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2004.07.11
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「音と絵と言葉のコンサート」2日目。新作「ボク・・・」の感想で、ハッとするものがあった。
「ボク」の心を通して感じること、それは命の輝きなのだとテーマを置いていた。
なのに「死」を感じさせると、ある人が言う。

「ボク・・・」は、日常の何気なさに不可思議なものを感じる子どもの感性を描きながら、
否定も肯定もせず、じっと明日を見つめる姿を物語った作品。
ボクの心を捉えたシーンはその詳細を一切省き、「文」もシーンの断面を切り取ったところのみを
言葉としている。絵は、意図してモノトーンでシンプル。言葉も絵もでしゃばらず、
あくまで読み手の心のイメージを喚起する余白を、私は創りたかった。前作の反省も込めて。


その一人一人が皆地球上で粒だったかけがえのない「命」だと、そう私の根底にあるテーマを描いた。
なのに何で「死」なのか。その人に反抗的な聞き方をしてみた。

もちろん、コンサートに来るまでは、そんな風には思ってもみなかったんだそうな。
音楽という「音」と、朗読という「音」の二つが合わさったとき、
ボクの心の中にある不安が表現されたようだと言っていた。絵本の中には確かに、「死」も描いている。
けれど子どもに明確な死生観なんてものはない。子どもは死を意識して捉えていないから。
絵では、ボクが感じる対象をボカシて表現している。その部分を、読み手の想像の余地とし、
意図した手法で描いた。そのボカシの部分が、ボク自身の「不安」を表しているように映るらしい。
存在の不確かさに対する不安。
あぁ、これは私の不安だ。

絵本に限らず「作品」と名のつくものは、その瞬間から作者の手を離れ、受け手のものになる。

「その感じ方は間違いだ!」なんて言われようものなら笑ってしまう。

「生」を描いたつもりが「死」と言われてムッとしたものの、様々なものがそうであるように、
「死」も不可思議なものとして捉えるボクに、子ども特有の鋭い感性をみたそうだ。
存在そのものが「生」であるボクに、「死」はそのまま不可思議なものとして映っている。
なんの結論付けをすることもなく。


作品が音と絵と言葉の間をくぐり抜けて、世界を大きくしている。
たくさんの人たちの感性で引き取られるその作品の意味を、言葉にして、今度は自分が受け取りたく思う。











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Last updated  2012.04.07 03:04:57


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