いわぴいのドラマ日記

いわぴいのドラマ日記

March 26, 2006
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カテゴリ: ドラマ
 このころの一豊の周辺ではきっとドラマになる部分は少ないんでしょうね。確かに下級士官ですし、小谷城攻めの抑えという立場ですから、一豊自身もすごい ジレンマ

 ただ、そんな一豊の周りとは裏腹に歴史は大きく動き始めることになりましたね。戦国最強と謳われた武田信玄が将軍・足利義昭の密書に呼応して上洛軍を起こしたときには信長は生きた心地がしなかったことでしょう。西は浅井・三好・足利将軍家・ 石山本願寺 が信長の隙をうかがっているなかでさらに東からは武田信玄が攻め上ってくるとなれば信長の兵力は分散して動かざるを得ないですから、どうやっても勝ち目はありません。三方が原の戦いで徳川軍を見殺しにせざるを得なかった苦しさは想像に難くないですね。

 そんな状況を一人ほくそ笑んで喜んでいたのが、将軍義昭でした。三谷幸喜のオーバーアクションには今回も笑わせてもらいましたが、あのあほな男を何で将軍にすえようと思ったのか、正直不思議でしょうがないですよね。しかもそれに奔走したのがあのスーパーエリートの明智光秀だったわけですから・・・。事実は小説よりも奇なりというところでしょうか? 室町幕府 を滅亡させた後、「私の今までの人生は一体なんだったのか?」と嘆く光秀の無念は計り知れないですね。そういったことも含めて義昭には責任を負う必要があるんじゃないかと考えてしまいました。

 信玄が三方が原の戦いのあと急逝したことを知らされたときの織田家の喜びは相当なものだったでしょうね。信長は喜び勇んで義昭を京都から追放し、またひとつ天下布武へ近づいた感じです。ただ、それをいち早く知りながら信じることが出来なかった一豊と情報が入るや否や裏を取るために間者を放った秀吉の実力の差だけははっきりしたような気がしました。どんな時代でも情報を仕入れることとその裏を取ることがどれだけ重要化ということを思い知らされたような気がしました。どこかの議員もちゃんとやっていれば世間を騒がせることはなかったんでしょうけどねぇ・・・。

 信玄が攻めてくるときに多少すったもんだがあった程度でほとんど平和に暮らしていた千代も、足利将軍家が消え武田が動けなくなったことでいよいよ小谷城攻めが始まると言うことで、お市の方の身を案じていました。来週は骨肉の争いが行われてしまうんですよね。それがどれほどの悲劇か、現代に生きているわれわれには想像しかできませんが、その辛さを受け入れなければならない一豊と千代の立場が悲しくなっていきそうです。

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最終更新日  March 10, 2012 10:00:06 PM コメント(551) | コメントを書く


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