6年生になって 



何をしても「1年生のときに比べたら、すごいぞ。」と言われ、「そんなこと当たり前だよ。」といいながらもうれしそうでした。

先生に障害や病気のことを話しましたが、「ぼくにはよくわからないんですが、AくんはAくんでしょう。」と障害のことよりAの今の様子に関心があるようで、変な先入観を持たず自然体で過ごしてくれました。

「(去年の担任に)引継ぎをうけましたか?」と聞くと「いえ。Aくんの病気について少し聞きましたけど、忘れました。(笑)」と言われ、こちらも肩の力が抜けました。

障害のあるAくん、病気のAくん、でなしにそのままのAを見てもらえたので、Aものびのび過ごせた一年でした。かといって無関心なわけではなく、「授業でこういうことがありましたが、どうしましょうか?」と報告や相談があり、Aにとって無理だと思えることは、十分な配慮をしてもらいました。

病気のため見学をしていたマラソン大会。参加者にお菓子が振舞われました。配っていた係の子が、「Aくんは走っていないから、いいよね。」とお菓子のカゴを持ったままAの前を素通りしたそうです。先生は子どもたちの様子を黙って見ていたそうですが、クラスの子どもから「参加者用のお菓子を見学者にも配るべきか」という論争が起こり、結果Aにもお菓子が配られることになりました。

先生がはじめから無条件でみんなに配っていたら、Aも何も考えずに済んだでしょうが、この論争を先生が見守ってくれたことで、Aも自分の体のことや障害のことを深く考えるきっかけになりました。

この一年で、Aは自分の障害(識字障害)と病気(喘息とてんかん)について自分なりに考え、方針をまとめることができたようです。学校の先生の中には学習障害について独自の考えを持つ先生もありました。親のしつけや本人の努力でなんとかなるのではないか(努力がたらないのではないか)という声を聞くたび複雑な思いでしたが、Aには自分の障害(というより個性)にさからうな、無駄な努力はするなという姿勢で接してきました。Aは障害を受け入れるまでに少し悩んだ様子でしたが、担任の先生や友達に支えられて、立ち直っていきました。

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