つきあたりの陳列室

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音楽

音楽とわたし


生き物好きという点をのぞけば,私の趣味はほとんど全て兄の後追いだった.音楽も例外でなく,彼がゴダイゴを聴けば私も聴き,彼が思春期を迎えた時に買った,中島みゆきとさだまさしのアルバムを,わたしもしつこいほど聴いた.彼の部屋から流れるクラシックがいまでも頭に染み付いている.バッハは単なる彩りだったけれど,サティは私の感性とか美的感覚に変更を迫る音楽,つまりロックンロールだった.

自分で選んだ音楽が意味を持ち始めたのは,小学校高学年ころにラジオで聴いた,サイモン&ガーファンクルの”スカボロー・フェア”だったかもしれない.

そして, ビートルズ の特集番組を見た13歳の某日は,音楽嗜好だけでなく,なにか生活そのものががらりと変わった気がする.

音楽におけるそうした画期はビートルズを端緒としたけれど,絵画についてはもっと目覚めが早かった.ピカソの青の時代の「老いたギター弾き」だ.それは単なる鑑賞の対象ではなく,やはり,私に考え方の変更を迫るものだった.

ビートルズ,ビートルズ,ビートルズの毎日がはじまった.そのビデオを死ぬほど繰り返し見た.アルバムと曲名とはすべて覚えた.中学校のクラスでビートルズファンの友達が3人居て,カセットを貸してもらった.生まれて初めてCDを買った.それもなぜかサージェントペパーズ.そして全曲歌詞集を買った.聴いた,聴いた,聴き倒した.

ぼくは変わりたかった.頭の中身を.これまでの自分を,アフタービートルズの頭ですべて再解釈したかったのかもしれない.この世界を肯定し直すためにぜひともひつようだったのかもしれない.ぼくは何かと言うと自分の情けない部分に注目しがちだった.でもビートルズを聴いている自分は,全部を肯定できた.ような気がする.何が特別だったのだろう.わかんない.かれらのメロディ,かれらの声.声.声.

Please please me. ぼくを気持ちよくしてくれ.その意味はそのとき知らなかった.ただプリーズプリーズミーという呪文だった.でも,ぼくはきっとそれが欲しかったんだ.しけた色の日常を,自分の手で,誰かのせいにするのでなく,誰かを避難するのではない形で,彩りをあたえたかったのだ.ただ,それに没頭するには,呪文が必要だ.「おまえはまちがってない」っていう始まりの呪文が.それが,ビートルズだった.おれは,まちがってなかった.




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