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10月のバラ 【7】
そうであれば、もうしばらく人間生態観察記と、妻のお付き合いをしてみますか。
そして、馬車はどこも万国共通である-祭りが終わるのを惜しむ-ようにしてゆっ
くりゆっくり村中を練り歩く。村人全員の祝福を受けるのがこの国の一般的な流儀なのだろうか。
初日にカイロのホテルで遭遇した大ホールを借り切っての絢爛豪華で鼻高々にし
て傲慢不遜な宇宙創世記の絵物語のような披露宴は(ほんの10日前の私たちの姿を思えば人のこと言えた義理は全然ないんだけど・・)、エジプトでは高嶺の花に違いない。
楽団たちは、扉が開放され中年男女が戸外で待ち受けている家の前で、派手デブさんと棒振りにいさんが競い合うように(実は本当に楽団の主導権を競い合っていたのかも知れないけど)演説口調で長々と叫んだ後、しばらく鳴りを潜めていた楽団たちが渾身の力を込め、 面々の楽器を打ち鳴らす。うれしはずかしそうな中年男女は音に応えるように手を振っていた。おそらく、ご両人どちらかの両親ではなかろうか。
「どっちかの両親かもね」妻に微笑む。
「新婦さんのよ。見りゃわかるでしょ」
「・・・・・・・」妻に黙らされる---。
行列は楽団、主役が乗る馬車を横切り前方へ進む。やがて、進み行く頭上には赤、黄、青の信号機のようなマメ電球が飾られた通りになり、つつましくも煌びやかになった。
「会場に近づいとるんやないん」
と言う妻の手には、またいつのまにか舞い戻ってきたシャイマーと手が繋がれてい
た。
シャイマー、君はこの国がどうなろうとも、ぜったい、世渡り上手に生きていけ
る。
妻のもう片方の手には目に眩しい赤い服を着た、笑うと目が三日月のようになる、
すましたシャイマーより数段愛想の良い子と繋がれていた。
彼女の笑顔は真に幸せにしてくれる。「 世界中がアイラブユー」な気分だ。
日本へ連れて帰るのならシャイマーよりこの子だな。
楽団のラッパ吹きは息が途絶えるのではないかと心配するくらい顔を青くして吹き
鳴らし続けている。私は自然とモーセスから距離を置いているようだ。
モーセスが「こっちへこい」と、またまた忌ま忌ましく促してきた。
行列は新婚さんの両親らしき家の前で止まっている馬車と派手デブとノッポ一家の楽団を残したままにして前へ進む。馬車からご両人が降りだすのをビデオで見やりながら、ほうほうの体で最前列に出た。
電球のアーチの通りを抜けると昼間のように明るくなった。電球の数が増した。
そこは四角型のモスクの中庭のような広場になっていた。
縦30、横10メートルあまりの空間はギザの下町から独立した小宇宙だった。
「すごいすごい」と2度妻は叫び、私は負けじと、
「すごいすごいすごいすごいすごいっ」たて続けに5回ほど言い返してやった。
家壁が迫り来るような小さな広場に行列が飲み込まれすごい人だかりとなりつつあった。
心臓が大きくうねるように心躍った。
流石の私にでも、ここでパーティーが繰り広げられる会場だと理解するにたやす
い。
広場は路地から正面を見据えて仮設のステージが設けられており、ステージ上で
は、赤 茶色のシャツで統一された、日本で例えるならば田舎の温泉宿の宴会カラオケバンドといった風情のバンドマンたちが、楽器の手入れやアンプやスピーカー等各種器材の音合わせに余念がない。彼らの晴姿の日でもあるのだろう。
売れないプロのお座敷バンドかもしれないけど・・・。
広場に向かって左の壁には唐草模様やコーランの一節が描かれた絨毯が垂らされており、その前にはレースのカーテンのような布で飾られた舞台が据えられていた。
舞台にはエマニエル夫人(ずいぶん古いなー)でも座ってそうな本日のファラオとお妃をお迎えし、お披露目するのであろう藤椅子がデーンと鎮座ましましていた。
会場はご両人の登場にかかわらず、 お喋りに興じたり駆け回る子供たちで溢れだした。
白いジュラバを着た男たちは、会場に近づきつつあるご両人を迎える準備に余念がない。
そんななかでもやはり目立つ人がいる。
ここにもいるのである。
船頭さんである。
その男は映画俳優ジョン・ウェインをちょっと柔らかくした感じの風立ちで、私たちに興味があるのか、ちらちら流し眼を送ってくるくせに、やっぱり興味ねーやと
いうような素振りをみせ、私たちを少し見やっては、誰かになんたらかんたら指示を出していた。
察するにたいした用件でもないと思うのだが・・・・・。
「おらおら、ダハリとムハマンドはどないしたんや。さっきまでおったのに、しゃ
あないなー。あいつらすぐさぼってしまつにおえんのや。あっ、こりゃいかんが
な、ヤスル。
その椅子はあっちに置かなあかんゆーたやろ。そこは、ネイファーらがもうすぐ来るんや、邪魔になるがな。あっちに始末しときーや。ところで、ギザのクラブチームは今年もさっぱりやなあー。あのヘボ監督では勝てるサッカーも勝てヘン。更迭や、更迭や。シーズンも始まったばっかりやゆーのに、はや来年のこと考えなあんとは、せちがらい世の中になったもんや、まったく。こりゃ、ヤスル、何、笑てん
ねん、はよ椅子かたづけんかい。あっ、ダハリが来よった、おーいダハリ煙草持ってへんか?」
きっとこの程度に違いない。
風格を重んじるくせに軽そうな男は大体が饒舌と相場は決まってるのだ。
ジョージ・ルーカスを旋盤で曲げて歪にしたような顔立ちの男はもっとひどい。
ジョン・ウェインと同じく「船頭」さんだか「煽動」さんだかわからないが、指示だしては、私の方にジョン・フォードよりもすさまじく濃縮した流し眼を送り、間髪入れずにそこらへんを駆け回っている子供たちの頭をハンマーを振り落とすような勢いで叩くのだ。そんな行為を3回くらい繰り返す。指示→流し眼→虐待という順番で。
「何はしゃいでんねん。虫の居所悪いんや。祭じゃゆーて浮かれつかすな、ボケ
ッ」
こんな感じかな?そういうお前は何でここにいるのか?
椅子を運んでいる人がいる。
ある男がせわしなく椅子を持ち運び、 一度置かれた椅子はこっちに置かれたはずだが、別の男があっちに持っていってしまい、するとまた別の男が違う場所へ移動したりと、堂々めぐりしているのだ。
かと思えば、その椅子をまるで、形而上の構造物でもあるかのようにジーッと見入っている老人がいたりするのだ。
牛乳瓶の底のような眼鏡をかけた老人は、その何の変哲もない木の椅子を微動だにせずしばらく見いっていたあと、ようやく瞑想が実り積年の大難問を解いた老子のごとく閃いた、というか急に用事を思い出したようで何処かへ行ってしまった。
一連のやりとりを眺めていた私は、一つの椅子を巡って繰り広げられるこの「劇
場」で何か奥の深い哲学をみせられた気がする。でも、やっぱり安っぽいお笑い劇場にも変身 しうるのだ。この微妙に違うのがまさしく人生の機微に外ならない、としておこう・・・・・。
さて、一通り広場観察を終えた私たちにまあ座れと人込みの輪の中に誰も座ろうとしない椅子二つを勧めてくれる婦人がいた。誰かを待っていたかのように二つ空席の椅子。
--いや、やはり、待っていたのだ。私たちを・・・。--
「ヤパン、ヤパン」と、私たち二人にその椅子を勧めてくれた婦人。
ご婦人といえばたやすいが、子供を何人も手塩にかけ、人生の渋苦をたっぷり味わった分だけ贅肉が付いたような、もっと簡単に例えれば弾ける前の風船のよう丸々太ったオババたちだ。ご丁寧に、同じ体型をしたのが三人並んでこちらを見上げていた。
そして、私と妻を見比べるようにして、
「ギャハハッハハハ」と、カバがころげるようにして(カバが転げるところを見た
ことはないのだけれども)笑うのだ。
一度笑いだしたら止まらない。
そして、私と妻が左の薬指に光るプラチナの指輪をしていることに気づいて、くしゃくしゃな皺
だらけの顔から何かを慈しむような慈悲に満ちた柔らかい顔に戻った。
それでも、やっぱり、
「ギャハハッハハハハハハハハハハッハハハ」と笑うのだ。
三人同時に同じ笑い方で。
何がおかしいのかさっぱりわからないけど、マツ・ウメ・カメと命名したオババたちに荷担するように私の相棒まで、
「ギャハハッハハハハハ」と、下手な歩調を合わすのだった。一生やっとれ。
かように、このオババたちの笑いは年季が入っており、人を引きつける摩訶不思議な魅力に溢れていた。
この国には、葬式の時に駆り出されるプロの「泣き屋」の女がいるが、ひょとしてこのオババたちは目出たい時のプロの「笑い屋」かもしれない、ことはないか。 それでも、彼女らの人生の遍路は知るよしもないが彼女らが心底笑う姿を世界の片隅の街角で出会えたことにほんのちょっぴり喜びを噛みしめた(ちょっとだけ、
嘘)。
笑う角には福来たるのは間違いない。
でも、ちょっとうるさい。ジャバ・ハットが三匹もいてごらんなさい。それは、もう。
オババたちは妻を横にしてまた何やらしゃべくりまわっては笑っている。
モーセスの影が薄くなるくらい、ここはまさしく人生劇場だった。
そのモーセスが私に言う。
「ビデオを廻すのはまだ早い、バッテリーが切れちゃうよ」
「もうすぐダンスパーティーが始まるから」と、自重するよう説明する(指示す
る)。
正確に彼が言ったことを再現すると、
「ダンスダンス、グッド・アフタル」
-ダンス・良い・後-である。
私もようやく理解できた。何がって、彼の英語ではない。彼は観光商売のエジプト人にしては、めずらしく、奇跡的に、英語がまったくだめな人だったのだ。
中学ご入学前の日本の子女でもここギザの下町では、充分通用する英会話である。
自信を持たされたのは私も同じことだけど。
ところで、エジプト人は皆[R]を発音する癖があるようだ。
立派なルクソールのホテルのマストロヤンニ似の立派なフロントマンでさえ、
「カルナック神殿の光のショー開演時間は何時ですか?」気取って流暢に問う私
に、「サブン、サルティー」と、のたまうのだ。
「英語とアラビア語混ぜて言われたら分からんわ。でも7時だって」妻に振ると、
「7時30分て言いよんよ」と改めて訳してくれるのだった。
「いつも喰っちゃあ寝て、喰っちゃあ寝て、毎日毎日何しとんのかいな?」
と、私から非難轟轟浴びせられる彼女もすごくたまーに意外なところでその隠れた光明な英知の袋を開けるときがあった。すごく、たまーに、ね。
モーセスが言わんとする-AHTER-は従って「アフタル」となる。
それはさておき、会場はドンドン熱っぽくヒートしていくかのように、というか子供の数が電灯に群がる蛾のようにどんどん増してきた。眠らぬ夜は彼らのためにもあるのだ。
バンドマンたちはすでに十分音合わせを終えたのか、臨戦体制を整え、いまかいまかと宴の幕が切って落とされるのを心待ちにしている様子だった。
統一した茶シャツの中で、一人だけその上に白ベストを着て差別化を図っているらしいおそらくリーダー兼歌手のパンチパーマの兄さんは手持ちぶたさのようで何度も何度もマイクテストでその美声(ショーが始ってその「美声」にこけるが)を披露している。
「エー本日は晴天なり」ではなく、そこはお国柄か彼のマイクを通してスーピーカーから流れてくる声は、
「アッラーエイリネエン、アッラーエイリネエン、アッラーエイリネエン」
意味はわからなかったが、多分アッラーを讃えるコーランの一節に違いない。
ファインダーを通して広場を見回すと、 騒ぐ子供たちの中にシャイマーの姿がなかったのにいぶかしがりつつ、聞き覚えのある声に鈍く反応した。
すっかり広場の雰囲気に夢中になっており、その声の主が誰であるかに1.5秒ほどかかった。妻は言う。
「ラクダのオジサンがプレゼントをくれるって言うから、少し行ってくる」
「えっ何?」
私は近頃どうも彼女の言葉がすぐに理解できない体質になっているようだった。
問題はどちらにあるのかは深くは追求しないことにしているが。
もう一度聞き返すと、やっぱり彼女が言うのは、
「ラクダのオジサンがプレゼントをくれるって言うから、少し行ってくる」
私は酔いしれていた穏やかな浜辺が突然予兆もなしに大津波に飲み込まれていくようにもっと大げさに例えれば、体から分離した魂が彼方へ運び去られるような、もっと揶揄すれば体中にマグマが溢れだしたように、しつこいけどもう一つ、世界の終わりを宣告せんばかりに木こりに森を焼かれた罪なき野ウサギ状態だった。あー、疲れた。
ラクダ使いモーセス、いよいよ本領発揮、化けの皮を剥がし正体を表したか。
ひた隠しに隠し続けた牙をむく時がいよいよ到来したのだ。濁ったナイルが再び蘇る。
それより、相変わらず彼女はわかっちゃいないんだなあ、と妙に感心する冷静さをも持ち合わせていた。今日の捲る捲く出来事は私をすっかり大人にしてくれてい
た。
私は彼女が私の許諾を得るのを待ち受けている様を二人の顔色を交互に比べるようにし、こちらを見ているモーセスに気づかれぬようにジーンズの両方のポケットをさりげなく触った。薄い紙の感触が両方にあった。
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