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今日の長崎新聞に、「キリシタン墓碑?」の表題の記事が、掲載されていました。
場所は、平戸市春日町。
長方形の石組み遺構4基を、市教委が発見していた事が分かったそうです。
掲載されていた写真を見て、よく似た物が、私の写真の中にもあったので、紹介してみたいと思います。
この写真の墓地は、小豆島移民の方の墓地のようで、周囲の墓碑には、没年月日の二十日を十十日と書かれている物や、没年が寛政十年の墓碑で、戒名が「一王正徳信士」と書かれた物もあります。
戒名に「一」の文字が使われている墓碑は、キリシタンに関係している可能性も、あるとした説もあるようです。
今回紹介した墓碑も、もしかしてキリシタン墓碑?だったら、島原の乱の後に移民してきた、私達の御先祖様も、キリシタン?
私の勝手な持論、「徳川幕府の神仏習合には、キリシタンも習合していた。」を、証明する事が出来れば、隠れ・潜伏キリシタンの不思議が、解けてしまうのですが・・・。
話は変わり、 昭和の初めに亡くなった私の祖母は、長崎の本河内の生まれでした。その当時、父の家族が本河内に住居していた関係で、祖母も本河内の墓地に埋葬されていましたが、その後、祖父の故郷の島原半島に住居を移し、墓所も此方に求めたそうです。
その後、長崎に埋葬されていた祖母の遺骨を、こちらに移したのですが、土葬であったために遺骨が多すぎ、大きなカメに入れて今の墓地の中に、移したことを覚えています。
当時の埋葬は、火葬場が整備されていない地区では、土葬が残っていたとも言われているようですが、大半は火葬の時代では、なかったのでしょうか?
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