狐と稲荷

狐と稲荷


お稲荷さんと言えば、狐か稲荷寿司を思い浮かべる人が多いと思います。
これは稲荷の眷属である狐の好物が、油揚げあることに因ります。
稲荷神社は、商売繁盛、家内安全の神社です。

 稲荷神社は全国に32000社あると言われています。
この数は神社の中で最大のものです。

稲荷信仰の中枢は京都の伏見稲荷大社です。
古くは稲荷山を中心に上・中・下三社に奉斎されました。
下社(中央座)宇迦之御魂大神
中社(北座) 佐田彦大神
上社(南座) 大宮能売大神

とされ、加えて
田中社(最北座) 田中大神
四大神社(最南座)四大神

をもって五座を祭っています。
 この旧社家(神職家)に荷田氏があり、ここに白髭翁の絵が伝わってますが、この翁は稲束を担っています。
この翁は、田の神だといわれています。


稲荷神社の縁起

 神社というのは、古代において氏族が個別に奉祭するものです。
古代最大の氏族である秦氏によって奉祭されたのが、この稲荷神社なのです。
 天皇家以外の蘇我氏、物部氏、藤原氏、大伴氏、紀氏、出雲氏、吉備氏等の氏族が良く知られていますが、
この秦氏は漢氏と同じく渡来系氏族です。
先祖は秦の始皇帝の子孫とされています。
 日本史の歴史ではあまり記憶のない方も多いかもしれませんが、政治より秦氏は商業で成功した氏族なのです。
 ハタ氏というと波多氏というのもありますが、隣接した地域に居住しており、
更に商業的に互いに織物に関係する仕事をしていて伝承が融合しています。
 因みに秦氏のハタは機織に通じます。

『山城国風土記』より
 昔、秦忌寸の先祖に伊侶具という人物がいた。
この男は富み栄えて、ついには奢り、餅を的にして矢を射た。
すると、餅が白い鳥になり飛び去ってしまった。
その白い鳥は山上に降り立つ。
するとそこに稲が生えた。
それが稲荷の名の由来である。

伊侶具というのは間違いで、伊侶巨が正しいとの指摘もあります。
稲荷山は、伊奈利山や、神奈備山の表記もあります。

弓矢は伏見の地域を統治していた象徴で、餅は神の召し上がりものである神饌のことで、それを射ようとしたのです。

こんな話があります。
 同じようにある農民が餅を的にしてこれを射た。
すると餅は白鳥となり、南へ飛び去った。
その農民は死に、その田は荒れ果てた。

 この話を踏まえると、このままでは秦氏の先祖は死んでしまうので心を入れ替え、稲が生えた場所を稲荷神社として祭ったのです。
それにより、秦氏は繁栄し、富を得たということです。

 稲荷の神は、稲霊と田の神であり、神饌つ神(食物の神)、ひいては穀物神、農耕神として信仰されているのです。
 また神饌つ神は、三狐神とも書かれることがあります。
きつねをけつねという地域があります。
また、稲生(イネナリ)から、稲荷を「イナリ」としたという説が一般的ですが、そうではなく異形(イナリ)から由来していると考える人もいます。


験の杉

 『山城国風土記』の後日談があります。

 伊侶具の子孫は、先祖の行いを後悔し、神社の木を引き抜き、これを家で祭った。
今でもその木が枯れなければ幸福がもたらされ、枯れてしまえば不吉なのだと人々は信じている。

 これは、稲荷の神の顕現に関わる験の杉の由来を説いています。
 験の杉とは、神霊を戴こうと境内の神木(杉の木)を折りかざし、家に持ち帰る信仰習俗なのです。
神薙(神霊が降りる木)や玉串(神霊の憑る串)にも通じます。


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