モロッコ紀行【カサブランカ】





ムーレイイドリス




-カサブランカ-                                                                        

カサブランカの街に着いたのは午後7時を少し回ったくらいの時刻だった。   
まだ太陽は日没前の強烈な光を放っていた。                 
白い家(カサブランカ)がその光で赤く染まっていた。            
首都ラバトより車でやく1時間、大西洋沿いの陽と海の変化を楽しませてもらっ
た。  
海をみるのは何日ぶりだろう?                       
随分たっていたようでも指を数えると十分両手で足りた。           
でも私はいつも海に漂っていた気がする。                  
砂漠はテコラッタ色の海だった。                      
ときにはうねりをみせながらも、広大な広大な無藐の海だった。        
人を寄せつけない自然の驚異に愕然としながらも、そこには人間をはじめとして生
命の息吹きが絶えないことを認めて、しかし私は「ここ」にはいられない-ことを
知った。                                 
立ち止まることはできなかった。                      
どんどん先へ進み、いっきに砂漠から抜け出さなくてはならなかった。     
魂が抜かれていくことに恐怖を覚えた。                   
それでも、アトラスを再び越え緑を目にしたとき私は、なにかを砂漠で得て、そし
て何かを捨て去っていった感をぬぐい去ることはできなかった。        
月光を浴び陽が昇る先をめざしたとき、闇のなか土埃の匂いと肌触りのみを感じて
いたとき、いつでもサハラはすべてを受入れ、すべてを拒絶した。       
私も少しはサハラの流儀に従ったと思っている。               
どんどん、先へ進み---。                        
サン・デクジュペリはサハラへ行くことを、                 

--砂漠を行くのはオアシスをめざすのではない。
ひとつの泉を宗教にするのだ-- と言った。                                   

とにかく、私は「あちら側」の世界より無事帰還した。            
私は夢が覚めるのを恐れた。                        
-夢のような六角地帯-私は旅の軌跡をそう名づけた。            
カサブランカを基点にし、赤い街マラケシュ、眼を見張ったアトラス山脈の風景を
過ぎサハラの西端の街ワルザザード、そして何もない岩漠のなかをただただ走り、
オアシスに息飲み込んだエルフード、アンチアトラスを越えフェズ、田園のなかを
ラバト、大西洋に沿って再びカサブランカへ。                                                     
時計を逆周りにして滞在した街を直線で結ぶと、六角形になる。        
最後の直線を結ぶ旅の終着駅カサブランカ-ここは私にとってもうどこでもなかっ
た。 
ホテル・ル・カンダラの息詰まるような狭い部屋で、私は近づいてくるような天井
をみつめながら、しばらくぼんやりしていた。                
もう、どこにも出かけたくなかった。                    
私は夢が醒めるのを防ぐため、夢の扉に鍵をかけるようにして、再びサハラの海に
たゆたうようにして、ぐっすり眠りたかった。                
ここ旅の間、睡眠は5・6時間だった。                   
彷徨うようにして闇の中を歩いていたのだ。                 
-サハラの夢遊者-                            
糸が切れたなか、それでも私は旅の最中の習性をひきずり、フランス通りを歩いて
いた。
洗練された街灯、飲料品の看板ネオン、日本製のテレビでサッカー中継にみいる男
たち、通りを歩く人々は西洋風の出で立ちだ。街灯は数珠つなぎでこうこうと灯っ
ている。
ここが花の都パリと聞いて疑う人がいるだろうか。              
ここはアフリカではない。もちろんヨーロッパでもない。何処でもない。    
そう、どこでもない!                           
私はマラケシュでの闇と、闇からの視線がなつかしかった。          
心臓をつきさすような無辺な眼をして、じっとして動かない老人たちが愛しかっ
た。   
洗練された石畳の歩行者専用の通りの店はもう閉まっているか、いままさにシャッ
ターを降ろそうとしているのがほとんどだった。               
ウィンドーショッピングをしながらブラブラ歩き、夕食をまだといっていないこと
を腹に教えられる。                            
郷土料理を食べさせてくれる店が一軒も見当たらない。            
ようやく、フランス通り沿いにガラスケースにタジンが飾られているのを見かけ、
明るい店内へ入り、カウンターの男に伝えた。
ワルザザード以来私の当地の定番を告げる。 
「ケフタ・タジンあるかい?」                       
太った髭の男は、一緒にいた常連らしい男二人とニヤニヤ顔を見合わせながら、 
「ここは、ハンバーガー屋だよ」と言った。                 
たしかに、店内はどこにでもあるようなデリバリー形式のハンバーガー屋だった。
言葉の通じない外国人にも一目みて指をさせば良いように写真が張ってある。  
損した気分ながら、コーラを飲み、ポテトをつまみながらハンバーガーをほうばっ
た。 
そして、Sホテルに入り、映画「カサブランカ」のリッツ・バーを模したらしいバ
ーを目指した。Sホテルはアメリカのチェーンホテルである。         
バーに入りすぐに失望した。
どこがリッツバーなのかとんとわらなかった。   
「リッツバーはどこですか?」思わず尋ねたい衝動に駆られる。        
一階の奥まったところにあるバーはチェーンホテルのどこにでもあるようなサロン
バーだった。
頽廃な雰囲気も微塵もなく、旅行者たちのガヤガヤしたざわめきにグランドピノの
音と女性歌手のアンニュイな歌声はかき消されていた。            
壁にハンフリーボガードとバーグマンがみつめあったポスターが張ってあったのが
ご愛嬌を語りかけていたのみだ。                      
一杯のカクテルで早々に退散することにした。                
白人の女性歌手が私に眼をとめてピアノ弾きになにか話しかけ、「スキヤキ」を歌
いはじめた。
サービス中に悪いことをしたと思ったがすでにレシートをウエイターが持っていっ
てしまった後だった。                           
女性歌手にウインクして店を出た。                     
それから私は地下にあるディスコに行った。                 
入場料は現地価格からは浮き上がったように法外な値段設定だった。      
しかし、「ひとり」とフロントのやさ男に伝えたばかりで、しぶしぶ30ドル払い
入場した。

フロントの男は男一人で入る私を上から見透かしたような顔で、顎をしゃくり入口
をさした。                                
店内は日本と変わらぬ最先端のレーザー光線と最新のディスコナンバーががなりた
てていた。
大柄な白人たちが瓶ビールをぐい飲みしながら、腰をふりながら無節操にたち振 
る舞っていた。
たぶん取り巻きたちであろうフランス人ぽい女がその男をかこんでいたぼうじゃく
ぶじんぶりを咎める者もいなかった。
ここにいるのは皆ヨーロッパからの旅行者風 情の人ばかりだったから。    
そして私はといえば、フロアから一番遠いソファアでJ&Bをちびちび飲みながら
このドンチャン騒ぎを眺めいるばかりだった。                
そのうち、とても気にいった音楽が流れ、その曲がかかる2回めには、私もつられ
るようにフロアに出、大男の西欧人たちに囲まれる恰好で、我を忘れるように踊り
狂った。 
30分踊り、10分休む、ということを何回か繰り返して店を出た。      
フロントの男は変わっていた。                       
愛想のよさそうな髭の濃い男は何か言いたげだったが、躊躇したようだ。    
そして「チャオ」と私に言った。                      
私は疲れていてうなずいただけだった。                   
-何処でもない-カサブランカの町はいよいよひっそりとしていた。      
時計は2時をまわっていた。                        
もう感覚はなく、一つのことだけを肉体が求めていた。            
はやくベットにたどり着きたかった。                    
夜道をとぼとぼ歩きながら、ここでは月がみえないことに気付いた。                                                                                          







-黄昏のセルベッサ3杯にも代えがたいもの-                                                     


閉まるまぎわのプラド美術館に飛び込んだ。                 
お目当てのマイヨーの「天国の扉」にたどり着く前に、監視員に閉館を告げられ
た。  
美術館の旧館を出て、リッツホテルの噴水前のベンチでしばらくボッーとしてから
マロニエ並木の美術館前通りをアトーチャ駅に向かう。            
そして、「太陽の門」へ通じる通りに交差する角のセルベッテリイアに引き釣りこ
まれるように入った。                           
夢から醒める前の朧な感覚を引きずったまま、窓際の席についた。       
おもしろいことに、カウンターは「予約席」のプレートが置かれていた。    
外は黄昏れるには少し早く、夏の太陽がまだ眩しかった。           
恰幅のいい眼鏡の男が注文を取りに来たが、迷うことなく           
「セルベッサとトルティーリャ」と注文した。             
すぐに泡の浮いた黄金色のグラスは置かれた。                
一気に飲み干し、すぐに2杯目をさきほどのボーイに告げた。         

黄昏前の少し憂鬱な雰囲気の漂うはかないひととき、窓の外の雲を眺めながら、何
処にもいない私を何処かに誘うように飲み干す、その一瞬、その幸福。     
私はこれまで、またこれからも唯一求めてきた。すぐ泡のようにはじけて消える―
―――一瞬のはかない珠玉―――。
と、知っている確信犯でありながら、―この時―を求めて、私は「劇場」を彷徨っ
ている。
ほろ苦く甘い邂逅を夕焼けのなかに溶かし込むのだ。  

そして、もう1杯注文するのだ。                      
セルベッテリアを出てもまだ太陽はビルの谷間からかいま見えた。       
アトーチャ駅は近代的な円筒のビルに改装されていた。此の駅からアンダルシア地
方へ繋がっているのだ。
そしてアンダルシアの北の先はアフリカに続く・・・。      
地下鉄2号線で太陽の門-コスタ・デル・ソル-に出た。           
コスタ・デル・ソルから私はマヨール広場へ向かっている。始めて海外の地を踏
み、身震いして眠ることのできなかった記念すべき夜からもう8年もたっていた。
その夜の青春の場所に再会するため私はスペインへ「還って」きた。      
 空はいつのまにかオレンジ色を帯びており、道行く人々の表情もどこか穏やかに
感じた。 
私はといえば、青春の一刻を刻んだ地にいながらも呆然としていた。      
生気は抜き取られたように、ただマヨール広場へ向かっている。        
マドリッドの街は18世紀の重厚な石のかたまりのまま、なんら違和感なく、いつ
もと変わらぬたたずまいをして私を迎えてくれたが、何か空間の隅に追いやられた
まま、取り残されたような気がしてならない。                
なつかしさより違和感が勝っていたのは何故だろう?             
感覚が麻痺したように浮遊した状態にいたのは、決して結局6杯飲んだセルベッサ
のせいだけではなかった。                         

 私は雑踏に揉まれている。                        
そして、ようやく自分が、あの、光と影が織りなすモザイクの世界へ再び舞い戻る
ことがとうてい不可能だということを認めたとき、目頭が熱くなったきて、あとは
止めようがなかった。                           
マヨール広場のフェリペ2世像と対峙するようにベンチで腰掛けている。    
深い底に澱んでいる澱のようなものがどんどん頭から血として逆行する。    
ここは、もうモロッコではない。                      
セウタからわずか16キロ跨いだ先の「向こう」は絵にも描けぬ別世界の入口とな
っている。                                      
 あなたはセウタからフェリーに乗るとしよう。               
約1時間半でアフリカの最初の一歩をタンジールで踏むことになる。      
でも、あなたは耐えうるだろうか?                     
船着場についたとたん群がってくる商売人やら自称ガイド人や、ホテルの勧誘人た
ちの絶え間ない攻勢に。                          
無事切り抜けたあなたが次に向かう先は、大西洋岸にある保養都市アガディールだ
ろうか、それとも-マグレブ世界の全て-と嘔われる赤い街マラケシュだろうか。
雪を戴く神々の柱と嘔われた山脈、籠一杯に盛られたミントの葉、土埃のする月夜
の道、スーク、香辛料の匂い、道行くロバと農夫、水汲みする少女たち、ナツメヤ
シ茂るオアシスの村、カスバ、ジュラバを着て一日空を見つづける老人、ひとなつ
っこい子供たち、あるいはがまんならない子供たち、懐の深く知恵浅い商売人、焦
げつく太陽、下着にまで忍び寄る流砂、糸杉を揺るがす風、赤土の城壁、モスクに
のびる影――――――。   
喧騒のスークの中で飛び交う商人達の国際色豊かな呼び声、幼子が木陰で暗唱する
コーランの一節、高らかに鳴り響くスピーカーからのアッザーンはなぜか静寂を生
む。   
人、風土、ありとあらゆるものが万華鏡のなかで変刻し続ける。
しかし何も変わらない。 
あなたも、私も彼の地を訪れた後、再び平凡で厳しい河を漕ぎ行くなか、日常のと
あるひょうしに想い出すことだろう。                    
想いは飛翔し、遙かなるものへの記憶の古層が呼び覚ます。          
瀬戸内のたおやかな汐の道の向こう、あるいはなだらかな稜線の向こう、そのまた
向こう雲の流れに、再び彼の地へ旅することを渇望してやまないだろう。         

夢よ叶わん。
再びかの地へ。イン、シャアッラー。 






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