楽天広場 ブログ漢字・雑学サイトのカリスマ(今日の漢字と四字熟語別館)

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なぜ、国訓という概念を導入するか


 その場合、「柾」や「鱚」、場合によっては、「椿」まで国字ということになってしまう。いずれも中国にあり、日本での意味と異なっている。
 このような場合、字形が同じでも、成り立ちが違うのだから、別の文字だという論点から議論する人がいる。
 この場合、いくつかの問題点がある。成り立ちが違うと言っているが、その字の制作者は、漢字にその字があるのを知っていたのだろうか、否か。いずれにしても、たまたま中国の漢字と字形が一致したにすぎない日本の漢字を国字ではないとするのはおかしいという論点の難点を考えてみる。
 普通、中国にその字があるのをわかっていて、国字を作るというのはおかしいことである。知っていれば、他の文字にするはずである。このことを考え合わせれば、漢字の素養がない人が知らないで作った場合国字になり、漢字にあることを知りながら、新しい意味を追加した形になれば、国字ではないことになる。これは、大きな矛盾である上に、漢字・国字は作字者がわからない文字がほとんどであるということから、漢字にあることを知らないで作ったのか、意味を追加しただけなのか、判断できないのが当たり前である。
 この2とおりが国訓かというと、そうではない。中国と日本の動植物の種類などの違いからか、漢字が指す意味と違った概念(おそらく知識不足により、同定を誤ったものであろう)を表している場合がある。「杉」と「すぎ」、「柏」と「かしわ」が本来違うものであることは、有名である。この3とおりの場合が、国訓ということになる。
 漢字にあることを知らないで同じ字形に作った場合、漢字に新たな意味を追加した場合、動植物などの同定を誤った場合の三つに分けてはみたが、区分はほとんど不可能であるということが現実で、これらを分けずに、ひとくくりにして、国訓と扱うことにするということである。

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