セイシェル旅行記 その6


メリディアン・バルバロン敷地の果ての部屋にて
昼下がりのうたたね テレビはオリンピック
振り返れば やつがいた 

さて、予告なしの変更である――――。
「今日、9時の約束ですから来てね」
「え?」
胃がきりきりする。
胃のなかでシャンパンが発砲したかのようだ。
もう一度、ナディア姐から渡されたメモを読みかえす。
「10:00にホテルのロビーに来てね。マリエルが待ってるわ」
何度読んでも書かれているのはこれだけだ。
しつこいくらい、念を押してナディアに確認したはずなのに、なんだかな~。
セイシェルのシュールリアリズムだわい。
「今、何時?」
振り返る。
ベッドの上で胡坐をかき、暢気にテレビで北京オリンピックを観ていたハニーに聞く。
「今?8時よ」
「おい、急ぐことになったよ、だから急げ」
「出かけるの?」
「そうです!」
自分は慌てる。
急いで水着を着て、お出かけ用の服に着替え、シュノーケルセットを用意し、リュックサックに着替え、常食用のおやつ、不測の事態?に備えトイレットペーパーを詰め込み、忘れてはならない本日のウィスキーをペットボトルに注ぐ。
その間、素早く10分。
で、ハニーである。
私に促されても素早く着替えるどころか、スーツケースのなかを今更ながらあれこれ物色し、結局何を用意したのか存ぜぬが、待つこと40分。
やれやれ。
ゆったりバカンスを楽しむヨーロッパ観光客が大勢いるプールサイドを、トッポイ東洋人が荷物を両脇に抱え小走りで横切り、フロントへ向かう。
「まるで、漫画だわん(泣)」
ついたとたん、汗がとめどもなく流れ出す。
これは運動からくる汗ですね。
フロントで、昨日チェックインのサポートをしてくれた顔見知りのメガネの女性に笑顔をつくる。
「やあ、呼んだ?」
「あっちよ」
彼女はニコリともせず、事務的に指をさす。
「あれ?」
彼女が指さした方向を見る。
フロントから少し離れた大きな鉢に植わった椰子の木の葉陰に、簡易な案内デスクが設けられていた。
女がチョコンと座っている。
タカマカの木に彫ったクレオール人形の置物のようだ。
デスクの上には「クレオール・ホリデー」のプレート。
「え?また?あれ?」
クレオール人形ナンバー2は私たちに気づいたようだ。
フロントの女性とは明らかに違う商業用微笑を投げかけてくる。
私はひきつり笑いで返す。
「ゲッ、ロビーで待つというんは、こういうことだったんか?」
「空港に行く迎えじゃなかったんね?あのひとがマリエルなん?」
この移動デスクが―10時に、ロビーで、マリエルが、待ってるわ――だったのか。
「こんちわ、あなた、マリエル?」
「いいえ、キャサリンよ」
私はずっこけそうになった。
気を取り直し、彼女に促され小さなデスクを挟んで席につく。
「待っていたわ、マリエルよ、の別人キャサリンよ」に、再び商業用微笑を投げかけられ、再び引きつり笑いで返す。
この辺りが、「言葉の通じない日本人は不気味」な要因だろうな。
でも、キャサリンの微笑みも、それはそれで不気味ですよ、あなた。
それに、キャサリンの「微笑み」、これは昨日のナディアの「目ヂカラ」以上に手ごわそうだよなぁ~。
吹き抜けには風が入ってくる。
ロビーは閑散としている。
マンゴロビアには、遅めの朝食というかブランチをとる客がまばらにいる。
ほかの多くの宿泊客はすでに今日一日、思い思いの行動にでかけているはずだ。
しかも今日は日曜日。
このデスクは、私たちのためだけに設けられたものだろうか?
「あなた方はラ・ディーグ島へ希望でしたね。でも今日はもう遅いのでラ・ディーグは無理です。それに今日は日曜ですしね」
「え~~?!!」
ガーンと鐘が鳴る鳴る法隆寺、である。
そうなのか?そうだったのか?そうきましたか?ええええいっ、それは全く予期せぬことでしたとも!
すごいショックだ。
今日はふたりきりで、そしてなんとしても自力で、マヘ島からプララン島経由でラ・ディーグ島へ渡る。
そして、薔薇の花びらが開いたような花崗岩が連なるアンス・スール・ジャルダンを目ざす予定だったのに。
そこは、恋人岩と称される花崗岩のビーチ。
恋人岩がふたりを待っている。
ああ、それなのに。
ああ、それなのに、それなのに。
今日、ラ・ディーグ島へ行けないばかりか今日一日の予定がまるで狂ってしまったではないか。
それに、明日はセント・アン国立海洋公園への一日ツアーに参加する計画だったのに。
セント・アン海洋公園へのツアーもちゃんと事前に下調べしてある―――。
― セント・アン国立公園日帰りツアー ―
【料金】出発地:マヘ島の各ホテルよりピックアップ
大人$184  子供$148
【目安の時間】
7:00頃~16:00頃まで(昼食つき)
【内容】
マヘ島から最も近くてセイシェルで最初の国立公園になったセント・アン島への日帰りツアー。
ヴィクトリ港からフェリーで出発、セント・アン島到着後、グラスボトムボートに乗り換えてリーフ
サファリへご案内。
泳ぎが苦手な方でもクリスタルクリアーウォーターの水中の世界を垣間見ます。
途中、ガイドがパンクズを用意しますのでフィッシュフィーディングをお楽しみください。
沢山の熱帯魚がワンサカやってきます。
サーフ島沖を行き美しい風景をお楽しみください。
モヨネ島へ上陸し美しいホワイトサンドビーチにて海水浴をお楽しみいただくか、スノーケリングご希望の方は別途ご案内致します。
昼食は島のレストランにてクレオール料理のビュッフェをお楽しみ頂きます。
昼食後はそのまま自由行動、島を歩けば伝説の海賊達の墓や100年以上も生きるゾウガメなど各自にて見学ください。
夕刻ホテルへ送迎致します。
【注意事項】
タオル、水着、サングラスなど各自持参ください。
英語又はフランス語でのご案内となります。
他のお客様と混載してのご案内となります―――
全くの予定外である。
今回の旅行で楽しみにしていたセント・アン海洋公園とラ・ディーグ島どちらかの予定が立てられないことになってしまった。
セント・アン海洋公園巡りの出発は朝7時予定だから、今日はもう無理。
「明日、ラ・ディーグ島へニューポートからボートで行きます。そこからバイクで自由行動ね」
キャサリンはこちらの言い分なんかまったく聞く耳もたないつもりでツアーを説明しはじめた。
「朝6時30分、ここのホテルから送迎。ラ・ディーグからのボートは15時30分です。ランチはつきませんので各自でお願いします。では、いいですね?」
「ランチはなしって言いよるよ。どうする?」
「ランチぐらいどうにでもなります!そうですか・・・・・・」
残念至極です。
慌てたなか気持ちも精一杯準備周到だったのに、なんとも、なんともあっさりと計画倒れである。
今日出発できないどころか、あわよくばと思い募っていたプララン島見学はままならず、おまけに断固否定していたツアー会社のオプション参加になりさがろうとしているのだ。
チケットを購入して自力で行くという当初の計画はセイシェルの荒波にさらわれ、すべてが海の藻屑に消えてしまった。
ラ・ディーグ島 ポート近くの浜辺にて
セイシェル 夏 正午 真っ最中

ラ・ディーグ島 アンス・セルヴィール

こんなことなら昨日、ナディアが今日の予約を入れてくれればよかったじゃないか!
そうしたら、今日は今頃、セント・アン海洋公園で遊んでいたはずなのに、チェッ。
チェッ!
「聞くけど、プララン島&ラ・ディーグ島2島のプランはある?ツアーならそのほうがいいから。それに最初から飛行機で行くのを希望してたんだけど?」
カタコト英語だろうとなんだろうとなんとかキャサリンに訴えなければ。
「それと、間接的にだけど、ナディアにも抗議だ!」
聞くほうはいつもハニーまかせだが、喋るのは仕方なくいつもこちらの役だし。
「無理です」
やけに早い返事なこと。
キャサリン、目が怖いよ。
「何故なら、2島プランを取扱っているのは水、金曜日ですから。今日は日曜日で、明日は月曜、そしてあなたたちが出発するのは火曜日ね。それと、2島プランは飛行機扱いですが、ラ・ディーグ島オンリーはどちらもフェリーです。プララン島での無駄な移動がないから、そのほうが早く着くでしょ?」
すごく理路整然と説明を受けたのだが、すごくまわりくどくダメ押しされた感じ。
「う~~ん、じゃあ、そうする?」
ハニーはものわかりが早い。
「じゃあ、払うとけや」
私はあきらめるのが早い。
「え?でもアタシもう100$しか持ってないよ」
「あ、じゃあ出しとくわ。はい90$」
デスクに置かれた100$。50$紙幣一枚、20$紙幣2枚。
これを一瞥したキャサリンが微笑顔を変えずにつっこむ。
「それ、ひとり分よ。ふたりで380$ね」
「え―――――――っ!?」
めずらしくふたり同時に叫んだ。
「高いっ!!」
「どうする?やめておく?」
間髪入れずハニーが訴えかける。
これまで全然と言っていいほど、計画予算旅程準備調整会計行動交渉諸々ほか関わってこなかったくせに「高い」と感知したとたん、「ワタシ主婦ですわよ当然でしょ」ビームを強烈に私に向かって発射ですから。
「もうええやんそれで。たいそうなったわ。帰ったらワシに一人分払ってよ」
こちらは諦めお手上げおまかせ折れる速攻ビームだ。
昨日、ナディアを助け舟とばかり安心して交渉しようとしたのが、そもそも間違いの元だった。
セイシェルに到着したとたん、失敗だったのだ。
到着した日が土曜日。
セイシェルは土日完全休業日。
航空会社も飛行機を飛ばす以外は営業していない。
そこに待ち構えていた相手は旅行代理店。
商売なのである。
仕方がないのである。
仕方がないので、クレジットカードを差し出す。
「カードは使えません」
キャサリンは微笑みながらまたバッサリ。
再びガックリで、渋々、380$現金で払う。
「3島間をボート2往復、自転車レンタル2人分、併せて約4万5千円?!」
結構なツアー料金だ。
あまりにも高額なのに高額料金という感覚すら麻痺しそうだ。
「もう白旗ですわ」
セイシェルの主要産業は観光業である。
当然、外貨獲得も外国人旅行者に頼ることになる。
国内交通機関もホテルも旅行会社も土産物屋も町の飲食店すらも、外国人滞在者相手に関する業種全てが政府観光局の管理下にあるらしい。
セイシェルでは外国人滞在者のキャンプや自炊も認められていないそうだ。
セイシェルでバックパッカーのような貧乏旅行で滞在するのはどだい無理なのである。
ツアー料金の多くは公課・科料なのだと諦めるしかない。
「キャサリン、ついでに聞くけど、今日はセント・アン海洋公園へのツアーある?」
「今日はあるにはわるわね。でももう遅いわね。行ってもすぐ帰って来るだけね」
キャサリンはこれまで以上ない微笑みをつくり白い歯をみせる。
クレオール人は肌が茶色いから、こぼれそうな白い歯がよけいに印象的だ。
「損するって。ランチも抜きになってしまうよね?」
どうしても、ランチが心配なハニー。
「わかりやすいと突っ込んでくれてありがとう。ハニー、グッドジョブね」
「キャサリン、じゃあ、もうひとつ聞くけど、このホテル辺りで良好なシュノーケルポントある?」
キャサリンは私の疎い英語を理解することによく努めてくれた。
ハニーと違いさすがプロだね、グッドジョブ!(違)
「ここね」
私がデスクに置いた「地球の歩き方」マヘ島地図の頁を見て、すぐにキャサリンはボールペンで大きな丸印を入れた。
ここ、メリディアンがあるグラン・ダンスから海岸線を西に行くこと約5キロ。
キャサリンが青のボールペンで大きな○印で囲んだところは、「Port Launay Marine National Park ラウネー港海洋国立公園」とある。
「ラウネー?知らねー」
島の反対側にある「Ste.Anne Marine National Park セント・アン海洋国立公園」とほぼ同じ緯度、真横に位置している。
「ここからバスが出てないわね」
「じゃあ、タクシーで行けばいいんだね」
「そこは気の利いたレストランとかないから、このホテルでお昼ご飯はしっかり食べて行ってね」
「お昼はしっかりここで食べて行かなくちゃいかん、って言いよるよ」
またまたハニーは食べることだけが心配だ。
「今、聞きました。わかってます!」
私たちは、お愛想の握手をしてキャサリンと分かれた。
シュノーケリングのセットとリュックサックを抱えて急ぎ「フロント集合」のはずだったのに、すっかり恥と汗かき、高額料金を吐き出してしまった。
ともかく、マリエルがなんでホテルに来られなくなったのかどうかは置いておいて、なにもかも閉まっているであろう日曜のセイシェルにあって、出張営業してくれたものだ。
まだ、ラ・ディーグへ行けるぶん感謝しなければならないのかもしれない。
それにしても、セイシェル到着以来、とにもかくにも語学力のなさからいろいろ小さな誤謬を生んでいるようなのだ。
ここまで大きな事故にいたらないのが不思議なくらいだ。
それは、今回の旅行に限ったことではない。
ホテルの片隅の裏のベランダで・あ~あ人種差別?くつろぐふりする画伯?

海に浮かぶムーンライト♪ばい 伊藤由奈(今回のセイシェル旅行のいテーマソング)

いつも「旅の受難にあう まるくん」 このあと波にさらわれますし・・・・・・

よく、まぁいつもこんな感じで、ひとりで旅行してきたもんね~」
すごく感心されてしまった、悪い意味で。
「それより疲れたわ。ホンマに疲れた。これまでどこ行っても、スイスもイギリスのドーバーもトルコもギリシアのペロポネソス半島もモロッコもイエメンもケニアもインドのボンベイもカメルーンもどこであろうと、あれ?ちょっとした小さなハプニングに見舞われたかも?だけど、いつも身も心も財布もピンピンしてたわいっ!だけど、なんか今回は疲れたホンマ疲れた。これはもう年かしらん?」
「英語ができんだけでしょ?」
「うわっ!ピシャッときついこと言う~」
「それに小さなハプニングって?行く前はいつも大嵐のくせに」
「大嵐?あ、そうそう。随分前から『ここへ行きたい』と思った国や地域が必ず!ゆうてええほど「政情不安定」になるんやなぁ~」
「みんなが来んといて言いよんよ、迷惑しよんよ」
そうそう(嬉しそう)。
「ちょっと思い出してみよか。91年はトルコへ行きたい、思うたら湾岸戦争。それでペルー行くことに変更したら、即、日本大使館占拠で渡航中止や。92年のモロッコは西サハラと戦争、アルジェリアと交戦状態に。93年、あんたとの新婚旅行は出発当日、日本人が強盗に殺されたと大きく新聞の見出しで、渡航延期勧告やったし。なかなか行けんかったイエメンも内戦に、ようやく渡航解除になった93年行った後すぐドイツの観光客が強盗団に襲われて渡航禁止に。スーダン行きたい思うたら内戦やらテロやらすごいことになって。次に狙いを定めたザイールも内戦でアカンようになって。98年のケニアも、ナイロビとタンザニアのダルエルサラームでアメリカ大使館爆破事件、ほんまはほぼアウトやったろ?2001年のカメルーンは珍しく政情安定、すこぶる快調~!のはずが、行く間際に飛び込んできたお隣の国でのニュースが――2001年1月18日、コンゴ大統領(旧ザイール)カビラ暗殺?アフリカ大戦、再び混迷へ。隣国非常事態宣言―――もう笑わしてもろたわ」
「なんか、嬉しそうじゃない?」
「でも、結局なんだかんだ言いながら行けただろ?どうしても行かれんかったペルーとスーダン、旧ザイールだけはご縁がなかったとしか言いようがない。それにだんだん恋慕も失せるしな、そういう国は」
「行きたい思わんかったら何もないはずなんでないん?」
「あれ?そういやおかいしな?セイシェルはなんもなかったぞ?これって「嵐を呼ぶ男」のおまじないまで消えてしもたんだろか?キャッチフレーズがもうないやん?」
「おまじないとかキャッチフレーズとか、そおぉいう問題ではないよーな気がするけど」
「でな、なんか現地のひとと積極的に交わろーとか、そういう意欲気力がなんか湧かないのよ。これはやっぱり旅する男の限界点なんやろーか?」
「あのですね。無理して高いお金出して、夏休みの最後の週に子どもほったらかしにして、強引に連れ出した張本人が、今さら自分勝手に黄昏んとってくれます?」
「はいはい、あんたや家族を置いてひとり旅もよくさせていただきましたしね~~だ」
旅は道連れならぬ。
旅は股ずれだ。
私は、衣服や食料品など無理やり詰め込んでパンパンに膨れ上がったリュックサックやシュノーケルセットを入れた大きなカバンを「ル・パチュリー・バー」のソファにドッコラショと置く。
「ドッコラショ」
と、海に面した椅子に腰掛ける。
疲れた。
本当に、何をしたわけでもないのに疲れたワン。
「さて、今日一日何しようかな?」
セイシェル、今日の土曜日、そして明日は日曜日でなにもかもがお休み。
普段だと、「明日はお休み。明日は何しようかな?」と考える金曜日の夜が一番好きだ。
今日はなにしようかな~とベランダで朝日を拝む土曜日の朝もまだゆるせる。
でも、結局なにもしないまま憂鬱な月曜の朝を迎える。
なぁ~~んとなくやり過ごす。
こんな毎日の連続だ。
土曜日と日曜日にかぎって早起きしちゃうのに。
月曜日はもっと眠っていたいのに。
いつも時間がただ無為に流れていくのはいつでもリセットできると思い込んでいるから。
でもリセットできないことだってある。
いかに日常から心と体を鍛えているか、だ。
命を大切に紡いでいくこと、不断の心がけと行動だ。
「ああそれなのに」
人生最大費やす時間と労は掃除と探し物だ。
探し物、片付け、ゴミ捨ての繰り替えしの毎日だ。
いまだに自分とゴミの区別はつく(エッヘン)
人生の道のりは夏休み初日に立てた計画のようにいつも計画だおれ。
それなのに、もう人生の黄昏どき。
旅人はいまだ半空(なかそら)のした。
いつも失敗ばかりの繰り返しだ。
唯一成功しているのは、「失敗を失敗しない」ことだ(エッヘン!)
「それにしてもこれからどうしようかな?」
今日一日が泡となって消えたようで、途方にくれる。
太陽は随分空高くにあり、激しいスコールがあった早朝や厚い雲に覆われた明け方が嘘のように南国特有のターコイズブルーの空模様に変化していた。
浜辺は相変わらず激しい波が押し寄せており、まったく泳げそうにないメルディアン・バルバロンのプライベートビーチである。
視線を移すと、すぐ側の席でずっと動かないゲルマン系の男は海を一瞥もせず本を読み耽っている。
波と男から目を離し、ハニーにもう一度問いかける。
「どうするかいの?」
あれ?
「なにしよん?」
ハニーは気持ちよさそうに目を閉じている。
いつの間にやら、ホテルの可愛らしいエステシャンに肩もみしてもらっているのだ。
ホテル内のヘルスクラブの勧誘をかねたマッサージ嬢のサービスのようだ。
このヘルスクラブはホテルの奥まった場所にあるのを知っている。
ホテルの奥まったところにある。
実は何を隠そう私たちの部屋の正面にある。
ホテルのメイドたちが干した洗濯物、その向こうにパパイヤの木が繁るが、その傍らにひっそりと建物がある。
そこがヘルスクラブである。
小柄な愛くるしい女性は明らかに東南アジア系だと一目でわかる。
私はちょっとホッとした。
ナディアやキャサリン相手に疲れたことも影響している。
彼女も私たち東洋人を見かけてちょっと嬉しかったのだと思う。
肩を揉みながらハニーにやさしい目で微笑む。
「中国からですか?」
「ううん、日本」
「私はフィリピンからです。よろしくね」
しばらく彼女の肩をもんだあと、私に声をかけてきた。
マッサージとかエステとかすごく興味はあるのだが、他人に体を触れられるのがなんとなくはずかしくて、小さく首を振り断ると彼女は残念そうな顔をした。
それでも営業スマイルを忘れず、なごりおしそうにハニーに微笑みかけ、次の客引きに去っていった。
セイシェル滞在中、日本人に遭遇しないどころか、アジアのひとと逢ったのも彼女ただひとりであった。
英語が話せない以上に、彼女で出逢ったことで、私たちは東洋人であることをあらためて強く自覚した。
本館から遠く離れた場所にある私たちの宿泊棟。
ビーチやプールに面した宿泊棟は明らかに空室が目立つのに、である。
そしてそのまだ奥まった場所にある、東南アジア人ばかりが働くヘルス&エステサロン。
夕食のため訪れた「ル・マンゴロビア」でも、明らかに空席が目立つにもかかわらず、おざなりに入口すぐの席に案内されようとした。
私は、すごい不快感を示して奥に進み、海辺の眺めがよい席を探したのだった。
気のせいではないだろう。
私は、これらに間違いなくある種の差別意識が作用していると感じた。



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