奔るジャッドンたのうえ、追っかけ帳

奔るジャッドンたのうえ、追っかけ帳

商業界掲載 「酒の杉村」  



 「酒のすぎむら」の創業は大正6年。旧店舗は町はずれの田んぼに囲まれた一軒屋。来店客は少なく、御用聞きと配達,それに外販での売上が中心の、80余年の暖簾がたよりの酒店であった。
 平成1年に、もともと商業的集積地のない大東町の中心地区に地元主導型ショッピングセンター(共同店舗)が出店。たちまち商業環境は一変した。SCの周辺に次々と店舗が張り付き、街ができたのである。場末の杉村政廣さんのこの20坪の店だけが,流れから取り残された感があった。もっとも彼自身にはあせりはなかった。共同店舗が出店した頃には密かに移転の決意を固め、土地も手配積みであったからである。
 しかし,彼が新店舗をオープンさせたのは,実に5年後のH5年4月。場所は、「ピア」の真正面の一等地である。初年度は,予想を大きく上回る売上であった。
 「こんな売れるのなら,仲間が言ったようにもっと早く出店すればよかった、と思いましたよ」。ところが2年目になると,早くも下方に急カーブである。
 新店は49坪、斬新なVラインの動線と広い通路、こったボリューム陳列,,郡内一の品そろえ、20台は駐車可能な駐車場。どれをとっても地域1番店である。当然2年目はもっと売れるはずだった。それが下降線とは、と彼は唖然としたという。
 悩みに悩んで気がついた結論を一言で言えば、理想と現実の乖離である。
 「こんなことを気づくために,4年研究し大きな借金をしたのかと、情けない思いでした」。 しかし、杉村さんの立ち直りは早かった。まずこれまでの自分たちが頭の中で考えていた理想とする酒店としての品揃えを止め、地元のお客の要望にそった仕入れに変えることにした。お客が欲しいものをつかむには接客を変えればいい。これまでの接客というと店側が話をし、勧め、お客が一方的に聞くといったパターンである。これでは,お客にプレッシャをかけ、自由に好きなものを選ぶことができない。また店側は、お客の欲しいものをつかめず、口調が売り込みでは、勧めれば勧めるほどお客は逃げる。これをさらに接客で引き留めようとするから、次からは来てくれなくなる。
 「自分が欲しいものがあるからお客は来店している。それを自分たちは接客で自分が推奨したい商品を売り込み、それが,熱心さと思い違いしていたんです。」
 それからというもの、店ではお客の話をひたすら聞くことに努めた。そしてその中から、ヒントになることをノートに整理し、できることから店づくり、品揃えに生かし,消しこんでいった。
「父の代には、店は手狭で今より売上げは少なかったが、今より商品が回転し、いきいきしていたような気がする。何が違うのだろう?、毎晩真剣に考えましたよ」。
 ある朝のこと。杉原さんはいきなり店を配達車で飛び出した。
 以前、父の代にやっていた御用聞き、一品でも宅配OK、空瓶回収を実は口実にお客さま宅にうかがうことを始めたのである。
 「親のやっていたことを否定することが革新と思い違いしていたんです。店が新しくなろうとお客様は変わらないのに、沿線沿いでの大型店ということで,お客が変わってしまうような錯覚をしてしまっていたんです。そのことを、お客様宅を訪問(御用聞き)してみて確認したかったんです」。
 ご多分に漏れず大東町でも共働きがほとんどで、家庭の主婦は忙しく,主人のお酒やビールまで気が回らず、ついつい買い忘れることが多い。これを売る側の酒店からみると在宅率が悪いことになり、酒店店主自体の高齢化や労働過重とともに、御用聞き、宅配を止める態の良い口実になる。ところが,多忙な主婦や高齢夫婦の世帯にして見たら、御用聞きは,、注文取りは大歓迎である。店にとっても、お客さまとの接点が増え、特に品揃え面での差別化が図れるというメリットがある。
 こうして,杉村さんは、できるだけお客との接点を増やしてきた。すると、必然的に新規オープン以来の広域商圏策を転換し、限定深耕戦絡への転換を図らざるを得なくなってきたという。なぜなら、不特定な広い商圏の消費者と質の高い接点を持ち続けることには限界があるからだ。誰が,どの酒類のどの銘柄を飲む、ということが掴めて,仕入れが立つというのが本来であるはずだから。
 それに酒類の商圏は食料品と同じく狭く近隣中心型である。近隣の人は特定できるし、どういう酒を飲みたいか、といったニーズもかなりの確度で押さえることが可能なはずである。ところが爾来,酒店には客のニーズに応じてた商品を探して,仕入れるといった極く当たり前の行動が欠如していた。それに気づくと杉村さんは、県内地酒の蔵回りをはじめた。
 とくに藤枝市に江戸時代から続いてい老舗のる小さな蔵、「喜久酔」の銘柄で知られる青島酒造には,幾度となく足を運んでいる。
 「ここに通って、蔵にほれ,そこで働いている人にほれ、酒にほれ、はじめてお客さんと酒の語らいが生きてきたような気がしました」。
 今、彼ははツテを頼って一昨年秋,新潟六日町の蔵元にもいった。それも,越後の酒を飲みたいといったお客さんの声があってこと。 
 蔵巡りは,彼にとっては,仕入れへだけではなく,酒店の亭主としての開眼になった。蔵回りをし、そこで地元の人とのみ,語り,また蔵には自分のお客さんの生の声をぶっつける。
 「こうしたとことんの人間同士の付き合いを得て選んで仕入れた酒は,店に並べると,全然違うのです。愛着が沸いて可愛いくてしょうがないのです」。
 1昨年10月、越後の蔵元を紹介してくれた高村秀夫さんの店を見て驚いた。酒店でありながら,酒類売り場よりつまみ類,酒関連のグーヅ売り場の方が何倍も広いのである。
 「酒は,存外に購買頻度が低い。ですから高配頻度の高い,酒関連商品でいかに売り場を巻くかが,ポイント」(越後湯沢駅の中、ぽんしゅ館高村専務)。
 対して,杉村さんの店は、地酒やワインの売り場を思い切って大きく取っているにかかわらず、つまみ類といえば豆類にするめに、柿のたねといったビール向きの珍味類だけ。
「酒類を多く品揃えすれば"酒の専門店"と思っていましたから、ショックを受けました」。
 旅は、時として人に多くの学びを与えるが、この蔵回りの旅と、それを感知し行動に移す杉村さんの感性と素直さが、この店を右肩上がりに引き戻した。
 以後、当店では対面販売を重視して、飲み方と食べ方、酒との相性、個々の酒の特徴、提供方法といった個別対応をベースに、じっくり対話、というよりお客との酒談義を楽しんでいる。そのためにリストラ流行(はやり)の今日,当店では社員が4人、パートが3人もいるのである。
 店舗を地域の人を知る交流の場としてとらえ、そこで得たものを杉村さんの行動指針「それはお客に喜んでもらえるか?」で吟味され、店のアクションに活かされる。こうしたステップを経て、究極的には「結果」として繁盛する店舗体質を構築するという、いわば商いの原点を、杉村さんは大きな対価と遠回りを経て確実に掴んだようである。

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