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沢庵宗彭(たくあんそうほう)の「不動智神妙録・ふどうちしんみょうろく」より沢庵和尚は臨済宗の禅僧で、徳川3代将軍家光のお気に入りでもあり、度々江戸城に招かれ禅について論じたということです。不動智神妙録は将軍家ご指南役、柳生但馬の守宗矩に宛てた手紙です。沢庵和尚はこの手紙の中で兵法者の心構えについて語っています。そのなかで大事な言葉が「不動智」なのです。「向ふへも左へも右へも、十方八方へ心は動き度きやうに動きながら、卒度も止まらぬ心を不動智と申し候」つまりこころを四方八方に自由に動かしながら、しかも一つの物、一つの事には決してとらわれない事が不動智なのです。さらに続けて相手が刀を振り上げて切りかかってくる時に、「あっ、きたっ!」と身構えたなら、相手の刀の動きが気になり、自分は自由に動くことが出来ずに切られてしまう。打ち込んでくる刀を見ても、どう受けようか、どう切りかえそうかと思慮分別せず、ただ無心に相手の刀に応じたなら、切りかかってきた刀を奪って相手を切ることも出来る。(柳生宗矩はいわゆる達人の部類であり、無刀取りといって、丸腰のまま相手の切りかかってくる刀を奪い取るといういう極意をもっていた)何かを見て心がとらわれると。様々な雑念がわいてくる。心の中で、あれこれ迷いだすのです。このように、何かにとらわれていると、心を自由に動かそうとしても動かないということ。自由に心を動かすことが出来なくなるのです。自分の刀の動きが気にかかれば、自分の刀に心をとらわれ、打ち込むタイミングが気にかかれば、それに心がとらわれるのです。そうなれば自分自身は木偶の坊の如く、また抜け殻のようでもあります。からだの力をぬいて、心も空っぽにすること。これが剣の極意ということです。宮本武蔵も平常心について語っています。心掛けることは、『常に敷居の上を歩む如し』「な~んだ、そんなこと」って思いましたか?部屋の中だけじゃないのです。いうならば、突風が吹きぬける二十階建てのビルとビルの間に架かっている、幅15センチの丸太の上でも平気で歩けるということなのです。いくら身体、技だけを磨いても片手落ちということ。「はじめにこころありき」いざという時に、普段の技を出すことが出来なくなります。「緊張」という呪縛によって・・・・・「不動智」は剣禅一如ということだけでなく、現代社会を生きるうえでも極意といってよい言葉です。小人が頻繁に口走る、瑣末な言葉を一々気にとめて聞いていてはストレスが溜まるばかりです。聞こえても、気にしない。こころをひとところにとどめない・・・・・・至言ですねぇ~眼の力養うには、常に眼を閉じておけ。耳の力養うには、常に聞くことを避けよ。こころの力養うには、常に沈黙していることが一番だ。健全な心に、頑強な身体が宿る。 MOOSE拳士MOOSEが腰痛対策のためにほしいものです。武道家の甲野善紀氏も推奨してます。履けば自然とバランス感覚を養うトレーニングが出来る。一本歯下駄
2010年01月12日
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回(かい)、座忘(ざぼう)せり 荘子・大宗師篇孔子と顔回の座忘問答について勝海舟が『氷川清話』でこう語っている。「人は何事によらず、胸の中から忘れ去ることが出来ずに、終始気にかかっていては、そうそうたまったものでない。いわゆる座忘といって、何事もすべて忘れてしまって、胸中闊(かつ)然として一物をとどめざる境地に至って、万事万境に応じて縦横自在の判断が出来るのだ」荘子は、孔子と顔回の座忘問答をこう語っている。あるとき顔回が師匠の孔子にいった。「私の修行もかなり進んだように思います。」「なぜそう言えるんだい」「私は仁義を忘れることが出来ました。」「なるほど。それは結構なことだが、まだ十分とはいえない。」何日か経って、顔回は孔子に告げた。「私はいっそう進歩しました。」「それはどういうことだね?」「私は礼楽を忘れることが出来ました。」「よろしい、しかしまだ十分とはいえない。」また何日か経って、顔回は孔子に再び告げた。「私はさらに進歩しました。」「それで?」「私は座忘することができます。」「座忘?」孔子はハッと態度を改めて、問い返した。「それはどういうことだね?」「五体から力を抜き去り、いっさいの感覚をなくし、身も心もうつろになりきって、『道』のはたらきを受け入れることです。」孔子は大きくうなずいた。「『道』のはたらきを受け入れれば、是非是悪の念にとらわれることもなく、『道』とともに変化して、無限の自由を獲得することが出来るであろう。それにしてもお前はそこまで進んでしまったのか。私も遅れをとらぬようにせねばなるまい。」孔子が弟子の成長を喜んでいる一幕である。荘子が言うところの座忘の境地について語りつくされています。いわゆる、ストレスに打ち勝つ極意ですな。まあ、つまらないことは忘れてしまえということです。白隠禅師もこう言っています。『一切抛下し熟睡一覚すべし』頭を空っぽにして寝てしまえ『おやすみなさい・・・・・』 MOOSE老子MOOSEの得意技は、寝る前にコーヒー飲もうが何か食べようがすぐ寝ることができる鹿であることです。
2010年01月10日
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杞憂(きゆう) 杞国(きこく・周の時代に河南省開封の近くにあった国)にある男が住んでいた。その男は、天地か崩れてきたらどうしたらいいのだろうと心配して、夜は眠れないし食事ものどを通らなかったという。またその心配している様をみて、助言してやろうと思う人もいた。そして、その男のところに出かけていって言い聞かせたのだった。「天は空気が積もってできているんだよ。空気の無い所なんてありはしないし、実際空気の中・天の中で体の曲げ伸ばしをしてるんだよ。天は落ちてきたりしないよ」「天は空気が積もってできているのなら、星なんかが落ちてくるんじゃないか?」「星というのも天の中に積もった空気の中が輝いているだけで、落ちてきたって怪我なんかするものか。」「どうして大地は崩れないのかな?」「大地は土くれは積もってできているだけだよ。それが四方に満ち満ちているだろう。飛んでも跳ねてもびくともしないだろう。なんで大地が崩れることを心配するんだい?」それをきいて、心配していた男ははじめて胸のつかえがとれて気が楽になり、たいそう喜んだという。列子はこの話を聞いて笑っていった。「天地が崩れないという男も間違っている。壊れるとか壊れないとかは我々の知ることができないところのものなのだ。そうはいっても、こわれるという者にもひとつの道理があり、壊れないという者にもひとつの道理がある。それだから生は死を知らないし、死は生を知らない。将来は過去を知らないし、過去は将来を知らないのである。天地が壊れるとか壊れないとかいうことを、われわれがどうして心にいれて考慮しようか。」『杞憂』とか『杞人憂天』という言葉があるが、『列子の天瑞篇』に記述されており、「あれこれと取越し苦労をする」とか、「いらない心配をすること」のたとえにされている。また「杞の国は無事なれや、天の傾くを憂うなり」と李白は歌っている。『杞の国の人の憂鬱』=『杞憂』なるほどねと感心しきりです。まあ、わからないからあれこれ心配するわけですね。無鉄砲なことをやると怪我の心配をしなくてはならない(常識です)。そんな心配なんか、てんで眼中に無い人のことを無鉄砲というのだった。まあ、スキーをやるにしても怪我の心配をしてたら楽しむどころではありません。もしスキーしてて転倒して足を折ったらどうしようかと心配するとする。もし足を一本折ったら神に両足を折らなかったことを感謝しなさい。もし両足を折ったら神に首を折らなかったことを感謝しなさい。もし首を折ってしまったら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あとはなにも心配することはありません。 ユダヤの諺
2010年01月04日
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中国は明の時代に袁学海(えんがくかい)という人がいました。袁の家はもともと江南の豪族であったが、弾圧されて財産を失い、その後は医業で生計をたてていた。学海は幼くして父を失ったが、母の命により医術を学んでいた。あるとき、長い髭をたくわえた立派な風貌の老人に出会った。いずれ名のある人と察し、敬意をもって挨拶したところ、老人はこう言った。「お前さんは官吏になる人である。どうしてその勉強をしないのか」老人は系統の正しい易者であった。試しに学海のこれまでの半生を占わせると、ことごとく適中していた。恐ろしいまでの適中率に、学海は老人の諭す通り、役人になるために科挙の勉強を始める気になった。さらに老人は、学海の近い将来を占っていった。「県の試験では十四番目で合格し、府の試験では七十二番目、道の試験では九番目で合格するであろう」翌年試験を受けたところ、この三つの合格順位は老人の予言した通りであった。そこで一生涯の吉凶を占ってもらったところ、「試験は何番目で合格し、どうゆう出世をして、五十三歳で寿命が尽き、残念ながら子供には恵まれないだろう」このように人生のいっさいが描かれていたのだ。占いはその後も適中し、学海は何事もみな運命によって定まっているのだ、なるようにしかならないと信じるようになった。学海は南京の大学に遊学しにいき、大学に聞く前にある寺に立ち寄った。そこで雲谷(うんこく)禅師を訪ね、一室の中で静座した。三昼夜も眠らずにいた。これには禅師も感心し、「どのような修行をなされたのか」と尋ねた。学海は言った。「人間はみな運命が決まっているのです。妄想しようにも、おこす妄想がありません」と答えた。その言葉を聞くや禅師は笑い飛ばして言った。「わしはお前さんが優れた人物だと思っていたが誤りであった。なんだ、ただの凡夫ではないか」凡夫はこの世の法則に束縛され、運命に支配されている。これに対して善を極めた人は運命を超えることができる。徳を積むことによって、自らの運命を開くことができるからだ。これが立命である。また極悪の人は、運命を頼みにしても自らの業にひきずり回されて凶運に翻弄されることになるのです。学海は表面上は悟っているように見えても、それは運命には逆らえないと知り、観念して、諦めきっていたのである。所詮は占いに従っているだけの凡夫であった。だから禅師は、「ただの凡夫ではないか」と指摘したのです。教えを乞う学海に雲谷禅師はこう言って諭した。「運命は自らつくることができる。幸福は自ら求めることができる。心に向かってひたすら求めるならば、必ず通じるものだ。陰徳を積めば福となり、やがて運命を超えることができようぞ」こうして立命学を学んだ学海は、雲谷禅師から善悪の基準を一表にした『功過格(こうかかく)』を与えられる。これは民間で行われた善行を進める道徳律で、善い行いをすれば「○」、悪い行いをすれば「●」でチェックする方法が記されたものである。学海は、この日を境にして運命にもてあそばれていた凡夫を卒業することを決意し、「了凡」と号を改めた。立命学とは徳を積むことによって運命を打開しようとする学である。学海改め了凡は、功過格にしたがって「善行為の合計ー悪行為の合計=3000点」になるように努力した結果、運命はいいほうへと転回する。徐々に老人の占いははずれていった。子は授からないと言われたが、一子・天啓(てんけい)をもうけることができた。また寿命の点では占いより長生きして、七十二歳で亡くなった。この立命譚(りつめいたん)は、袁学海が息子・天啓に与えた『陰しつ録』という書物に収められている。
2009年12月20日
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周の西伯(分王)がある日猟に出ようとして占わせたところ次のように出た。「獲(う)るところ竜にあらず、ミズチあらず、熊にあらず、羆(ひぐま)あらず、虎にあらず、貔(ひ・中国古代に飼いならした猛獣の事らしい)にあらず、獲るところ覇王の輔ならん」とでた。さて、猟に出て、馬を駆って山野をめぐったが獲物はさっぱりないままに、いつか渭水のほとりへでた。その河辺で、貧相な姿をした老人がつくねんと河に糸をたれて釣りをしているのに出会った。言葉をかけてみると、その応答も立派で、大人物であるのがわかった。西伯はこれこそ今日の占いの人物に違いないと思った。「私の父(太公)は、いつか聖人があらわれて、周を興してくれると待ち望んでいましたが、あなたこそ、その人です。どうぞ私のために師父となってお導き下さい。」そういって、その老人を車に迎え王宮に案内した。 こうして、この老人・呂尚(ろしょう)は、西伯の師となり、周の繁栄をもたらしたが、太公が待ち望んだ人物という事で、太公望とよばれるようになったということです。この太公望・呂尚(ろしょう)が、まだ若くして勉学中のころ、馬氏の娘を妻としてむかえた。しかし呂尚は毎日家にこもって読書三昧で、いっこうに働こうとしなかった。もともと豊かな家ではなし、夫婦で居食いしていられずはずはなかった。呂尚が働かなければやりくりがつかないのは当然のことであるが、呂尚は家計の事などまるで知らぬげに、一日机に向かっている。一文の得にもならぬ本ばかり読んで、まるで働きのない亭主に愛想をつかして馬氏は言った。「とても私はこの家ではつとまりませんから、今日かぎりおひまをいただきます。」そうして、自分から三くだり半をつきつけて、さっさと実家へ帰ってしまった。呂尚はなお、その貧にたえて学識を蓄え、ついには前述の如く、西伯の知遇を得て、ついには諸侯として斉に封ぜられることになった。さて今は立派に功成り、名を上げた呂尚のもとに、ある日ひょっこり馬氏があらわれてこう言うのだった。「前のあなたは食事にも事欠くような貧しさでしたので、しばらくお側を去っておりましたが、今はこんなに出世なさったのですから、私はやっぱり貴方の妻としてお側に仕えさせていただきます」呂尚はだまって、器にいっぱいの水を汲み、それを庭先の土へこぼすと、馬氏にその水をすくわせた。馬氏はけげんに思ってその水をすくおうとしたが、土はすでに水を吸い、馬氏のすくったものは、わずかに泥にすぎなかった。そこで呂尚はおもむろにいった。「一度こぼれた水はもとの器に返すことが出来ない(覆水盆に返らず)し、一度別れた者は、ふたたびいっしょにはなれないものだよ」 『拾遺記』ここでの意味は、一度別れた妻はもとの鞘にはおさまらないということ。「国家の事、また何ぞ容易ならん、覆水収まらず、宜しく之を深思すべし」 『後漢書』「雨は天に上らず、覆水再び収め難し」などと、いったん為し終わったことは取り返しがつかないという意味につかわれる。物事は、やりすぎは良くないことだ。破綻する一歩手前でやめておくに限る。しかし、これが凡人には、できそうでできないことなのです。NO RETURN POINT を見極める。これ以上伸びたら、ゴムが切れるというところでもち直すのです。これができるのが、平凡を極めた達人ということでしょう。 永世凡人のMOOSE老師『 IT IS NO USE CRYING OVER SPILT MILK 』こぼれたミルクを惜しがって泣いてもむだだ、覆水盆に返らず
2009年12月15日
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隋のあとの唐は、中国の南北の文化を融合しただけでなく、遠くローマにいたるまでの広範囲な様式を吸収して総合的な文化をつくりあげたという。この時代には多くの学者や詩人や画家を輩出した。書道の達人としては、虞世南、チョ遂良、欧陽詢などがいた。中でも名高いのが、欧陽詢(おうようじゅん)である。彼ははじめ隋につかえ、太常博士となった。隋が滅びて後は唐に仕官して、太宗皇帝のとき弘文館博士となり、さらに渤海男(ぼっかいだん)に封ぜられ、その貞観十五年(640)に八十五歳でなくなった。その書体は、「率更体」と呼ばれ、力強いことは師の王義之(おうぎし)にまさった。陽詢の子の通(とう)も書の達人で、父の詢に対して《 小欧陽 》といわれる。子の親子の書体を一つとして世間は「大小欧陽体」とも呼んでおおいに珍重した。かつて高麗(朝鮮)から使いが来て、詢の書を求めたことがあった。太宗の父高祖は「詢の名はとうとう東の蛮族にまで知れ渡ったか」と感心したという。『唐書』の『欧陽詢伝』に次のような話がのっている。・・・・・チョ遂良(すいりょう・同時代の達人)は良い筆や墨がなければ書こうとしなかった。あるとき、そのチョが虞世南(ぐせいなん)にたずねた。「私の書と、詢の書く書とくらべたら、どちらが優れているだろうか」虞は答えた。「詢は紙や筆については、いっさい文句をいわず、どんな筆でも、どんな紙にでも書いたそうだが、どんなものを使っても思う通りに書けたという。君はまだ紙や筆にこだわっているようだから、とうてい詢にはかなうまい」これにはチョもまいったという。『後山談叢』には「善書は紙筆を択ばず。妙手は手にあり」という言葉がある。『王肯堂筆塵』には「能書は筆を択ばずというが、このことわざも欧陽までで、それ以後は人々は紙や筆を問題にするようになった」とある。一方周顕宗(しゅうけんそう)の「輪書」には「書を善くするものは筆を択ばずという説があるが、これは通説とはいえない。行書や草書を書く者についてはこうもいえるだろう。しかし楷書、篆書(てんしょ)、隷書を書く場合は筆によって出来の良し悪しがあるから筆を択ばざるを得ない」とのっている。日本で有名な、「弘法は筆を択ばず」は、能書を弘法大師と置き換えて同じ意味を述べたものである。本当の達人であったら、書く前から紙やら筆でごちゃごちゃ言わないものである。『MOOSEは、始める前に道具からそろえる』こころから入るか、形から入るかであるが、結果が肝心です。
2009年11月27日
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無為の政治を行なえば、国はよく治まるようになる。無為(むい)を為(な)せば治(おさ)まらざるなし為無為、則無不治 【老子第三章】老子の言う「無為」とは何もしないでぼんやりしている事ではありません。老子は宇宙の法則にのっとり、森羅万象に奥にあるもの・・・・・それ自身一定の運動法則を持ったある実体を認め、それを「道・タオ」と名づけた。老子の言う「無為」とは、この「道」を認識して、「道」の働きと一体化すること。運動法則「道」にもとづいて主体的に行為することが「無為」なのである。行為するけれども「道」にのっとって行為するから、どこにも無理がなく、きわめて自然に見える。だから「無為」の体現者は、一見すると、阿呆のように、うすぼんやりとして、時としてデクノ坊のようにみえることがあるのです。「道」にそって行動する人は、些細な出来事に一喜一憂する事がない。蜂にさされても、どうって事はないし、命を取られようとしても、慌てず騒がないのです。「治は務めて無為にあるのみ」を実践した政治家がいました。漢の時代の武帝の大臣をつとめた、汲黯(きゅうあん)です。『史記』の汲鄭(きゅうてい)列伝によると、老荘の学を信奉したかれは、「治は務めて無為にあるのみ」を自分の政治信条とし、東海郡の太守(長官)時代に、「官民を統治するに当たっては、小手先の技巧を排し、次官以下の属官にはそれぞれしかるべき人材を選任してすべてをまかせた。大筋においてまちがいさえなければ文句をつけない」といった態度で政治にあたった。かれ自身は病気がちで、役所にもあまり顔を出さなかったらしいが、それでも、一年もたたないうちに東海郡の成績は大いに上がったという。汲黯はこの功によって、中央政府の大臣(主爵都尉・しゅしゃくとい)に起用されたという。さて管理者の立場で考えたら、どうなるでしょうか?仕事中に問題が起きました。すこし厄介な出来事のようです。「どうってことない」と思えることは重要ですが、放置するわけにはいきません。自分の経験と知識を駆使して最小の手順ので問題解決を図るでしょう。(最小の手順でなくても、最善手が良いでしょう。最短の方法が最良の策であるというオッカムの剃刀の法則というものがありますけど、なにか?って感じでしょうか)管理者の場合、はやく仕事を片付けるには、人に任せていては終わらないと、何でもかんでも自分でやらないと気がすまない人もいるようです。それでは、いつまでたっても自分は忙しいままで、創造的な仕事や管理者の仕事をする時間が取れません。また部下の能力を伸ばす事もできないし、部下も上から口出しされ続ければ、煙たいし自己規制が働き、自分の仕事ができなくなるのがオチでしょう。汲黯(きゅうあん)のやり方は政治家だけでなく管理職一般の姿勢についても示唆していることがあるでしょう。管理者には、大雑把にいうと二種類に分けられるようです。【1】肝心なところだけおさえておいて、あとは部下にまかせるタイプ。【2】細かい事までいちいち指示しないと気がすまないタイプ。どちらがいいかは、状況によるでしょう。部下を自立させ育てようと思ったら、汲黯のとった方法が良いかもしれません。しかし、うまくいかなかったら・・・・・・無能呼ばわりされるかも知れません。世の中、徳を備えた上司ばかりではありません。スサマジキヨノナカデハゾザイマセンカ
2009年11月24日
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世の中にはリーダーシップ論といわれるものは吐いて捨てるほどあります。今日はその中で、元新日鉄の会長の故武田豊氏の言葉を紹介します。ある日の講演会で述べられていた話で、重要な六つの要素を挙げられていました。【1】活力。そのためには健康体でなくてはいけない。【2】強固な意思力【3】責任感【4】知識力【5】包容力【6】説得力リーダーシップの資質を考えると、いずれも欠かさざる条件のようです。またJ&Jの社長の新将命(あたらしまさみ)氏が、リーダーの資質からでなく、アクション面からとらえて、少し変った表現をしておられます。【K】【K】【M】【H】【S】と頭文字をとって表現していました。【K】人の意見を【聴】く。【K】【決】める。【M】【任】せる。【H】【誉】める。【S】功績を、部下の【せい】にする。リーダシップを発揮するのは、リーダーの資質によるところが大きいでしょう。しかし、発揮する相手が変れば、おのずと方法も変わってしかるべしです。さらに、発揮する場面も、TPOもかわれば、臨機応変に対処しなければなりません。あいては性格も違えば、育った環境もちがい考え方も違うのです。リーダーシップの総論だけを論じるのでなく、各論で考える必要があるのです。『やってみせ、いってきかせて、させてみて誉めてやらねば、人は動かじ。』 日本帝国海軍 山本五十六元帥の言葉手柄を独り占めする話は、身近なところにも転がっています。功績を部下の手柄にしてあげれる上司となると・・・・・MOOSEは違いますよ、私の辞書に載ってる言葉は、、最大の恥辱とは、「おケツの穴のち~せぇ~やつじゃのぉ~」と言われる事。最近、仕事で少し悩んでいる事がありました。斉藤ひとり氏の本をよんで、愉快に考えるようにして、無理して笑っていたら胡散霧消してしまいました。身体は正直者なのか、愚か者なのか、笑いながら悩む事は成立しないという事のようです。
2009年11月17日
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『孫子の兵法』より「 将の敗は、 一に曰く不能なれど自らは能とす。 二に曰く驕(きょう)。 三に曰く財に貪(どん)。 四に曰く寡決(かけつ)。 五に曰く勇に寡(すくな)し。 」《現代語訳》孫子の兵法でいうダメリーダーとは?「こんな人間はダメリーダーである。第一に、格別な能力もないのに自分では能力があると勝手に自己満足している人。第二に、うぬぼれている人。第三に、金に関してケチな人。第四に。優柔不断で決断力がない人。第五に、臆病で勇気がない人。」【1】能力のないリーダーには2種類ある。 (a)企画・提案力がない。先読みが出来ない人。現実を突きつけないと何も気づかない人。(b)自分の意見がない人。意見は言うが、誰かの受け売り、なにも自分で考えようとしない人。質問すると、うろたえる人。【2】品性のない人ほど威張る。「驕」という字には、「おごりたかぶる」という意味がある。驕慢とは、人間の品性がないことで、人間性が低い人のこと。知識あれど常識なく、行動すれども計画性なく、学歴あれども学力なく、驕慢あれども謙虚さなし。そんな人間は、どこでもいらなくなる。【3】ケチのまわりには人材は定着しない。【4】決断する人を管理者と呼び、決断しない人を一般社員と呼ぶ。【5】臆病とは《責任回避体質》の別名だ。臆病か度胸があるかは平常時ではなかなかわからない。緊急事態が発生した時、冷静に行動でなければ、メッキがはげて恥をかくことになる。ダメリーダーの条件が五つとも当てはまる管理職が存在するとは思えません。普通に考えて行動していて、常に人間性を高めようとしていれば、ダメリーダーになれるはずはないでしょう。もしいたとしたら怖いですね。その会社の将来のことです。なりたい人が管理職にかってになるんではありませよね。決めるのは、会社の上層部で役員会で決定されます。会社の役員会でダメな人をリーダーには、普通ではしないでしょう。
2009年11月08日
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知りて知らずとするは、尚(しょう)なり 老子 第七十一章『 知 不 知、 尚 矣 』「尚」を「上」という言い回しもあるようです。知っていても知らないふりをするのが望ましいということです。ある意味「おとぼけのすすめ」と解釈するほうが良いかもしれません。例えば、上司に何か質問されたとしてください。待ってましたと言わんばかりにとうとうとしゃべるのは愚の骨頂、不徳の極みとなり、反感を買うのがおちでしょう。あなたは、こんなことも知らないのですか、と受け取られるからです。訊かれもしないのに、ペラペラしゃべるのは、なおいけない。必要最小限の事だけをきちんと答え、あとは質問された場合のみ答えるのが賢明です。ときには「よく分かりませんが、私が思うに・・・・・」というくらいな演技力を発揮するほうが、世の中を上手く渡っていけるのです。「間違っているかもしれませんが・・・・・」と気弱に話したほうがいいかもしれません。『おとぼけ』は上司の側にも必要な事といえます。部下の細かな欠点が見えたとしても、あからさまに指摘してはいけません。知って置くことは重要ですが、見てみぬフリをしながら、タイミングを見計らってさりげなく注意することが効果的です。『老子』は「知らずして知れりとするは病(へい)なり」ともいっています。知りもしないのに知ったかぶりをするのは、これはもう論外という事です。『知るものは言わず、言うものは知らず』MOOSEは知っていることは、しゃべりたくて仕方がありません。ところで、内容は正しいの?当たれずしも、遠からず・・・・・・より近い事は言っているでしょう
2009年10月29日
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やりすぎはよくない。本当の戦い上手は、目的を達したらさっさと矛を収め、むやみに強がらない。善くする者は果たして已(や)む。以って強を取ることなし善者果而已矣母以取強焉 (老子三十章)蛇足をかいてはダメ。蛇足とは無用の事をすること。『戦国策より』楚の令尹(れいいん・楚の官名で宰相のこと)の昭陽という者が楚王の命令をうけて魏の国を攻めこんだ。昭陽が魏をやぶり、さらに兵を移動して斉を攻めようとした。斉王はこれを憂慮して、たまたま秦の使者として来朝していた陳軫(ちんしん)という遊説の士に相談した。「ご心配には及びません。私がまいって、楚に戦いをやめさせましょう。」陳軫は、ただちに楚軍におもむいて、陣中で昭陽と会見していった。「楚の法についてお尋ねします。敵軍を破り敵将を殺したものには、どのような恩賞があたえられますか?」「上柱国(じょうちゅうこく)に任命され、上級の爵位の珪(玉)を賜ります」「上柱国以上の高位・高官がありますか?」「令尹です」「いま、あなたはすでに令尹です。つまり楚の最高の官位におられます。そのあなたが斉を征伐したところで、いたし方ないではありませんか。たとえ話を申し上げましょう。」ある人が、下僕たちに大杯にいっぱいの酒をあたえましたところ、下僕たちがいいました。「数人でこれを飲んだら、たらふくは飲めない。地面に蛇の絵を画いて、一番先に出来上がったものが、一人で飲むことにしようではないか」「よかろう」ということで、いっせいに画き始めましたが、やがてひとりが「俺の蛇が一番先にかけた」といって、酒の杯を挙げて立ち、「足だってかけるぞ」と画きたしました。足を画きおわったところで、二番目に蛇をかきあげた男が、その酒杯を奪って飲み、「蛇に足なんかあるものか。おまえは今、足を画いた。これは蛇ではないぞ」と申したということです。すでにあなたは楚の大臣です。そして魏を攻めて、魏軍を破り、その将軍を殺しました。これ以上の功績はありません。最高官位の上には、もはや加えるべき官位はないのです。それなのに、あなたは、また兵を動かして斉を攻撃しようとしておられます。また勝利を収められましても、あなたの官爵は、現在以上にはなりません。もし、敗れたならば、身は死し、官爵は、奪われ、楚でとやかく謗(そし)られることでしょう。これでは、蛇を画いて、足まで画くようなものです。戦いをやめて、斉に恩恵を施されたほうがよろしいでしょう。そうすることが、得る事が出来るものを十分得て、しかも、失う事のない術というものです。昭陽は、なるほどとうなずいて、兵を収めて去ったという。『蛇足を画く』という言葉は、この話に由来します。陳軫(ちんしん)の説得術がすばらしかった事もありますが、昭陽の側にも、『果たして已(や)む。』のが善なる道であるという認識があってのことでしょう。『ポーカーに勝って馬を取っても、鞍は返してやるものだ!』アメリカの諺
2009年10月02日
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心の声を聴こう耳で聞くより心で聴こう!無聴之以耳、而聴之以心 【荘子・人間世(じんかんせい)篇】これを聴くに耳を以(も)ってするなくして、これを聴くに心を以ってす。心で見た双葉山第三十五代横綱双葉山定次は、均整のとれた体と部類の強さを発揮してファンの心を捉えた名横綱と言えるでしょう。本場所での通算69連勝、優勝12回、全勝8回などを記録。年2場所の時代の力士であるがその数々の大記録は未だに破られていないものも多い。しかし立浪部屋へ入門した当初はこれといって目立ったところがない、ごく平凡な力士だった。彼がにわかに強くなったのは昭和十一年五月、関脇に昇進してからだった。蓄膿症の手術をした後、体重も増え、また血のにじむような稽古を積み重ねた結果だった。また、彼には人に言えない秘密があったのだ。子供の頃、吹き矢で遊んでいて、友達の矢が右目にあたり、ほとんど失明状態だったというのだ。このハンディキャップを人知れぬ苦労をして、乗り越え引退後に公言するまで、誰にも悟らせなかったのだ。子供のころに負ったハンディを克服するために、彼は考えに考え抜いた。「そうだ、見えなかったら心の目でみればいいんだ!」そして彼は相手の動きを目でみずに、心で観る修練を重ねたのであった。「私は勝負に際して、目に頼らぬように心掛け、右眼の影響が、自分の相撲にあらわれないように工夫した。身体で相手の動きを感じとり、身体であいてのすきをつかむようにした。それゆえに人一倍努力してきたつもりだ。こういう心がけと努力は、結果的にきわめて有益だった。目でみず、身体で見、身体で見ず、心で見るというぐあいで、私の相撲の技術を熟させてくれた。つまり、逆説的な表現すれば、右眼が悪かったから、私の相撲が強くなれたといえそうである。」双葉山は、あいてが突っかけてくれば、いつでも受けて立ったといわれているが、それにはそれだけの精神集中と虚心さがなければならない。かれはそれを、「こころで見る修練」で体得したのである。まさに荘子が言う如く、「これを聴くに心を以って」行なった結果だといえるだろう。また有名な話として、こんなことがありました。双葉山は、稽古場に「木鶏」と大書きした額を掲げていた。中国に闘鶏を訓練する名人がいた。この名人が訓練すれば、闘鶏は小さなことに動じなくなり、まるで木彫りの鶏のようになる。これは内に気が充満していることを示し、他の鶏はその姿を見ただけで逃げだしたという。双葉山もその「木鶏」にならんと精進していたのであった。連勝記録が69で止まった時に、友人宛に電報を打ったという。『ワレイマダ、モッケイ タリエズ』
2009年09月29日
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って思っているんですけど・・・なにか?私はよく硬い表情をしているらしい。こんな私が言うと変に聞こえるかもしれません。でも毎日笑って過したいと思っています。硬い(=暗い?)表情をしている人は笑えない人?いいえ、時々笑いますし、常に人を笑わそうと思っています。私の表情が硬いときは、たぶん何かに囚われているときなのです。なにか「言葉」とか、その意味について考えていたりして、自分で理解できなかったり、なぜだろうと自問自答している時なのでしょう。そういう時は、心がリラックスしていなくて、心が硬くなっているので、笑える状況でも反応できないかもしれません。笑う為の準備として、ちからを抜いたリラックスした状態が必要のようです私が嫌いな人は。シニカルな笑いをする人です。シニカル (cynical) 皮肉な態度をとるさま。冷笑的。嘲笑(ちょうしょう)的。シニック。「―な表現」「・・・・・なに、それっ?」って冷たい態度をとる人です。まあ世の中には、こういう人を好きな方もおられるでしょうし、そういう態度が御自分でよいと思われているのでしょうから、御自由にと言うところでしょう。されはさておき、笑いの効能についてです。笑う為には、リラックスしておく必要があります。そのためには、健康であるという事も条件になるかもしれません。『健康』というと、たいがいのひとは肉体のことだと思っているかもしれません。しかし、そうではありません。『健』が肉体で、『康』は心なのです。身体が健やかで、心が康(やす)らかなことを健康と呼ぶのだそうです。実際、こころがプラス思考で康(やす)らかなとき、その心は、身体を健やかにする上で大きな影響力を発揮するのです。話題になった『脳内革命』の著者、春山茂雄氏は脳内物質を引用してこうのべています。プラスの考え方をすれば、脳の中にβエンドルフィンというホルモンが分泌される。それは、人の気分をよくするだけでなく、老化を防止し、自然治癒力を高めるという薬理効果があるという。脳内モルヒネと呼ばれるβエンドルフィンをどんどん出すようにすると、病にならないですむというものです。このホルモンは、明るく楽しくしていると分泌されてくる。だからこそプラス思考が大事なのです。では逆にマイナス思考したら、どうなるか?「人間は怒ったり強いストレスを感じると、脳からノルアドレナリンという物質が分泌される。この物質はホルモンの一種なのだが、どういうわけかものすごい毒性を持っている。自然界にある毒物では、毒蛇につぐ、強い毒性を持っているといわれている」「分泌量はごく微量だが、いつも怒ったり強いストレスを感じていると、この毒のせいで病気になったり、老化がすすんで、早死にするという事です。」いきていたら、嬉しい事や悲しい事が、あざなえる縄の如く、つぎつぎにやってきます。しかし、考え方・とらえ方は、『人間万事、塞翁が馬』でなければなりません。ようするに、自分の都合のいいほうに解釈していいんです。誰かのお宅を訪問したら、ショートケーキを出された。「ダイエット中なのに、太ってしまう!」とか「血糖値が上がるから、医者に甘いものは控えるように言われているのに」なんて考えたらいけないのです。ケーキを一個ぐらい食べても、大勢に影響は、ありません。「おいしい」と単純に喜んで食べるか、「身体にわるいけど、食べなかったら相手の方に悪いかな?」なんて考えながら食べるかが、運命の分かれ道になると言ったら大げさでしょうか?いやな奴に、いやみを言われたら、「またアイツに不愉快にさせられた」と思うか、「人生の反面教師が身近にいてくれるお陰で、人生勉強できてありがたい」と考えるかです。プラス思考のひとは、こういう場合には、心の中で微笑んでいるのです。また不愉快だと思う人に、ひとつ呪文を教えましょう。『おんニコニコ、腹立てまいぞよ、そわか』と何度もこころのなかで、唱えてください。とにかく、こころを喜ばせることが重要になります。笑えるから、こころも嬉しくなるし、嬉しくなくても、無理やり笑えば、だんだん楽しくなっていくものです。実際の臨床報告でも、笑いの効果について書かれているようです。高血圧、脳卒中、動脈硬化、心臓病、ガンなどの生活習慣病だけでなく、ボケ、うつ、風邪、肺炎にいたるまで笑いが良い効果を上げるといわれています。笑いには、脳細胞に新鮮な血液を送り、脳卒中を予防する効果があるといわれています。事実、笑いは脳、特に左脳の血液量を増加させる事や、脳の中でも記憶や感情つかさどる脳深部の働きを刺激するという事です。また、ほほえみは抗酸化作用をもつホルモンであるメラトニンの、脳内での分泌を促し、動脈硬化の予防が期待されています。さらに笑いは、ノルアドレナリンの分泌を減少させることにより、高血圧や心臓病の危険因子を減らす事になるそうです。ここで興味深い事があり、笑いは自然な大笑いやほほえみのほかに、つくり笑いや思い出し笑いでも効果があるということです。アメリカの実験で、日頃からユーモアで人を笑わせている人は、他の人にくらべて、唾液中の風邪予防の免疫物質イムノグロブリンAが多いというのです。笑う人だけでなく、笑わせる人にまで身体に良い影響があるということだそうです。こうなったら、「もう笑うしかない」MOOSEの会社での一コマ女性社員「・・・さぶぅ~」MOOSE「暑いので、エアコン入れていいですか?といったのは君じゃないのか?」女性社員「あなたのギャグのことです」MOOSE「・・・・・沈黙」こうやって日夜、会社のコミュニケーションを良くしようと活動中です
2009年09月26日
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はじめようと言うと、何を?と聞かれそうです。物事の始まるときは、ほんの小さなことがきっかけになる事があります。職場の人間関係が円滑でなく、暗い雰囲気が漂っていた会社がありました。しかし、ある事がきっかけで、明るくなったそうです。それは「挨拶」だそうです。ある社員が大きな声で「おはよう」という挨拶を始めたからなのです。この会社では、それまで誰一人として挨拶らしい挨拶を交わしてなかったのです。やがてみんなが「おはよう」と声を掛け合うようになり、それにつれて、それまでギスギスしていた雰囲気が明るいものに変わっていったそうです。生きていくうえでの原理・原則というものは案外に平凡で常識的であることが多い。道は爾(ちか)きに在り、而(しか)るにこれを遠きに求む『 道在爾、而求諸遠 』 孟子孟子がいうように、人間の踏むべき「道」はどこか高遠なところにあるように見えて、実は日常の身近なところにあるのです。ところが人は、この「道」をわざわざ高遠なところに求めようとする。ことさらに難しいことをありがたがったり、常識的なことを無視して枝葉末節に走ったりして、結局は実行できないまま終わるのです。誰にでも実行できてしかも大事な事は、たとえば朝に「おはよう」と声をかけるだけでいいのです。そう、こんなごく平凡で些細な事が、よいほうに変化していく第一歩となるのです。あなたは、大きな声で挨拶できていますか?
2009年09月24日
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その薬?をいくら使っても副作用はありません。しいて挙げれば、アゴがだるくなるかもしれません!そうです、『笑う事』なのです。日本の諺では『笑う門には福来る』と言い、西洋では『笑いは副作用のない最良の薬』と言われています。笑う事が人々の健康にいい影響をあたえるだけでなく、病気の治療にも役立つ事は、医療の現場でもかなり前から言われています。たとえば、加療中のガン患者に喜劇や落語などを観賞してもらったところ、自然免疫の中心的役割をはたすNK細胞の活性が上昇したとか、アトピー性皮膚炎の患者に漫才のビデオを続けて見てもらったところ、症状に改善が見られたなど、非常に多くの臨床報告があります。笑いの自然治癒力にあたえる効果について、生理学的な見地から最初に注目したのは、アメリカのジャーナリスト、ノーマン・カズンズ氏の闘病記です。彼はコロンビア大学を卒業後、ニューヨークタイムズの記者などを経て、雑誌「サタデー・レビュー」の編集長を30年もつとめた名高いジャーナリストですが、1964年、50歳のときに、外国旅行から帰国した直後、突然、膠原病(こうげんびょう)という難病に襲われます。膠原病にもいくつかの種類があって、カズンズ氏のケースは強直性脊髄炎(きょうちょくせいせきずいえん)でした。発熱、全身の激しい痛み、硬直化、手足も動かせなくなって、やがて脊髄が変形してきます。この病気はいまだ原因がはっきりと解明されておらず、したがって、決定的な治療法も確立していません。彼は医師から、全快のチャンスは五百分の一と言われたとのことでした。そのときにカズンズ氏は、「医師に見放されて、もうダメだ」と思うのでなく、こう考えたといいます。「なにもかも、医師にまかせっきりにしていたのではダメだ。自分でも、なんとかしなくては・・・・・」そこで彼はいろいろ考えた末に、病院で投与されている薬をすべてやめて、人生の明るい面だけを考えるようにしようとの結論に達します。そして、気持ちを明るく保つ方法として、笑いを取り入れたのです。病室にユーモアあふれるコミック、映画やテレビ番組のビデオなどを大量にもちこみ、それを見ては意識的に大声で笑うようにしたのです。十分間、腹を抱えて笑うと、少なくとも二時間は痛みを感じないで眠ることができ、そして、笑う前後の血沈測定などの検査によって、明らかな効果を確認します。笑いだけでなく、おもに疲弊した副腎皮質への対応としてビタミンCの服用も併用していますが、それを続けていたところ、当初はほとんど助からないだろうと言われていたのが、なんと二週間後には退院して歩けるようになり、数ヵ月後には職場に復帰する事ができたのです。カズンズ氏はこのときの闘病体験記を十二年後に臨床医学の専門誌「ニューイングランド医学誌」に発表して、「難病を笑い飛ばした男」として大きな反響を呼びました。また、難病克服後はさらに医学への造詣(ぞうけい)を深め、のちにカルフォルニア大学医学部大脳研究所教授をつとめました。(1990年に75歳で死去されました。)彼の著書『笑いと治癒力』は日本でも翻訳出版され、多くの人に生きる力と希望を与えています。笑いと治癒力
2009年09月21日
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古伝空手の発想 ―――― 身体で感じ、「身体脳」で生きる著者 宇城憲治(うしろけんじ) 監修 小林信也「戦わずして勝つ!」600年の伝統の武術空手に、真の生き方を学ぶ題名に誘われ、思わず手にとってしまいました。空手の上達方法というのでなく、古式空手の基本的な考え方が書かれています。頭で考えるのではなく、体が反応する。だから動きが早くなるということ。「見て、感じて反応するのでなく、身体脳で瞬時に反射行動に出る」という事らしい。100度のお湯に手を突っ込んだとします。頭で「熱くない」と考えたとしても、身体が反応して手を瞬時に引き抜くでしょう。これは反射の例ですが、技術的な習熟を伴う反射よりさらに次元が高い身体動作が、身体脳による行動なのです。頭で動く人と身体で動く人がいます。行動を起こす瞬間に、こんな場合にはこうやるべきだが、自分の立場を考えると・・・遅疑逡巡する人はすばやく動けない事になる。しかし速く動ける人は、「感知する能力が高い」「気配りが利いている」ので身体の感覚に敏感で、心で行動するので、すばやい動きができるのです。遅い人間は、自分の中で時間が止まっている。速い人間は、常に周囲にアンテナを張り巡らしているので、素早い行動ができるのです。中国拳法の考え方で、外功と内功という言葉があります。外家拳とか内家拳という言い方もあります。外功は手っ取り早くいえば、身体の外側を鍛える事。拳を巻きわらなどを突いて鍛えたり、たるの中にあずきや砂をいれて、手刀を突き刺して、指先を鍛えたりします。こうやって鍛えた手の事を、鉄砂掌(てっさしょう)と呼ぶ事もあります。反対に、内面を鍛えるのが、内功です。功夫を鍛えるとも言います。呼吸法を極めたり、騎馬立ちの姿勢を、何時間も続けて、身体の内側の筋肉を鍛えぬくのです。宇城師範のやり方も内面を鍛えるのもです。宇城師範は、心道流空手道師範・全日本剣道連盟居合道教師7段で武道の真髄を極めた方のようです。600年の武道の真髄を他のスポーツにも生かそうと、色々な大学のラグビー部や野球部で指導にあたっておられます。宇城師範の教え方の中で、少し珍しい方法があります。「身体のライトを照らす」という言葉です。「胸の真ん中に、丸い水晶のような【身体ライト】があり、ここから360度、どの方向にもパーッと光を照らす事ができます」宇城師範がいうには、この胸のライトを照らすだけで、様々な局面で自分の身体を活性化させ、次元の違う成果を上げる事ができるというものです。宇城師範の教え方では、習うより慣れろ、身体で覚えよということで種明かししていません。素人に分からせる為に、簡単な説明をしたり、言葉を易しくすることは間違っているという事を貫かれておられます。未熟者のMOOSEが安易に解釈したとすると、行動を起こすときに、気配を感じたり気を配るということなのかな~なんて考えてしまいます。身体の内面を生かすということが目的になっているようです。「力をいれずに、力をだす」という武道の極意が随所に散りばめられている本でした。『苦労しないで、極意会得』 MOOSE拳子『Nopain-Nogain 苦労なければ利得なし』古伝空手の発想
2009年09月17日
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我慢、我慢。けんかはするな。小忍(しょうしの)ばざれば則(すなわ)ち大謀(たいぼう)を乱(みだ)る。小不忍則乱大謀 (論語)些細な事に、いちいち関わりあっていてはいけない。大事の前の小事、小さい我慢ができなければ、大きな目標を達成することが出来ない。このことを著しているのが韓信の故事である。韓信は漢の高祖劉邦に仕えた将軍です。しかし若い頃は仕事もしないで、ブラブラしていた。ある日、日頃から韓信をバカにしていた与太者が因縁をつけ「格好ばかりは一人前だが、肝っ玉のほうはからきしだろう」とからんできた。見物人が集まってくると、与太者はますます調子に乗って、「度胸があるなら俺を刺してみろ。それが怖けりゃおれの股をくぐれ」といった。韓信は、黙って与太者の股をくぐった。彼には大きな志があって、その志の前に「ならぬ堪忍するが堪忍」と辛抱したというのだった。人生においては、腹立たしい事がつぎつぎに起こる。しかし、いちいち関わっていたら肝心の目標を達成できない。また大きな目標があれば、そうした些事に一喜一憂する事もないだろう。人間の大きさによっては、「股くぐり」ぐらい少しも気にならないかもしれない。「けんかをしない」ということは処世術において重要な事です。日本にも、こんな方がいます。戦国時代の末期、九州博多の豪商のなかに、島井宗室という大物がいた。朝鮮・明との貿易で莫大な財をきずき、信長・秀吉とも対等に付き合いして、なまじっかの大名衆をもしのぐ力があったという事です。その彼が、死に臨んで子孫に伝えた十七ヵ条の遺言が残っている。「いずれにしても、しぜん寄り合いのとき、いささか口論出来そうらわば、初めよりやがて立ち退き、早々帰り侯え。けんかなどそのほか何たる事むつかしき所へ出でまじく侯。たとい人の無躰を言いかけ、少々恥辱になり候とも、しらぬ躰にて、少しの返事にも及び候わで、とりあい候まじく候」恥をかいても、けんかをするな。だまって席を立てと書いている。豪気な宗室でさえ、この言葉なのだが、以外に思われるかも知れませんが、乱世を生き抜くには、これくらい慎重な処世が必要なのだ。「喧嘩をしなければ、勝ちもなければ、負けもなし」 無手勝流 MOOSE卜伝
2009年09月13日
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軍備あれば、憂いなし?兵は固(もと)より天下の狂器(きょうき)なり。『兵固天下之狂器也』 戦国策軍備というものは、持っていると増やしたくなるし、使いたくもなる。そのあげく、敵をあやめるばかりか、自分も傷つけてしまう。では必要ないかといえば、そうではない。自分を守るためにはなくてはならぬ物である。「兵は狂器」という言葉は、言い回しの違いこそあれ、多くの古典に登場しています。これもそのひとつで、軍備というものは必要悪だというものです。ある説客が、趙の国王にむかってこの言葉を口にして、「しかしながら・・・・」と、こう語りかけた。「ここに数え切れないほどの大金を身につけた男が、野宿しているとします。この男に、昔の勇士のような勇気がないばかりか、身を守る弓矢もなかったとしたらどうでしょう。たちまち盗賊に襲われるにちがいありません。同様に、いま、隣が貪欲な強国で、あなたに領土の分割を要求してきたとします。こんなとき、軍備がなかったら侵略を防ぐ事ができるでしょうか?たぶん、隣国のいうなりになるほかありますまい」趙王も「なるほど」とうなずいたといわれる。昔ばなしある日、街で友達と飲んでいました。彼女に電話をかける用事を思い出し、店を出て公衆電話を探した。携帯電話がないところを見ると、随分古い話のようです。公衆電話で話していると後ろから声が聞こえた。男「はよ~かわれ~(巻き舌風)」私は振り向きながら「なんじゃコラ~」その男の姿が視界に入った。「・・・・・・(無言)」頭に毛は一本も生えてなく、テカテカと剃り跡青々として、白のスーツが決まっている100キロぐらい目方がありそうな大男の方が立っていた。「ち、ちょっと、まってすぐ終わるから」私はそういって、電話口の彼女に気取られないように、早々に話を終えた。振り向かず、電話BOXを離れながら「なにか言わんと気分が悪いな~」と思いながら振り向いた。何か捨て台詞でも吐いてやろうかとしたら、その方と目が合った。「・・・・・」私は静かに・・・目をふせた「ふっふっふっ、今日のところは、これぐらいにしといたるわぁ~」って具合のいけのめだか師匠のようにはいきませんでした「君子危うきから、黙って退く」 負け犬MOOSE
2009年09月07日
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まず徳があり、国民に利益をあたえる。聖人の治(ち)は民に蔵(ぞう)して府庫(ふこ)に蔵(ぞう)せず。『聖人之蔵於民府蔵於府庫』 韓非子聖人とは、徳の高い人を指し、府庫とは財物・文書などを入れておく蔵。ここでは自分の財布のこと。徳の高い人は民、つまり社会に還元し、自分の私利私欲を追求するものではない、という考え方です。国の財政が苦しくなれば、政府は二つの手段を講じる。一つ目は、無駄な支出を削る。二つ目は、国民からの税金を多く取るようにする。ジパング国も、いつの間にやら消費税なるものが生み出され、消費額のはや5%もの上納金を取られる事になっています。消費税は12%にしないと国家経営が破綻するといわれている。江戸時代でも、改革者である藩主は質素倹約と地場産業推進を図りました。質素倹約令は、故意済元首相の「国民も痛みを感じなければならない」発言とは別物です。国会議員の定数も多すぎるし、給料も適当とも思われません。凡庸な将軍様は、悪辣な老中に好き勝手な事をやらせていて、それに気づかない。「越前屋、おぬしも悪よのう・・・」といって賄賂を袖の下にいれて猫糞する家臣。密室政治、既得権益死守、権利の永久相続・・・・・正しい政治が行なわれず、国民を騙し続けた自民党政治。ついにその終焉が来てしまった。民主党にとっても正念場でしょう。予想外にはやく順番がまわって来てしまい、準備不足でてんてこ舞いでしょう。出だしを誤ると、参院選挙で負けることになり、ねじれ現象に陥ってしまう。そうなれば、つぎの衆院選挙で再逆転もありうるでしょう。国民もシビアな目で政治をチェックするべきです。国政だけでなく、身近な地域においてもアンテナを張り巡らせなければならない。しかし民主党は、初めて政権を取るわけです。やさしさ、おおらかさで見守りましょう。重要なのは方向性です。小さなミスを論うのでなく、どこに向かっているのかが大事なのです。巨大船ジパング丸の船長を、まず信じてみましょう。最後に話がそれます。日米同盟に反対の人がいます。自国の軍備増強に反対の人がいます。黄金の国ジパング大和民族の誇りは、誰が守ってくれるのか?戦争はすべきでない! ○正解戦争を仕掛けなければ、戦争は起こらない?△不明武器を持っていなければ、戦争は仕掛けられない?△不明盾をもっていたら戦争を仕掛けられない?△不明盾をもっていたら戦争を仕掛けられても我が身を守れる?△不明盾という正義・正論があれば、戦争はおこらない?△不明アメリカという盾があれば、戦争を仕掛けられても守ってくれる?△不明『遠水は、近火を救わず』遠いところの水では、自分の家の火事にまにあわない。・・・・ということか?きれいごとを言うつもりはありません。矛を持たなければならないだけです。『鋭利な矛を持った者を、安易に襲う愚か者はいない』 MOOSE中道右派経済活動もいうなれば戦争です。CIAは、冷戦後は経済戦争がアメリカに有利になるように画策しています。ジパングには情報組織ってあるの?サブプライム問題もアメリカが仕掛けたもの。悪意があったかどうかは問題ではない。この世の中で起こった事は、すべて結果が重要なのです。戦争は利益追求の手段である。思想・宗教・金・価値観?世の中の価値観で、利益という言葉があまり重要でなくなる日が来ないと戦争は終わらない。 戦争なんて起こりっこないって思える人の無神経さが我慢ならない
2009年09月05日
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役に立つ、為になる友を持とう。己に如(し)かざる者を友とするなかれ『無友不如己者』 孔子人間が成長していく過程で、友人から受ける影響は、はかりしれない。できうるなら、自分より優れた人と付き合ったほうが、自分の成長にプラスに働くだろう。だから、自分より劣った者を友とするな、と孔子は言っているのです。そして孔子は、『益者三友、損者三友』とも言っている。友人には、つき合って為になるためになる友は三人、為にならない友は三人あるのだそうです。ためになる友人というのは、【1】剛直な人【2】誠実な人【3】教養のある人であり、それに対して、ためにならない人とは、【1】易きにつく人【2】人当たりばかり良い人【3】口先だけ上手い人となるそうです。南北朝時代の顔之推(がんしすい)という人は『顔氏家訓』のなかでこう言っている。『香りの高い花を生けた部屋に住みなれた人は、いつのまにかその芳香が身についているものだ。これと同じで、優れた友をもてば、長い間には自分もまた香気をはなつ人物となる。だから友人との交際に関してはくれぐれも慎重でありたい』若人にささげるアドバイスじゃな~って思います。MOOSEもかなり前の事ですがなにやら、口やかましい感じで、小学生の子供に「友達は、○○○な人を選ばんといけんよ」っていう場面をテレビで見たのか? はたまたどこぞの家庭の中の出来事なのか・・・・・見聞きしたような気が・・・・・MOOSEの考えでは、子供の友達が親の基準に合っているかより、どんな友達でも子供にとっては、学びの機会だと思うのだが・・・・・賢明なみなさんはどのようにお考えなのであろうか?
2009年09月03日
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『功詐(こうさ)は拙誠(せっせい)に如(し)かず。』『功詐不如拙誠』 韓非子「功詐(こうさ)」とは、巧みに表面をとりつくろうようなやり方のこと。一時的にはすばらしい策のように思えても、長い時間が経つとかえって周囲の反発をまねく事がある。これに対して、「拙誠(せっせい)」とは、つたなくても心のこもったやり方のことで、愚直かもしれないが、のちには多くの人の心をつかむ事ができる。つまり、巧みに人を騙すような言葉よりも、たとえつたなくても誠実に対応していくほうが、長い目で見るとはるかに優っているというのである。現代社会では、弁舌鮮やかに、雄弁に語ることがすばらしいと思われるかもしれない。はたして、その功詐がもてはやされていることは正しい事だろうか?人間関係の基本は、今も昔も変っていないだろう。「功詐」を好むひとは、一時的に人の目をごまかして、うまく立ち回るだろう。その場しのぎのことをやり、利益もそこそこ出すかもしれない。しかし長い間には、ついにはボロをだし、人々から信頼されなくなり、大きな利益を出す事ができなくなるであろう。それに対して、「拙誠」の人は、すぐには人の心をつかむ事ができないかもしれない。現代では、「木偶の坊呼ばわり」されるかもしれない。しかし、コツコツと目標に向かっていく姿は、時を経てじわじわと人々につたわり、いつかは人望を得て支持を集めることができるであろう。ジパング国の選挙が終わりました。民衆党が人民党に勝ったようです。総裁になるのは、HATOYAMA氏だそうですね。さてこの御仁は、はたして「功詐」のひとか?「拙誠」のひとか?結果はすぐに明らかになるでしょう
2009年08月31日
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の冒頭のシーンだったかな?ブルース・リーは武道大会が開催される島に渡るために舟に乗っていました。そこで、腕自慢の拳法家がブルースにケンカを売って来ました。ブルースは「ここでは他の客の迷惑になる。舟につないである子舟に乗って、あそこに見える島に行って決闘をしよう」と言いました。血気はやる拳法家は、真っ先に舟に乗り「はやく乗って来い」と催促しました。ブルースは、ニヤリと笑い小舟をつないでいるロープを静かにといたのです。まさに『戦わずして勝つ』ということです。「燃えよドラゴン」のこの話は、剣の達人、塚原卜伝のエピソードからヒントを貰ったのだと思っていました。しかし、さすが中国3000年の歴史ある国のことです。どうやら三国志のなかに、答えがあるようです。『智は禍(わざわい)を免(まぬ)かるるを貴(たっと)ぶ』『智貴免禍』燃えよドラゴンのブルース・リーもケンカしたとしても、0.3秒で相手を倒したでしょう。しかし、まわりの人に迷惑をかけない事を考えて処置したのです。『智』とは本来、このようなことを指すのです。智の重要な働きは禍を免れることにある。話がもつれると、だんだん大きくなり、簡単に収まらなくなります。火事は、大火になるまえのボヤで消し止める。いいえ、未然に防ぐのです。『問題が起きる前に』『一発で相手を倒したほうが、格好がいい?』しかし、智を備える君子・達人は地味なのです。ヒーローはボロボロになるまで耐えるのです。最後の最後に、大逆転させるのです。MOOSEは、最後に、弱い相手から、『逆転パンチ』いつもコブだらけの、ロックンローラー~~♪
2009年08月28日
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良寛さんの逸話 良寛さんが渡し船にのって川を渡っているとき、川の真ん中で船頭がいたずら心を起こし、舟をグラグラとゆらしました。良寛さんは、いつでも、どんなときでも「けっこう、けっこう」とニコニコして決して怒ることはありません。そこで、船頭はわざとひどいことをして、怒らせてやろうとしました。船頭が舟をゆらせたせいで、良寛さんはバランスを失い、川に落ちてしまいました。ずぶ濡れどころか、良寛さんは泳げなくて、たちまち溺れてしまいました。 そのままでは死んでしまいそうなので、船頭もあわてて、船にひっぱりあげました。もとは船頭にわざと落とされたのですから、いくらお人よしの良寛さんでも「おまえ、ひどいじゃないか!」くらいな事を言ってもよさそうなものです。ところが、良寛さんは、あたまをペコペコさせて、「いや~ありがとう、ありがとう。まったくあなたが助けてくれなければ死ぬところでした。あなたは命の恩人じゃ」これには、船頭もあきれはててしまいました。いずにしても、川に落とした張本人にむかって、恩人とお礼を言う良寛さんの態度はどう解釈したらよいのでしょう。『大賢は愚(ぐ)なるがごとし』――――非常に賢い人は、一見、愚かな人のように見えるという意味です。または『大愚は大賢に通ず』とも言うようです。ほんとうに器の大きい人は、愚か者のように見えることがあるのです。大愚とは、プラス思考の極致といえるでしょう。良寛さんが、いくらぼんやりしているかといって、船頭にわざと落とされた事はわかるはずです。ふつうの人なら激怒するでしょう。良寛さんは、船頭さんの良いところだけ見て、命の恩人だといって感謝したのです。大愚は禅で言う悟りの境地にもにて、凡人には真似する事はできません。プラス思考をつきつめていけば、その境地に近づけるかもしれません。失敗を恐れることなく、馬鹿の一念を突き通してみるのはいかがでしょう?そうすれば、成功の美酒を飲む事ができるかもしれません。本物の馬鹿になってはいけませんよ。秦の始皇帝の二世の胡亥(こがい)のごとく、鹿をみせられて、馬といわれ、「馬かな~鹿かな~」といってる間に、国は滅んでしまうのであった。極悪な宦官が敵対者を見つけるために、おろかな皇帝をつかって、粛清を実行したのです。馬鹿の由来になった話よりMOOSEの場合は、大愚有改善
2009年08月25日
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無為にして化す支配者が人為を用いなければ、特別なことは何もしなくても、人民は自然に教化されて天下もよく治まる。 為政者に徳が高いときに用いる言葉。「老子」57章からの出典 『正を以って国を治め 奇を以って兵を用い 無事を以って天下を取る 吾何を以って其の然るを知るや 此れを以ってなり 天下に忌諱(きい)多くして 民いよいよ貧し 民に利器多くして 国家ますますくらし 人に技巧多くして 奇物ますます起こる 法令ますますあきらかにして 盗賊有ること多し 故に聖人云う 我無為にして民おのずから化す 我静を好みて民おのずから正し 我無事にして民おのずから富む 我無欲にして民おのずから樸なり』 静けさによって国を指導せよ。 めずらしい作戦で戦争を行え。 何もしないで天下を勝ち取れ。どうしてそれがわかるかといえば、 拘束と制限が多くなればなるほど、人々はますます貧しくなる。 人々が武器を多くもてばもつほど、国はますます混乱する。 こざかしいぺてん師が多くなればなるほど、奇妙なものはますます生じる。 法令と命令の押しつけが厳しくなればなるほど、盗賊と悪漢はますます多くなる。だから、賢人はいう。 「私は行動しない。 そうすると、人々はおのずから教化される。 静寂にしていると、人々はおのずから落ち着いてくる。 何も干渉しなければ、人々はおのずから富み栄える。 私が欲望をなくしておれば、人々はおのずから本来の簡潔さに戻る。」聖人=為政者のことで、何もしないでいれば、良い方向にむかって、よくなるということ。化すとは、変化する事です。老子はまた次のように言っている『道は常無為にして、しかも為さざることなし』(老子37章)「道」とは宇宙万物を支配し、それをつらぬく原理、自然の理法。「常」とは永遠という事。この場合の「無為」は為政者の政治的手段としての「無為」でなく、道の状態をさしている。さらに「国を治める人が、道を守れば、万物おのずから化せんとす」と述べている。君主に自然の理法にのっとることをすすめています。次の政権は、人民党か民衆党かわかりません。党首になる人に言いたい。役に立たない法律は、つくるな! またしても、無為無能を晒すだけです。 MOOSE老子
2009年08月23日
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「有無相い生ず」(老子第二章) 『 天下、みな美の美たるを知ればこれ悪なるのみ、 みな善の善たるを知ればこれ不善のみ。 ゆえに、有無相い生じ、難易は相い成し、長短は相い較し 』◆美しいと感じるのは、美しくないものを認識しているから美しさが分かるという事。◆善を知るのも、不善を認識してこそ、善たる道を気づかせてくれるもの。◆有は無があることによって存在し、難は易により、長は短によって存在を認識する事ができる。この世の中のもの全ては対比する関係においてのみ存在する事を確認する事ができる。存在は全て相対的であり、あらゆる価値もまた相対的なものであると言えるであろう。この考え方は、老子の考え方の基本を成すものであり、また宇宙構成の原理原則ともいえるのである。生きる事は、「無から有が生まれて、無にかえること?」無の状態から、意思を持ち、有の状態、動になる動はやがて勢いを失い、無の状態、静になる。生きるという事は、空をめがけて、力いっぱいボールを投げ上げるようなもの? 高く、高く、高くあがれと・・・・・ ボールに願いをこめて・・・・・ 力いっぱい投げ上げる・・・・・ やがて、勢いを失い、静止状態になる! ・・・・・・静かに、静かに ・・・・・落ちてくるあなたが、誰かにむかって投げつける「言葉」この「言葉」も、あなたに戻ってくるのです。 あなたが、彼女であり 彼女があなたなのです!別な言い方をします。 カール・グスタフ・ユングの説でいうと まず表層意識がある。 次に、深層意識がある。 そのまた奥に、集合的無意識があるのです。この地球生命体に住む生き物は、すべて集合的無意識でつながっているのです。この世の中の、意識あるものは海にうかぶ、あぶくのような存在である。その海の中の、奥深くの深海層である集合的無意識。しかし、常人では到達不可能な領域なのです。脳波を、アルファ~シータ~ガンマをさげていっても、深層意識である潜在意識までしか到達する事ができない。この世の意識あるものは、ここで結ばれているのである。この地球は、ひとつの宇宙生命体なのである。この世界に住む、意識あるものは、大木の枝葉に過ぎない・・・・・
2009年08月20日
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死去のニュースを見て思った。金大中氏誘拐事件っていつだったか?【用語解説】金大中事件(産経新聞記事) 1973年8月8日、韓国の朴正煕政権を批判し、民主化運動を主導していた野党指導者、金大中氏が東京のホテルグランドパレスで拉致され、5日後にソウルで解放された。現場から韓国中央情報部(KCIA)要員で、在日韓国大使館1等書記官の指紋などが見つかった。警視庁は出頭を求めたが、韓国側は拒否。「主権侵害」との世論が日本で高まる中、韓国政府は1等書記官を免職、政治決着が図られた。韓国政府の「真相究明委員会」は2007年10月、KCIA要員や駐日公使ら27人による組織的犯行で、韓国政府が事件後に真相を隠蔽(いんぺい)しようとしたと認定した。・・・・・2007年って、なんと34年後に真相らしき事が明かされた?金大中氏は誘拐されて、日本海の真ん中で、まさに殺されようとした。しかし、寸前で、金大中氏は助かったのである。事実を知ったアメリカが、止めたのです!・・・・・小説のような、本当にあった怖い話です。この事件の後の日本政府の行動は、どうだったのか・・・・・「眠れる豚」というのが、今の日本の姿なのか?『ザ・スペシャリスト(ある秘密工作員の告白)』ゲイルリバース/著 落合信彦/訳を読みました。SAS(英国特殊部隊)出身の傭兵である、著者の実体験が書かれています。小説のように、面白く、ワクワクする内容でした。小説でなく、実際にあったことなのに、まるで小説のような内容。それは、日常でありえない戦場という、非日常である特別なシーンだからこそ許される?事件の数々。標的を確実に時間通りに葬り去る緻密な計画と、冷徹な実行。プロフェッショナルとは、この小説の主人公のような人を指して言う言葉。しかし、日本にもプロフェッショナルって人、いるよね?小野田元少尉って、まだブラジルにいらっしゃるんでしょうか?陸軍中野学校再建!恥と無駄の超大国・日本
2009年08月19日
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酔うほどに強くなる。これは酔拳(ドランクモンキー)のジャッキーチェンでした。MOOSEは、この映画にソカシ役のユアン・シャオティエンが好きです。なんとも言えない味わいがある。飄々としているところがすこぶる格好が良い。本当は、90歳で天界に帰ったMOOSEのばあちゃんに生き写しと思えるぐらい似ているのです。ユアン・シャオティエンは、ちなみに男ですよMOOSEは飲めば飲むほど眠くなるスリーピーモンキー
2009年08月18日
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実力はどうだったんだろうか?よくある質問コーナーで、ブルース・リーと魔裟斗が戦ったら?というのを見つけたんです。ベストアンサーで、ブルース・リーは俳優なので、当然魔裟斗の勝ちでしょう。という事です。また、落合信彦氏(小説家)の話も引用してあり、ブルース・リーはあまり強くなく「ドラゴンへの道」で、ブルースと共演したチャック・ノリス(全米空手チャンピオン)のほうが断然強いと話していたという記述もあった。私は落合信彦氏のファンであり、氏がアメリカに留学したとき、子供の頃からやっていた空手のおかげで、スーパージャップとして学生生活をエンジョイしたくだりが好きです。チャンピオンファイトという、代戦士を立てて戦う、いわゆるケンカで、大学4年間で40回以上勝ち続けたという事です。氏の日記によると、突発的なケンカを入れると176回やっているということです。アメリカでは力が正義であり、勝った者が正しいという原理原則があるのです。負ければ全て失い、勝ち続ける事によって『スーパージャップ』の称号を手に入れたのです。「アメリカよ!あめりかよ!」に詳しく書かれています。落合氏がブルースと会ったことはどこにも書かれていませんが、もしかしたら会った事があるかもしれません。落合氏の著書のなかで空手の構えを取っている写真を見た事があります。日本古来の型でした。剛柔流か糸東流かと思います。極真空手でない事だけは確かです。落合氏は、アメリカに勉強しに行っている学生であり、合間に空手を教えていただけです。空手を、空手を知らない人に教えていただけ。格闘家では、あくまでありません。その氏を引き合いに出して、空手修行の時に会った事があるとか、大したことがないと言ったというのは、にわかに信じがたい事です。落合信彦氏は、他人の悪口は絶対言わない人だからです。試合をしたりチャンピオンファイトをした相手でもない人のことを言うはずがありません。私の知っているかぎりでは、ブルース・リーは達人の域に達していました。試合のビデオを見た事があるので、そう確信しているのです。評論 格闘技マニアのMOOSE拳士
2009年08月16日
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「さすが」には流石の字を当てますね。これは、次の言葉からきています。『石に漱(くちすす)ぎ流れに枕(まくら)す』 『晋書』(孫楚伝)『世説新語』の中の話です。 晋の初めのころ、孫楚(そうそ)という人物がいた。字(あざな)は子荊(しけい)といい、文才豊かな衆に抜きん出た人物だった。 当時は老荘の学が盛んで、穏逸を求める傾向が強く、世俗の道徳名聞を軽視して老荘の哲理を談ずることが重んぜられていた。孫楚も若い頃に、そういった風潮にあこがれて、山林に隠れ住もうとしていました。当時の宰相(さいしょう)であり友人だった王済(おうせい)に胸中を打ち明けたのです。「私はこれから、石に枕して眠り、川のせせらぎで口を漱(すす)ぐような生活がしたいのです」と言おうとしたところ、「石に口漱ぎ、流れに枕す」といってしまった。王済がこれを聞きとがめて、「流れが枕にできるのかね、石で口なんかすすげるのかね?」といって笑ったのです。すると孫楚は、すかさず答えました。「流れに枕するというのは、きみ、世間のつまらない話を聞いた時に、耳を洗おうとするのだし、石に口漱ぐというのは、歯を磨こうとするのさ」こんな具合に、負け惜しみが強い事を言う言葉として、古来よりもてはやされてきました。「さすが」というのに「流石」があてられるのは、この故事にちなんでいるのでしょう。夏目漱石の号も、たぶんここから来ているのでしょう。 智に働けば角が立つ。 情に棹差せば流される。 意地を通せば窮屈だ。 兎角この世は住みにくい。 夏目漱石
2009年08月10日
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「世界人類が平和でありますように」(May peace prevail on earth)電信柱に張られている、白いプレートに書かれている言葉です。目にしたことがありますか?五井昌久(ごい・まさひさ)氏という日本人が世界に広めようとした言葉なのです。いままで、日本発祥の言葉だとは知りませんでした。人類平和が、教えというものの最初にあって然るべきと考えます。宗教心ということは大事だと思います。だからといって、必ずしも宗教を信じなければならないというものでもない。宗教心があれば、戦争や犯罪がなくならないかといえば、どうでしょうか?宗教心や道徳心があれば、すこしは抑止効果があるかもしれません。戦争の場合は特殊かもしれません。生きるか死ぬか、やるか?やられるか?人間は何の為に生きているのか?生きる為に生きている?種族を残す為に生きている?強い種族だけが生き残れる。弱い種族は、やがて滅びてゆく。自然淘汰されていくのです。でも、次の場合はどうでしょう・・・・・起こりうる重大な結果を知りながら、攻撃命令を下した人。その人の宗教心はどこにあるか?戦争が続いた場合のアメリカ兵の命を助けるという理由?キリスト教を信じている国でない?同じアングロサクソン系でもない?どうせイエロージャップじゃないか!真相はわかりません。理由よりも結果が重大なのです。今日は奇しくも「長崎原爆の日」1945(昭和20)年8月9日午前11時ごろ、長崎市松山町の上空500Mで原爆が炸裂しました。プルトニウム原爆「ファットマン」が、長崎市民7万5千人の命を奪い、約7万5千の人に重軽傷を負わせたのです。広島、長崎の2発の原爆が、一瞬にして21万人の命を奪ったのです。それも非戦闘員の命をです。この長崎に投下された原子爆弾は、世界で最後に使用された原子爆弾になるかもしれない。もしそうなら、未来に少し希望があるかもしれない・・・・・
2009年08月09日
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今日は原爆記念日?記念とは、思い出となるように残しておくことを意味する。今日のこの日を記念日というには、言葉を飾りすぎていないか。「無差別殺人の日」とか「大量殺戮の日」でいいんじゃないか。1945年8月6日に広島へ、8月9日に長崎へ原爆が投下された。死者の数は色々言われていますが、一般的には投下直後とその後の死者数は、広島14万人、長崎7万人とされているようです。2発の原子爆弾で、21万人もの一般市民が殺されたのです。この極悪非道なパイロットは、アメリカでは英雄です。アメリカは新型爆弾を試してみたかったのです。そのために、標的にする為に、京都の空爆をしないで、温存していたのです。京都は文化財が多いので空爆しなかったというのは、後で捏造した事です。実際は、京都投下と日ソ不可侵条約を破って満州へ侵攻したソ連という事を両天秤にかけて日本と早期に和解するにはどうか?という事だけでした。新型爆弾で、どれだけの建物にダメージを与える事が出来るか知りたかった。京都の町並みがちょうどよかったんです。爆撃候補地は、新潟や横浜がありました。長崎は小倉が前日の空爆で煙っていたのと、天候が悪かったので急遽変更されて、原爆が投下されました。何がいいたいのか?この事実を風化させてはいけない!この事実をすりかえてはいけない!この事実を次世代の子供たちに伝えなければいけない!この事実から、教訓を学ばなければいけない!この国は、何も学んでいないのではないか?このままでは、忘れ去られてしまう・・・・・なくなられた方の御冥福をお祈りいたします。
2009年08月05日
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『愚公山を移す』太行山と王屋山は、四方七百里、高さ一万仭(じん)もあって、もとは冀(き)州の南、河陽の北にあった。北山の愚公という人は、年は九十にちかくこの二山に面して住んでいたが、山が北に塞(ふさ)がっていて、往来に不便なのに閉口し、家中のものを呼び集めて、こう相談をもちかけた。「わしは、お前たちとありったけの力を出し合って険しい山を平らにし、予州の南まで一本道を切り開き、また漢水の南まで行けるようにしたいと思うんだが、どうじゃろう」一同はうち揃って賛成の意を表したが、細君だけは疑いの気持ちをもってこう言った。「あなたの力では小さな丘でさえ切り欠くこともできないでしょうに、太行や王屋のような大きな山がどうなるものですか。それに切り取った土や石をどこに置こうというのです。」しかし他の者たちは、「その土や石は渤海の浜、インドのはてにでも投げ捨てるさ!」と大変な意気込みで、とうとう相談がまとまり、愚公は3人の子供や孫を荷担ぎにひきつれ、石を叩き割り、箕(み)やモッコで渤海の浜に運びはじめた。愚公の隣家の京城(けいせい)氏の後家さんには、やっと七つか八つになった男の子があったが、その子も大喜びで助太刀に参加し、一年たってやっと渤海まで一往復をすますというありさまであった。黄河のほとりに住む知叟(ちそう)という人は、それを見て、笑いながら愚公に忠告した。「あんたの馬鹿さ加減も大したものだ。老い先短いあんたのわずかな力では、山の一角さえ切り欠くことはできまいに、こんな大きな山の土や石をどうしようというんだ。」すると北山の愚公は哀れむように嘆息しながらこう答えた。「おまえさんみたいな浅はかな心の持ち主には到底わかるまいな。お前の知恵はあの後家さんの小僧っ子にも及ばんわい。よいかな、たとえ老い先短いわしが死んだとて、子供たちは残るし、子供はまた孫を産み、孫はまたその子供を生み、その子供にまた子供ができ孫ができして、子々孫々とだえる事はあるまいて。ところが山のほうはふえるもんじゃあない。とすれば、いつかはきっと平らになる時がこようはずじゃああるまいか。」知叟(ちそう)もそれを聞いて二の句がつげなかったが、もっと驚いたのが二山の主である蛇神であった。山の切り崩しがいつまでも続けられてはかなわぬというので、その事情を天帝に訴えでたので、天帝は愚公の真心に感心し、力持ちの神である、夸娥(かが)氏の二子に命じ、太行・王屋の二山を背負わせ、一山を朔東(さくとう)の地に、一山を雍南(ようなん)の地に移してやったので、それからというもの、冀(き)州の南、漢水の南には小高い丘さえも存しなくなった。これは『列氏』の「湯問篇」で語られている「愚公山を移す」の寓話である。「勉めてやまざれば大事もかならず成功する」と読み解くのがいいでしょう。愚公が目指すのは、理想論。知叟(ちそう)のいうところが一般常識。どちらが良い、悪いと論じると意見は分かれるかと思います。ジパング国にも、多くの知叟のような、賢者とよばれる知識人や評論家の先生方がいらっしゃいます。他人がしている事を、愚か者呼ばわりしている人です。自分の考えは立証してこそ説得力を持つものではないでしょうか?元禄→享保時代の朱子学者である、室鳩巣【むろのきゅうそう】(1658~1734)、が随筆『駿台雑話』のなかでこの『愚公移山』を引用してこう書き残しています。「およそ天下の事、愚公の心ならば遅くもひとたびは成就すべし。しかるに世に智ありと称するほどの人は、おおかた知叟が心にて、愚公が山を移すようなことを聞いては、その愚を笑うほどに、何事もその功を成就させぬなるべし。しかれば、世のいわゆる愚はかえって智なり、世の智はかえって愚なり」『人間愚直であるべし』 MOOSE老師
2009年08月02日
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思いやりは・・・・・ ・・・・・気づき!のことかな?飢えている人たちに食物をあたえ、侮辱をゆるし、敵を愛する━━━━━それは大きな美徳だ。では、もっとも貧しい乞食 もっとも悪質な犯罪人がすべて自分の中にいることを発見したらどうだろう。自分自身からの親切な施しを自分が必要としている事に気づいたとしたら、そして、愛されるべき敵は自分自身であることがわかったとしたら━━━━━どうだろう?━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Carl Gustav Jung大宇宙は私たちを裁かない・・・流れているのは・・・因果応報の法則のみ。表があって、裏がある 全ては表裏一体である。そのバランスを取る為に・・・・・・我々に大宇宙は、機会と結果を与えてくれるのだ!思いやりとは・・・・・私たちひとりひとりの心のうちにあるもの。それぞれの信念に基づいた行動により最善を尽くしてこそ発見する事ができる。そうしないと、みずからが受け入れる事ができないものだ。
2009年07月30日
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うつ病かな?私は、以前から躁鬱の傾向があるのは気が付いていました。実はここ数日、約一時間でできることが、全然出来ないのです。手をつけても、遅々として前に進まないのです。やる気がでらんのです。(九州の方ゴメンナサイ、学生時代の門司出身の友人の真似をしてしまいました。地元の言葉では、やる気が出んのじゃ~~でした。)それで、気が向かないので、ただひたすらネットサーフィンしているのであった。実は、今週は長期休暇をもらったので家でのんびりしています。計画としては、家の周りの片付けや、週末に遠出しようと思っていました。それが、思いのほか長雨がつづき、予定した事が何も出来ず、週末の計画も少しですが山に登る予定なので土砂崩れのニュースをみるととても億劫になります。それに目的地の週末の天気も、曇りのち雨、降水確率30%なのです。プチ鬱状態???簡単に、知識もないのに判断してはいけません。専門医にかかるべきか?それは、少し様子を見る事に・・・・・。・・・・・ということで前置きが長いのが私の悪い癖です。以下『ガンも生活習慣病も体を温めれば治る 著者 医学博士 石原結實』より引用この本のテーマは、「温熱健康法」です。うつ病は、別名「心の風邪」と呼ばれているようです。うつ病の一般的な症状は、口数が少なく動作ものろくなり、仕事の能率も落ちてくる。早朝に目が覚めて、くよくよ考え事をする。「ガンバッテ」などと言われると自分を責めるので死にたいと考えるようになる、などです。また精神的症状が出るだけでなく、次のような体の不調が出てくる事もあるようです。肩こり、頭痛、不眠、精力低下、食欲不振、胃腸の不快感、動悸、息切れなどです。うつ病が発症するのは、毎年11月~翌年2月頃の寒い時期に一番多いそうです。これを「季節性うつ病」と呼ぶようです。アメリカの精神科医が18年間にわたり4000人の精神病患者を追跡調査してわかった事として、自殺した人の体温が平均よりも低かったという事です。うつ病は、職場のストレスや、失恋などで精神的ストレスを受けて体の血行が悪くなり冷える事で発症する事があるそうです。このことからも体を冷やさない事は、重要な事のようです。人間は自律神経のバランスを上手く取って生きている。自律神経には、交感神経や副交感神経があり、相反する性質を持っている。交感神経の働きは、血圧の上昇、呼吸・鼓動を速める、胃腸の働きを弱めるなどです。副交感神経の働きは、血圧の下降、呼吸・鼓動を遅くする、胃腸の働きを活発にするなどです。ここで問題なのがストレスなのです。ストレスは交感神経の働きを活発にします。どうなるかというと、アドレナリンの分泌を促し血管が収縮して血圧が上がり、副腎皮質からの分泌物のよって白血球の働きが弱くなり免疫力が低下するのです。逆に、プラス思考の人や感謝の念を感じて生きている人は、副交感神経が優位になるようです。そうすると、脳からβエンドルフィンが多く分泌され、血行がよくなり、体温が温まり、白血球の働きも促進される。その結果、体内の老廃物も処理・解毒されやすくなり、免疫力も高くなるのです。しかし、大事なのはバランスなのです。交感神経が常に緊張状態であれば、高血圧や胃潰瘍、ガンなどにかかりやすいようです。逆に副交感神経優位であれば、うつ病やアレルギーにかかりやすいという事です。人間の営みとしては、昼は交感神経優位、夜は副交感神経優位に働かせるのが正しいようです。【自律神経の整え方】【1】朝起きたら太陽の光を浴びて、体内時計をリセットする。眠っているときの副交感神経優位から交感神経優位へスイッチする。一日30分以上太陽光に浴びると、精神を安定させる脳内ホルモン「セロトニン」がふえ、うつ病になりにくくなることがわかっている。【2】寝る前に風呂に入る。 寝る前に、ぬるめの湯につかり、昼間の興奮で交感神経優位になっている身体を。副交感神経に切り替える。【3】食べ過ぎない。 食べ過ぎると、食物を胃腸で消化するので副交感神経優位になり、ぼーっとして眠たくなる。【4】よく体を動かす。運動中に脳内麻薬と呼ばれる「βエンドルフィン」が分泌される事がある。これが分泌されると、気持が良くなるだけでなく、交感神経の緊張をほぐして副交感神経の働きを助け、病気の治癒をたすける。【5】腹式呼吸を行なう。呼吸は、吸うときに交感神経が、吐くときに副交感神経がよく働く。はじめ腹をへこませながら、5~7秒かけて吐き、おなかに息を吸い込むつもりで、3~5秒かけて吸い込む。交感神経優位のときこれを行なうと、副交感神経がよく働き、リラックスできる。これを読むと、MOOSEの不調は、家でごろごろしていて副交感神経優位になっているのと、運動不足で血行が悪くなっていて体温が下がっているという事でしょう。ということは刺激物を食べて、運動して交感神経優位にする必要があるという事のようです。クスリは要らない!石原結實式体温を上げて病気を治す新装版
2009年07月23日
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ついに選挙になりますね。ジパング国の大統領も決断しましたか。人民党と民衆党、どちらが勝ったらいいでしょうか?民衆党にすこし分がありそうですね。ジパングの経済、いや世界経済が停滞しているときに選挙ですか。これを「蝸牛角上の争い」といって、かたつむりの角の上の争いにも似たおろかしい行為ではないのか?両党が手を取り合って、経済対策に乗り出すなんて夢を見ている場合じゃないのですね。人民党は目先の事しかなくて、そのまんま西のかなたの知事を担ぎ出そうとしましたね。当の本人は当初強気な発言を繰り返していたようですが、結局勝算なしと見たようです。本人はブラフをかまして、総理の席を希望するといったようですが、セオリーどうりなら人民党が認める範囲の要求を認めさせるために次の要求をすべきではなかったのか?本当は何も考えてなくて、総理大臣になりたかったのか?真実は闇のなかです。MOOSEは人民党のHATOYAMA氏に好感をもっています。死刑執行にサインして、あさ死新聞社に死神と書かれたことがありましたね。最近でも、郵政民営化がらみの問題でも、強引な持論を展開していましたね。わかりやすい政治家でないといかんと思います。いまはなき田中角栄氏みたいな憂国の士よ、いでよ。そういう人のことを「国士無双」というそうな。「国士無双」とは一国中に二人といないすぐれた士のことである。
2009年07月21日
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整理と整頓一般的な、整理法の本には、「資料や書類をその内容によって分類せよ」としている。整理とは、内容や重要度を考慮して分類し、秩序付ける事である。整頓とは、形式的に片付けて見た目をきれいにする事である。そして、必要なのは、整理であって整頓ではないとなっている。実際の整理とはかなりMOOSEにとっては難題のようです。これは、一朝一夕で実行できそうにありません。MOOSEが知っている、整理と整頓。【整理】必要なものと不要なもの分け、不要なものを捨てる事。【整頓】必要な物がすぐに取り出せるように、、置き場所、置き方を決め、表示を確実に行なう事。この不要なものというのが苦手です。使いもしないのに。なかなか捨てる事ができないのです。でも、捨てる事ができないものが邪魔になり、取り出したいものが見つからないというストレスになっているのも事実なのです。MOOSEは、会社からリフレッシュ休暇をもらったので、整理・整頓を極めようと思っています。もし、RISUTORA KUBIKIRI休暇だったら再来週、会社にいったら、私の席に誰か座っているでしょうこれは人員整理と呼ばれています。
2009年07月19日
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漁夫の利戦国時代の燕(えん)は中国の北東にあり、西は趙(ちょう)南は斉(せい)に接していて、絶えず両国に狙われていた。燕の昭(しょう)王といえば、楽毅(がっき)を将軍として斉を攻めた話が有名だが、趙に対しても警戒を怠っていなかった。あるとき趙が燕の飢饉などの弱みにつけこんで侵略しようとした時の話です。燕は斉と戦争状態であり、多数の兵士を前線におくっていたので、趙と事を荒立てたくなかった。そこで蘇代(そだい)に頼んで趙王を説得してもらう事にした。蘇代は合従策で有名な蘇秦(そしん)の弟で、兄の死後、戦術家としての道をつぐために、燕王カイ(昭王の父)に巧みに取り入って、昭王の時代になってからも斉にあっていろいろ燕のために尽くした人物である。兄の蘇秦ほど大きなことは出来なかったが、舌三寸で種々の策略を弄した。この時も趙の恵文(けいぶん)王に得々と話して聞かせた。「私がきょうお国へ参りますとき、易水(山西から河北にながれ燕と趙の国境を成す)を通りました。ふと川辺を見ますと蚌(どぶ貝)が口をあけてひなたぼっこをしておりました。そこへ鷸(かわせみ)が飛んできて、どぶ貝の肉をくちばしでつつきました。蚌(どぶ貝)は怒って急に貝殻を閉め、そのくちばしを挟んで離そうとしませんでした。どうなることかと立ち止まって事の成り行きをみていました。鷸(かわせみ)が『今日、もし雨が降らず、明日も雨が降らなかったら、お前は死ぬだけなんだぞ』と言います。蚌(どぶ貝)も負けていません。『おれが今日も離さず、明日も離さなかったら、お前こそ死ぬんだぞ』両方とも意地を張って言い争い、和解しようとしませんでした。そうこうしているうちに運わるく漁師が来たものですからたまりません。両方とも簡単につかまえられてしまったのです。 私はハッと思い当たりました。王は今燕を攻めようとしておられますが、燕が蚌(どぶ貝)なら、趙は鷸(かわせみ)です。燕と趙とがいたずらに争っては、そのため人民は疲労しきってしまうでしょう。そうすれば、あの強大な秦(しん)が漁師になって上手い汁を吸うことでしょう」趙の恵文(けいぶん)王はたいそう賢明な王だったので、蘇代の言葉がわからないはずはない。趙と接している秦の威力を考えれば、燕を攻撃するのは得策でないと思い、攻撃を中止したのであった。この話は『戦国策』にのっています。このことから、『蚌鷸(いっぽう)の争いは、漁夫の利をなす』という言葉が生まれた。「蚌鷸(いっぽう)の争い」も「漁夫の利」も「両方が争っているとき、第三者に利益を横取りされること」を意味します。
2009年07月12日
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巧言令色鮮(スクナ)し仁━━巧言令色、鮮(スクナ)し仁。━━『論語』学而篇・陽貨篇これは孔子の言葉です。意味は「口先が巧みで、角のない表情をするものに、誠実な人間はほとんどいない」孔子は、これを裏返してこのように表現しています。━━剛毅朴訥(ゴウキボクトツ)、仁に近し。━━『論語』子路篇つまり、「剛毅で飾らぬ人間は、誠実なのだから、完成した徳をそなえたものに近い」とも言っています。「剛毅」意志が堅くて強く、くじけないこと。また、そのさま「朴訥」かざりけがなく、口数が少ないこと。利己的な打算がなければ、"飾る"必要もなく、当然"朴訥"になるだろうし、みずから正しいと信ずるものの前には、その生命さえおしまぬなら、当然"剛毅"になるであろう。しかし、このような人間でも仁(完成した徳をそなえた人間)そのものではない。孔子はまた━━分質彬々(ヒンピン)として、然る後に君子なり。━━『論語』雍也篇とあるように、文(形式)と質(実質)とが彬々(ヒンピン)として(調和して)いることを君子(徳を備えた人間)の条件としているのである。また、弟子たちにむかっては、このように述べています。━━博く文を学び、之を約するに礼を以ってす。━━『論語』雍也篇・顔淵篇多方面に文(ここでは学問すなわち実質)を学び、それを礼(形式)で整理統制する事を強調している。けっして、剛毅朴訥(ゴウキボクトツ)という荒削りな態度が良いとは言っていません。孔子は、剛毅朴訥を推奨しているかと思われるのも、巧言令色の輩を憎んでいるからに他なりません。その気持ちをこのように述べています。━━その之を言うて、恥じざれば、即ち之を為すや難し。━━『論語』憲問篇(臆面もなくものを言うような奴には、到底実行はできぬものだ)と痛烈に批判しているのです。孔子はなにより、巧言や令色によって、人々を騙し続けること、その狡猾さを憎んだのです。黄金の国・ジパングの政治も欺瞞に満ち溢れています。ジパング国の、前の前の、その前の大統領。この方は、TV受けがよく、パフォーマンスがすばらしかった。MOOSEも、この方の目指している方向性は賛成でした。出来るか出来ないかは別にしても、言っている事がわかりやすかった?その結果、ジパング国の人民党が大勝利したのでしょう。しかし今になって、「ちょっとまてよ」という事になっているようです。今ある政治の姿は、すべて国民のみなさんの選択の結果なんですよね。そういえば「国民も痛みがともなう」なんてことも仰られていましたよね。ところで、軍人、凡人、変人のなかの一人と呼ばれたこの元大統領。引退するときいて、「たいしたもんだ、」と思ったのも束の間。どうも、後進?に席をゆずるということで、とてもがっかりしました。「どうなんですか~?、その方、当選しそうですか~?」そんな事よりも気がかりな問題があるのです。MOOSEは横浜ベイスターズのファンです。「今年も、この時期にして、定位置(最下位)へ★まっしぐらなんですけど」
2009年07月06日
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それは、数息観です。数息観は、呼吸に意識を集中することによって、精神を安定させて入寂の状態に導く基本的な呼吸法のことです。天台宗の開祖、チギの著した『摩訶止観(マカシカン)』があります。この本では身体と呼吸法の実践方法が書かれています。止観というのは座禅の原型の事。座禅の基本のなかに身体法の深い配慮と訓練があるというのです。そのなかの座禅の入門書にあたる『天台小止観』で数息観の方法が紹介されています。数息観を次のような話として述べています。『膨祖(ホウソ)が曰(イワ)く、和気導気の法、当(マ)さに深く密室を鎖(トザ)し、牀(ショウ)を案じ、席を暖め、枕の高さ二寸半、正身偃臥(ショウシンエンガ)し、瞑目して心気を胸郭の中に閉ざし、鴻毛を以って鼻上につけて動かざる事と三百息を経て、耳聞く処なく、目見る処なく、斯くの如くなる則(トキ)は、寒暑も侵す事能(アタ)ワず、蜂蟇(ボウタイ)も毒するす事能(アタ)ワず、寿(コトブ)き三百六十歳、是真人に近かしと。』中国古代の伝説上の人物で、八百歳まで生きたとされる膨祖(ほうそ)という仙人は、言っている。神と和して気を導く法は、部屋を閉ざして、ベッドを置き、席を温めて、枕の高さを約八センチぐらいにする。 それから、身を正しくしてここに身を横たえ、目をつぶって気を胸の内に閉ざし(イメージし)、そして鳥の羽を鼻の上に付けてそれを動かないようにして静かな呼吸を三百に達するまで行う。 すると、耳には何も聞こえず、目は開けども見るところはなくという状態(無感覚)になる。 こうなると、寒さも暑さも侵すことが出来ず、ハチやサソリも毒することが出来ない。寿命三百六十歳、仙人に近くなる。【数息観の方法】息を吐くときに、1から10まで、あるいは1から100までと数を数えていき、数え終えたら、また1から数えるようにします。数と数の間は力をぬいて軽く息を吸います。大切な事は、呼吸を整える事に集中して雑念を排除する事にあります。呼吸の方法は、鼻吸鼻呼でも鼻吸口呼でもどちらでもよく、長呼短吸がいいでしょう。呼吸ですから、吐くことが先になります。 (呼)ひと~、(吸)つ (呼)ふた~、(吸)つ (呼)みぃ~、(吸)つこのように数えていき、百までいったら1のもどります。注意することは、勘定を間違えない事と雑念を交えない事です。間違えたら、1からやり直します。数を数えるだけで簡単なようで、これが案外難しいのです。集中したら、外界の音が聞こえなくなるものでもありません。肝心なのは、なにか聞こえても、聞こえたままにして、自己の考えを乱されない事なのです。これを繰り返し行なっていたら悟りの境地に近づけるという事です。そうすれば、心の眼が開かれ、もう人に道を尋ねる必要がないことを知るでしょう。大事な事は、日常ことば数をできるだけ少なくして内気を養う事です。昔の人はいいました。『眼の力を養うには、常に眼を閉じておけ。耳の力を養うには、常に聞く事を避けよ。心の力を養うには常に沈黙している事が一番だ。』
2009年07月05日
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上善は水の如(ごと)し これは『老子』の言葉です。『上善は水の如(ごと)し、水は善く万物を利して而(しか)も争わず。衆人の悪(にく)む所に処(お)る。故に道に幾(ちか)し。』『居には地を善(よ)しとし、心には淵(えん)なるを善しとし、与(まじわり)には仁を善しとし、言には信を善しとし、正(政)には治を善しとし、事には能を善しとし、動には時を善しとす。夫(そ)れ唯(ただ)争わず、故に尤(とが)め無し。』『上善』とは、最も理想的な生き方を指します。水は、万物の成長を助けて、しかも他と争ったりしない。みんなの嫌がる低い場所にいます。みんなが嫌がる低い地位のことです。だから、こうした水の姿は人の道にちかい、ということのようです。それでは、水のような行いとはなにか?『居には地を善しとし』・・・・・高いところに住まないという意味でなく、水が地表を潤すように自然にふるまい高い地位を望まないということです。『心には淵(えん)なるを善しとし』・・・・・水を湛えた淵のように深く静かな心の様を保つということ。心が深く澄み切っている様。『与(まじわり)には仁を善しとし』・・・・・人との交わりにおいては、仁を大切にする。仁とは愛であり、寛容であり、慈しみであるといった意味です。『言には信を善しとし』・・・・・常に信用のおける真実の言葉で話す事。嘘をつかない人。真実の人。『正(政)には治を善しとし』・・・・・まつりごと、政治は私心があってはならない。平和を築く事が出来る人。『事には能を善しとし』・・・・・事を成す為に能力を活かして働く人。その道を生かすための才能を養っておくことで、けっして自慢しない人。『動には時を善しとす』・・・・・動くときを知る事。肝心なときに十分実力を発揮できる人。 そして他と争わないこと。周囲を潤しながら低きに流れていけば、争いが生じることもないわけです。争う事がなければ全ての善き行為がその心から平安が生まれ、とがめも誤りも起こらなくなるということです。水というものは、あるときは柔らかくなり、どんな形になる事もできます。どんな形の器にも、形を変えることが出来るのです。丸い器だろうが、四角い器でも、あるいは狭い隙間でも流れ込んでしまいます。水は時には、大きな力を見せるときがあります。大きな岩を移動させる事ができます。石に、穴を穿つ事もできるのです。まさに変幻自在の能力をもっています。水は、必要なものではあるが、日頃は目立たないものかもしれません。いつもニコニコして、いてもいなくてもいいけど、いざという時に頼りになる人。・・・・・理想的だ。みんなにでくのぼーと呼ばれ褒められもせず苦にもされずそういうものにわたしはなりたい「雨ニモマケズ」 宮沢MOOSE黒田如水の名前って、もしかしてここから引用したのだろうか?
2009年07月03日
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は語り、賢者は聴く (ソロモン王)あなたは、考えた事がありませんか?誰かと話しているときに・・・・・。相手の方の一つ一つの言葉の中に含まれている意味について。その言葉が、相手の方の性格・考え方そのものであること。思っていることが言葉になります。ある意味を示す言葉も、表現を変えれば幾通りにもなるでしょう。例えば、テニスの試合をして負けたときのことです。A : 試合に負けたという人。B : 試合の結果?相手が勝ったよ、という人。Bの人が負け惜しみが強い人とか心理学について語ろうとしているのではありません。思っていることが、言葉という形をかりて表現されるのです。行動についてもおなじ事が言えるでしょう。思っていることが行動に出るのです。ある人の行動を観察してみれば、内面が明らかになるでしょう。賢く、慎み深く動く人。相手の神経を逆なでしようがお構いなしで、失礼な行動を繰り返す人。人間、千差万別で、いろいろな人がいるからこそ人生は面白いと言えるかも知れません。愚かな人っていますよね。なにも自分が賢いという事を言いたいのではありません。MOOSEは世界で一番愚かですから。MOOSEの前の世界で二番目に愚かな人に話しているんです。そう、いまも愚かなことを繰り返している人のことですよ。そういう珍しい人種の方は、破廉恥な事を感じる神経が麻痺しているのでしょうか?わかっててやっているんでしょうか?そんな方に「恥を知れ」という言葉を送りたい。日本人は、恥を知る民族だと思います。語ればかたるほど・・・行動すればするほど・・・己の恥、無知、馬鹿さかげんを晒しているんですよ。そういう珍種の方は、寿命が尽きるまで飽きずにやってなさい(ある意味?非凡の才能がある?????)。さて、ここで問題です。今日、MOOSEが意味不明な文章を書いたのはなぜか?A : MOOSEに対して、特定な人がいやがらせをしたから?B : MOOSEが世の中にたいして怒りを感じているから?答えは・・・・・たぶんあなたが思ったとおりです。
2009年07月03日
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和光同塵(わこうどうじん)『老子』に出てくる言葉です。 つぎの二つの章は、老子がとなえた道(たお)、自然の理法に合体し、それを体得した人間、あるいはそれを体得する方法を説こうとしている。■「その鋭を挫き、その粉を解き、その光を和し、その塵に同ず」(道徳経・第四章)口語訳・・・「知性のするどい刃先をくじいて、異をとなえるのをやめ、紛争の根源を切り捨て、みずからを賢とし、徳とする光をやわらげて、俗塵の中に消えよ」■「知る者はいわず、言う者は知らず。その兌(だ)を塞(ふさ)ぎ、その門を閉じ、その鋭を挫き、その粉を解き、その光を和し、その塵に同ず。これを玄同という」(第五十六章)「兌」とは耳目鼻口のたぐい、「門」とはわれわれの心。「玄同」とは玄妙不可思議で万物万物と同一なるもの。ここでは、正しいとか正しくないとかと、ことさらに異をたて、自己を是として、自己を主張するのは無知な人間のやることで、真実の知者となるためには、知覚や欲望を捨て、自我を捨て、自分の知恵や徳の光をほこらず、その光をやわらげ打ち消し、俗塵にまみれることを勧めている。老子は、 高きにのぼるよりも、低きにつくこと。 強であるよりも、弱であること。 雄であるよりは、雌であること。 賢であるよりは、愚であること。 光り輝くよりは、平凡な塵であること。これらが処世の要諦と考えた。なぜならば、そうすることで相対的な世界をねじまげずにそのままの姿を捉えることができると考えたのです。高であり強であり鋭であることは、相対している他者のすがたを見失い、自分自身にとらわれることになる。自分だけが高くてすぐれた正しい唯一者と考えている者は何も知らない人間なのだ。「言わず」ということは、自分だけが正しいと言わず、自分の存在の正当性だけを主張しないことである。異を立てず、争わず、高は低をいだき、強は弱をいだき、光は塵をいだき持つことが最も本当の自然な姿を指し示している。仏教では、菩薩さまが衆生済度のために本来の知徳のひかりをかくして、人間世界の俗塵の世界に姿をかえてあらわれる事を、「和光同塵」というようです。自分の能力を隠し、愚か者のふりをして、馬鹿と陰口をたたかれても聞こえないふりをして、ほこりにまみれて娑婆を生きよ、ということか?それが自然な生き方?朴念仁、唐変木、ろくでなし、はたまた変人呼ばわりされたとしてもクールにしてられる?例えそう言われたとしても、「いやいや、本当はシャープですよ」と考えるであろうMOOSEは「徳」がない?
2009年07月01日
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天知る、地知る、子知る、我知る(てんしる、ちしる、ししる、われしる) 後漢時代は、宦官(かんがん)がはびこり、官僚も腐敗した時代だった。第六代の安帝(あんてい)の時代の楊震(ようしん)のような高潔な官僚もいました。 楊震は、関西(函谷関以西の地)の出身で、博学であり、また清廉潔白な人物であったので、当事の人々から、「関西の孔子」とよばれていた。 その楊震がある地方の太守に任命されたときのことである。赴任の途中の宿に着いた日、夜遅くに県令(けんれい・県の長官)の王密(おうみつ)がひそかに尋ねてきた。「太守様、お懐かしゅうございます。荊州(湖北省)でお引き立ていただきました王密でございます」王密は、楊震が以前、刺史(しし-監察官)だった時に、その学識を見込んで官吏(かんり)に挙げてやった男です。 久しぶりに会ったので、いろいろと昔話に興じていたが、やがて王密は懐から金十斤(現在の通貨価値は不明だがかなりな金額)を取りだした。 楊震におくろうというのである。しかし楊震はおだやかに、だが断固としてはねつけた。「別に賄賂(わいろ)などではございません。ただの昔のご恩にあずかりました、ほんのお礼です。」 すると楊震は言いました。「君は私の見込み通り、立派に成長して、県令になった。まだまだ栄進して世のために尽くすことだろう。私に対する恩返しは、すんでいるのではないか」 王密は言いました。「そのように堅苦しくお考えなりませんように。それに、こんな夜中ですし、この部屋には、太守様と私と二人しかおらず、誰も知らないのですから。」 依然として楊震はおだやかに王密をみつめていた。楊震の目は一瞬チカッと光り、静かに諭したのである。「誰も知らないという事はないだろう。まず天が知っている。地が知っている。それに君も知っている。私だって知っているではないか?」 『天知る、地知る、子知る、我知る』 さすがに王密はこの楊震の言葉に恥じいって引き下がりました。 楊震はいっそう高潔な姿勢を保ち、やがて大尉(兵事をつかさどる最高官)にのぼったのである。この話は『後漢書』の「楊震の四知」として知られています。世の中、いろんな人がいます。行動の基準が法の遵守である人。捕まらなかったら何をしようと勝手と考える人。人が見ていなくても、不法行為をしない人。自分の心が基になっている人。誰も見ていないと思っても、実は見られているんですよ。その人の名は、ANATAGAMITERUZAEMONN
2009年06月30日
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小さな勇気のこと?孟子が諸国を遊説して梁(りょう)の国を訪れた時のことです。時は戦国時代、弱肉強食の世の中のことゆえ、一つの油断が命取りになることもある。梁の恵(けい)王は、孟子にむかってこうたずねた。「先生、隣国との国交はどのようにすべきだとお考えですか?」それを聞いて、孟子はこう言った。「大国は、小国につかえる気持ちで、謙虚な態度で交わらなければいけません。これは仁者にしてはじめてできる難しいことですが、殷の湯王や周の文王はそれを行なったのです。また小国は大国につかえなければなりません。これも容易なことでなく、智者にしてはじめて可能なことです。しかし文王の祖父大王はそれを実行したからこそ、周は強大になり、越王勾践は最後に宿敵の呉に勝つことができたのです。小が大につかえるというのは、天の道理で当然なことです。それを認識しながら、大国の立場をもって小国につかえるというのは、"天を楽しむ"ものといえましょう。またこの天の道理に逆らわぬように、大国につかえる小国は、"天を畏れる"ものです。天を楽しむものは、天下を保つことができ、天を畏れるものは、国を保つことができます。だから『詩経』にも、"天の威を畏れて、時(ここ)にこれを保つ"とあるのです」「まことに立派なお言葉だ!」恵王は、孟子の答えを聞いて思わずさけんだ。道理とすればまことにすばらしい。しかし我が身のこととして考えると、どの国に対してもつかえてばかりいなければならない。恵王は、そこのところが威勢が悪いように思えて我慢がならなかったのです。そこで孟子にこういった。「立派なお言葉には違いないが・・・・・私にはよくないことかもしれないが、勇を好む気性があるので・・・・・」孟子は答えた。「王様、小勇を好んではなりません。剣を撫で、眼を怒らして、貴様など俺の敵ではないぞ、というようなのは"匹夫の勇"で、たかだか一人の人間を相手にすることができるだけです。王様、どうぞもっと大きな勇気をおもち下さい。」
2009年06月29日
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天才と凡人の差は紙一重である。アインシュタインは、幼年時代には天才特有の特徴は何もなく、むしろ発育の遅い子供だった。両親は「脳に障害でもあるのだろうか?」と心配したほどだった。ワーグナーは中等学校に入るとき、希望する6学年に入るには成績が足りなかった。しかたがないので5年生からの入学になった。音楽以外はとにかく勉強嫌いであった。キッシンジャーの実業学校時代の成績は、「おおむね良」だったという。際立った成績ではなかったと言う。それでも、アインシュタインは、相対性理論で物理学に革命を起こし、ワーグナーは楽聖とまで呼ばれるようになった。キッシンジャーの活躍は、大統領補佐官で名声をはせ、ノーベル平和賞受賞で活躍が証明されている。世の中で天才と呼ばれている人も、子供のころは「ただの人」だったのです。ただ彼らが多くの凡人と異なるのは、自分自身のなかに人並み以上の強い武器があることに気が付いていたことなのです。しかも、かなり早い時期に気が付いて、それをより強くすることに努力したからなのです。たとえば、ワーグナーの場合は、16歳で学校を退学して「音楽界のナポレオンになる」と豪語して、音楽の勉強一本に絞ったのである。天才とは、編集能力が優れていて、目的を達成する最短の方法を知りそれに邁進する人なのです。「得意なことをやる。」「好きなことをする。」「楽しんでやる。」このあたりにヒントがあるようです。MOOSEのキャッチフレーズ「平凡も、極めれば非凡になる」MOOSEの場合、平凡であることの言い訳?かもしれません。
2009年06月28日
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暴虎馮河(ぼうこひょうが)の意味孔子には弟子が3000人いました。その中でも、顔回(がんかい・子淵)は特に優れていて、学才があり徳行があった。顔回の家は貧しく不遇であったが、すこしもこれを苦にせず生涯、怒ったり、あやまちを犯したことがないと言われています。孔子は、この顔回を最も愛していたが、32歳で若くして夭折(ようせつ)してしまった。このとき孔子は「天は我をほろぼせり」といって嘆き悲しんだということです。あるとき孔子が顔回に話しかけていた。「王侯に用いられては道をおこなうが、もし受け入れられない時に、じっと胸中深く自らに収めておくということは、なかなか出来がたいことなのだ。これが出来るのは、回よ、私とお前と、まあ二人くらいのものだろうよ」傍らに子路という弟子がいて、孔子のこの言葉を聞いていた。子路という弟子は、孔子のそば近くに仕えていて、果断で勇武をこのんだ人物で、孔子もその点を認めていた。しかし粗野なところがあるので、折にふれいましめていた。 このときも、その言葉をきき、すこし嫉妬心をもち、孔子にむかってこう問いかけた。「道を行なうことはまあ別にしまして、大軍を動かして戦いに臨もうとする時、先生は誰と行動をともにしますか?」日頃から、子路に勇気があることは先生は認めてくれているので、この場合は私を選んでくれるだろうと思い口にしたのであった。もちろん孔子には、子路の気持ちはわかっていたが、あえて厳しい顔をして言った。「暴虎馮河、死して悔いなき者は、吾とともにせざるなり」【虎に対して素手でむかったり、大きな川を歩いて渡るようなむだ死にを悔いない者とは行動をともにしないよ】「・・・・だからその時には、必ず勝つべく、綿密な策を立て慎重に兵を動かすようなものでなければならないのだ」このことを孔子は、子路にわかってほしかったのである。暴虎馮河は、矢でも鉄砲でも持って来い式の向こう見ずな振る舞いのことです。似た意味の言葉に、匹夫の勇というものがあります。匹夫の意味は、いやしい男、取るに足らない男。血気にはやったちからまかせの勇気、ちいさな勇気。勇気があるということは、怖くないということ。怖くないのは、勇気がなくても、怖さが分からなかったり知らなかったらどうって事はないかもしれません。勇気という言葉を汚すつもりはありませんが、「蛮勇=無知・神経が鈍い」と言えるかもしれません。MOOSEの理論(屁理屈)では、MOOSEは勇気がない。勇気がないけど無知ではない。感受性が強いので結果が見えるので蛮勇をふるえない。ということは、勇気がなくてもプライドはたもてる?ということでしょうか。でも何事をなすにも、多少の勇気は必要です。ユダヤの古いことわざ『すこしのお金とすこしの勇気があれば生きてゆける』
2009年06月27日
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『五十歩百歩』という言葉があります。中国の思想家、孟子の言葉だそうです。魏の国の恵王は、自分ではいい政治を行なっているつもりなのに、サッパリ人民の数が増えないといって嘆いていた。当時は、善政をすれば人民が集まり、悪性を敷けばよそにいってしまうというように、人民の数は、統治している王様の政治のレベルのバロメーターになっていました。そこで、思想家として高名な孟子を招待したそうな。恵王は、孟子に尋ねた。「私は、常々良い政治を行なってきたつもりです、なぜ人民の数が増えないのでしょうか?」孟子は答えた。「戦場で戦いが始まりました。その時1人の兵士は五十歩逃げて立ち止まりました。もう1人の兵士は百歩逃げて立ち止まりました。そこで五十歩逃げたものが百歩逃げたものに向かって、臆病だなあと笑ったとしたら、あなたはどう思いますか?」ここで孟子の話を受けて恵王は答えた。「それはおかしい、五十歩逃げても、百歩逃げても逃げて事に変りがないだろう」そこで孟子は、「少しぐらい隣国より良い政治をしたところで、そう変りはないでしょう」と恵王を丸め込んでしまったという話です。この話の背景には、オールオアナッシング(満点か零点か?)があります。ある意味、詭弁だと思われます。逃げなかった者のグループは勇気があり満点、逃げた者のグループは皆臆病者で、零点・不合格である。実際のところは、100点から0点の間には無数の段階があるのが普通だと思います。孟子はこのとき、どうせ似たり寄ったりで変わりがないという事が言いたかったのではないのです。孟子の思想体系の中心をなすのは、王道についてです。王者の道のことです。最初から王道の話からはじめたら恵王が興味を示さないと考えたのです。それで、戦好きの恵王に、たとえ話を聞かせて自分の話に興味を持たせようとしたようです。真に民を思う王者のやり方は、逃げるか逃げないかほどの本質的な違いがあるのです。『王道とは、常日頃から民の生活の安定をはかり、その安定の上に築かれ、民を主人とし、民の為に存在する、愛情と礼儀に満ちた道徳国家、教育のいきわたった文化国家を目指すことなのです』この言葉を、ジパングの大統領に聞かせてやりたいものです。
2009年06月18日
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なくてよかった話。これって運がよかった?ってことかな。6月5日(金)の夜10時頃から、インターネットに繋がらなくなりました。OSはWindowsXPです。パソコンの動きが重いので、システムの復元で、1ヶ月前に戻したのです。そうしたら、何度やっても繋がりかけて、切れてしまうのです。OUTLOOKでメールは受けれてました。でも、IEが壊れたのか、継続して繋がらないのです。なぜか、自分では分かりません。でも6月8日(月)の夜10時頃、突然復活したのです。3日かかりました。パソコンに詳しい友人2人にTELして、聞いたことを試したけど全然だめでした。まあ、土曜日は、半日いろいろやって、日曜日はもうあきらめていました。今日、会社にいってシステム課の人にTELして、またアドバイスしてもらいました。IEは7が入っているのですが、再インストールするかリカバリーするしかないという事でした。IE7が不調のときは、XPのサービスパック3をインストールすれば修復できることもあるそうです。サービスパック3はインストール済みなので、アンインストールして再インストールすることなのかな?とりあえず、会社でUSBメモリーにIE7を保存して、家のパソコンにインストールしてみました。だめでした。だいいち、アンインストール出来なかったのでそのままインストールしたのでダメなのでしょう。もういいか~と思い始めていました。過去2回、オールリセットしたことがあります。前のパソコンとその前のパソコン。毎回やってるってこと?その時間のことを考えると、ゾッとしました。そこで、だめもとでついでにコピーしてきたIE8をインストールすることにしました。そうしたら、なんと繋がったのです。詳しい人がこれを読んだら、なにやってんだか・・・という事でしょうか?MOOSEは、いままで手探りでやってきたので、深いところの理解がいまいちなのでした。インターネットオプションで、リセットしたらと言われても、そこが開かないのでした。残された道は、オールリセットしかないのでした。でも、IE8をいれて上手くいくとは思いませんでした。たまたま、と言いましょうか偶然とゆうやつでしょう。MOOSEは運がいい?エジソンだって、『失敗したところでやめなければ、成功する』といっています。失敗の1ミリ先に、成功がある・・・・・という話でした。人生では、運がいいと思うことや、運が悪いと思うことがいろいるあるでしょう。運がいいと思っている人は、運がよかったことをたくさん覚えている人だそうです。反対に、自分は運が悪いと思っている人は、運が悪かった事のほうをよく覚えているからだそうです。
2009年06月08日
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「狂い」のすすめ ひろさちや著を読んで。人生に意味なんてありません。「生き甲斐」なんてペテンです。この世の中が狂っていると感じる事はありませんか?常識を信じた事によって、悔しい思いをした事はありませんか?社会は今狂っているのです。だから著者は「狂ってしまえ」と述べているのです。・・・本当に狂うことではありませんよ。「狂って」しまえば、逆にまともになるというものです。人生に意味を求めず、「狂い」と「遊び」でもって、自分の人生を楽しく生きるべきだと書かれています。この世の中は、強者の論理によって作られている。常識と呼ばれるものも、強者に都合の良いことになっている。戦前の常識は、戦後には180度転換されたものに変えられている。世の中は、弱者に冷酷です。弱者は思想という武器を持つべきです。とんでもない危険な思想のことではありません。すこし世間を見下すだけでいいのです。「俺は世間を信用しないぞ」とつぶやくだけでいいのです。主体性を持つこと、自分を確立すること。自分は世間の奴隷ではないという意識を持つのです。世間を維持しているのが強者。世間の甘い汁を吸っているのが強者。甘い汁を吸われているのが弱者。そこを自覚することが大事なのです。そうする事によって変われるのです。思想・哲学をもつのです。強者は弱者が思想を持たないようにコントロールしてきたのです。強者の利益が激減しないように、社会のからくり=常識を作っているのです。「やれ植林だ」といって弱者から金をあつめて、今となってはかなり価値が下がっています。挙句の果ては、スギ花粉の原因にもなっています。「もったいない」といいながら、車だって10年も乗らないでしょう。食料自給率が下がったのも、安かろう・よかろうで外国から食品を輸入して、生産農家が生計を維持できないようにしたのも、いわゆる世間ってやつです。「正しいこと」より「誰かの利益優先」の論理がまかり通っているのです。そのほかには、人間は本質的に孤独であると書かれています。浄土経典「大無量寿経」では、「人、世間の愛欲の中に在り、独り生まれ、独り死し、独り去り、独り来る」ものなのです。だから何かに癒されたいのです。終身雇用制度ということで培われてきた、会社に対する帰属意識も、減給・リストラ・解雇によって希薄になってきています。では、何が人間の孤独を癒してくれるのでしょう?答えは、人間の根源的な孤独を癒してくれるものはありっこないということ。ドイツの哲学者、ショーペンハウエル?の言葉『ヤマアラシのジレンマ』の話二匹のヤマアラシが、あまりにも寒いもので互いに抱き合って体を温めようとしました。でも、ヤマアラシにはトゲがあります。そのトゲが痛くて抱き合えません。かといって離れると寒い。そこで二匹は、近づくだけでうらめしそうに相手をみつめるしかない。そういう話です。これは人間関係を象徴しています。人間には自我というトゲがあるのです。それが人間関係のジレンマのもとなのです。孤独に生きるのではないですよ。無人島でないかぎり、孤独は所詮無理でしょう。結局、孤独を生きなければならないのです。
2009年06月03日
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幸せを実感する方法はあるのでしょうか?自分が幸せか、不幸せかは、身をおく境遇には関係ないようです。それは自分自身にかかっているようです。幸せはかってにやって来るものでもないし、突然生ずる物でもありません。真実はその中間点にあるのでしょう。幸せを引き寄せれるか、遠ざけるかは自分自身にかかっているのでしょう。心理学者の、M・チクセントミハイは、こう述べています。『自分の内的な体験を意のままに出来る人は、生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)を決められる。それは私たちが、通常【幸せ】と呼んでいるものにきわめて近いと思われる。』縁側の陽だまりの中でまどろんでいるときに、人生最高の幸せを体験することは難しいでしょう。そうではなく心身ともに張り詰めた中で発見するものなのです。幸せを感じる瞬間は、例えば心の奥底から生じる好奇心が、もくもくと雲のように湧き上がる事に気づき、それが身を震わす感激になる、というような時でしょう。しかし幸せな感じは決して継続するものではないでしょう。一つ一つの幸せな瞬間が集まった状態なのです。チクセントミハイは、それを『フロー』と呼んでいます。『フロー』は流れを意味します。この事は、目前のある行為に没頭している状態を指すようです。子供が一心不乱に遊んでいるようなときです。そのときの子供たちは、他のことはどうでもよくなり、水が流れるように、あらゆる行動が自然な流れになり、時間がたつのを忘れるほどです。『フロー』とは、一つ一つの体験がすっきりまとまり、ひとつの流れになって真理的にシンプルな状態の事と言えるようです。幸せを無理に作ることは出来ませんが、生み出す環境は準備できます。つぎにあげるのは、7つのヒントです。【 幸せを感じる、7つの秘訣 】1.全力をあげて、物事に打ち込む。2.「今」に集中する。3.一つの事に集中する。4.仕事を楽しむ。5.不満を持っている同僚との共同作業を避ける。6.自分で管理できる仕事をする。7.余暇を楽しむ。どうでしょうか?幸せを体感するのでなく、心の奥底から湧き上がる感覚が重要なようです。
2009年06月02日
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