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ファッキン洋平。

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2007.08.31
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「本来の姿」などというのがあるわけはないがこうした虚業意識のあるうちは、まだ「病気」で済む。
済まないのはマージャン屋の二階で死んでしまっているサラリーマンたちである。
彼らにはもう偏見さえもない。(つまり、思想的偏見もなければ、趣味的偏見もないのである。)
もちろん、L・ローウェンタールの『偏見の研究』などによると、「偏見」のある間は、個人の内部に潜在的傾向があるのであり、それがときには外的刺激となって、社会閉塞からの救済になる。ということである。しかし、死んだサラリーマンたちは画一化されて機構の部品化していることに気がつかない。

「いやあ、驚いたよ。さっきね。うちの会社の子が本社の屋上で、おれに逢ったというんだよ。ところが、おれは先刻からここで弁当を食ってたから、そんなはずないといったんだがね。ま、気になって本庁の屋上に行ってみたんだよ。そうしたら、いたよ。おれとそっくりの男が、おれみたいな背広きて、しかも同じネクタイしめてね。ハッハッハッハ。いやあ驚いたよ。おや、驚いたといえば、きみもへんだね。きみもおれと同じネクタイをしめてるね。背広も同じだ。おい!きみは、おれか?」

・・・・同じ人間が量産されているメカニックな社会機構は、しだいに「自分とは、誰であるか」をわからなくしてしまう。

昔なら、「何が怖いですか?」というアンケートに「お化け」と答えるのが相場と決まっていた。いまなら「原爆」である。しかし、本当に怖いのは実はお化けでも原爆でもなくて「何も起こらない」ということなのではないのだろうか。




たしか、寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』





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Last updated  2007.08.31 15:46:07
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