セイシェル旅行記 その7


ウエルカムドリンク シトロネティー

セルシワ とバルバロンの美波

バルバロンからおしよせる波しぶき セイシェルはいずこもそう

先ほどの、フィリピン女性のやさしい微笑が救いだった。
キャサリンの白い歯の作り笑顔とは別物だ。
そのとき、私は閃いた。
「そうや!セント・アンへ行かんようになった言うても、ヴィクトリアへも行かんままになるとこだった。明日、港への出迎え16時30分言いよったろ?あれを19時に変更できんか聞いてきて。その間に市場や植物園見学して、有名なレストランで食事もできるわ。一石二鳥や!キャサリンに聞いてみて」
「え?キャサリン?じゃあ、ちょっと聞いてくる」
ヴィクトリアはマヘ島東南海岸のほぼ中央に位置するセイシェルの首都だ。
人口、1万8千人足らず。
世界で一番小さな首都であり、昔のヨーロッパを思い出す懐かしい町並みである。
イギリス植民地時代の名残であるビッグ・ベンを模倣した時計塔を中心に街は広がっている。
セイシェル人「セシルワ」の胃袋を満たす市場やセイシェル唯一の大型国営スーパーマーケットがあり、セシルワの日常に接することができる。
意外と近代的で、ネットカフェもあるし、クレジットカードが使える店もたくさんあるそうだ。
時計塔のすぐ近くにクレオール・ホリデーの本社もある。
平日、しかもここでなら、私もきっとクレジットカードが使えたに違いない。
ヴィクトリアの町を駆け足で味わうためには、バスターミナルからすぐの青空市場を冷やかし、町の中心部の大通りの時計塔を写真に収め、そこから少し歩いて植物園でゾウガメと遭い、ココ・デ・メールを鑑賞し、再び大通りへ戻る。
街へ繰り出した観光客の誰もが立ち寄り、地元民の誰もが待ち合わせ場所に選ぶといわれる「パイレーツ・アーム」というカフェ・レストランで、タコカレーなどクレオール料理に舌鼓をうちながら、ローカルビールのセイブリュー(SEYBREW)やシトロネティー(レモンティー)を楽しむ。
これらは2時間もあれば十分果たせるはずなのだ。
今、私がいるカフェテリア「ル・パチュリー・バー」で、セイブリューもシトロネティーも試してみた。
セイブリューはベルギービールのようなやや甘いコクがあり、シトロネティーはレモンピールの爽やかなアイスティーだ。
この紅茶はいたく気に入り、空港の免税店でも買い求めた。
まだ、帰国後一度も飲んではいないけど。
松田聖子の「セイシェルの夕陽」聴きながら、いつか飲んでみるとしよう。
「♪真っ赤なインク海に流している、あなたにも見せたいわ~世界のどんな場所で見るよりも、美しい夕焼けよ~私は熱い紅茶飲みながら、なぜかしら涙ぐむ~」
そういえば、どこいったっけ?
紅茶に、それと今、ハニーは?あれ?
 ほどなくして、ハニーが戻ってきた。
バルバロンの波はいっこうに静かになる気配がない。
年中こんなんものだろうか?
珊瑚に囲まれた浅瀬、椰子が生えた穏やかな南国のビーチ、というイメージが崩れるこの荒波。
ひょっとして地球温暖化とか関係あるのだろうか?
南極の氷が解けて、インド洋に流れ込んでいるのだろうか?
「ほかにもお客がおるし、送迎時間の変更はできんって言いよったよ」
「ほんなら、そうや!いまから街へ行くか?ヴィクトリアまでどう行けばいいんか聞いたか?」
「ええっ?!うん、ちょっと聞いてくる」
また、ハニーはキャサリンのところへ戻った。
朝食の時間帯もほぼ終わり、ロビーにもレストランにもほとんど人気がない。
すごく高く、そしてスローモーションで押し寄せるエメラルド色の壁が押し寄せるような波は、ときに白い飛沫が斜め左右に走る。
そして、波打ち際でいっきに襲い掛かるようにスピードを加速する。
「このホテルのすぐ近くからヴィクトリアへバスが出てるって。でも、市場は日曜閉まってるって言うてたよ」
「いや、植物園は空いているはずよ。で?何時にバスは出てるって?」
「ん・・・・・・・・・・?ちょっと聞いてくる」
「もう今日の行程、全部おかませするから、がんばってね、ハニーちゃま♪」
「なに言いよんぞ」
プンプンして去って行った。
ハニーがしばしお使いの間、ガイドブックを開けてみる。
日本で調べた限り、セイシェルのガイド本はマダガスカル、モーリシャス、レユニオンなどインド洋の島々とセットか、もしくはケニア、タンザニアなど東アフリカとセットで、単体では書店はおろかネットショップで検索しても見当たらなかった。
なので、情報量も少ない。
持参した「地球の歩き方」07~08年版でも、セイシェル編はわずか30ページあまりだ。
よく眼を凝らして読んでみると、セイシェルでは年中遊泳禁止のビーチが多いらしい。
どうりでこの波だ。
ドイツ人らしき男はただひたすらこの薄暗いバーで読書だ。
一人旅なのだろうか?
もちろん、「ル・マングロビア」でのセシルと違い、この男に対して妄想は全然始動しないけれども。
ハニーがまた戻ってきた。
「9時50分にホテル近くの停留所からバスで来るって。植物園は4時に閉まるらしいよ」
「ほんなら、今から午前中に市内まわって、昼食してから戻って、午後からラウネー行くか。ラウネーまでのタクシーっていくらよ?」
「んっ?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!?もう!ちょっと聞いてくるっ!」
「なんで、一遍に聞けんのかいね~?(笑)」
「もう、ほんなこと言うんなら自分で聞いてよね!」
プリプリ文句言いながらハニーはまたキャサリンのところへ戻って行った。
彼女にとって私とキャサリンのどちらが一体「戻る場所」なのか、こちらも頭がこんがらがる(笑)。
すっかり高くなったお天道さん。
宿泊客のみんなは、とっくに今日のアクションを起こしており、本日の彼女の「出張営業」も終わりのはずなのだけど。
「おもしろうてやがて悲しきおいてけぼり」の東洋人によくぞお付き合いいただいているものだ。
おかげで?ガイドブックを読むページも進み、セイシェルでは何故波が高いのか、ついに理由を見つけることができた。
―――セイシェルは必ずしも周りを珊瑚礁で囲まれているというわけではなく、直接海岸線が外海に面しているところも多数ある。
そのためタヒチなどと違って、潮の流れが場所によって速いために,一見泳げそうでも遊泳禁止という場所が結構あるのである。
地元の人が構わずに泳いでいることもあるが、旅行者は決してまねをしてはならない―――
珊瑚礁があまりないからか。
やれやれ。 
そもそもシュノーケルどころではなかったのだ。
ネットショップで買った安物のシュノーケルセットだけど、スーツケースの3分の1くらいを占めたんだけどな。
セイシェルがこんなに荒波だとは想像つかなった。
これも情報をきちんと掴んでいなかったことが原因である。
あのドンブリコの波である、おまけに海岸のそこら中にウジャウジャ花崗岩が乱立しているのである。
ふつうの海水浴すら無理なのだ。
「世界一の美しいビーチ」というキャッチフレーズが泣けてくる、ではないか。
砂浜と 椰子の実と 波と 海と空の青と 
動を静に この瞬間のために 
セイシェル シーシェル  セイシェル

―――次の日、ついに念願の「世界一美しいビーチ」へ向かう。
苦労に苦労を重ねてようやく手にしたラ・ディーグ島行きのキップである。
そもそも、日本を発ちドバイへ向かう随分手前で、はやくもスムーズにことが運ばなかった。
代理店から送られた空港案内図どおりに国際チェックカウンターにいるはずなのに、出発手続きカウンターがどこにあるのか見つからず右往左往、ようやくたどりついたそのカウンター(電光掲示に表示はなく、カウンターに小さな貼り紙があるのみだった、わかるかいっ!)にて、正当な手続きにて旅行手配しているはずなのにパスポートに「ビザがない」と脅され、次に出国前の保安審査では法に則り正当な手続きをしているはずなのに100ミリリットルの小瓶を指し「酒を今すぐ飲むか棄てろ」と脅され、出国審査では意外や意外に顔パスのように涼しい顔で通されたのに、次の搭乗カウンターにてこれは正当な手続きならずウッカリミスで「スーツケースのなかにライターがあります」とアナウンスに大慌て、スーツケースを開ける鍵が見当たらず大慌て、なんとか開いたパンドラの箱ならずスーツケースのライターが見当たらず大慌て、ようやく大汗かいている大柄な保安官に見つけてもらってホッとするのもつかの間、「もう1個あるようですね・・・・・」に「えーーーーーっ!?」(涙目―――。
なんやかんやでようやく日本を発ち、中継地ドバイまで約12時間のフライト。
そのフライトを要す時間がただ単純な12時間というただの時間の経過ではなく、隣のハニーがアニメ映画「カンフーパンダ」のDVDをずっとつまらなさそうに眺めているのを横目に、タッチパネルをあちこちつつきまくっても埒があかず、どうやってもDVDが見れないし、ゲームもできないしで、イライラしっぱなしの12時間(涙)―――。 
ようやくたどりついたドバイでも、関空で渡された図面によると「スタッフミーティングポイント」へ行くこと」と指示、そのスタッフミーティングポイントが見当たらない、あの長い長いドバイ国際空港ビルの端から端まで2往復もしたというのに見つからず(わからず)、セイシェル行きの電光掲示板があるカウンターに並ぶことにしたが、その順番待ちに並んだ窓口が運悪く、私たちのすぐ手前の男がトラブル男のようでねちこく窓口のお姐さんと口論し粘り、後ろの順番待ちのひとたちはたまらず皆がすぐ横の窓口へ移り私たちだけとなった、ようやく男が去り辿り着いて窓口のお姐さんに「何か用?その券を持って出発カウンターへ行ってね」と嘲笑された―――。
やれやれ、ドバイからセイシェル・マヘ島まで約4時間、「ようやく落ち着けるわい」とこぼしたが、搭乗していきなりかわいらしいスッチーにビザカードを渡され機内でずっとテンヤワンヤ(号泣)。
地球の歩き方に載っていたマダガスカル・ビザの頁を参考にしてやっとの思いで書き上げ、セイシェル空港に到着、簡素な造りの入国審査場にて「のどかだな~」な気分なのにビザカードの記入が間違えだらけだったようで、はじめてご対面のセシルワ(セイシェル人)、美人審査官に質問攻めに遭う(大汗かき太郎)―――。
あまりにものしどろもどろさに女性審査官にあきれ返られ、おなさけでか「もういいわ」と通され、ついについにセイシェルの地に、しかしながら待っているはずのホテルへの送迎者がおらず、おまけに段取りに段取り重ねてきたつもりのラ・ディーグ島行きのためのプララン島行きの航空券買うつもりがなんとセイシェル航空の窓口が全部閉まっているし、それは当たり前といえば当たり前で今日は土曜日でお休みだったよ、これがケチのつき始め、ならぬケチのダメ押し(ナイアガラ滝涙)。
自力での航空券やフェリーチケット購入が無理なら、仕方なくツアーにと考えを切り替えるものの、連れて行かれた張りぼて椰子の葉揺れる「クレオール・ホリデー」のセイシェル空港営業所、猫目のナディアや、必殺微笑み返しのキャサリンや、おまけにいまだに見果てぬままの謎のマリエルやらとの交渉(?)に苦労に苦労を重ねて、ようやく手にしたラ・ディーグ島行きのキップである。
手にした、という表現より「掴まされた」というほうが適切かも?というくらい法外な値は、おふたりさま380ドルである。
私は密かに彼女たちを「クレオール・マフィア」と呼んでいる。
早朝、ホテルから「クレオール・マフィア」もとい「クレオール・ホリデー」の送迎バスに揺られ、ビィクトリアのニューポートへ。
明け方前、それなのにどんより薄暗い場所で気が滅入る。
数人のツアーご一行様が初めてのご対面である、但しここからすべて自由行動ではあるけど。
まずはチェックのようで、予定表と客が差し出すチケットを確認している。
「ちょっと様子見じゃ、な」
言葉がわからない私は当然後ずさり、だ。
何もする気がないハニーは身を乗り出して、スタッフと客たちとを交互に覗きこんでいる。
「・・・・・・みっともないけん、やめときなさい」
「みんな、緑色のほうのチケット渡しよるよ。出しといてね」
「え?緑のほう?・・・・・・・」
「なんで?白のほうでもえんだろわい?」
「いや、みんな緑と綴りの白持ってるけど、緑だけだよ。なんで?」
「・・・・・・白のほうしか持ってきてないよ。緑のほうは部屋に置いて来たわ」
「えーーーっ!?なんでよ?どうするんよっ。せっかく苦労に苦労重ねたチケットだったんだろ?」
「なんで知っとるんよ(苦笑)?緑のほうは記念に大事に残しておこう思うたのに。ショックじゃ」
ようやくようやく手にしたラ・ディーグ島行き(正しくは中継地であるプララン島行きフェリーチケット)である・・・・・・。
さてさて。
本日の餌食、もといお客からチケットを受け取っている背の高いスラッとした「クレオール・ホリデー」のお姐さんは、最後に残った私たちを一瞥する。
一昨日、セイシェル空港営業所のナディアより、数倍強烈な威力を発揮した猫目ヂカラで。
「こわっ・・・・・・・・」
ここいらのセシルワちゃんたちは猫ちゃん系が多いのかしらん?
「あの・・・・・忘れてきてしまいました。この白いほうでもいいですか?」
忘れてしまいました―――。
人生最大費やす時間と労力は片付けと探し物だが、人生最大の汚点はいつだって「忘れ物」だ。
探してるものさえ忘れている。
忘れたくても忘れられないのに、忘れてはいけないものにかぎっていつも忘れてしまう。
「仕方がないわね。構いませんわ。だって日本人だもん・・・・・」
大きなため息をつかれた後、なんか、そう言われたような気がするけど、知らん知らん、がまんがまん。
とにかくフェリーに乗り込むことができたのだから。
「Cat Coco 」だ。
なんだか嬉しい。
「Cat Coco」は、マヘ島―プララン島を結ぶ高速艇として06年に開設された。
全長36メートルある最新鋭の双銅型高速艇で、350人乗り。
40ノットの速度を誇り、従来フェリーでは2時間かかっていたのをわずか45分に短縮し、大小縦横の波を自動的に制御する最高水準のコンピュータードライブ制御システムを搭載している。
以上、「Cat Coco」の説明である。
grand ance
DSC01957.JPG
グランダンスのすぐ向こうにプチ・アンスの入り江


7時30分、相変わらずどんよりと暗いマヘ島ニューポートを出航。
乗客は1階の船室には私たち二人とセシルワがわずか10名足らず。
乗り込んだ外国からの観光客20名ほどは何故か皆、2階のオープンデッキに上がっていった。
バルバロンから峠を越えてヴィクトリアへ向かうバスのなかでもずっと気になっていたのは、本日の天候である。
朝、4時起床、6時20分にホテルをピックアップされたが、その間も空はどす黒く今日もセイシェルの夕陽ならぬ朝日を拝めなかった。
マヘ島を横断してほぼ中心部にあたる峠を通り過ぎる度、いつも青々とした海と空を称え愛想よく微笑んでいたセント・アン国立公園の島々も今朝はどす黒く海に映えている。
そして、マヘ島全体もどんよりした厚い雲が覆っている。
朝早くから荷揚げする貨物船が停泊する内港から、ニューカレドニアの象徴である南洋杉のような木々が鬱蒼と生い茂る入り江から外洋にでる。
島を抜けても黒雲だらけだ。
波も穏やかとは言えない。
安定感あるはずの双銅型の高速艇ですら、波をチャップンチャップン♪飛び魚のように走る。
波しぶきが打つ窓からずっとプララン島がよく見えている。
プララン島も厚い雲が覆っている。
「なんだか獄門島に行くみたいだな・・・・・・・」
まっすぐ進む船はときどき雨に打たれる。
「ここまで来てからに、今日までが・・・・・。まさかだけど、今日雨だと本当に泣きますよアタシ」
「まぁまぁ、雨もお天気のうちだから」
これまで人生で何度も聞いたことのある決してなぐさめにならない捨て台詞をさらりと言うハニー。
その頭の構造がよくわからない。
あ、また寝るし、ここででも。
グースカ寝る女に、女々しい男。
そういえば、うちのおぼきちくん長男もかわいそうな子だったな・・・・・・。
なんせ、幼稚園3年間、小学一年の春、これまでの人生で、遠足という遠足がすべて雨だったもんな。
でもいつも、―「教室でお弁当食べて、みんなと遊べた♪」―だったから、ま、いいか。
いつも、ボーッとしてて、そのくせ意味もなく前向きな長男がうらやましい(涙)。
ところで、さっきから船内の一番前にいるはずの私たちの前のドアを開け閉め行ったり戻ったりしているラテン系のおばあさんと男の子がいる。
おばあさんは、もともとの肌色かもしれないがまさに茶褐色で染めに染め上げた金髪。
そして、日本のエグイ・カワイイ♪系のピンクファッション。
船の揺れで目を覚ました眠気マナコのハニーに声かける。
「見て見て、あのおばあさん、すごい悩ましい格好で、もろシマラーみたいなファッションセンスやろ」
「お金持ちはだいたいああなんよ。この前側に特別室があるんだろ」
「あ、そうなんか!このドアの向こうはクルー室ではなく特等席。VIPさんご一行なんや。なるほど」
帰りも同じ便でこのおばあさんと若い坊やのコンビを見かけた。
相変わらずドアが開いたり閉まったり、その度二人が2階のデッキへ昇ったり1階売店でマフィンみたいなのを買ったりせわしことこのうえない。
彼女たちが動く度、「Cat Coco 」のクルー2名がうやうやしく付き添っているのがおかしかった。
「あんなにせわしなく動き回るんなら、たった1時間やそこいらのに特等席とる必要ないやんなぁ?(笑)」
「しかも特等席は往復食事付きらしいしね。パンフレットに載ってるよ」
「ええっーーーー?!」
話しがだんだん怖い方向に行きそうだ(笑)。
ラ・ディーグ島でも彼女たちを一度だけ見かけた。
港に着いて、彼女たちはすぐに去ったので目だったのだ。
島を訪れる大部分のひとが利用するレンタサイクルにも、オックス・カート(島独特のタクシー。牛がひく荷車)に乗らず、待機していた島にわずかしかないオンボロ乗用車(幌バス)で颯爽と去っていったのだ。

早朝、暗雲たちこめるセイシェルの峠にて 

ヴィクトリアのニューポートを出航

ボートは南洋杉の入り江を抜けて


 気を揉んだ空の按配だが、彼女たちの行動観察で、飽きることのないまたたく間の小一時間の旅だった。
いつの間にかプララン島上空の暗雲はインド洋の遠くどこかへ消え去り、真っ青な青空が広がっている。
その青さを映し出すように鮮やかなエメラルドグリーンの海だった。
プララン島の港がある湾内はホテルもしくは富裕層の所有らしき大型のクルーザー数隻がプカプカ浮かんでいる。
一本の桟橋があるだけの港に降り、待合所のようなところにこれまたクレオール・ホリデーのスタッフが待機している。
クレオール・ホリデーにしても同業他社さんにしても、いつも待ち受けているのは女性スタッフだ。
セイシェルの最も盛んな産業は観光業だが、観光業に携わる従事者の60%は女性らしい。
クレオール・ホリデーのお姐さん方はもちろんだが、先ほどの出稼ぎのフィリピン女性も含まれるのだろうか。
お姐さんから、プララン島までのチケットと交換して、こんどはプララン島とラ・ディーグ島の往復チケットを受け取る。
しばらくしてラ・ディーグ島行きのフェリーがプララン島から到着した。
いかにも離島間定期航路のような小さなフェリーだ。
宿泊先も少ない小さな島から朝早い便だからか、降りたひとはわずかだったが、乗り込むのはプララン島滞在の保養・観光客も合わさりほぼ満杯状態だ。
大部分を占める白人たちはまた誰もが競うようにデッキへ昇っていった。
2階デッキが足の踏み場もない、インドのムンバイのスラム状態なのに、1階船内は高速艇と同じく数名の地元民プラス私たちのみで(笑)閑散としている。
帰国して随分後に知った情報だが、「Cat Coco 」だと、2階のオープンデッキと冷房がガンガン効いたキャビンとでは料金が異なっていたらしい。
それぞれ42ユーロと57ユーロである。
キャビンは、正面に据えてあるテレビからインドの歌謡ショーらしい衛生テレビ番組がけたたましく耳障りだった。
 約40分でラ・ディーグ島に到着だ。
プララン島とラ・ディーグ島は目と鼻の先なのに、高速艇と違いフェリーだからか案外時間がかかった。
小さな港には「地球の歩き方」に載っていた写真と同じように大型クルーザーやヨットがたくさん係留していた。
「すごいクルーザーがウジャウジャしとるな~」
「ほんとうの金持ちいうんは、自分で何処にでも行くんよ」
「ほほう、さっきのおばちゃんはエセ金持ちやと(笑)?さあ!これからは計画どおりの行動とるぞ。さっさとレンタサイクル店で自転車借りて見学して、ひと山越えて、ビーチや。世界一美しいビーチが君を待っている!」
「その前にちょっとトイレ探してくる」
「あのなぁ~・・・・・」
あのなぁ~、「計画どおり」ならぬ、「お約束どおり」はええから・・・・・。



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