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テーマ: 回想(14)
カテゴリ: 思い出
三日続けて高校時代の事を書いています。


書きながら思ったのですが、
多分私は高校生の自分を許していないのかもしれません。

幼くて無知で無垢で知恵が無くて
自己主張の出来なかった自分を嫌いなんだと思います。

そのためにもちゃんと書こうと思います。




私がマツオカ先生に守ってもらわなければいけなくなった発端の事件・3



2年生の秋にKちゃんたち4人が問題を起して


その事件を調べる時に、
私は何度も何度も相談室に呼び出されました。

私はKちゃん達と学校以外では付き合っていないので
分からないと何度言っても信じてもらえませんでした。

女子の付き合いなんて、
些細な事で変わるのが分からなかったんでしょうね。


だから先生方は、
私がKちゃん達を操作して容疑を免れた
とでも思っていたのだと思います。

何をしてもしなくても
先生方には色眼鏡で見られました。


逆に放課後は付き合わなくなっていました。

いえ、それは正しくありません。
私は断わる事が出来ない子だったので
Kちゃんに誘われて引っ張られたら
幾らひどい目に合うと分かっていても


危ない所でした。
また自覚無しに、
問題を起していたかも知れない所でした。

たまたまKちゃんが私に対して
積極的に関係しようとしていなかっただけでした。



私はKちゃん達が
何を起して退学になったのかも知りませんでした。

大人になってから、
偶然4人のなかの一人のYちゃんに会った時に
一体何があったのか?を聞いてみました。

「お母さんが浮気をしている事を知って
ショックを受けたYUちゃんが、
『お母さんがそんな事をしているんなら私もする!』
って言ったから、
私とKやれやれーってふざけて言ったの。
まさか本当にやると思わなくて言ったの。
そしたらKが斡旋したらしい」

そんな内容でした。
哀しいYUちゃん。
YUちゃんは素朴な少女でした。
異性不順交友なんて縁の無い少女でした。
ヤケになったんでしょうね。
母親の行動に対して
何かしないではおれなかったんでしょうね。

そして隣りにKがいた。


事の重大さに気付かずに
「けしかけた」YちゃんとKちゃんは
自覚も無しに自主退学させられ
遠い親類の家に身を寄せたのだそうです。

なんてこった。

気の毒な役回りの同級生達。
もしかしたら先生達は私がKを操作した
裏の立役者とでも思っていたんでしょうか?


私はあの頃Kが私に興味を持っていなくて
良かったと思いました。

Kと付き合う事の危険性を
改めて知ったのでした。

Kが私に勧めたのはタバコと
不良と言われている人達との付き合いだけでしたが
訳の分からない子供の私がそそのかされたら
何をするか分からなかったかもしれません。

高校1年2年の頃は私は物凄く幼くて
何をするか分からなかったと思います。


そうして私はSちゃん先生が危惧していた状況の中で
日々を過ごす羽目に陥っていました。

そんな危険が隣り合わせになっていた生活の中で
いつもマツオカ先生は事ある毎に私と話し合いをしました。

私のねじれた心を真っ直ぐにしたり
薬を塗ってくれました。

「私はMYを信じているよ。
MYは何を信じている?」

「大人の矛盾にばかり目を向けているけれど
MYの矛盾はどうするの?」

私の幼い感情に何度も付き合ってくれました。
泣きながら話す私に真剣に答えてくれました。

マツオカ先生がいたので
高校を頑張って卒業しようと思いました。

親は私を理解せず、受け入れてもくれないけれど、
私を信じてくれるマツオカ先生に応えたいと思いました。


私は2年生の終わり頃には深夜に家を抜け出したり
たまり場で皆で騒いだりしていました。

親に見つかると殴られました。
「子供は言っても分からないから身体で教え込む」
「手で叩くと痛いから」と箒の柄で殴られました。

まともに話合いなんかした事もないくせに
両親は一方的に命令して怒りました。

人間扱いされている気がしませんでした。
絶対言う事を聞くまいと思いました。

私と言う人間を全く見ていない親の言う事なんか
聞くものかと思いました。

親が大事なのは自分達の評判だけでした。
しかも内容ではなく表の顔でした。

私は未だにそう言う事には敏感です。

母は、母のために一生懸命家事を始めた娘の
気持ちなんか一度も考えた事がありませんでした。

だから、親が怒っても殴っても
絶対言う事を聞くつもりはありませんでした。

ただ、1年生で行方不明事件を起してからは
門限が5時半になり、それは守っていました。

この辺が私らしいな~と、
今思い返すと思います。

だって反抗するならいっそ何もかも反抗するだろうに
5時半と言う早い門限を守っていたのです。

なんかな~~~。
私って大ボケ者ですよね。



マツオカ先生と話し合いをしたのは
私だけではありませんでした。

問題を抱えている生徒と何度も話合いをしました。
マツオカ先生と話合いをした後は
みんな泣いて反省をしていました。

自分の甘さやいい加減さや視点の違いについて
とても感じる所があるので泣いてしまうのです。

でも一週間すると忘れてしまって
「マツオカうるさい」と呼び捨てを始めるのです。

それが私には分かりませんでした。
話合いをして感じたり思ったりした事をすぐに忘れて
本気で心配してくれた人をバカにするって
どうなっているのか私には分かりません。

いわゆる「喉元過ぎれば何とやら」
だったんでしょうか。

そのうち仕方がないのか?
と思うようになりました。

でも私は忘れない。
マツオカ先生の本気と思いやりと信じてくれる愛を
私だけは忘れない、と思いました。


マツオカ先生は私と話し合いをして
私を励ますだけでなく、
職員室で何かと話題になる私を
かばってくれていたのでした。

私は何もしていない、と先生に言うと
「MYは立っているだけで目立つ」
と言われました。

私は小さい頃から目立ちたいと思ったりはしない子供で
人から見られてどうか、なんて考えた事がなかったので
目立つと言う意味が分かりませんでした。


応援団を3年間やってるから目立つのか?
生徒会執行部委員だから目立つのか?
学級委員の仕事で人前に出る事があるから目立つのか?

友達がみんな美人でスタイルが良いのに
私だけぽっちゃりだから目立つのか?

本気でそう思っていました。
でも全部人からさせられた事ばかりで
自分でしたくてしている事なんかないのに。

友達の中で私だけ異質だからなのか?

本当は今も分かりません。


高校の同級生で一人だけ今も付き合っている
Oちゃんに聞いた事があります。

「私がずっと学級委員に選ばれたのは何故?」
するとOちゃんは
「え、そうだっけ?」

憶えていませんでした。
彼女とは高校時代は親しくなくて
大人になってから仲良くなったのです。

彼女にとってどうでもいい事だったようでした。
つまり忘れるくらいの事なんでしょう。
それは、誰もが嫌がる学級委員を
断われない私にやらせたって事なのかも知れない
と思いました。

もしかしたら理由がなかったのかな~~。
つまり女子の多いクラスなので
その時の流れ?みたいな。

女子の気持ちは侮りがたし。
私には計り知れないナゾです。

私は学級委員をしてとても大変でした。
人前で話をし、クラスの行事を率先してやり
まとめたり叱咤激励したり。

余りに非協力的なので泣いてしまった事もあります。
それなのに「学級委員だと思って威張っている」
と言われた事もあります。

すごくイヤでした。
威張るなんて考えられない事でしたから。

人に意見するのはすごく抵抗がありましたから。
そう言えば人前に立つ仕事ばかりさせられていました。

断われないばっかりに色んな仕事をしました。

でも、それで度胸は付いたかもしれません。
いい事もあるものですね。



そう言えば、私はずーーーっと高校時代については
不快な印象だけで思い出していたのですが
大人から見たら、
そう、
とても不安定で分からない子だったかもしれませんね。

大人から見たら、
どんな女子高生だったのか
今までその視点で考えた事がなかったので、
これからは別の視点からも光を当ててみようと
今、思いました。


ようやく心が落ち着いてきました。

高校時代を思い出すと不快な気持ちと
マツオカ先生に出会えて
「あんな大人になるのであれば死ぬ必要は無い」
と思った事が強く溢れてきます。

毎夜ベッドで泣いていた高校時代。
人前では笑っていた高校時代。
マツオカ先生に助けられてなんとか過ごした高校時代。


大学に行くと、誰も私を色眼鏡で見る人はいなくて
私がそのままでいられました。

普通にしていると普通に見てもらえました。
目立つと言われませんでした。

だって変な人が沢山いたので
私なんかさっぱり変り者じゃありませんでした。

○○先生の娘と言う人もいませんでした。
感想文なんて誰も気にしません。

そこはのびのび出来て居心地が良くて
ようやく人間として生きる事を知ったのでした。

思えば高校というのは実に狭い世界なのに
そこにいる限りはそこしかないように思わされて
抑圧され苦しめられた世界でした。

本当は広い広い世界があったのに。


外に行けばごくごく些細な問題だったのに
目付きが悪い、態度が悪い、教室に溜まっていた。

では、教室から出てバス停で話をしていると
「バス停で溜まっていた」

では、バスターミナルで話をしていると
「ターミナルで溜まっていた」

では、と私の家に行って女子だけ6人で
インスタントラーメンを食べていたら
「MYの家に溜まって何かしている」

女の子なんか意味のないおしゃべりをしているだけなのに
どんどん行き場が無くなって
深夜に抜け出すしかなくなって行って。

今思うと馬鹿馬鹿しいです。
罪を作り出すだけの環境だったと思います。


私は受け入れてくれる人なら誰でも良かったんですね。
私は淋しくて淋しくて、
誰かに受け入れて貰いたかったんですね。

男性とも付き合いましたが
それも悲惨な事態を招きました。

心の穴を埋めようとしてやる事は
つまりネガティブな行動で自滅を促すようなものでした。

子供は親に認めてもらえないと
心に大きな穴を開けたまま生きて行くので
その穴を埋めようと必死でやる事は的外れで
結局の所、自分で自分を追い詰めてしまう・・・。

イコール、生きていくのが難しくなる。
穴は大分埋まってきた最近の私です。




その後マツオカ先生とは
人間同士の付き合いをするようになりました。

最近は音信不通ですが。


私はマツオカ先生のような
知的な大人になりたいと思いました。
持っていないものほど欲しくなるのです!!

だけど私は単なるお人よし~~~♪
好奇心だけは旺盛なほにゃららです。ヽ(。_゜)ノ





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Last updated  April 8, 2017 11:56:57 PM
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