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ケニアの旅――貴女とサファリを 3
―― 静かな湖畔の森の影から その1――
「――――この風景、そしてそのなかでの暮らしの一番の特色は空気である。アフリカの高原で過ごしたことのある人なら、あとで思い返してみると、しばらくの時を空の高みで生きていた気がして、おどろきに打たれるにちがいない。空は淡い青からすみれ色よりも濃くなることはほとんどなく、そこには巨大な、重力のない、絶えずかたちを変える雲がゆたかにそびえたち、ただよっていた。だがここの空は青い力を内に秘めていて、近くの丘や森を鮮やかな濃い青に染め上げてみせる。日ざかり、大気は炎と燃えたち、活きいきとしだし、二重の像をつくり、大きな蜃気楼を生みだす。これほどの高度にいながらも、人間はやすらかに呼吸でき、心臓は軽やかに活きいきと、たしかな鼓動をつづける。この耕地で朝日がさめてまず心にうかぶこと、それは、この地こそ自分の居るべき場所なのだというよろこびである――――。アイザック・ディーネセン著 横山貞子訳 晶文社」
旅の準備中読んだ、北欧の貴族社会を捨てて、ケニアで16年間コーヒー園を営んだディーネセンの心打ってやまない文章だ。
このディーネセンの心象風景そのままのアフリカの朝が目の前で産み落とされている。
テラスで佇んでいるうちに、神々しい朝日が森を包み込み、大気が踊るように鼓動しはじめた。
空の青さは、まさに「内に力を秘め」、濃くはないが、力強くすべての生命を癒すように広がる。
アバーディアの朝は、生命の飛躍を約束されたような快晴になった。
そして、私たちの最後の見送りのごとき、再びブザーが鳴った。今度は3回だ。
ヒョウだ。荷造りしていたひとびとも朝食をとっていたひとびとも、みんなテラスに集まってきた。
しかし、結局ヒョウは池の奥の森から姿を現すことはなかった。というより、私には肉眼では見られずじまいだった。
ロッジには交代で番をする監視員がいる。ケニアにはパトリックと同じ視力をもった人間がわんさかといる。チビから貸してもらった双眼鏡でチビから何度も場所を教えてもらいながらレンズを覗いたが、私にはヒョウよりも、今日の空の色のほうがよっぽど心踊りする。
ロッジを出発し、ものの5分としないうちに霧が立ち込めてきた。
高度を下げる毎に霧は深くなってくる。
「霧のなかから、ヌーがヌーッと現われそうやな」
「・・・・・・・・・・・・・・・」今日は二人で最後尾に陣取ったMと私だが、Mは反対側の窓に釘付けだ。
「おいっおいっ・・・・こらっこらっ!飛ばすんかいっ」
「あまりにも下のレベルすぎて受け付けへん!」
「それよりMちゃん、今日は雨降らさんようにたのむで」
「・・・・・・・・・・えんか?雨よ降れ~、雲よこ~~いっ」
「まぁ・・・・・この霧は麓にくれば抜けるやろ」
「マナブー、あのなぁ、私ばっかり撮らんと、私が撮ってあげる。奥さんびっくりするやんか。はい、なんかしゃべり」
「本日のナクル湖畔地方は晴れときどき曇り。南南西の風やや強く、湿度は35%でしょう。洗濯物干し物指数は80%で良好でしょう。ただしMちゃんの下着ゲット確立は0%です。次回、マサイ・マラにて期待しましょう。気象情報をマナブーチンがお送りしました」
「アバーディアからの中継でした(笑)・・・・・で、マナブー、最後のほうなんて言ったん?聞き取れんかった」
「ん?今日はビデオは撮らん、言うたんよ(笑)」
スーツケースを預けていたカントリークラブに着くと、霧は薄らいでいたが、道がすごくぬかるんでいた。つい先ほどまで、ここが雨だったことがわかる。
私は、真っ先に施設の下に広がる庭へ向かった。サボテンと別れを告げにだ。
昨日、ここでしばらくアバーディアへ行く時間の孤独を癒していた。
柱に扇子をつけたような、旅の木そっくりの形をしたこのサボテンはユーフォルビア・インゲスといい、
東アフリカのサバンナに広く分布する植物で、高さは10メートルにものぼる。
アンボセリのロッジの玄関先に咲き乱れていた藤に似た房を垂らせて咲く、その名もオレンジシャワーという花とともに、ケニアで残像する植物のひとつだ。
植物の自生も動物に負けず劣らず宝庫のアフリカである。
「星の王子さま」でお馴染みの、神様がさかさまにして植えたと言い伝えのあるマダガスカル原産のバオバブは今回の行程には自生していないそうである。
7種あるバオバブのうち、1種はタンザニアのタランギレ公園で見られるらしい。
サバンナで最も印象的なのはアカシアだろう。サバンナの象徴だ。
というより、私たちが思い浮かべるアフリカ――地平線に一本ポツンと枝を水平に広げたつアカシア―――すべての象徴だ。
100種類を超えて分類され、ナクルの樹皮が黄色の黄色アカシア、マサイ・マラのその名のとおりのアンブレラ・ツリー、テーブル・ツリーなど、遠いアフリカへ来た旅愁をそそる。
紫色の並木がそれは美しいジャカランダは10月から11月にかけて咲くので9月に訪れた私たちをなごますことはなかったが、ナイロビではポツポツ咲いているのを見かけた。
旅の最後が近づくナイロビに向かう車窓から平原に1本だけ咲くアロエも印象的だった。
熱帯から南部に広がる約300種あるユリ科の花だ。
カントリークラブを発ち、ニエリから北上してきた道をさらに北へ向かう。
私は舌の根が乾かぬうちにビデオを撮り続けた。
ジェットコースターのように上り下りを繰り返す丘、また丘の道。広陵が過ぎたら、今度は眼前に広がる黄金の麦畑。景色はどんどん広がっていき、遠くに青々とした山脈。
ディーネセンが綴ったのと同じ「重量にない、絶えずかたちを変える豊かな雲がそびえたつ」空は濁りのない水色だ。
その空も太陽が昇るにつれ、色彩を変化する。
藍色に、また群青色にと―――。
めくるめくこの美しい風景を撮らずして―――。
道の沿線にはときどき村(パトリックは「町です」といつも強調するが・・・)があり、瘤つきの牛が草をはみ、少年たちが牛の世話をしている姿があった。
いくつかのほんとうの町を過ぎると、再びお馴染みのサバンナになり、ユーフォルビア・インゲスが群生していた。
続いてコーヒー園が広がり、そしてなだらかな斜面には紅茶畑が緑豊かに繁っていた。
豊かな景観に、ついつい心も踊り、Mと私はいつしかともに歌を歌った。
「ジャンボ ジャンボ ブアナー
ハバリ ガニ ムズリ サナー
ワゲニー ンワカリ ビシュワー
ケニヤ イェトゥー
ハクナ マタタ
ハクナ マタタ」
みんなが知っているアフリカのケニアの歌だ。
「やあ、だんなはん、今日も元気でっか?」が要約らしい(笑)。
この青空に吸い込まれていきそうな歌をパトリックは黒檀の顔を赤く染めながら(笑)私たちと一緒に
か細く低い声でなんとか歌い上げた。
――パトリック・・・・・・・音痴なんだね(笑)――
真っ青な空のもと、明るく歌おう「ジャンボ」と。今日一日きっといいことがある。
約2時間、緑と青豊かな広陵と平原を走ってきた車は悲鳴をあげながら山道を登りはじめた。
これまでは、美しいケニアの風景の前奏曲であった。
いよいよ大地溝帯にさしかかるのだ。
グレートリフトバレーといい、何十億年も前から地殻の変動によって生じた陥没地帯で、ヨルダンの死海からタンザニアへ貫通する総延長7,000キロ、幅35キロから60キロにおよぶ地球の裂け目である。
「これを見るため、アフリカくんだりまで来たんや」興奮してMに伝える。
本日のワゴン車内はパトリックの後ろにMと私だ。
「なんや、マナブー・・・・・キリマンジャロいうたり、クロサイいうたり・・・・」
「いや、これもそのうちの一つ!(笑)」
しかし、断崖にたどりついた車はそのまま下降しはじめた。
「なんで?なんで?」私は後頭部まで肌と変わらない墨色のパトリックに訴える。
道沿いは低い潅木が続き視界を遮っている。
「ここは、マサイ・マラの帰りに見ます。そのほうが見やすいです」以上、らしい。
大地溝帯のなかに入ると、道を南西にとり、ニャフルルの町を通過し、平原にはアンブレラ・ツリーが多く自生していた。
いよいよケニアの核心部に入ってきたのだと、実感する。
ナクルはもうすぐだ。
進行方向の右手にライオンが横たわったような峰が見えてきた。マサイ族が「神の山」と呼ぶらしい。
「キリマンジャロは「神の家」じゃなかったっけ?」と、私が訝る。
「神はどこにでもおんねん。邪悪な神もなっ」Mは私を見据えて不敵に笑う。
ライオンを遥か後方にしだすと、まだ花を咲かす前のジャカランダの並木が続く街道になった。
ナクルの町に入ったらしい。
町を抜け、荒野のなかのゲートでチェックを受け、本日宿泊するホテルで荷と旅の興奮を解いた。
コテージ内の庭を散策してみると、ブーゲンビリアやハイビスカスをはじめ、数々の名を知らない美しい花が咲きほころんでいた。
ナクルのロッジはナクル湖を見下ろす高台にあり、レストランのテラスから展望することができる。
湖の手前はアカシアの深い森で、その奥に、陽をうけた湖面がダイヤモンドダストのように輝きをはなっていた。
午後、プールサイドで移動の疲れを癒していたら遠くで落雷があり、突然暗幕を降ろすかのような黒い雲が空中を覆い、すぐに大雨になった。
慌ててテラスに飛び込み、しばらく雨のナクル湖を望遠して過ごした。
のっそり散歩していたドグエラ・ヒヒたちもどこかに姿を消していた。
雨の音にかき消されて気づかなかったが、意識して耳をそばだててみると、聞いたことのある声が雨に混じって聞こえてきた。
低音の歌声が脳裏にかぶさる。
パトリックだ。
後方のカフェで地元らしき男と話しこんでいた。
パトリックは私たちには決してみせない饒舌さで勢いよく喋っていた。
スワヒリ語なのかもわからなかったが、何度もでてきた「ヤバニ(日本人)」という単語だけは鮮明に理解でき、突然の雨といい、何か嫌な気分にさせられた。
そのパトリックとは、たった一度だけ、このロッジにチェックインした直後ソファで話をした。
―――ロビーのソファに長い体をねじ曲げるようにして腰掛けていた彼の正面に座り、日々の労を労った。
彼は、ナイロビ大学で日本語を学んだ。留学経験はないらしい。英語は公用語なので話せて当たり前だが、あといくつかの外国語を話せないとガイドにはなかなかなれないらしい。
彼のように一流の大学に進学するには親戚中から金の工面をしなければならず大変らしい。相互扶助の精神が常識のケニアでめずらしいことではないが、晴れて都会で就職できれば、彼は一生かけて家族ばかりか親戚中を食べさせていかなくてはならないらしい。
放牧などをして自給自足の暮らしを今でも営むマサイ族や北部のトゥルカナ族、ソマリア国境のソマリ族たちはともかく、近年ケニアの失業率はすさまじいらしい。
豊かとされるケニアでさえ、ナイロビなど都市部に職のない老若男女が流入し、それでも彼らは職にありつけないままスラム化していく。
「でも、ガイドをしていると1ケ月のうち家にいられるのは数日だけです。今、27歳。お金をたくさん貯めることができたら結婚して、ほかの職業を探します」
私がガイドがいかに精神的に肉体的に苦労が多いかわかったような口ぶりで伝えると、パトリックは相槌をうって、そう言った。
そのくせ私は、旅の最終日、とんでもないことにパトリックを巻き込み、精神的にも肉体的にも彼を疲労させてしまうことになる―――――。
それはそうと、転職の話は直感的に、嘘だと思った。今、ガイドという職を放って、彼が容易に再就職できるような状況でないことは、彼自身が知っているはずだ。
一流大学まででた彼である、親戚は黙ってはいないだろうし、彼のすでに植え付けられたエリート意識を捨て去ることはなおできまい―――。
雨のテラス、彼がそこにいることに何がしかのためらいがあり、私はそっとその場を離れた。
ロッジの部屋で今日のスペクタクルを想った。
毎日書きなぐってきたメモ帳には「――なごみ列車のような一日――めくるめくスペクタクル――旅の光――」と記されてあった。
日没3時間前に、サファリに出発した。
雨は計ったようにやんだ。
いたずらな演出だ。
雲がちぎれ流れていく間からの洩れ陽が眩しい。
雨しのぎにと、イエメンで買ったターバンを頭に被り車に乗り込んだら、フランクが大喜びだった。
今日から別れの日までフランクから「アラファト」と、呼ばれつづけた。
夕食時、フランクはアラビア系の運転手仲間とテーブルを囲んでいたが、私の姿をみかけると手招きし、
一人ひとりに紹介しはじめた。私は立ったまま何度もアラブ式の挨拶をさせられるはめになった(笑)。
フランクとは、アンボセリへ向かう初日から意気投合していた―――。
湖畔に向けて、フランクの運転するワゴンは穏やかな丘を下っていった。
枯れ木に数匹のハゲタカが宿り、羽を休めていた。その木の周りにはインパラがいた。
「おおっ!」とパトリックが珍しく驚嘆の声をあげた。
一同、反射的に彼の視線方向へ向ける。
視線の先は一匹のイボイノシシだった。
「イボちゃん、だっちゅ~の」とパトリックはおどけた。
「もうパトちゃん!イボちゃん、珍しないっ!だっちゅ~のっ」とMは笑って抗議した。
私はすかさず彼女の胸元をしみじ見ながら、耳元で呟いた。
「でも、あんた・・・・・・『だっちゅ~の』できへんやろ?」巨乳コンビのギャグだから(笑)。
「もうっ!失礼なっ!大人になったらできるもんっ!」と肩をバシバシ叩いてきた。
パトリックのご機嫌は麗しいようだ。
しかし、いつか言及したように、彼の機嫌には一定の法則があることを、私はすでに見切っていた。
彼はいつも決まってサファリ最初の30分くらいは無邪気なのであるが、あとはほとんど無口になるのである。
こういう人間観察の相関図はとうてい動物好きのSには理解できまい。
私は、あいかわらずズームレンズを構えつづけるSにチラリと視線を送った。
その、Sのレンズ越しの視線の先は水辺のウォターバックたちだ。
私には奈良の鹿との違いすら、とんとわからない。
イエローアカシアの森に入る。
木々の間を移動するキリンの集団があった。爪から膝あたりまで白いロスチャイルドキリンだ。
このキリンは本来ナクルには生息しない。外国からの「輸入物」である。
この公園には絶滅寸前の保護を目的として輸入された動物が他にもいる。シロサイである。
「サイがいたっ!」Hが叫ぶ。めがねをかけてるHだが、たいていなんでも一番に発見する。
樹林帯を抜けるとすぐ、シロサイがいたのである。
フランクの車は久方ぶりに喧騒に包まれた。
「サイだ。サイなら」パトリックが洒落をいう。
彼のタイマーはあと20分くらいだ(笑)。
「下手なシャレうるサイ。シャラップ!」となぜか私はMに言い、続けてこう言った。
「でも、このサイってば、輸入物なんだよね(笑)」
「いいじゃん、別に。見れたんだから!」冷たくSが言い放つ。
彼女の動物に対する思いの低さを垣間見せられた気がした。
それに、私が君に話しかけたことはアンボセリ道中以外、ないんですけど(笑)。
ナクルの湖面が近づくころ、今度は「虹よ」とHははんなり叫んだ。
その直前、ライオンのメスがシマウマの一団を草むらから静かに追いつづけているのを「追って」いたのだ。Hの声に、振り返ると山と山を跨ぐように虹がかかっていた。
そしてHはまた発見した。虹のうえに、二重に虹がかかっていたのだ。
ゆっくりと、ナクル湖に近づきつつある。
この湖は、ソーダ性の湖にしか生息せず、多いときで100万羽いるといわれるフラミンゴで有名だ。
湖がすべて、フラミンゴがプランクトンを食べることにより染まる桃色に染め上げられるのだ。
みんなが湖方向を凝視するなか、私はひとり、湖ではなく後方になった虹を追いかけていた。
この時期、フラミンゴは余所の湖に渡っており、全くいないことを前もってパトリックから聞いていたからだ。
湖畔には、かわりに数十羽のペリカンがいた。
―― 名もなき廣原に咲いていたアザミ その1 ――
「なんで今朝しんどいか思うたら、昨晩暴れたからや」と出発早々嘆くM。
「でもよかったよ。うちのハニーと一緒(笑)。あちこちひっぱり廻されるの(笑)。でも、カワイイからちゃうねん。扱いやすい匂いがプンプン醸し出しよるから(笑)」と、私はからかう。
「ほんまや・・・・・・・・」
ナクルを出発する直前、フランクの車がどうにもこうにも動かなくなり、今朝は1台に8人の大所帯で、フランクの車は修理し終わりしだい追いかけてくるらしい。
さきほどの二人の会話は昨晩のアフリカンコーラスを観覧していたときのダンスのことだ―――。
昨夜の夕食後、フランクたちにもみくちゃにされた後(笑)、私とMは、また突然の大雨の雨宿りをかねてレストラン入口のテーブルで、たわいもない話を咲かせていた。
「たわいもない話」とはよくある話で、もちろん「恋愛話」である。
そう、愚痴がやがてはノロケに入れ替わる、あの典型的な話だ(笑)。
「なんで、こんな話ばかりするんやろ。ひとにはゆうたことないのに」とMはそう漏らし、雨が止んだこともあり、この「たわいもない話」にピリオドを打とうとした矢先、ボーイに声をかけられた。
彼が手にした黒板の案内によると、今晩バーでアフリカンコーラスが始まるらしい。
とっくに宿に引き上げた日本人たちのなか私たちだけ、得した気分だ。
Mを先にバーに行かせ、私は急いで部屋に戻り、ビデオとカメラをもって引き返した。
レストラン右奥のバーを覗くと、民族衣装を身に纏ったスマートな7、8人の男女がすでにアカペラコーラスを披露していた。
黒人はどうしてこんなに美しい音色で歌う(もちろん、パトリックの例をとりだすまでもなく(笑)個人差がるのであるが)ことができるのだろう。昇天してしまうような奏でられる音色に聴き入りながら
Mを観客席のなかから見つけ出した。一番前に座っていた(笑)。
何曲かの流行歌やアフリカン音楽をポップ調に歌ったあと、いよいよ佳境に入るのか、今日パトリックと一緒に歌った、陽気で威勢のよい「ジャンボ」になった。
ケニアで最もポピュラーなスワヒリ語のこの曲は、観客席に多く陣取る英国人や北欧人も拍手喝采だ。
おやおや、例のイタリア人グループもまた見かけた。
パトリックもいた。が、彼は―――寝ていた(笑)。
2コーラス歌ったあと、リーダーらしき男が陽気に腰をくねらせ席を渡り歩いたあと、ひとりの小柄な女性の手を引き、ステージへと誘導した。
女性は恥ずかしがっていたが、まんざらでもない、というようなつくり笑顔をしていた。
「なんや・・・・・・・・・Mや」
彼女は数多い観衆のなかから、たったひとりだけ選ばれた王女のごとく、というような雰囲気は全くなく(笑い)、コーラスグループと手を繋ぎジャンボを踊りながら楽しそうに歌っていた。
予期せぬスポットライトを浴びるはめになったMが無邪気に踊る姿を微笑ましく眺めながら、何故彼女がとっさに「選ばれた」のかを考えてみた。
彼女が東洋人だから?いやいやそれは違う。バーの最前列にいたから?いやいやこれも違う。
バーの最前列には、私は見ぬふりをしたが(笑)、Sもいたのだ。
私の思考はすぐに正確に着地した。
――なんのことはない、彼女が子どもに見えたから――(笑)。
やがて、ステージは有閑マダムやら、美人妻やら、私がアンボセリ以来チェックを入れていたイタリア女も(笑い)輪のなかに加わった。
そして、またたく間に老若問わず女性という女性はすべて、うやうやしくコーラスグループの男たちに手を引かれ踊りの輪に入り、最期の最期にSまで加わった。
賑やかな「ジャンボ」は一列の輪になり、バーを所狭しと行進し華やかなフィナーレを迎えた。
やがてみんな席に戻った。
しかし、Mだけはまた手招かれ、今度は女性ボーカリストと手を取り合い、他のメンバーの歌声に合わせて、みようみまねのステップをわりと器用に踏んだ。
かなり長い曲で、ようやくMは開放され、リーダーがメンバーを紹介しはじめた。
リーダーはひとを見抜くセンスがあると思った――私と同じで(笑)――。
この間、ずっと私は楽しそうに踊るMをビデオカメラの液晶を通して眩しく見入っていた。
それは、彼女を別のひとの姿に重ねていたからに他ならない―――――。
「――――「アシャーハルシャラーヂュイデー、ジャパニーズーピープル」
パンチ司会は紙幣を頭上に誇らしげに掲げて私たちを紹介した。ビ・カム・・・・?ジャパニーズ・ピープル-日本人の人-と言うのもなんだけど・・・・・。
兎にも角にも彼が少しキザっぽくも笑顔でいてくれることに安堵の胸をなでおろした。
そして、またイントロが始まるのだったが今度はなかなか止まらない。
するとコロンボが「こうして踊るんだ!」とばかりに自ら腰を揺すって誘導してきた。
モーセスは私と彼女の手を左右に握り輪を作って舞うようにして踊りはじめた。
突然、「指示する行為」しかかいま見せてくれなかった禿鷹じいさんまで輪の中へ飛び込んできた。
自分で言うのも何だけど、なんとも奇妙な組み合わせの人の輪ができた。
コロンボは陶酔しきって自らの腰振りをいっそう激しくして私たちを導いた。
長いイントロのフレーズの後、パンチ司会は本来の役目である歌を歌い始めた。
コロンボの自身の腰振りと、私たちへのその強要はますます激しくなってきた。
私は下手と気恥ずかしさから踊りの方は妻とモーセスと禿鷹じいさんにまかせて、写真やビデオ撮りに専念することに頭を切り換えた。ビデオがないとどうも落ち着かない。
しかしそのビデオは、さっき舞台から上がる前、モーセスの指示によりモーセスの子分2号という感じの男(「第3の男」登場だ)に預けてあったのだ。子分2号はシャツから胸をはだけ出してニタニタしている。その男はファインダーから珍しそうにこの光景を見つめていたばかりではなく、しっかり録画していたのだった。おまけに何処でその技術を体得したのかズームボタンを押しており、その焦点の先は妻がふりふりする腰やら臀部やらを捉えていたのだった。彼から奪い取ったビデオを再生して唖然とした。
「ここには変な奴が一杯おるよ。ビデオであんたお尻撮られよったよ」
「一番変なのはここにおる」と私を指さし屈託なく笑う―――――。『10月のバラ―エジプト最後の一夜』より――」
エジプト最後の夜、ギザのピラミッドの丘の袂にあるその昔は泥棒村と呼ばれ、その子孫が暮らす村で、我妻は仮設ステージで腰を振り降り踊っていた。
私たちをここまで誘ったのは、私の固い決意に反し悪名高きピラミッド観光用ラクダ乗った妻のラクダ屋さんだ。おまけに妻に「今晩、ダンスパーティーがあるよ」と誘い、もうその手には乗るかと、私の固い決意に反しお気軽に乗ってしまった妻。危険な匂いがすると主張した私の予想も泡と消え、結局でかけたのだが、羽蟻の巣のような村のなかでの結婚式だった――――――。
Mのダンスを、あの夜の妻のダンス姿とだぶらせていたのだ―――――。
「なんなら、昨夜撮ったビデオみんなに見せたろか?」私はうろこ雲の朝焼けを撮りつづけながらMにからかい半分ですごんだ。
「いやいや、それだけはご勘弁を」合いの手を入れるM。
「そんなら、改心してワシのこと尊敬してなんでも聞くか?」
「はいはい、なんでも聞きます」
「そんならおっちゃん、朝マックしたいねん。ダルエスサラームまで行って買うてこいっ!」
「いやいや、それだけはご勘弁を」
美しい朝焼けにふさわしくない会話が狭い車内で響く。
「そんなにすごいのぉ~?」とネコちゃん。
すごい・んです。
フランクのおかげで(?)、今日はSに加えてネコか・・・・・・かなわんなぁ~。
パトリックと運転手合わせて10人。8人乗りのワゴンはしだいに空気が薄くなってか、後では寝息をたてはじめる者がいた。
ノッポとチビだ。
全く彼らはいつだって二人でひとりだ。
遠くに霞むナイバシャ湖を右手に眺めながらしばらく進むと、車は大きな通りを右折した。
地図によれば、この道をまっすぐ進むと旅の最後の目的地、マサイ・マラ保護区のセケナニ・ゲートにたどり着く。
しかし、旅はそう簡単には終わりに向けてスムーズには運ばない。
この車まで、故障してしまったのだ。
もう遠い日のことのようだが、アンボセリに向けてフランクの車に乗り込むとき、「私が旅してきた経験上、私の乗る車はついていない。そのときはスマン」宣言をしたことが的中した。
イエメンのルブ・アル・ハリ砂漠を横断したときを思い出す。私のジープだけ、なぜか砂漠のど真ん中
でパンクを繰り返したことを思い起こした。灼熱の砂漠のど真ん中に放り出されたことを回想しつつ、見事に「的中」した「不幸」を「祝った」。
何故か海外にでると、私が乗車した車は故障する―――。
マサイ・マラへ向けた平原の一本道を通過する車はわずかである。たまに通る車は同じく観光用ジープでマサイ・マラへ向けて疾走して行く。
腰をかがめ、車の故障の原因を調べる人々を横目に、私はだだっ広い平原を一人散策してみた。
道沿いには車中では気づかなかった泥壁と藁の屋根の家が平原に埋もれるように点在していた。
一軒の家の前の轍で、日向ぼっこをしてるのか待ち人なのか、腰掛けている若い娘と目が合った。
私はいそいそと彼女に近づき、隣に座っていいいかと、尋ねた。
彼女は特に私を警戒するわけでもなさそうに、はにかんで微笑んだ。
「どこから来たの?チーナ(中国人)?」アフリカの田舎では東洋人は中国人だ。
「ううん、ヤバニ(日本人)。これからマサイ・マラへ行くんだけど、ほら、車があのとおりで・・・。おかげで、君に会えた(笑)」優雅そうなセリフとは裏腹に汗をかきかきカタコトの英単語だ。
―いつもでどこでも誰にでもそんな口聞いて・・・―またどこかで、妻の突っ込みが入りそうだ(笑)。
それより、彼女が立派なキングス・イングリッシュなのに驚いた。
「君は何部族なの?」胸ポケットにあった板ガムを彼女にさしだし、小柄な娘さんに質問する。
「キクユよ」彼女は礼も言わずガムを受け取った。
「何才?」まるでお見合いかナンパだね(笑)。
「22才よ、あなたは?」174センチの私の肩にも満たず、あどけない顔立ちといい、てっきり少女だと思い込んでいたのだが、22才で娘さん、とはわが国でもいいません(笑)。
それより、まわりに村の男でもいたらえらい目に遭うかもしれん、と私は慌ててキョロキョロと辺りを見渡した。誰もいないようだった。
さらに彼女は驚かせることを言う。
「結婚は?」
「してるわ。こどもが4人よ」ええーっ。私は慌てて再び、今度は念入りに辺りを見渡した。
「僕は32才。4才と2才の娘がいる」エッヘン。
「奥さんもいっしょに?素敵だわ。私は子育てや牛や夫、家族の世話で旅行はしたことない。ナイロビへバスででかけたことがあるくらいだわ」と笑った。
世話をする筆頭に牛なのがおかしかった。
「いやいや、妻子は日本だよ。えーと、今回学問のために来たのさ」嘘つきエッヘン。
「ふーん?マサイ・マラへは動物の研究?」
彼女は私の取り繕った嘘を疑うわけでもなく続けて言い放った。
この言葉はいたく私の自尊心を傷つけた。
「あなたは32才で、家庭があって、学者さんなのね。立派だわ。でも英語は苦手?」
これまでほとんど単語を並べ立てるだけの英語をよく理解するものだとヘンな感心をしていたが、当然のこととはいえ、私は急に落ち込み、言葉を紡げなくなり、一層会話を困難にしていった。
これまで幾度となく経験してきたくせに、声をかけては、いつも「決まり手」がこうなのだ。
しばらく沈黙が続き、場の雰囲気がひどく重たくなってきた。
私は何か言い出さなくては、と頭の中でゆっくり反芻したあとゆっくり口を開いた。
「ここで、何してるの?」
「夫を待ってるの」微笑つき。
ありゃりゃりゃーーーーー。このあたりで、潮時のようだった。
「もう、車は直ったかな?行かなくちゃ。日本に来るようなことがあったら、ぜひ案内するよ」
陽だまりのなかの闖入者は、自らのシッポを切り落として去るトカゲのように退散した。
女はさして気にとめる様子もなく「サヨウナラ」とだけ言った。
腰をあげた私は、まだ聞いていなかった肝心なことを思い出した。
立ち上がって私は尋ねた。
「君の名前は?」
「グレースよ」
彼女は、最初に出会ったときそのままの微笑みを返してきた。
ワゴンはガソリンポンプが切断されていて、すぐには直しようがなかった。
結局、ナクルで故障車を修理して追いかけてくるフランクの車を待たなくてはならないようだった。
まだ、しばらくこの平原に留まらなくてはならない。
草むらに入っていったが、枯れかけた鬼アザミをちらほら見かけるくらいですぐに飽きる。
グレースの姿はもうなかった。
どこからやって来たのか気づかなったが、平原に佇んでいた私の元へ3人の子どもが近づいてきた。
鬼アザミが精霊となって現れたような気がした。
素足の精霊たちは私に手をさしだし、片方の手でなにかを口に入れるふりをする。
先ほど、グレースに何気に渡したガムのことがもう伝わっているのだとすぐに悟った。
苦笑いしながら、彼らに残り少ないガムを渡した。
グレースはたしか4人の子どもがいると言っていた。
このなかの誰かは彼女の子かもしれない。
私はグレースの整った顔立ちを一生懸命思い返そうとした。パトリックは嘘つきだ。
キクユ族にも美人はいる(笑)。きっといっぱいいるに違いない。
フランクは2時間、私たちをこの平原にマチボウケを食わしてもまだ追いつかなかった。
しかし、私たちはなんとか出発することが可能になった。
故障した車は応急処置でなんとかエンジンがかかるようになったのだ。
再び、窮屈で退屈な10人乗りの無為な時間を過ごすことになった。
「マナブー、またナンパしよったろ?」
「またって、なんだよM。人聞きの悪い」
「誰かさんもゲット、されたみたいだしぃ~」Sが冷たく言い放つ。はい、いつものように無視無視。
「グレース!のことかい?22才やって~」
「何、ヒソヒソ話してたん?」
「ナイショ!グレース!と、だけのひ・み・つ!」
「気色わるぅ~(笑)」
そういえば、ケニアにきて、パトリックとフランク以外のケニア人とまともに話した(?)のははじめてだった。
せっかくの外国なんだから、動物より人間と触れ合いたいものだ。
平原の草はどんどん低くなり、アカシアの木も点在から群生になり、サバンナが近づいてきていることがわかった。
マサイ・マラはもうすぐだ。
給油のためガソリンスタンドに寄った。
そこには前歯が抜けて口を開けてよく笑うなつかしい顔があった。
フランクだった。
「サラーム・アレイッコム(あなたに平和を)」フランクは元気よく親指をたてて私に言った。
「ワレイコムッ・サラーム(あなたにこそ)」なんだ、フランク、先にいたんじゃん!
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