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2月3日、節分この日にちなんで豆占いにかかわらせていただいた。家内の里の白鳥神社での節分恒例行事豆を煎ってその焼け具合で今年一年の月々の天候を占うということであった。昨年も加わって2年目なのだが、白鳥神社氏子代表一同、ほんとに真摯に取り組まれていることに敬服したものだ。夜7時からの祈年祭豆まきを終えて何時くらいから素焼きの瓦皿で炭火で12個の豆を焼くのだが夜半の10時に何とか占うことができ、帰宅できたのが12時を越していた。3時間しか睡眠もとれず今日の立春を迎え、朝5時に起床して例の神社参拝、散歩してきた。なぜか何かに導かれるように身も軽く、神社参りができた。朝、一日に一回の祈りだが、イスラム教信者のみなさんは、一日に数回決まった時間に祈られると聞く。そのことを思うと自分のこの祈りって祈りのうちに入りませんね。でもこんなほんの一回の祈りの生活は自分には何としても、家族の安泰、幸せを、自分の健康維持に継続して頑張らなきゃと考えている。
2017年02月05日
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朝トレ、今朝もがんばってきました。お参りする神社は、3000坪にもなろう森の中の鎮守様 鳥居をくぐって本殿までに稲荷様、諏訪様がまつられ100メートルはあるかと思う。まだ明けやらぬ暗い参道をお参りながら、神官、僧侶は朝暗いうちにおきて朝の勤める、相撲力士も朝3時とか4時とかの早朝から練習にはいる。そうした人たちならず朝はやくからがんばっている方たち、商いの仕入れに市場に急ぐ者、新聞配達の方々、そんな方々のことを思い起こすと自分が今していることなんて大したことではない。まあ頑張らなきゃね。誰のためでもない、自分のためじゃからね。家にたどり着いたとき、東の空が白けてきた。
2017年02月02日
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4人目の孫ができ、たまたま安産祈願に、出産予定100日前に自分の家から200メートルほどの神社に息子夫婦が帰ってきた。その安産祈願を切っ掛けに次の日から1キロの道のりくらいになるかとも思われる行程を一周するようにして、神社参りを始めることにした。それは10月の1日ということから今日は一月30日、伊勢参りの日があってその日をおいて ちょうど120日続けられたことになった。始めた数週間は以前からの腰痛もあって少々苦痛もとなっていたが、お陰ですっかり平癒して、毎日が爽快な基部で神社参りもできている。5時に起きるのも、雪の中を歩くのもじぶんとのたたかいなのだとつぶやきながら頑張ったものであった。数日前のNHKの「ためして合点」で行っていました。歩くことが認知症に一番だと、あるいて筋力をつけることで、BDNFなんて ほるもんらしきものが体内の筋肉内に生してそれが脳内の海馬の記憶力になるということだそうだった。神社には稲荷神社、諏訪神社 天之児屋根尊(安産の守り神)がお祭りされていてそれぞれに3分から5分程度の祝詞をあげて、またその井淳コースに地蔵様が祀られていて、般若心経一巻をあげてくことにしているが、続けられるだけ続けたいものだ。おのれのボケ防止にね
2017年01月30日
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豪雪地域というところからしたら、これしきの雪と言われるかもしれないが、ほぼ③日3晩雪が降り続き、車庫の車を出し入れにはその雪をどけねばできない。結構な重労働になっている。冬はどうしても運動ができないでいるということもあるので、いい運動ができて体にはいいのかもしれない。東北北陸の豪雪の地域の方々の生活の大変さがしばれるね。
2017年01月24日
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昨年の12月4人目の孫が授かって、自分は孫にどんな名前が付けられるかが心配でつい息子の嫁に口出ししてしまってお節介を焼いてしまいました。私はこれまでいろいろな人の生きざまと名前をチェックして姓名のそれなりの重要性を感じてきました。姓名判断のいろいろな著者の数々を見て、うなずくことたたあり、名前が人の人生の在り様を左右するように信じるまでになっています。人はそれぞれ自分なりのはんだをして、良かれと思う生き方を選択しておられます。そして不思議となかなか人の忠告を受け入れられる方は少ないように思います。また名前は、姓名判断良かれとしてもそれをもらえる人も少ないようですね。そこに持って生まれた宿命が左右していて、それに沿った名前を頂かれるようですね。生まれてきた子供は自分で名前を選べることができないことになっていますから。
2017年01月23日
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テスト:これから続けます。
2017年01月22日
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長らく、日記にも御無沙汰しています。自分の書いている日記もさどの意味が得られなくてつい遠のいてしまいますね それに今姉を亡くしてもう一年を経ちましたが、なぜか姉が亡くなると同時にこれまでのごたごたしたもおを姉があの世へ持って行ってくれたのかこれまでと違った身軽さを感じてしまい、今までの宗教的なものへの関心が薄れていったようにも思われてきました。以前と比べて先々の不安もなくなってきたことがまずは大きな自分を取り巻く心境の変化といえますね。ある意味では自分にとりついていたなにものかがなくなったようにも思えて成りません。親同然にして一緒に過ごしてきた姉とはいったい何だったのかなと改めて考え直したりもしている昨今です。そうなんですこのホームページの写真の神殿の3ッのお扉の前の神弊が姉が亡くなるその当日の4時頃の寝覚め前の夢でさーっと斜めにながれるように傾いたのを見て、これまで患っていた入院中の姉が亡くなるという予感が走ってその通りに成った。穴はその日の10時に病院でなくなりました。これも不思議の一つなんだと改めて日記に書く次第です。 ---- Original Message ----- From: > To: ??????@hera.eonet.ne.jp> Sent: Sunday, May 06, 2007 10:22 AM Subject: 6日の日記
2007年05月06日
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この世の不思議体験をテーマに日記を書いているんですが、最近自分にもこの不思議がなぜかこの自分にも感じられるようになってきているように思っています。自信過剰かもしれないのかも知れませんが・・・ 最近、特に姉が亡くなったこともあって、その後はなぜか自分がこうあってほしいと思うことがその通りになっていき、ああ姉が応援してくれているんだなんて思って思わず胸の中でありがとうと言っていたりすることが多くなってきました。 数ヶ月前の朝の起床前の夢の中で、誰かから、自分がそういっていたのか知らないが「おまえから出て行った」という声を聴いて、目を覚ましたこともあったのだが、それ以来、自分に今まで憑依していた何かが、出て行ったようにも思えてきています。夢そのものが、自分に憑依していった者がでていったような感覚を覚えて目を覚ましたのかも知れません。それには108日間のある儀式的な因縁を取り除く修法を終えて数ヶ月は経っているからかも知れませんがそのご利益もえられたんだと言うこともできかも知れrません。この修法がどんなものだと聴かれると困ってしまいますが、仏教(天台宗)の日々の作法に真言や般若心経や仏説安宅神呪経の読経と勤行を108日間納めるということです。 この利益といえないにしても最近、人との出会いや事の成り行きに以前から少しづつ変化が感じられてこんな事を公言するのも恐れ多いことですが、今の自分としての心境を日記にとどめたくて書いています。 あえて飛躍して考えていますことは、これまでがあまりにも惨めなことが多かった自分であったのですが、これまでは今まで自分に覆い被さっていた悪い因縁がこれまでの自分のやろうとすることすべてに邪魔をして困らされてきたように思うものです。 これまでの数々の患い、交通事故、家族のもめ事、訴訟ごと、親類縁者に関わる不祥事、予期しない数々の散財さらには自分のこれまでの仕事に関わるトラブル、自分の能力は十分に発揮されなくて歯がゆい思いの数々、それらすべてが自分を懲らしめんとする何者かの仕業であったように思われて成りません。 今改めて思い直してみますのに、交通事故、散財、訴訟等々、懲らしめんとすものの仕業とするものかも知れないとしても、又逆に自分を守護するもの、神や仏の守護を受けられていなかったようだとも思ったりもするのですが、この神や仏の守護を受けられるためにも、自分の前にはだかる因縁や怨念に先ず気づく事も大切ではないかなどと思ったりもしています。 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@hera.eonet.ne.jp> Sent: Sunday, February 04, 2007 10:06 AM Subject: 4日の日記
2007年02月04日
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この世の不思議をテーマで日記を書いていますが、おもいつきでもうしわけないです。でも我が息子たちにいい残すいみあいもあって書きたくもなり書いてみます。もし興味をお持ちで 感想をいただければ有難いです。 人の生まれについて、この世にこれまた不思議ということにつきませんか?自分がどうしてこんな風に生まれつき、こんな生涯を送っているのかこれまた不思議につきますね。前置きはさておき、人それぞれによくへその緒の切り落とすところがわるかったということが口にされたりしますね。へその切りどころ、親がどうであるかで確かに子供の一生は半分以上は決まってくるようですね。 ここで自分の知る限りの有名人を上げてみたいが、孔子の母のように、孔母三遷というように母が偉大なるが故に、というのも有名な話で誰も知るところですが、母に縁薄きが故にというのはご存じない方も多いかと思いますね。母だけでなく肉親のえんが薄きが故にということなのですが、ここで言う薄いとは若くして死別するとか捨て子のように疎まれるとか、また義母、義父の養育、養育施設で世話を受けると行ったことになるが、昭和天皇までの天皇もそうであったし、戦国の時代も徳川の将軍たちも皆、乳母がついてその養育を受けたというのも、父母、肉親の縁が薄いと言うことです。天皇家や封建時代の戦国の支配者は、その国の統領たる器量を備えんがために実母をはなして、乳母に育てさせたものだ。 肉親に疎まれて、家臣があって幼少を「うつけ」と陰口をたたかれるほどのならず者であったりした織田信長は天下統一をはたし、母から切り離されて、乳母の春日の局に育てられた家光は、徳川家の三代将軍の器量を備えており、弟の国松は実母の庇護の元に育てられて戦国を生き抜く器量もなく、あげくは切腹に追い込まれ非業の死を遂げます。このことから、逆に母の縁薄きが故にそれなりの器量が備わり、肉親に疎まれたが故にそれなりの器量が備わったということ、今年の大河ドラマの山本勘助、そして武田信玄等々、歴史上にはその例をあげればきりがないほどの数に及びます。豊臣秀吉も自分の身内を事ごとに惨殺したのも天下をほしいままにできた星に生まれついてもいたからと言うこともできよう。 父母、肉親の縁薄いということもさることながら、妻に縁薄い、子に縁薄いということ、女性なら夫に縁薄い、ということもそれなりにまたそれなりの宿命運がもたらせれています。有名な話だと思うが、女性の悪女として上げられるのはソクラテスの妻ですが、妻が悪女であったからこそ、あれだけの有名な哲人になれたということです。悪女たる妻の試練が与えられてソクラテスは世界にとどろく哲学者になれたと言うことにもなります。 これも結果からをみての話でもありますが、カーネギというアメリカのカーネギホールを建てた人は、鉄鋼王と呼ばれるまでに成って蓄財した資産がドル札を二十六台トラックに積むほどであるということであるが、このようにカーネギが事業がうまくすすんでこのような資産を作れたのも、そこには大きな隠徳があったればこそと思う次第です。その隠徳というのは、カーネギの父が牧師であられて、自分の資産のほとんどを生活に困っている周囲の方々に惜しみなく分け与えていたということです。 生まれ落ちたところでそれなりの人生が又、引き継がれていくことを考えると軽々しい生き方をしてはならないと改めて思うところですね。言いたいことも十分でないがこの辺でとりあえずにして今日の日記を終わらせていただきます。
2007年01月21日
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----- Original Message ----- From: ??????@mb.plaza.r たまたま、人が交通事故にあって死亡されたり、自殺なんかをされとき成仏できないでおられる言われる浮遊霊について自分の思いを綴ってみたいと思います。 自分たちはこうして六感を持ち生きる意識を持っている存在、草木をも含めて生きとし生きるものすべて想念、存在している・生きているという意識を持ち合わせています。この意識は、また死を迎え、肉体を離れても生きているときの思い・想念が残り、それは不滅の存在のようかと思っています。この想念の存在こそが人間であれば肉体の働きでもある六感によって、今まさにここに生きているという意識の働き、霊長類・霊的なものを持つ類の存在となり、自己存在たらしめているかと思っています。 さて、不滅と思われるこの意識なるもの、どのようにして生まれたのでしょうかね。自分が思うには、どこのだれだったか知らないのですがこの宇宙のどこにビッグバーンたる測り知れない大きなエネルギーの持つ宇宙体があって、大音響のもとに万物が生成されると言うことなんだそうです。ミクロからマクロの生成物、原子・元素から巨石、巨岩さらには水氷に至るまで、そして生成された巨石・巨岩等に大音響(音には音霊を生成すということだが)に音霊を宿して浮遊し、小宇宙、大宇宙を作りなしたようだと思います。ただ巨石・巨岩に霊を宿しているってことはまだ実証されているわけではない。ビッグバーンの存在とその大爆発による物質の生成は現代科学界の学者たちの常識の事になっていることですね。 この後は唯、想像の領域にすぎないことなのですが、自分たちが生存する一宇宙成る地球にこうして調和のとれた環境の元に万物が生息しえるようになったか、それは神のみしるところとなっている。一笑にふされても仕方のない話だが、ビッグバーンそれ自体、神なる存在と言うことということになってしまう。 これは、西洋映画、クレオパトラの中にも、こうした考えを示していたともうのだが当時の人も宇宙根源の神として大蛇の姿でもって表現した事を記憶とするとところだが、日本の神道にも誰が作ったかは定かではないものだが、龍神祝詞に大宇宙根源の御親の神は万物生成を司り、龍神はその御使いと言い、龍神をたたえています。 そこでこの生きとし活けるものの世界、仏教で言う弱肉強食、地獄極楽の世界を存在せしめたのか、この疑問に計り知れないほどの者が翻弄されているのではないだろうか ビッグバーンが万物生成の神とするなら、この神こそ善か悪か その存在を問わねばならない。哲学者の」誰かはこう言うかも知れない。この神を善たらしめるのも悪たらしめるのも自分自身の有りようの如何にあり、万物生成、宇宙の創造神の善悪を測るとは何事かと殴打をくらうことに成るだろう。 今、再び想念の存在に立ち返るならば、想念自身、自らの存在を知らしめんがためには、大宇宙が有り、ビッグバーンの存在を知らしめんがために、地球なる宇宙を生成しそこに六感豊かなる人間を存在させたとしたら、どうなんだろう。 ここで交通事故の問題などににさらに立ち返れば、人が思わず交通事故にあって死亡ということに成ったときその場にじこで死んだ人の想念が残ると言います。、そしてその人は交通事故に会ったところからて動けないでいるともいわれています。 こうしことがあれば、事故にあった人の想念・言い換えればその人の霊は、事故現場から動けないでいる自分の存在を知らしめようとしても何ら不思議ではないかと思います。 少し中途半端になって長々とくだらんことをかいてしまいましたが、自分のそれこそ思いをこの機会とばかり綴らせてもらいました。至極滑稽な戯言にすぎませんが走り呼んでいただき自分なりに思うところを上げていただきご指導をいただければ有難いです。よろしく くakuten.co.jp> To: ??????@hera.eonet.ne.jp> Sent: Sunday, January 14, 2007 1:59 PM Subject: 14日の日記
2007年01月14日
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久しぶりに日記をかきます。今日たまたま84才になる爺様と酒をかわしながらいろいろと不思議な話をきいた。 自分の在所では津島様といって流行病を封じる神様を村の一角にお祀りしているのだが、一昔のことその津島様が有る家の前にまつられていた家の者がじゃまに思って数件離れた所の家の前の空き地に力づくで移動させたと言うことがあったという。その結果、前に持ってこられた家の者はこれは有難いとよろこんだということだ。そのあと、よいことが重なりさらに その津島様を大事に毎日欠かさずお参りを続けて灯明を絶やさずにお守りしたと言うことだと言うこと。一方じゃまにして追い出した家は、思いもかけない散財が続き家田畑全部売り払い夜逃げ同然と言うことになったということであった。 この話は事実にもとづいてのおはなしでもあったので、改めて神祭りを粗末に考えてはならんと再確認したものだ。 さらに爺さんと話しをしている中で、あれこれと在所の家々の、それも問題を抱えて苦しむ家の過去をさかのぼっていくとそこにはそれなりの原因と思われるものに突き当たることが必ずそれなりの事実として上げることができたものだ。かなりの年を取っても結婚できずにいる独身男性、独身女性の家庭。遺伝だ、家系と片付けてしまっているようだけど、同じような病気で苦しんでいる家庭等、いくつもの家の例があげられたものだ。逆にうまくいっている家庭の話もあったが、やはり最後は悪いことはできん、人のため世のためできることはしておくもんだということになったね。やはり年寄りに学ぶ事、大事にしたい。 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@hera.eonet.ne.jp> Sent: Thursday, January 04, 2007 10:13 AM Subject: 4日の日記
2007年01月04日
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体の機能しているどこをとらえても不思議と思ってしまう自分を馬鹿という人もあろうけど物を見たり、聞こえたりそのことじたいが不思議、みえてあたりまえ、聞けてあたりまえそれがふつうの見方考え方だろうね。ダーウィンはこうした能力を進化だという。でもこうした進化を持つ存在そのものが不思議な存在なんですね。物を食って生きることそうしたことも不思議なら交通事故、共に乗り合わせた列車が転覆、飛行機が墜落、この事故ってそう数有る物でもない。そんな中にたまたま乗り合わせて災難をうけ、事故死というのがあったりする。予定の列車、飛行機をキャンセルして、まれには出発時間に間に合わずのり遅れたために事故遭遇を免れたという話も聞くこともある。 単なる偶然と思われないと思えることも多く、これまた不思議といっても過言でない。 事故に遭う、遭わないそれだけではない。病気になる。ならない。富する、貧する。このごろのニュースをにぎわすいじめに遭う、遭わない。それにも単なる偶然では済まされない。又済ましてはならないというのが私が持論でもある。 それでは偶然でなければなんなのか、これが次にくる問いになろうかと思うが、それなりに偶然と考えてはならない物がありはしないか。これを考えてもらうことは単に時間の無駄と言うことにはならないと思っている。 偶然と考えてはならない物、それはここに事象によってそれなりに存在しているが、その前提には神とか仏とか成仏、不成仏霊の世界や先祖の徳、不徳さらに何次元の物と言うことになるかわからんが自然の力学上のエネルギー的な物、そして人やけもののたぐいの想念の世界の怨み、憎しみ、喜びや感謝といった類であったりするのかもしれない。 神や仏い関わり方に仏ほっとけ神、かまうななんて言ったりしていることもあるが障りもなく、加護も期待することもない。でも加護ないことは事故の遭遇もやむを得ない。自分自身の予知能力、先見力に災難回避ができることも四つにさらされて寝起きする野生生活をするならともかくも、文明国に住まいする現代生活には災難予知能力は期待は出来ないことになろう 。 成仏、 不成仏に関わっては降りかかる自分への期待や願いを聞き入れられるかにかかっているがどれだけ受け止められるかにかかっている。元々こういった物への関心がない者にとっては自分の周りに有ることさえ気がつかない。真宗においてはこういった存在も否定されている状況では障りが遭ったとしてもきずかないことになろう。患いなんかもこんな症例もたまにあるようだが・・・さらに先祖の徳、不徳には我ら貧する、富するが大きくかかわっているという。先祖がいかに善徳として布施や供養等は、今この幽界の子孫に置きみやげとして与えてくれるのが、富貴であったり、貧困ではないかと思うものである。 こうして結論としての結びだが自分の行為のすべてが自分の幸不幸をもたらす起因とするところかということだ。自分のなす行為が善成るときそのお返しとしてよき結果をもたらしてくれること、もし自分の行為の悪きときそれは次元をこえてそのしっぺ返しをうけることは間違いないことである。 、 -- Original Message ----- From: > To: ??????@hera.eonet.ne.jp> Sent: Sunday, December 17, 2006 10:21 AM Subject: 17日の日記
2006年12月17日
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今更にこんなことをなんて言う方も多いかと思いますが一時ことを思うとまあ平穏に毎日が暮らせていると自分よがりにかんがえたりしている。 というのは、一時思わぬ散財に苦しめられたりして首をくくらんならんかとも思ったものだった。今から思うに「思わぬと言うより当然だ」とおもえることなんだということになるが、10数年前に新しく引っ越し新築した今の住まいが磁石のはかり間違って、玄関をまさに鬼門になってしまっていたんだ。転居して数年後あのバブル崩壊の時代に遭遇してあれよあれよと金銭が自分の手から離れていく。それこそうまく「のせられて、おどらされて」、数百万という額を取られてしまった。 そこで改めて鬼門の玄関、思い切ってふさぐような形で縁先を取り付け新しい玄関を辰の方位に南に向けて取り付けたんだ。どうでしょう。それ以降、何とか散財もようやくに終鴛を迎えられ、ようやくにその半分近くまでいやそれ以上に取り戻すことができたようなんだ。玄関を移動するのにも多額を要したがそれどころではないはなしだ。 その後、今の住まいは団地で道路の付き具合で、鬼門に玄関を着いている住まいが有り、どれもそれなりに問題が起こっているようだ。一つは夫婦別れをしてしまって父子家庭、もう一つは自業自得といえばそれまでだが、賭博で借金、あげく妻も離別、そして餓死状態で病院に担ぎ込まれ、家屋を売却という始末。 宿命といえば、また馬鹿な奴だからといえば・・・それまでだが、 鬼門が玄関にあったことが災いとしたと考えることも、滑稽だと思うわれても仕方がない。自分なりに何とかいい解決であったと思うのも独りよがりかもしれない。散財という形であったからまだしも不治の病にかかってそのまま帰れないことになっていても仕方がなかったが、自分なりに鬼門の怖さを十分理解したつもりだ我が息子たちもこうした方位からくる災いに気づいてくれたらとねがっている。
2006年12月07日
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今日この頃のテレビ・新聞にはいじめいじめ・・・でうめつくされています。そのあげくは自殺ということなんだけど・・・いじめるものが居て、いじめられるものがいる。これって人も自然界の獣同然の姿なんではないかということを示して居るんではないでしょうか。 人間も自然の中の生き物(犬、猫・・等)と同じ生き物、原爆なんか作って、大量虐殺して居るんだ。犬猫等、これら以上に悪たれなんで、人間界を改めてしっかりと見直さんといかんではないかな。ノーベルがダイナマイトを発明し、その罪を感じて何とか平和に向けてノーベル賞なんてもので罪滅ぼしをしようなんて思うのはほんとに人として可愛らしいものだが、せめても潜水艦を設計して、後の世のためには人のためにならずと考え、それの設計図を公表する事を断念したというレオナルドダヴィンチの心が等しくどの人間にも備えてもらっていたら、いじめる人間も居ようはずがないんだけどね。たわいもないことを口にして居るんだけど人間には神や仏に近い者も居るようだけど逆に悪魔近い人間も存在している。本来の人間、競争し有って生きなければならない人の有りよう又助け合って生きなければならない人の有りよう そして人が自然界、マクロ、ミクロの世界・・精神界 物質界に生きる生き物としての有り様を見据えて、人間界に是とするもの、非とすもの見直して、今まさにより良い人間社会改造が必要ではないかな。浅はかな世相論評を一笑あれ。 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@hera.eonet.ne.jp> Sent: Sunday, December 03, 2006 10:07 AM Subject: 3日の日記
2006年12月03日
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私は、ずいぶん昔のことになるが、自宅に托鉢の僧らしき方が、門前にたたれ、夕刻近い時間でもあって今夜の宿はどちらでとおたずねすると、「まだどこにも予定がない」ということで、お泊まりいただくことにした。その夜、その修行僧が「どの宗教、宗派にも説き誤りがある」といった。このことが今、改めて思い起こしているのだが、仏教では釈迦が、キリスト教はキリストが、イスラム教は、マホメットが大きな説き誤りをしていたのだろうか、それはなかろう。あるとするなら、天台宗なら、最澄が、真言宗なら空海がというようにこの辺ならとも考えられないでもない。説き謝りとすところがどの辺を持って誤りとするのか問題なのだが、どの宗教、宗派においてそこに埋没して信仰する姿にどこか人として、人間としての生き物として見たときそこに異常とも思われる生き様があるのではないか。同じ宗教の信仰者でありながら、対立抗争があって、互いに殺し合う世界があったりしている。こうした状況があること自体、宗教本来の姿は失われていて、個々にその宗教、宗派の大きな「説き誤り」が顕現していることではなかろうか。 「説き誤り」とするその要因とするもの、それは信仰することそのものにあるのではなく、その宗教、宗派の団体としてのテリトリを構成し、自らの集団を固守すること、そこにもう宗教の宗教たるを失い、自らの教えをねじまげた結果といえるのではなかろうかと一つの宗教が教団を持つと同時にもうそこに本来の宗教性の喪失を余儀なくする宿命をうけることになる。如何なものか ---- Original Message ----- From: > To: ??????@hera.eonet.ne.jp> Sent: Thursday, November 23, 2006 10:17 AM Subject: 23日の日記
2006年11月23日
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いつも不思議とするもの、いや、それよりも怪奇と思われてしまうものしか話題にできないのだが、占星術、陰陽術は、自分の人生観からきりはなせないでいる。四柱推命、姓名判断、方位学、家相学これらは東洋哲学、易学を基とするものだが、西洋哲学を遙かに凌ぐ宇宙学(宇宙力学、宇宙科学)に思えてならない。十干十二支などによる宇宙万象の分析は容易に理解し難く、不可解極まるが少しでもいい、理解できる才がほしいものだ。又自分には、怪奇と誰もが思い近づけない霊(神霊、仏霊、人霊、物霊等々)の世界について少しでも語ってもらえるものを求めてやまない。こうしたものが森羅万象を操っているに他ならないからである。従来の宗教、新興宗教とするもののほとんどはこういった世界にあって、人々を善導し、時には惑わしたりもして、多くの人々を幸、不幸にしたりもしてるものだと言っても過言でない。 以上のような世界の話で、ほんの序の口にある小さな話題からでも自分に語り、導いてくれる方の登場を心から願ってやまない。 終>
2006年11月23日
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----- Original Message ----- From: > To: ??????@hera.eonet.ne.jp> Sent: Thursday, November 23, 2006 10:17 AM Subject: 23日の日記 昨夜、木産名さんのご指導で自分のこのホームページのフリーページに自分が昨年から日本画模写教室で取りくんだ模写作品二作を掲載でき、、うれしく思っています。木産名さんありがとうございました。今日も、今朝からさらに四作、自分で同じページにおさめることができて、できた喜びがひとしおです。誰かの目にとまってまた、絵画に関わっての出会いがあれば、この上ないことと期待をふくらませています。
2006年11月23日
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昨夜、一生懸命描いた日記が自分のページに送れてなくて一時間以上かかった日記が反古となってしまってがっかりでした。自分の家系に関わるもので したが、こういう結果になったことから、先祖にとって不都合があったのだと解釈して改めて日記にする気持ちが起こらなくなってしまった。自分にはいつも思っていることでもあり、そう感じてしまうのだが、自分の行動、行為をいつも影で見られていて、思いに反する結果には、それでよかったことが多く、改めて誰か(というよりも先祖霊では?)導いてくれている・・・ 今日今こうして自分が無事でいられるのも数々の事故や自分の衝動的、芳しくない行いに対してこうした見守りあればこそなんて思ってしまうんだ、誰かが訪問したり、ものが届くとき誰も信じてもらえないかもしれませんが、自分の今の息子長男が授かったときにも願い寺の明かり障子が開いてそこから素裸の男の子がはいはい(後ろ向き這って)して段を下りてくる夢を見せてくれました。こんな風に願い寺ということもあって今の子供たちは自分の祖々父や祖々母 の先祖だとおもいこんで、とても大事に育ててきたものだ、お陰で、自分でいうのも何だが何一つしかったりすることなく、一人前に大学も進学し、しっかりした社会人になってくれている。ただ不足をいうなら、 一流の大学ということもあって、一流企業、公務員ということで親の手元にいて一緒に同居して家族としての幸せを頂けないのが淋しいおもいをさせられている。 From: > To: ??????@hera.eonet.ne.jp> Sent: Monday, November 20, 2006 10:09 AM Subject: 20日の日記
2006年11月20日
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今日、仏壇の前に座って、あちこち阿弥陀像に手をあわせ、自分がこうして一応一通りのものを調達し、ご先祖をおさめたりしたんだが、一つ一つ自分の金銭も高く投じているもの、仏壇仏具の細かい細工、彫刻にはまさに計り知れない手がかけられていることにあらためて感激をもったものだ。同時にここに先祖と鎮めている個々の霊、それなりの生き様をもって一生があってここにお祀りしていることも、さらにはこうした霊たちのつながりのなかで今ここに自分がこうして仏前に座らせていると思いを巡らせてきてしまった。今現在、家内と二人しての暮らしを続けているが2人の息子たちはこの思いをしっかりうけとめてくれたらばと一途な願いがこめてこの日記を書きつづっている。 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@hera.eonet.ne.jp> Sent: Monday, November 20, 2006 10:09 AM Subject: 20日の日記
2006年11月20日
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----- Original Message ----- From: > To: ??????@hera.eonet.ne.jp> Sent: Sunday, November 19, 2006 10:07 AM Subject: 19日の日記 >これまでかけていませんでした日記を再開したいと思いますお目にとまる方がおればご指導をお願いします。 これまでに体験したことで、教訓として子供に残しておきたいと思うものを書ければとねがっています。 書き残すことって広範にわたるものなんだが、その日に思いつくことから 今日は朝から、自治会の遊園地の清掃奉仕に参加した。そこで中学生が参加していたのだが、その奉仕ぶりには形ばかりの参加状況で、それを見て思ったな。草をむしるのにも精魂を込めて無心にがんばれるってことができなくてはと思ったね。46才になって妻帯もせずぶらぶらしている男を日頃見ているが、その男も仕事に打ち込めず、その日暮らしで他人のからの生活支援をまつ始末。小学生中学生の自分から無心にがんばれる子に育ててもらうよう心がけて子育てをしてほしいなと願って止まない
2006年11月19日
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先の日記に我が家の因縁について記録しようなんて書きながら、そのままになっているんだが…、それほどたいしたものでもないのにと笑われてしまいそうだ。まあ自分の記憶として、書き留めておきたい。自分は4男長女次女そして一女死亡で、七人の兄弟で末っ子。この末っ子が中学校時代に本家から持ち出していた物が江戸時代末期と思われる近江国1329ヵ村の村高帳(寛政12年7月に記載したとする年貢徴収高帳)である。これにはしっかりと記載者の名前が我が先祖の屋号とする名前に姓も現在の我が家の名前なんだ。滋賀県中の村名と石高が列記した古文書であったんだ。これからして考えられるいくつかの我が家の史実が思い浮かべることも出来た。ただ空想の域も甚だしいと言われても仕方がないが、我が家の名字{姓}も彦根は井伊藩家老たちの下屋敷とされるところに多くあり、現在の我が家は信長由来の安土にあって、我が家の姓名は自分だけでもあるんだ。そして信長に関わる由緒を持つ一統と婚姻関係も結んでいる。これからして井伊藩重臣は近江国を所領にして、政治的にもうまくいくために近江各地の有力者との和睦にかなりの心血を注いだとの話も合って、まさに我が先祖は安土に譜代として左遷させられ、そこの有力者とする一統との婚姻関係を結んだことのように考えても無理はなさそうだ。いずれにしろ年貢の取り立てに従事したことにはたしかなようだ。 いま因縁とする物についてこれから語らんとするものだが、ここからが自分自身のこれまで歩まされてきた人生も語ってその証しとするところを述べようと思うんだが、単なるこじつけと思われても仕方がないかもしれない。 しかし其れは仕方がないにしても、一つ一つ綴って見たいものだ。 先ず我が生家は、江戸末期の当時を頂点に家運衰微の一途を歩み続け不慮の死(変死者)童子童女出の死亡、さらには火宅と言われる状況の夫婦不仲から酒色泥酔者、両足歩行不備なる不虞者等、不幸続きに苛まれてきた。年貢取立役人でいたため込んだか取り上げたかで蓄えた出あろう私財も売り食い同然の明治以降の我が生家であったようだ。 たまたま自分にあっては、自分なりにまじめに働きため込んだ貯金で買った土地もまんまと他人に取り上げられる始末。この顛末は改めて………
2005年07月26日
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先の日記に我が家の因縁について記録しようなんて書きながら、sのままになっているんだが…、それほどたいしたものでもないのにと笑われてしまいそうだ。まあ自分の記憶として、書き留めておきたい。自分は4男長女次女そして一女死亡で、七人の兄弟で末っ子。この末っ子が中学校時代に本家から持ち出していた物が江戸時代末期と思われる近江国1329ヵ村の村高帳(寛政12年7月に記載したとする年貢徴収高帳)である。これにはしっかりと記載者の名前が我が先祖の屋号とする名前に姓も現在の我が家の名前なんだ。滋賀県中の村名と石高が列記した古文書であったんだ。これからして考えられるいくつかの我が家の史実が思い浮かべることも出来た。ただ空想の域も甚だしいと言われても仕方がないが、我が家の名字{姓}も彦根は井伊藩家老たちの下屋敷とされるところに多くあり、現在の我が家は信長由来の安土にあって、我が家の姓名は自分だけでもあるんだ。そして信長に関わる由緒を持つ一統と婚姻関係も結んでいる。これからして井伊藩重臣は近江国を所領にして、政治的にもうまくいくために近江各地の有力者との和睦にかなりの心血を注いだとの話も合って、まさに我が先祖は安土に譜代としてまあ左遷させられ、そこの有力者とする一統との婚姻換券系を結んだことのようにもさせられそうだ。いずれにしろ年貢の取り立てに従事したことにはたしかなようだ。 いま因縁とする物についてこれから語らんとするものだが、ここからが自分自身のこれまで歩まされてきた人生も語ってその証しとするところを述べようと思うんだが、単なるこじつけと思われても仕方がないかもしれない。 しかし其れは仕方がないにしても、一つ一つ綴って見たいものだ。 先ず我が生家は、江戸末期の当時を頂点に家運衰微の一途を歩み続け不慮の死(変死者)童子童女出の死亡、さらには火宅と言われる状況の夫婦不仲から酒色泥酔者、両足歩行不備なる不虞者等、不幸続きに苛まれてきた。年貢取立役人でいたため込んだか取り上げたかで蓄えた出あろう私財も売り食い同然の明治以降の我が生家であったようだ。 たまたま自分にあっては、自分なりにまじめに働きため込んだ貯金で買った土地もまんまと他人に取り上げられる始末。この顛末は改めて………
2005年07月26日
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新潮の記事をよんで、ちょっと日記として自分の思いを書きたくなった。新潮は家内の大の愛好雑誌だ。ふと目にとまったノーベル候補の東北大教授が云々の記事、これををよんで、思ったね。ああまさに「英雄色を好む」又頭脳の明晰なるは同時に男性ホルモン過多のしからしむところとあらためて確認させられたね。これを今読んでもらたとする読者諸君のだれもがしらないことと思うがもう20数年前にもなろうかと思うがアメリカ科学雑誌に次の様な報告がなされたという新聞記事を読んだ者だ。たしか中日新聞であった。それは頭脳優秀とされる、いわゆる学者といわれる人(知能指数150近くとする方)の血液からは頭脳が異常というに等しく異常の男性ホルモンを検出されたという調査結果が発表されたというものだ。 これからすると東北大の教授、これまでの実績からノーベル賞ものだとするようだが、これほどの頭脳の持ち主なら男性ホルモン過多も当然、その異常だという色情欲も然りかとも納得されるが、婚約者との折り合いがうまくいかんかったというのがこんな報道の顛末となったんだろうが、これでまれに見る人材が抹殺されるとしたら、おおきな日本の損失になるのではないかと残念だ。これも自分の独断にすぎないが何かの因縁の災いとなすところのように思うものだ。 ---- Original Message ----- From: > To: ??????@hera.eonet.ne.jp> Sent: Monday, July 25, 2005 10:46 AM Subject: 25日の日記
2005年07月25日
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今日までの5日間、地獄の苦痛を味わった。腸中菌とか膀胱炎の病原菌とかいうことだが、尿からの菌培養で見つけてもらえたんだ。その結果、タイペラとかいう抗生物質1グラム入りの点滴を数回、何とか尿道の死ぬかと思うほどの苦痛も和らいで今日、退院した。恥ずかしい話だがばい菌の恐ろしさを改めてみせしめられた。いかに清潔に細かいところにも気配りして日頃対処しなければならないかを個々で自分の生き様の変更をせまられたきがした。これからの余生を楽しく健康で過ごせるためにも・・・
2005年07月21日
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因縁なんてそんなものあるの?と言うでしょう。自分のこれまでの人生を振り替え江波すべてが因縁に振り回されてきたように思うんだ。自分の先祖だが、江戸時代の半ばに年貢の取り立て役人だったようだ。その証しに村高帳と言って年貢を取り立てた1320ヶ村の石高が記述した冊子が今も残っているんだ。厚さ2cm程度だが、そして記録者の名前も書いているんだね。これだけで簡単に因縁なんてものに結びつくかということにもちろん疑問を持つでしょうが、それにあたる数々の出来事はまあ因縁と言うことにしか考えられないことが今日までつづいてきたんだから・・・・これをつづっていくだけで一つの小説が出来ると思うんだ。自分の紺が続くだけ書いてみることに・・・では?今晩はこれまで
2005年06月20日
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今因縁除けの業ってのを頑張っているんだが、今日で93日目になっているんだ。108回のうちここまでこぎ付けたということ。確かにそろそろ何かが動き出したようだ。今まで因縁という大きなベールをかぶせられて自分の能力もしっかり出せていなかったようだ。67歳にしてピアノ曲のモッツアルトのK331を演習をしているんだが、今までとても歯が立たないところも少しづつ出来てくるようになってきているんだ。自分でも不思議に思っているんだ。こんなことまで因縁という者が立ちはだかっていたんかと思い直しているんだ。おまえの因縁って?これをよんでくれる方はきっと聞きたくなると思うんだが又明日からでも聞いてもらうことにしようかな。まあ自分の回顧録のつもりで書くことにしょうっと・・・
2005年06月17日
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今日一日の行動、先ず81歳の姉(10年前からパーキンソン・戦争未亡人・子どもなしそして16歳年上で母親みたいな者)介護施設に見舞い、そのあと畑の除草、キュウリ,なすび4・5本植えで一日とっぷりと仕事して終わる。書こうとすればいくらでもけるが、最後にこれだけ因縁除けのおつとめ、今日で89日目になった。108回勤めよと言うこと、がんばってんだ。 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@hera.eonet.ne.jp> Sent: Sunday, June 12, 2005 10:33 AM Subject: 12日の日記
2005年06月12日
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家はあってもホームレス状況の72歳の男性はいる。男一人のやもめ暮らし。確かにウジがわき今もう梅雨になりそうである。ますますにおい地獄にかして大変だ又県事務所に駆け込み、何とか養老院にでもなんとかしてあげられたらいいな
2005年06月10日
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ずいぶん長く日記から遠ざかっていました。何とか日記が書けるように書くことの必要性が少しづつ芽生えてきました。ましてや自分のためにとおもって 民生委員児童委員の会長と重責を受けて昨日初めても県外研修を終えました。何とか自分なりにその勤めを終えてほっとしているところだ。挨拶の苦手な私にとっては研修旅行出発やまとめの挨拶は多少の重荷に感じてしまう。まあ推挙していたなった会長を引き受けることになっていることに悪い気はしないが、まあ今回の研修の勤めをうまくそれなりに果たせてこれからもなんとかなりそうだと思えるようになって来たことは喜ばねばなりません。これからこの日記を通して自分の生き様を確認することにしたい。どこまで続けられるかわかりませんが、・・・ 昨日の二日間の日程もおかげさまで天気に恵まれ参加者の漢族どもまあまあと言うことのようにも自己満足しているが、この度の研修内容は「ねむの木学園」の視察そして忍野八海 、そして諏訪神社という行程で親睦も十分出来又ねむの木学園での宮城まり子さんのご人徳の厚さにふれて児童委員として民生委員としての今後の活動の肥やしになってくれる元なれば今回の研修の成果があったと考えておくことしたかなかろう。不憫な子を見て何とかしようとしたまり子さんのやさしさとなんとしてあげねばならないと思う信念と強さ、そしてこうしたまり子さんを産み育てたご両親の養育のありようの一端を聞いてやはり偉大なる方の存在にも又それなりの両親やおられることに初めて子育ての大切さを確認したと言うことで、今回の研修の成果としておきたいものである。
2005年06月10日
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支えって言うことなんだけど、何かにつけて先生でもあり、今日までに何度となくお助けをいただいた方が亡くなってしまわれたんだ。その方は75歳の先月までほぼ50年余の間整体、接骨で数十万にはなるだろうと思われる方を奉仕同様の形で助けてこられた。私も30歳までの交通事故で頸椎捻挫を全治いただき、これまでの腰痛も完全に治まり、さらにはかなりの霊感もいただかれていて、人それぞれに事前の事故などの注意もいただくこともされていた。私だけでなくお世話になった方の多くの方が、先生のお力にすがってこられた、慕っておられたことに相違ない。 この方は25歳頃からだと思うが獣医でおられた父親に準じて整骨関係の専門校で勉強され、卒業はされたが国家試験による資格を持たずに整体等の治療をされていた。しかし警察の方に密告され、治療の中断をせねばならなくなったが、このニュースを聞きつけた比叡山は修験道からの呼び出しで3か月の修業で祈祷師の免許を授けられて、祈祷占術等の名の下で整体整骨の治療をされてきた。一日に50人から60人それ以上の方の治療もあったと思う。72歳の時、腸閉塞の手術をされてからも求められる治療に答えておられ、ついに今月の初めに帰らぬ人になってしまわれた。 これまで人の苦しみを助けてこられた方が、大変苦しんでしかもこのように早くなくなられたことに大変ショックを受けている。それも、この方のように宗教上の職とまでは行かないがその一角で関わりをもっている自分にはやりきれない思いでいる。大きな支えを失った気持ちでいっぱいだ。
2004年11月27日
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この一週間、葬式と旅行なんと変組み合わせということになるが、4日間息子の嫁の祖母の葬式にかかり、一日おいてかってのPTA役員のメンバー12人で四国の大歩危小歩危、葛橋にバス旅行、これも祖もの死が2・3日遅ければ旅行もキャンセルせねばならなかった。このPTAの仲間というのも、20年前に勤務していた小学校の校長、教頭、事務局、会長等々役員たちで、当校のアヒル小屋を新調したことでアヒル会と称してその次の年から連れ立って旅行し出して19年続けている。これが毎年と言うことなんだけどみんな和やかに旅行を楽しみ、今回まで続けられてきたと言うことだ。こんなPTA役員の仲間で長く交際を続けている仲良しの集まりは珍しいと思いませんか。----- Original Message ----- From: To:
2004年11月21日
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私には,父、姉と受け継がれてきた御嶽教の一教会があり、三代目という形でその勤めをしている。毎月一回、月並祭を今日11日に執行している。いろいろあってのことだが一人だけの女性のご参拝のもとでつとめた。それでも私は一つの安堵感を今日はいただいた気分になった。勤めがさせて頂けたというだけのことなんだけれど…
2004年11月11日
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町内で5回の人権講座がもたれ第3回「子育てと人権」と題して話をお聞きした。少子高齢化の状況、これからの社会構造変化、さらには子供たち、さらには今後予想されうるこれからの人のあり様といったところをつぶさに話されていた。後者については子育ての中で人権基礎教育として4っの提言が示された。(1)自尊感情(自己肯定感)=ありのままの自分を認める気持ちー自分を大切にする価値観 (2)仲間作り(人間関係つくり)(3)コミュニケーション能力 (4)非交戦的自己主張だと言うことだ。しかし前者の少子化によって100年後現在の人口半減に対してその弊害、社会混乱についての今後の対策はなんらの提言はなかった。それは当然だ。みんなが子供をもうけるようにすればいいと言うことにつきるだろうが、女性よがんばれ、男性よがんばれではすまされない。ここにも基礎基本となるものの考え方を育てる教育なり、社会構造改革、対策が必要だといえないだろうか。
2004年11月10日
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悪事、悪い事が何年ごとに、また毎年この時期にとかさらに何日かの周期があって起こったと言うこと、また毎日、こんな時間になると頭痛や発熱が起こったり、足の痙攣などがあるといった話を聞いたことがありませんか。こんな事も不思議の一つなんですが、何気なく見過ごしているようにも思います。わたしの一つの経験だが、あるご家庭を訪問したら、私の家では、7年に誰かが仏になるんで、来年爺さんが亡くなって7年目になります。どうしたものか夜も寝られないという話がありました。もう一つに10日ごとに事故が起こっています。わたしが2日前に右手の4本の指先を切り落としてしまってこのような状態です。その10日前におばあちゃんがちょっとした石につまずいて足の骨折して入院してますがどうしたものなんでしょうということもあった。こんな事があなたの周辺にあった話があれば、ご紹介してください。何か参考になる話もできるかもしれません。またこんな話にこんな対処をして解決したといったお話も是非お聞かせください。こんな不思議の世界の話の交流ができたらいいなと期待してホームページを続けたいと思っている。
2004年11月09日
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今日、改めて焦ることの愚かさを見せつけられたようにいまさらに感じいっている。今自分が何をしても裏目にきていてそんな時期だと思うときではなかろうかと思えてきた。分にすぎた欲を追い求めていることがつい焦りとなっていることは確かだ。こつこつと地道に、ただひたすら自分の分に応じた努力が大切なんだろう。このことが精神的にも健康を維持できそうだ。また健康そのものをたもてそうだ。この心がけをずっと忘れないように自分自身に言い聞かせなければ・・・
2004年11月08日
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今、孫の七五三参りの祝いから帰ってきた。別に外孫ではないはずだがよめの里で祝うと言うことで外孫みたいなものになってしまっている。じつに情けないようにも思うが仕方ない。まあ五歳にまで孫が成長したことでありがたいと思うほかない。祈願に行ったのは多賀神社。朝から老人会の人権学習、「輝いて生きよう」と「老いに挑む」の二本のvideo視聴を町内の集会所で行い、弁当をとって食べたが、三浦敬三さん100歳、板橋光さん102歳のはつらつとした生活の様子に参加者22名全員が感激したようで、これからの余生を送る皆さんはおおいに参考になったことだろうと思う。----- Original Message ----- From: To:
2004年11月07日
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安土町町制50周年式典が今日セミナリオで多くの参列者の元に執り行われた。多くの功労者表彰があったが、民生委員児童委員の表彰が協議会会長のみで他の民生委員の表彰が全然なかった。青少年育成補導員なども表彰があったが、これに比べれば民生委員なども当然表彰があってしかるべきではなかったかいささか憤慨してしまった。いかに民生委員存在を軽くみている町であるか明らかだ。今後の活動の士気をなくしたも同然だ。如何ですかな。終----- Original Message ----- From: To:
2004年11月06日
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今日の午後にやっとインターネットがスムーズに立ち上がるようになりました。故障の原因はlanケーブルでした。johsinn でかくにんして わかった次第。今晩は息子が警察学校から帰ってき ます。かないのきぶんも少しうきうきしています。子供はいてくれてよかったなんて言うとおかしく思われるでしょうね----- Original Message ----- From: To:
2004年11月05日
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やっとメッセンジャーの仲間入りができそうです。きしなさんのおかげで音声や映像も送れるようになりました。楽天のホームぺーじも少しずつ充実できればありがたいです。これもきしなさんにほとんどおんぶにだっこということになりますがよろしく御願い致します。----- Original Message ----- From: To:
2004年11月04日
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新潟地震被災者の皆さんに心からお見舞い申し上げます。ちょうど二十日前に佐渡と月岡温泉に旅行したばかりでした。泉慶の皆さんはご無事でしょうか昨日22日は、安土城趾の一角の除草作業、夕刻から仲間で慰労会始めたばかりの出来事だった----- Original Message ----- From: To:
2004年10月23日
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民生委員で今日はまた一人住まいの男性SOSが携帯電話に入り町役場の福祉課に連絡何とか救急車で命拾いしてくれたようだ。減反の麦地の溝きりができあがったところでもあってこれも何とかクリアー、そして3週間缶詰になっていた息子が滋賀県警警察学校から初めての休暇で帰宅。つもる話いろいろ、でも何とか厳しい警察官としての訓練もクリアーできそうで少々安心できそうだ。明日は信長ゆかりの安土城趾の除草ボランティア・・・----- Original Message ----- From: To:
2004年10月22日
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これで日記を書き入れるのは初めてだが、日記そのものがこれまでも書いていない。でも今この日記で今日まで苦しんできた己をさらけ出して誰かの役に立てばと思うと同時に誰かに知ってもらいたい。そんな気持ちと自分の馬鹿さ加減をさらけ出して大恥をかくことも怖い気持ちでいっぱい。またいまの自分を誰かに救ってほしい。溯ること3年前、近くのA 証券に足を踏み込んでしまったのが切っ掛けに店員と店長に勧められるままに信用取引に手を出すことになった。それからバブルがはじける。ソニーショック、シャープなどの株、あれよあれよのうちに4百万円をすり、今また数百万円の決済を迫られている。欲は苦のもともう地獄の苦しみにあえいでいる。あぁ騙されたと思っても後の祭り。騙しの第一歩は、銀行に貯金していても雀の涙の利子、株をやってみませんかから、いかにも一攫千金といった口調。その口調にほだされたのが運の尽き。定員からもう今買わんとばかりに早口であれよあれよと買いを勧めたもんだ。そして急落。何もわからんうちに損切りを言ってきた。馬鹿もほどほどにしておけばいいのに何とか株の上がるのを期待して損を取り戻したいとがんばったものの二の足を踏むだけ。いい加減にあきらめが肝心なんだけどどうも踏み切れないでいる大アホどうしたらいいんでしょうかね。----- Original Message ----- From: To:
2004年10月13日
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癸亥は私の誕生の日、一からの出発で気持ちも新たにきょうのつとめを始めた。自分の記憶にとどめるために日記に記す----- Original Message ----- From: To:
2004年10月11日
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母屋やや東南東から西南西に長方形に建てられています。そして母屋に平行して二間半ほど庭を取って母屋の3分の1程度に隠居風に離れが東の方向に建てられ、その間には25cm以上の太さの杉と檜の木が1本づつ天高く生い茂っています。この家に住んでいた家族の状況は、42歳になる次男がひとり住まいをしていて、長兄家族は独立して他所に住み、母親は次男の25歳のときに50歳近くに病死し,父はその後、酒乱で隣近所に迷惑を掛けどうしで、数年まえに養老院に世話になっています。このような状況は上述の家相の悪さと思ったりもしていますが、如何なものでしょうか。この家相から何らかのご示唆を頂きたいです。家相に通じておられる方よろしく
2003年12月16日
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どんな悶着だって、興味を持って呼んでください。我が息子、実は妻とは別性で、それも実家の養女で、実家の相続の都合でと言うことなんだけど、それも仕方ないということになっている。そこで長男は父方の姓で、次男または次女は、母方の姓を約束して今日に来ている。次男次女の臨月を迎え子どもの名前をと言うことになったが、育児手当となったり、税金控除とかに関わって妻の籍に入っていてては所得者である父はその子の手当、控除はできなくなってくるということだ。そこで考えた。いずれは妻に入籍することとして、未成年のうちは父方に入籍し父の姓を名乗らせる事にしようとなった。こうなると余り名前にこだわらないならいいもの、父方、母方両方に良い名前となるとさあ大変、両家があれこれと口角泡を飛ばしてああでもないこうでもないと色々と悶着!色々な姓名判断の図書があって、これが互いに違ったものであればさらに決着が付かないが、幸い同じ物を持ち出していて、双方かなり読みこなしていておおかたは一致した名前が見つかりそうだ。夫婦別姓これからも色々と問題が出そうだが、まあどうなる事やら…、ややこしい時代になった物だね。
2003年11月28日
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今日は朝から畑に玉ねぎ500本植えてきました。こんなに自分たちだけで食べるのでなく、色々とあちこちにあげるつもりです。2時間ほどかかってしまいました。そのあと姉(80才、パーキンソンを患っています)が世話になっている介護施設に慰問に行ってきました。そこで30分くらいのつもりが1時間以上ピアノを引きながら童謡や唱歌そして演歌を施設入居のお年寄りに歌って聞かせ、いっしょに歌ってもらったりしました。これまでにも何度もさせてもらっていますので今日も皆さん大きな声で歌ってくれる方も増えたように思いました。自分でできること人が喜んでくれること、自己満足かもしれませんが頑張ってきました。 先の日記で金縛りの方の来訪を受け、お話を聞かせてもらいました。やはりそれだけに値する過去をお持ちでした。その方は女性で、好きでつきあっていた方が結婚を予定しながら直前に、スキンダイバーと言うのですか、その最中に溺死されたと言うことでした。それなりの対応をされるようにとお話しさせてもらったんですが、彼女の金縛りがおさまればありがたいと願っています。こんな事で金縛りなんて信じられますか?
2003年11月26日
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金縛りって私も知らない。しかし私のもとに金縛りにあってなんとかしてほしい。その以来は4度目である。一度目は金縛りを何とかしてくれと頼まれたわけではない。しかし屋内の神棚の位置を変え、月並祭と言った祭りをしていて依頼人からいままでの金縛りがなくなったと言う。2度目は中学生の女の子が金縛りに会うのでと、そのうちを訪問した。神棚もなく仏壇もない新世帯の新建の家。神札とお位牌が本棚に並べて祀られていた。早速神棚を正しい位置にとまず祝詞をあげ、神祭りをした。そのとき神棚から祝詞奏上の中程でフラップ「ピシン」と音がして依頼人の家族にも聞こえて、一同が驚いた。3度目は、76才のおばあさんが亡くなっている女性が自分の横に姿を現し、身動きできなくなるという。これもそれなりに仏としての祀りをすませて何とかでなくなったということだった。今日、その女性から友達に自分と同じような状況があり、何とかしてほしいこんな依頼があった。こんな事ってどう思いますか。昨日の日記に絡んでの日記を後回しにしてしまいましたが、またいずれ・・・
2003年11月19日
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いきなり突然、何をまた言い出すかと思うでしょう。そうです。上の画像の神前をお祀りしてある教会は、父の本物の眼通力に惚れてと言うより信じ込んだ一人の信者(織物工場経営者)が今の500万円ぐらいに当たるお金を寄付してたててくれたものなのです。父は自分の前にやってきた人の頼みをその人が話すまでに先にどんな願い事かを言い当てたということです。こんな事って信じられますか。現に今も神前があり教会があります。この教会が建てられたのは昭和17年、約60年前の事です。父は十数年でなくなり、その後私の姉が引き継ぎ、その後を私が受けつないでいかなければならない状況に置かれて、今このホームページに向かっています。この長い歴史の中にこれまた不思議の数々がいっぱい詰まっています。少しづつ紹介してみたいし、その歴史をつづるつもりで書きつづっていきます。
2003年11月18日
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日記のテーマをこんな風にしました。上記の画像のようにこんな環境、家庭で今日まで育ち、一生の大半、かかわってきました。これまでにこんな不思議と思っていることがいくつかあり、このホームページで紹介し、皆さんの感想もお聞きしたいと思っています。まずこのパソコンを通じてのお出会いも日に日に自分ながら不思議と感謝の気持ちでいっぱいです。やっぱり崇拝する神々のお導きに他ならないと考えています。少しづつ不思議と思う事の数々紹介し皆様の感想お待ちしたいです。
2003年11月17日
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木科さんのお陰で晴れがましいかと思いつつも崇敬する大神様とご神前の写真を挿入したホームページが出来ました。写真の挿入の方法も会得できました。ページを開けるごとにいつもご神前に自分がいることが出来て何よりもうれしく思っています。みなさんから掲示板にいろいろ寄せていただいていますが、まだその対応の仕方が出来ませんのでもうしわけありません。あしからず。きしなさんに又手ほどきのほうをお願いしたいです。あつかましいと思いますがよろしくお願いいたします。
2003年11月14日
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