いろを的陶器とちょっと気功な話

いろを的陶器とちょっと気功な話

2007.08.27
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 どんな事にも想像ばかり先走り、結果(理想)が見えてやる気が萎えてしまったり・・・昔は色々とやりたい事も豊富で、自分のその時の実力も考えず、躊躇せずに色々な事に挑戦できていましたね。また、好きな事に没頭していると、自分では努力している感覚が少なくても、時には周りからは大変な事(苦労・努力等)をしているようにも見えるようで・・・

 色々と助けも得られていたように感じます。最近は、そんな一生懸命な人間を見ると手助けしたくなるのです。手助けをさせてもらうと言った方がよいですかね。それを「生きる目的」(やりたい事)として便乗するように生きている感覚ですね。

 また、単純に「気持ち良い」を求める事(欲求)が人の基本(本能)と感じますが、「何が気持ち良い事」を決めるのはその人それぞれの置かれた環境に影響が少なくないように感じます。そしてまた、一時的に「気持ち良い事」を我慢する事(他人のため等)で、別のより強い満足感(気持ち良い)を求める人も少なくないように感じます。

 「ヒトのため」はとても体裁良いですが、結果的に「気持ち良い」を求める欲求に変わりは無いと感じます。見方を変えれば、むしろ直接他人の感謝や感動などを頂ける「ヒトのため」こそ最大に贅沢な欲求のようにも感じられます。(08.6.20著)

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 ここまで色々と日記にしてきて、皆さんにも大体の私の育ってきた環境や気質が伝わっているかと想います。

 私も色々「文字」に表した事で、改めて自分を確認できていると感じます。(謙遜です・笑)広い意味での「嫉妬」(「憧れ」や「悔しい」なども含めて)や「嫌」という『想い』が、表現の中によく出てきますね。いずれも「負」のイメージの『想い』が、私の場合の色々な能力を得る上で大切な原動力(きっかけ)になっていると感じます。

 人は得てして「負」のイメージの『想い』の方が、強め易いように感じています。厳しい「練習」や「苦行」には、ある意味それを逆手に取った能力開発法的なモノを感じます。そして私は時に「ポジティブ」なことに浅さや軽さを感じて物足りなかったりするんですよね。「ネガティブ」なことに深くて重く興味をそそられるモノが多いように感じてしまいます。

 その人にとっての「正」のイメージの『想い』が、常に他の人の「正」に当てはまるとも限りませんしね。ただそのバランスの大切さも感じています。主に母の気質の影響を強く感じていますが、「負」のイメージの『想い』も、きっかけに留められるなら、必ずしも悪いとは感じませんが・・・ダメですかね?(笑)(08.8.20著)

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 「独身貴族」って言いますね。

 私も好きな人は沢山いますが、いまひとつ「結婚」には踏み切れませんかね。確かに「結婚」(同居)だけを考えれば最適な人を選べますかね。ただ他のカテゴリーで考えれば他の人の順位が上がりますかね。「独り占め」にはしたものの、その人の全てを満たす自信もその逆の自信もありませんし、人付き合いの平等的価値観にも引っかかりを感じますかね。

 また例えば「子育て」(教育)には戸惑いも感じますかね。「立派(完璧)な人間」像も自分なりに想像も出来ますが、実際の人間として考えると「気持ち悪さ(付き合い辛さ)」も感じますし・・・。結局私自身のプライドを傷つけないような人間になるように教育をするのでしょうし、全て自分で成さないと納得できない私には子供に夢も託せませんしね。

 また「自分が親になって初めて親の大変さが解った」や、「子供によって親も成長させられる」と言えてしまえる人が結婚してしまっていることが個人的にはとても疑問を感じ、不安にもなりますかね。

 そしてまた社会において自分の中にある「正しい」(正義)を誤魔化してまでその時の自分の社会的位置を守ることもにも違和感がありますね。例えば勤めている会社などにおいて、不正や理不尽なことを見つけてしまったらどうします?私はもし結婚をして家庭を持てば、家庭を最優先に考え、時にはそれらに目を瞑ることがその「責任」と感じてしまいます。

 ただその「責任」が個人的正義感の我慢(足かせ的)になる感覚が、いずれ家庭をも失う歪になることが目に見えていますかね。結局自分のプライドを優先する事になり、結婚する器ではないのです。ただ私のように自分でやりたい事を探せなくなってしまっている人間には、そういった「足かせ」が、生きる上で大切なモノになってくるのかも知れませんがね。

 ちょっと寂しい気はしますがね。そしていずれも体裁の良い理屈に過ぎないようにも感じますね。恋人は勿論のこと、親兄弟でさえ一緒に居ると落ち着きませんからね。というよりもヒトと逢いたい時は広い意味でのハプニングを望んでいる時だけですかね。とにかく基本は独りが楽なんだとも感じていますからね。(09.12.21著)

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 「自分が解らない」

 「自分探し」とか言う言葉も聞きますが、自分の遣り甲斐を探すことを指して言うのですかね?であれば私も現時点では自分はこれから何をすれば良いのか解りませんので・・・漠然とであれば周りから尊敬されるようなノモがあれば・・・若くて期待されていない頃は目新しさや「認めさせてやる!」的モチベーションにより、何でも遣り甲斐になっていましたかね。

 歳をとって経験が増えて周りから認められてくると逆に冷めてしまいましてね・・・子供の頃から褒められるとシラケてしまい、褒めた人には減滅さえ感じていましたかね。いずれも「期待を裏切りたい」ようなところはありますかね? 私は今までに一度も自分で満足の置ける結果を出した事がないので、「褒める」された時点でその人に尊敬が置けなくなって・・・

 そして新しい出会いを探すようになるのですよね。そしてまた私の尊敬の基本には、誰にも負けない技術的才能よりも人間性的才能が優先され、天才のワガママ気質など、世間で評価される人に関るほど減滅を感じ、同時に遣り甲斐も見失うことになってしまったりするのですよね。そしてなにより他人と同じようなことをしてまで尊敬されることも望みませんし・・・

 今自分の中に存在する他人と似た表現を削ぎ落とすように否定していけば、最後に自分だけの表現が残りますかね?表現の溢れた今の世の中では、結局何処かしらのジャンルに納まってしまうのでしょうけれどね?ただ最終的に皆が自分だけの表現の答えを出そうとしているならば、あえて答えを出さず、否定し続ける行為自体がオリジナルな表現にもなりますかね?

 もっとも相対する世界観が成り立っている世の中では、全否定することは全肯定にもなりますけどね。(笑)

 「自分が解らない」が、本当に自分自身のことが解らないので他人格的に捕らえた自分を探していると言う意味であれば少し怖いですかね。確かに私の周りにも多重人格的に感情の起伏が激しく、後に自分の言動すら覚えていない人も少なくないですからね。私は必ず自分の言動に自覚があるので、そういった意味で「自分が解らない」と感じたことは無いですかね。

 結局のところ、私も常に自分自身を客観的に見ている訳で、「多重人格的・・・」という点では違いは無いと感じますがね。複数の人格的なモノがスムーズに移行できているか、同時に発生して葛藤しているかの違いのように感じますけどね?そしてよく語尾に「~ですかね?」を遣いますが、これの多くは他人事にして責任を外したり、謙遜の意味もありますかね?

 そして「自分の事は全て理解できている!」も驕りを感じて怖いですし、広い意味での「逃げ場」を失うと、何かと世の中生き辛くもなりますしね?そしてまた、私は自分を一番大切に感じていますし、今の自分の感じ方も他のどんな感じ方よりも好きですが、今のまま長く存在したいとは感じませんかね?これは謙遜抜きで・・・笑(10.12.20著)




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Last updated  2010.12.21 15:14:22
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