賢者の石

賢者の石

 錬金術師達は、"賢者の石"と呼ばれる物質の力を借りて卑金属を貴金属に変える、
金属変成という作業を行う事が出来ると信じていた。
そうした理論を支える原理の根底にあったのが、アレクサンドロス大王の家庭教師だったギリシアの哲学者
アリストテレス(紀元前384~322年)が信奉していた、自然界のあらゆる物質は変成する性質を持つという思想である。
例えば、種が成長して葡萄の木になり、その葡萄からワインが作られて、ワインは酢に変わっていく。
だとしたら、鉛や銅が金や銀に変化してもおかしくないだろう。
後は、そうした変化をもたらす賢者の石という特別な物質を、手に入れるだけでいいのだ。
 名前の分かっている最初の錬金術師は、紀元前250年頃にアレキサンドリアかその近郊に住んでいた、
デモクリトスの異名でも知られているメンデスのボロスという人物である。
この異名は100年前に死亡したギリシアの哲学者で、
全ての物質が元始で構成されているという理論を確立した、アブドラのデモクリトスに因んで、彼自身がつけたものである。
 錬金術師のデモクリトスが残した記録のうち、現存する一部の文献は、1828年にエジプトで発見された。
その中で彼は、まがいものの黄金を造る様々な方法について解説している。
うち一例として紹介されたのが、別の金属の表面にワニスを塗って色を付け、黄金のように見せるという、
古代ギリシア社会で以前から良く知られていた方法だった。
 他にも初期に行われた実験を紹介した錬金術事典の様な本が
西暦300年頃にゾシモスによって著されており、うち一部が現存している。


ニコラ・フラメル

 パリ大学で公証人をしていたニコラ・フラメル(1330~1418年)は、
かつて夢で見たことがあるという触れ込みの錬金術の秘儀が記された本を、後年になってから実際に発見していた。
そしてその本を参考にしながら、赤い粉末状の物質と自ら解説した"賢者の石"を生成する事に成功したのだった。
 また、フラメルは1392年にその粉末を半ポンドの水銀にふりかけて、同じ量の銀に変化させている。
このとき実験に立ち会ったのは彼の妻だけだったが、
当時の人々は、フラメルの暮らし向きがにわかに変化したのを見て、彼の言葉を真に受けるようになった。
というのも、それまで貧しい暮らしを送っていた男が、
いきなり膨大な富を手にして、パリの病院や教会に多額の寄付をしたからだった。


ヤン=バプティスタ・ファン・ヘルモント

 さらにもう一人、金属変成が可能である事を信じていた人物にベルギーのフランドル地方に在住した
科学者兼医者のヤン=バプティスタ・ファン・ヘルモント(1577~1644年)がいた。
賢者の石について記した手記の中で、彼は次のように述べている。
「わたしは、これまでにも何度かそれを目にして実際に手にもとってみたが、
 色はサフランの粉に似ているのに、重さや光沢はまるで粉末状のガラスのようだった。
 一度だけわたしは、その物質を4分の1ゲレン(1ゲレン≒0.065グラム)入手する事ができた。
 そこで坩堝の中で熱せられた8オンスの水銀に、その物質をふりかけてみた所、
 あっという間に、それまでどろどろしていた水銀全体が多少けたたましい音を立てながら微動だにしなくなり、黄色い塊となって凝固してしまった。
 ところが、問題の物質をふりかけた後に鞴で風を送ってやると、重さにして8オンス、数でいうとほぼ11粒の黄金が生まれたのだった」



錬金術 水銀に秘められた力

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