伊部・炎の芸術



岡山から赤穂線でおよそ30分。伊部は備前焼の里である。
伊部の駅に降り立つと、窯元らしき煙突の林立するのが見える。
駅に隣接して備前焼の博物館もあり、
街中には備前焼を販売する店も数多く見かける。

私は一軒の店に入った。
木をふんだんに使った純和風の、造作のいい建物で、
築後まだそれ程の年数の経っていない新しい店である。
開業したばかりとも見えず、多分、改築したものだろう。

店内には整然と品物が並べられてあった。
高価な物もあるが、概してあまりいい品はない。
一見して土産物売り店とわかる。私はすぐに店を出た。

数軒目に入った店はあまりにも対照的であった。
ガラスの引き戸を引き、中に入ると、
床にも焼き物が雑然と置かれている。というよりは、
放置されている、と言うほうがあっているかも知れない。

かなり古くから営業しているらしく、
うっすらと埃を被った陳列棚には、いい物が並んでいた。
銘と陶工の名を記した札が立てられ、土産物とは些か趣を異にする。
これだけの品が並ぶのだから、老舗に違いない。
私は奥へ進んだ。陳列棚の奥まった所で、
高さ30センチほどの花入れに目が止まる。

恐る恐る取り出して眺めた。
炎の芸術と言われる備前の、
最も特徴とする「ほだき」が美しく出ている。
が、陶工の名前に覚えはない。多分、若い人なのだろう。
形もシンプルで申し分なかった。

「東京の美大を出て、人間国宝の○○先生に師事する新進の作家ですよ。
 訪ねてみられたらどうです?」
「時間があまりないので・・」
渋る私を制して、店主は是非に、と言ってタクシーを呼んだ。

十分程走って市街地を抜けると、田園風景が開けた。
田んぼの中に、それとわかる煙突が見える。
「あれですよ」
タクシーの運転手が前方に見える一軒の家を教えた。

目的の家に着くと、店主から連絡が届いていたのか、
若い陶芸家は、初対面の私を快く迎え入れてくれた。

通された応接間の飾り棚には、彼の焼いたであろう品々が並ぶ。
私が自己紹介を終えると、その若い陶芸家は、
作陶について熱っぽく語り始めた。

土のこと、窯のこと、炎のこと、美大時代の仲間と開く展覧会のことなど。
「時には失敗することもあるんです。
ひびが入ったり割れたり、でも、予想外のいい結果が現れることもあったり・・
それだから、また面白いのですが・・」

陶芸家は飾り棚の作品の前に立った。
およそ備前らしからぬ色合いと艶のあるその皿には、
無残にもひびが入っている。
「何か釉でも?」と尋ねてみるが、釉薬は使っていない、という。

勿論、備前に釉を使うことは稀である。
備前には珍しい青色の部分があり、
光沢の具合も、まるで釉薬を使ったような趣があった。

「捨てられなくて・・」彼は微かに笑いながら呟いた。
その飾らない正直さに私は好感を覚えた。

備前と言えば○○、とすぐ人間国宝の名前が出る。
確かに、名品といわれるものはいい。
が、だからといって、何でも全ていいとは思はない。
あくまでも個人の好みによるのである。

私は、私がいいと思ったものをいいとする主義である。
有名無名の程は全く関係ない。
一人の作家の作品でも、いいものもあれば、そうでないものもあり、
当然のことながら、
人間国宝の作った物の中にも余り好きではない物もある。

人は往往にして作者によって作品の価値を決める。
誰々のものだからいい、とか、もう一息だ、とか・・
実績がそれを作るのだから妥当だ、と言えば言えなくもないが、
名前だけで評価してしまうのに、抵抗は残らないのだろうか。

私の生業とする「書」の世界においてもそうである。
書き手を見て評価する風潮があるのである。

作品そのものよりも、むしろ、書き手の経歴、地位、
その他、諸々のことで評価することも少なくない。
落款を隠して、誰が書いたものか判別できないようにして
評価してみると面白いとも思う。


器は日常使ってこそ、である。
国宝級の作家の物には到底手が出ないから、
私が求める物は皆「発展途上」の物である。

作家の今後の成長を見詰めていけば楽しみも増える。
とはいえ、使う気にもなれないような代物では困る。
傲慢なもの、ひとりよがりのもの、
そして何よりも、品性のないものは御免蒙りたい。

陶芸だけでなく、絵画でも書でも、どんな作品にも、
作品には確実に作家が投影される。
技術を超える不思議な世界なのである。
私は、しばしばそれを見てきた。

窯をお見せしましょう、と私を裏庭に誘う。
話は佳境に達した。

「炎の当たり方で焼き具合がことなるんです。
 窯の何処に入れるかも大事なことで・・
 藁で加減して・・火を入れると何日も燃やし続けて・・

 燃やした日数を掛けてゆっくり冷ますんです。
 火を消しても直ぐには取り出しません」

神聖な窯の傍で、ひとつひとつ確かめるように、
噛みしめるように彼は話した。

窯の傍には、薪が山と積まれている。
整然と積まれたそれは、壁となって玄関の方まで延びていた。
この木片が燃えて炎となり、土に新しい命を吹き込み、
この、若い陶工の芸術を創りだすのだ。
変哲のない唯の木片にも、強い生命力を見る思いであった。

陶芸家自身が選んでくれた花入れを一つ求めた。
旅先で持ち合わせが少ないから、との私の申し出を快諾し、
後日宅配にて送られてきたその備前は、

和室の床の間に鎮座するかと思えば、
玄関の下駄箱の上でもしっかりと所を得ている。
日当たりのいい明るいリビングにも似合うし、
勿論、花材を選ぶこともない。

活けるものによってそれぞれの表情と雰囲気を作り出してくれる。
早春には、友人の届けてくれる蝋梅を活けるのが常となった。

つい先日は、芍薬の大輪で華やかさを演出。
今日は収納庫に納まっているから、
寂しく次の出番を待っているに違いない。



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