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トルコの旅―金の星と銀の月のしたで4
―― 空は青く、スコーンと抜けていて ――
道端にはシャクナゲの花が咲きほころんでいた。
土造りの家々の壁にはキリム柄や幾何学模様の絨毯が洗濯物のように並べられている。
夏の観光シーズンともなると、寒村はどの家も絨毯屋に様変わりする感じだ。
絨毯を織るのは、幼女からせいぜい20歳までも女性の仕事らしい。
理由は、成人ともなると指が大きくなりすぎて精密な柄を織り出せないらしい。
少し、痛々しい感覚があるが、一枚の絨毯はひとりの女性が機織り機と向かい合った歳月をもが織り込まれているのだ。
ペルシアのシングルノットで織られる精密な図柄と違い、結び目を二重に絡ませて織られるダブルノットの手法はエスニックな図柄が多く丈夫なのが特徴だ。
ヘレケなどで有名な絹の高級絨毯やトルコ最大の産地カイセリでは、ペルシアから影響された図柄なども採用されている。
カイマクルの地下都市見学を終えて、つかの間の休憩時、瓶詰めのオレンジジュースをストローで飲みながら、壁に並んだ色とりどりの絨毯を眺め、その絨毯を織った女性たちに想いを馳せていた。
カイマクルにはカッパドキア地方がササン朝ペルシアやイスラム帝国の侵攻にあった6世紀から9世紀にかけて築かれた地下都市がある。
この地下都市はビザンチン朝時代のキリスト教徒たちがイスラム教勢力からの迫害を逃れるために築かれたというのが定説になっている。
この地方は聖パウロが布教してまった地であるという伝えもあり、伝統的にキリスト教の信仰厚い高潔な宗教観が培養さたであろうことは想像しやすい。
しかし、不思議なことがある。
「――不思議なことに、この都市からは、何の遺跡らしきものも発掘されていないのである。
文献の類はもちろんのこと、壁画なども一切発見できなかった。墓らしきものもあったがどういうわけかそこには、ひとつの遺体もなかった。したがって、いま私達がこの遺跡のことを考えるには、周囲の補助的な事情を鑑みて、推論を駆使するしかない――。『トルコの旅』立田洋司著・六興出版 」
まるで、古代インドのモヘンジョダロ、あるいはメソポタミアの古代都市ウル、ペルーのナスカ地上絵、
ユタ半島マヤ帝国のマチュピチュ空中都市、イースター島の像などと同類の「謎深い遺跡」ではないか。
歴史の定説とは、その時代のさまざまな検証に沿って確立されていくが、科学的論証に乏しいとき、オカルトな史学が跋扈する隙間を与えてしまう。
下手すればカイマクルもモヘンジョダロと同じく「古代地下都市の核シェルター」になってしまうのだ。
それにつけても、信仰の力がこの都市を生んだのだとすれば、恐れ入るしかない。
狭い通路で腰を曲げたまま進むのに苦労した。
いたるところに通気孔があり、息はつなぐことはできる。
ゾロゾロとアリの行列ような集団は「ここはワイン製造所、ここは穀物の貯蔵庫、ここは食堂、ここは家畜小屋」と、ローカルガイドの説明を受けるたび感嘆の声をあげていた。
都市機能の全てがこの地下に置き換えられていたのだ。
しかし、使われた形跡がないという意味では、「幻の都市」と言わざるをえない。
「現在、確かめられているだけでも、この奇岩の都市には4万人にのぼる人口が住むことが可能とだれており、発掘段階で地下8階にもなります。電線が引かれていないことなどで、私たちが見学できるのは限られた一部です」
暗く狭い通路を一列にアリ状態で一方通行の穴蔵を進む。
惜しまれる出口はもうすぐだ。
私の進行方向には常に薄闇に浮かぶ青い玉があった。白人観光客のスカートの色で、通行中、彼女の臀部がずっと鼻と目の先にあったのだ。
出口は入り口と違っていた。
ああ、青空よ、青空だ。
小一時間ほどであったが、ガイドの懐中電灯にのみ頼る世界から帰還した。
見学中のガイドの説明には「おお」という感嘆符のみだったドイツ人はとたんに饒舌になり、かんかんがくがくと「幻の都市」の謎解きをはじめだしたように騒がしい。
やれやれ、夏のトルコはセミ以上にドイツ人が風物詩らしい。
私はといえば、ふくよかなお尻から彼女の面影を思いおこしながらオレンジジュースを飲んでいた。
正面の家の2階で少女が絨毯を叩いて埃を払っていた。
午前のはやい時間帯は火山地形の谷間に風が吹き込んでいて心地よい。
地下都市(イエッルテゥ・シェヒル)の出口前には土産物屋が軒を連ねている。
カイマクルの店主たちは皆おっとりしている。
客たちを品定めするような視線もなく、落ち着きはらっている。
トルコは町によってひとびとの気風が異なる。
昨日、キノコの形をした岩が連なるゼルベ村を見学したあと、近くのバラック小屋の店を冷やかした。
キリム柄に似た綿のベストに一回袖を通すと、若い店の男が「これはおまえのもんだ」と脱ごうとする私の腕を掴んで凄んできた。
「いらない」「おまえのものだ」と押し問答がしばらくつづき、なんとか切り抜けて私は脱兎のごとく店を飛び出した。
男は軒先にでてきて、ころがっている石を投げつけてきた。
男はなにやらわめいて両隣の店の者を呼んで、その両隣の店の男たちまで一斉に私に向かって石を投げつけてくるのだ。
火山地帯とはいえ、人為的に石が飛んできたのではたまったものじゃない。
そうかといえば、アクサライ郊外のキャラバン・サライの土産物屋、ギョメレ村郊外の丘の青空露店にいた、でっぷり太ったおばさんたちは、ただただニコニコしているだけで、「私、ひたすら待つわ」状態だった。
そのおばさんから1個30円のアナトリア地方の民族衣装を着た手作りの人形を3つ買った。
アンカラのヒッタイト博物館では、箱をぶら下げて観光客に寄ってくる、動く土産物屋に追い掛け回された。
彼らは小学低学年の少年たちだった。
「この笑顔がたまんないんだよなー」と、かの千葉のおじさんは、彼のお気に入りの少年からスカーフやらビーズやら絵葉書、ブレスレッドにいたるまでありったけのものを買い漁っていた。
帰国後、トランクを開けたとたんガラクタに変身してしまいそうな代物ばかりで、私たちは見事に少年の術中にはまるおじさんを冷ややかに眺めていた。
しかし、後にして思えば扇子の件もあるし、彼は本当の意味の親善大使だったのかもしれない。
すれからしが多いのは都市部、なかんずくイスタンブールだろう。
皆、口も達者で、最大の顧客日本人への傾向と対策もバッチリだ。
グランドバザールでは思いもかけない言葉をたくさん聞いてきた。
「ちょっとちょっと、お兄さん、見ていくだけタダよ」
「あいしてるぅ、お兄さん、彼女に喜ばれるね」
「秋葉原より安いよ」
あっと驚く禁句用語まで飛び出してくる。
私は皆が見学中なのをよそに見学中真っ先にバスに乗り込み息を潜めて次ぎの目的地に向かうことをひたすら祈っていた―――。
私たちはカイマクルからギョメレへ向かう。
ギョメレはパウロが伝道したと伝られており、カッパドキアのなかでも最も重要な意味をもつ地だ。
4世紀から5世紀のビザンチン時代からこの不毛な地に修道士たちが住み着いていた。
灰色の奇岩の林立する台地や谷間の絶壁に穴を掘り、そこに居住区や教会を定めた。
「――それらの遺跡は少なくとも2,000は発見されているが、どれもわざと「快適な生活」を拒否するような構造だ。たとえば、窓はほとんど掘り抜かれていないし、入口も大半が北向きで、暖炉と思われるような窪みも台所以外にないのである。
それら修道士たちの多くは洞穴に数多くの聖画を残したのだった。「ラザロの復活」や「最後の晩餐」など、聖書の重要な場面を描いたそれらの聖画は、ビザンティンの主要都市の教会堂に残されたフレスコ画に比べれば技法が単純であるが、それだけに素朴な力強さに満ちている。ただ、残念なことに、この地方が11世紀の後半にトルコ化された時、聖画の大半はかなり破損されてしまった。イスラム教徒にとって、絵画など人の手によってた物に対して礼拝するのは最高の冒涜だと思われたからである――。
『アナトリア歴史紀行 東西文明の接点 4千年』大島直政著 自由国民社刊 」
かように、ギョメレは自然がそのまま教会や住居となった村自体が遺跡となっている。
地下都市カイマクルの次は奇岩の教会だ。
修道士たちの敬虔な信仰には、ただただ恐れ入るしかないのだが、豊かな土地を捨て、あえて水も乏しい半砂漠化した谷間に暮らした彼らには、招きいれた―神の意思―があったのだろうか、それともパウロ伝道の執念が結集した―精神性の伝統―からであろうか。
「修道士たちのギョメレ村」は、8世紀から10世紀にかけて全盛期に達するが、やがてトルコ勢力に駆逐されていく運命にあった。
キリスト教の精神と理念に疎い私には、単純な壁画に親しみこそすれ、高尚な精神に近づくことなどもちろん適わなかった。
ただ、キリスト像はすべて顔が削られており、そのことがとても生々しくまた痛々しかった。
それはコンスタンティノープル(当時のイスタンブールの名称)陥落後、ビザンティン帝国千年の象徴であるアヤ(聖)ソフィア大聖堂のフレスコ画が全て漆喰に塗り込められたことと同じで、トルコ勢力にとって「あってはならないもの」、「最高の冒涜」なのだ。
ギョメレとはトルコ語で「見てはいけないもの」を意味するらしい。
「見た」私たちだが、当時の修道士の生活ぶりの面影も、見てはならないものを見てしまったイスラム教徒の驚愕と怒りも、全て遠い昔の遺影でしかない。
草も生えぬようなこの地で繰り広げられた歴史の残骸に、人間のはかなさと力強い生きざまの両面の息吹を感じ取ることが精一杯で、それが私が「ここにいる」ことの証だった。
ギョメレを後にして、まだまだ議論を続けるドイツ人たちと、歩き疲れてともすれば沈みがちな日本人の姿が対照的だった。
バスはアンカラへ向けてひた走る。
今度はドイツ人が皆眠り込み静かになり、日本人はよもや話しに花を咲かせる。
途中、ネビシェヒル郊外のレストランでかなり遅めの昼食となった。
窓際の席に着く。
窓から通りの向こうの家の壁が白く塗られており眩しかった。
カイマクルと同じくここでもピンクの色鮮やかなシャクナゲがたわわに咲いていた。
学校は今休みなのだろうか、小さな子どもたちが素足のままでサッカーに興じていた。
彼らはサッカーボールを熱心に蹴りあっているものの、観光バスがレストラン前に止まると、遊びを中断し、皆で「ギブミーチョコレート」よろしく、観光客に手をさいだしておねだりしていた。
少年たちを相手にせず、私たちと同じくレストランに吸い込まれていく観光客たち。
彼らを尻目に何事もなかったかのように、またサッカーをはじめる子どもたち。
さて、私はカッパドキアの心象風景に浸りながら、食事にありつこう。
窓の外の空はどこまでも高く、スコーン抜けるような青さだった―――。
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