トルコの旅――銀の星と金の月のしたで5


まるくん駅舎




―― 黒い瞳と、白い絹の城 ――






アンカラ空港を離陸する時分には、キャンバスに描かれたような夕焼け空はすっかり黒い幕で覆われていた。
 シートに身を沈めると、今日の行程で全身が麻痺したかのように弛緩に陥り、うとうとと眠りはじめたようだ―――。

 ネブシェヒルのレストランからバスは一気にアナトリア高原を走破してきた。
国道73号線を西へ進み、アササライ郊外より分岐したE5(国道1号線)を北上する。
E5はロンドンからブリュッセル、ウィーン、ブタペスト、イスタンブール、アンカラを経由して、シリアのアンタキア(古代都市アンティオキア)まで結ぶ、ヨーロッパの幹線道路の一つだ。
アンタキアからさらにアフガニスタン、パキスタン、さらにインドへと結ぶ現在のシルクロード、アジア・ハイウェイに繋がる壮大な道路交通網である。
E5を北上すること50キロほどで湖水が見えてくる。
トルコで2番目に大きいトュズ湖だ。
この湖は名の通り塩(トュズ)水湖で、照りつける太陽に湖の水面は干上がり、しかも白く濁っていた。
中央アナトリアは年平均降水量が300ミリと少なく、半砂漠気候地帯である。
猛暑の夏ともなると、塩の固まりが流氷のように湖面を覆うことも稀でないらしい。
トュズ湖を過ぎると、荒涼たる平原が続くのみであるが、ときたま糸杉やポプラ並木が街道沿いにあり、わずかな緑だが心なごませてくれる。
木々があるところには、たいてい村がある。
そして村落の数だけ、いやそれ以上にモスクがある。モスクは鉛筆のようなミナレットがあり一目瞭然だ。
 空港に着き、ユルギュップのホテルの同室者を誘い、空港内のレストランで早めの夕食をとった。
レストランは広く客はまばらであった。
片隅にバーコーナーがあり、壁から吊るされたテレビでサッカー中継を流しており、そこだけひとだかりで騒々しいが、時間は緩やかに淡く夕暮れどきを刻んでいた。
食事はパプリカとトマトを煮込んだシチューとおなじみのシシケバブにした。
羊を串焼きにしたこの料理は、中央アジア、アラビア半島から北アフリカまで共通のご馳走だ。
トルコではドネルケバブと呼ぶ。
白ワインを注文すると、空港内の食堂風のレストランだというのに、ウェイターはうやうやしくワインをワゴンで運んできて、丁重に栓を抜き、味見しろと勧めてきて気恥ずかしかった。
「グッド?」ウェイターは満足そうに去っていった。
窓越しには滑走路が見え、その向こうに黄緑色のなだらかな丘がどこまでも連なり、その先の地平線は桃色に染まろうとしている。
刻一刻と色調が変化する西の空を眺めながらの夕食はなかなか贅沢なひとときだった。
これで美しい恋人が真向かいに座っていれば文句のつけようがない。
あいにく真向かいに座る男は、ラグビーで例えるなら一番前列でスクラムを組んでいそうな体型の高校生だ。
彼は遺跡に大変興味があるようで、テレビでよくみかける吉村作治氏の大信奉者だ。
彼はその尊敬してやまない吉村氏が教鞭をとる大学進学をめざす受験生だ。
翌年送られてきた年賀状に、彼はその大学のラグビーのライバル校へ進学したことを簡単にしたためていた。
ふだんからぶっきらぼうに話すが、そのかわり夜遅くユルギュップの町を徘徊し、私が部屋に帰ったときには、私を無意識に責めるような饒舌ないびきで迎えてくれ悩まされた。
高校生のひとり旅とは恐れいるが、なんと彼はトルコは2回目だという。
その彼とも、もうすぐお別れである。
そして、千葉のおじさんとももうすぐお別れである。
おじさんは珍道中を絵に描いたようなひとだったが、彼独特の思いやりの精神がとても新鮮に写るひとだった。
そんな私の胸中を知らず、おじさんはあいかわらずウィスキーをガバガバ飲み干しながら、いつものように団体参加のおばさんたちを相手に冗談を重ねていた。
 夕日はアナトリアの大地に沈もうとしていた。
水滴がしたたり落ちるワイングラスがピンク色に反射した。
日は完全に落ちきった瞬間、空の色はオーロラを放つかのようになめらかに発光した。

 アンカラ空港を離陸する時分には、キャンバスに描かれたような夕焼け空はすっかり黒い幕で覆われていた。
 シートに身を沈めると、今日の行程で全身が麻痺したかのように弛緩に陥り、うとうとと眠りはじめたようだ―――。





浅い眠りから舞い戻ったのは、わき腹を不規則に刺激するものだった。
朧ながらシートから身を起こして左腰を見やると、サッと引く白い手があった。
その手の主は隣席の金髪に青い目をした6、7才くらいの少年だった。
彼の向こう隣には赤ちゃんを抱いた母親だ。母親の年頃は20代半ばの私とそんなに遜色ないようだ。
赤ちゃんは髪がカールしており赤毛だ。母親の髪は深い海で揺れるコンブのように黒い。
母親は機内というためらいもなく、胸をはだけて授乳していた。
なんびとにも冒すことのできない「母の神聖な責務」であるが、私は目のやり場に困ってしまう。
それは、母親が若くとても美人だからにほかならない。
私は美人ママに悟られぬよう少年をおもいっきり睨みつけ、その場に終止符を打ったつもりだった。
だが、やんちゃ坊主の暴動は収まらない。
今度は私の膝に動物のプラスティック人形が飛んできた。
そして、私の膝の上で少年の手による動物たちの「冒険」がはじまるのだ。
少年は物心が十分ついている年頃だが、公共の場と異国の人双方にためらいなく我流の遊戯を続ける。
「こらっ、めっめっ」機内のざわめきではかき消されることのない声に、母が気づいたようだ。
母のたわわな胸はすでにシルバーの光沢のあるシャツの中に収まっていた。
「オーヘンだめよっ。どうもごめんなさい」
オーヘン少年はふて腐れていたが、私には嵐のあとの春のささやきのように聞こえた。
厚い黒雲の隙間からカーテンのような陽光がやわらく包み込んでくれる心地でいた。
母親の眼と正面と逢った瞬間、その黒く大きな瞳と、その瞳を引き立てる均整のとれた顔立ち、すらりと伸びた鼻筋、りりしい眉毛、天使の微笑みのような口元、・・・・・なんと美しいひとだろう。
私は思わず赤面し、さきほどのおっぱいが脳裏に浮かんでは消え、また浮かんでは消えた。
母親はオーヘンを再び叱りつけた後、私に償うかのように話しかけてきた。
「日本の方ですか?どちらに観光へ?それともお仕事ですか?」
顔立ちにふさわしい透き通った声で、小鳥がさえずるようにやさしく問いかけてきた。
「ええ、そうそう、日本から。カッパドキアを観光してきました」
少年の行儀悪さが与えてくれたこの機会を逃さまいと、何か語りかけねばと焦るのだが、咄嗟では英語がでてこない。
何か質問でも、何か質問でも・・・・・・。
「アンカラに住んでいるんですか?それともイスタンブール?ああ、イスタンブール。なんてかわいいお子さんたち(嘘だってつくさ)。行儀がいいし(大嘘)。男の子は何才?お母さんそっくりだね(どこが)・・・・・」一気にまくしたてた後、最後にトーンが下がった。
「ところで、夫は?」
彼女はイスタンブール在住。汽車やバスを乗り継いでブルサ、イズミール、パムッカレを巡ってきた。
女の子は2才、男の子は6才。「さきほどは本当にごめんなさいね」
森のリスのようにやさしく耳を傾けて、黒真珠の瞳とゆりの花びらの唇で微笑まれた。
森でなくても、妖精はいるのだ。
イングリッド・バーグマンにオリエンタルなスパイスをふりかけたような容姿の妖精はトルコ人。
この瞬間から、トルコのでっぷり太った往年の(?)美女としかご縁のなかった私のトルコ女性観はコペルニクス的大転換を遂げた。
最後の質問に妖精は歌うように、そしてトーンをあげてつけ加えた。
「夫はドイツ人で、今はシュトットガルトで仕事をしているの。私たちはオフィスで出会ったの。あ、私の名前はビセルよ」
最後の質問は、はやり余計だった。
森から舞い上がる恋にも似たバルーンは急激に縮んで墜落した。
だが、ささやかな謎は解けた。
母、少年、妹、みごとに瞳と髪の色が違うはずである。
「イズミールはエフェソスやペルガモの遺跡が近いよね?そこも巡ったの?」
「あら?トルコは何回目?詳しいのね(笑)。あいにく、この子たちと一緒じゃ無理ね。ブルサ、イズミールで静養して、私の故郷のヤルバチへ行ってたの。そしてパムッカレに行ってアンカラから今日帰るところなのよ・・・・・・」
 イズミールはトルコ側地中海沿岸きっての都市だ。
エフェソスは世界7不思議とされるアルミテス神殿などイオニア人の古代都市だった遺跡がある。
ブルサはローマ時代から温泉の湧く保養地で、オスマン時代は絹の町戸として栄え、乾いたアナトリアにあって、ブルサ=緑という町の名のとおり緑が多い町である。
地中海、エーゲ海、黒海、東部アナトリアなどまだまだ知らないトルコは多い。トルコは広い。
パムッカレは写真などでよく知っている。学生時代、私が愛飲するマイルドセブンの「白い世界シリーズ」のCMで知った。そのときからトルコ熱がはじまったといってもいくらいだ。
白い石灰棚が幾重にも重なり、背景の空の青さと対照的でとても美しく印象に残っている。
いつか行ってみたい場所のひとつだ。
今こうしてトルコにいることもそうだが、トルコ行きを渇望していたあの頃を思い出す。
「パムッカレ、よかったですか?雪山みたいだよね」
「ええ、あそこにも温泉があるよの。この子たちは温泉につかってたの。私は足だけだけど(笑)。とても美しいところで、まだまだ外国の方は少ないし、お勧めよ。あなたは?カッパドキアはどうだったの?私もまだ行ったことがないわ」
「すごくよかったよ。デュリュンクルという丘から白灰岩の連なりが夕日でピンク色に染まりその景色がとても感動したよ。ほかにもキノコ岩の奇岩や、なんだか月にもいるような気分だったね」
―瞼の裏に残っている―こう表現したかったのだが、英語が皆目検討つかなかった。
そして、私は当時開発されたばかりのズームカメラ付きコンパクトカメラを、旅行でいつも持ち歩く黒カバンから突然取り出し、ビセルに見せた。
実はさっきからウズウズしていたのだ。
「彼女を撮る」絶好の機会が訪れた。どうでもよかったオーヘン(笑)たちを撮るふりをして、彼女にピントを合わせて何枚か撮らせてもらった。
 まだ、アンカラ空港のレストランでのワインが効いていた。
私は、ワインの魔法にかかるといつも饒舌になる。
私たちの座席周辺には日本人が多くいた。
さぞかし、皆、苦虫をつぶしていたことだろう。
私も千葉のおじさんと遜色のない振る舞いだったのかもしれない。
いずれにしても、あのとき、私は黒くやさしい光を放つ瞳と向かい合う喜びに浸っていた。
この飛行機がわずか1時間ほどのフライトではなく、世界一周でもしないかと本気で願ってみた。
しかし、まもなくイスタンブールだ。
二人の会話に夢中ですっかり忘れかけていたオーヘンが再びわが道を行く実存主義を発揮した。
なんと、私の膝で寝息を立て始めたのだ。
「もう。オーヘンったら」
かりそめの恋人は母親の顔に戻ってしまった。
ビセルが心底申し訳ないという顔をしたのは出会ってはじめての会話以来だ。遠い昔のことのようだ。
ビセルは彼を起こそうと彼の頬をしなやかな指をもつ手のひらで軽く一回叩いた。
私も彼女のよき理解者たる紳士(?)に戻った(?)。
「どうか、気にしないで・・・・・。僕もこんな時期はあった」
「それは、私も同じことだわ」二人で笑った。
彼女は春を待ちわびる北極圏の森のミンクのようにかわいらしかった。
いろんな笑顔のできる女性こそ最も魅惑的なひとだと、私は今でも思っている。
「僕が彼を抱いて飛行機を降りるから」
「いえいえ、そこまでしてもらっては悪いわ、結構よ」彼女はキッパリと断ってきた。
彼女はつつましいトルコの女性であり、妻であり、母親なのであった。
エーゲ海の潮風に育まれたようなレモンの香りがした。
コロンヤだ。






しかし、醒めかけた酔い心地は、夢から覚めるよりすばやかった。
レモンならぬブドウの魔法はまもなく消える。
森の妖精たちが消えようとしている。
私は最後の思いを込めて、トルコへの再訪と彼女との再会を熱く語った。
「あなたは、本当にトルコが好きなのね(笑)。私はどうかしら、私はドイツに永住したいわこの子たちのためにも。夫と結婚したことでいつか市民権もえられるし」
このときに限って、ユリの花弁に刺があるかのようにきつく一文字に結ばれた気がした。
間が悪くなった私は、彼女に記念に、また再会の記憶に、と世界でも珍しい穴が開いたコイン、5円玉をあげた。
ご縁を、と洒落てみたところで彼女に通じるわけもないのだが。
彼女は素直に喜んで受け取ってくれた。
「お礼に私も・・・・・・そうだわ、トルコはインフレがすごくて最少貨幣が千トルコリラ紙幣になってるいの。トルコのコインがいいわ」
「そう、イスタンブールやアンカラではもう出回ってないみたいだね。でも、田舎でお釣りなんかでもらったのを記念にとってあるんだ。そうだ、ドイツのマルクコインはある?」
彼女は嬉しそうにうなずいて、赤ちゃんをシートに預け、リネンのシャツをまくりあげて、締まった体から想像できなかった太い小麦色の腕で座席上部の収納ケースからボストンバッグをまさぐった。
しばらくバッグのなかを漁る様子だったが、残念ながらコインは見当たらなかったらしい。
「ごめんんなさいね」彼女は申し訳なさそうに言う。
いまだ、私の膝をまくらがわりに眠るオーヘンが悪戯をして出会いのきっかけをつくってくれたときと同じような顔をして誤る。
「全然、平気だよ。ノープロブレム」
旅の会話もいよいよ終焉を迎えていた。
眼下にはイスンタブール郊外の街の灯りがまたたいており、その夜景がどんどん近づいてくる。
飛行機は大きく旋回し、上下に揺れながら低空飛行になった。
トルコ航空の異常にアイシャドーの濃いスチュワーデスがシートベルト着用を促すため通路をせわしなく行き来していた。
私は膝のオーヘンに苦労しながら窮屈にシートベルトを締めた。
1時間足らず、私にとってささやかな希望と夢を運んだ飛行機は闇のなか、アタチュルク国際空港に滑り込んだ。
 着陸して、彼女は慌しくボストンバッグを取り出し、私への挨拶もそこそこにすがる表情をみせて
こう言った。
「助けてちょうだい。すみません」
私は彼女の4回目の「ソーリー」がすぐ理解できた。彼女の片腕に赤ちゃんが抱かれ、もう片方にはボストンバッグが握り締められている。
揺り起こそうとしてもピクリとも動かぬオーヘンを私は窮屈に抱きかかえて、タラップを降りた。
私の淡い希望のロウソクはまだ灯されたままだ。
―どうも本当に助かったわ。旅のひとにこんなによくしてもらえるなんて・・・お礼に・・・・・―
私のあつかましい妄想も健在だ。
 彼女の後ろ姿を見据えながら空港ターミナルの通路を歩いていたとき、いきなり脈絡もなく頭をもたげたことがある。
飛行機での会話すべてが彼女にとって―予定調和―だったのかもしれない。
オーヘンは死んだように動くことなく、彼女は彼を起こそうともせず、私に真っ先に彼を抱いて空港へ向かうことを頼んできた―――。
彼は思った以上に重く、腕はちぎれそうだった。
顔をしかめる私を、後部座席あたりに座っていた中年夫婦たちがくすくすと笑いながら追い抜いて行く。
 ようやく到着ロビーにたどり着いた。
ロビーの椅子を探し、オーヘンを置き、彼を強く揺さぶり起こした。
ビセルはその間、赤ちゃんを抱いたまま案内カウンターで話し込んでいた。
私は機内預けの荷物が出てくるコンベアーに向かう。
オーヘンが気になり振り返ると、ビセルがオーヘンの傍らに立っていた。
彼女はすまし顔でこちらに一礼して、赤ちゃんを抱え、オーヘンの手を引いて空港を出て行った。
私は唖然としたまま、コンベアーと彼女が出て行った空港出入り口を交互に眺めつづけていた。
「いやー、さっきは楽しそうだったねー。機内で一番楽しそうだったよ。いつからあんなに大きな子どもができたのか、びっくりしちゃったよー」
千葉のおじさんだった。彼も私の肩を叩いて「じゃあ」といって団体のひとたちと去っていった。
 市街へ向かうシャトルバスの窓にもたれかかれ、イスタンブールの街灯りを眺めながら、ある思いに囚われ続けていた。
機内でビセルが、私が持ってる地図に指さした生まれ故郷ヤルバチは彼女たちが巡ったコースから随分離れていて、むしろ私たちが巡った中部アナトリアに位置する。
あのときの会話が走馬灯のように駆け巡り、彼女が口にした地名が蘇った。
ブルサ、イズミール、パムッカレ――――。
ある共通するキーワードで結ばれた。
温泉――保養地――。
母親の残像ばかりで私は大事なことを見落としていたのかもしれない。
子どもたちのことに何も気づいていなかった。
赤ちゃんは2才くらいになるのに何も喋らず、オーヘンの奇行癖はもしかして―――――。

 帰国後、しばらくしてからあの親子3人の夢をみた。
―白い絹の城―とうたわれるパムッカレの白灰棚の岩の温泉で子どもたちがはしゃいでいる。
黒い瞳の母親は長い髪を後ろで束ね、ズボンをたくし上げて足だけつかっている。
夢のなかとはいえ、彼女が水着姿でなかったのが残念だった。
一瞬だけ垣間見た、彼女の胸の形も忘れていた。


つづく



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