リンガラ胎動期




ザイコの結成当時、リンガラは第一の黄金期の末期を迎えていた。アーティストの人脈からみても、その後の人気バンドのほとんどが、ザイコから派生しているのだ。ザイコに対抗できたビィヴァ・ラ・ムジーカのパパ・ウェンバ、グラン・ザイコ・ランガ・ワワ・ワのマヌアク、ショック・スタールの名ギタリストであるロクシー、ランガ・ランガ・スタールの天才エヴォコロ、等々枚挙にいとまがない。名のあるバンドのリーダー達は皆、初期ザイコのメンバーであった。ザイコ・スタイルともいうべきスタイルの確立と波及は、ザイコ自身の核分裂ともいうべきミュージック・シーンの征服過程でもあった。当時、グラン・ザイコのマヌアクは意地悪なインタビューにこう答えている。「ザイコを離れたのにスタイルを真似ている?そうではない。ザイコのスタイルは『僕ら』みんなで創り出したものだ。私たちの世代全体が共有する財産だ。私たちは真似ているのではなく、自分たちが創設した音楽を奏でている」 ザイコが既成のリンガラ=スタイルを、そして伝統を破壊したのではない。キンシャサで、古いタイプのリンガラ愛好者でさえも、ザイコの名前は親しみもこめた笑みを浮かべることだろう。彼らは、リンガラの正統な後継者として、どの世代、どの各層からも愛されてきたのだ。 では、彼らはリンガラの革新者であるにもかかわらず、何を継承するがゆえに、その正統かつ本流の地位になりえたのだろうか? これまでのリンガラ路線ではありえなかった激しいボォーカル、めまぐるしいリズムにもかかわらず、彼らのサウンドに「意味のない激しさ」はなく、またその形容も見当たらない。新しい形式にかかわらず、彼らの音楽の背景に漂っているのは、濃厚な親しみやすさをともなった、どこまでも楽天的な雰囲気だ。キンシャサの熱帯性独特のねっとりした空気のなかでも、乾いた、突き抜けるような青空のように――――。


ザイコを受け継ぎ、またザイコを越えたとされるバンド、ヴィヴァ・ラ・ムジーカが出現したのは70年代後半だ。1975年、パパ・ウェンバはエボォコロとともに、イシフィ・ロコレを結成。そこでは、ザイコよりさらに一歩進んだ音楽を作り、ほどなくして自らのグループ、ヴィヴァを創立し、独自のサウンドを追求し、リンガラの異端児からやがて帝王として君臨し、現在なお強い影響力を保っている。 彼のサウンドはルンバ・ロックと言われ、アタシまるくんは、はっきり、好みではない。しかし、リンガラを語るうえではどうしても避けて通れないグループである。ウェンバが作り上げたサウンドはリンガラが底抜けに明るく、軽やかなのに対し、重く、硬質でワイルドだ。リンガラで最も重要な位置を占めるギターの高音のリフはザイコなど主流派が強いエコーをかけ、甘い音色を印象づけるのと異なり、ヴィヴァのギターはソリッドで強く、サイドギターのカッティングが強調される点も大きく異なる。そして、何より異質な点はウェンバの独特なヴォーカルにある。リンガラの伝統である流麗な甘い歌声はない。彼はゴツゴツと切断されたようなシャフト唱法ともいうべき謳い方を多用した。また、コーラスは、低音部のユニゾンが高音に駆け上ると、一気に分裂するかのごとく、無秩序なハーモニーをつくる。そして、各パートは美しくハモリそうになるのを突如裏切るかのように、勝手な方向にのびていく。アタシの嗜好には、まったくの領域圏外なのであるが、ソウルやロック好きの方にはたまらない音楽であろう。彼自身も認めている。「私の歌はブルースのもつパワー、強い感情移入した唱法と魂を私なりに表現しようとした結果だ―――」しかし、ヴィヴァの音楽スタイルやウェンバのボーカルに直接的、または外見上ソウルやロックなどの痕跡を見出すことは困難かもしれないだろう。緊張と対立――――彼の音楽から感じるキーワードである。60年代末からの、音楽の、そして世界の暗く鬱積した感情を共有することにより、それを表現する全く別の形式の創設に彼は挑み、成功したのではないか。彼らの音楽に―青空ーは感じられない。予定調和的、美しい音楽が、ない、のである。



© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: