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じんさん0219 @ Re[1]:(σ・∀・)σゲッツ!!(07/14) 大悟の妹☆さん >“大悟”ですけどねー(  ̄▽…
大悟の妹☆@ Re:(σ・∀・)σゲッツ!!(07/14) “大悟”ですけどねー(  ̄▽ ̄)
じんさん0219 @ Re:日本代表残念でしたね(o>Д<)o(06/15) プー&832さん 覚えとりますよ。 プーさん…
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2006年08月29日
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敵艦隊撃滅の誓い




海軍軍令部は、そこで連合艦隊首脳をいったん東京に帰還させることとした。第二段作戦の根幹を改めて議するためであった。

十二月三十日朝、呉より列車で帰京した連合艦隊司令長官東郷平八郎大将は、海軍大臣山本権兵衛大将、軍令部長伊藤祐亨大将に伴われて皇居に赴いた。このとき東郷は、明治天皇に対して、二人の海軍の先輩が驚倒するようなことを淡々と話していった。

「新しく来る敵艦隊に対しましては、誓ってこれを撃滅し、陛下のお心を安んじ奉ります」

「撃滅」を天皇に最高指揮官が誓ったのである。思い責任をこのうえ重くして、どんな清算あってのことなのか。旅順港とウラジオストクにあったロシア第一艦隊を、二月の会戦以来、強引な作戦を案出して、やっと倒したその直後のことではないか。

無理に無理を重ねた連合艦隊主力に修理を施し、兵員を休養させ、戦技を練り、強力な第二艦隊を洋上で迎え撃たなければならない。第一に、作戦の根本方針もまだ定まっていない時、どうして「撃滅」を誓えるというのか。

そのころ、ロシア第二艦隊はインド洋に入り、十二月二十九日マダガスカル島の北東岸に投錨していた。十月十五日にロシアのりバウ軍港を出撃してより、航海は苦難に満ちたものであった。それだけに、泊地投錨の数十日で艦隊には明るい空気がやや戻り、将兵は、祖国の名誉のために戦う気力を沸き立たせている。

日本海海戦の序幕は、このように、静かなうちにも厳しさを秘めて揚げられたのである。

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つづく

日本海軍の興亡的お部屋へ入る


*この書き込みは営利目的としておりません。
個人的かつ純粋に一人でも多くの方に購読していただきたく
参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ





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Last updated  2006年08月29日 11時42分52秒
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