根っこの今

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#3(2) 開発とは!?



開発って!?
昨年、パプアニューギニアの同級生が、日本に来て、「開発とはいったい?」と考えさせられたと言っていた。「日本の人は、自分たちが過去に何をしたのか、そして今何をしているのか知らない人が多い。そして、自分の国ははってんしていると言っている。コンクリートに囲まれて生きる事、そして自分のしている事に無関心になる事、それが開発の行き着く先だとしたら、私の国に開発はいらない。」と。

戦時中に、パプアニューギニアは日本軍とオーストラリア軍の戦場となった。その時に彼の父親は、日本のために戦ったのだという。日本の敗戦で終わったものの、日本軍のために戦ったことを誇りに思い、自分の苗字をシミズと変えたのだという。私は彼の名前を聞いた時、そんな歴史を知らなかった。「日本人の名前みたい!」と単純に喜んでいた。

日本は50年前に戦争でパプアニューギニアに侵略し、そして現在は紙の原料となるパルプ材のために、森や、原生林を荒らしていると聞く。森は一度死ぬと、元に戻るには、100年以上の月日がかかる。そこに住む彼らの文化、伝統、命がかかっている。私たちは手を汚していないけれど、世界中でおきている環境破壊や、人権問題に間接的に関わっている。
それぞれの場所でそれぞれの問題があるのは、当たり前のことだけど、考えさせられた。

ある、インドネシアの人がこう言っていた。「かおり、日本人は食べものがあって、物があって、ある程度物質的に満たされているから食の自給だ!国際協力だ!自助努力だ!とさけべるのではないか」「だから、シンプルライフや有機的な生活にあこがれるんじゃないか」「でも、自分たちは望んでシンプルな生活をしているんじゃなく、まずしくてシンプルなだけ。」と。

確かに、物質的に豊かなゆえに、何かを思考的に考え、行動する事ができるのかもしれない。そういわれても過言ではないかもしれない。
でも・・・・・・・。物があるとか無いとか、貧しいとか豊かとか。それに関わらず、人に共通する心の奥深い満たしや、平安を求める心。あるんじゃないかなあと考えているのは、まだおしりが青い証拠(!?)だろうか。

クレーの絵本の中の、谷川俊太郎さんの詩を思い出す・・

「黒い王様」
おなかをすかせたこどもは
おなかがすているのでかなしかった
おなかがいっぱいのおうさまは
おなかがいっぱいなのでかなしかった

こどもはかぜのおとをきいた
おうさまはおんがくをきいた
ふたりともになみだをうかべて
おなじひとつのほしのうえで

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