タリンの街は、どこから見ても美しい街です・・絶景スポットは、山の手にもあります そちらからは、聖オレフ教会のお姿が、大変美しく見る事ができます。 山の手お城へ向かう道でも楽しい所がいっぱいだったわ~ほんまタリンは、素敵な街ニャワ~「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.04.07
ギルドの目の前にピック通りをはさんで大きな教会があった。『精霊教会』です。エストニアの貧しい人々の教会が、超エリートの集会場の目の前にあるなんて・・・とっても不思議ですね。 ピック通り・・・ 『 精 霊 教 会 』 グレート・ギルドの向かいに大きな教会がありました「精霊教会」 14世紀の半ばに建築された・・とっても古い教会 エストニアの下層階級・貧困者達の教会でありました。 精霊教会の塔 この塔も14世紀半ばのものです。 壁には、大時計がある 1684年に取り付けられた大時計は、タリン最古の公衆時計です。 「精霊教会」は、タリンの字が読めない人々の為の心のよりどころ 57枚の絵に描かれた新旧約聖書の物語は貧者の聖書と言われている。 内部は、15世紀の彫刻や絵画で美しく彩られていて 中でも木彫りの祭壇 精霊の降誕 が見事だそうです。 サイア・カンク通り Saia ・ Kang 精霊教会の右の道であります。 今回の旅は、もう~お気づきでしょうが・・道ウオッチングです イケ面ウオッチングも忘れては、いませんが・・・・・ バルト3国の旧市内を自分の足で確かめながら歩きたい♪ サイア・カンク通りは、横丁です。 『白パンの通路』 中世の時代には、パン屋さんが並んでいたので・・・この名前が付いた! ・・・・・奥の方まで行きましょう・・・・ この色使いが、何故か?斬新ながらもお洒落ですね~ ♪中世の人々がパンを片手に歩いた道♪ 良い女が歩くと・・・・また素敵~ッ ただし現在は、白パン・・・いや~パン屋さんは無かった!「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.04.05
【世界遺産】タリン歴史地区には、あと2つの大きなギルドの遺産が残っております。ハンザ都市タリンの商業が栄えた時代には、ギルドと言う組合がありました。同じ業種の人達が仲良くしてゆくためのギルドの集会場ですね・・・歴史の話は、少し退屈だと思いますが・・・・ギルドのお話をこの1回だけ我慢して下さい ギルドの中でも 超エリート「グレート・ギルド」 タリンの最高峰のグレート・ギルド達の中から・・・市長や市議会議員が選出された。 ギルド達は、パーティー・集会・結婚式などをここでしたのです。 グレート・ギルドの会館 1410年に建設 超エリートのギルド達だけしか入れませんよ! 1920年からは「エストニア歴史博物館」になっています。 そうです~その頃にギルドは、解散したのです。 確かに・・・ここです! 月曜日ですが・・開いているのかな? 重厚な扉が中世の雰囲気ですね! 超エリート達にお会いしたいですチョット心が・・・・ でも~またプロポーズされちゃいそうだから・・・パス! あとひとつは・・・・・ ←車がお邪魔! 「ブラック・ヘッド・のギルド」 守護聖人が、エチオピア出身の「聖人マリティオス」 ブラック・ヘッドは、14世紀半ばにできた組織 特に街の防衛に携わっていたそうです。 外国人や若いギルド達が所属して・・・・ ここで修行を積んで・・・ グレート・ギルドへと昇格していったのです。 ブラック・ヘッドのギルドは、16世紀に オランダのルネッサンス様式に改築された為にお洒落ですね~ 私は、こちらが好きでした。 彫刻がたいへん見事です! ピック通りにありますので・・・見つけて欲しいです。「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとうネ
2007.04.03
エストニアが、世界に知られる様になったのは、14世紀~16世紀で、当時タリンは「ハンザ同盟」に加入した事によるものでした。ヨーロッパの都市とロシアを結ぶ重要な海の貿易中継地点だったのです。 まったりとカフェでお茶したので・・・ ハンザ同盟の時代にタイムスリップしてみましょう! やかんの下がったカフェ「モカ」を出て ヴェーネ通り反対側を港に向かって歩きましょう 先には、聖ニコライ教会のドームが少し見えます。 カタリーナ・ギルドは、すぐ近く カタリーナ・ギルド KANUTI GILDI SAAL ヴェーネ通りには、2件のギルドの建築がありました。 ギルドって・・・何だったっけ?ハンザ同盟によりリッチな商人達の組合の社交場が、建築されたのは、14~15世紀 ギルド 何故・・・現在まで残っているのでしょうか? 「建物は、すべて石造りでなくては、ならない」 と言う決まり事があった為であります・・・・ BERIGES AMBASSAD 「ベルギー大使館」も この近くで発見! ベルギー王室のエンブレムが立派ですネ~下町を歩くと・・・バルト地方が栄えた時代のモダンな街並みを見ることができます。「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.04.01
バルト3国の街を歩きたい!ひとりでまったり・・・素敵なカフェでお茶をしたい!そんな夢が叶う楽しい旅でした。エストニア【世界遺産】タリン歴史地区は、可愛いお店がいっぱいなんです 旧市内の中心「ラエコヤ広場」南東 薬屋さん(現にんにく料理屋さん)とインド料理屋さんの間の道を入ります。 すっご~い 急坂の小道です・・・・ コケ無い様に~ロングスカートで、トコトコ降ります。 左側の可愛い民芸品が沢山売っているお店に入りましたぁ~ 店員さんもニコヤカで、感じが良かった・・・・見るだけですみません・・・・ お店の下隣は工事中で・・・急な坂を降りるとヴェィ通り・・・・ 大きな「やかん」が気になる もしかして・・・・・カフェかしら? REVAL KAFE も か 大きな鉄の吊り看板には 「MOCHA」 確かに【世界遺産】・・・下町のカフェだわ良い雰囲気 中に入ると・・・正面にカウンターがある・・・ 「カフェラテありますか?」 「はい!ありますよ」 「では~お砂糖抜きで・・・お願いします」 あ~エストニアでもカフェラテあるんだ~ すっかり歩き疲れたので・・・ カウンター前の丸テーブルにドッカと座るFuuu~ 後ろの階段2階にトイレがありました。 中2階もあって・・・ ここは良いムードのカップルがいました 観光客のおばちゃまが2名・・・きらりの写真を写してくれました! お礼におばちゃまの写真を見せると・・・ にっこり・・・・・? 右のおばちゃま:「自分の二の腕が太いけどね~」 と・言いながら楽しく笑い・・ きらり:「私も・・・結構こうなんです~」 と・二の腕をプルプルさせると おばちゃま:「あなたは、まだ全然よ!」 と 大爆笑!!! そんな お茶のみ話をオバちゃまと楽しんで・・・・ オバちゃまは:「お先に~ばいばい」 まったりと♪外の通りを見ながら・・・カフェの昼下がりを楽しむ・・・・ あ~やっと・・・良い女できたかしら幸せ いつまでも・・・・まったりしていたい・・・きらりでありました。「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.03.31
【世界遺産】タリン歴史地区の一番中心にある広場「ラエコヤ広場」は、とっても広~い!迷子になったら・・・ここへ戻って一休みするのも良いかもです。 ラエコヤとは? エストニア語で市庁舎の意味で、 600年以上前の旧市庁舎があります。 では・・・ラエコヤ広場をグルリと見てみましょう~ 旧市庁舎の右から見てゆきましょう・・・ 水色の家は、洋服屋さんです。 その右隣は高級なレストランです 「カール・フリードリッヒ」 エストニアの料理だけでなく・・・インターナショナルな、 リッチなお食事ができます。 広場の東側には、パラソルが並ぶ・・・ 真夏には、もっと沢山のパラソルが並ぶそうですが・・・ 「SAKU」 の文字は、エストニアのビールメーカーの名前です・・・ 広場の東側ですから日向ぼっこには午後が最適ですね。 真夏なら・・・SAKUの生ビールが美味しいはず! 広場の南東にもレストランが・・・ 左がニンニク料理専門店 右はインド料理店 この大きなニンニク料理の店は・・・ 薬屋さんでした。グラスに蛇は、中世の薬屋さんのマークです・・・ にんにく尽くしのお料理食べたいですね~ でも窓には林檎のインテリアが沢山さがってました・・・ 林檎料理と間違えたら大変ですよね! 右側は、インド料理店 「マハラジャ」 ここも大きな店 バルト3国で、インド料理店って珍しいと思います。 どんなカレーなのかしら? きっと辛くないはず? マハラジャピンク色の店 ラエコヤ広場の南側 WCがあります。公衆トイレは、ここだけだと思います。 あとは、レストランやカフェに入って用をた足さいといけません! その点では、日本はトイレが無料でそこら中にある良い国! 紙だってあるし・・・水も勝手に流れるし・・・乙姫さんまである! 南側のUP・・・・・ 真中の赤茶色の建物は、ロシア料理のレストラン・・・・ 「トロイカ」 1階は、田舎風の気軽なレストラン 地下一階は、本格的なロシア料理のレストラン エストニアは、ロシアのお隣なので ロシア人が人口の25パーセントもおりますので期待できそうなお店です。 「ラエコヤ広場」をひと回りしました~ 全体が石畳の「ラエコヤ広場」は、タリンがデンマークに占領される以前からあったそうです。 その当時は、市場であったそうですが・・・大変に賑わっていたそうです。 商人達が店をはり・・・ 大道芸人達のパフォーマンス・・・ 結婚式の行進・・・・ お祭りの広場としても・・・ 優雅なお姫様や貴族が通る・・・ タリンは、大昔から、インターナショナルな都市で、 人々は、この広場へ集まります。 そして、国籍もさまざまでした。 広場の一角に丸い石・・・ 罪人たちの処刑場だったそうです。 夜中に写すとかなり怖かった あ~そうそう!タリンには、3つの幽霊スポットがあります。Zooooooッ!それには、それぞれ伝説があって、その3箇所を確かめに行きました。それはおいおいに・・・・ 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.03.29
エストニアの旧市内の中心は「ラエコヤ広場」世界遺産=タリン歴史地区の下町に位置します。中世の広場では、市場があり、お祭りも処刑も広場でおこなわれたのであります。10月2日月曜日でミュージアムは全てお休み少し残念でした。トーマスおじいさんの塔 『旧市庁舎』 屋根に2本の旗があります左はエストニアの旗 青=空 黒=大地 白=自由 右は、タリンの旗で「海の波」を表しているそうですが(青と白)見えないですね~ 建物からは2匹のドラゴンが飛び出ている・・・・・ これは、雨トイです。ドラゴンの雨トイから水がでるんでしょうかね・・・ 柱には、罪人がつながれた鎖でしょうか? それとも馬をつないだのでしょうか? 北ヨーロッパにおいては、一番古い・・・・唯一現存するゴシック建築の市庁舎 最初に 14世紀の半ばに建築 1404年に増築され現在の建物になりました。 古~いけどちょっと素敵な市庁舎でした!「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.03.28
エストニアの首都タリン旧市内のメインストリートを登り「ラエコヤ広場」へと急坂を登ります。そこにも興味深い物が・・・いっぱいあったのです。 左の道は港への道オープンカフェが並ぶ。 右が登ってきたヴィル通り 豆菓子の屋台を右に行く すごい坂です! 中世の食器(コップや壺)が並んでいる店 中世の時代はフォーク・ナイフが無かった! だから 手で食べていました。 お店の中からは、中世の音楽が流れて来ます ここの「看板」営業マン?も中世風ですね・・・ 急坂の上を見ると・・・ タリンの旧市庁舎の塔がそびえている! 塔の高さ 65m 坂の下から見上げると・・・もっと高く感じる 塔の先端 ピロッと 白っぽい物が見えますか? 『トーマス・おじいさん』 Vana Toomas 風見鶏の役目もしている・・・ タリンのシンボル「トーマス・おじいさん」が 帽子をかぶり旗を持って立っています。 タリンの歴史をこの高い塔の上から見ているのでしょう~ ラエコヤ広場の『ラエコヤ』とは? エストニア語で「市庁舎」の事であります。 タリンの楽しい広場のお話は次回に・・・つづく 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.03.27
【世界遺産】リーガ歴史地区のメインストリートを歩きましょう♪ヴィル門から市庁舎広場までの道は、郷土料理のレストランやブティックなどが並ぶ楽しい道であります。 オレンジの三角屋根がヴィル門 ヴィル ストリート VIRU STREET リーガ旧市内のメインストリート 入口には、世界遺産版=マクドナルド そのお隣はかぼちゃのバルーンが可愛い「エストニア郷土料理店」 ヴィル通りは、ゆるい上り坂を登ってゆきます。 両側は宝石店やお洒落なブティックが並ぶ・・・・ でも~ヴィトンエルメスetc・・・は、ありませんよ! 絵葉書や絵皿などが並ぶお店もあります。 バルト3国は、物価が安い所ですが・・・ その中では、エストニアが一番物価が高い のであります! それでも北欧に比べれば、まだ安い と言えますが・・・ お買い物は「リトアニア」がお勧めです 坂を登ると・・・・ ヴィル通り1番地 坂を登った交差地点にある元倉庫 ここも「エストニア郷土料理の店」であります。 交差地点のお店・・・ 「オールデ・ハンザ」と言うお店・・・民族衣装がなかなか良い! 甘~~~い 香りが・・・・ アーモンドの豆菓子ですね~ 豆を煎って砂糖でコーティング・・・ 試食させてくれる・・・・ 「カリントウ」みたいな感じですね~ パリポリッ おいちい~ 満足・・・満足・・・・失礼ながら食べ逃げ 2度目に通りかかった時は、可愛い民族衣装の娘さん! そうなると・・・お客様も男性が多い! エ~ッ!・・・・今度も試食しただろおって? マァ~ッきらりは 良い女を磨きに来てるんですよ! 食い意地は、1回だけで我慢我慢です ちなみにこの屋台の後ろも雰囲気が良いレストランです。 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.03.26
バルト3国エストニアの首都タリン【世界遺産】タリン歴史地区にいよいよ入りました。タリンは、2.5Kmの城壁に囲まれた美しい中世の街であります。広さも歩き回るのに最適な広さです! タリン旧市内のヴィル通りに入ると、高い城壁があります。 長さ2.5Kmの城壁は、途切れながらも存在している・・ これは、確かに要塞の街であった事を証明しています。 『セーターの壁』と 書いてあります。 確かに 手編みのセーター が・・・いっぱい売ってます! ここで出合ったおばあちゃま・・・・ ・・・・可愛い2人連れです。 アナログのカメラで写しています。 きらり:「お写真撮りましょうか?」とても嬉しそうです・・・ アナログカメラ久し振りですよ~ 今朝で、オランダから着いたそうですが・・・お元気そうです! ど~見ても 家のお婆ちゃんより年が上?なのに・・・元気です! 海外旅行しているお年寄りって素敵ですね~ 小さいおばあちゃまと1枚 大きいおばあちゃまと1枚 今頃 オランダのおばあちゃまのアルバムには・・・・ ジャポ~ネ美人とのツーショットが貼られているはず?「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.03.25
タリン歴史地区は、13世紀に創設されました。旧市内は、山の手と下町があります。ヴィル門の辺りは『下町』にあたります。下町・・・確かに港に近いです。特にドイツ風の建築が多いでしょうか? ☆☆☆ HESBURGER ☆☆☆ のすぐ近くの門 『ヴィル門』は、なかなか趣がある。 あと数日で門は深紅に染まる・・・ しかし、この鉄格子・・・門の塔に登れる? ヴィル門の先は、ウース通り・・・まっすぐ行けば 「太っちょマルガレータ」港の近くです。 ドイツ風の建物が多い タリン旧市内の下町です。 『ヴィル門』全景 登れないの? 左のヴィル門は、中世当時そのままみたいですね~タリンは要塞の街です。こちらは要塞を守る門であり、兵隊さん達が敵から守る為に詰めていた。 登り口を探す・・・・・ ここみたい 確かに階段があります・・・・でも登れません! 残念ですが・・・・断念ヤーダー しかし・・・タリンの絶景スポットは、別にあります! それも何箇所かあるんです! 門から入ると、タリンのメインストリート「ヴィル通り」 うきうき~楽しみ~ 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.03.24
イヨイヨ♪バルト3国一?お洒落なタリンの街をくまなく歩こう♪と言う疲れ知らずのきらりであります。ウッキウキ気分で、おお張り切り、今度こそ大ドジしないように・・・決意!しかし? 【世界遺産】タリン歴史区 入口 『ヴィル門』 旧市内のメインストリートは、ここから始まります。 中世の時代に築かれた城壁に囲まれた街 『ヴィル門』の手前には、お店がいっぱいあります。 左側は、全部「花屋さん」です。 ディスプレイが日本とは、違います。 お花が大好きなきらり・・・ついつい目がいきます。 右側は、まず大きな「本屋さん」があります。 本屋さんは、案外と少ないですから・・・見つけたら買わねば! エストニアの絵本 「7匹の子ヤギ」でしょう? 世界の現地語で書かれた 絵本を集めています。 実は、エストニアの城壁にまつわる絵本があったのですが・・ 凄~く 高い! そして 重い! おまけに、この本屋さんは、 エストニアのお金「クローン」しか使えないのです。 仕方ない・・・諦めて「7匹の子ヤギ」です。 その隣は・・・ ハンバーガー屋さんです。 ☆☆☆ HESBURGER ☆☆☆ エストニア・ブランドのハンバーガー屋さんです! お値段もリーズナブルです ヴィル門を入るとすぐ左には・・・ 世界に誇る「マクドナルド」があります。 このマック(マクド)は、旧市内では、唯一のマクドナルドです。 本来ならば、真っ赤なMマークで、看板も真っ赤ですが・・・ 何か違いませんか? 旧市内にあの赤い看板は、「ださ~い!」 【世界遺産】になるだけは、あります! 街の景観を損ねることなくマクドナルドは営業されております。 現地のハンバーガーか? 地域限定マクドナルドか? どっちも食べたい! 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.03.23
エストニアは、バルト3国の一番北に位置する。バルト海に面している為にフィンランド湾を通り船が出入りする港町であります。きらりの旅は、この港から【世界遺産】であるタリン旧市内へと歩きたいと思います。 歌の原公園から見下ろした港町へとまいりました。 豪華な客船が沢山横付けしています。 ここはAターミナルです。 タリン港にはA~Dまでのターミナルがあります。 何故だか? 北海道の港を思い出してしまった・・毛蟹は、売ってません! ターミナルにはトイレが左右に1箇所づつあります。 左側の方をお借りしちゃいました・・・ Tallin バス???赤いバスが来るんでしょうか? 港から タリン旧市内の高い塔、すぐ前に見えますね~ ここからは、歩くと10分位で・・・ダッシュで3分 旧市内の端っこ「太っちょマルガレータ」の太い建物にたどり着きます。 旧市内には、意味ありげな・・・名前の建物がいっぱいあります。 「太っちょマルガレータ」 「のっぽのヘルマン」タリンの旧市内は、タリン歴史地区として1997年ユネスコ【世界遺産】に登録されました。 『歴史』 タリンには、11世紀からエストニア人の砦が築かれておりました。 エストニア人の砦=LINDANISE・・・と呼んでいた。 バルト地方では、十字軍騎士団 の活動が活発になると 1219年 デンマークの王様 により 砦は占領され城が築かれた。 エストニア人は、その城をこう呼びました・・・・ TAANI LINN・・・・(デンマーク人の城)タリン 『タリン』の名の由来もまたちょっぴり悲しいです。 その後 ドイツ人たちが移り住み・・・・ 13世紀半ばは、ドイツ名 REVAL となった。 ハンザ同盟に加盟 ・・・・・ロシアとの貿易の中継地点として栄える。 現在【世界遺産】として残る建築群は、この頃のものであります。 16世紀 リヴォニア戦争により豊かな商業都市タリンは終わる。 商業都市から・・・・軍事的要塞 へと役割を変えてゆく その後 50年間にわたり ソビエトに占領される(社会主義時代) その時代の建物も多く存在する。これは、ロシア文化センター 現在でもロシア人が人口の25パーセントを占めている。 1991年 エストニアは、ソビエトから独立した。 エストニアは、社会主義の時代を終えて16年がたちました。 現在は、華やかな中世ヨーロッパの香りと おしゃれな北欧の香り漂う街にもどりました。 めでたしめでたし・・・という事で・・・・美しいタリンを満喫しましょうなんて~退屈な歴史を理解して街を歩くと・・・・街歩きも100倍楽しいのであります! 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.03.22
エカテリーナ夏の離宮から5分程の所に『歌の原』がある。原っぱが♪歌う・・・それってなんでしょうか?行って見れば絶景ポイントなんです。タリンが港町である事がわかる・・・ 歌 の 原 とてつもなく 大きな 大きなステージです! 左の空との切れ間に港が見えます。 エストニアのタリンは、バルト3国一番北の港町です。 バルト海を旅した豪華客船も入港してきます。 大昔から 貿易の拠点でもあったのです。 このステージを見下ろす高台にひとりのおじさんの銅像が グスタクエグレンサツ=有名な指揮者の銅像 どうして? 指揮者が? 看板がありました・・・・なになに 5年に1回 エストニア民族の祭典が・・・ここでおこなわれる! 参加資格は、エストニア民族であること エストニアの民族衣装を着る事 『歌と踊りの祭典』・・・『歌のコンサート』 民族衣装を着た3万人以上のエストニア民族が歌う それを見る人は、30万人もいると言う・・・ それって国民の三分の一なんですよ~ 入場料は 1000円位だそうですが・・・ 勿論 観光客も見ることができます。 でも・・・外国人は歌えませんよ! 内緒で もぐり込んでも・・・ダメダメ エストニア人は、長身ですっご~い美人ばかりなんです! エストニア民族 民族の絆を確かめる5年に1度の祭典なんでしょうね。 日本でも・・・「原宿」でなく・・『歌の原』を建設して欲しいわ~ そして黄色いTシャツを着て歌いますよ~「サライ」を???「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.03.21
エストニアの首都リーガからバスですぐの所に、チラホラ始まった紅葉を見に行きます(2006年10月2日)そこには、素敵なロシア宮殿があるらしい?それにしても 前日の騒動で深く反省・・・これからは、英作文しながら行動しないと・・・・・・ 『 カ ド リ オ ル ク 公 園 』 大きな池があります。別名「白鳥の公園」と言われるらしいが・・・ 白鳥らしき姿は、見当たりましぇ・・・ん! でも とっても 気持ちが良いので1周しました。 白鳥が居ない・・・白鳥の公園 隣の道路を横断すると・・・ 美しいの宮殿が見えます とっても 静かです・・・・ まるでディズニーシーか? 映画のセットみたいです! ロシアのピヨトル大帝が、 奥様 エカテリーナ の為に建設したものです。 1700年~1721年 大帝は、大北方戦争後にバルト地域を手に入れ ここに夏の離宮とお庭を造ったのです。 宮殿建設は、1718年~1723年 イタリアの建築家によるもので 後期バロック様式 エストニアの歴史は、何度もロシアやドイツに侵略された歴史であります。 エストニアの人々もこうしたロシアの建築物が・・・・嫌いらしい? いじめっ子の家は、憎らしい物! 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」なぁんちゃって・・・ 1991年エストニアは、ソビエトから独立 1997年 タリン歴史地区【ユネスコの世界遺産】登録 2004年 欧州連合 EUに加盟EUに加盟し、世界遺産になり、沢山の人達が流れてくる・・・ 若者達が自由に、豊かなヨーロッパ諸国へ行き帰らない・・・・ 老人だけが残ってしまう・・・・ エストニアの人々の不安は、他のバルト3国と同じであります。「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.03.20
バルト3国エストニアの首都タリンGRAND HOTEL TALLINN(グランド ホテル タリン)に2連泊であります。ホテル到着は18:30夕食はホテルのレストランで19:30から シースルー エレベーターで5階へ 534号室・・・・間違いない! 開きませんバルト3国・・・元ソビエト連邦・・・鍵が・・あきまへんがな?・・・どないなってんのや? リトアニア=15回目にやっと開いた! ラトヴィア=5回目に開いた! ラトヴィアの鍵は、ピカリとも光らない! カードキーを指したのに・・・20回もチャレンジ! そこに 超イケ面の黒いホテルマンが2部屋先に来た・・ 彼を意識しながら・・・カードキーと格闘! アピールが足りないな! ドアーに体当たり イケ面ホテルマンあわてて・・・飛んできた! きらり:「開かないのぉ~」 今頃・・・かわい子ぶりっ子したって~さっきの体当たりは目撃されてる ホテルマン:きらりの鍵を指し「だめだな~」 マスターキーを出して・・・すんなりと・・・・ 開きました~しかしそれは、悲劇の始まりであったのです! 534号室 広いです~ トイレ普通ですが~使っちゃいます~ そおそお カードキーを取り替えてもらわないと・・・・部屋が開かないんだわ! 0階 フロントへ行き きらり : 「鍵が開かないのでキーを取り替えて下さい」 フロント係 : 「お名前は?」 きらり : 「きらり星野」 フロント係 カチカチ入力 :「OK!」キーを差し出す。 きらり : 「ありがとう~」ウキウキ 534号室へ戻る 開きません・・・・ 冷静に考えよう・・・・もしかして? 534か? 537じゃないの? 7 だ 7 ですよ! もしや? 537号室に行き・・・鍵を指す! 1回でピカッ! 開きました! うれしい~開いた~っ! しかし悪魔は、しぶといのです! にににに・・荷物が・・・・ 534号室に・・・・入っているんです! え~~~っ! これって~フロントにどおやって説明するによ!【説明】私は、537号室の星野きらりです。私は、カードキーの字を読み間違えて534号室と読んでしまいました。本来537号室なので、開かなくて困っていたら、客室係の方が、534号室のドアーをマスターキーで開けて下さいました。先ほどキーを交換していただいたのですが、これは537号室のキーです。私の荷物は、534号室の中に入っているので出して下さい。 と、エストニア語 もしくは、英語で説明しなくてはいけないのです。 フロントまでエレベーターに乗りながら・・・歩きながら 必死で【説明文】を英訳 きらり英会話だめなんです~インチキ英会話なんです! この際 過去形 現在進行形・・・めちゃくちゃ? きらりは、真剣な顔で説明・・・両手だって参加させちゃいます! 体も飛んでみたりも・・・・してたかも? やっと長文英会話説明を理解してもらい 534号室の荷物を回収できました~ トイレ使ったしお掃除して ゴミも持って 537号室にメデタクお引越し 537号室少し狭くなりました~ でもバス トイレ きれいです~ WBムードあります~ 朝 窓を開けたらお城見えました~ 夜の豪華ディナーは、ホテルのレストランで19:30から(そんな理由で遅れちゃいました) マッシュルームのスープ ビーフ チョコレートパフェと赤ワイン (ビールに牛肉を浸け赤ワインで煮た)「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとうね!
2007.03.19
秋の収穫祭に遭遇し楽しい街歩きを満喫したラトヴィアを去り、いよいよバルト3国最後の訪問国『エストニア』に入国します。国境まではバスで2時間ここでパスポートにハンコを押してもらえます。 これがその時の車で入国したハンコ 外国旅行が好きな方なら解ってもらえると思いますが・・・ パスポートハンコが1個増える・・・・ちょっと嬉しい事なんです。ラトヴィア→エストニア=国境は、高速道路の料金所みたいな感じです。 ・・・・もちろん撮影禁止!バスから降りて・・・パスポートにハンコを押してもらいますやったぁ~っ! 両替所も近くにあります。 エストニアの通過は、クローン 1クローン=約10円 計算が簡単です! ゼロ1個たすだけです!エストニアの両替所の親切な事は・・・・お札だけでなく硬貨も両替してくれる所であります。 しかし もうすぐEUの通過ユーローに変わる為・・・貨幣は、記念にストックすとく。 エストニアの1クローン金貨=10円 キラ~ン! エストニアの紙幣・・・・きれいです! 100クローン札=約1000円左上 (最高額500クローン=約5000円は、手にできず!) ・・・25クローン・10クローン・5クローン・2クローン札 裏側は、風景ですね・・・もうすぐ消えゆく紙幣です・・・ ドキドキの入国審査は、ボディーチェックも無しでなんなくクリアー! いよいよエストニアです~ バルト3国で・・・・一番北欧の香り漂う国 エストニアの旗が私を歓迎してくれています! エストニア窓の景色は、ラトヴィアと変わらない・・・果てしない森と平原 エストニアの首都タリン ホテル到着 18:30 ここで大変な事態に・・・ どおして~こおなのよ・・・・ きらり・・・・悪い? きらり・・・・ドジ女? 助けて~~~っ! カードキーのケース カードキーをもらい・・・お部屋へ 534・・・・・あ~5階ね 素敵なガラスのエレベーターに乗り5階へ・・・・ カードキーをさす! 開きません・・・・・実は、リトアニアで開かず。ラトヴィアでも開かず。最後のエストニアは・・・・・やっぱし そおか~バルト3国は、鍵が開かない国々なんだ~ぁ しかし・・・ これは、半端でなく 開かない! ランプさえも光らない! なんだろ? 部屋番号 534だよね? え~っ? どおして? 教えて下さい~~~~~ 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.03.18
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