大地の揺篭から



――さて、宇宙(物質界)に『性と死』の誕生です。
 これにより物質=生命の諸機能はさらに改良が進んでいきます。
エネルギーの製造方法を淘汰することにより、養分の糖質を用いて代謝能力を高め、運動を行ったり、また感覚というセンサーが発達して生体の活動を調整し始めるようになりました。
そして、動物と植物と枝分かれの道を歩みはじめます。植物は、その不動性により無駄なエネルギーを使わない、より経済的な道を歩みはじめるのです。
これら進化の過程に意図は存在せず、また環境が直接影響するものではありません。
環境はミトコンドリアを介して、細胞のふるまいに影響を与えると考えられています。
そして自然淘汰という原理は現在でも有効なのですが、時とともに不適応な種が排除されていきます。ただし、この現象を理解するには時というものを考慮して、世代から世代へと続く長い連鎖のなかで何億年もかけた緩やかな変化とうことに思いを馳せなければなりません。
 しかし、進化の過程もほんの些細な出来事から思わぬ幸運をもたらしたようです・・・。
脊椎動物の祖先であるピカイアが存在しなかったら、恐竜が絶滅しなかったら、そのとき原猿類が生き延びていなかったら・・・・・。
進化の歴史に意図はないと申しましたが、結果として必ず複雑性が増します。
 私たちの脳は三層構造のなかに進化の記憶を保存しています。遺伝子をしかりです。
しかも、細胞の化学組成となっているのは『原始の海のしずく』なわけですから、私たちは自分の誕生の母体となった環境を自身の内部に保っているのです。
私たちも、起源の歴史を語っているのです。

 ―――さて、約7000万年前の白亜紀末期の第3期といわれる時間軸まで遡りましょう。
この時期、生き残っていた恐竜もほとんど絶滅し、現在の北アメリカ、ヨーロッパ、グリーンランドが地続きであったのですが、この地に小さな小さな動物が誕生します。
最古の霊長類といわれるプルガトリウスです。
彼らは樹上生活をし、果実などを食べていたそうです。
この果実を食べる、という食習慣はまさしく地球の植物相の劇的な変化の現れでもあったのです。このネズミほどの大きさのサルたちが出現する以前の植物相は花を咲かせる植物は出現していませんでした。
最古の霊長類の誕生とほぼ同時期に花を咲かせる植物、ひいては果実が実る植物がこの地球上に誕生したのです。
新たな環境を征したサルたちに解剖学的な変化が次々と(ただし長い時間軸とここでも捉えてください)現れるようになります。たとえば、鎖骨の発達という新機軸です。このプルガトリウスは食虫類から進化したとされていますので劇的な新機軸といえるでしょう。
 こうした小型の霊長類はユーラシア大陸へ、続いて現在のアラビア・アフリカ大陸へと広がっていきました。
約3500万年前、広大な熱帯雨林に覆われていたアフリカ大陸に人類やチンパンジー、ゴリラなどの共通の祖先、高等霊長類が誕生しました。エジプトの砂漠で発見され、エジプトピテクスと名づけられたネコほどの頭蓋骨のサルで脳全体の容積が約40ccでありました。
 脳を得たおかげで、中枢神経の発達を促し、臭覚より視覚が勝るようになります。彼らは樹上生活でしたが、モノを立体的に見られるようになったのです。一種のコミュニケーションという社会的行動も見られるようになりました。
 さて、約1700万年前、プルガトリウスの子孫プロコンスルという脳容積150cc、体系はチンパンジーほどの大きさの猿が東アフリカの森林にいたころ、地球上に大きな地理的変動がありました。アフリカ・ヨーロッパ・アジアプレートが一つに繋がったのです。
アフリカのサルたちは大陸を繋ぐ地峡を渡り、ヨーロッパやアジアに広がっていきました。
進化の結果、新たなサルも誕生しました。
ケニアピテクス、ドリオピテクス、ラマピテクスなどです。
そして、約700万年前、放射線同位元素による年代決定という技術の発達や相次ぐ化石発掘により、ケニアピテクスに近い、もしくはこれらがヒトとサルの共通の祖先と言われていますが、これらの発掘された化石を年代順に重ね合わせてみれば、人類の祖とされるサルの移動は明らかで、おのずと、アフリカのごく限られた地域で発生し、ゆっくりとアフリカ各地へ次いで世界全体へ広がっていったとされます。
長い間チンパンジーの親戚といわれていたアウストラロピテクスが人類揺籃の祖であることは今や定説となっているのはご存知でしょう。

私たちは、昆虫を食べることから、花の誕生とともに果実を食べることから始まりました。

―――現在わかっている約700万年前、ヒトとサルの祖先は、アフリカ全土を覆う密林に住んでいましたが、あるとき大規模な地殻変動の見舞われました。土地が陥没して地溝帯―いわゆるグレートリフトバレーができました。
この断層は紅海から東アフリカ全体を貫いています。全長6000キロメートル、深いところでは4000メートルにも達します。
地溝のおかげで気候が激変します。
西側は相変わらず多雨湿潤でしたが、東側はルウェンゾリ山地などの大きな壁に遮られて降雨量が少なくなっていきます。
西側の祖先たちは樹上生活のままでしたが、東側の祖先はサバンナ、ステップに直面しだすのです。二つの異なった環境で同一の祖先がしだいに世代を重ねるごとに二つの異なった進化の道をたどるのです。
遺伝子の99%はチンパンジーと人が同じなのは、ここに起因するのです。ヒトとサルの祖先は同じなのですね・・。
直立姿勢、雑食性、脳の発達、道具の発明などサルと異なる道を歩み始めたのは、すべて自然淘汰のメカニズムの枠組みのなかであったのです。
アウストラロピテクス類・・・・いわゆる先行人類の誕生です。
アウストラロピテクス類と称したのは、実は1種類ではないのです。
約700万年前から100万年前くらいまでの間にアフリカに多くの種が出現したそうです。
エチオピアのアファール低地で発見されたルーシーという名の祖先は有名人ですよね。
身長1メートルたらずで、私たちすこし前かがみで、頭部は小さく、上肢が下肢より長いようです。
しかし、彼女も直径の祖先ではなく、分化した別の系統に属するとされています。
先行人類のさまざまな種は同時に並行して進化していったと思われます。
アウストラロピテクス・アフリカヌス、アフストラロピテクス・アナメンシス・・などです。
意思疎通の伝達手段に身振り、動作、抑揚をつけた声を持ち、道具を用いて道具を作ることができました。
 そして約300万年前、真の言語を一般化した種が現れます。先行人類より大型で、より直立し、木に登ることもますます減り、より発達して血液も十分行き渡った脳を持つ動物――ヒト科の誕生です。
約100万年以上はアウストラロピテクス類とヒトは共存していたとされています。
私たちの教科書では、人類をホモ・ハビリス、エレクトゥス、サピアエンスという3段階に分けていたのが一般的でしたが、現在ではルドフェンシスやエルガスターなど他の種も見つかっています。
乾燥気候への適応によって気道が変化し、咽喉が下に下がるのです。
これに加えて、声帯ヒダが定着したことなどにより、かなり複雑な言語を話すようになりました。
 愛も・・・乾燥気候の産物かもしれません。
気候が乾燥していれば、おのずと個体間の距離は縮まります。
日陰の少ない影響で、妊娠期間は数段短くなって、母と子も過ごす期間は長くなり、繁殖期間は父親も生活するようになり、情動を生み出していったのではないでしょうか?



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