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2004年06月07日
第987夜『漢字の世界』1・2 白川静
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【第987夜】 2004年6月7日
『漢字の世界』1・2
1976
平凡社東洋文庫
若き日の白川さんは読書をして一生を送り切りたいと決断した人である。その読書も「猶ほ浅きを嫌ふ」という覚悟で臨んだ。そして、それを成し遂げた。
その白川さんについて、ナムジュン・パイク(白南準)は「日本の人は白川静を読まなくてはダメよ」とぼくに言っていた。当時、世界のビデオアートの先頭を切っていたパイクは、『遊』創刊号にいちはやくエールをおくってくれた人である。
そのころ日本のアーティストはおろか、知識人でも白川静を読んでいる者など、ほとんどいなかった。白川静をもちだして話に乗ってきてくれたのは、ぼくの周辺では武田泰淳・中野美代子・杉浦康平くらいだったろうか。いま、ぼくの手元には、その武田泰淳の赤坂の書庫からせしめた『漢字』初版が残っている。赤鉛筆と青鉛筆の泰淳マーキングがついていて、懐かしい。
ナムジュン・パイクが白川静を読むべきだと言ったのが、さて、何年のことだったかは、はっきりしない。1976年に東洋文庫で『漢字の世界』1・2が刊行されたときのことだったのではないかと思うけれど、もしそうでないなら『遊』創刊直後のことで、『漢字』(岩波新書)と『金文の世界』(東洋文庫)がほぼ同時に刊行されたときだったろう。
だからこの前後に、白川静ブームはおきていてもよかったのだ。しかし、まったくそうはならなかった。いまでもよくおぼえているが、『遊』で白川さんへのインタヴュー取材と執筆をお願いしたときは、「編集者がくるのは何年ぶりかなあ」とぽつりと言っていた(下村寅太郎さんも沢田瑞穂さんも、同じことを言っていた)。
白川静は遅咲きだったといわれる。それがいまは、白川静なしで漢字文化を語ることなど考えられないものとなった。知の洞窟には遅咲きなんて、ないというべきなのである。その洞窟がいかに深く、その奥でいかに多様に分岐しているか、それだけが問われればいい。知は地脈と地層をこそつくられるべきなのだ。
それにしても『字統』が刊行されたときは熱いものが胸を走った。「ぼくの原稿はね、数万枚ほど、白鶴酒造にたまっているんだよ」と言っていた白川さんの言葉が、十数年ぶりに蘇ってきたからだ。白川さんはかつて先輩の新村出に「辞書というものは間口が狭くて奥が深いものがいい」と言われ、それを心掛けてきた人だ。その新村出の『広辞苑』はその後に改編が加えられて、とっくに間口ばかりが広いものになっている。白川さんは「あれは、新村先生とちょうど逆の辞書になりましたね」と笑う。
自慢じゃないが、ぼくは父がもっていた第二版の『広辞苑』を母に譲ってから、その後は一度も引いたことがない。
そんなことはともかく、白川静の「字書」(白川さんはこのようによぶ)の出現は、平凡社の英断のおかげだ。『字統』どころか、続いて『字訓』『字通』と連打して、さらに『白川静著作集』(平凡社)の刊行にまで踏み切った。あっぱれというしかない。きっと経営事情は大変だろうに、版元魂とでもいうものを感じる。これについては岩波よりも、断然に平凡社に軍配を上げたい。
というわけで、ぼくがひそかに耽読していた白川静の漢字論はいまでは多くの日本人の共有財となっている(その、はずだ)。それをいまさら解説するのも野暮だろう。そこで今夜は、ちょっと別の角度から白川世界を案内することにする。
ちなみに、ごく最近になって、白川さんは石牟礼道子さん(第985夜)の全集の推薦の言葉として「その詩魂は潮騒のようだ」を書いた。平成の露伴連環は白川静まで届いて動き出していたのである。
文章にはさまざまなスタイルやテイストがある。どの味がいいというものはない。果実や魚貝類の味と同じだ。
白川さんの文章はまことに濃密で、一語一節がふつうの文章の数行あるいは数十行にあたる。一頁を読めばときに一冊の濃縮を髣髴とさせる。これは漢字の研究者なのだから当たり前だろうと見えるかもしれないが、そんなことはない。漢字研究者たちの文章はいくらも読んできたが、白川さんのような文章は皆無であって、独自に白川スタイルをつくりあげた。このスタイルがどこに起因するかといえば、漢字の分類学に起因するのではなく、白川さんの思想に出所する。
その稠密広辺な思想を圧縮するのは容易ではないが、とりあえず骨太の特色だけ5つをまとめると、ざっとこういうことだろう。
第1には、神の杖が文字以前の動向を祓って、これを漢字にするにあたっては一線一画の組み立てに意味の巫祝を装わせたと見ている。これがすばらしい。漢字はその一字ずつ、一画ずつが神の依代づくりのプロセスであって、憑坐(よりまし)なのだ。
神巫季成のプロセスのすべてが漢字のそこかしこにあらわれているということは、漢字文化の発生はつねに一文字に発端し、一文字に回帰できるはずだということになる。少なくとも甲骨文や金文に原型をもつものは――。
たとえば「文」の一字は人間が創造した秩序や価値そのものをあらわしている。しかもそのルーツは×印を肌に刻み入れる文身(入墨)にあって、加入と聖化の儀礼になっていた。
文身は東アジア全域の沿海部にみられる習俗である。しかし、白川さんは古代中国がその「文」を人文の極致にまで高めて、ついに理念にまでしたことを追う。それが孔子の「斯文」であって、そこから「文明」の総体さえ派生したと見た。やがて「産」「顔」「彦」などの文字がつくられ、「文」が意識内面の高徳をもあらわすようになると、いずれは真の教養を示すようになった。「文化」とは、それをいう。こんな文化論を、白川静以外の誰が提案できただろうか。
第2に、文字はつねに融即をくりかえしていて、そのたびにこれを使う者たちの観念を形象していたと見る思想がある。漢字に担い手を想定したことだ。
たとえば、農民は農耕を開始するときにその神庫をひらいてこれを成員に分かつのだが、その使用に先立って虫除けをする。そのとき鼓声を用い、その振動が邪気を払う。それが「嘉」であって、この礼を発端に多様な農耕儀礼が組み立てられていく。
このように、白川さんは文字と職能と祭祀を貫いて見た。それは、あたかも漢字そのものを土に刺し、漢字そのものを手にして空中で振り、漢字を紙に折って精霊たちに食わせているようなものだ。ときには漢字を武器にして人を殺害することもある。まさにそのように、漢字を担い手の動作に連動させたのだ。こんな漢字学者はまったくいなかった。
第3には、白川さんの漢字論は、言霊と聖地をしっかり繋いで、これを切り離さないという思想をもっている。文字はトポグラフィックであって、万古の風景の記憶ともいうべきものであり、しかもそこにはつねに唸るような声がともなっている。
たとえば「音」は、いくたびも人を襲う自然の災異に抗してあらわれる神威の来訪をあらわす文字であるのだが、その音の出現する原風景を引きずっている。だから、この音が意味をもつときは「言」となり、その言を聞きとるものがいれば、それが「聖」なのである。そして、こうした来訪の気配を読むことが「望」だった。
第4に、白川さんは古代中国と古代日本をつねに同時に見据えてきた。これは内藤湖南・狩野直喜・石田幹之助といった先賢にはごく当然のことであったけれど、のちに廃れてしまった視野である。
廃れたには理由がある。よほど漢籍に通暁していなければならないのと、そのうえで日本の古典を愛していなければならない。これで次々にギブアップしていった。あとは中国文芸派と日本古典研究に四分五裂に散っていった。こんなことはギリシア語やラテン語を知らないでフランス思想の表皮にかぶれるようなもので、日本はかつての「東洋学によって日本を知る」という方法を失ったのである。
けれども、白川さんはごく初期に『詩経』と『万葉集』を同時に読むという読書計画をたててこのかた、この両眼視野の深化を研鑽し、今日にいたるまでその探求を続行させた。
これが稀有なのだ。なぜそのような読書計画をたてたかはあとで紹介するが、おかげで、ぼくなどは古代日本文化の微妙な本質を白川さんの古代中国文化論を精読することによって学ぶという方法を採らせてもらえることになった。
とくに講談社学術文庫のために書きおろした『中国古代の文化』と『中国古代の民俗』の一対はものすごい。これはぼくが何度となく読み耽った2冊で(若い仲間にあげたのを含めておそらく6組ほど入手した)、この2冊こそは東アジアに沈潜発露する観念技術の精髄をくまなく叙述構成しえているのではないかと思われる。
それどころか、これは中国文化論であって、それ以上に日本文化論なのだ。そのことに気づいているのはぼくばかりではないだろうが、ぼくの日本論が白川静の中国文化論にその骨法の肝腎を借りていることを知っている人は、少ないだろうとおもう。
第5に、白川さんは社会における豊饒と衰微を分けず、攻進と守勢を重ね、法律と芸能を分断しない。また、文字と身体を区別せず、脅威と安寧を別々に語らない。つまり文字文化や言語文化における生成と変節と死滅をつねにひとつながりに見る。
これは「正なるもの」と「負なるもの」を連続として見るという見方である。あるいは正と負の作用を鍵と鍵穴の関係として見る。この見方があの強靭で雄弁な思想を支えたのだった。たとえば、次のように――。
中国文化をおこしたのは六身の洪水神である。禹、台駘、女窩、共工、蚩尤、そして混淆神を数える。それぞれ、龍門山の水勢を制御し(禹)、汾水の太原を治め(台駘)、折れた大地の柱を補って冀州の溢流を防ぎ(女窩)、長江南方の古族陸終氏の祖となって人面朱髪戴角の異形としてふるまい(共工)、内蒙古に黄帝と戦って雲霧をおこして(蚩尤)、神話伝説にのこった。
洪水は古代社会の魔物である。暗幽の神である。それゆえ水禍のたびに多様な神が出没し、消長してきた。しかしそのなかで、ごくわずかの洪水神だけが王となった。あとは水没したか、殺された。
そして残った王のもとに、法と文字と芸能が制度化されたのだ。しかしこの王にも「負」があった。
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最終更新日 2004年06月07日 21時18分32秒
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