2004年05月28日
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【第983夜】 2004年5月28日

『連環記』

1927・1991
岩波文庫


【香】いよいよ露伴ですね。待ってました。第247夜では露伴の面影だけでしたから、ついに本物登場。
【玄】うん、やっとね。千夜が終わらないうちに、お出ましいただいておかないとね(笑)。
【香】松岡さんが青年時代に買った個人全集が、天心全集・湖南全集・熊楠全集、そして露伴全集ですよね。
【玄】それと折口信夫と寺田寅彦と三枝博音かな。
【香】今夜はいろいろの露伴を、ぜひともかいつまんでください。私は露伴が国事よりも家事を大きく見ているところが好きなんです。
【玄】その第247夜に紹介した『蝸牛庵訪問記』は、のちに岩波の社長になった小林勇さんが書いたものだけれど、なかなか滋味溢れるというのか、露伴の滋味が洩れるというのか(笑)、そういうものがあったね。だいたい小林勇という人は中谷宇吉郎と絵画二人展をやったり、料理にうるさかったり、玩人喪徳というけれど、そういう人だったんだろうね。文章もヘタクソ。
【香】出版人としては、ちょっと変わってますよね。
【玄】だからこそ露伴のような変人を書けた(笑)。だって露伴の昭和時代を20年間にわたって綴ったんだから。50代以降の露伴なんてとても尋常じゃつきあえない。それは幸田文(第44夜)さんのものを読めば、すぐわかる。
【香】やっぱり変人? 家事にも異常にきびしかったんですよね。松岡さんは、晩年の露伴はカラスミとかタタミイワシみたいだと書いてましたね。
【玄】はっはは、コゴミの醤油漬とかヌタの白味噌あえとかね(笑)。ま、あんな家に育って、あんなに教養があれば、そうなりますよ。湯島の聖堂に通いづめだものね。
【香】あんな家というと? 奥様が冷たいとか、文さんが娘にいるとか。
【玄】その前から変(笑)。お父さんが幕臣でしょう。表お坊主だった。表お坊主というのは、式部職だね。そこに8人が生まれて、みんな変だった。上のお兄さんが海軍大尉の探検家で千島を調査していたし、弟は日本史狂いの東京商科大学教授(いまの一橋)、妹は有名な幸田延(のぶ)で、日本の最初のピアニストだよね。たしかケーベル先生に習っている。その下の妹の幸はヴァイオリニスト。みんな、当時でいえばハイカラの先頭を走っている。幸田一家のあとからハイカラがくっついてきたという感じだよね。
【香】そうか、ハイカラのほうだったんですね。
【玄】露伴だって、逓信省の電信修技士の学校だからね。ニッカウィスキーで有名な北海道余市に電信技師として赴任している。露伴の電気感覚は誰もふれないけれど、実は賢治を大きく先行しています。でも、露伴は少年のころから漢籍が大好きで、ほとんど毎晩にわたって埋没しているようなものだったから、その漢文ベースが厚い。あれほどに漢籍に通じていたのは、富岡鉄斎と幸田露伴くらいなものでしょう。その二人とも、目がおかしかったことに、ぼくは注目してるんだけどね。
【香】目ですか。
【玄】鉄斎は例のごときの斜視だし、露伴は5歳のころに半眼を悪くしているからね。隻眼の仙人のようなもの。こういった目の疾患や特徴は大事ですよ。ラフカディオ・ハーンだってそうでしょう。半分が見えていない。杉浦康平がひどい乱視であることは、杉浦さんの発想の原点になっているしね。だってお月さんが7つも9つも見えるんだものね。そうすると、かえって精緻なデザインになる。五体健康なんてろくなもんじゃない(笑)。露伴もどこかで、「瞑目枯座、心ひそかに瞽者を分とす」と書いていますね。

【香】露伴って慶応3年の生まれで、子規や漱石と同じ歳ですよね。明治大正昭和をそのまま時代順に見ていたことになりますね。
【玄】紅葉、熊楠、宮武外骨、斎藤緑雨とも同じだね。それから伊東忠太やフランク・ロイド・ライトとも同い歳。凄い時代だよ。坪内裕三さんに『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』(マガジンハウス)という坪内流のおもしろい交差録がありますね。
【香】やっぱり関係ありますか。
【玄】そりゃ、あるよ。唐木順三さん(第85夜)がおもしろいことを言っていて、明治20年代生まれまでの日本人は本気の教養があったけれど、それ以降の世代はむりやり修養を必要としたというんだね。つまり、おベンキョーしないと何もわからなくなった。浄瑠璃も常磐津も女(むすめ)義太夫も、ロダンもセザンヌも進化論も。
【香】それって致命的なことですか。
【玄】文化が水や風で見えているのと、外まわりでベンキョーするのでは、だいぶん違う。漱石が漢詩を書けたのは、そういう水がまだ近所にも流れていたからです。
【香】だって、私たちから見ると、松岡さんも日本文化が水や肌でわかっている感じがするのに。
【玄】まったく比較になりません。(笑)それにしても、いまどき露伴を読んでいる人は少ないだろうね。孤絶無援かもしれない。どういうふうに薦めようかなあ。
【香】私は松岡さんに、露伴を読まなくて何が日本文学だと言われて読んだんですけれど、最初は読めなかった。
【玄】何、読んだんだっけ?
【香】『五重塔』。
【玄】えっ、あれが読めなかった?
【香】漢文的というのか、漢語的というのか。どういう読み方で納得していいかも、どういうスピードをつけるのかも、わからなかったですね。やっぱり水が読めなかった。
【玄】文章がねえ。
【香】文章も文体も。それがわからないと、なぜああいうことを書くかということも見えてこないんですね。それで2年くらいおいておいたら、今度は松岡さんが『天うつ浪』がいいよと言われたから、読んでみたところ、今度はすうっと入っていけた。
【玄】ふーん、そうか。ぼくは高校時代に『五重塔』を読んだけど、まったく抵抗がなかったねえ。何でだろう?
【香】だから、私たちと松岡さんとでも、時代はかなり違うんですよ。それに松岡さんの京都の家だって、花鳥風月や有職故実があったわけですから。
【玄】それって歳の話だよ(笑)。露伴は時代が前に進むことなんて関心がなかったし、当初のものは当初に屹立しているべきだと考えていたんだろうね。『五重塔』を映画にしたいと言われたとき、何度も断って、粋(すい)なこと言ってるんだね。あれは着物に仕立てたんだから、法被や襦袢にしてもらっちゃ困るというんだ。こういうことはナマ半可じゃ言えないね。
【香】ところが、われわれは『五重塔』の「のっそり十兵衛」は法被や半纏を着た職人に見えますよね。
【玄】そう、そこなんだね。露伴が凄いところと、最近の読者にわかりにくいのは。


【香】なぜ、露伴はあんなに職人世界を描いたんですか。
【玄】淡島寒月に薦められて西鶴を読んだのが、それまでの漢文世界と交じったんだろうね。それで、職人気質というより、筆や鑿(のみ)や歌が向かうところを書いたわけだ。そういうものが向かう境涯だね。その行方。
【香】西鶴と出会って何かがおこった。『好色五人女』の筆写までしていますよね。
【玄】おおざっぱにいうと、露伴には3回ほどにわたる変換と転位というか、重心をぐぐっとずらしたところが、あるんだね。その一つが西鶴との出会いですよ。これで何がおこったかというと、和漢の境界がなくなった。文体も完璧な和漢混淆体。それがしだいに磨きがかかっていくと、露伴も書くのがおもしろくてしょうがなかったんだろうね。それは『五重塔』より、西行について書いた『二日物語』に絶頂していますよ。それがまだ31歳くらいだからね。
【香】やっぱり文体を磨いたんですか。
【玄】磨いたなんてもんじゃないね。文章全部、一言一句が磨き粉みたいなもの(笑)。露伴はずっと「文章」と「言語」はちがうと見ていた人なんです。 ……







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最終更新日  2004年05月28日 17時10分10秒
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