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カメルーンの旅 その3
「ガドゥーーーーーーッ!!」
バスのエンジン音にかき消されそうだったが、たしか彼はそう叫んだ。
バスはジズ山をかすめて、昨夜のデコボコ道をモコロへ向けて帰る。塔のような岩山があちこちにそびえる様は、たしかに月面を思わせ、圧巻だ。
モコロからさらに北上し、バスは車一台がようやく通れるような森のなかの道を行く。
次にめざすのはトゥルの村だ。
トゥルでは木曜に市が開かれる。モコロの水曜市で懲りてはいたのだが・・・・・。
森を抜けると平原になり、平原を抜けるとまた森になる。
平原にバオバブの木があった。葉が全くつけてないのは、若葉が食用になるので人の手で丸裸になる。
写真などでよくみかける西アフリカのバオバブは幹の周りが10mに達するのはザラだし本場マダガスカルのロケットが逆さにつきささったような自然の神秘さもない、今見上げているバオバブは夕焼け空のルムスキィへの道中みたのと同じようにかなり小ぶりだ。
カメルーンのバオバブは概して小ぶりなのである。
根は50m四方に張り、雨期早く葉をつけ、白い花が下がって咲く。幹の周りにはあちこちに枯れかけた花弁が落ちていた。この花の蜜を吸いに来るコウモリが花粉を媒介し、楕円形の大きな実がなる。
若葉も実の中に詰まっている果肉も食用として重要で、樹皮は細く割いて綱を作る。あらゆる面で生活にも欠かせない木なのだ。木の近くで少女がお盆に載せた採れたてのバオバブの実を見せてくれた。
人気のない森のなかに突然綿市場があった。
大量に真っ白な綿が積まれ、たくさんのひとだかりであった。
そして、森や平原からときおり妖精が現れたものだ。
道中、どこからともなく子どもたちが現れ、バスと並走しながら手を振り、口々に叫ぶのだ。
「ガドゥー」と。フェリ・フォリ・マジリと同じだ。
彼、彼女たちはめずらしく、―最後まであきらめない―、というアフリカにはないような(笑)精神に満ち溢れていた。たのもしいかぎりである。
女性ガイドのジュリアンに何を言っている意味なのか尋ねる。
「北部山岳地域のキルディ族の言葉で―ちょうだい―、よ」なんだ、そういうことだったのか(笑)。
トゥルの木曜市は驚くほど盛大に開かれており、市の手前の広場でアタシは大勢の子どもに囲まれた。
道中の友好的でけなげな、かつ微笑ましい子どもたちと違い、あきらかに眼つきが悪く恐怖すら覚えた。
彼、彼女たちは一斉にアタシに向かって言う。
「ガドゥー」と。
まるでドゥアラの明け方、目覚ましがわりだったカエルのようだ(笑)。
トゥルを離れ、今日の宿泊先ワザへ向かうため、さらにチャド方面へ北上する。
道中、岩陰や草むら、森の中とところかまわず、また大勢の子どもたちが忍者のようにどこからともなく現れてこちらに叫ぶ。
ひとりの少年はバスを必死で追いかけてこれを買わないか?と叫ぶ。
緑のカメレオンだった。
アタシは思わず窓を開け、叫んだ。
少年が後に小さくなるまで叫びつづけた。
「ガドゥーーーーーーッ」と。
合言葉は「ガドゥー」なのだ(笑)。
―― 砂漠の縁の「部族」というアイデンティティと― ――
トゥルのマーケットは思わぬ盛況ぶりだった。
マルアのマーケットで懲りていた一同も、トゥルではアドレナリンが上昇し興奮状態だった。
マーケットではキビやアワなどの穀物やキャッサバ、バナナを蒸したもの、ヤム芋を茹でたものなどの食料から、パパイヤ、バナナなどの果物。テコラッタの土器や壺。そして色鮮やかな女性の服や生地、男性用の服、草履、帽子、男性ムスリムが着るガラベーヤなどもあった。
これらが、縦横無尽に張り巡らされた路上に道端に広げられているのだ。
青空散髪店などもあり、ルムスキィ散策でさらに悪化した感じの痛い足を引きながらでも、興味が尽きなかった。
このマーケットでひときわ目立つのが女性たちである。
村が近づくにつれて、道を歩く女性がヘルメットを被っているのに奇妙な感じがしていたが、市場に着いて驚くことに女性の頭にはヘルメット、ヘルメット、ヘルメットなのであった。
ガイドのジュリアンによれば、これはカラバッシュというひょうたんの一種をくり貫き、染め上げ装飾をして被る帽子だそうだ。
トゥルのマーケットで最も目を引き、そして大小さまざまなこのヘルメットのような帽子もたくさん売られていた。カメルーン北部キルディ族のうちトゥル周辺部族の伝統的ファッションなのだが、アタシにとってはどこか信仰宗教のように映り、ひとりでおっかなく感じもし、おかしかった。
女性はこのヘルメットのような帽子に大きな荷物を預け、手で支えて運ぶ。
伝統的な服飾ついでに、北部山岳地帯のキルディ族の女性は、懐妊すると、健康な子どもが授かるようにマルアの木とビーズで作った人形を腰に巻きつけて持ち運びするそうだ。
持ち運びといえば、アフリカでは伝統的に女性は頭にものをのせて運ぶのだが、道中おもしろいものをみかけた。
その前にカメルーンの経済に触れておこう。国民の60%は農業に従事、輸出額の半分以上は石油により、国民総生産は1995年統計で84億ドル、1995年人口推計で1328万人の人口で、国民一人当たり630ドルである。
政府歳入の輸出総額の大半は石油(1970年代リンベ沖で海底油田が発見され石油開発が開始され、精油所がリンボー・ポイントに建設されるなどして90年代初頭に原油産出量が年間6100万バレルとなった)によるが、石油以外にもこの北部地方では高品質のボーキサイト鉱がある。
カメルーン最大の発電所があるサナガ川沿いのエデアにはカメルーン最大規模企業のひとつであるアルミニウム精錬プラントがあり、輸入ボーキサイトを原料として年間約9万2千トンを生産している。
しかし、国民の経済を支えているのは農業と林業だ。
トゥルへの途中見かけた綿花などもそうである。綿花は1kgを100CFAで政府に買い取られるそうだ。カカオ、コーヒー、タバコ、バナナなどと同じく綿花も重要なカメルーンの輸出用作物だ。
林業ではマホガニー、コクタン、チークなど木材も重要な輸出品目だ。
漁業は近年ドゥアラを拠点とした大規模漁業も盛んになりつつあり、年間約8万トンの水揚げがある。
ちなみに、カメルーンの国名は、15世紀末、沿岸部に訪れたポルトガル人がカメルーン山南部の河口付近を「リオ・ドス・カマロス(エビがたくさんいる川)」を意味するポルトガル語でよんだことに由来するらしい。
ようやく「運ぶ」話に戻るが、政府歳入の大半の石油に関して、ここ最北部カメルーンでおもしろい現象を見かけたのだ。今回訪れたルムスキィにしてもモコロ、トゥルにしてもほとんどの村がナイジャリアの国境近くにある。ルムスキィ―モコロ間はほぼナイジェリアとの国境に沿って道路が縦断している。
ルムスキィなどは、フェリと朝の散歩したような感覚で、丘なり小さな山なりを越え歩いてすぐがナイジェリアなのである。
道中、おもに女性が大きな壺やバケツを頭の上に乗せて運んでいるのをみかけた。
ジュリアンによれば、「ナイジェリアまで石油を買いに行く」のだそうだ。
豊かな経済力の石油産出国隣町ならぬ隣の国へバケツを持って石油を買いに行くというねじれ現象がおかしかった。
ねじれ現象といえば、第2次世界大戦後、フランス領で政治意識の高まりがみられ、1958年に自治政府が発足し、60年には完全独立を果たし、国際連合にも加盟した。
その翌年、イギリス領ナイジェリアの帰属をめぐり国民投票が実施され、南部ナイジャリアはカメルーンへ。北部ナイジェリアはそのままナイジェリアへの帰属が決まった。
アフリカでも最大規模の製油所をもつナイジェリアのほうが10分の1くらいの価格で買い求めることができるそうだ。
左右の車窓からは、なだらかな丘が続く道になり、ズーバム村の近くでランチタイムだ。
ルムスキィのカンプマンで作ってもらったサンドイッチを青空の下で食べる。
この地域はとくにサレが綺麗だ。ちょうど岩に腰掛けてサンドイッチをほうばるアタシの視線の先は谷間に建つサレがあったのだが、ちょうど子どもをおんぶした若い女性がサレに向かい歩いていた。
その姿をビデオで撮っていたら、女性はこちらに気づいたようでビデオのズームしたファインダーを通してその女性と目があってしまった。慌ててビデオをまわすのをやめた。
食事後、しばらく日光浴などして過ごしていたら、崖の薮がざわざわしだした。
なんと谷底の平原から子どもが今アタシがいる岩の丘までよじ登ってきたようだ。
すぐに察したのは、さきほど目があったような気がした女性が教えたのではないか、とうことだ。
―あの岩山に東洋人らしきひとがいるわ。なにかくれるかも―なのだろう。
そして、異邦人をみかける度にこの地域の子どもたち誰もが言う言葉「ガドゥー」なのだ。
彼らをシッシと追い払い、また日向ぼっこだ。
また動くもの。岩から木に移動するトカゲだ。
カメルーンは大小さまざまなトカゲがいる。
母親、子どもときて、今度は木の幹からトカゲがこちらを見ているような気がしてならなかった。
ズーバム村を発ち、サレが最も美しいとされるラマン村に寄り、約2時間半かけてモコロに戻る。
ようやく舗装道になった。中古バスの振動のたび足に負担がかかるのだ。
カメルーンの道路の総延長距離は約7万キロに達するが舗装率は南部ドゥアラ、ヤウンデ、中部ンガウンデレ、北部主要都市ガルアなどにかぎられたわずか11%である。雨期にはしばしば通行不可能となるのは熱帯地方である中部アフリカの他の国と同じである。
今回の旅では、先日ステップ気候の北部ではめずらしくまとまった雨が降り、道路が川状態だそうで、トゥルの先にある部族の族長の宮殿があるマバスへ行けずじまいだった。
―ないないづくし―カメルーンの度のまだほんの序の口である。
道路のほかドゥアラ―ヤウンデ―ンガウンデレ間約1100キロの鉄道網がある。
ただし、1日2~3便で1等と2等あるうち2等はものすごい混み具合らしい。
ドゥアラ―ヤウンデ間が所要時間約4・5時間、ヤウンデ―ンガウンデレは12時間である。
夕刻迫る5時半にモラの町に到着し、給油を行う。
モラもナイジャリアの国境がすぐ近くで、大型タンクローリーが頻繁に通る。
北部山岳地帯のガソリンスタンドはほぼナイジェリア産のガソリンらしい(笑)。
ガソリンスタンドのカフェでビールを飲んだあと、スタンドの裏を散策した。
大きなアリ塚があり、野ブタがそのまわりをウロウロしていた。
そして、そのすぐ近くで、ジュリアンの助手のジダとドライバーのサイードが小さな絨毯を広げ、礼拝をしていた。メッカがある西の太陽が沈もうとしている方角に。彼らはムスリムだとすぐにわかる。
ボスのジュリアンはクリスチャンだ。
翌日の夕方、ウジラからモラへ向う道中、教会に大勢の信者が集っていたが、アタシたちのバスを見つけるや、みんなにこやかに眺めているだけだったが、それを見てジュリアンは、
「クリスチャンはほかの宗教と違い、行儀がよい」みたいなことをジューク混じりに言ってのけた。
カメルーンは人口の約50%はキリスト教徒で南部森林地帯や南西部グラスランドの都市部などに集中している。約20%のイスラム教徒は北部山岳地帯、ステップ地帯に多い。
いずれも外部(外国人)からの改宗・流布によるのが、実はこれらの一神教はアフリカの地が発祥なのである。
約5千前よりはじまったアフリカ大陸の乾燥化(砂漠化)が一神教の成立の産物なのである。
パリからアフリカへ空路入ったとき、眼下にあったアルジャリアのタッシリナジェール。
その地域一帯にある岩にある壁画はいずれも緑豊かな時代を反映した動物たちが描かれている。
5千年前まではアフリカ全体が緑豊かな大陸であった。
生活の源である太陽、雨、水(川)、土地の肥沃、生産力あらゆる自然の恵みのあらゆる「力」を神格化・神聖化し崇拝するので自然崇拝は多神教であることは必然である。
しかしながら、緑豊かな土地が砂漠に変わるということは、雨が少なくなり、川は涸れ谷となり、泉は干上がり、土地は農作物を生み出さなくなる。
「力」が次々と消滅し、神が宿るどころか、神がいなくなるのである。
文明の曙、古代エジプトでは、大河ナイルの恩恵により砂漠化はまぬがれ緑豊かな地であった。
しかし、乾燥化は徐々に進行し、ひとびとはナイル川を唯一崇めるのだが、その偉大なナイル川の水位の変動をもつかさどる太陽がやがて唯一神となり一神教が成立したとされる。
アフリカの砂漠が一神教を成立させたのだ。
その後、サハラ=エジプトの外縁シナイでユダヤ教、キリスト教が、サハラ=エジプトの隣接アラビアの砂漠でイスラム教が誕生・成立したことも明白だ。
砂漠の宗教は都市型宗教ともいえる。
イスラム教を興したムハンマドもメッカの商人であったが、都市商人の交易の対象が砂漠の遊牧民で、
交易対象のひとびとを改宗してていったため、イスラム教圏はアジア・アフリカ大陸においてインドネシアやマレーシアなどの諸島部一部を除き、ほぼ乾燥地帯と分布が一致する。
カメルーン北部は砂漠化したチャドと地続きであり、17世紀、農牧民フルベ族がウシを追いチャド湖周辺までが入り、18世紀には緑豊かな中部カメルーン、アダマワ高原まで上ってきた。
19世紀はじめ、ナイジャリア北西部のハウサ族の土地で、フルベ族のイスラム教師によりジ・ハードが起こり、呼応するかたちで北カメルーンのフルベ族の首長たちもジ・ハードに加わり各地でフルベ族の農耕民ブーム族などへの征服とイスラム改宗が進み、北カメルーンは一部を除き、フルベ族イスラム勢力の支配下となった。
フルベ族はほぼ部族宗教ともいえるイスラム教徒=ジュルド(複数ジェルベ)と呼び異教徒と区別した。北部カメルーンではフルベ族のほかカヌリ族、ハウサ族、マンダラ族をジェルベと呼び、異教徒をカード(複数はハーベ)と呼ぶ。
一方、キリスト教はイスラム教が砂漠化した北アフリカの遊牧民・都市部への伝播にとどまったのを、遅れること18世紀、宣教師派遣による文化・宗教伝播活動と経済的・政治的支配の植民地化という表裏一体の政策により、ジャングル奥深く、大河からはずれた支流の小村・部族などへも伝播していった。
自然の変化とは民族そのものとも深く関わってきたのである。
マルア、モラもフルベ族が多く分布する町である。
ジュリアンがどうしてキリスト教徒なのか、また彼女の部族も聞かなかった。
フルベ族はたくさんのサレがひと集落をなすことで見てきたように一夫多妻制だ。
夫をともにする女性はそれぞれ別の妻から身を守り、富を得るためお守りのようなものを首につけ、
髪に縫い付ける。そのうえにスカーフを巻き頭も守る。このように護符を身につけることはアフリカの黒人ムスリムの特徴であるらしい。
ジダとサイードの礼拝も終えたようで出発となった。
すっかり日没となったが、ワザはまだ遠い。
途中、フルベ族の家畜に飲ませるための井戸に寄った。ここでも少年たちが構えている。
大きな木製の手動式汲み取機械をテコの原理で水を汲み上げてみせ、金を取ろうとする。
彼らが口々に言ったのは明らかに「ガドゥー」とは異なる言葉だった。
ジュリアンもわからないと苦笑いする。
今日一日だけで、いくつの部族をみてきたのかも、わからないくらいだ、という。
なかでも本日の行程でよくでてきた、フルベ族について少し調べてみた。
「――今日、フルベ族といわれる人は、西はモーリタニア、セネガル、東はカメルーン、チャド、あるいはさらに東方のスーダンにいたるまで、サハラ砂漠の南縁のサバンナ地帯に分布している。その正確な数は不明であるが、800万とも10000万ともいわれる。
セネガルのフータ・トーロ、ジャロー、カメルーンのアダマワ地方あんどでは、たくさんのフルベ族が集まって住むが、大部分は他の間にちらばって住む―――。
―――他称はフルベ族の自称に似ているが、それ以外のものはフルベ族をどのようなものとしてとらえているかを示していてたいそうおもしろい。
モシ語のシルミーシは、「赤い皮膚をした、ずるいやつ」という意味あいをもつ。ムスタグ語のチョグチョゴ、チュクチュケは、その言語の音を表しているらしい。ムブム語のビラは「牛乳をしぼる」から
「搾取する」を表しているといわれる。フルベ族は北部カメルーンのムブム族を支配して、搾取してきたという意である。ヒデ語のプラサルは、「馬に乗った民」という意味である。
なお、西スーダンの住民たちは、呼称に形容詞をつけて使うことがある。たとえば、ボルヌー語のフェラタ・カルマがそうである。カルマとは、野原という意味で、フルベ族が街より野原に住んでいるということを示す――― 『民族の世界史12 黒人アフリカの歴史世界』川田順三編―9フルベ族の歴史―江口一久著 山川出版社」
著によれば、「フルベ族がどこからやってきたのかとうことについて今日まで数々の説がある」のだそうだ。
フルベ族は聖書にある「フット」や「プル」をフルベ族とするハム系民族説、アラブ人ウクバの子孫とする説、フルベ族に特有の家畜であるゼブウシの起源地より到来したという説、セネガル川流域にトゥクロールと呼ばれるフルベ族の言語を話す黒人が古くから住んでおりそれらがフルベ続の原型とする説などさまざまだ。
かように民族のアイデンティティを探っていくことは、フルベ族にかぎらず誠に難しい。
しかも、200もあるカメルーンの部族だが、そもそも民族の定義とは、「あなたは何部族ですか?」と問われ、「フルベ語を話し」「自分はフルベ族だ」と宣言するひとのことを示す、というとてもこんがらがる話しから始めなければならないのだ。
アタシは誰でしょう―――。
せいぜい、アタシたちは、自分の嗜好や趣味の範疇でしか、自分というアウトラインを語るくらいの術しか知らないように思えてならない。
アタシは誰でしょう?と問われて、明瞭明白簡潔完結に語れるひとはいないはずだ。
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