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実は先日、訪問介護ヘルパーを、制度そのものから非効率で存続し得ないものと見なして、老母に関してもあからさまに施設での介護を望んでいる扶養者の私は、介護ヘルパーを使いたがるケアマネージャー(まず間違いなくヘルパー出身)を、解任したところだった。
そもそもこの職種に対する私の偏見は根深く、およそ四半世紀の歴史を持っている。間借りしていた大家さんの立場の婆さんが、リウマチで起居不自由になって、ヘルパーを利用していたのだが、その程度の低さ(次々に変わって両手に余るほどの数)に飽きれたのが発端だ。掃除洗濯炊事と褒められる点などまるでなく、作る料理は何やらスープのようなものばかりで(カレーがスープ状になる)、結局、私が夕飯を分けてやったりしていた。
さらに、絶縁した生まれつき空気の読めない気質の姉が、長らく訪問介護ヘルパーのパートをしており、結局、起居不能の年寄りのことなどまるで分らないことは身に染みており、個人的には知ったかぶりをして邪魔なだけ、と結論づけてしまっている。
そのようにヘルパーの質は低く、低レベルなものですら人手不足になっている現実にあって、私が望む、人口減少時代に年寄りが足手まといとされて姨捨山に捨てられないようにするための対策は、次の2点だ。
自分で自分の生活を維持できない高齢者は、 すべて 、介護施設に収容する (要介護度など関係ない。1だろうと5だろうと一人で生活できなければ同じである) 。
介護施設は国営として、職員には国家公務員に準じた待遇をする
「高齢者らの在宅生活を支える訪問介護サービス」は、非効率で維持不可能なのはわかりきっているので止めて、介護施設に集約する。そもそも住み慣れた我が家で過ごしたいなどといった類の年寄りの思い込みなど意味がないので、自分のお金で出来ないなら、当然そうした身勝手は許さない。外にすら自力で出られないようになれば、どこで過ごすのも同じとなっているのにさえ気づかないだけの戯言に過ぎず、付き合えば貴重な時間が失われる。
少子高齢化の現実に直面している我々は、おためごかしをする余裕などなく、年寄りのひとり暮らしなど社会悪でしかない事実を、しっかり認識して考えねばならない。彼ら彼女らが昔から住み慣れた家で誰の看視もなく、電気もガスも水道も使える生活などすればどのような危険があるか、を、である。
例えば、エアコンを使わず熱中症で死んでいる高齢者が続出しているのは、おそらくフィルターの清掃が出来ないので使用しても意味がなくなり、使わなくなっている程度のことである。自分ではエアコンすら使いこなせない年寄りの本音に気づいてやることも出来ないのだから、放置して、見殺しにしているも同然だが、では、一軒一軒のフィルター清掃に予算を割いて人材を派遣できるか考えれば、答えは否だ。
ガスなどの火の不始末は、最も致命的で、しかも類焼により周囲の住民の生命財産に危険を及ぼすのは明らかだ。なぜ、自分のことを自分で出来なくなった人間に、「火遊び」の自由を与えるのは、危険性について考えたことがないだけだろう。
ちょっとした財産を持つ高齢者は、犯罪者にとっては格好の獲物であり、なりすまし詐欺による被害が続出しているのも周知の事実だ。そのように安易な金稼ぎの手段があること自体、犯罪者集団を増長させ、さらなる被害者を増やすことになる。つまり、「ストップ!詐欺被害」など、一人暮らしの年寄りが多く存在していては実現するはずもないのである。そもそも、少しでも認知症状が現れ、自分のお金の管理が出来ないような人を、一人にしてはならない。
在宅介護など、想像力の欠片もない浮世離れした厚生労働省の一部の官僚が、何を寝とぼけたのか、30年ほど前におそらくは施設に収容するより公費支出は低く抑えられると誤算して生み出されたものだ。高齢者のひとり暮らしを是認し、「お一人お一人を支える」などと心にもない綺麗ごとを並べて、在宅介護を当然のこととしてしまったのが、すべての間違いの根本なので、在宅介護は特殊で施設介護が当然、と認識するように改めねばならない。
いつもズレてる我が公共放送、 国民の隅々に正確な情報を伝えることに存在意義がありながら、「世界初の映像!」などと民業圧迫でしかない技術開発に予算を割いたり、正確に原稿も読めないアナウンサーが緊急事態なら感情に訴えた演技性を帯びたアナウンスをした方が良いなどと勝手に思って実践してしまう軽率なあれら(言い出しっぺは民放に移ったようだが、民放でやって見ろ、と言いたいね)
は、自然災害で避難する際に、近所のひとり暮らしの年寄りに声をかけたり一緒に避難するように、当たり前のように啓発しているが、それこそとんでもない話だ。
災害で身の危険がせまれば、他人のことなど考えず早急に避難しなければならず、近所の年寄りのことなど気にしてはならない。近所の年寄りの心配などして、現役世代や将来のある子供を死なせるようなことがあれば、それこそ社会的損失は多大なるものとなる。そのような、社会悪になりかねない存在は、普段から安全な施設に収容しておくべきで、そもそも、そうした足手まといな存在を是認して、地域の防災を立案において、本来もっとも守らねばならない市民に危険を強いること自体がバカげていることに、気づかねばなるまい。
助け合いの精神は、共助の関係で成立するもので、一方的に寄生するしかない者との間では成立せず、そのような片務関係を他人に求めるほうがおかしい。一人一人の犠牲を無責任な軽々しさで求めず、年寄りが足手まといにならないで済むような社会の実現をこそ、啓発して頂きたいものである。
結局、自分のことが自分で出来ず他人の世話にならねばならなければ、効率よく世話をしてもらえる施設に身を委ねなければならないのである。その覚悟をさせず、一人暮らしを許容し助長するような政策は、すべからく無責任なだけと知らねばならない。
必要とする老人介護施設が足りないので、介護認定を厳しくしたり、民間事業者まかせにしたりするのだが、民間事業者には数年間の補助金が尽きれば資金繰りに困るような無計画なものが多く、そうでなくても、介護職員の確保に四苦八苦、光熱費を浮かせるために冷房をつけずに熱中症にさせたり、給食費を削ってまともな食事を出せなくなったり、すでに実例が続出しており、手っ取り早くお金になる程度の認識しかないパート職員は、口だけは達者な生意気な年寄りに腹を立て、その汚物処理に辟易し早々に離職するならまだしも、ついには暴行に及ぶことにもなっているのも、周知の事実だ。完全に福祉行政は破綻しており、抜本的に考え直さねばならないだろう。
かつては、公営は非効率の代名詞だったが、個別の民間事業者まかせにした方がよほど非効率なのである。しっかりと介護の知識をもったそれを適職とする人たちの身分を国がしっかり保証して、離職せずに済むようにしなければなるまい。
国営施設と言う「箱モノ」を大いに建ててそれを維持するのが、現下と近未来においては、よほど効率的であると発想を転換するべきだろう。面白くなくても良い。衣食住をしっかり保証する。少子化で使用しなくなったような施設、学校や給食調理施設があれば活用する、それは民間では出来ないことでありそれこそ無駄を省くことになる。
早急に、施設ありき、で改革をすすめてもらいたい。
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