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ご無沙汰です。 7月の下旬に、突然旅行にいきたいと息子がいいだし、目的地も決まらない状態でいくつか候補地をあげてこのなかででこが行きやすいかと旅行代理店の方にお願いして急遽、いきました。 お世話になった方はこの方です。国内の旅行事情にはたいへん明るく知識も豊富な方なので私は頼りにしています。 「人使いの荒い私」の大まかな要望にもこたえてくださり手順は完ぺき、あとはメンバーの健康管理と力量次第というかんじ。 目的地は新大阪で新幹線をおり宿は大阪のビジネスホテル。往復の新幹線を指定席で予約して、ホテルがきまったあとはフリーです。 3泊4日の初日と最終日は新大阪をメイン。なか二日は京都でも神戸でもどこでもいうかんじ? 私はここにいきたかった。 裏面はこんなかんじ。 大阪なんて万博にいってからいってませんよ。京都に高校生の修学旅行以来の関西です。公園のホームページはコチラ まぁメンバーが娘と息子なんで、また珍道中となりました。 それにしても暑かった。今日体重を痩せたかと期待して測ったら太っていた。これはノンカロリーとはいえビールを飲んでつまみをたくさん食べたからか? またジムに通わないと。 こちらのガイド本にもお世話になりました。【送料無料】るるぶ大阪ベストセレクト(’11~’12) あまり読んでいなくて、偶然入ったカステラ屋さんが掲載されていてあとでびっくりでした。あんな落ち着いたお店いいなぁ 地域限定のスターバックスの2009年大阪新マグカップです。夕焼けにキラキラ金色通天閣、大阪城、大阪ドーム等が載っており電車が走っているデザインです!大阪限定★スターバックス 2009 osakaマグカップ §通天閣・大阪城・大阪ドーム絵§スタバ【STARBUCKS COFFEE】 02P02Aug11 むかしの鉄鋼館がそのままのこっていて当時のミニチュアのパビリオンやら展示があって40年以上前の記憶と交錯して感慨深い時間をすごしました。【送料無料】大阪万博 巨大に過去思えた会場が、今ものこっているものの時間も経過して不思議な空間となってました。 駅前にこんな高速道路あったかと過去の記憶をさかのぼるのですが思い出せない。 アメリカ館の月の石は長蛇の列に並んでみました。鮮明な印象を残した万博。タイムスリップグリコ 大阪万博編月の石【未開封】 もし当時をご存じの方、なにが一番印象にのこったか教えてください。
2011/08/12
今日は、何度か目が覚めて睡眠不足だと思うところもあって寝ていた。冷え症なのにアツい。腕は冷たいのに額や胸からは汗。 ここからメールをもらう。いいなぁ、行きたいです。アフリカ。ケニアは乾燥していて朝と夕方がフード付きのコートがいるくらいすずしい。赤道直下なのにね。でも国立公園のなかは、砂ぼこりがすごくて、いまでもあの砂煙のなかを移動した道なき道をくぐって動物を探した数日間がなつかしいです。 朝日はこんなかんじ。なにも邪魔するものがない空間で本当にジーンときます。車から顔をだしてとったから車のフレームがはいっているのはお許しください。マサイマラという動物の宝庫の場所にあるムパタ・サファリクラブは夜空には満点の星で、小高い丘にたっているのだけど眼下にみえるサファリからは明かりが見えない。自家発電の宿だから深夜になると宿も暗いです。 こちらを舞台にした本として、このあたりがオススメです。アフリカの王(上)アフリカの王(下) 観光にはど素人の日本人で、遺産がはいったからとそれを使ってロッジを建てるって、無謀だけれど本当にできちゃうところがスゴイと思いました。 こんなに暑いと日本を脱出したくなります。子どものパスポートは5年期間限定で先日息子のパスポートを引き取りにいってきました。新しいパスポートはICチップがはいっていて頑丈な厚紙があいだに入り「10年もの」の私のパスポートより重厚でつくりも立派。あと5年もこのまま使うなんて不公平なかんじ。子どもは顔がかなり変化するから仕方ないなぁと実感しました。 どこか海外に行くという予定はないのに、残存期間が残り少ないからと子どもの手続きをしてしまいました。一度パスポートをもっているとそのデータを生かして発行できるとは知りませんでしたわ。謄本もいらないというし、預けて6日で引き渡しされるとは、むかしよりもスピーディになってますね。 先ごろ、別行動の方がいいのではといわれた夫をおいて子どもとどこかに行こうかと想像をめぐらす私なのでありました。 行きたい海外 夫→インド、私→ケニア、娘→イタリア、息子→ギリシャ 本当にみんな勝手なことをいってます。この4人で海外旅行にいけるのだろうか?こんな好みでは、二カ国までしかいけないとなると、イタリアとギリシャが無難でしょうか?春休みあたりいけるといいですが…。計画たてるのは自由だから…。 二人の子供は、もうエジプトはいいというのだよね。暑いし、食べ物がつらかったし、日差しが強いのにまいったらしい。暑さは、今の日本みたいなかんじ?いまの日本に慣れたらカイロの40度の気温なんて平気。カイロにいってもやっていける。 それにしても、この暑さなんとかして。先日熱海にいったとき、「熱海絶対に東京よりも涼しいはず」と思いました。私の体感温度では30度くらい。海が近いから? みなさん、暑さから解放されるためにどこに旅行に行きたいですか?
2010/09/05
主婦の見方!レンジで簡単!おかずにつまみに!名古屋名物ぴりっと甘辛手羽先から揚げ【お試し特価】名古屋名物ぴりっと甘辛手羽先から揚げ3人前!お店の味をそのままお届け【smtbーMS】伝説のホテルマン「おもてなし」の極意 急に息子と名古屋方面にいった。金券ショップで新幹線回数券をかいました。 私ははじめて近鉄にのったんだと思う。名古屋で新幹線からの乗り換えは5分とナビタイムでチェックしてたら。 新幹線の自由席は一号車から三号車でホームの先端だった。南口と北口を間違えた。近鉄の切符の買い方がイマイチよくわからん。 そんなこんなでのる予定の近鉄の急行にいかれてしまった。今度は指定席の特急らしいが特急券をどこで買えばいいのか、またわからん。そのたんびに駅員をつかまえて聞く。どう考えても五分で新幹線から近鉄乗換はできないと思うのだけど。改札に近い出口で切符ではなくICカードで入るとか?名古屋初心者につきご案内くださいと旗もちしようかと思いました。走っても五分は無理だと思うけど…。 すご~~く田舎からでてきたおばちゃんだよ。 近鉄名古屋駅で迷子になる。時計の大きいのはないし、慣れている人には平気でもはじめての人間には 近鉄はサービスケチか?というかんじだわ。 これは、絶対に東京の方がアナウンスしたり床に表示してあったりと初心者の観光客にはやさしい対応しているわ。コンビニいけば地図はあるし。 特急券、押したつもりが禁煙席になってなくて、すご~~い煙の車両に指定してしまい「東京じゃ電車でタバコすえるなんてないんだよ~~たかが20分くらいタバコ我慢しろよ」と無言のカルチャーショックをうけました。 その特急券の買い方も、区切りの駅しか表示がなくて「白子がないじゃん~~」どうなってるのと焦りまくり。津まで同じ料金だから、一番距離で遠い駅しか券売機に表示がないのよ。通勤者だけでなく伊勢志摩の観光客もいるんだから、やさしくないわ近鉄は…。駅名がないってことは、止まらないのかとまた駅員にききにいく始末。少し「心配性」のほうが、うまくいく! 乗換の駅で、今度くる急行に乗るのに「何番線ですか?」と待機している車両の運転手さんにきくと「ここでまってるときます」だって表示がまったくない。ホームにも何号車のドア付近とかどこで待てばいいんだい?東京メトロの前〃駅、前駅という表示になれていると、あとどれくらいで到着するんだか教えてほしいと思うんだけど。みんなそんなに急いでいないのかもしれないなぁ。 最悪だったのが帰りにお土産を近鉄構内でかってから駅のトイレにはいった。そしたらトイレあいているのに並んでいる女性がいて、あまり気にしないであいている和式のトイレにはいったら~~ 紙が、ペーパーがない。夕方の六時台。どこか上の方にないかとみてもないので、バッグからテッシュをだして使用したんだけど…。手洗いのところにいくまでにあいていたトイレに予備のペーパーが見受けられない。赤ずきんの可愛い=Otogicco=シリーズ□デコレ 赤ずきん ピローテッシュポーチ 「Otogicco」□ 次にきた女性もペーパーをチェックしてトイレの個室をのぞいていたので、私のテッシュを「お使いになる?」と差し上げてきました。 テッシュなしでトイレに入る女性にも驚きだし、こんなにトイレに紙なしのところはキャンプ場か?とあせった。音姫はついていたけど…。ペーパーなしって。不運だわ。久しぶりに公的機関で紙なしだった…。TOTO スペア付紙巻器 縦型ロングタイプ YH130MS 成田空港や羽田空港のトイレみたいに超ロングのペーパーでも使えばいいのに…。名古屋と縁がないというか、あわないのかもしれないね~「女子トイレ ペーパーないから補充して」と駅員にいってきましたよ。その言葉をあとに近鉄ホームからさよならして、ホッとしました。 この日、私はこの会社の駅員にぶつぶつと何回もはなしかけて向こうにしてみれば迷惑だったかもしれないなぁ。
2010/07/21
ケニアのこと まとめないといけないと思いつつそのままになっていました。 何度かこなしたゲームドライブ。娘は フルでいったけど 到着翌日には 私が腹痛でいかず、その翌日は 息子が 疲れたといい朝だけいかず三人そろっていったのは 初日の午後と三日目の午後のニ回。 それぞれみた動物も時間帯や地域でことなって 日の出もみるたびに違う風景で「またここにきたい」と思います。 バルーンサファリというオプションがあり 早朝にバルーンをとばして 上空から動物の活動をみて おりたあと シャンパンで食事という内容らしい。一人5万くらい?すすめられたけれど 「北海道にいったとき熱気球のったし いいじゃん」といったのでそのままに。時間帯が異なるがセスナにのって移動中には 空からみえるし。いろんなロッジからの参加者を早朝にピックアップして飛行したあと朝日をみながら朝食をとるというコース。けがしても たとえ死んでも文句をいわないとか海外旅行の保険の対象にならないとか いやなネット上でのうわさをきいてまれにみる被害にあう方になったら いやだと思ったのも事実。なんて 単に高いから ヤだ。やめた。よく不良品にあたることが多い我が家では マイナスイメージの方が 大きかった。 あまりサバンナに足を踏み入れるということができないので これはこれで珍しい体験になると思う。今になってみれば奮発してバルーンに乗ればよかったかと後悔が少し残る。 どうも日本人よりもヨーロッパ系の参加者が多いらしい。きちんとテーブルセッティングして食事もできるようです。むこうでいっしょになった関西からの女性の先生が 参加してよかったといってた。 動物では ライオンと象が印象的でした。 ライオンは 富士サファリや多摩動物公園のライオンバスもいったけど 野生はやはりちがう行動をしてますね。百獣の王といわれても 野生のライオンの方が けわしい顔つきのような気がする。 きちんと食事が確保されている生活ではない、 安定しているという状態でないから? 食事中でも シャッターの音がきになるのか 咀嚼をやめて 周囲をみわたすとやはり警戒している野生の本能の顔。すごいアゴが発達しているのか 噛み砕く音が聞こえる。人間でいうと氷をくだくようなかんじ?でも内蔵は食べないようで 内蔵だけまとめてありました。 目があったら まぁ こわいのなんのって。メスだろうが こわいわ。なわばりにこれ以上近寄るなっていっているかんじ。 これって テレパシーかしらん?聞こえたのよ、ライオンの言葉が。口のまわりを血で赤く汚してでも周囲の音には 敏感に反応し一瞬でも隙をあたえない。やはり顔からして 大きいし。子どものうちだけよね。かわいいと抱っこしたい衝動にかられるのは。 象は どこのグループも単独で行動していることはなく。規律のとれた集団行動。必ず幼い象をまんなかにいれて 一列になったりチームワークがすごいです。丸くなって草をたべていても 小さい子象の外には必ず大きい象がいました。 あとドライバーのヘンリーが「レア レア!」といったので 「なに?」と思ったら(一瞬 肉か?と感じた私)尾っぽの短いゼブラが。本当に短いしっぽで。食べられかけた?標的にかつてされた傷跡がみえました。運がよく逃げ切れて大人になったのですね。ヘンリーがいうレアって こんなゼブラを指すのかと納得。 写真がすくなく報告も詳しくなくイメージが伝わったか疑問です。ごめんなさい。未熟ものなので。 それで過去に同じ部屋に泊まった方のブログをみつけたので 参考にしてみてください。私は ケニアでは マサイマラにしか滞在していないけれど 広い範囲で滞在されているようだから ちょっとお邪魔して空気を感じてくださいね。時期は異なっても 気持ちが伝わる、なにか感じてもらえればと思います。 ケニア、オバマ次期大統領のルーツといわれ話題になっていますが 日本よりも貧困と富裕層の差は はっきりしているようです。「あれがスラム街」としめされた先には トタン屋根で ゴミのなかを物色している幼い子の姿が。 このあたりは 富裕層だと感じた住宅街は とても高い塀で囲まれて建物がみえない。スラム街は日本でいうホームレスというような集団ではなくて 遠くからは産廃の処分場かと思うような悪臭もただようような場所でスラムの生活。日本では そんな場所はみた記憶がないのでショックでした。阪神淡路大震災で地震後のこわれた家屋が密集しているニュースの惨劇とかさなってみえました。 それでガイドのケンさんにきいたら ケンさん自身もマサイマラにいったことがないという。「ケニアで 仕事以外では マサイマラにいくようなことはない、住民は。サバンナを知っているのはマサイか観光の仕事の人間だけ」 これって 日本に住んでいても富士山を知らないというようなことかな?外国から観光客がやってくるけど なにを見にきているのかもしらないということ? ナイロビに キリンの餌付けの場所があります。ナイロビ国立公園に隣接するジラフセンターといい 観光客がくると名前を呼んで人慣れしているキリンが近寄ってきます。ここは ケニア国民で動物をナマでみたことがない人のために立てられて動物をしってもらう目的だとききました。「名前は リンだから呼んでごらん」と誘われて単純に呼んでいたけど。バケツをたたいたりすると のんびりと優雅にキリンがやってきます。キリンの舌は くすぐったくて 二人の子供は体をよじって笑うし。 現地の幼稚園の子が遠足なのか きてました。 建物の高さが 二階と三階の中間くらいで ちょうど キリンにえさを与えるのに適した高さになっています。 ケニアへはケニア航空が日本に直通乗り入れしていないので どこからかの乗り継ぎになります。来年には 成田空港にもエミレーツ航空も就航するようです。ドバイ経由でよければ ケニアにまたいきたいと思います。ケニアは 東アフリカにありますので お忘れなく! ヒョウをまだみていない、もっと高度なマサイのビーズをつくりたいなどと勝手なことをいって次回の目標にしてケニアのはなしをおわりにしたいと思います。 今までのケニアのはなしは コチラ。そしてケニアへ ケニアに到着 マサイマラ一日目 アクシデント マサイの人 Imagine(藤原紀香写真集) この方もケニアで 写真集の撮影をされたそうです。ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
2008/11/18
写真はアフリカの日の出。 初日 午後。息子が カメラのフィルムを最後までいってないのに あけるので 車内で大ゲンカ。 フランス人の男性が 「どうした?」みたいな調子で 「気にするな。あすこにカバがいるよ」と息子に指でしめして教える。 何枚だめにしたって?まったくさ~~親のいうことをきかないから。人の話をきかないのは 父親ゆずりか。 充電。夫が まだ日本にいるときに「エジプト観光客日本人多いから 部屋に変圧器あるって。もっていかなくても」といいはりレンタルで借りるつもりが スーツケースだけになった。あまり信用しない方が よかった。いった経験もない人が 口をはさんでも体験談にもならない。余計なお世話というもの。人前で 財布をみせるなとか そんなことばかり。パスポートをコピーして まとめてもっていろとか。うるさいなぁ。 エジプトについてから みんな携帯で写真をとろうと充電しようと試みる。夫がだした携帯用万国充電器をコンセントにつないだら ホテルのコンセントから黒い煙が。電圧が違うから 火事になるって。エジプト カイロのメディアン・ピラミッドホテルで。なぜか私の携帯は それから電源が入らない。日本時間もわからないじゃないの。もう帰国したら修理かとアドレス帳もなしかとうんざり。 ケニアのロッジには 部屋に変圧器があって ベッドメーキングのスタンリーが説明してくれた。ケニアの人は 歯がみんな素晴らしくきれいで パっとみたかんじ 差し歯の人は いないようだ。質がことなるのか 歯が白い。木の枝で 歯を磨いているのを マサイの店で 買い物しているときに 見た。「キャンデイ?」かと聞いたら 笑ってた。 そうそう息子が ケニアが 気に入ったみたいで「働きたい」という。職はあるのか?肉食獣をおいかけるレンジャーにでもなるのか?スタンリーはじめ ロッジの青年たち いいかんじの人が 多くて息子がプールばかりに入るから バーのスタッフやら「スイミング ボーイ」と呼ばれてました。一人で はいってましたよ。水からでたあと彼に蝿がまとわりつく。高原では 湿気のあるものに 蝿がなびくらしい。ジャンボが こんにちは。カリブが どうぞ 召し上がれ。「ランプ ついてる!」子ども大喜び。でもさ 充電できる時間は限られていて。停電になるんだよね。ロッジは 自然との調和だから。仕方ないけど。私の携帯は こわれたんだろうか。 だから写真が少ないの。デジカメは 持参しなかったし。ステップダウントランスとセットで使用します。海外用電源形状変換プラグ toko TBA-302B 日本の(A)タイプ電源プラグを海外の(B)タイプ電源コンセントに適合したプラグ形状に変換 もし次回があるとしたら 変圧器も持参する。すごく安く買えるというのに だれかの意見をきいてこの有様だ。今のところ予定はない。季節のちがう時期にいきたいです。 夫の言葉を信じた私が いけなかった。 夫なぜか またマカオにいっている。8月にもいったんですが。もう私 お金の心配する優しさもなくて「ドルは?」「はぁ~?ドル? ギャンブルするのに 使うお金は ありません。」「かってくるのは なに?」ここで 聞いているのは夫です。BOTTEGA VENETA ボッタガ・ヴェネタワンショルダー カーフカタオシ ブラック 【USED】「ボッタガ ヴェネタのサイフ。こう格子になって入り組んでいる模様の。色は 茶。」どうせ 覚えてないだろうが ダメもとでいってみる。「サイフ?前 かったのがあるじゃん」「ガマ口は おかあさんにあげれば?」「日本で買えばいいじゃん」「だったら きかないでくれる?そちらが かってくるのは なにかといったんでしょうが」「そうだった、ヴィトンしかしらないからさ」 いつも噛み合わない会話です。ほしいものは 自分で買えということね。けんかする以前に 噛み合わない会話というのが進歩しない。IKKO女の法則 ケニアで なぜか 息子がゲームドライブ中に「IKKOさんって 男?」ときいてきた。ドライバーのヘンリーが ダチョウのグループをハーレムというからへんな方向に。へんな日本語をしってて ヘンリーが「カチグミ。負け組」だれが 教えるのやら。そのIKKOという言葉に ヘンリーが反応して「IKKOって このあたりでは あっち こっちという意味だ」という。ガゼルが IKKO。ジラフ(キリン)も IKKO。シンバ(ライオンのオス)も IKKO。 IKKOという共通の音の言葉に げらげら。
2008/10/29
私が 知り合ったマサイのママは ロッジから歩いて20分くらいのところの村からビーズの仕事があると くるそうです。朝10時からと 午後1時から。交代でこなしているようです。 村には電話、電気、水道、下水道もありません。 どう伝達するかって? ロッジの車がゲームドライブにいくときは その村の脇を通ります。だから ドライバーが 村のだれかに車から伝言。「何人 何時から ビーズの指導があるから ちゃんときてといっておいて」 ママは スポーツバッグに ビーズの作品や道具をもって 歩いてきます。日本語は 少し覚えたみたいで「ありがとう」「どうも」「さよなら」このあたりは 最後にいってました。笑顔に輝く白い歯が印象的です。 廃材を利用して プラスチックのケースを 適度な大きさにカミソリの刃をそのまま もって 切ってました。 ろうそくに さっと マッチで火をつけて ゴムのベルトの隅をとかして 接着したりとても再利用がうまい。あるものを最大限に利用する。 他の作品をみせてもらったけど 植物の実のタネをアクセントに途中にいれたりデザインが 独創的でセンスある作品。ビーズの色の組み合わせといい本人のセンス次第だものね。 魚は 場所柄食べないみたいですね。ウガリというとうもろこしの粉をとかしてのんだり ヤギや牛の乳や 血を飲む食生活。文字伝統の文化ではないようです。だからアフリカの歴史には 解明されていない未知の分野が多いのかも? 一夫多妻制とか 特徴のある種族のようです。学校へは こどもはいってないみたい。 牛やヤギを町に売りにいったり 観光客を村に呼んで外貨を稼いでいるようです。個人の収入にするのではなくて 村でつかっているみたいですね。見学させて 火をおこしたり歓迎のダンスをみせるなど。 マサイ族は タンザニアにもケニアにも 移動しながらの放牧生活をしているようです。まぁ警備隊もないし 自由に行き来できる空間ですから。動物もそうです。もともと放牧しながらの遊牧民が多いようですが 最近は定住の人も増えているみたいですよ。 村には 観光客向けのお店もありました。一度 通りかかったら 売る気がないのか店主の男性が 店の前で 寝ていたので ノルマや売上目標はないみたいです。 こんな方もいるそうです。私の夫はマサイ戦士ロッジの女性スタッフにきいたら たまにここにも来るといってました。 職業は ことなるがこんな日本人も活動しています。 私の子どもの衣料品など おくって再利用して 使ってほしいようなことをいったら 受け取るときに関税がすごくかかるので 訪れたときに運べる範囲で持参してください それなら村の人の負担がないから といってました。 関税が高いみたい。税金があるのは どこでも同じなのかと納得。 そうそうゲームドライブから 帰る道で マサイの子どもが 向こうから見えてきました。女の子二人。腕を耳のところでまげています。なにか かついでいる?せおっている? すれちがったとき 彼女たちは 首と背中の間に バケツをもっていました。水をくんできた 帰り道のようです。 10歳くらいかな? 純真でかわいい笑顔だけど きちんと生活のために家庭での役割もある。大人だと感じました。 私がみかけたマサイの人は 一部で これがすべてとはいえないけれど 女性の方が 熱心に働いて男性は 狩りのときとか時折働くようですね。
2008/10/25
一日目の夕食後から 腹痛の嵐。 日本から持ち込んだストッパという薬を飲む。ほとんど効かない。このときの私には 効かない。これは 水分をとって 出すしかないか。 アクエリアスの粉末とウェットテッシュには大変お世話になりました。私は ポカリよりも アクエリアスの方が好みの味です。どちらでも 粉末タイプは販売されています。熱中症の対策にも!10月最終入荷分です!アクエリアス パウダー(粉末)1L用 5袋入【楽天最安値に挑戦】 日本から 持参してよかったと思った。絶対に 持参するべき~~たぶん薬がきかないから 寝不足からくる環境変化へのストレスだと思う。そんな 敏感神経質な人間だとは 本人も意外です。子ども二人は 元気だし。 消灯後の月明かりだけの 薄明かりのなか ゴソゴソ。ガサガサ。外に いのししがいるとかじゃなくて。 いのししが 実際 いたんだけど。野生のいのししが まちがえて柵越えして敷地内に入ったらしい。 私はといえば荷物をいじって ガサガサ、ゴソゴソ。子どもは 熟睡中。ちょっと 笑える。懐中電灯は用意してあるけど 荷物をさがすのに手がふさがると不自由でしょ。 そうだ 携帯カイロを持参していたはず。またガサガサ。子ども二人は やはり寝ている熟睡する時間帯だし。 ロッジからのサービスで 湯たんぽをひとりひとつベッドにいれてくれたけど。こうなったら ひとつでは 足りないって。 誰もみていないから おなかに携帯カイロを張って寝た。シャツの上から。朝 みたら あせってはったのか 曲がっていた。人間性がでていると思った。腹にカイロなんて。とほほ。効果があったのか なかったのか 気休めには なりました。本当に冷え込むので 寒いというかんじ。 二日目は 昨日同じ車になったフランス人に誘われて 午前と午後を合わせたロングドライブにいく約束をしていた。朝六時に出発して 朝ごはんは 軽食を用意した状態で 昼まで通して長い距離いくそうだ。 もう 無理。このおなかでは あの車には 乗れない。トイレも天然ブッシュトイレだし 揺れるのよ。 平気で 50センチくらいの アリ塚を 乗り上げる。ダンシング~グー。シートベルトの義務は 関係なし。トイレ行きたいときに すぐに車から 降りていつでも可能ではないだろうし。もししたら大地の環境破壊をしそうだよ。 まさかアフリカまできて トイレの利用時間が こんなに長くなるとは。ウォシュレットが とても懐かしい。 便座 冷たいし。当たり前だけど 回数が 頻繁だとこたえます。 都会で暮らしている便利さが こんなアクシデントで 気づかされるし。東京にいたら 夜間救急外来にいくくらいの症状。救急車は はずかしいから使いません。タクシーで 病院に電話してから いく。 館内電話もないので 指定した時刻にスタッフが ノックでおこしてくれるサービスがある。もう午前5時すぎ。目覚まし時計は 持参しました。 まだ暗い。今寝たら 5時40分には 起きられない。 スタッフが ノックして「グッド モーニング」とドアごしに 声をかけてくれる。返事をする。子どもは まだ深い眠りだ。「二人だけで いってきてよ。大腸だって。これは 車にのって遠出は 無理。揺れるしさ~」 子どもに伝言してといっても まだ寝ているし。電話も部屋にないので 状況をつたえないと。どうして南半球まできていつものように 起こさないと起きないのかって。パッと楽しみにしてたからと 起きてみろって。 なんとか暗闇の中ドライブの準備をしている玄関ところまで歩き ひどい英語で 今日いけないから子どものみいくから よろしくといった。姿はジャージよ。それが 暗いのに みんな現地の人で 昨日のドライバーがいるかどうかも判断できない。暗いところでは 肌が黒いと 識別が不可能。 本当に失礼だけど みわけがつなかない。同じ顔に見えてしまうこちらの体調がわるかったせいもあるけど。 口から出た言葉。「マイ ストマック ブロークン」 胃が こわれた だって~~ 帰国してから 夫に大笑いされた。胃でも大腸でも どこでもいい。よくみたら AIUの保険に加入したからそれに 熱があるは コレ。下痢はコレ。と文章例があった。でも あの場では 浮かばなかった。クレージーにしようかと迷ったんだよね。夫からは 「胃から出血してると思われなかったんだか。すげー英語。」とあきれ顔。赤痢と思われなかったか。 前日にチェックインしたときに エジプトからで おなかの調子は いかがですかときかれた。よくエジプトからの入国ルートだと ここにきてから 苦しむ人が多いらしい。その時点では 平気だったけど。 子ども二人は タンザニアのボーダーラインの方まで いったらしい。昨日 いっしょだった ドイツ人の男性は 動物のリクエストが多く 単独で一台のサファリカーをチャーターで借りたそうだ。そういえばフランス人の男性の方が おとなしめだった。この二人 微妙な空気だったんだよね。お互いに話もしないし。気の合わない相手だったのかも?定員6人(2X3列)のシートに 一番前と後ろの左側に座るしさ。国がちがうと受け付けないってあるのかも? 昼まで寝てた。トイレに座るのとアクエリアスを飲んで横たわるの繰り返し。小鳥のさえずりだけよ。テレビもインターネットもないし。新聞もないから。 日本人スタッフの方が 様子をみにきてくれる。朝ごはんは どうしますかって。部屋には クラッカーやお菓子もないし ウォーターだけ。でも 毒だししないとまずいって。朝は 食べないで絶食します。 やはり寝不足は あとの行程にひびくね。寝るべきだった。二人の子どもみたいに 大口あけて いびきかいてよだれもたらして。今度 もし海外旅行するならば どこでもいつでもアイマスクと口マスクをして 熟睡するぞと心に決めました。 そういえば息子まくら持参してた。そこまでするか?やはりすこしかわっているよね。ほとんど枕使わないくせに。へんなところで 準備のいいやつ。 宿題まで たくさん持参していたけど。帰りの飛行機で 開いた程度だし。気が向いたら やろうかな程度なんだろう。 そのあと子どもが戻ってから 食事にいくと 子どもといっしょだったフランス人男性が いろいろ説明してくれた。娘は よく寝てた。バッファローもみた。フランス人の彼は 今日の飛行機で ここから離れるので まとまって時間をとってみたかったそうだ。飛行機の時間の関係でもあるのかな?なんとなくいっていることは わかるけど あのストマック ブロークンでは こちらからの会話は 無理。単語ばかり。スリーピング ビューティじゃなかった、寝不足は なんていうんだ! 食事は 三國シェフのフレンチだけど。私は おかゆ。お米は 日本産じゃない。米粒長かった。梅干しがはいってました。飾りにローズマリーが あったのが ここは アフリカだと実感。梅干しは 日本から 輸入しているそうだ。もうスープ、サラダ、メイン、デザートのみんななしで おかゆ。子どもがちゃっかり「スープほしい」「デザートは 私」なんて調子で 無駄にはしなかったけど。 食べ物のいい思い出がないのよ。こんど四谷のオテル・ドゥ・ミクニにいってやる。リベンジするぞ。それまではデパ地下のミクニの洋菓子で 我慢する。 午後は マサイの婦人に ブレスレットを教わりました。廃材を利用して タイヤのゴムを腕の長さにして色は 自分で選ぶ。ここで 一番飲み込みも早く理解して ほめられたのが 息子。 そして 一番作業が遅く目がとんだり 何度も教えてもらったのが私。あ~~あ。手のかかる人間。パソコンうったり電卓をたたくのは 早いけど ケニアでは 通じないか。あいまにトイレにも いかないといけないし。少しは おちついたけれど。 マサイの婦人とは スワヒリ語を日本人スタッフの方が 訳して こちらがいっていることも訳してもらい、相互理解。「おかあさん しゃべってないで 手を動かしてみたいな目でみてるよ」と娘がいうと 訳して 婦人がニヤニヤと笑ったり 意思の疎通が楽しかった。すごい器用で 歯で ガっと針金はさむと クネクネ曲げたり 華奢な体のどこにそんな力があるとおどろき。手作業が速い。剃刀つかったり 手先が器用。明日も ビーズをつくりたいので 婦人にお願いしました。 材料込で 25ドルです。もっと細かいものだと 金額は かわるらしい。時間は 二時間程度かな。男性も前日に ならっていたから コツさえつかめば大丈夫みたいです。 国境は ボーダーラインというんだ。ひとつくらい覚えないとね。カントリーボーダーライン?
2008/10/23
飛行機から おりて 預けた荷物を受け取る。 付近のロッジの車が 送迎にきている。その人たちも 搭乗手続きを手伝うからここは 独特の助け合いの世界みたい。常駐のかかり員は いない。折り返しで今度は 帰国する人を のせていく。夜間には 駐機もない。動物も飛行場として認めていないのか 今はいないけど 糞がたくさんあるし。縄張りで マーキングしているのか? ロッジの車を目印に かかりの人を探す。ネームプレートをみんなつけていて日本人も数人いた。ホッとした。車には ロッジの名前やロゴがあって けっこうたくさん宿泊施設があるのだとびっくり。だだっぴろい平原にそれらしき建物は肉眼では 見えないし。 マサイの男性が槍をもっていた。記念写真に応じるのだろう。もちろん有料。ちょっと 足首が息子よりも細いじゃない。体脂肪がほとんどないかんじ。子どもに 写真をとるかときけば 初対面のマサイの人に圧倒されたのか声もでないから この場では 写真もとらないことに。はじめてみるマサイの男性に 目が。赤い布のインパクトもすごいし。 指示された車に乗りロッジに向かう。もうすぐに動物の大群が。シマウマ(ゼブラ)ガゼル 草食動物の大群。たくさん。離れたところには キリンもみえる。 すごい斜面をのぼる家畜をみかける。ヤギ?牛?マサイ族の放牧で 牛飼いの少年も見える。「マサイの動物とマサイの人の写真は とらないでください」と注意。フレンドリーで 手をふる人もいるけど。さきほど空港で見かけた人はマサイの衣装だったけど こちらの人は ナイキやアディタスだとTシャツきていたり あまり都会の服装とかわらない。町にでて 購入している? 急勾配な道をこえて ムパタサファリクラブに到着。空港からは 30分程度はあったか? 日本人スタッフがお出迎え。そのあとチェックイン。三人なので スィートだ。二人のデラックスだとジャグジーが ついていない。 ムパタサファリクラブは かなり丘の上にあり 見渡す限り大地で したみえる反射してる光っているものは マサイの集落のトタン屋根?音が 鳥のさえずりくらいしか聞こえない。斜面に 独立してたつロッジで 各ロッジは 中央にあるレストラン棟を中心に離れている。歩道の下と上にロッジが点在している。 一番 端のロッジで 道はあるけど奥には 数メートルで歩道がとぎれていた。部屋に入る。ここまで荷物を手伝ってくれた女性のあしの速いこと。追いかけるとゼィゼイしてしまい無理。 あとで かなり高地だから なれないと空気がうすいのでと教えてもらった。歩幅が広いかと疑問だったけど空気のせいなのよね。だから マラソンやら 早いはずだわ。自然環境が 異なるから。 ロッジは 天井が高い。トイレが二つ。ひとつは 独立トイレ。もうひとつは洗面、トイレとシャワーと兼用だ。天井が ぶっ通しで 音がつつぬけ。これ血縁者でないとかなり抵抗あるかも?鈴木エドワードさんの建築らしいけど 私は シャワーヘッドの自由がきかないのは 困りましたわ。あやまってヘッドをとってしまったし。こわしたかと あせりました。 角度と高さが調節できればいいのにね。そう 西洋人体系に設計されてるということね。 ここは 電気は 自家発電しているが 昼間は電気がつかない。はじめてトイレにいったら すわるとくらいので とまどった。ドアは しまるので。水は 川から引いていて 食事用には沸騰してから使用しているそうだ。 水は ミネラルの方がいいでしょう。太陽の光だけで 十分ひるまは明るいというのが 理想的。 いつも朝から電気をつけて 生活しているから 新鮮でしたわ。太陽光が。無料だもんね~~。よくトイレの壁面に5センチくらいで 角度をつけられて 開け閉めできる窓があうでしょう?その窓が多くあって すきま風が はいってきます。 密封された空間では ないような。どこか外界とつながっているかんじ。 しずか。 部屋には 目ざまし時計、電話もない。冷蔵庫はあった。でも昼間停電するから ミネラルウォーターくらいしかはいってない。懐中電灯が枕もとにある。夜は 早く寝ればいいか。 洗濯でもするか~と少ない衣料品を洗面台で洗う。それから 昼の御飯。水は 冷たい。きれいでしたよ。アフリカの 水道は 蛇口をひねると赤い水と言ってた人がいたけど ここは そんなことありません。水は 相当苦労してここまでひいていると思います。洗濯物はテラスがあるからその周囲にほしました。 サバンナには レストランはないので 原則三食は 宿泊ロッジで食べることになる。バーもあるけど 子ども二人には 関係ないし。バーには テレビがあった。プールには 息子だけがはいっていた。娘が「よく あんなに水冷たいのに 入るよ~おかしいって。」そうね。エステルームやスポーツジムは ありません。やはり息子ヘンな奴かも?あとは 図書の貯蔵庫もあるし 付近を散歩したければレンジャーさんを手配して散策もできる。 宿泊代には 午前と午後のゲームドライブのニ回と三食の食事が含まれています。あと最寄の空港までの送迎。 午後のゲームドライブにいく。同じ車になったのは フランス人の男性、ドイツ人の男性、関西からひとりできた学校の先生で 私たち。男性は 息子をいれて三人。ドライバーをいれたら4人。女性は みんな日本人。 フランス人の男性は 東京が好きで 30代から40代。ドイツ人は もう50代かなというかんじ。 男性がひとりで アフリカまでくるって?独身? 帰りの飛行機でも 初老の男性がひとりで のってきて どんな職業なのか気になりましたわ。男のロマンというものですか?でもさ~旅行のあいだ 一人って?私は 困りそうでイヤだ。トイレに いっても荷物はどうするの?全部もって移動かぁ。荷物を少なくして同じ服をきていてもかまわないなら それでもいいかも? なにがみたい?ときかれたら フランス人とドイツ人が アリゲーターから なにから ばらばらにいい終わらない。いつ終わるかとボーとみていたら (こんなに動物の名称をあげるなんて 写真家?動物研究家か?)思い出したように「アー ユー?」ドライバーがきくので「チーター」と答えた。 チーター いいでしょ。こびないハンター、足が速いしデブでないし 美しいでしょうが。 ロッジを出発。道路は 前に車がいると赤い砂がはいってくる。天井の窓も 中からも 外からもいじれるけど。 窓が あいてると風が冷たい。ムパタの車は それなりに重装備だからいいけど そうでない車のジープタイプもみかけて こわくないのかねと少し心配に。ライオンあたりが よじのぼったら ひと噛みで もうアフリカの土に合流だわ。だって あの若い女性ドライバーは 20歳くらいと説明してくれるけど。ほとんどむきだし どうぞご自由にと見えるけど。 私は みなかったけど 車が動けなくなったら 無線でお互いに連絡とってだれかの助けをまつらしい。そんなときは ロッジに関係なく 助けあいだそうだ。 寝て食後の昼寝中の ライオンやら カバやらみえたけど。やはりチーターよ。チーターが。 颯爽と歩いている姿が りりしかった。親子だと思うけど。二頭で 人間の車に囲まれても動じない。 動画でいいチーターをみかけたので ご覧ください。私が みたチーターは 人間に近寄ることなく歩いていきました。 あいたい、みたいといっていたチーターに初日から 遭遇して とてもラッキーな気持ちになりました。目の前でチーターをみて えらいドキドキした。たぶん彼らは 人間を人間として理解してないのじゃないかと思うのだよね。車にのっていても 動物が主役のサバンナでは 人間は 控え目だし。 タンザニアでは 人食いライオンが捕獲されたそうだ。やはり野生の動物には そんな危ない面も潜んでいるのだけど ここでは ゆったりと時間が流れて 当たり前のことを動物はしているというかんじでした。食糧として 必要な分だけ狩りをする。 食べておなかがいっぱいならば 狩りは しばらくはしない。 生で みたい動物は なんでしょうか?そういえば 動物占いってありましたよね。やはりチーターは 素敵だった。威厳があるかんじ。その印象は かわりません。 READY TO 11(eleven)
2008/10/21
ケニアの首都 ナイロビ ジョモ・ケニヤッタ国際空港に到着した。ちなみに ジョモさんは 大統領の名前らしい。ケニアシリングにも 肖像がのってました。 時刻は朝六時ごろだが 真っ暗。機内からすぐにバスで移動することもなく空港内に入れたので 印象はすこぶるいい。あの飛行機から タラップでおりてバスにたったままのり あっちにいったり まがったりで移動するのが個人的には きらい。いくら建物の設備が整っていても 苦手。 ドバイは 到着便だけは バスで移動らしいけどボーとしている状態で階段おりたり バスにつかまったりシルバー世代になったら 遠慮したい。今でも 遠慮したい私は 口うるさい客かな。時差ぼけで ボーとしているとき階段おりたり トランスファーは 何番出口とかアナウンスきいて指示されるのが いやなのよね。足が不自由になったりしたら 出かけるのが面倒になるのが わかる気がする。年齢の高い人が 船旅がいいと選択するのも 納得できる。階段が 意外と多いことに気がつく。 空港内は とても進歩的で 入国のところで 審査官に「ルック」と示されたさきには ゲゲゲの鬼太郎のお父さん(目玉オヤジ)みたいな装置があって 目の大きさチェックをパスポートと照合しているらしい。 その進歩的な設備にびっくり。女性ひとりで作業していのカウンターで 私たちが家族だとわかっていても「なんの目的?」「滞在期間は 何日?」「帰国予定は いつ?」とバラバラに質問する。賢そう。でも「サファリ?」なんて息子に笑顔で聞いてきて ウィットにとんでいるかんじ。サファリとは 旅を意味するから仕事の出張でもサファリというらしい。 エジプトのカウンターは 二人体制だったけれど 入国も出国もなかなかすすまなかった。比較しては 悪いのだろうけどエジプトよりもかなり…。混雑ぶりは 日本の関空もすごかったけれど スピーディーな対応では ケニア、日本、エジプトかなぁ。 ビザのない入国者のレーンは かなり混んでいて 日本で取得しておいてよかったと思いました。機転がきく審査官がいて もうすいているクルーオンリーのレーンにいっていいというので スムーズに入国できました。到着便が 重ならなかったらしい。 荷物をもってタグをみせて 外にでようとすると「フロム ジャパン?」と尋ねられ日本人とわかると「おはようございます」と係員がいうので 日本人の旅行者も多いかと驚いた。ここでは 山本山は なかった。 現地の旅行スタッフのケンさんにあう。ケンさんは ブレザーをみていた。そんなにすずしいの?肌の露出部分がない。私たちはエジプトからの半そで状態。体感気温は 20度くらい?送風で すごせる陽気。「ケニアのお金 用意してあるますか?両替しますか?街中で 買い物するのとチップ程度ですが ドルで20ドルくらいかえますか?たぶんムパタのロッジより空港の方がレートいいです」誠実そうなかんじ。空港内の両替所で 両替してケニアシリングにかえてもらうがケンさんが 大きい金額を 細かくかえてほしいと交渉していた。チップの相場の説明を受ける。 そのあとドライバーさんと合流して 市内をとおり朝食のホテルへ向かう。「これが サッカースタジアム」ケニアは 左側通行で きちんと信号や標識もあって少し安心した。エジプトは 右側通行でした。徒歩で歩いている人は 腰までの長さのジャケットを身につけている。都会。高い建物の数は 東京には かなわないけれど。少しずつ明るくなる。日本の冬の日の出みたいなかんじ。8月のお盆のころでも 赤道に近いとこうなんだ。 赤道直下だけれど かなり高地(1500メートルから2000メートル)にあるので 朝と夕方は かなり冷えるらしい。歩いている人に 半そでは いない。朝日がのぼってきた。全体が 日本でいう軽井沢に例えられる。日中の日差しは 強いが みんな長そでをきている。 ホテルのゲートでは 検問のようなゲートがあってそれから駐車場につく。やはり治安は そんなに野放しにいいとはいえないようだ。日本のようにだれでもかれでもホテルに入れるという雰囲気ではない。 ビュッフェタイプのレストランは 航空会社のクルーもいてまだ7時前でも活気がある。 そのあと国内線専用の空港、ウィルソン空港にいく。大きいトランクの荷物は ケンさんの旅行会社で あずかってもらうことに。搭乗手続きを ケンさんにしてもらう。 ここのカウンターの女性が 私には ホイットニュー ヒューストンに見えた。美人。髪型をまじかでチェックした。細かい編みこみ。髪の毛が 日本人と同じ黒だけど髪質は ことなるかとみてしまいました。白髪なし。いいなぁ。うらやましい。 「英語は しゃべれますか?」「リトル」サファリリンクというラミネート加工されたカードを預かる。「これが 搭乗券。彼女がアナウンスするから 指示にしたがって移動してください。」10時の飛行機だと かなり時間がある。ケンさんとは ここでお別れだ。 子ども二人は おなかもいっぱいになったし「寝てもいい?」と一人ずつのベンチをふたつ使い 足をまげて眠ることに。わが子だけど どうしてこんな異国の地で平気で眠れるか 信じられない。はじめてきたところ。飛行機でも寝てるし。夫の遺伝子の影響か。よくこんな硬い椅子に 横になり寝息を立てられるのか 世間をしらないというか緊張しないのが 不思議。搭乗する人が あつまってきた。 9時すぎて 「マサイマラ?」と男性のスタッフにきかれる。Eチケットのカードをみせる。ワゴン車にのり移動。本当に単語しか話せないレベルだから きちんと英語ができれば もっと楽しめたり深くつっこんで はなしができるのにと後悔しきり。 施設内を 車で 数百メートルのって 離発着する場所に行く。手荷物をチェックに出したりこじんまりとした場所だけど きちんとしているというかんじ。台車には 預けた荷物がのっていた。 バスターミナルみたいな平地。でも目の前には セスナ機が並んでいる。会社もことなるしどうやって乗せるのだろう。行先もちがう? さきほどのホイットニーみたいな女性が 整備用のベストをきて「チケットプリーズ」といい色ごとに順番をきめているようで 「ディスカラー プリーズ」と示していう。番号じゃないのよ。青や緑と引き渡ししたカードの色が 異なるようで ブルーのカードの私たちの番をまつ。目の前からはセスナが 飛び立っていく。滑走路は 短いけど 離発着ラッシュの時間のようだ。 カードをみせて 指示された飛行機へ。自由席らしい。通路の左にひとつ、右にふたつの座席で15列くらいは あったかも。大きい預け荷物は 操縦席の下にドアをあけて収納していれていた。あそこが収納場所なんて意外。手荷物は ひざのスペースしかおく場所がない。網棚もないし。あと残りの大きい預け荷物は 機内のうしろのあいたスペースに並べていた。 この飛行機だから トランクの大きいものは 重量制限があるのかと納得。追加料金を払えば大きい荷物も積載できるといわれたけど 考えたらエジプトのおみやげなど預けたままでいいものは お願いしたほうが 身も軽くていいにきまっている。 アナウンスもない。こんな方法で まちがった場所にいくということは ないの? 階段は ドアになり 中から収納していた。いじっていたスタッフが 前の操縦席にいき 操縦をはじめる。二人体制で 一人は 女性だった。操縦席への仕切りもない。マイクロバスみたい~ おしぼりも ジュースのサービスもない。かろうじてベルトのつけ方などの説明が カード状で座席のラックにあったかなというかんじ。もちろんベルトは しましたが。ジェットコースターみたいな銀色のベルトでした。音楽やら娯楽もない。機械音だけが 響く。 短い距離で 離陸。飛行時間は 40分くらい。ブランコにのってゆれているかんじ。マサイマラ国立保護区は 隣国のタンザニアとも接していて 動物は 境界なく行き来しているそうだ。ナイロビから260キロも離れているそうだ。 国立公園、動物保護区、国立保護区と分別される。国立公園は狩猟も許されない。国立保護区は地方自治体が管理するので動物が増えたときは一時的な狩猟が認められるそうだ。動物保護区は 私有地の場合もあるそうだ。マサイマラは 動物の種類も豊富で 人気のあるエリアだそうだ。こんな区分がるとは 帰国してから 知ったのだけど。 また二人の子ども 機内でも寝ている。本当に どこでも寝るから 驚き。同じ場所にいる時間があると寝ている。心臓に毛がはえているんじゃないの?息子なんて ここでもトイレにいって 売店をのぞいているし。どこでも同じ行動。 まったく 言葉も通じないところで 他人によく寝顔みせられるとあきれる。私には無理。電車やら 荷物をおいたままなんて足のあいだにはさんでいても 眠れないです。このちがいが あとで私だけ大変な体調不良をおこすのだが。 あ!象が。キリンが。機内から見えた。空をセスナが飛んでいようが 気にならない日常なのだろう。 高度がさがり こんなところが滑走路か空港かという場所に着いた。この飛行機を折り返し乗る人が待機しているのが見える。赤い土地。コンクリートなどない。木で囲われた柵で 駐車場がしきってある。電信柱、ビルなにも みわたす限りない。大地と空だけ。 たいへんな場所にきてしまったと実感した。 写真は たいしてきれいにとれてないし 息子が途中でカメラをあけてしまったりで 失敗作ばかりなのでいい動画サイトをみつけたので そちらで 気分だけでも味わってください。◎【ヴィンテージ品/昭和レトロ】 少年ケニアグラスセット 【クウネル・天然生活】
2008/10/19
今回の旅行は 子ども二人と私でいきたいエリアがちがっていた。行こうといいだしたのは 春の季節で まったく夏の予定も未定のころ。 子どもは エジプト。ずっと長くいたいらしい。やはり歴史でのインパクトが強いのか。 私は イギリスのロンドンか アフリカエリア。 ロンドンでミュージカルをみて ハリーポッターか ナルニアの映画の舞台となった空気を感じる。ピーターラビッドの湖水地方でもいいか。二階建てのバスにのって 飛行機は ヴァージンアトランティック?クィーンズイングリッシュでポテト アンド チップスをパブで オーダーして食べて 曇りがちの空気のなか大英博物館にいきたい。バッキンガム宮殿の衛兵の交代もみたいし 歴史ある王族の香りを感じたい。息子は ドクター フーというBBCのドラマが 好きだったから けっこういきたがるかも? アフリカは なんといっても遠いし そう簡単にいけるところでもない。 なにか誘われていく場所ではないでしょう?ケープタウンなんて 漢字で 喜望峰と書いちゃうところだものね。南極は 無理でも 地球のここまでいったとまれに見る経験をしたい。南半球だから 日本とは別世界で 夜空の星も多いだろう。 劇団四季のライオンキングをなんども見て あの朝日のなか動物があつまり活動する瞬間を目の前で見たい。日本には いないイボイノシシも見たいと思ったし サファリパークの人工的なところには ない日常を感じたい。 自然界の普通さを感じたい。人類の起源といわれる場所で なにか子どもにも 心に残ることが得られれば収穫で お金に代えられない価値が得られるのはと思った。 大地にのぼる太陽や広大さを感じるには やはり広くて雄大で自然にあふれたところがいい。 タンザニアあたりがいいかと。セレンゲティ国立公園とか。ダイナミックに大きい眼でみて日本人やら平成の時代に生きているなど 現在のもっている立場を通り越して 人間として なにか感じてほしいのだよね。人間というよりも 地球で生きているいきものとして。 場所の決まらない、日程も決まらない状態で。でも どこかに行きたいという気持ちだけは やたら強くあって。こんな客は 困ると反対の立場なら感じるが。主体性がないのだから。 旅行の相談をした。無謀だ。 パスポートは 三年前につくったので 子どもは残存期間が二年弱。私は 八年もの。 それで すすめてくださったのが エジプトから ケニアに入りコース。 え~~ 二カ国ですか? 想定外だ。子どもと私の行きたい旅行先が異なるから旅行会社さんも 大変だったに ちがいない。いろいろと苦労してくださったのはこちらの会社です。大変 お世話になりました。あまりない組み合わせだった。 事実 エジプト カイロから ケニアに飛行機にのったとき あとひと組しか日本人は いなかった。 ケニアですか?ケニアって?足の速い人が多い国?かつて、どこの植民地だった?フランス?イギリスかぁ。紅茶が飲める? 接触することがなかったので。未知数限りなき高く 不安な国。 昨年末には 総選挙にともなう暴動もでて 死者もでたと報道されている。そのあとどうなったのか すごーく気になる。治安って 観光には とても重要なランク。まず日本人では 選挙の結果で クーデターや 暴動は おきないし。 エジプトよりも情報が少なく ガイドブックを探しても ケニアだけでない。アフリカという単位でのっている。ケニアのページは薄い。それにしても アルジャリア、ケニア、タンザニア、ナイジェリアって どうして国名の最後は ア で終わる国が多いの? 素朴な疑問。ご存じの方 いらしたら 教えてください。 今は なつかしい高校時代に アメリカの州の語源を調べるのが 宿題ででて大変だった記憶がのこってます。一人一州担当で テストにも出すというから さぼれなくて。えらい大変だった。百科事典やら 分厚い本を 図書室にいけば どこのクラスでも同じ進行で 授業ながれているから 本がないのよ。今は インターネットで ラクラク調べ学習の時代だものね。でも ケニアは インターネットやら どうなの? そうそうアメリカの州の語源は インディアンの言葉で なんという意味から 州名がつけられた。というのとイギリス系の上陸者が イギリスのある場所ににているから つけたというのが 多かったような気がする。バージニアあたりはイギリス系。もしかしたら アフリカも イギリス人がつけた? まだ30年たっても 記憶にのこっているから 智として身についたかも? でもさ~ 当時 アメリカには こんなに細かくやったくせに アフリカは スルーでしたわ。アパルトヘイトぐらいしか 浮かばない。そのあとも ソマリアやら 紛争の話題しか入ってこないわね。 やはり日本から アフリカは 遠くて 情報の少ない国なのよね。 ケニアって どんなところ~?いいの、こんな状態で 渡航してもいいわけ?だって英語が…。 ほとんど忘れているし。心配、日本語の通じるところでないとなにかあったら日本に帰れない。いったきりアフリカの大地に眠るなんて イヤだ。 そうそうイメージとしては こんなかんじです。最近のテレビCMから。ここは ケニアではないと感じるけど。雰囲気だけは 感じて。でも この使用するお湯は 火をおこして沸かすのか?とふと疑問に思った私は 理屈っぽい?保温瓶で 持参か。 それで旅行先として すすめてくれたのが ムパタ・サファリ・クラブだ。経営者は 日本人。日本人スタッフもいるから なにかあってもいいのではと太鼓判を押してくれた。 ムパタって 地名なのか、経営者の名前?程度の疑問符でしたが。ホームページは ここ。 このロッジができるまでのお話が 伊集院静さんの小説になっている。アフリカの王。興味のある方 お読みになってください。ダイナミックなお話でしたよ。金額の桁が違うわ。発想といい かかわってくる協力してくれる方が 著名な方が多くて たぶんこれは だれのことだろうと想像しながら 読むのも楽しいです。 秋の夜長に 読書などいかが?図書館で 借りてもいいし 楽天で 購入しますか? アフリカの王(上)
2008/10/16
エジプト観光 三日目 はやいのもので夜の便で カイロから ケニアのナイロビにいく日になった。エジプトともお別れだ。 朝から午後までが見学の時間。ダハシュールのピラミッド見学に行く。 無知で 勉強もしないで来訪した私たち。1996年から 公開がはじまったというから知らなかったのも 仕方ないか。けっこうピラミッドって 数がたくさんある。群というかんじ? ギザ地区以外に ピラミッドがあるとは しらなかった。やはりギザの三大ピラミッドと比較したら 迫力にかけるのは 事実。周囲も観光地化されていないような空気。ガイドブックは 用意したけど。 階段ピラミッドや屈折ピラミッドとあるけど カイロのホテルから車で30分くらい 移動する。今考えると 一時間くらいかも? 街中ではないから 観光客が少ない。 ナツメヤシの森の中に カーペットスクールという看板が見える。 カーペットスクールには いかなかった。子供が労働しているらしい。細かい作業なのに。子どもが働いても いい国?これは 何度も疑問に感じたこと。スクールって 訓練しているという学校なのか?よくわからない。レストランのトイレにも 10歳くらいの子が 掃除でいる場所もあったし。 わが子にも なにか感じてほしいと思っても「夏休みだから 手伝いしてるんじゃないの?」と平和ボケした感想。 働いているのだよ~~日本人は 恵まれているんだって。自分の環境と比較しろって。「ワン ダラー」って 絵葉書を売りによってきた男の子は 7歳くらいかなぁ。そんなとき 必ず息子に近寄ると 息子は 困った顔をする。相手が幼い子どもだとはっきりと断れないのだ。カバン屋では ダウンだ ノーサンキューだと二人で演技したのに 息子でさえ子どものつぶらな瞳には弱いのだ。買ってしまった。 ここは あまり観光客がこないのか 物売りの子どもがいなかった。飲料売りもない。どこからか 野良犬がやってきて 車の日蔭に入り込んでくる。そう ここは 砂漠。 サハラ砂漠までつづいているそうだ。頭がボーとしていて 私がいま考えたのはゴビ砂漠?サハラって どこだっけ?と考えていると「こちらの言葉で 砂漠は さはら。だから サハラ砂漠は おかしいです」そうなんだ。 ピラミッドのなかに入ることも可能だといわれても 三人して遠慮した。とても小さいというのが わかったし 昨日よりも通路が狭いときいたから。 こちらのほうが ヴィジュアル的には 砂漠のなかにあるピラミッドで 絵になる。 で 子どもは なにをしていたかというと砂漠の砂をさわってました。いつもこう主題からそれたところに興味がいくような。なにをしに ここに今 いるんだよ~~~~と絶叫したい。石まで 拾ってました。キラキラしてるって そんなことに喜んでいる。石は かってに持ち帰るなっていつもいってますが。 日蔭がない 砂も目にはいるし たっているのが つらかったです。 そのあとメンヒィスにある古代エジプトの最初の首都に行く。 ここが 首都ですか?というような場所。 農水路の両側に片側一方通行のの道路があって子どもが 水遊びしているし のどかなところ。もちろん方向を変えるには しばらく走行してから 橋のところにいき 向こう側にわたって 反対車線にいく。これで 平気なのだろうね。 線路も越えた。遮断機もなくて…。自己責任でわたれということかも?ガイドさんにきいたら ほとんど利用しない貨物線ということだった。きれいな水ではないし ナイル川の支流かときけば 農業用の散水用の水といってたけど。 ラムセス2世の巨像をみた。このファラオは かなりのナルシストで 像のいろんな場所に自分の名前をヒエログリフで いれているらしい。これには手首あたりにいれている。 「これ どこから 発掘されたのですか?」 「このあたりの畑」畑 畑 畑から でてきちゃうなんて すごいと思わない?うもれているというのが 信じられない。 日本にも 古墳というのがあるけど 解放されないしね。さがせば 黄金もあるかも?埋蔵金特集どこかで やってましたね。でももとは 国民の税金や労力でできているのでしょうね。 足首から 下が破損したので ねかせてあるそうだ。二階になっている部屋の周囲から 下をみおろせるし 一階からも まじかでみることができる。むかし そのかなり昔だけど ジャイアントロボって 番組しらない?よく夏休みになると再放送していた番組。年齢が ばれるか…。ウルトラマンより 昔。そんなイメージなんだけど。マジンガーZより 古いけど。それを 思い出したのよ。大魔神よりは いい?ちょっと ファラオに失礼?でも こんなにたくさん像やらあって これでもかとつくったのかしらね。神殿もあるし。どこでも わが像を崇拝せよということだった? ピラミッドといいすごい大きさなのですが。 ラムセス2世のミイラを博物館でみたけれど 180センチはあっただろうと推定されて 長寿で90歳くらいまで 生存していたそうだ。この時代に180センチの男性って かなり大きい。 エジプトグッズコレクションツタンカーメン黄金のマスク 90歳って どうしたら 長生きできるのだろうか?子どもや孫も相当いたそうだ。そんなに長生きして 当時は アルツハイマーなんて 病気はあったのかしら などと余計なことを考えてしまいました。強靭な体力があったから在位も長いのでしょう。 ちょっとエジプトの食事は 私はダメでした。ゴマのペーストやら日本人でも 大丈夫そうなところもあるけど 油がたぶんちがうのか 鼻につく。香辛料も強い。ハーブも。水も 日本より硬いかんじ。 息子は ドンタコスが うまいから 買ってきてといったけど そのあとお菓子を買う時間がなくて それきりだ。 ちょっと私は エジプトで暮らしたいとは 感じませんでした。時期が悪かったのか 暑さにまいったというのが本音。 こうじわじわ汗がでるという天気ではないけど 日差しが強い。移動の車中では 二人の子どももあいたスペースを 利用して シートに横になってました。でもホテルに帰ればプールで泳いで元気でしたが。 目一杯 スケジュールを組むよりは 午前か 午後のどちらかにいきたい場所をいれて あとは 時間があればいく、体調に余力があったら増やすぐらいの考えがいいかもしれませんね。 けっこう歩くので 体力が消耗されるようです。けっこうエジプトで おなかをこわす人が多いときくのは この天気のなか 精力的に観光するから 睡眠不足でもあるときちゃうのではないかと。 どこでも平気で 眠れて どこでも食べられるものをみつけて 満たされる人は 大丈夫だと思います。でも アブ・シンベル神殿は いきたいので またの機会にとっておきたい。 次回は なぜ エジプト、ケニア方面にいくことになったか のあとケニアの報告の予定。
2008/10/14
旅の途中で 買わなくてはいけないものがあって 気になっていた。 ファーストクラス気分なトランクケース『レトロカラートランク』58cm【メーカー直送品・送料無料】 それは レンタルで借りたトランクにかわるバック類。キャスターがあるとなおいい。 このエジプトのあとに ケニアのマサイマラ方面にいくのだが国内線の飛行機には 荷物の積載制限があって15キロ以下となっていた。 レンタルで借りたトランクは 本体の重さが7キロあり 日本をでるときにまだ荷物が余裕で入る状態で 23キロになってしまった。このトランクは ケニアの旅行代理店に預けておくことも可能であるがケニアでも 使用する衣料品などは カギのかかるバッグ類に入れ替えないといけない。アフリカ方面は 鍵のかかるトランクなんだよね。知らなかった。それだけ物騒なことが多いということか。トランクにつけておいた目印のバンダナは カイロについたとき消えていたし。 ホテルのお店には トランク類は 並んでいなかった、 ガイドさんにたずねると「日本の人が どうしてエジプトで トランクやバッグを買うの?そんなヘビータイプは 売ってないわ。布になってしまうし。日本製が丈夫で長持ち、素材もいいのに」とあきれている。そんなに日本製って 海外での評価たかいんだ。 やはり もっと早く準備して 日本で買えばよかったか。でもケニアについてから 荷物を区分けして ビニール袋や布のトートバッグにいれかえる時間はないだろうしやはりエジプトで 出国前にしなくては いけない作業よね。大きいトランクには エジプトで買ったお土産 ケニアでは必要のない水筒をいれることにした。パピルスやら置物などけっこう買っているのでこれは 預けたままにすることにした。 ハンハーリという有名な場所がある。日本でいうと横浜の中華街みたいな 道がいりくんでいて映画でいうと ハリーポッターの魔法グッズのならんでいた横丁みたいなかんじ。両側に ぎっしりお店がならんでいる。 ガイドさんから説明「クレジットカードは ここでは 使わないで。」「へ?観光地でしょ ここ」「知り合いのガイドのお客さんで カードをつかってトラブルになった人、聞いたから」「えー 現金は そんなにもってないアメリカドルで20ドルくらい」ガイドさんに渡すチップを考えるとそれくらいしか 使えない。「そう20ドル。いくら高くても値切って20ドルに下げて買って」「20ドルって バッグだけど 2000円くらいで買えるの?」「粗悪品が多いから きちんとしたものは 並んでない。安いから たくさんのお土産を買うにはいいけど正規品ではないから 」ガイドさんにこう評価される観光地って こわい~ガイドさんは エジプトの方です。 「脇から 細い道には入らないで」大きい通りだけを四角形の形に なぞり 最初の地点にもどる約束。カバンやは 三つくらいある。みんな間口が狭い。 最初の店には 店員がでてこない。奥行きがありそうだけど 暗くて奥までいくのは ためらう。 二軒目は 露天商というかんじ。布性のキャスター付きだけどさわるとかなり布もうすい。 「布でもいいじゃないの?」と娘。布しかないのかも?ここもダメ。日本人とわかるのか「ヤマモトヤマ」山本山「もうかりまっか」関西人か?「お安くしまっせ」関西人が多くきているのか?今は 関西の方が 景気がいいのかも?と話しかけられる。お店は 香辛料や貴金属 お土産物のお店が多い。10歳くらいの子供がトレーの上にカレーをもって お店の階段で食べていたり 働いているのか どうなのか? みんなお店の入り口にに ビザやマスターカードあたりのステッカーはってあるけど。現地のガイドさんが カードを使うなというのには 悪人も多いということ? 三件目のカバンやさん。 みるからに へんな店。だって ヴィトンやフェンディ、グッチのにせものが つってある。娘なんて 入口から はいってこない。だれがこんなにせもの買うのやら。まがいもの?ばかり。だって手提げの部分の布なんて縫製が雑。こんなのかって 日本に帰国したら 税関で ひっかかるって。キャスター付きのバッグをみつけた。金額をきくと26ドルという。カギは 別売りで2ドルだという。合計28ドルか。 もうダウン、ダウン?といって20ドルまで下げさせたが カギは別という。カギっていっても南京錠で 日本では 子供がロッカーにつけるような鍵。番号式じゃないし。 「じゃあ いらない」とノーサンキューといって 店を出ようとすると別にいた奥の店員にきいて合計20ドルでいいといってきた。 で 結局 購入した。レシートもくれなかったので レシートをかけというと出ないという。 やはりあくどい店なのか?だから店の名前もしらないよ。 たくさん買い物するとレシート集めて 税金が戻ってくる国もあるのに 観光大国なのに意外です。たかがレシート一枚書いてくれたっていいのに。あんまり力をいれると駄目みたいね。ファスナーは YKKでないし。 そういえば ファスナーは YKKか きちんと見ろと夫には ジャンバーでもなんでもファスナー品にはいわれていた。こんなところには 細かくくどい人だ。 ホテルに帰り 荷物を入れたら ファスナーの留め具がひとつはずれた。返品して取り換えようかと思ったが レシートもないので あきらめた。その程度の品ということ。 帰国してから 夫が香港とマカオにいくのに このバッグを使用した。安定が悪く キャスターを使うとバランスが悪いので たっていられずにすぐにこける。私のせいじゃないけど。「よくみたら メイドインチャイナって なってたぞ。なんでエジプトまでいって中国製のものかってくるんだよ~」それは トランクを買うのに いい顔しないからレンタルになった結果じゃない。家が狭いから トランク買うなとか 治安のいい国は カギなしで 入国できるとかさんざんいってたのは どこのどいつだい?最初から いい品を日本で買えばよかったんだよ。 今となっては 1ドル111円のレートで 当時かったバッグが 現在99円なので とても安く思えるのでした。
2008/10/12
パピルスのお店を見学。 ピラミッドをみたあと 近くのお店二店にいきました。 一軒目は 貴金属や置物。アクセサリーに名前をいれてくれる。息子は いろいろ買ってました。アルファベットで 名前をかきます。時間がかかるので ホテルにあとでもってきてくれるとか帰りによれば その時間までに名前をいれてくれるそう。チェーンの長さや 種類 からみなど好みで選びます。ヒエログリフ 象形文字のこと? 2軒目が パピルスのお店。ここで 説明をしてくれますからとガイドさんが お店の奥にいってしまい 英語じゃ理解不可能だから のんびりやってほしいと思っていたら。「わたしは なになにと申します。昨年カイロ大学の日本語学科を卒業しました。」若くて発音の美しい現地の女性です。久し振りの正しいアナウンスが使うような言葉に 呆然とする登山帰りの私たち。空気が静まり日本語に酔いしれる瞬間。日本を出国してから ドバイ経由でカイロにきて オリンピックもみんなみてないし空港でもやっていない。テレビが そんなところにないのよね。そうそう カイロ大学は 元防衛大臣をされた小池百合子さんが 卒業されてます。あの白い肌の小池さんが エジプトで大学生活をおくったのが 意外ですがしばらく家族で エジプト生活をされていたそうです。 関空では まだ日本のニュースを流していたけど。 日本語が 本当に懐かしい。私は 豆腐が食べたい。なぜか梅干しよりも 豆腐。揚げ出し豆腐、杏仁豆腐、擬製豆腐、白和え、冷奴。ある野菜をバンバンいれて 入り豆腐もいいですね。卵をといでおしまい。 日本語が エド・はるみみたいに きれい。カイロ・るみでもいいけど。チョーとか メチャクチャ、はっきし、やばい ぶっかけ メンドイウィシュ、ダセー、メッチャこんな言葉 いっさいでてきません。グーも いわないけれど。イスラムの方だから髪は 布で覆っています。隅にまち針がみえました。針で とめているのかぁ。 最初に、次に、そうして、そのあとこの使い方も パーフェクト。 目の前で パピルスの茎(うーん さとうきび?みたいなかんじ、ふき?とうもろこしでもいいか?)を 水につけて 皮をこうして むくと 底はピラミッドのような形になります。そう三角形なのよ。 彼女の流暢な日本語に ききほれてしまいボーとなってしまいました。 むいて はぎとった皮を このように 縦と横をクロスして 重ねていきます。 目の前で 工程を説明してくれます。写真をとれば よかった。彼女にききほれて固まった状態の私たち。あくびもできません。 圧縮すると 糖分が内部からでますので 自然に1枚の紙のようにつながります。 圧縮なんて 今の若者は 漢字もかけないし 意味もわからないかも? 時間は 三日間程度といったかな?機械で おもしを載せるらしい。日本だと 湿気が多いから 同じ時間では無理かも?版画をつくるときにローラーの機械で まわすでしょう?あのような機械が小型でありました。 完成!! これ 発見して研究した人 すごーいい。厚みも同じだし 一本ごとをみても曲がったりしていない。手作業で この姿にできるなんて。 いい仕事してますね~~ エジプト人 尊敬。器用だ。繊細なセンスだと道路状況など忘れて リスペクト一色。賢い。 パピルスの加工品は 大きさによってお値段も異なります。けれど 安いものもあるので 記念に1枚買いました。(夫用)これで 5000円くらい。柄は 古代エジプトの神殿や ファラオやたくさんあってカラフルです。狩りの絵やらたくさんありました。目移りします。 あとは個人の観光客用に 生年月日ごとに星座ごともありました。名前をいれてくれるようになっているらしい。たぶんアルファベットで 名前のサンプルを書くと 加工してくれるのだろう。ちょっと 星座のくわけが 日本とずれていて 時差の関係なのか数日ことなっていました。 日本が和紙をつくったように 日本の文字が縦書きのようにエジプトと年代は異なるけれど 共通な文明がみえかくれしてかってにこじつけして 楽しかったです。 もしエジプトにいかれることがあったら 見学だけでも楽しいのでいってみてください。きっと1枚 日本にもって帰りたくなるでしょう。 色が カラフルで 発色がよくて 鮮やかです。日本の絵の具では同じ色は だせないのではって。絵には ふちどりが してありますが細かい作業なのに 整っています。 青、緑 このあたりが どんな方法で色を出しているのかと気になりました。
2008/10/09
エジプトのピラミッド やっとパソコンが使えるようになりました。 まだブログへの写真の移動のさせかたが よくわかりません。写真は できたら追加します。前回お世話になったこちらのブログで 写真をみてください。 エジプトのピラミッド解説 ギザの三大ピラミッド 古代エジプトを代表する巨大遺跡、ピラミッドの建築技術が最も成熟した時期の建設 で 美しい四角錐の形のまま残っている。 現在は 3つのピラミッド全体を一つの遺跡として保存している。入口は クフ王の ピラミッド側に一か所、スフィンクス側に一か所。 ピラミッドの内部に入る場合は各ピラミッドのチケット売り場で入場券を買う。 クフ王のピラミッド ここ3つのピラミッドでは一番大きい。 基礎部分の四角形の一辺の長さは230.3m,傾斜角度は51.5°。現在は 頂上までの 高さが9mほど崩壊しているが 建設当時の高さは146.6m 内部見学が可能。 本来の入り口は封鎖されていて 盗掘された穴を使用して見学する。 大回廊 見学してないれる部分は ここを示す。 通路の長さは 46.7メートル 高さは 8.7メートル。王の玄室とつながってい る。 王の玄室 この部屋の壁と石棺は 花崗岩で作られている。 王の部屋と思えないほどの殺風景な場所。 太陽の船の博物館 クフ王のピラミッドから発見された木造の船を展示している。 ピラミッドの後ろに別の建物として 展示されている。 カフラー王のピラミッド 基礎部分の四角形の一辺は 215m、傾斜角度は 53.1° 建設当時の高さは 143.5メートル。現在は 136.40メートル。ピラミッドの大きさ は 二番目だが クフ王のピラミッドよりも高い位置に建設されたので大きくみえ る。四角錐の天井部分には 石灰石の化粧石が残り 当時は 全面に覆われていたであろうというイメージの残骸をみることができる。 スフィンクス 全長57メートル、高さ20メートル 現在は 痛みがはげしく頭部分はいつ崩壊してもおかしくな い。 建設時期は 諸説がある。 メンカウラー王のピラミッド この三大ピラミッドのなかでは 一番小さい。四角錐の一辺の長さは 102.2×104.6 メートル。傾斜角度は 51.20°。高さは 65メートル。 ギザ地区が有名ですね。 カイロ市内にあって 宿泊したホテルからも すべてではないけれども 見えました。夜も光のショーがあって ライトアップしてきれい。でもショーには いっていない。ホテルの窓越しにみただけ。日本語解説の日も 週に一度だけあるそうです。ご利用される方は 確認してください。 ホテルとの距離は 徒歩で5分となっていたので 散歩がてら行こうとガイドさんに聞いたら その五分の意味をきかれて「日本だと 一分あたりが80メートルだから 400メートルくらいの離れた距離?」ときくと「えー もっとあるはず。エジプトは 歩いて何分なんて 目安がない」という。 やはり いってみたら 徒歩では 無理だと感じた。かなり高台にある。坂道は 徒歩では きつそうだ。どちらにしてもエジプトの交通状況では むこうがわにわたるのが大変だから どう考えても5分ではいけないと感じる。 朝の八時から開門開始で ホテルへのお迎えが 7:30だった。今回の旅行は 混載バスに現地でなるかと思っていたのだが私たち家族三人に一人のガイドさんがついてくれて このあとかなり自由に時間の割りふりをしてくれたので とてもラッキーだった。7:45には 現地についたが 大型観光バスなど 行列で どうしてこんなにこんでいるのか びっくりした。 ピラミッド内部(クフ王のピラミッド)への見学が 午前150名と午後150名と人数制限が制限されているので 先着順だということだ。 送迎の車からおりて ガイドさんが まとめてチケットをかってくれる。セキリュティチェックをうけて いざピラミッドの近くへ。足元は 砂というより 岩。埋められた石が 大きさの不揃いから でっぱっていたりと はっきりいってここは 夜は危険だ。 朝早いし 暑いのが堪えます。それに日差しが 強烈。早朝の到着や深夜便だと午前の見学はきつそう。 盗掘で掘られた穴が見学の入り口だった。のぼっていても 先にすすまない。ひとつの石が巨大なことに驚く。古代にどんな方法でここまで運んだのだろうか。それぞれの石の大きさは ことなっていて ピラミッドのななめにある稜線は 遠くからみるときれいにそろっているようにみえるが 石の大きさが異なるから 凸凹している。これは盗掘した人間も命がけだっただろう。足元がもたついたら 落下しか道がないのだから。 ガイドさんが 見学コース入口にいる男性に 下から大きい声で なにかトラブルがあったかきいてくれた。人が先にすすまない理由は?「停電だから おりてきて」 停電?電気がここにも通っているんだ。テッペンには 避雷針がみえるし 雷もここエジプトのカイロでもあるのかと自分で勝手に納得した。 30分くらい 自由にすごしてから また見学の入り口で 再トライすることに。でも 日陰もないしお土産店のような すわってくつろげるところは なさそう。 周囲でも散策するか。奥のビューポイントにいくバスは 舗装された道路をひっきりなしに通行して現実的なのだけど 。 時計まわりと反対方向に ぐるりとまわる。ピラミッドの周囲には 黄色のロープがはられて 指定箇所以外は 勝手にはのぼれないようになっている。落石のあともあって 地震があるのか 自然に石がおちてくるのやら? ラクダが多い。ガイドさんから 注意をうける。 離れたラクダを写真にとるのは 大丈夫かもしれないが まじかでカメラをむけるとお金を要求されるから気をつけて。あと ラクダに乗ると交渉料金から 片道だ往復だとトラブルが多いから 乗るなら 代わりに交渉する。 へー ラクダって。乗るということには しなかった。ガイドブックにも トラブルが多いとなってました。 でも ピラミッドの周囲には ラクダの汚物がたくさんおちていて くさくは ないけど 相当数の観光用ラクダがいると認識できた。 ピラミッドの周囲を集合約束の時刻までに あせって散策して 最初のガイドさんがいる位置にもどる。相当広い面積です。歩いて25分くらいは かかりました。足元が悪いということもあるけど。夜は あかりがないとまず歩けない。よく昔の人は 盗掘したと感心しました。これは 珍しい経験をしたと今になって感じます。だいたいピラミッドの周囲を歩くなんて 私たち以外にほとんどいなかった。すれちがうのは 角にいたツーリストポリスのみ。あとは 飲料をうっている地元の人。最近 エジプトの観光客目当ての誘拐事件があったでしょう?帰国したから いえるけど やはり海外は 日本よりは 治安がよくない。あれだけ警戒していても事件がおこるかと。 考えたら ここで距離にして一キロくらい 徒歩で歩いていたんだよね。夜のショー用のライトアップの装置がおいてあったりと ピラミッドの裏側をみてしまった。現在と過去の入り混じるかんじ。入口方面は にぎわっているけど 裏側は そうではない。ところどころ盗掘のあともみえるし。 ピラミッドの内部に再トライ。 ここはカメラのチェックがあります。でも日本人で 携帯電話で写真をとっていた人いました。内部には 係員は ちらばってまではいない。 でも私には カメラどころの余裕のある場所ではなかった。スキーでは すべれない恐怖の角度。手すりがないとすわって滑り台で 下までいきそう。道幅はせまく 行きと帰りの観光客が ゆずりあいながら。階段ではなくて 滑り止めの板(棒)が定期間隔で 足留めとして 設置されている。腹筋をかなり使う。頭をぶつける。へんな小柄になった姿勢で 足元にも 頭上にも 気をつけなければいけない。年齢としては 10歳以下には きびしいのではないかと思いました。シルバー年代にも つらいかと。あと10年たったとしたら登る自信がないかもしれない。 スニーカーとジーパンなどの動きやすい服装がいいと断言します。スカートやワンピースは さけた方がいいです。 スポーツをする場所ではありませんが覚悟が必要かと。体調の悪いときは きびしいかも? なかで かわいい10才くらいの女の子にあった。欧米人で ワンピースとサンダルで かなり大変そうで 子供には 歩幅が すべり止めの棒とあわないらしくタイミングをあわせるのに 苦労してました。ビローンって 後ろにずれて親が ささえてました。ビーチサンダルは 無理。でも気にしないでここまできたら 販売しているお店もないしね。レンタルで登山用の靴でも貸出してくれるといいのになんて 思いました。お水くらいは なぜかピラミッドの付近でもうっている人がいました。クーラーボックスにいれたり バケツに氷をいれて声をかけてうってました これが 一人で 両側にある手すりを同時に使えばいいけれど たいていが 反対方向の人もいるから どちらかよりだし。そう へんな姿勢なのよ。頭もこごんで 左によった姿勢。ライトが足元にあるけど かなりくらい。ヘッドランプのある人は 持参したほうが いいか?手すりがなかったら のぼれないし おりられない。 ビューポイントにいくと この三大ピラミッドのが すべてのぞめます。各ピラミッドのあいだは はなれているからやはり移動は車が便利。ラクダもありますが 乗らなかったので 相場を知りません。うしろに お土産屋さんが あるけど 屋台?か野菜の売り場?みたいなかんじです。 スフィンクスもみました。 相当 くずれているというか、私がしっている写真のスフィンクスは もっと整っていたような記憶があって 劣化がすすんでいると驚きました。 ここの三大ピラミッドで だいたい二時間も費やしたのですが この登山のような見学に疲れてしまい この日は 足がつりそうだという事態になってしまいました。 カイロ博物館編
2008/10/05
名画 漆絵・蒔絵 「ツタンカーメン王の黄金のマスク」 額付 エジプトといえば ピラミッドか カイロ博物館にあるツタンカーメンのマスクが印象的でしょうか?なにが浮かびますか?ロゼッタストーン?アブシンべル神殿もいいですね。 ピラミッドは 次回にするとして 息子の興味一番星の ツタンカーメンの黄金のマスクに話をすすめましょう。 カイロ博物館。広い。本物がそこにも あそこにも 玉座から ベッドから 見渡すかぎりに並んでいて この当たり前にそこにある風景に圧倒されました。いろんな国のことばで ガイドが説明している。韓国語、フランス語、中国語、その他。ここはいったいの世界です。むき出しにおいてあるアーチの門には 触ってしまうし ご自由に観覧してください状態で いたずら書きなどする不届き物がいるのではないかと 他国の文化財なのに 心配してしまいました。勝手に心配すればって。まさに歴史が 違うのよ、比較するレベルではないエジプトの大きさを感じました。 それでも 観光名所へのセキリティは しっかりとしていて どこへいってもまずツーリストポリスがいるゲートを車にのったまま通過。そのあと車からおりて入場料を払うか チケットを買う。観光名所への入口では手荷物のX線検査と人間も金属検査。これを はじめ重装備のポリスマンをみたら 驚いたものの みんなこの流れだから なれてしまった。 日本も美術館や博物館では この程度のレベルの警戒をした方がいいと思いました。平和ボケしているけど ナイフでももちこまれて 通り魔殺人でもされたら どこでも事件の現場になってしまいそう。あまり警備をしているという印象が日本には感じられない。人をたたせる程度の警備では 昨今事件が多いので 警戒にはならないように感じます。またテロ事件でもないと平和ボケしたままなのだろうか? 別料金のミイラの部屋にいって わからない英語の文章をなんとか娘と解読しようとしていたら 警備の人が数人で前にいたグループをとりかこみ 写真のことをチェックしていました。デジカメでとっていたらしい。離れたところで カメラで室内をチェックできるようだ。そのグループは携帯やらデジカメやら カメラ類は 全てチェックされていました。本人だけでなくグループまとめて カメラチェック。もちろん撮影不可のところでしたよ。没収されたのか別室ゆきなのかよくわからない。私、英語の理解力がないので。でも 銃をもった連中に囲まれたら恐いよね。私はイヤだから 写真不可のところは とりません。場所によっては フラッシュのみダメ、お金を払えばいいとか異なるのがエジプトらしいでしょ。入口で預けてといわれても なにかあったら不安だし カメラ類は バッグにしまいださない方が安心です。 それで 息子が ツタンカーメンのマスク前で国際的に人間違いされていました。普通日本だと あまり近づくべからずみたいなロープがあるだろうけど ツタンカーメンは しゃがめば裏がみえるし ななめからも 前からも後ろからも 全部お任せみてちょうだいみたいな状態のケースに入っています。すごい人だけど一人の人が 占領してじっとしているなんてことはなく 世界各地の言葉が飛び交う中 きちんとみている。人が流れている。いろんな方向から見学してスムーズに流れているのが なんともいえません。順路なんて取り決めはないし ケースの置き方も 中央にあって 上からでも とりかこめば好きな方向から 見られる。寛大なオープンな博物館の姿勢を感じました。この点では 日本の展示方法も真似してもいいのではと感じました。エジプトは 盗掘にあって かなり外国の博物館に文化財がいってしまっているという歴史があります。誰の所有物かとなればやはり本来あるべきところにあるのが 本来の姿だと思うのだけど。ここまでやってきて 見る機会に恵まれたというみなさん満足そうな表情で みている周囲の方が すばらしい感激したそれぞれの顔です。 ゲェー 足の指のサックまで黄金でできていると 別の陳列品を私がみていたら 息子が 知らない女性(欧米人)と話している。肩に手までおかれて。なにかしたか?やらかした?やはり旅行保険に加入してよかったなどと思いました。証人は ツタンカーメン。 お互い 顔をみて笑っていたので あとで息子に聞いたら「あの人 自分の子どもとオレをまちがえて 自分の国の言葉ではなしていたけど 違う子よとだれかにいわれて気がついて あやまってきた」ふう~ん。あんな場所でも 人違いはあるのか。どんぐり君は 世界でも通じるのかしらん?似たような背格好だったのかしらね?髪の色で欧米人とはかなり異なると思うけれど。あの密集した空間なら 間違いも仕方ないと笑って許せる? そうそうツタンカーメンマスクの裏は 黒かった。カビ?長年の劣化?ツタンカーメンの目と視線があいそうで こわかったわ。不思議なかんじ。知り合いじゃないし、同じ国の人間でもない。当たり前だって!同じ時代を生きたわけではないのに ここで今私が見学しているなんて。ツタンカーメンも ここに保管されることになるとは 想像もしなかったのではないの?どこかの国に運ばれる途中で 行方不明になりそれきりになった未知の遺宝もあるというから 保存状態もよく鑑賞もできるというのは たくさんの偶然が重なってできた幸運の結果。この機会に恵まれたことを感謝しなければいけません。誰に感謝するかって?う~ん 内緒にしておこう。私 一人ではここまでこなかったと思うので同行者に感謝するとしておこう。 クロコダイルのミイラもあった。ワニです。誰の趣味?真っ黒クロスケでしたよ。変色したのか?保存状態が悪いのか?X線で あとになってから 子どもかと思っていたらペットで買っていたヒヒだったとか いろいろみてきました。でも ここは広い。数が多い。もっとじっくり見たかったです。時間に限度がなければ一日いても楽しめるかもしれません。館内の入口付近で 日本語で「ガイドいますか?」と声をかけられたので フリーでいっても 日本語のガイドがみつかる可能性もあります。一日中いても好きな人には 興味がつきない場所だと思いました。 以前に日本にエジプト展が開催されて この博物館の秘宝の一部が少し来日したときに 黄金の指サックなどみたので よくまぁ遠い日本まで運んできたと感心しました。本当に遠い距離だし。飛行機に直行便で半日以上も離れている距離。機内食は 何度でるのやら?もしまた日本にくることがあれば その機会には じっくりみたいです。あの色が時代を超え神秘的で引きこまれそうで しびれるという感想。金や藍色が 鮮やかで目に焼きついています。色彩センスといい宇宙人がつくったという説があるようですが 人間離れした技だと思います。 この博物館の入口に 書籍などの販売しているお店がありますが 同じものでも高いとガイドさんから聞いて 外にある販売店で マグネットやトランプカードなど購入しました。博物館のガイドブックが 各言語に翻訳されているのが 圧巻でした。そうそうフンコロガシが 古代からこんなにキャラクターとして 大事にされていたのは 知りませんでした。「これって コガネムシ?だんご虫?」なんて調子で 聞いてしまった。 きちんと写真がとれているブログをみつけました。私は お気に入りにいれて 旅行の余韻にひたっています。こちらのブログで 見学気分をお感じなれればとご紹介します。 ギザ ピラミッド編
2008/09/05
エジプトの印象は 歴史のある国で世界からの観光客も多い。その遺跡や歴史を広く伝えるという分け与える姿勢は 国として立派だと驚きました。 交通状況は 右側通行で 信号や標識も少ない。それで 人間はどこをどう通るかとみていると 平気で 道を横切る。中央でまっている人も。もちろん歩道橋や地下道なんてない。この道路にビックリよ。まぁ日本でいう飛び出しもたくさんみかけたけど。車をみないで 電話しながら横切る人もいるし 事故がないのか気がかりでしたわ。いつになったら 向こう側にいけるかわからないって みなさんいかが?今回は 地下鉄や国鉄を一度も利用しなかったけれど 遅延の長さが 日本とは比較にならないようなことをガイドさんから 聞きました。なにかあると3時間は おくれるとか。 車が反対側にいきたいときは どうするかって?脇道に入り 警察官が誘導するような大通りで 向こう側にいくとか 途切れるのをまってUターンだけど。のっている方としては 同じ道を大回りして わき道に入るとか工夫をして、いったいいつまで 車にのっているのか!という調子。とても長い距離をドライブしているように感じました。日本では 考えられない。渋滞していると思ったら 一番右を 走行しているのは 馬車、ロバとか。日本では バイクでさえ邪魔だけど。エジプト人は人間性がおおらかで 事故はないときいたけど。本当かい?あまり交通ルールにはうるさくないようで 乗員の規定もないみたい、好きなだけのっている。普通乗用車で前に4人、後ろにも4人とか。ベンツやBMWも走っているかと思えば もう日本では走らない旧型のサニーやら古い車もたくさん。車検やらきびしくないのか?道端で とまっている車もみかけました。日本のパトカータイプのカラーの組み合わせが タクシーで お国違えば かなり異なる様子。そういえばパトカーと救急車は みかけませんでした。 日差しが強くて サングラスをしても 日本の裸眼でいるかんじ。暑い。さすが気温が40度。カイロの夏は みなさん日陰を狙って歩いている。バスを待っていても 少し離れたところで待機。若い女性は 頭だけをスカーフで覆っています。汗はでないけど 喉はかなり渇きます。空気が日本と異なります。すんだ日は ここからピラミッドがみえるといわれても 見えないし。喉がいがらっぽい。うがいしたいと思うような空気。 到着日は モスクに連れて行ってくれましたが 金曜日でお祈りの日。仕事のない通常の方は休日にあたるということで モスクがすごい人。何千人というかんじでしたわ。紙をくばる人や パン(ナンみたいな)を売っている幼い子や 出入口がせまいのに 終わりなく人の流れが。中にいれてもらったけれど ここで娘が 半そでで腕がでているというので 女性のみのエリアにいれてもらいました。ジーパンだったけど 首や顔の周囲まで 露出が気になるらしい。お祈りする場所ですからね。観光客用にかぶる緑の布も用意されています。なかは 男女で仕切られているらしい。小さい子は 母親といるということかしら?こんな小さいのに親といっしょにお祈りにきて おとなしくしているとは偉いと感心しました。写真は とりませんでした。神聖なる場所だしまずいと感じたので。 外国人だというので 子どもがよってきて その笑顔がかわいいの。子どもの笑顔は どこでもいつでも 癒してくれますね。年はいくつかとどこからきたのかと英語で聞いてくる。でもそのあとあなたはと聞くと 続かない。小さいお子さんは まだTシャツなど簡単な衣類で日本と変わらない。一人ひとりも 顔を覆う布に スパンコールを縫いつけたり 個性があって こんなところでおしゃれしているのかと観察しました。当たり前に宗教が日常に溶け込んでいるという慣習。日本では理解しがたいことかも?もうお祈りの一斉の時間帯はすぎたけれど グループで固まって談笑していた。お祈り以外の 集まる場所でもあるようです。あまり日本ではこんな場所ないでしょう。 写真はモスクの向かい側にあった 一般の住居。こんな風に洗濯物を干すのかとみてしまいました。ベランダ、バルコニーはせまいようです。室外機が少ししかみえないけれど エアコンなしということは ないでしょうね。本当に暑いです。灼熱の日差しというかんじで もうバテ気味なのでした。
2008/09/01
ドバイにはなぜお金持ちが集まるのか 何とか昨晩帰国しました。行き夕刻に羽田→関空→アラブ首長国連邦(ドバイ)→エジプト(カイロ)2泊→ケニア(ナイロビ)→国内線で マサイマラ国立公園3泊長い旅だった。帰りマサイマラの国内線の空港→ケニアのどこかの国内線の空港→ケニアのウィルソン空港 この間はセスナで 15人乗りで 日本人は私たちだけ。「あなたは どこから?」 「サンフランシスコ」「ニューヨーク」 一番後ろで おとなしくしていたら きかれもしなかった。日本人は 孤立?相手にされてないという雰囲気でした。自分から どこからきましたと英語で仲間入りするほど 英語もできないし。あの主張の多さをみると お国柄を感じます。搭乗口で 後ろをきにしないで先頭でチケットを延々とバッグで 探す女性やら ドバイの乗り継ぎのトイレで20人は待っているのに 平気で 割り込みをするイスラムの女性やら 世界にはいろいろな人がいると感じました。カイロの空港で 時計をみるたびに表示時間がちがうのは 日本では考えられないことでした。海外にでると時間に対する正確さは 日本が一番なのではないかと思います。それに慣れているから いつくるのかわからない、飛ぶのかはっきりしない飛行機には ビックリでした。ケニア(ナイロビ)→アラブ首長国連邦(ドバイ)→関空→羽田関空から羽田の間は エミレーツとJALのシェア便。飛行時間は 一時間程度関空とドバイは エルミーツ航空で 約10時間ドバイとナイロビは 約5時間ドバイとカイロも 約5時間 ここまで エルミーツ航空 カイロとナイロビ間は エジプト航空で 遅延4時間で 飛行時間5時間。これが今回最大のアクシデント。全く。はじめは 22時だと聞いて空港にいったのに いつのまにか23:20になっている。空港もベンチは少ない。仕方なく三人で固まりエレベーターと階段の間のスペースに座りこんで待っていました。22:30あたりから搭乗手続きが始まり やっと機内ごとの待合室に移動。バスで機内へ。そのあと機内で 「許可がでない」とアナウンスしていましたが 飛びだったのは 翌日なのですが。もう一時近い。機内食がでたのは 深夜2時近く。それで機内が乗客をのせてから エアコンのスイッチをいれはじめたかんじで 本当に暑い。みんなパタパタ扇いでいます。水しかサービスにこない。出発するまで 2時間くらい機内でそのまま。やっと離陸したら通路をはさんだ 男性は 過呼吸で はいているし 私も仲間に入りそうなくらい。においがくるので困りました。顔色も男性は悪くお気の毒でした。医者さがしのアナウンスもしないで 背中をさするだけのあの乗務員の態度でいいのかと思いましたわ。でも一番驚いたのは子どもたちも 寝ているのに 無理やりおこして 機内食をおいて そのままにしていたら 下げにくるのは 早い「イェット!!ノ~~~」と手で押さえても トレーをもっていこうとするので 頭にきました。あのエアラインの評価は かなり悪いです。聞くより早くもう手がトレーをもっていこうとしています。このせいで機中泊が かなり悪い印象。3分の一は 移動とは 疲れます。エミレーツがよかった分 かなり差が激しいです。 一番 のったエミレーツ航空は 関空とドバイの間には 日本人の乗務員が 必ず数名は いて 日本語のアナウンスも流れるし 機材は新しい。個人に一台の液晶画面もあって 映画や音楽、ゲームのエンターティメントにも力をいれている。子どもも映画をアニメのディズニーのチャンネルをみていました。食事も メインは エコノミーでもふたつから選べる。きちんとメニューを配って内容をみてから選べる。飲み物もシャンペンは 8ドルで有料ですが それ以外は もってきてくれます。最初に暖かいおしぼりをひとりひとりに配布しブランケットと枕も一人に一枚はある。ヘッドレストも高さが調節できるようになっている。朝食には あたたかいクロワッサンもくれる。この航空会社は かなりサービスを研究していると感心しました。電話も機上からかけられるそうです。でも試さなかったけど。カードのみで もちろん有料となっていました。家族単位ごとにポラロイドで写真をとってくれるサービスもあって よかったです。 だけど エミレーツは ドバイに到着したら 空港内で バスでターミナルまでで移動するのが長旅のあとは疲れました。飛行機の目の前にバスが待機して持ち込みの荷物をもってタラップをおりてバスで カーブしてターミナルにつくまでが長いです。羽田も以前はそうだったけれど。ドバイは24時間空港なのに あの乗客の移動は意外でした。おろすのは ターミナルから離れたところで 乗せるほうはエプロンから。途中 飛行機の移動をまったりとターミナルまで とても遠く感じました。バスでターミナルまで 移動する空港は あまり好きではありません。いきなり外気の空気にふれて こんなとこなのと感じながら足元をみて階段をおりる。そのあと右に左にカーブし放題のバス。頭がボーとしているのに 切り替えが大変です。 ドバイは 深夜だというのに発着量がすごくて 乗り継ぎの人の多さをかんじました。いろんな民族衣装が。インドのサリーやイスラムの全身黒の服。ベンチはあるけど みなさん視線も気にしないで 寝ています。コンセントのある壁には 座り込んでパソコンをしている人や充電をしている人。日本とは電圧が異なるようで変圧器を持参しないと使えないようでした。 それで エジプトから ケニアに移動した夜に私だけ 下痢と吐き気で大変なことになりました。息子は連日プールで泳ぐし 二人とも元気なので 食事ではないと思う。たぶん 推定だけど どこかで飲んだ生のジュースにはいっていた氷ではないかと思う。ナイロビについたときから 胃がムカムカしていた。ミネラルウォーターを飲むようにしていたのだけど。食事の香辛料がどこでも濃いし油が オリーブオイルで 胃にはなれない食事だったのかもしれません。また飛行機での睡眠不足がたたったのかもしれません。翌日は半日寝ていました。おかゆをだしてもらい 持参した アルカリ飲料をのんだ(粉末タイプを持参して 水に溶かしてのみました)ので 少しずつ治り食欲ももどってきました。エジプトは日本よりも暑く、そこから高地のマサイマラにいき 気温差もかなりあって 夜はもう寒い場所なので身体がついていけなかったようでした。早朝と夜は パーカーやセーターが必要なところです。 日本も帰国したら かなりこの一週間でかなりすずしくなっていますね。 これから荷物の整理をして写真も現像にだして 少しずつ報告したいと思います。
2008/08/23
毎年恒例のいちご狩を今年も ウェブトラベル平藤さんの甚大な協力のもと いってきました。人使いが荒く、手厳しく、期待が大きい分 要求も高いクライアントの私なので いつも平藤さんは 抜かりなく対応してくれます。平藤さんのブログはここ。平藤さんの会社のホームページは ここです。 新宿発着の新宿わかしお号で 乗り換えなしで 安房鴨川まで 二時間半。シーワールドの入園券もセットになって 大人6500円、こども3300円です。食事は 各自手配で、いちご園は たむら農園という場所をさがして 入園料を調べました。 タクシーの予約は 観光協会におたずねして 総勢8名で予約しました。小学生は息子とその友達とその妹、友人。あとは姉とその友人親子。いちご園は 1300円 タクシーも二台で 駅~いちご園~シーワールドで ひとりあたり1300円でした。 シャチ、ベルーガ、アシカ、イルカなど一通りみてきました。ベルーガが ジャンプなど派手なことはしない頭脳を使う動物で 賢い動物だとわかりました。でも説明が多いから 子どもはあきてしまうかも。高度な動物ですね。面白いからだと頭の形。あの白さ。印象にのこりました。 ばらばらにはぐれても メールと携帯電話で やりとりしてなんとか待ち合わせをきめたりしていました。 娘が 園の外の海に行きたいといい 少し イヤな予感がしたけど。いくら目の前が海でも ふかそうな海だし。まさか足をつけてはいないだろと思っていた。出口付近で すぐそこの海に 息子と娘がはだしで 海につかっていた。それぞれの友人は あきれた顔でみている。はだしなのは 二人だけ。砂に 穴をあけて 遊んでいるし。それで息子の靴下が 砂まみれ。またイヤな予感がして フェンスごしに 「まさか つかってないでしょうね~」といったら 「どんぐり(息子のこと)靴ぬらした~~」という。靴ごと ひたるか??? 売店で 買う予定はなかった大判のタオルを急遽購入した。スニーカーまでは売っていない。駅前にジャスコは あったけど 無視。「おれ はだしで帰る」と平気でいう息子。新宿から 先はどうするって おんぶでもさせるのか??夜の七時近くに到着なのに~~~知らない、ぬれた靴をはいていろ!!かえりに 何度も ぬれた靴が気持ち悪いといってました。普通だよね、この感覚は。でもそこにいたる思考回路は おかしいのでは? まったくこれでも どんぐりは 四月からは大人料金の中学生となります。先が思いやられます。 そうそう二十一世紀枠で 今回 千葉県から甲子園に出場している安房(あわ)高校は このあたりらしく いろんなところに応援のフレーズをみかけました。 とてもいいところだと思います。車なら 海ほたるで 春を感じながら おでかけするのもいいかもしれません。スギ花粉は、とんでいるかもしれません。
2008/03/23
広島の原爆ドームや平和記念資料館をみました。 一気に20万人が 死傷した。もう本人や遺族は 存命していないのに遺品は残って展示されている。20万人って 簡単にいうけど渋谷区の人口(住民票のある公式人口)より多いのでは ないですか。死ぬのも地獄、生き延びるのも地獄となっていましたが。無差別に人を殺していい戦争をもう繰り返すのは 人間として愚かな行為。理性があるなら 二度と戦争に加担する行為を許しては いけないと思います。 なんともいえない複雑な想い。 遺体には 再会できずに遺品で代用した。その遺品も 黒こげのお弁当箱や 曲がりくねった一升瓶。朝の時間帯だから お釜にはいったご飯も 原型が想像できないほど。 原爆ドームも 近くでみると内部はもうくずれおちそうで 補強工事をされているし 爆心地付近の悲惨さを感じることができました。世界遺産として残されていますが 思い出したくないからと残して欲しくないという意見もあったようです。当事者としては 複雑でしょう。 緑に囲まれた公園にいると本当にここで悲惨な街を破壊するような出来事があったのが 信じられませんでした。復興したとはいえ 忘れてはいけない過去の歴史で現実。 同行した子ども達の心にも なにか残っていますように。 建物のなかで熱心にボランティアの話をきく外国人観光客の割合が多いのに 一抹の寂しさを感じました。もっと国内からこの場所にきてもいいはずなのにって。 私も 中学では 箱根地方、高校の修学旅行では 京都奈良方面と広島を訪れたのは初めてです。日本人なら 機会があれば 訪れてほしい場所のひとつです。
2007/10/08
広島といえば お好み焼き。これだけは 食べたいと子どももいうので チェックしてみた。 お好み村というのが あるらしい。 ホテルで地図をもらいいってみた。エレベーターの正面にダンボールが積んであったて 私としては マイナスのイメージだった。客の目のとどくところに こんなおくべきじゃないよ。客のいない暇な店は 焼く人は テレビみてたり。なんかダメ。この夕方の時間に暇な店は ダメ。日曜だから休みの店もあった。ビルの二階から四階が お好み焼き店。でもビールも もつ系も無縁なので 退散することにした。人気店は けっこう客もいましたが 私たちは 入りませんでした。こうフードコートのように 好きな店で 焼いてもらってから 集まってテーブル席で食べるようなつくりであれば 違う店を選んでもいいのだけれど このつくりでは みんな同じ店で焼いてもらわなくてはいけないとなると初心者の観光客は 戸惑いますね。文句たらたらで ごめんなさい。店の違いや特徴が わからないと判断に迷うので その表示板でもあればいいのにと思いました。ネットの口コミ検索もみたけど ここにしようとまでは判断できなかったし。 地元の人もはいっていて そこそこ混んでいていい店という選択理由で お好み焼き村をでて街をぶらぶら。 みつけたのが 新天地みっちゃん。外のイスにすわって待つ。店員さんは みんなてきぱきとしていて 無駄な動きがない。ボーとしてる人がいないの。みんなが たえず皿を並べたり キャベツをのせたり分担制で 仕事している。棚を洗剤で掃除しているし 鉄板もきれいで 丁寧に手入れしているというかんじ。マヨネーズは 袋で 個別に買うらしい。鉄板で食べるか お皿にとってくれるか選択する。お皿だとカットまでしてくれる。カウンターだと鉄板に置きながら食べられるが テーブル席だと お皿のみの扱いになるらしい。広島では マヨネーズかけないのかぁ。ソースも足りなければ 継ぎ足してくださいと説明を受ける。麺は 軽くゆでてから 焼いているようでした。常連さんがきて カウンターが開いてないなら 待つという人がいた。 すごいキャベツの量だった。上からなべ蓋して 小さくしていたけど。厚みが胃の想像を超えて無理。いかのてんぷらがはいっていた。不思議な味。やはり食べきれないので 娘と息子に押し付けた。なんとか食べた。息子は ルンルン焼き(ベーコンが入る)私は デラックス、娘は 特製。トッピングも可能らしい。レジのところで ソースも販売していました。他のみっちゃんでは 味が違うのかな?新幹線口にもあるらしいけど いかれた方いますか? おたふくソースで そのうちつくろうかな?体調は 薬は まだ残っていますが 痛みは治まりました。最近連休が多く 痛みが続くなら土曜にきてといわれたけど 診察時間が短いし混んでいるらしいから 火曜にします。疲れたのでしょうかね。でも医者も 血液検査では 異常ないのに尿検査で ひどい白血球の数値で悩んでいました。イレギュラーといわれても、血尿がでているといわれても 尿に痛みはないし「じゃあ 水分とって だせばいいですか」と膀胱炎を何度かした私は 対策をきくと「熱も 36.8度じゃ 微熱だし おかしいなぁ」ともっと高熱がでるはずだとか ブツブツ。ここ一ヶ月 水分を 一日2リッターは とっていたので 旅行中が 少なめで 気になっていました。なんだったのでしょうね。たぶんまた火曜に検査をするので また報告できるかも?
2007/10/05
広島からの帰りの空港でのことです。 空港に 人が多いので不思議におもっていると ANAとJALの出発時間が 同じです。もちろん目的地は 東京 羽田。飛行機の大きさは 同じくらいかな?これって なに?私たちは ANAだったので どうせJALの方が 早いのではと思っていました。息子も 不思議がり「これって どういうこと?」と聞いてくるので「しらないよ~~」「早く 帰りたいのには どうしたら いいの?」というので「準備のできた方からじゃないの?」「準備って?」「乗客が みんな乗って 荷物ものって つみのこしもなくて トラブルもなくて」そしたら 単純な息子は 早くのりたがる。あんただけ乗っても変化ないと思うけど。せっかちだから。「スーパープレミアムシートじゃないから あとでいいの」「そのなんとかシートって ファーストとかのこと?」「三列分の席に 二つしかシートがなくて 運賃が高いの。前のほうに座席があるから 先にでられるし、あとベビーカーや 車椅子の人も先に搭乗できる」「子どもは?」そんな安い料金で のっていて なにもない!おもちゃくれる程度だって。まったくまた毛布もらっていいのかとか そんなことばかりいうし 初めてではないくせに なにをひでかすか 心配な息子でした。今 国内線も ペットボトルの点検があるのですね。時間はかかりますね。ひとつひとつ安全なものか チェックしていて ゲートが遠いと大変ですね。地方だといいですが羽田など便数の多いところは 早めに手続きしないと。ゲートまで走るのイヤ。以前機内までのバスで 走ったことがあるので 飛行機のギリギリは 懲りています。機内に入るとみなさんからのつめたい視線だし。むかしのはなしです。やはりJAL便が 滑走路にむけて 移動した。 ANAは 遅かった。まだ全員のってないし。乗客一人のマナーの問題?「今度は JALにしてよ」と息子。でも 羽田のターミナルは 会社ごとに分かれたけれど終点の第二ターミナルの利用会社は ANAで モノレールの始発だから 座れるけど 第一ターミナルのJALだとモノレールは 座れないでしょ。どちらが いいのでしょうね。荷物もあって 浜松町まで20分たったまま。たいしてかわらないと思うけど。到着時間に差があるのか 比較したかったけれど ANAには ANAの到着便案内しか ないから わかりませんでした。いつもJALがはやいとは 限らないと思うけど どうなのでしょうね?どうせ羽田の上空は 着陸ラッシュだと思うけど。でも なんで 出発時刻が 同じなの?不思議です。ありえないことでしょ?10分は 差がついていたけど。こんな細かいことも 熟知して 旅行する人って すごいですね。私なんて 旅行代理店に あ~だこ~だと注文をつけて 指図しまくりです。今回は ウェブトラベルの平藤さんに 大変お世話になりました。平藤さんもブログをなさっていますので 旅行に興味のあるかた のぞいてみてください。国内の鉄道をすべて乗ったという方です。信じられない偉業ですよね?
2007/10/04
今回の目的地は とある文教施設。理由は おいおい説明することになるのかも? そこまでの交通機関は 駅からバスがあるわけでもなく タクシーにのるしかない。そしたら そのタクシー車両番号が みんな同じなのよ。地名のあとの数字は かわらないから そのあとのひらがながちがうだけ。どうして?この車両番号は そのタクシーの電話番号の下四桁らしい。はじめ 気がつかなくて「きりのいい番号だね」と感心していたら すれ違うタクシーから みんな(たとえば)2222なの。別の会社のタクシーも一度 のったけど 自分の家系のことばかりいう運転手さんで 車両が たばこ臭いから 呼ぶ時は 2222のタクシーにすることにした。2222のタクシーは 何度ものったけれど 運転手さんのかんじがよかった。観光案内に熱心だし地元に関心をもってもらおうと熱心だ。またこの会社に頼みたいと思わせるなにかがある。運転が丁寧だったり 聞いたことに丁寧に答えてくれたり。私は タバコを吸わないので もう吸わない生活になれているから 気がつかないのだけれど まだまだ場所によっては タバコを吸えるのね。電車でも連結部分に喫煙所があったりホームにもあった。ビックリ。飛行機も禁煙だから そう世の中自体が 変化していると思っていたら。すえない場所が 多すぎます。CMもへった。これからは タバコは 吸う場所が減っているということからして やめたほうが いいと思う。無人駅で 高校生が制服姿で 待合室で 一服している姿をみて あきれた!!この学生らは カバンにタバコをいれて登校している?家庭でも堂々と吸っている?親は 注意しないのか?とてもタバコ初心者という吸い方では なかった。未成年でも タバコ買えるのね。ポイ捨て禁止条例のところに住んでいるから信じられない!!私が 時刻表をみに 待合室にいっても 悪びれる様子もなく 堂々と吸っていて 都会の子どものほうが 人の目を気にしているのかと思ったり 注意すべきか 迷ったりしました。いいことはなにもないと思うよ。タバコ税を 未成年のうちから 払うこともないけど。背が伸びないし。いま カッコいいという時代では ないと思うのは私だけかな?タバコに頼りたいくらい イヤなことがあって それを 解決するのが 先決なのか?これから成長する子どもには タバコをすってほしくないなぁ。 夫にも やめさせたし 吸う人よりも やめた人のほうが 多いと感じますが 若い年代に喫煙者が増えているとしたら 悲しいことですね。デメリットの説明が足りないのかもしれない。
2007/10/02
広島で 路面電車に乗りました。観光客向けに 一日乗車券や二日乗車券が 販売されています。宿泊したホテルで すすめられて 何度のっても大人が600円、子ども300円というので購入しました。通常の運賃は 大人が 150円です。宮島にいき 船にのって 鳥居のところまで 行くなら 船の乗船料まで セットの乗車券もあります。 東京にも 路面電車はありますが 一般道と重なるとヒヤヒヤです。それは 東京は 路面電車の線路を 路面電車が 使用していないときは 一般の車両は 通行していいので 車にのっていてもハラハラしてしまいます。だけど広島は 路面電車のエリアは 車両が入ることは ありません。区分されていて これが 長く運行され愛される要因なのかと受け止めました。廃止になる都市も多いのに 変わらないで 運行するって すごいことですよね。車内では ニュージーランドからの学生と会いました。団体だから 交換交流かなにかのシステムで広島に訪れたのかもしれませんね。熱心にメモしたりと勤勉な態度でしたよ。宮島のお土産街で 買い食いしている姿は あどけない表情でしたが。息子が 漫画をここまで来て購入するので あ~あとため息な私でした。 宮島方面には 2両編成で 7分間隔程度で 運行されています。後の車両には 車掌さんが 黒のバッグをたすきがけにして 定位置にいました。マイクで 次の駅名もアナウンスするし 足元の危険な停留所では 窓から 首をだして 確認してから ドアをあけるし こまめに動く車掌さん。前後に車両を 移動して 両替で小銭にかえる。振り替えの説明をしたりとよく働くので びっくりしました。むかしのバスのイメージかな?丁寧で親切で優しい路面電車というイメージです。年輩の方が 乗車すれば 補助するし 気の利く方です。これは個人的優しさかな?せわしない場所に住んでいて わすれていたものを 思い出したような気持ちになりました。
2007/10/01
土曜は 朝5時おきで 羽田空港に向かいました。向かった先は 石見(いわみ)空港。7:25発。弁当をかったり スキップチケットで もう座席まで きまっていたのですが 親子で スキップ初体験。バーコードが 印字されていて 手荷物検査で もう搭乗手続きが 完了されるのです。このバーコードを かざすという日本語が 息子には つたわらず「おくの?」と裏面を 意識しないで お札のように スイカもそうだしと通過しようとしたらエラー!!向き合ってかざさないと反応しないようです。なんとか機上の人に。到着し 最寄駅の益田までの連絡バスにのろうとすると 数人しか乗車しておらず 少しイヤな予感が…。バスも 特に荷物のスペースもなく リムジンバス系統を想像していた私は かなりへんなところにきたなと イヤな予感が。最寄駅までは 10分程度というので 予定通り行けば 9:24発の電車に乗れるはず。一時間に一本の山陰線は 逃すとあとが 大変!! そしたら、このバス 直通では なかったの。進行方向の反対側から こちらにかけてくるおばあちゃんと女児の孫の組み合わせに 一度停まり こちらに渡るのを待ち「○×は このバスいくんでしたっけ?」ときいたあと「これは いきませんね」結局 乗らない人を まってた。それでバス停に人がいれば 全部停まるし なんとなくタクシーにのればよかったかと後悔しきり。手を あげたときだけ 停まればいいのに 優しいのね。途中から 背中の曲がったおばあさんが のってきて たった一駅で 降りた。むこうにも シルバーパスは あるらしい。のってきたのは このおばあさんだけでした。駅の近くに たどりついたとき 運がよければ 改札の正面に電車があれば 乗れるか?程度の期待でしたが バスが着いたら もう後姿が見えるくらいの距離で いってしまった。予定の電車に乗れず。次は 一時間程度 またないといけない。駅についても これという時間をつぶすような場所もなく あいていない喫茶店があったりで。まいりました。スタバや マックなんて ない駅でしたから。駅のベンチでまっていました。ボーとまっていて思い込みは いけないと思い知らされました。特に 自分に都合のいい解釈は ここでは通用しないって。 それで 帰りの電車は ワンマンだったのですが 後から乗り 番号札の乗車券をとり前のドアで 運転士さんにお金を払うか 定期券をみせるか 切符があれば 切符をわたすのです。息子は ドキドキ。停まる人がいないとドアがあかない。扇風機も スイッチを乗客がいれるの。あ~~無人駅が多いみたい。駅前に自転車や 車の駐車場もあって のどかなところでした。でも のっている高校生は ブランド品の財布をもっていたり 携帯をいじってたり 今風なの。かわらない生活をしているけど 時間の流れ方が かなりのんびりとしていると感じました。
2007/09/30
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