うそ 0
ものがたり 0
全305件 (305件中 201-250件目)
91歳のすい臓がんの女性が急変したとのことで午前3時半頃電話がかかってきて病院に行ってきた。5時過ぎに帰ってきたがその後に眠ることはできなかった。当直の先生が適切に対応してくれていたが、家族から主治医も呼んで欲しいと言われたからとのことだった。行くのはいいのだが問題は睡眠である。医師は外来とか病棟で病気の方のためにそれまで積み重ねてきた知識や技術を使ってあらゆる時間を使ってお役に立たせて頂くのが使命なので休息がとれないとか食事が取れないとかは当たり前のことでさして苦痛ではない。問題は睡眠である。当直の時とか入院している受け持ち患者さんが夜間急変した時など眠れないことがある。本日は日曜日だが通常は翌日も普通の業務である。医師なら全てを患者さんのために捧げなくてはならないと考えるならネックになるのは睡眠である。眠れないと翌日は調子が悪い。しかし死ぬわけではない。眠れないと困るとの考えが根底にあったら医師にはなれないのではないかと思った。私はまだまだ其の域には程遠い。それぞれの場面を通じて少しずつ其の域に近づいていけたらいいなと思っている。ところで病院の行き帰りにラジオをかけたら深夜でも音楽やニュース等を流していた。眠れない人達や夜間業務の人達のために放送しているのだなと思ったが、あまりにさわやかな声なので眠れない人がそれを聞きながら眠りにつけるのかなとちらっと思った。深夜皆が寝静まっている時は全くの孤独感を感ずるものだ。そのような時にラジオをつければ何時でも何かを喋ってくれている。ありがたい世の中だなと思った。
2011.12.04
コメント(2)
車や家やパソコン等を修理する職業人もいる。車やパソコンに詳しい人なら直るものなら直る、直らないものは直らないとして、冷静に処理することができる。仕事が多すぎて遅れて食事をすることもあるが、それなりの時間調整で済むことが多い。医師の場合、次から次に患者さんが来て、そろそろ昼飯時だなと思う頃、難しい症例が来ることが多い。相手はずっと待っていてやっと診てもらえる順番がきて、あらゆることを訴える。胸が痛い。頭も痛い。手もしびれる。何とかしてくれという。何処が悪いのかさっぱり分からなかったが、心電図をとってみて多くの症状は心臓の不調からきている可能性があることが分かり、納得してくれた。その後も次から次に患者さんが来て、やっとそろそろ午前中の外来は終わりかなと椅子を立とうとしたら、91歳女性、両肺が半分以上白くなっている肺炎患者さんが近医からの紹介状をもって受診してきた。12時半はとっくに過ぎている。かんにんして貰いたいと思ったが、受診者にしてみればこちらがどんな状況にあるか知る由もないので、当然のことながらしっかり診てもらいたいと期待する。残っている力を振り絞って検査その他の指示を出して家族の方に説明する。声にも力がなくなりかんにんして下さいと思う。でもクラークやナースも私に付き合ってくれていて昼食も食べずにテキパキ仕事してくれている。私がこんな気持ちでは済まないと思う。やっと済ませて食堂に行ったが1時間半も前のごはんは硬くてばさばさだった。それでもそのご飯を食べるか食べないうちに午後の仕事が始まる。エレベーターに乗ったら入院患者さんが、ご飯食べたですかと聞いた。今ちょっと食べてきたと答えたらちゃんと食べなくては駄目ですよと諭してくれた。医師は車や機械の修理工と違うところがある。彼らは部品を取り換えたりして、きちんと修理できることが多いが、医師は治せないことの方が多い。そして直す相手が片や機械に対して医師の場合は人間である。機械は修理工に文句は言わない。人間は医師に対して文句をいう。文句を言わないまでも、わざわざ病院まで来たのだからみだましく診てくれと思う。医師としても苦情を言われたくないから気を使う。気を使わなければならない対象が次から次に来るとやはり疲れる。自分は疲れを知らない人間だと思っているが、どこかでそれが出る。晩ご飯を食べた後お腹が痛くなった。昼食の時、ごわごわになっていた硬いご飯を食べたためか、晩ご飯に例のごと家内がてんぷらその他異常に多い食事を準備してくれたので、食べ過ぎたためなのか分からないが、幸せ感がなくなった。でもこのブログを書いているうちに少しずつ痛みが収まってきたので、また少し幸せ感が出てきた。落ち込んだり幸せになったりそれは何の職業でも同じだろうと思う。
2011.12.02
コメント(12)
日本医師会は厚生労働省が進めている、医師業務の一旦をになってもらう特定看護師制度導入に反対の立場を明らかにした。その理由はその資格を取るために何年間か研修のために現場を離れなくてはならない。その資格がある人と一般の看護師で差別が生じ一般の看護師は救急の場合でも手出しはできない。今の看護師全体の業務範囲を拡大すればいいことで、混乱を招くような特定看護師制度には反対である。との考えである。医師不足があり、救急現場でのたらい回しがあり、日常の外来でも重症患者が何時間も待たされることがある。それを特定看護師を作れば解決できるかといえば出来ないと思う。医師を増やしても忙しい医師は忙しく、暇な人は暇でいる。医師や看護師、それに事務員などの機転とチームワークが最も大切だと思う。特定看護師を作れば上記のような場合多少余裕は出来るかもしれないが、対応するのは人間である。資格ではない。看護師全体の業務を拡大して幅広く業務が出来るようにしていくのが先決だと私も思う。でも今の医師会には力はない。TPPに反対したがあっさり進められてしまった。この件も医師会に反対されようが進められてしまうかもしれない。昔、武見太郎と言う医師会長がいたがこの人は剛腕で、自分の意見を国政にかなり反映させたようだ。保身とか自分達(医師)の利益を求めての発言だったら恥ずかしいことだが、社会全体のため、他の職種の人達のため、患者さんのためなら堂々と社会や国会に訴えてもらいたいと思う。
2011.11.20
コメント(2)
今日外来受診したGさん、私の書いた「親からのDNAで人生は決まるのか?」を買って読んで下さったという。その中に私は農業高校を卒業して紆余曲折して医師になったことなども書いてあったので、その関連だと思うが、読売新聞の「人物語」のコピーを面白いから読むようにと下さった。何年何月の新聞か分からないが、つくば記念病院の整形外科部長の生芝幸夫さん(その新聞の時51歳)の話だった。高校3年の時に医学部を受けたいと担任に話したら、「間違っても無理だ」と言われた。「頑張っても駄目な時はどうしたらいい?」と父親に聞いたら「もっと頑張るんだな」と言われ、「もっと頑張っても駄目だったら?」「もっともっと頑張るんだな」と言われて試験に落ちても落ちても頑張った。お父さんは生芝さんが高校を卒業してしばらくして亡くなったがその言葉に支えられて、失敗しても諦めないで5浪してついに富山医科薬科大学に合格し、父親への感謝の気持ちがこみ上げたとのことである。母親も応援してくれた。医師国家試験に合格した日に「生芝のぶの宝物」と書かれた封筒を渡された。中には自分が小学校低学年の時母の日に書いた作文が入っており、「毎日お弁当を作ってくれたりいろいろありがとう。僕が大きくなって医者になったっらお母さんの病気を診てやります」と書いてあった。何年浪人しようが母親は一度も医学部受験を諦めろと言わなかった。国家試験に受かった時にはどんなに喜んでくれたか分からない。大黒柱を失った後母親は和裁や畑仕事で3人の子供を育てて体はがたがただった。のぶさん81歳の時変形性膝関節症の手術を息子が担当した。小学生の時書いた作文の約束を果たしたのである。手術は成功して母親は心から喜び褒めてくれた。2浪、3浪位までならよくあるが5浪となるとめったにいない。よくぞ諦めなかったと思うが、生芝さんの場合は両親が一度も「諦めて就職してくれとか別の学部に行ったらどうか」などと言わないで応援してくれたことが大きい。5浪で受かったからいいが、6浪、7浪、・・・・10浪、そして遂に合格しないで青春時代の全てを無駄にすることになったかもしれないのによく頑張ったものだと思う。苦労して医師になっただけに生芝さんは、患者さんの不安にじっくり耳を傾ける思いやりのある医師として活躍しているとのことである。益々のご活躍を祈るものである。
2011.11.18
コメント(2)
福島県立大野病院の帝王切開時死亡の産婦人科医、割り箸死亡事故の杏林大医師、心臓手術時死亡の東京女子医大心臓外科医らは起訴され裁判を受けた。大野病院産婦人科医は逮捕されて留置場に入れられた。長い裁判の結果、いずれも無罪になったが、その心労はいかばかりだったかと想像する。遺族の心情も分かる。交通事故で死亡させた場合、過失致死罪になるのだから医師の技術が未熟だったり、注意力が欠けていて死に至らしめられたとするなら、損害賠償したり、刑事罰を受けるべきだと思う人は多い。現在の医師は、誰でも常に、何時逮捕されるか分からないと心配している。ある程度高齢になると経験も積むし慎重になるので、医療事故は少なくなるが、若い時には様々な苦い思い出があるのではなかろうか。逮捕されなくても一生心の重荷を負って生きている人もいる。医師の犯罪には報酬をもらって死亡診断書を書きなおすとか、性的暴行事件とか、診療報酬水増しなどの明らかな犯罪行為もあるが、真面目な医療行為を行っていながら結果が死亡になった場合などに結果判断で罪を問われることも多い。若い医師にとっては人を助ける仕事が使命なのに死に至らしめた苦悩は深刻だ。そこに過失があったか否かの問題だけでなく、自分が心身をすり減らして診療していた人が死んだこと自体が大きなショックになる。遺族にとっても、もしかしたら助かったかもしれないのに死んでしまって医師の責任ではないかと思う。憎まれ怒鳴られた医師もいるのではないかと思う。産婦人科医逮捕の後は分娩を扱うのを止めてしまった病院や医院はかなりの数に昇り、産婦人科医になろうとする者も激減した。一生懸命人々の健康のために尽くしていても結果判断で訴えられたらその後の人生は辛い。訴えられなくても自分のせいで患者さんが悪くなったのではないかと思ったら生きた心地がしない。医師とはそういう職業である。それを知ってか知らずにか医学部受験生がそれほど減っていないのはありがたいことだと思っている。
2011.11.10
コメント(3)
厚労省は7日法律を改正して、看護師も床ずれの治療や脱水治療などが出来る特定看護師制度を作る関連法案を来年の通常国会へ提出する準備を始めているという。患者さんのためになることなら積極的に改正、改善してよいと思う。看護師の意識も変えていく必要があるだろう。ただ特定看護師と普通の看護師の2本立てになることは問題だと思う。一般の患者さんは法律が改正になって看護師でも出来るようになったと思っているのに出来る看護師とそれをしてはいけない看護師がいるのは混乱の本だし、非効率的でそれほど便利にならないと思う。業務拡大の内容をどこまでにするかの問題もあるが、看護師全てが出来るようにした方がいいと思う。過渡的に特定看護師とそうでない看護師が存在してもいいが、試験を受ければ誰でも特定看護師になれて、将来は全ての看護師がそれらの業務ができる特定看護師になれるように法整備してもらいたいと思う。
2011.11.08
コメント(4)
今日は午前中外来で1時半頃までかかった。1時50分ごろからは乳がん検診の触診を行った。乳がん検診は39歳までの女性は超音波と触診、40歳以上の女性はマンモグラフィーと触診で、いずれの年齢も触診をすることになっていた。身近の人で若くして乳がんで亡くなった何人かを知っており、乳がんの恐ろしさは知っているだけに見逃した場合の重大な結果を思い触診や超音波、マンモグラフィの読影には一層の神経を使う。私は結構以前から乳がん触診に携わることがあったので、80歳過ぎ位のご婦人から「こんな若い先生におっぱいをもんでもらってわるいよう」と言われたことがある。もんだのではなく、真剣に手で圧迫してしこりがあるかどうか検査したのだがその方はもんでくれたと感じたのかもしれない。普段私はご高齢の入院患者さんを受け持ち、外来の患者さんも高齢の方が多い。高齢の方は高齢なりにそれなりの美しさや深みがあるが、今日の乳がん検診受診者は30~40歳代の若い人が殆どで、若い人は若い人でそれなりの輝きがあった。お年寄りにばかり触れていると年をとり、若い人に触れると若くなると言う人がいたが、そういえば小児科の医師はいくつになっても子供みたいな雰囲気があるなと思った。触診の仕事そのものは神経を使ってかなりきつい仕事だが、相手が若い女性なので何時ものお年寄りばかりの相手とは違って自分も少し若返ったような気がした。仕事は何でも楽な事はないが、触診は中でもきつくて避けられるものなら避けたいと思っていたが物は考えようで、若い女性とふれあえる機会だと思えば、其の苦痛は消えていた。何事も物ごとは考えようだなと思った。
2011.10.28
コメント(4)
今日は午前中11人の胃カメラ検査(そのうち4人鼻から挿入)を行い、午後は13人の腹部超音波検査を行った。胃カメラは粘液等で見ずらいこともあるが、水で洗ったり吸引したりすればかなり胃内を綺麗にすることができて、消化菅内を直接に全て観察することができる。それに対して超音波(エコー)は違う。体の外から超音波を発して体の中の臓器に当てて反射してきた音波を電気に変えて画像化しているが、腸内のガスや体表の脂肪などは音波を通さないので臓器の前方にガスがあると反射波をキャッチすることが出来ず、肝臓や膵臓などの画像を描出することが出来なくなる。超音波のプローブ(端触子)を腹部に当てても何も見えないこともあり、上手、下手に関係なく、見えないものは見えないのである。今日の検査は殆ど80歳以上の方で腰が曲がったり皮膚の水分が少なくなったりしていて半数以上の方はかなりの部分が描出できなかった。患者さんは超音波検査で、全てが分かると思っている人が多く、検査が終わるとすぐ結果はどうでしたと聞いてくる。その質問の答えは実際は「殆どが描出出来なかったので何とも言えない」だが、それではあまりに申し訳ないので見えた範囲は問題なかったとかこれこれだったと説明している。私は超音波検査器が売り出されてすぐの頃からもう何十年も使ってきたが、非常に簡単な検査で重要なことを教えてくれることがあり、大変ありがたいと思っている。でも腸ガス、その他で内臓が殆ど見えない時には超音波はなんの役にも立たず、冷や汗たらたらになり、受診者に本当にすまないと思う。超音波検査の限界をよくわきまえながら、いらつかないで冷静に、何とか少しでも描出出来るように技術をみがいていこうと思う。
2011.10.26
コメント(4)
車の6カ月点検に韮崎にあるトヨペットまで行き、帰ってすぐ笛吹市の自分が勤めている病院に入院している私の姉を運転できない家内がほぼ毎日曜日にお見舞いしてくれるので運転手として病院まで行ってきて、今帰ってきたところである。今回の話題は車の故障に関することである。もう何年も前から車の前方からジリジリする音がして煩わしいので、1年前の点検の時に、それを申し出たが音がする時としない時があり、車屋さんに着いた時には音がしなくて、少し近くを運転して診てくれたが音がしないということで、直しようがないと言われて帰ってきた。今日は朝甲府を出発する時からかなり大きな音でジリジリいっていた。これなら直して貰えると思ったが、甲府から韮崎までは約40分かかった。着く直前10m位前になったらその音が止まってしまった。音がしていないとどうすることもできない。「音がしている時でないとどこの故障か分かりませんね」と今回も言われた。その日はエアコンは使わないで運転していったが、音がしないので悔し紛れにエアコンを入れてみた。そしたらあのジリジリする音がかすかにしてきた。若い整備士さんが音のする方に耳を近づけ「たぶんエアコンの温度切り替えする部品の所から音が出ているのでそこが原因だと思う」とのことだった。点検整備が終わって見積書を示され、やはりその切り替えボタンの故障で11,000円かかるとのことだった。すぐ直して貰いたかったが後日部品が到着後再度韮崎まで行って交換してもらうことになった。病気でもお腹が痛かったとか腰が痛かった、胸がきりきり痛かったなどと言ってくる方がいる。今は痛くないが痛い時来なければだめですか?と聞く方がいるが、今痛くなくても其の痛みの場所とか持続時間などを聞いて大体見当をつけることができる。でも経験が少ない人では実際に症状が出ている時でないと診断出来ないこともあるかもしれない。車の整備士さんは車のことなら、医師が人体のことを知ってる何倍も知っていると思っていたが、やはり音の性質と音の出てくる場所が分からなければ診断は難しいのだなと思った。音は常にしているのではなく、時々なので2年近く正式な診断をしてもらえることもなくイライラして過ごしてきたが、感のいい整備士さんならこちらの話だけで診断してくれたかもしれない。医師も整備士さんも症状のない時でも患者さん(車の使用者)の訴えで診断出来るようになりたいものである。
2011.10.23
コメント(7)
今日は午後勤めを終えて帰ってから家内の腰痛治療のために整体療法院に運転手として同行し、その後食料品を買いにフードマーケットに行った。例のごとく家内は2人家族なのにどうしてそんなに買うのかと思う位いっぱい買っていた。私は手持無沙汰なので店の商品を色々眺めていた。野菜や果物、お魚や肉等食べるものなら何でも売っていた。お惣菜も売っていてそれを買って帰ればそのまま食べられるものだった。お金さえ出せば何でも買える状況だったが、そのマーケットにその品物が来るまでのことを思った。果物やお魚等が綺麗に包装されて定価がつけられ陳列されていたが、最初に農家や漁師の方々が収穫して市場に出し、そこで選別されて商品化され、流通業者を介してこのようなお店に並ぶのだと思うが、あまりに綺麗に包装されており、目に見えないところで多くの人達の労力が加わってここに来ているのだなと思った。自分は勤め以外の時は結構ゴロゴロしている時が多いが、これらの商品を見たら、多くの人達が本当にきめ細かく働いてこのような品物を作っているのが伝わってきて、自分がゴロゴロしていることが恥ずかしくなった。今就職難で、仕事のない人はハローワーク等に通いながら仕事を探しているが、どんなことでもやってみて貰いたい。意味のない仕事はないと思う。表舞台で華々しく目立つ仕事もあるが、目に見えないところで人々のお役に立つ仕事もある。何らかの形で、必ずお役に立てるのだと思って、挑戦してもらいたいと思う。
2011.10.15
コメント(2)
私が忙しいのは2,3,4階の各階に重症患者を受け持っているだけでなく、内視鏡検査をしたり、外来診察をしたり、さらに健診業務にも携わっているからである。入院患者を診察している途中で健診の診察に呼ばれることが多い。どうしても入院患者は重症なのでそれらの患者さんを最優先に考えてしまう。健診受診者は健康なのだから二の次と考えてしまう傾向があった。息せき切って病棟から階段を降りてきて診察するので、息を切らしながら聴心したり乳房の触診をしたりすることもある。昨日乳房の触診をしながら思った。健診受診者は何かのついでではなく、自分達をしっかり診察してもらうつもりで来院している。それなのに、こちらは病棟の患者のことが気がかりで、早く病棟に行かなければと思いながら健診受診者を診察している。これでは申し訳ないと思った。自分がとても忙しい人間なのは、自分の問題である。健診受診者はそんなことは知らないし自分たちをきちんと診察してくれると思っている。それは当然のことで、こちらが忙しいからといっておろそかに診察していいはずがない。入院患者、外来患者、健診受診者、いずれも大切な人々である。忙しいので、健診はおろそかでいいということは絶対にない。忙しいということだが、今日思ったが、だれもそんなに息せき切って動いていない、自分だけではないか。確かに自分は入院患者と健診とあっちこっちに行かなければならない立場だが、移動する時気持ちを切り替えるように深呼吸して移動すれば今ほどの忙しい気持ちはなくなるのではないかと思った。一人の人間にとって長い人生、とても忙しい時もあるし、暇な時もある。暇な時は暇な時でその生活の仕方を工夫するし、忙しい時は忙しい時で、それなりに工夫するのが人間だと思う。重要なことは「貧すれば(時間貧乏)鈍す」で、心が貧しくなってしまってはいっけないと思う。お金がなくて貧乏でも心は貧しくなってはいけないと言われるが、貧乏になると他を羨ましく思ったり、生きるのが嫌になったり、人のために尽くそうなどと言う気持ちには到底なれないものである。時間貧乏でなくなればそれに越したことはないが、いくら貧乏でも帰ってきてからの自宅での過ごし方もあるし、職場でも深呼吸や背筋を伸ばすことなどの工夫はできる。忙しいからといって投げやりにならないで真心こめて受診者に接していこうと決意している。
2011.10.04
コメント(2)
サッカーではもう終了と思っていたら数分のロスタイムが延長されてその終了間際の時間に同点にされたり、負かされたりする。ほんの僅かな時間だが油断すると大変なことになる。私は木、金、土に外来をしているが、土曜日は大病院等が休みの関係もあってか、厄介な患者さんが来ることが多い。中でもその終了間際に重症患者さんがくることが多い。土曜日は1時までとなっているが、その時間間近になるとボツボツ終わりとしてナースや受付事務職の人は帰り仕度や昼食のことを考え始める。私も時間までに終わらせるようにと頑張って、その時間が近づくといよいよ終わりだなと思う。ところがその時間帯が最も危険なのである。今日もボツボツ終わりだな。これで昼食が食べられるかなと考え始めていた矢先に次から次に厄介な患者さんがきて、やっともうこれで終わりだと思っていたら締め切り間際に40歳くらいの女性が咳がでて息が苦しくてと言ってきた。診察室でもひっきりなしに咳をしていて酸素分圧を測ると91%と低く結構重症である。もう終りというこんな時間に何故来たのか。もう少し早く来てくれれば検査や入院その他色々な対応もスムーズにできるのに!と思ったが、苦しくて中々病院にこれなくてやっとこの時間に辿りつけたのかも知れない。こちらにとってはロスタイムであっても患者さんにとっては命がけである。終了間際に来て邪魔者扱いされるとは思っていないだろう。スタッフも私も時間内にベストを尽くして殆ど余力が残っていない中でやっと終わりだなと思った矢先なので簡単にさっと済まそうと思ったら、さあ大変の患者さんで、入院を考えたが点滴して内服薬を出し、月曜日に来てもらう選択肢をとった。結構重症なので心配で点滴している最中も何回も覗きにいったが、3時頃少し軽快して帰宅していった。何時もそうだがこのきりきりの時間帯が問題である。この時間帯に来た人は入院させるケースが多い。そうなると午後まで居残ることになってしまう。ロスタイム、この魔の時間帯はサッカーだけのものではない。日常業務の中でも、もう終わりだなと思う油断の時間帯だが、結構重要な事が起こることが多いので、最後の最後まで気を抜かないで対応することが大切だと考える。
2011.10.01
コメント(4)
私よりずっと忙しい人もいるかもしれないし、もっと楽な人もいるかも知れないので、医師の一般的な日常とは言えないかもしれないが、ある一人の医師の仕事内容を書かせて頂く。朝出勤してすぐ病棟の患者さんを診に行く。2階に4人、3階に3人、4階に2人、受け持っている。殆どが80歳台、90歳台の高齢者で施設に入っていて熱を出して食事が食べられなくなった人達が多い。ある患者についての嘔吐しました。発熱しました。意識がなくなりました。等の報告に検査を出したり点滴の指示を出していると、別の患者の発熱を言ってくる。その患者の処置をしていると別の階で患者が具合が悪くなったと報告してくる。その階に行こうと階段を上っていると「内視鏡室で喉の麻酔が終わって検査を待っています。早く来て下さい」と言われる。内視鏡検査をしていると乳腺の触診をして下さいと呼ばれる。一人の人間が同時に2階、3階、4階に行って患者を診て、さらに内視鏡検査をして、さらに乳腺触診をする。実際それは不可能だが少し時間をずらして全部やらなければならない。どの要請もあまり待たすことは出来ないので自分がパニックになってくる。いずれも生命に関係している仕事なのでイライラしながら不機嫌にいい加減に対応することはできない。いくらなんでもこれではやりきれないと思う。午後1時半には患者の家族が様態を聞きに来る。じっくり説明するべきだが他の患者の診察や午後の外来スタート時間が迫っているので、立ったままで大雑把に説明した。午後は外来である。予約制だが予約してない人も来る。少しでも次の人を待たせないように必死で一人一人と対決する。質問が多い人は待ってる次の人のことを考えるとご免こうむりたいが、いい加減に答えると患者は不快に思うだろうし、こちらも後味が悪くて嫌になる。なるべく短時間で満足してもらえるような解答を心がけるが、焦りで声が上ずってしまうことが多い。今日は入院するような患者は来なかったが、入院ケースだと検査や指示で相当時間がかかり、次の患者を相当待たせてしまう。それでも何とか5時半ごろ外来が終わったなと思っていると3階から電話で88歳の糖尿病の患者の家族が来て話をききたいと言う。この段階では外来も終わっていたので、ある程度余裕をもってじっくり話せたかなと思う。その後、午前中廻りきれなかった患者の所を回診して、薬や検査の指示を出した。今日は家内が旅行から帰ってきて夕飯の支度をしてくれるとのことで、早く帰ってこいと言われていたが、そう思えば思うほど焦りもあって手際が悪くなったりして中々帰れる段階になれなかった。いまは帰ってきて家内の作ってくれたご飯を食べて眠くなりかけている。昼間の忙しさは嘘のようで今は静かだ。以上はある医師の日常だが、医師でなくてももっともっと忙しくて、もっともっと同時にしなければならない仕事を強制されている人もいるだろう。平気でそれらをこなしている人もいるだろう。私などほんの序の口かもしれない。それなのに、次から次に電話がかかってくると「いくらなんでもいい加減にしてもらいたい。一人の人間にそんなに出来るわけがないではないか」と思ったりした。人間は自らにここまでしかできないと決めつけない方がいいと思うし、能力の限界に挑戦していくのが人生と言う本も書いた私である。どんなに忙しくてもイライラしないで一段上を目指して仕事をしていきたいと思っている。
2011.09.29
コメント(6)
朝5時に意識が突然なくなった88歳女性が救急車で運び込まれてきた。救急というと医師が表に出ることが多いが、自宅待機の検査技師が呼ばれて黙々と検査してくれて低血糖昏睡ではないことが分った。泊まっていた放射線技師は頭のMRを撮ってくれた。脳梗塞疑いで早速治療が出来た。いつも思うが夜中に女性の検査技師が嫌がらずにすぐに駆け付けてくれる。仕事とはいえ申し訳ない気がしている。この患者さんそれらのみなさんのおかげで方針が決まったので意識が戻り元気になって下さいよと祈らずにいられない。
2011.09.21
コメント(4)
今、外では台風の影響で大雨が降っている。雨の夜どんな患者さんが来るだろうかと思う。今夜は市の医師会の先生が7時から11時まで来てくれている。私は今まで殆ど一人だったが日によっては医師会の先生がお手伝いに来てくれる日がある。夜11時以後はまた一人になるがそれでも助かる。おもに軽傷患者を診てくれて救急車とかの重症患者は常勤の私たちが診ることになる。入院患者の急変も私たちだが、7時から11時までの軽傷患者を診てくれるだけでも助かる。市医師会として助力システムを作って助けてくれることになっているそうで、中々よく決議したものだと思う。
2011.09.20
コメント(2)
今山梨大第一内科の同窓会から帰ってきたところである。今までの同窓会は先輩に気を使う傾向があり、個人開業医や小病院勤務者は大学病院や大病院勤務者にたいして専門技術等で引け目を感じたりしてもう一つ打ち解けない雰囲気があった。ところが今夜は違った。先輩も後輩もない。大病院も小病院もない。皆第一内科の一員なのだ。全員一丸となった雰囲気で最高に楽しい一時だった。小病院は大病院に患者さんを紹介し、大病院からも末期で積極的治療法がない患者さん等が小病院に紹介されてくる。若輩者より先輩が偉いわけではなく、大病院だけが価値があるわけではない。各人、各病院のそれぞれの貴重な役割があることがはっきり認識できた今回の同窓会だったと思う。誰に遠慮することなく、各人が自由に近況報告や考えを述べることができた最高の会合だったと思う。年々参加者が減っており、そのうちにこの会も自然消滅するのではないかなどと言われていたが、今夜の会は皆楽しそうだったので次回以後発展する兆しが見えたような気がする。、
2011.09.16
コメント(2)
私は朝出勤すると病棟の入院患者を回診する。2階、3階、4階の各階に入院しているので、2階にいると3階、4階から電話がかかってくる。2階から3階に移ったと思うと内視鏡検査の麻酔が済みました。すぐ検査室におりて下さいと連絡がくる。3階の回診が途中だけれど麻酔が済んだとなればそちらを優先しなければならない。内視鏡検査中にも電話がかかってくる。健診の乳腺触診をしてくれという。一人の人間が殆ど同時にそんなに色々なことが出来るわけがないとイライラしたこともあった。よく考えてみるとお店などで一人のお客に商品の説明をしていると、別の客がこれはいくらですか?と言ってくる。と思えば別の売り場から新商品のことで呼び出しがかかる。何だと思っているのだと思う。お客さんが少なくてぼんやりしている時だってある。どこの職場も同じだと思う。忙しくあっちこっちからお呼びがかかるのはありがたいことかも知れない。最近ではイライラしないことにした。運命に任せることにした。こだわりの心を全てゼロにしたのである。何があっても「この忙しいのに」と思わないことにした。人間ではないことにしたのである。お呼びがかかったら無心でそれに応ずることにしている。そして何とかこなしている。だから帰ってくると夕飯を食べるとすぐ眠くなってぐたっとする。それでもラジオ講座など聞かなくてはとラジオをつけるが半分以上寝ている。風呂に入って二階の寝室に寝ていると家内がいない。いびきがうるさいと言って他の部屋に移って寝ていたらしい。こん畜生と思う。でも黙っている。運命に任せて黙々と生きている。
2011.09.08
コメント(2)
ある日、A医師が外来で女性事務員を怒鳴っていた。予約日に都合が悪いので別の日に薬を貰いたいとの患者さんの要望に適切に対応していなかったかららしい。患者さんは診察を受けないで薬だけもらいたいと言っていたらしくそれはノーである。患者さんを大事にするあまりコワーカーをあんなに困らせていいのだろうか?と思った。B医師がナースかららしい電話に声高に喋っていた。注射が入らないとのことで医師に聞いてきたのに対し、後で見に行くからとにかく自分でやっておきなさいといった内容みたいだった。B医師は仕事はよくできるし、患者さんにも親切で患者さんのために尽くしているがナースに対する態度は悪いと思った。C医師が栄養士にある患者さんの栄養のことで質問して答えが納得できないといって怒った口調で喋っていた。患者さん(客)のために尽くしていないと言って医師がナースや技師、事務員等を怒鳴っている場に遭遇することがある。患者さんをそんなに大事に思ってくれるのはありがたいが、コワーカーに対してそのような口調で怒っていいのだろうかと思う。よく調べてみるとそのコワーカーはそれほど悪くない場合が多い。一緒に働く仲間には職種を超えて親切にしてもらいたい。それが結局は患者さんへの親切につながっていくと思うからである。仕事とは何か?それはお客さんを喜ばせることである。サービス業は勿論だが、製造業でもその製品がそれを使ってくれる消費者(お客さん)をよろこばせることが出来るかを考えて製作される。良いサービスや良い製品を生み出すには本人の努力も勿論だが、共に働いてくれる人達との協力が不可欠である。お客さんの方だけに目が行ってコワーカーを粗末にして結果的にお客さんを不快にさせることのないようにしてもらいたいと思う。
2011.09.06
コメント(6)
病棟の仕事は2,3,4階の各階に受け持ち患者さんを持っているので、各階に回診に行く。外来、内視鏡検査、健診の診察もあり、その階に行けるのは限られた時間になるが、ある患者さんが具合が悪いというのでその患者さんを診て指示を出していると、別の患者が熱を出したといって言ってくるかと思うと、別のナースが別の患者が、足首を腫らして痛がっているとか言ってくる。ナースはそれぞれ受け持ちがあってその患者のことを言ってくるわけだが一人で同時に全ての患者の様態を聴いて処理できる訳がない。上申があれば、コメントを書いて指示棒を立ててくれれば順番にみれるが、そうではなく一人の重症患者さんのことにかかわっていると必ず別の患者のことで、2人、3人が言ってくる。いい加減にしてくれと思う。いっぺんに出来るわけがないではないかとどなりたくなるが、それもできない。ものすごくイライラするが最近は少しコツを覚えてきた。ナースにとっては自分の患者が一番大事なので競って言ってくるが、長く言わせていると仕事にならないので、上申があったら「はい分かった、次に見に行くから」と引き取ってもらうことにした。次どころか次の次の次になる場合が多いが、そうでも言わないと仕事が出来ない。すぐ診てくれと言われても今診ている患者さんをどうするのだ。ナースステーションは戦場みたいなものなので先に言った方が勝ちと思っているのだろう。医師は一杯受け持ち患者を持っていてそのナースが担当している患者さんだけを診ているのではない。私のように常に重症患者を抱えていれば、あっちの患者、こっちの患者がいつも大変な状態なのだ。でも「次に診に行くから」とまずきちんと対応して仕事を順序良く勧めていこうと思う。聖徳太子は10人が同時に言ったことを理解したとのことだ。それくらいのことなら自分にもできると思うが、同時に10人の患者の所にはいけない。工夫していい仕事をしていきたいと思う。
2011.08.26
コメント(2)
昨日の外来に桃農家の方が来た。1昨日来た76歳のお腹に腹水が溜まっている方から桃栽培の話を聞いていたのでその話をしたら全く同じだという。その話を書かせていただく。収穫の時一面に実った桃やスモモ、ブドウなどを眺める時には幸せ感を感ずるという。しかし現実を思うと子供には絶対継がせたくないし、子供がやるといっても止めさせるという。今の時期、朝4時から畑に出て夜11時頃まで作業する。上を向いてする作業が多く、首や腕が痛くなることもある。出荷した時現金は入るが、それまでの費用は肥料代、袋代、おやてっと(アルバイト依頼)代、消毒代、機械購入代等皆さんが想像する以上のお金がかかり、苦労しても苦労しても純収入は極めて僅かで後継者が出る訳がない。だから殆どが老人だけでやっている。桃やブドウの出荷数日本一などと言っても現状は70過ぎたよぼよぼの人達が朝4時から夜11時まで働いた結果である。お米や野菜も同じかもしれないが、果樹については見た目が美しいので生産農家もそれなりに恵まれていると思っている人が多いのではなかろうか?実際はどこかに勤めた方が収入がはるかにいいので、農業をやる人はいない。いま頑張っている老人たちが引退した後はどうなるのであろうか。現実には勤め人だった息子達が60乃至65歳の定年になって、その後から農業をしてくれるケースが多い。桃は美しくて美味しい。でも粗末にしている人もいる。その一つ一つには朝4時から働いているお年寄りたちの命が込められている。大事に食べてもらいたいと思う。
2011.08.07
コメント(8)
今夜は病院の当直である。もうすでに2台の救急車がきた。1例目は70歳女性がバイクに乗っていて車と接触して転倒、2例目は30歳男性で自転車に乗っていて車と接触して転倒、いずれもレントゲン検査やCT検査で異常なく、明日も痛みなどあるようなら外来に来るように話した。その次は救急車ではなくて自分で外来に来た人だが17歳男性、バイクに乗っていて車と接触して転倒、体半分が痛いという。やはりX線やCTで異常なく帰宅させた。頭も打ったとのことで頭は今所見がなくてもじわじわと出血してくることがあるので、何か変わったことがあったらすぐ連絡するようにと書いた紙を渡した。この3人は運よく大したことがなかったが、大事故や死亡事故になる場合もある。バイクや自転車に乗る人は十分気をつけてもらいたいと思う。当直の本番はこれからである。夜中少しは眠らせてもらえたらと思った。明日は上部内視鏡が7例、下部内視鏡が3例入っており、病棟患者の回診もある。しかし運よく睡眠時間が取れることを願うと夜中の仕事が辛くなる。全然眠れないことを前提にして覚悟していた方が精神衛生上はよい。
2011.08.01
コメント(6)
ブルースターの種、風に乗って色々な所に着地して増えるみたいです。ブルースターは、水色の5枚の花びらが輝く星のように見えるということから、こう呼ばれています。花言葉は「信じあう心」「幸福な愛」、中南米(ブラジル南部)原産、ガガイモ科、別名オキシペンタルム今回は客商売について書きます。客商売とはお客さん相手の商売ですがかなりの仕事がそれに当たるのではないかと思います。ホテル、デパート、観光業、飲食店、美容院、タクシー、小売店などは勿論ですが、歯科医院や病院もそれに入ると思います。歯科衛生士や看護師が感じがいいからそこに決めたという人も多いと思います。物を買いに行ったり理髪店にいって、笑顔で応対してくれると誰でも気分が良くなりますが、基本的には商売するものについての深い理解が必要だと思います。理髪の技術や飲食物の美味しさや衛生管理など基本的な知識がベースになければなりません。常に学習して技術を上げ、商売品についての知識を深めていく必要があります。それが無い人は質の低い人と言えるでしょう。ホテルや病院に行って受付で嫌な思いをしたことがある人もいると思います。受付の心はもてなしの心だと思います。忙しい時にはどうしてもおろそかになりがちですがそれが基本だと思います。それが無い人は客商売の資格なしと言えるでしょう。全ての客商売の根本はもてなしの心だと思います。飲食店でも儲けることばかり考えているところもあります。儲けは兎も角、お客さんに心から喜んでもらうように美味しいものを作り、笑顔で料理を出してくれる所もあります。もてなしの心は、日本人の特色であり美点とされていますが、必ずしも日本人全てがその心がけで仕事をしているとは思えません。お客さんを心から大事にし、その人のために全力を尽くす。その結果としてお客が増え、収入が増えるのはいいのですが、最初から、お客は金を持ってくる者、彼らから最も金を搾りとるにはどうしたらよいかを考える人は最低だと思います。
2011.07.31
コメント(2)
最近国会議員の質が話題になることが多いが、今回は医師の質について書く。今日、医局で、紹介状や返信書をきちんと書く医師とそうでない医師が話題になり、きちんと書く医師は良い医師だということになった。それをきちんと書くことと医師としての実力は必ずしも一致しないが、患者さんを大事にしていればおのずから紹介状や返書にそれが現れると思われ、患者さんのために尽くしている医師かそうでないかのみわけにはなると思う。医師にも様々な人達がいる。病気で苦しんでいる人達のために少しでも役立ちたいと一生懸命な人達がいる一方で少しでも楽をしたい。面倒な患者さんはお断りで、給料さえもらえればいいと考えている人達もいる。医師の給料は一般的に高い。その高い給料は、厳しい仕事で自らの命をすり減らすことさえあり、それへの感謝の気持ちも込められている。それなのに患者さんそっちのけで給料さえもらえればいいと思っている人たちは許されるのであろうか?四六時中患者さんのことを考えて生活しろと言っているのではない。趣味やクラブ活動、運動、家庭サービス等大いにしてもらいたいと思う。しかし一度任務についたら、上記のことを肝に銘じて真剣に仕事をしてもらいたい。手始めに紹介状、返信書をきちんと真心こめて書くことから心がけてもらいたい。カルテもぐしゃぐしゃに書くのではなく誰にも読める字で書いてもらいたい。患者さんの話は面倒がらずにきちんと聞いてもらいたい。
2011.07.28
コメント(4)
ランタナ(七変化):クラマツヅラ科、熱帯アメリカ原産常緑低木、花言葉;合意、協力、厳格、確かな計画性昨日開業医からの紹介で97歳の女性を入院させた。開業医は通院できる比較的元気な患者さんを診察し、勤務医は動けない重症の入院患者さんを診察する。近頃医師不足が言われているが不足しているのは病院勤務医で、開業医はどんどん増えており、不足していない。開業医も元々は勤務医だったが、ハードな勤務医を嫌って比較的楽な開業医に勤務替えしているケースが多い。そのようないきさつから一般に勤務医の方が開業医より若いが、開業医より重症患者を診るので開業医より自分たちの方が偉いと思っている人もいる。病院には最新鋭の診断機器があり、入院によって長期に経過観察できるという強みもあり、診断力では病院勤務医の方が有利な立場にあるが、開業医も元は勤務医だったし、経験を積んでいることを忘れてはならない。しかし病院勤務医の中には手に負えない重症患者をこのようなタイミングで押しつけてきて自分は苦労をしないでのほほんとしていると開業医を快く思っていない人もいる。協力が必要で、当地区の医師会では毎日ではないが夜7時から11時まで開業医が病院の当直のお手伝いに来てくれている。その時色々話をしたりして開業医と勤務医の交流を図っている。開業医は余っていて、勤務医は不足しているが、開業医と勤務医の連携が密になり、お互いが心から信頼しあえるようになれば日本の医療はさらによくなると考える。
2011.07.09
コメント(4)
今朝は5時半から6時半まで資源ごみの分別当番で、ペットボトルやアルミ缶などを分別して袋に入れる作業をしてきた。何カ月に1回当番がまわってくるが、最初家内が出てくれたこともあるが、腰痛があるので以来ずっと私が出ている。今の季節だと丁度いいが冬の当番の時はきつかった。でも季節にかかわらず最近では結構楽しくなっている。以前は当番だと聞くとその前からゆうつになってしまったが、今は人間が少しはできてきたのか嫌ではなくなった。最初の頃はペットボトルのラベルをはがしてない人や、アルミ缶と鉄缶を分けてない人が結構いたが最近では少なくなった。今日ラベルをはがしてやったのは10本程度であった。鉄缶とアルミ缶の鑑別は難しいところがあり、こちらの方はかなり混ざっていたが以前に比べると少なくなっていたと思う。車いすを出していた人がいたが、業者に聞いたらOKとのことだった。それを使っていたお年寄りが亡くなってしまったのだろう。次は自分たちが使うことになると思うがそれまで保存しておくのは大変なので有価物に出したのだと思うがOKでよかった。次はいつ当番がまわってくるか分からないが「いやだなー」とか「ゆうつだなー」などと言わないで早起きしてがんばってこようと思う。
2011.06.14
コメント(4)
今、朝6時、救急車で昨夜10時ごろ昏睡で来院した57歳男性と明け方2時ごろ救急車で来て入院しためまいと高血圧の77歳女性を病棟に診に行ってきた。昏睡の人は血糖が600位あり糖尿病性昏睡と診断してインスリンを点滴して血糖を100位まで下げたがまだ意識はない。めまいの人はかなり症状が改善していた。昨夜は13人救急患者がきたが多方面に渡った患者さんがきた。午前1時40分に来た37歳男性は左足背を虫に噛まれて痛くて眠れないという。確かに2ヵ所赤くなっていてムカデなどに噛まれたのかもしれない。痛み止めと点滴をしたが、まだ痛いといっていた。虫さされと思われる患者さんはもう一人いた(15歳女性)が今の季節は多くなるだろうと思われた。9時で次の当直者と交代になる。もう少しだ。気を緩めないで最後のお勤めを完了しようと思う。一晩中付き合ってくれた看護師に感謝する。
2011.06.12
コメント(4)
今日は当直である。19歳の女性が友達同士が激しく喧嘩しているのをみて過呼吸状態になって救急車で運ばれてきた。点滴しているがまだ眠ったままで反応がない。職業人は生産業、販売業、サービス業その他すべてミスなく最高の仕事をしようと心がけて、心身をすり減らしながら仕事をしている。医者の仕事も同じである。今は治療方針はガイドラインとして示されていることが多く、どこの病院でも、どの医師でも治療法は殆ど変わらない。ガイドラインに沿って最高の治療法をしていても入院患者さんが思ったより具合が悪くなっていると心が落ち込む。その人のことを思っていると外来の患者さんで6ヶ月間インターフェロン治療した後ウイルスが消えていると期待していたのに、ウイルスが消えていない現実があり、自分の責任ではないことは分かっていても落ち込む。そのことを思っていると次から次に外来には問題を抱えた患者さんがくる。一人ひとりに真剣に対処するのが仕事する人の任務だが、上記のように前の患者さんのことが気になって目の前の患者さんがおろそかになることがある。入院患者さんにしても、インターフェロンの患者さんにしても気にしたからどうかなるというものではない。しかし結果が悪いと自分にどこか落ち度があったのだろうかなどとあれこれ考えてしまうものである。原発事故現場で働く人たち、教育現場で働く人たち、食料品生産に携わる人たち、自分のベストを尽くして働いてくれている。過去の失敗を反省することはあっても、過去のことにこだわって目の前の現実の仕事に集中できないようなことがあってはならない。それは仕事する人のいろは(基本)である。私にも色々気になることはあるが、目の前の患者さんに集中していこうと思う。
2011.06.11
コメント(4)
パッションフルーツ:トケイソウ科トケイソウ属 南米原産、つる性多年生熱帯果樹、花言葉;聖なる愛、信じる心三波春夫がお客様は神様と言ったが、芸を突きつめていくとそうなるのかなと思っていた。医学を突きつめていくと患者さんは神様になることを本日気がついた。今重症患者さんを大勢受け持っている。今日も慢性関節リュウマチで顔がむくみ体のあちこちにジョクソウの出ている大変重症の患者さんが入院してきた。今入院している患者さんだけでも大変なのに、また重症が入院してきて内心これはたまらない、自分が壊れないで持つだろうかと思った。でもこの時上のことがひらめいたのである。重症であろうが軽症であろうが、患者さんは神様である。自分が重症患者さんに参る、参らないは関係ない。目の前にいるのは神様である。神に使えるように全精力を尽くして対応していけばいいのである。心がずっと軽くなった。重症患者さんだと思うと消耗してしまう。神様だと思うと力が湧いてくる。この場合の神様とは何か御利益を与えてくれる神様ではない。御利益とはまったく関係なく、崇め奉る存在である。看護師などもその神様の病気を良くしようと働いてくれているのだから、患者さんと同じく神様である。大事にしなくてはと思った。午後は大腸鏡の検査だったが、今検査させて頂いているのは神様であると考えたら乱暴な検査は出来ないし、見落としも許されない。今まで以上に緊張したが、受診者を神様と考える時大腸鏡検査そのものが神に仕える行為となり、最高に充実した検査ができた。技術も向上した。疲れも感じなくなった。もしこのブログを医療関係者が目にとめてくれたなら、患者さんは神様と認識して見てもらいたい。技術が飛躍的に向上するし、体が楽になること請け合いである。かりそめにも医療に従事している人は患者さんは神様と思うべきである。
2011.06.07
コメント(2)
今4人のパーキンソン病の方を受け持っている。そのうちの一人が午前10時頃車椅子を直そうとして倒れて左大腿骨頸部を骨折した。私は外来診察中だったがその骨折写真を見せられてショックを受け、続く二人の外来患者さんの診察は上の空になってしまった。12時半頃には別のパーキンソンの患者さんが意識がないという連絡があり、一過性で戻りつつあるとのことで、外来の区切りをつけて病棟に駆け付けたが、外来をしている時病棟の入院患者さんが急変したとの連絡はかなりダメージを受ける。でも骨折は整形外科の先生が早速明日手術してくれるとのことで、家族にその話をした後は少し心が晴れた。パーキンソンの方はちょっとしたことですぐ転ぶ。転ばないでくれ、骨折しないでくれと願っていただけにショックは大きかったが、パーキンソンの人には何でも起こり得るので、最初から何でもありと覚悟を決めておけばあれほど消耗しなかっただろうにと思った。自然体、何でもあり、の覚悟が必要だと思う。何があっても驚かないで冷静に対処していこうと思う。
2011.05.13
コメント(2)
今夜は当直で、夕方6時頃から次々と患者さんがきた。救急車と自己受診で重症の人が重なったこともあった。当直医は一人なので、重症の人を見ながら、前の人の入院の指示を書いたり、点滴中の別の患者を診たり、忙しかった。看護師さんは一人で途中から一人手伝いに来てくれたが看護師さんも大変だったと思う。お疲れさん。午後8時ごろ救急車で運ばれてきた58歳男性、母親の葬式の7日の席で急に激しい腹痛で救急車で来院、CT検査でお腹の中に腸管からの空気が漏れているのが分かった。十二指腸潰瘍などで腸管が破れたものと思われた。山梨県立中央病院の外科に電話して事情を話したらすぐ救急車でまわしてくださいとのことで心から感謝した。急患の問い合わせをする時、当直医が自分には手に負えないと思ったり、責任を負いたくないと思ったり、患者が混んでいるので診たくないと思ったり、楽をしたいと思ったり、あるいはベットが一杯だからと断られることが結構ある。それぞれの事情はあるかもしれないが、患者さんは苦しんでいるのだから、実力をつけて、手に負えないから等で断らないでもらいたいものである。今の時間まで結構大勢の患者さんが切れ目なく来院して、入院も二人あり忙しかったがそれだけに充実した時間だった。明日は日曜日なので今日入院させた人を診てから帰ろうと思う。
2011.04.30
コメント(4)
サクラソウ:サクラソウ科多年草、原産;日本、朝鮮、中国、花言葉;希望、青春のはじまりと哀しみ、初恋、今日は研究日なので、午前中は甲府市医師会センターに胃カメラ検査に行き、その後医大のICUに入院している患者さんをお見まいし、帰りに月曜日に開業したばかりの中村内科に寄ってきた。午後は依頼されているある医院で超音波検査をしてきた。医大の混雑ぶりには驚いた。私がかって勤めていた頃にはとてもこんなに混んでいなかったが今や駐車場はどこも一杯で、待合も溢れていた。病気の人が多いのだなと思った。ICUの患者さんは6~7年私が健診センターに勤めていた時に病気が発見されて手術した方である。その後ずっと健康状態だったが土曜日の午後急に激しい痛みに襲われ医大で手術したが手術後麻酔が覚めた時自分でトイレに行ったのがいけなかったのか、明け方急に血圧が下がり、意識がなくなって、ICUに入院しているとのことだった。私が行った時も意識はなかったが、耳元で声をかけたら人工呼吸器の呼吸とは違う自発呼吸が加わった印象があり、全く意識がないわけではなく、低酸素脳症だったとは思われるがかすかに回復の可能性もあると思われた。午後の超音波検査は殆どが80歳以上の高齢者なので体型やお腹の膨らませ方など検査困難なことが多く、機械の性能もよくなくて、思うように検査が出来なくて落ち込んだ。被験者とか機械のせいと思いがちだが実際には自分の技術と心構えや精神力が一番問題だったのだと思う。体調管理と精神力の統一は今雨の中で巨人ーヤクルト戦を戦っている野球選手などスポーツ選手だけでなく全ての人に言えるのではないかと思う。今感ずる所あって酒を止めているがおかげで体調が良くなったと思えた時もあったが、今日のようなこともあるので心していかねばと思う。
2011.04.27
コメント(4)
熊本の友人から阿蘇山と桜の写真を送ってもらった。雄大で美しく生きる勇気を与えてくれる。その対極にあるのが出会い系サイトのブログだと思う。ブログの足跡のかなりの部分を占めているのがそのようなサイトである。訪問してくれた人だからとクリックすると大変な写真がアップで迫ってくる。人間を含む動物にとって食欲と性欲は最も本質的な欲望である。それがなくなったら種族の保存が出来なくなる極めて重要なことである。食欲を十分に満たすために調理や栄養を研究するのが大切なのと同様、セックスを楽しく充実させるために様々な工夫をすることが重要なのは論を待たない。しかしサイトを見て感ずるのは、欲情に駆られた人がクリックすると金を請求するシステムになっているみたいで、性を使っての金儲けサイトである。性に対する不遜であり、女性に対する暴虐だと思う。女性にあのような演技をさせ、申し訳ないとか恥ずかしいとか思わないのであろうか。女性を侮辱し、性を凌辱している。多くの人は臭いものには蓋で、クリックしてそのサイトだと分かるとすぐ閉じてそれですませているが、女性の方々はどのように感じているであろうか。女性を商品として扱い、尊敬のかけらもない扱いに憤慨しないのだろうか?と思った。ブログを読むためではなく、単に足跡を残してブロガーにクリックさせるためだけに他人のブログを閲覧している人たちの倫理観、人生観を疑う。性は重要なことである。それを大切なこととして高揚し、感謝すべきことなのにさげすみ侮辱し金儲けの手段にするのは許せない行為だと思う。仕事は他にもいろいろある。よく考えて別の仕事に進んで下さることを心よりお願い申し上げる。
2011.04.24
コメント(4)
昨日も今日も予定されていた停電がなかった。明日明後日も土日なので停電はないという。停電がない方が良いが、停電しますという時間帯は仕事の予定が入れてないので、せっかく頂いた電気だが有効に使えなかった人も多いと思う。外来診療は自家発電があるので停電にかかわらず行っているが、CT検査やMR検査など大きい電力を使うものは停電中は無理である。手術も停電中は原則しないことになっている。この停電が何時まで続くのか分からないが仕事が中途半端になってしまって困っている。火力発電所を急遽作るとか周波数を同じにする工事をして関西電力や九州電力から東京電力管内に電気を送ってもらえる工事をしたりするには、今後数カ月はかかることが予想されており、来週以後また停電があるのは必至なので、停電対策を職場でも自宅でもしっかり確立していきたいと思う。
2011.03.25
コメント(4)
世の中には様々な仕事がある。衣食住に関係するものを造る人やそれを売る人、マスコミなどで情報を集めたりそれを発信する人、芸能関係やスポーツ選手等自分の技術や演技を大衆に見てもらう人、人を教える人、体が不自由な人達の介護をする人、地域の安全管理に携わる人、公務員など様々な仕事がある。現在は失業して仕事を探している人が多いがその多くは会社勤めだった方で、会社がつぶれたり、合理化で職を失い、新たな就職口を探しているが中々見つからない、というのが現状だと思う。その業務の多くは物の生産もしくは販売活動が多い。今は経済が冷え込んでいるため、購買する人が少なくなり、会社は経費節約のために、合理化を進めている所が多い。仕事と言うとサラリーマン、つまり、給料取りを夢見る人が多いが、実際には仕事はサラリーマン以外にも沢山ある。仕事は人様に尽くすことなのでその方法は山ほどあるが問題は生活に必要な報酬が得られるかである。今失業している人達は他人のために尽くすどころか自分に尽くして貰いたい気持だと思う。現在生活していけないのだから収入が得られる仕事が欲しいと思うのは当然である。しかし仕事の本来の意味は人に仕えることである。採用してくれる会社がなかったら介護や掃除やゴミの運搬など身近なところから何か自分で始めてみたらどうだろうか?何か仕事を初めてみたら思いがけずに報酬もいただけて自分の生活を成り立たせながら他人の役に立って行ける道が開けるかも知れない。今テレビを見ていたら大相撲の八百長疑惑が報道されていた。仕事は金を得るためのものではない。人様に尽くしてその結果として報酬を頂くのである。プロのスポーツ選手として素晴らしいファイトと技術を客に示すことが至上の任務である。仕事の意味をおろそかに考えないでもらいたいと思う。
2011.02.02
コメント(0)
朝日メディカル1月号に81歳の精神科医 加賀乙彦氏が「医師の原点」と題するエッセイを書いていた。医師の原点とは患者さんを中心にして、各科専門領域の医師が連絡網を作って様々に助けてあげようとする心であるとし、自分が診察している領域外の病気の時には専門の違う医師同士が協力して患者さんを助けてあげるのが医療の中心命題であると書いている。その意味では今私が勤めている笛吹中央病院では、各科の連携がよくとれており、私は内科系だが外科系病気の時は一般外科や整形外科、脳外科の医師が実によく診てくれて助かっている。確かに患者さんを中心にしてその患者さんのために総ての医師が強力することが医師の原点なのだろうなと思ったので紹介させて頂いた。
2011.01.06
コメント(2)
今日は平成22年の最期の日である。西日本や東北は猛吹雪で大変だと言うのに当方は朝から快晴で申し訳ないと思った。いつか当方も大災害に見舞われるかも知れないが今までのところは、台風や集中豪雨など当地も予報されていても実際にはそれから免れており、心から申し訳ないと思っている。快晴だったので窓ガラス拭きや蛍光灯の傘拭きなどいわゆる年に一回の大掃除をした。ガラス拭きは一回拭いても明るい光線を浴びると結構汚れが目立ち、その汚れは内側か外側か分からないこともあり、表と裏を何回も拭きなおしたが完全には綺麗にならなかった。何の仕事も楽な仕事は本当にないものだなと思った。それでも家内に言われるままに、ささやかながら大掃除のまねごとのようなことをしてこの今年最後の日を過ごした。夕方には滋賀県から現地は大雪だったので出発を見合わせていた息子の家族が勇気を出して大雪の中を出発してくれて無事当方に到着した。無事の到着と息子が係長に昇格したお祝いもかねて美味しいお酒を飲んだ。今紅白歌合戦を観ている。息子の子供達は昔の加藤茶の番組を別のテレビでくいいるように観ていて大笑いしたりしている。無事到着してくれてのどかな年の瀬を迎えることが出来た。あと数時間で新しい年を迎える。来年は今年の反省を踏まえてより充実した一年にしたいと思う。
2010.12.31
コメント(0)
自分としては今年あまりよく出来なかったこともあるが、それを心がければ素晴らしい仕事が出来たと思われる項目を列挙していこうと思う。1.人が嫌がることでも進んで行う:最初からどんなことでも喜んでやると決めてしまえばどんなにつらくて嫌な仕事でも嫌と感じなくなる。2.面倒なこと困難なことでもいらつかない:子供の時何かをしていて中々出来なかった時にいらついて投げやりになった経験はないだろうか?仕事人は子供ではないのだから焦ったり、いらついたり、泣き叫んでも誰も助けてはくれない。冷静に判断して解決の方法を模索し、どうしても自分の能力ではできない時には諦める勇気も必要である。3.人を頼りにしない:中々思うように出来ない時には誰かに助けてもらおうという気持ちが働く。ケースによっては当然それが必要なこともあるが、困難に遭遇したら何でもかんでも頼ろうとすると、自分の実力は向上しない。まず自分の全精神力を集中させて挑戦することが必要である。4.運命を甘受する:職場では同僚やコワーカーの人達と一緒に仕事をしている。仕事の多くは自分で選ぶより外から与えられるものである。こんな難しいケースは自分でなく他人に行ってくれたらよかったのにと思う事がある。与えられた仕事は自分に与えられる運命だったとして捉え、他人の所にいけばよかったなどと考えないで、それは自分の所にくる運命だったと考えれば浮ついた心はなくなる。5.仕事は殆ど人と人とのつながりの中で行われる。相棒や仕事先の相手のことを思い、彼らに尽くす気持ちで仕事を行う。6.小学生の時の男子トイレはコンクリートで出来た横に長い溝みたいなもので、その端に児童が立って小便をする方式だった。受け持ちの教師は軍隊帰りで厳しい先生で、自ら裸足になってその中に入って掃除したので、自分たちも恐る恐る裸足で入って掃除した。小便が溜まっていてぬるぬるして気持悪かったが先生に言われたのでその通りにした。あの時のことを思えばどんないやな事でも出来ると思う。今多くの失業の方がおられるが、何でもする気になれば仕事を募集しているところもあるかもしれないし、自分でも仕事が作れるかもしれない。7.字は誰でもが分かるようにきちんと書く:今の職場は人に読めないような字を書く同僚が多い。忙しくてきちんと書いてる暇がないというかもしれないが、字は仕事の一部だ。上手でなくていいから誰にでも読めるように書くべきである。
2010.12.27
コメント(0)
今日はクリスマスイブで当直のなり手がいなかったので私がお引き受けした。当直の時には病院の患者さんと同じ食事が出るが、今夜は柔らかい鶏肉と、カレーご飯とマカロニスープと卵とじ、それに、チーズケーキがついており、随分豪華な夕食が出るのだなと思った。これからどんな患者さんがくるか心配だが、あまり重症でないことを願った。でもそんなことを願ってもそれはこちら受け入れ側の都合であり、患者さんにとっては好んで重症になるわけではない。来た患者さんについては夜中であろうと重症であろうと誠心誠意対応しようと思う。
2010.12.24
コメント(2)
人間全てが揃ってオールマイテイの人はいない。それで出来る人に頼る気持ちは当然でてくる。自分の出来ないところを出来る人に手伝ってもらったり代わってしてもらったりすることが可能な環境にいるなら、当然それを頼りにすることになる。それによってより良い仕事ができたり早く終了することができて、会社としては望むところだが、個人の能力の向上にはマイナスに働くこともある。努力に努力を重ねていても中々実力が向上しないと、止むなく出来る人の助力をお願いすることになるが何時までもその気持ちだと成長しない。どんな困難な問題があっても、自分でやり切ると決めた時、不思議な力が出るものである。他人に助力を求めることも時によっては必要だが、人に頼らないで自分でやりきると心に決めることも極めて重要である。
2010.12.11
コメント(0)
昨日書いた一人暮らしの3人の患者さんの中の一人、84歳女性は重い心不全で、肺うっ血著明でレントゲンでは、両肺とも真っ白、呼吸も苦しそうで、病院に来てくれた御高齢の妹さんに昨日の夕方「今日明日かも知れない」というお話をした。今朝病院に行った時はまだお亡くなりになっておらず、回復の可能性もまったくないわけではないと思われ、山梨大学第二内科循環器部に精査、加療依頼の電話をしたところ、早速引き受けて下さり、今日転院になった。前にも80歳代の身よりの無い男性が、重い心不全で、両足など丸太棒のように膨らんでおり、拡張型心筋症で、とても回復の見込みはなかったが、第二内科に電話したところ即座に対応してくれて入院治療をしてくれた。重症患者を紹介しようとしてもベッドがないとの理由で断られることが多いが、この第二内科は即座に引き受けてくれた。タイミングでたまたま空いていたのか、あるいは救急患者用に何時でも受け入れられるようにいくつか秘密ベットを確保しているのか分からないが、患者さん側にしてみると大変にありがたいことである。この大学だけでなく同じように救急患者は即受け入れの態勢をとってる病院もあるかもしれないがそれはすごいことだと思う。平均的な医者は「救急患者でもベットが空いていなければどうしょうもない。お断りするしかない」と考えており、別段悪いことをしているわけではないと自己弁護している。しかし山梨大第二内科はそれを許さないのである。ベットが無ければ何とかして空ける。空けることが出来なくても受け入れて外来処置室で何とか処置するなど、凄いシステムを構築しているのだと思う。最近の医者は使命感がないなどと批判されることがあるが、山梨大第二内科を見てもらいたいと思う。医者の鏡であり心から敬服申し上げ、本日のことを心より感謝申し上げる。
2010.11.18
コメント(0)
日曜日中学の同窓会があり、帰りに代行で帰ってきた。いい気分で運転手さんとも色々話しながら帰ってきたが、私の家のほうに曲がる所で車をこすってしまった。入口が大変狭くて多くの人がしばしばこする所だが代行の運転手さんともなればプロだから大丈夫だと思っていた。事実今までもしばしば代行を使わせてもらっていたが、今までの運転手さんはこすらなかった。今度の運転手さんはこすってしまった。ショックだったと思う。私も傷ついた車には乗りたくないし、直してもらうにしても不便になる。ショックだったが恐らく運転手さんのそれは私の比ではなかったと思う。プロなのにこすってしまった。自分の車でなくお客の車である。客に対しても会社に対しても申し訳ない。その気持は口では言えないくらいのものだったと思う。翌日その代行会社の女社長さんが菓子折をもって私の勤め先にお詫びに来てくれた。そして今夜、今修理して元通りになった車を件の運転手さんが届けてくれた。日曜日から今日までは少し時間がかかりすぎたようにも思ったが、無事修理して届けて頂き一安心した。それにしてもなんの仕事も大変だと思う。仕事の中で様々なことは起こるものである。自分が運転手さんの立場なら本当に困ってしまったと思う。立ち直れなかったかもしれない。事故の当日も、今夜も思いっきり慰めのことばとねぎらいの言葉をかけさせて頂いた。
2010.11.12
コメント(2)
今日帰りの車に中でNHKのラジオを聴いていたら、株式会社アミタホールディング会長のインタビューをしていた。上場企業なのでかなり大きな資本を動かしている大会社だが、実際には自然の中に溶け込んで自然と共生しながら生産物を作り、それを販売している会社だという。今日の番組では牛乳とお米の話をしていたがそれ以外にも色々な事業をしており、基本理念は以下に述べる牛乳と米の生産方法に準ずるらしい。牛乳については乳牛を森林の中に放し飼いにして、森林の下の下草を食べさせ自然のままに生活させた乳牛からお乳を搾ってインターネット等で森林ノ牛乳として販売しているとのことだった。それは普通の牛乳に比べるとかなり高いが売れ行きは上々とのことだ。お米は滋賀県の琵琶湖の近くの農家と契約してオタマジャクシがカエルになる7月まで田んぼに水を入れてもらい、その後は害虫はカエルに食べてもらい、農薬は一切使わないで米を作ってもらているとのことだった。琵琶湖からの用水路にはフナやドジョウ、その他の川魚を自由に泳がせて自然の中でお米をつくるとのことで、「自然のお米」の評判で良く売れて10kg7000円位とのことでかなり高いがこちらもよく売れているとのことだった。生産性を上げるため農業生産には農薬はつきもので消毒しなければ農産物は育たないというのが常識だったが、農薬を使って牧草を育てることなく自然の森で育てた牛のお乳、自然の中で育てたお米、どちらもすごい人気らしい。少しでも安いものを買うのが購買者の心理で、同じ品質のものを高くても買う人なんてあまりいないだろうと思っていたが、人々の心の奥に自然志向、安全志向があったと思われ、この自然生産の商品がよく売れて、この会社はこんなに大きくなったのだと思う。今後上記以外の事業についても勉強していきたいと思った。
2010.11.01
コメント(2)
ランタナ(七変化):クマツヅラ科ランタナ属、亜熱帯アメリカ原産、常緑低木、花言葉;合意、協力、確かな計画性ノーベル化学賞が発表され、日本の鈴木、根岸両氏とアメリカのHeck氏の3人が受賞した。鈴木さんは北大名誉教授で、旧帝大の中では九大と並んでまだ北大はノーベル賞受賞者を出していなかったのでその喜びは大きく、大学を挙げて、そして北海道を挙げて喜びが爆発した。根岸さんはアメリカ在住なので、地元では鈴木さんほどの歓迎は受けなかったが、日本の菅総理からお祝いの電話をもらい、若者に留学することの重要性のメッセージを送り、総理には「日本は化学部門で世界に誇るべきレベルにあるので、若き研究者にもっと援助をしてもらいたい」と要望した。方や大学、地域を上げて大祝福され、方や内閣総理大臣にお祝いの言葉をもらい、自分の願いを総理に伝えることができた。それなら3番目のHeckさんはどうであろうか?Heckさんは今79歳で年金暮らし。フィリッピンのマニラでフイリピン人の奥さんと小さな貸家にひっそりと暮らしていて鈴木さんのような大祝福はされなかった。自分がこの賞がもらえるとは夢にも思っていなかった。賞金は何に使うかまだ決めていないが、住む家を買おうと思うとのことである。アメリカのデラウエア大学定年後はフィリッピンに住み老後を静かに暮らしており、研究ははるか彼方のものになっていたが、自分の研究が色々な部門で役立っていることは嬉しく思うとコメントしている。3人3様の祝われ方だが、Heckさんにはアメリカ大統領からのお祝いの電話があったのだろうか?3人の中ではHeckさんが一番地味な祝われ方をしたのではないかと思う。賞金が3等分されるので、3千万位の賞金だが、いい自宅が購入出来たらいいと願う。老後を静かに送っていた人でもその昔の研究業績に対して世界一のノーベル賞が授与されるのだから化学賞の選考委員には敬意を表したいと思う。祝われ方は違ったが、現在、医学、薬学、工業部門等で3人の研究は大いに役立っている。ありがとうございました。
2010.10.10
コメント(2)
今日も病院の当直をしている。今、夜9時半だが今までに13人の救急患者さんが来た。一人入院で他はそれ程重症でなく安どしているが、これから夜中にかけてどのような患者さんが来るか分からない。今までのところは高齢者の発熱と、嘔気、嘔吐が多かった。明日は敬老の日で休日なのでたとえ眠れなくても家に帰れるので心配はない。それでも出来ることなら夜中は少し眠らせてもらえたら有難いと思っているが中々そうはならない。
2010.09.19
コメント(2)
横浜球場で行われていた試合で、4対4の同点できた8回に巨人が2点入れて6対4で勝った。このところ連敗が続いていた巨人はこの試合でも前半で4つのエラー、古城2個、脇屋1個(記録はヒットになっているが実際はエラー)、松本1個であっと言う間に4対ゼロと離されてしまった。あの強い巨人がエラーで自滅してしまったのである。結果的にはその後盛り返して6対4で勝ったが、ヒヤヒヤの勝利であった。巨人と言えば開幕から7月くらいまでは圧倒的な強さでトップを走っていたチームである。そのチームがこんな状況になってしまった。勝負事は分からないものである。レギュラーだけでなく控えの層まで個々の選手の力量は群を抜いており、多くの人が巨人優勝を予測していた。7月までの試合をみると正にその通りで、巨人の圧倒的強さが目立っていた。しかしここにきて失速し、中日に3連敗してしまった。今日も最下位ベイスターズに翻弄されてやっと勝たせて頂いた状況である。故障者等が出ればやむ終えない面もあるが他チームに比べて故障者が特に多い訳ではない。調子の悪い人が多くなったのである。先発投手が打ち込まれて試合をつぶしていることが多い。個々には超一流の人達ばかりが集まっている集団でも勝てなくてずるずる順位が下がっていくことがあるのである。今後持ち直してどのような展開になるか分からないが、現状を見る限り、どんなに素晴らしい選手が揃っていても勝てなくり、後塵を拝するようになることがあることを実感した。個々の選手にも調子の波があるが、チームにも調子の波がある。よい調子の波を持続させるには何が必要であろうか?選手一人一人が初心に帰ることだと思う。確かに実力はナンバーワンかもしれないが、それは全く忘れてゼロからスタートするべきだと思う。今が生死と決めて今の試合に全力を注ぐことだと思う。巨人はプロ野球の盟主である。巨人が弱くては面白くない。まだ全く優勝の目が無くなった訳ではない。少しでも可能性がある間は、全てを投げうって初心に帰り、全力を出して頑張って貰いたいと思う。
2010.09.07
コメント(2)
昨夜の当直業務を終えて今帰ってきたところである。次の人にバトンタッチして車で帰る道すがらは天気もよかったこともあってかとてもさわやかな気分であった。昨夜は救急車2台を含め20人の救急患者さんがきた。深夜2時、3時、4時と深夜帯にも患者さんはきた。少し寝ようと思ってもすぐコールされるので眠れなかった。1人で20人は大変だったが点滴等の治療で皆さん元気になられてお帰りになり、そのことでは気分がいい。土曜日の場合、翌日が日曜日で家に帰れるので、家内が寝なさいというのだが、寝てもどうせ眠れないので、今夜早く寝ることにしようと思う。深夜業務の人は多い。工事現場の人、24時間営業のコンビニ店員、病院の看護師、消防隊職員、輸出産業の生産工員 等多くの人達が深夜業務に携わっているが、深夜をして、それに続いて昼間眠れるかというと昼間は中々眠れない。コニカの下請け会社の産業医に行ったことがあるが、深夜業務の人で、翌日の日中寝ている人はあまりいなかった。買い物に行ったり洗濯などを行っていた。昼夜逆転して昼眠って夜働くのが習慣化すればいいかもしれないが、それでも上記のような理由で夜眠らない仕事は大変だと思った。当直医師の場合は、土曜日を除けば全て翌日は通常業務なので工場の深夜業よりきつい面もあると思う。健康管理に気をつけて頂きたい。
2010.08.29
コメント(4)
今日は午前中外来で午後お墓参りに行って中学時代の友人と碁を打って彼を駅まで送っていこうとしていたら、病院から電話があり、14、15の土日当直をしてくれる信州大学の先生が大学の患者さんが重体でこれなくなったとのことで、日曜朝から月曜までの当直をしてくれとのことだった。家内に言ったら皆がお盆さんで来てくれているのになぜ引き受けたの。火曜日に当直したばかりではないの。体が壊れてしまうよ。断れないの?!と言われた。事務の人は他の医師にも確認したが急のことで皆都合が悪いとのことだったので仕方ないかなと思った。お盆さんのお客さん(子供達とその子供)は家内がいれば皆も満足してくれるので、申し訳ないが私は病院に行かせてもらおうと思う。明日はまだお盆中で夜中の患者さんが少なければいいなと願う。
2010.08.14
コメント(0)
昨日は朝から外来で2時近くまでかかった。そのころから当直の時間帯に重なり殆ど切れ目なく夜になり午前2時過ぎまで患者さんがきた。それから寝てみたが何時起こされるかと思うと眠れない。朝6時にコールあり、救急隊からの受け入れ打診に対して当院受診でないから受診病院に当たって下さいと断ったケースがあり、気になった。朝7時からまた2人患者さんがきた。労働基準局では8時間労働と言われるが昨日の朝8時半から今朝の8時半まで、途中2~3時間の仮眠を引くと21時間の労働になり、今日は日曜日なので休めるがウィークデイだとその翌日も通常業務なので労働基準からみると問題があるかもしれない。今までに19人の患者さんを診たが途中で断ったり、たらいまわしにすることはあってはならないことだが、上記の件や一人交通事故で救急隊がつれてきた患者さんを診ているところにもう一人外傷患者の問い合わせがあったがお断りした。自分が断れば他を探すが他の受け入れ状況の実情を知っているだけに自分が断る時は心苦しい。今、朝の8時、交代の人が何時に来てくれるか。通常は9時交代だがそれまでにちゃんときてくれるとありがたいと思った。
2010.08.01
コメント(1)
バラ:バラ科バラ属 原産北半球温帯域、チベット、中国、ミヤンマー等、花言葉;赤いバラは情熱的で甘美な愛情、ピンクは病気の回復、白は美徳、純潔、黄色は友情、献身28日の夜は比較的安泰だったが、今日は1時頃から犬にかまれた人、階段から真っ逆さまに落ちて頭を打った人、息切れの人など次から次に来ている。今6時40分に病棟で呼ばれて死亡確認してきた。呼吸停止しているというので息せききって駆け付けたのに病棟のナースは詰め所で4~5人申し送りをしたり話をしていた。医師がきたのにその患者さんのところについてきてくれたのは一人の若いナースだけだった。それぞれの受け持ちがおり、死は日常茶飯事なので、我関せずだったのかとも思われたが、人の死に対して同情心、真剣味が感じられないと思った。せめてリーダーはくるべきだと思ったが他の仕事をしていたのか若いナース一人だけにまかせきりだった。心の中に大いに不満が湧いたが、そこで大声を出しても逆効果と思われたので今後それとなく注意していこうと思った。今まで次から次に患者さんがきているのでこれから夜中にかけてどんな患者がどれだけ来るか分からない。でも心を無心にして、ベストが尽くせるように対応しようと思う。
2010.07.31
コメント(0)
トマト:ナス科ナス属、原産、南アメリカ アンデス高知、花言葉;完成美、感謝本日1時半頃中国人研修生20人位診察してくれと言われた。本日は胃カメラも多かったし、救急入院もあり、受け持ち患者さんが亡くなったりして、息も出来ないくらいの忙しさで、その時間帯もやらねばならないことが沢山あった。「これから20人も!?、堪忍してよ」と思った。でも診察室に入ってきたのは20歳から23歳までの女性で皆スタイルがよく魅力的な女性ばかりであった。日本語も中国で1年半勉強してきたとのことで、簡単な会話はできた。中国の専門学校の学生で7月24日に来日して1年間日本の旅館で接客業を学んで帰るとのことだった。いま経済発展が目覚ましい中国で日本のもてなしの心を学ぶブームが起こっているという。しかし彼女等はそのブームとは直接関係なく、山梨県の石和温泉旅館組合と中国の接客業の短大とで提携して、数年前からその旅館組合で受け入れてきた学生達である。昨年も同じような留学生の健診をしたことがあるが、生き生きとしていて美しい女性ばかりだと思ったが今年は経済発展をバックに一段と垢ぬけして美しくなったという印象があった。若くて綺麗な人達ばかりで疲れていることは忘れてしまい、却って少し元気をもらったような気がして、嫌だなどと思って申し訳なかったと思った。接客業を学びたいという学生だけあって、診察終了後皆さん「ありがとうございました」と日本語でしっかり言い、表情でもしっかり感謝の気持ちを表していた。今や日本と中国ではあまり差が無くなってきている。日本から学ぶこともだんだん無くなっていくかもしれない。でももてなしの心は日本が世界に誇れるものである。この留学生達が今後もずっと日本に来てくれることを期待したい。
2010.07.29
コメント(4)
全305件 (305件中 201-250件目)