proud じゃぱねせ

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親父と母ちゃんの貧乏生活


妻子を連れていく代わりにうちの母ちゃんを連れて行く事に勝手に決めた。

うちの母ちゃんは、親父より6つ年下だった。
親父の尋常高等小学校時代の担任の先生が、母ちゃんの家で下宿していたのと、
彼女の姉さん(叔母)が親父と同い年だった事から、小さい時から御互いの事は知っていたそうだ。
両方の実家も歩いて5分と離れていない。

母ちゃんの家族はもちろん大反対。
小さな村だったので、妻子ある男の人と出て行くとなれば聞こえが悪いのはどうしても母ちゃんの方。
やれ誑かしただの、相手のいる人をわざわざ選ばなくても。。。と言われただろう。
世間体が悪いというよりも、母方の祖母(私にとって)にしてみれば、
「あんたはあんな気性の激しい人について行くのは無理。苦労するのは誰でもないあんたなんだよ。
可愛い子供をわざわざ苦労するためにくれてやる母親が何処にいる。」っと反対したそうだ。

悲しい事に、反対されれば反対される程燃え上がるもの。。
家族の必死の反対を振り切って、母ちゃんは、親父と共に、山形県のその小さな村を後にした。
行く宛てのなかった二人は、東北圏内の旅館を転々としたそうだ。
親父は、その時貯めたありったけのお金がみるみる減って行くのを感じながらも、
いざとなったら心中でもするか、っと思えるくらい母ちゃんと一緒にいたかったんだそうだ。

こういう事をめったに口にしない親父が、ある日酔っ払って私にそう話した。
仲が良いとは嘘でも言えない両親だったので、
親父のそんな話は子供(っと言っても高校生ぐらい)だった私にとって、
ちょっと照れくさいけど、とっても嬉しかった。

この後、辛い生活から、アルコール依存症になった母ちゃんは、酔っ払うと、
「あの頃(逃避行中から貧乏丸出しだった頃)がお金はなかったけど、一番幸せだった。」
とよく呟いていた。

その後細かいゴタゴタがいろいろあったらしいが、結局二人は、親父が夢見た通り、
神奈川県の海の見える所、根府川町に落ち着いた。
『落ち着く』と言っても、貧乏だった二人は、何かの縁で知り合いになった、
海沿いのみかん農家の人の好意で、段々になったみかん畑にある、
用具入れの掘っ建て小屋をただで貸してもらう事になった。

その掘っ建て小屋、段々になっている部分が壁の一面になっていた為、
残りの3面をベニアで囲っただけの本当に粗末な小屋だったらしい。
そのドアも無かった小屋に、ベニアで上に開く小さなドアを作った。
それは、取っ手の代わりに紐を付けて開閉する、『パタリ式』(命名by親父)だった。
海の側で風が強く、冬の寒さは東北出身の二人にさえ、
「何時凍死してもおかしくなかった」と言わしめるほどだった。

貧乏だった二人は、酷い時にはあんぱん一つを二つに割って、
それを2、3日かけて食べたそうだ。それでも食べるものがあっただけマシだった、っと親父は言う。

親父は土方で、母ちゃんは飯炊きで、それこそ朝から晩まで働いた。
お昼の弁当の時間に、会社からお茶が出るのだが、それを飲むくせを付けると、
いつもお茶が飲みたくなってしまう。親父はそういう贅沢を防ぐ為、
会社がただで振る舞ってくれるお茶には手を出さず、水を飲んだそうだ。

当時、土方の仕事は、重機が発達していなかったせいか、人手がかかり、
親父も仕事には困らなかった様だ。
元々地元の同級生の間でも、親父は頭も良くて喧嘩も強かったらしいので、
普段は出稼ぎに出たがらない人も、親父の所ならっと、
たかが親方なのに、総勢で、100人近くの人を集めた事もあるそうだ。

親父は気性も激しく、切れやすかった為、よく喧嘩をしたそうだ。
自分が集めた連中は、皆親父の事をよく知っていたので、
同じ飯場内では、喧嘩は起こらなかったが、
飲み屋に出入りする様になると、やくざとよく喧嘩して、相手を滅茶苦茶にしてしまうので、
やくざの親分からも一目置かれ、スカウトされた事もあったと母ちゃんは笑いながら言う。

6人のやくざと喧嘩をした時に、ブロック塀で囲まれた駐車場まで逃げて、
その角に背中を向け、後ろからかかって来られないように自分の位置を固めると、
「後は、相手も一人ずつかかってくるしかないから、6人けっちょんけちょんヨ。」
と中学生だった娘に自慢気に語る親父。。

ある日、元受けの土建屋がその月の出来高を払ってくれない為に、
集めた人達に給料が払えない事があった。
お金を取りに行った人の話だと、そこの専務(社長の弟)に
「金庫を確かめてくれたっていい。無い物は払えない。」っと言われたそうだ。
その人から話を聞いたのが、夕方7時。勿論親父は切れた。
車なんてある訳が無い貧乏親方は、子分の腕っ節が強いのを一人選ぶと、出刃包丁を腹巻にさした。
徐に飯場の外に出ると、誰かが拾ってきた、車輪が三角形になってしまっている自転車に子分を乗せ、
そこから約1時間、海沿いの道路を扱ぎ続けて、元受けの土建屋の事務所に殴り込んだ。

「金は無いって言っただろう。」っという浴衣姿で寛いだ様子の社長に、
「汚ねぇ事しやがって。このまま帰ったら仲間に合わせる顔がねぇ。
金なんていらねぇ、ぶっ殺してやる。」っと出刃包丁をぬいて、
事務所にあるカウンターを飛び越えようとすると、
「まっ、待て。金なら今すぐ何とかするから。。」っと、奥の隠し金庫から、
オドオドとその月の出来高分を出してきたそうだ。

私に話をしながら、親父は「よくあんだけの距離にあの自転車がもったもんだ。」とのんきに呟くと、
「あの社長は、育ちのいいお坊ちゃんだったから、舐められちゃいけないと思って、
ちょっと脅したらビビって金出してくるんだもんな。」っと、
脇の金歯をちらりと覗かせて笑った。

果たして『ちょっと』なのか?その脅し方。。。


親父の正月 に続く

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