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昨日のの連絡不行き届きの為に、昨日は二度手間となったくーにゃんのホーム付き添い。 夕方くーにゃんがホームに帰る時に、再度、一緒に付き添いました。 ホームの手前の旧街道沿いに、コンビニがあり、普段は、もう一つ先のバス停で降りるのですが(そっちだと、ホームまでものの1分とかからず)コンビニでおやつ買うというので、一つ手前で降りてコンビニ経由でホームへ。 土日祭日は、いつもの世話人さんでないピンチヒッター?の人が世話をしてくれるのですが、今日は女性。40代かな〜?顔つきがばっちりしていて、なおかつ、お化粧もかなりばっちり。言葉もかなりはっきりしてる方。 今朝の不行き届きの件については、申し訳ないとのことでした。いつものように部屋の片づけをくーにゃんと一緒にしたのだけれど、ごみ箱がいっぱいだというので、いつものようにキッチンの大きなごみ箱に捨てさせに行ったら、「もっと、きっちりと、中に押し込まないと出てきちゃうわよ〜」と注意されてました。 いつもの世話人のお兄さん、くーにゃんと同い年の無口な青年で、怒ったりもしないだろうし、かといっても、細かくも見てない。なんというか、気は利かないタイプ。 女性は、細かな事をよく見てるし、言ってくれます。 「ここは、ごみ箱の中袋もないのね〜」といいながら、くーにゃんが買ってきたお菓子をダイニングで食べようとしたら、「食べ物はお部屋で食べてね」と注意されてました。 そして、私にも、「コロナ禍になってから、ご飯も自室で一人一人食べるようになったんですよ」とのこと。 ええ~?聞いてなかったですよ。そんな話と、言ったら、「Sさん、世話人さん、言ってなかったんですね。細かな事気が付かなくてすみません。注意しておきます」とのことでしたが、 今までどうやって食べてたんだろう。というのもくーにゃんの部屋にちゃんとしたテーブルは置いてないのです。小さなワゴンと整理棚みたいなのしか置いてなくて、その小さなワゴンの上で食べてたのか?と思ったら、ちょっとかわいそうになりました。 くーにゃんも「いいや、これで」って思ってたのか?何も私に不便さを言わなかったので、わからなかった。 「ホームの歯磨き粉がなくなった」というのは伝えてきたので、買っておいたけれど、どうも、違う人が使ってるような・・・ 細かすぎる人も困るのだけれど、もう少し見てほしいな~と思ったり。 一緒に掃除をしたら、凄くベッドの下も綿埃だらけ。普段掃除してるのだろうか? 世話人の他に、支援員さんというのも週に2,3回来てるはずなんだけど、それも、コロナのせいで、人手不足になってしまったのかな? とにかくコロナ、どうにかしてほしいです。ーー; どこもかしこも困ってるところ多いと思うけど、高齢者施設だけでなくて障害者施設もかなり大変だと思います。 人と人とが関わりあってなりたつのが、障害者支援なのに、それができない。とっても困ります。
2021年02月24日
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今日は朝9時からのエアロビクス。 普段は終了後、ロビーの椅子、(一人置きになっている)で30分ほど、マスクしたまま仲間とおしゃべりを楽しんで、帰宅します。(他の人は、ランチに再集合したりしてるようですが、コロナ以降は、私は、不参加にしてます。) が、今日は、同じ施設のホールで、社会福祉協議会が主催の「任意後見制度と遺言」というセミナーに出席。 昨日は、ある財団が知的障碍者の家族向けに無料で行政書士の方が相談に乗ってくれる「親亡き後の個別相談」という相談会。この春からコロナ禍で、オンライン相談会も、ひと月に一度程度行っていて、申し込んだら、すぐに受ける事ができました。 ちょうど、つい先日参加したばかりです。 やはり、くーにゃんのような息子がいる場合は、親は、息子が20歳を超えたから子育て終了、子育て卒業というわけにはいかないのです。 健常の子供がいれば、ある程度の年になると、今度は、子供たちが老いた両親の介護や、財産管理、身の回りの管理をしてくれるかもしれないけど、私達の場合は、自分の事よりか、障害のある我が子の私達がいなくなってからの心配までしないといけないのです。涙 細かな相談内容や、今回のセミナーの細かな内容については、書けませんが・・ 成年後見制度は、舅の晩年、老人ホームに入居したころに、使おうか?と悩んだあげくに結局使い勝手がとても悪くて、断念したので、今すぐに、くーにゃんに使うという考えもありませんが。将来的な事として知識は必要と思ってます。舅の時から約10年、少しは制度内容が変わったのか?と思ったけど、使いにくさはあまり変わりないようです。 遺言については、結構、勉強になりました。コロナ禍、元気で今までいても、明日、突然に、コロナに罹ってしまうということだってありかねない。し、また、不慮の事故、色んな事で私達に突然何があるかもしれないので、これについては、早めに書いておこうとは思ってましたが、なかなか書けなくてね・・簡単なもので良いので、早くに書いておくことを勧められました。 そして、難しい2時間の講義の後は、本当に、久々、コロナ禍になってから初めての友人と3人でのランチ。イタリアンレストラン。料理の写真は撮ってません。すごいボリュームで、おしゃれな盛り付け、味も良かったです 友人達は、くーにゃんのフループホームでの生活にとても興味gああるようで、結構あれこれ、聞かれました。二人とも、くーにゃんの同級生たちなので、それは当然ですね。 「ジェウニーさん、エアロビクスやってからセミナー参加で元気ね~」と言われましたが、さすがに、ランチ後に買い物して帰宅したら、さすがに疲れて、テレビみながらうとうとうたたねしてました。
2020年11月13日
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今日は、くーにゃんの通う作業所の所長以外のスタッフ三人が辞める日ということで、くーにゃんたち通所者は、外食して、お別れ会。(お仕事もあったようですが) その後、帰りの会の後、保護者達からスタッフへお花を渡して、お礼のご挨拶をしようということで、行ってきました。 くーにゃんたちは、一人ひとり、大きな袋をもらってました。中には、今日のお菓子の残りや、スタッフからのお手紙など。 一人のスタッフNさんは、このM作業所が始まって以来のスタッフだそうです。くーにゃんがここに入って早7年ですが、その間、お仕事や、そのほかのこと、様々手助けしてくれながら教わった、大変お世話になった人です。 そのNさんは、実は、昨年の秋にご主人を亡くされました。ご主人の入院が夏でしたから、急なことだったと思います。大変な時に、ちょうど、作業所も閉鎖と言う事でもろもろ、大変な事が重なってしまったので、更に大変だったと思います。なのに、Nさんのお手紙には、「皆さんと楽しく日々を過ごせました。ありがとう。皆さんの姿に励まされました」と手書きで書かれてました。 手紙は、3枚になっていて、1枚は、保護者の皆さんへとなっていて多分、保護者全員へ同じ文面なのだと思います。他の2枚は、くーにゃんと私宛になってました。 その中のくーにゃんへの手紙は、親でない目線でくーにゃんの長所を書いてくれてました。 明るくて、面白くて、ムードメーカーだけど、繊細なところがあること。中でぐぐっときたのは、 Nさんが、ご主人のご葬儀の後、しばらくお休みされた後、初めてM作業所に行った朝のエピソードです。くーにゃんが、2階から「お~い、Nさん、おはよう~。くーにゃんだよ。待ってたんだよ。ここだよ~」と声をかけてくれた事は忘れません。とありました。 気落ちしてたNさんにとって、きっと、くーにゃんの明るいくったくのない声は、嬉しかったのでしょう。 また、もう一人のスタッフKさんは、一番新しいスタッフで、2年半のお付き合いでしたが、くーにゃんの仕事の早さ、みんなを盛り上げるところなどを褒めてくださってました。 卒業して初めてM作業所に行って、2ヶ月後ぐらい、くーにゃんは、行き渋り、行っても、仕事をする前に大騒ぎして、数分で、家に送られて来たなんて事もありましたし、その後2週間ぐらいは、家でも大暴れでショートステイで2週間以上もお願いした事もありました。 まだ当時は、ピピが大学生だったので、「なんで、お兄ちゃんは、学校に行くのに、僕はお仕事なんだろう」と不満があったのだと思います。よく「僕もお仕事やめて大学行くよ」と言ってました。そのうちに、だんだんと、作業所の一員としての自覚もできて、仕事もすごく速く、なくてはならないメンバーの一員になりました。本人の力もあるけど、スタッフの力も大きかったのだと思います。 4月からも、施設は残るので、くーにゃんもそのまま、今の作業所に通います。でも、スタッフは、総入れ替え、同じ名前でも、全く違うところにになってしまうんですよね。 寂しいです。くーにゃんもここ1週間ほどは、「4月になっても、M作業所に行ってもいいですか?」と聞いてきます。くーにゃんには、難しい事は、理解できないので、一回みんな卒業して、新しくスタートするんだよと伝えてありますが、不安がちょこちょこっと出てるのでしょう。 くーにゃんも心配なんでしょうけど、親の私はなお、心配です。 会うは別れの始めとは言うけれど、別れは寂しいものです。特に、良い人との別れは寂しいし、いやですね。 写真は、頂いてきた記念品とアルバム、お手紙
2016年03月18日
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まさき君のピアノ 自閉症の少年が避難所で起こした小さな奇跡/橋本安代【2500円以上送料無料】NHKの「おはようにっぽん」で少し前に多分、震災5年と言う事で、流したものなのでしょう。 「女川の被災地で、震災被害にあった自閉症児(当時は、14歳)の少年が避難所で、ピアノを弾き、避難所のみんなを優しい気持ちにさせた事を覚えてますか?」という特集を見た。 今彼は19歳、その後という事で、当時の映像と共に今の彼の姿が紹介されたという事は、こちらにもそのときの感想を書いた調べるとお母さんが息子さんの事、震災の事を書いた本があるというので、注文してみた。普段なら、近所の図書館に借りに行くのだが、少しでも印税が残された方々の援助になるかもと思う気持ちもあった。目にしてない人達に、私から、回して読んでもらいたいという気持ちもあった。 しかし、注文しても、なかなか届かず、10日以上待たされて、ようやく届いた。 ちょうど、昨日、くーにゃんの病院が込んでて予約から待たされた40分ぐらいの間に、残り数ページを残し、読んでしまった。そして、その2ページを今読んだが、やっぱり、泣けた。待合室でも、涙をこらえるのに、苦労した。 本は、構成も上手くできていた。このあたりは、編集者の力もあるのだろう。 私は、TVの特集で、おかあさんが、震災で、どうにか生き残ったのにも関わらず、それからたった1年で急死されてるという事も知ってたので、まず、あとがきから読んだ。 が、あとがきというのは、厳密には違っていて、「あとがきにかえて」という編集担当者の言葉があった。ちょうど、最終チェックの段階の連絡を彼がしたときに、既におかあさんの安代さんは、1ヶ月も原因不明の熱で意識不明で入院中だったというのです。 その中で、本の出版依頼にも安代さんは、とても戸惑われて、「どうぞ、立派な母というような本でなく、駄目な母の本として出してくださいね」と言われたということなどもそこには書かれていた。 自閉症の研究者としても有名なカニングハム・久子さんの解説が最後に載っていて、自閉症について、わかりやすく書かれてるのも良い 綺麗な海に囲まれて、美味しいお魚などの海産物に恵まれ、人にも恵まれ、夕暮れの夕げのしたくをしながら、ふと手をとめて綺麗な日の入りを見る、そんな小さな幸せな日がずっと信じてた3月11日まで という プロローグの2ページから始まる。 第1章は、震災の日のこと。 私は、震災後2週間あまりで、彼の事を「おはよう日本」で取り上げてたのは見てなかった。自分達のことで必死だったのかもしれない。当時も時折、くーにゃんがすごく不安定なのだから、被災してる避難所の同じような方々、そのご家族は、どんなに大変な事だろうというのは、思い浮かべていたが。 第2章で、まさきくんの事と2人の弟について 誕生から、可愛いのに、とっても育てづらい(なかなか眠らず、良く泣く)ので同居のおばあさん(お姑さん)に相談しても、「そんなもんさ」と取り合ってもらえなかったこと。3歳児健診で、相談して、専門家にみてもらって初めて自閉症の可能性を言われて、ショックだった事。なかなかおばあさんには、それを認めてもらえなかった事。おばあさんの「自閉症は、厳しくすれば治るよ、そんな子は昔はいなかった」という言葉、ああ、なくなった舅も同じ様なこと言ってたなと思いながら読みました。特におばあさん(お姑)は、自分の孫が障害を持ってると受け入れがたいからだとは思うものの、安代さんに向かって、「我が家にはそんな血筋はない。あんたの家の方に問題があるんだろう」と言われて、悲しかったこと。 曾おばあちゃんは、逆に、そんな安代さんを気遣ってくれて、折々にプレゼントを渡しながら、優しいことばを掛けてくれて、本当に救われた気持ちになったことなど。こんな部分、自分のことと重なって、ぐぐっと、胸に余計に響きました。 私の場合は、私自身もなかなかくーにゃんが障害児って受け入れられず、療育にあけくれて、普通の子になることを小学校入学までは願い続けました。障害者というのは、ここ日本ではとっても生き難いからです。姑は、私を責めた事もないですし、むしろ、私を褒めはしなかったですが、自分の息子(私の夫)を「くーにゃんのことを全く恥ずかしいなんて思わないよ。可愛いよ。」というのがすごく偉いなと思ってると言いました。(夫も初めはなかなか障害というのは受け入れがたかったようですけどね。とてもくーにゃんを可愛がってはいます) 安代さんも書いているけど、障害者=可哀想な人とは見て欲しくない。私もくーにゃんが恥ずかしい存在とは思ったことない。恥ずかしい行動については、辞めて欲しいとか思うことはあっても、くーにゃんが障害があるから、恥ずかしいとは思わないし、思いたくないし、誰にも思って欲しくない。 障害があって、変な行動もしたりするけど、普通に街に一緒に暮らす仲間として接して欲しい。血のつながりのある身内なら、なおさらそう思って欲しいです。 この女川の自閉症の青年、まさき君は、くーにゃんよりも9歳下。 なので、くーにゃんの小さな頃よりも自閉症者や、広範性発達障害についての社会の認識は少しは、変わってきてもいいます。それでも、まだまだ理解度というのは、日本では進んでませんよね。 特殊学級か普通学級か悩んだ事。兄弟との関係。私の気持ちのそのままの部分も多くて、うんうんとうなづきながら読みました。多分、多くの同じようなお子さんを持つお母さんは、同じ事を思うでしょう。第3章では、「ピアノが教えてくれたありがとう」 で結ばれてます。 詳しくは、どうぞ、本で読んでほしいです。 感情で訴えるのでもなく、本当に素直な文章で、作ったことでない事実と子供達への思い、周囲の人たちへの感謝の気持ち。 お母さんが1年後にひと月意識不明で最後なくなったしまったというのは、本当に可哀想。 きっとお母さんは、ひと月の間もどうにかこの世に残りたいと頑張ったのでしょうね。 あまりに過酷な震災、その前から続く(シングルマザーで、大黒柱だった)ご苦労が、ストレスが、彼女の体をいためつけてしまったのでしょうね。 本当に本当にご冥福をお祈りします。きっと、愛される青年に成長したまさき君は、周囲の人達の見守られて、これからも成長しつづけていきますよ 、安代さん、きっと大丈夫。と声をかけたいです。
2016年03月16日
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昨日、無事にくーにゃんはキャンプから帰宅しました。 午後1時半ごろに、持たせたGPSでどのあたりにいるのを確認すると、もう既に埼玉。 到着時間よりも大分早く着きそうと思って慌てて迎えに行くため、家を出ました。 正解。予定時間よりも1時間も早く到着。元気に戻りました。障害者達は生き生き。ボランティア学生たちは、ぐったり。苦笑。ボランティアさんたち、ありがとうございました。 同世代の普通の学生さんたち、普段、障害者と交流を全く持ってない人達なら、驚きと緊張の連続だったと思います。くーにゃんよりも、もっと重度の知的と、身体との重複障害を持ってるような人も参加されてたようですから、本当に大変だったと思います。お疲れ様。 くーにゃんも基本的に自分のことは自分でできるのですが、バスが到着という間際に、トイレに行きたくなって、ちょっと大変だったようです。くーにゃんが帰りの電車の中で白状しました。爆 すみませんでした。 でも、ご機嫌に戻ったので、くーにゃん的には達成感もあって、満足のキャンプだったようです。 ここ数回、毎回夫が迎えに行って、帰宅途中にラーメンを食べるというコースが出来上がってたのですが、今回は、夫は、仕事。私が迎えに行ったのですが、「お母さんでも、いいや」と何だか、くーにゃんは、不満でも、仕方ないやと言う雰囲気。でも、一緒にチェーン店の中華食堂で、お望みの激辛ラーメンを食べてました。私は肉野菜炒めにしました。 あっという間の2日間。その間に、くーにゃんは25歳のお誕生日を迎えました。何度も帰宅途中に、「くーにゃんは25歳になったよ」と言ってましたが、マイナス15歳ぐらいの精神年齢なんでしょうね~。家族でのお祝いは、明日しようといってあります。 くーにゃんいない間、のんびりしてたので、まだまだ家の中、片付かない。 今日は、くーにゃんを猫の手よりかはましかな?と手伝いをさせたのですが、お皿洗いは、やってくれたものの、後の仕事は、教えるのに時間がかかって、全く逆にはかどらないので、くーにゃんの手をあてにするのは諦めました。 普段、作業所では、手先の器用さを買われてて、重要な働き手と言って貰ってますが、家ではお仕事はしないと決めてるのか? それもあるし、作業所のスタッフも、きっと根気良く、教えてくれてるのでしょうね。頭が下がります。 昨日の迎えのときも感じましたが、くーにゃんたちのような知的障害や、発達障害を持ってる人達が生き生きできるのは、健常者の支えがあってこそなんだな~とつくづく思います。 それは、目に見える手伝いだけでなくて、愛、本当の意味での無償の愛。 昨日迎えに来てる親達の多くは私よりも年上の人が多かったのですが、重複障害者のお母さんなど、かなりお年に見えたけど、本当にわが子を大事に思ってる様子が伝わってきました。 ボランティアさんもともども、そんなご両親達の姿が印象的でした。 こんな深い愛に、包まれてる人たちは、障害があっても、豊かな生活を過ごしてるのでしょう。 それなのに、健康に生まれてきたわが子を愛せずに、虐待する親がいるというのが、本当に信じられません。そういう親達は、この場に来てこの光景を見て欲しいな~と思いました。
2015年12月29日
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昨日は、くーにゃんの作業所での最後のお餅つき。例年、お餅つきをしてくれて、母達にも「お手伝いできたら、お願いします」と連絡は来るのだが、行った事がなかった。 11月に、地区のお祭りがあり、それに作業所が出店するので、そちらは全員が参加を義務づけられてて、続けて、ふた月のお手伝いが大変だと思ったり、ちょうど、エアロビクスのある日だったというのもある。 が、今年度末で、作業所の名前と建物は残るものの、運営母体が変わり、職員全員退職。通所者たちは、そのまま作業場に残るか?選択を迫られてる。既に1名は、川崎にある入所施設に入り、1名も来週いっぱいで、やめる。 このメンバー全員でのお餅つきは、もう最後なのだ。今までの感謝の気持ちもあり、お手伝いに出かけた。 普段は、作業所は、9時始まりだが、準備があるので、通所者は、10時から。くーにゃんと共に出かけた。 しかし、いつもと、家を出る時間が1時間違う事や、夫がたまたま風邪で、休んでる事、いろいろな事がいつもと違ってて、気に入らないのか?気持ちが落ち着かなかったのか?8時近くにくーにゃんはパニックを起こした。 細かな説明が通らないのが、辛い。 頓服を飲んで収まり、ホ 作業所に着くと、庭に臼と杵。そして、入所施設に移られたTさんのご両親までもお手伝いに来てくれてた。 沢山の母達が来るか?と思ったが、実際に来たのは、来週やめられるIさんの母と役員のNさん、そして、私のみ。 ええ~?!何で?と思ったが、いろいろと、皆さんご事情があったり、それぞれの考えがあるのでしょう。 お餅は、通所者がそれぞれに、つくのですが、その順番を外で待つのが寒いというのもくーにゃんがごねたひとつの理由かも。 ボランティアの私ぐらい?の年齢の女性が2人。もう少し上かな? ご挨拶をすると、「こちらの方こそ、いつも楽しませていただきました」 こんな風な言葉、なかなか言えない。 ボランティアって、本来は、喜んで自らが志願する事を言うのだが、日本では、「奉仕」という訳がついたからか、どうも、「義務感でやらなくてはいけない」様なイメージがある。 本来は、こういうことなんだろうな~。なかなか私自身、できないことだ。そして、いつもくーにゃんがこういう優しい人達と一緒に仕事ができたことを改めて、心から感謝の気持ちが沸いた つきたてのお餅は私達、お手伝い母達が、丸めていき、Tさんのお父さんもつくののお手伝いしてくれたようだ。 お餅を丸めるのに忙しくて、全く写真は撮れなかった。写真という言葉すら、全く頭に浮かんでこなかった。撮ってあげたら、良かったのにね。 きなこにあんこ、そして磯辺と三種類の味に作った。それに、具沢山の豚汁まで用意してくれてた。 ほかほかの豚汁に、お餅。 今後の事は、あまり見えてなくて、不安な気持ちが勝ってるのだが、どうにかなるかな~? とも思えてきた。年の瀬、あわただしく、イライラしがちなときに、ほっこりとした時間がそこにはあった。
2015年12月19日
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くーにゃんの興味のある事は、限られていて、一番好きなのは、パソコン、二番目は、漫画を読んだり見たり、3番目は、電車に乗ること。 だが、スポーツには、あまり関心がないようだ。走るのは、逃げ足は早いけど、もくもくと走るようなマラソンは、大嫌いだし、山登りや、ウォーキングなどといった持久力というのもないようだ。 我慢強くないので、それは、当然。 だけど、手先が器用なので、絵もそれなり上手いと思うし、音感も抜群に良いので、一度聞いたCMソングなどは、教えもしないのに、中学の頃は、良く教室のキーボードで弾いてたそうだ。 が、興味があるというほどなく・・・もっと、親の私達が、いろいろな事に挑戦させる機会を作ってあげればいいのだろうが、嫌がるのを無理やり連れて行くほどの、体力も最近は、ない。 一年に、8回ほどのトランポリンがせいぜいか? 私自身は、10歳の頃までは、超運動音痴だった。協調運動というのだろうか? まず、親が、私の運動能力に失望したのは、小さな頃の足こぎで、うごくパトカーのおもちゃを上手く足でこげなったことらしい。 当然、これが、駄目だったから、三輪車も乗れず。 ブランコは、かろうじて、こげたが、縄跳び、跳び箱も駄目だったし、鉄棒の逆上がりも駄目。 バスケ(当時は、ポートボールと言った)も大嫌い、ドッジボール駄目。腕力がないので、全くボールが飛ばず・・ 体育の時間は、とっても苦痛だった。嫌だと思うと、本当にお腹が痛くなったり、具合が悪くなったものだ。 100m競争などしても、ピストルが鳴って、どのタイミングで走り出してよいのか、良くわかってなかったようだ。 水遊びは、好きだったが、5年生までかなづち。 スケートを初めてやったのも、その頃だったが、50回ぐらい転び、パンツもびしょびしょになり、どこかで、新しいものを買ったようなかすかな記憶が・・ どちらも、5年生で、ようやくできるようになり、自信がついたからか、その後、いろいろな運動に目覚め、小学校6年では一応水泳部、市の大会にもバタフライで出た(これは、選手がいなくて、仕方なしって感じだったけど)だが、運動能力だけでなく、注意力散漫だから危険だといって、父は、私に自転車乗るのをなかなか許してくれず、許してくれたのは、6年生の頃だった。中学1年での徒競走で、1等になり、高校では、10段階の7をようやくもらえるようになった。 スポーツに入るのかはわからないけど、高校2年からは、ずっとバレエ(踊るほう)をやり、ジャズダンスや、エアロビクスというものをずっと続けて今に至る。 でも、多分、今も腕の力はないから、ボールを飛ばす能力は低いと思うけど。くーにゃんは、子供の頃は、私に比べれば、運動能力高かったはず。2,3歳の頃は、サッカーボールを蹴るのが、大好きで、良く公園でサッカーボールで、遊ばせました。だけど、知的な部分の理解力が劣るから、野球は、出来ず、高等部では、キックベース(野球にルールは似てる)のルールがようやく、理解できて、楽しめるようになったというが、学校を卒業してからは、そういうスポーツの機会がない。バスケは、彼には、ルールが難しいのだ。 くーにゃんの卒業した特別支援学校高等部では、卒業生達の為のクラブ活動が、二ヶ月に一度ほどあり、そこでは、料理、カラオケのほか、野球、卓球、ボッチャ(フランスのペタンクに似てるらしい)がある。 いつもは、調理クラブに行くのに、今日は、何故か、卓球が良いと言った。 卓球っていっても、多分、昔旅館などで、スリッパ履きながらポンポンと打ったようなピンポンって感じなんだろうな~。 行くまでは、暑くて嫌だったのか?(学校までは駅から20分程度歩くので)ぐずぐず言ってたのに、帰りは、やはり、汗かいたり、エネルギーの発散が出来てすっきりしたようで、ご機嫌になったくーにゃんでした。
2015年09月06日
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旅行記途中なのですが、今日、久々に病院で嫌な気分になってので、ちょこっと、吐き出させていただきます。毒吐きなので、いやな気分になりたくない方は、あらかじめ、ご了承の上、スルーしてくださいね。 今日は、くーにゃんの通院日。喘息の吸入薬をもらいにいった。 本当に喘息なのか?さえも、実は、疑わしい。一度も発作というのは、起こした事ないのだ。 ただ、この薬を使うまでは、風邪をしょっちゅう引き、大体が、咳から始まり、なかなか咳が抜けない状態になり、近所の咳、アレルギー、喘息が専門の内科にいったら、「これは、完全な喘息ですよ。風邪の後、2週間以上咳が続くのは、喘息です。昔も、今でさえもアレルギー性の咳という医者もいるけど、そんなのは、世界水準では、ありえない診断だ」と言い切る医者だ。 一番、咳が酷くなったのは、震災後。震災のストレスもあったのか? このところは、割合に風邪も引かず、調子良いのだが、医者は、しきりに、呼吸器機能テストをやるようにいう。 数回したことあるのだが、鼻を洗濯ばさみのようなものでつままれ、口にマウスピースのようなものをくわえるのもくーにゃんは、嫌う。 その上、先生の指示が良く飲み込めないのだ。「息を大きく吸って(この程度はわかるが、)なが〜く伸ばせるまで吐ききる」 なが〜く吐くとだけいいのに。全ての指示がそのように、一般の大人向けの言葉で言う。 いちいち、通訳のように私がわかりやすくくーにゃんに伝える。なんたって、言語能力は、幼児並なんだからね。 続いて一番わからないのが、「いっきに、吐き出す」これが、どうしてもわからないようで、抵抗が掛かってるのに、逆らいつつ大きくいっきに息を吐き出せずに終わる。 よって、肺年齢が40代後半になってしまう。そんなはずない・・と私は思ってるのだが。 私は、肺年齢だけは良くて30代。くーにゃんは普段息切れするという事もないのだが。 「運動をした後、息苦しくはないの?」と医者。 「先生、息苦しいという言い方では、くーにゃんはわかりません」と言ったのが、気に障ったのか? 「何か言語訓練などには、今は通ってるの?何かそういう教室を探して行ってみたらいいのでは?この先、困るよ」 は〜?!そんなの散々してきましたよ。お金と時間を返して欲しいほどしてきた。けど、治るとか治らないという病気ではなく。そういうことができないから障害者なのに。 医者って、自分の専門以外のことって全く知らないの?知的障害者や、自閉症について、少しは、勉強しろよな!って捨て台詞を言いたかったが、もちろんいえない。だから、モヤモヤが残る。 今までくーにゃんの事で一番困ってるのは、こういう病院。くーにゃんの痛みの度合い、どの程度、どんな風にどこが痛いのか?いまいちわからなかったり。 病院が怖くて、検査が怖くて、うまく指示に従えなかったり、大人だっていたいのいやだけど、嫌々我慢する事が我慢できなくて、医者にさじを投げられたり。結果、耳ろう孔の炎症は悪化して、最後は、手術になっちゃったり・・・もう少し、こういう人達が安心して治療を受けられるようにならないのだろうか?最近は、歯医者さんは、内科よりも、こういう人たちへの理解が進んでるし、治療も麻酔などを使ったりで怖くなく、痛くなくできるようになってきてるが、全部の科に理解や、治療法が進んで欲しい。
2015年08月28日
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昨日、くーにゃんが、ボーナスを持ち帰った。 数万円。普通の人の約10分の1.でも、多くの作業所では、ボーナスどころか、毎月の給料ですら、ほとんど出ないところもある中、本人の頑張りもさることながら、所長さんをはじめとするスタッフの頑張りによるところが多いのでしょう。感謝です。 所長さんが、自分の生活を犠牲にして、ようやく成り立ってた作業所運営。 結局一所懸命やってくれたことが、作業所を閉鎖という究極の選択になってしまったのかな?とも思ってしまったりもします。 知的や、自閉症のような発達障害者の場合は、支援もその人それぞれによって、方法も変えなくてはいけないだろうし、賃金を得るような仕事を見つけるというのは、難しいんだろうな〜。 だから、たった数万円でも、とっても、貴重な数万円。きちんとピン札でいただいた貴重なお金。 くーにゃんの為に使ってあげたいと思います。
2015年06月11日
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一昨日の土曜日は、約半年ぶりのくーにゃんの歯科の定期検診だった。前回、懸案だった虫歯の乳歯を抜くことができたので、ちょっとは、気楽。 ここの歯医者さんよのおつきあいは、くーにゃんが、ーにゃんが3年生のころだったと思う、奥歯の脇が、ちょうど、ハワイ旅行直前にに、白いのが、出ていて、私は、永久歯が出てきたのだと思い、そのまま、旅行に連れて行った。旅行後、当時掛かっていた障害児を見てくれる歯医者が休診で、とりあえず行ったのが、始まりだった。そのとき、とっても感じよくて、診てもらえたというだけでも、ほっとしたのだった。結局その後、当時のかかりつけの歯医者にいったら、ネットをぐるぐる巻きにされての治療をされた。 口にゴムのシートを入れられて、暴れなくさせられて、うむをいわずに、乳歯を抜かれた。すごく怖かったのだと思う、くーにゃんの目から、ただ涙が流れて、本当にかわいそうだった。それから、主治医を今の歯医者に変えたの。私も夫も家族中で、お世話になってます。 ただ唯一の、困った点は、あまりにはやっていて、予約がなかなか取れない事。それだけ、みんな先生や、スタッフを信頼してるということだろう。 一昨日のクリーニング時も、いつもの歯科衛生士さんは、いちいち、くーにゃんに説明をして、了解をとって、やってくれる。1週間前から、本当は、心配で、毎日の数回は、、「土曜日は、歯医者さんだよね?ただのお掃除だよね?」とうるさいほど、私に聞いてたのだけれど、行ったら、すっかり、安心して身を衛生士さんに委ねて、途中、居眠りまでするほど。信じられない~。口あいて、あれこれ、されてるので、寝ちゃうの?と思ったけど。 今のところ、治療をしなくてはいけないほどの歯は、ないが、グレーゾーンの歯は何本かあって、要注意。自分で磨いた後、必ず、私が、再チェックをすることと、言われてしまったわ。 先生が最後に、「自分で歯磨きした後、必ず、お母さんにも見せてね。フロスは、やってもらってね」じゃ~、タッチしようと、ハイタッチ。 機嫌良く診療を終えられました。どの科の先生も、こんな風に、接してもらえれば、くーにゃんも怖がったり、騒いだりもしないのだけれど、込んでる耳鼻科など、そんな余裕は、先生にもスタッフにもない。これは、診療報酬の差もあるのだろうけど、こういう良い歯医者さんにめぐりあえたのは、ありがたい事だ。 身障者用に、各科がある病院があったら、いいのにな~。とにかく、来月再検査。来月もすんなりすむといいな~。
2014年11月24日
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日曜日に、キャンプから元気に帰宅したくーにゃん。今週は、1週間丸まるくーにゃんの作業所全体が夏季休暇です。ピピのところもそうなんですけど、ピピは、自分であれこれ、計画を立てて、好きな事をして時間を使えるからいいのですが、くーにゃんは、成人していても、親が未だにお膳立てをしてあげないと暇をもてあまします。 もっとも、本人が一番好きな事は、パソコンで、一日中、ネットをしていたいようです。が、そうやってると、しだいに、ネットが上手くいかなくなったり、ネット中毒症状でイライラしてくるのが、目に見えてる。 移動支援を使ったヘルパーさんと外出したりもしますが、それも続くと飽きてしまうし、一日中家にいられるのも私の方が結構苦痛です。三食の用意もあるし。今週は、私が、つい気が緩んでるから、寝坊。といっても、7時前にはおきますが、大体、くーにゃんの「お母さん朝ですよ」の声で目を覚ます。 お腹空かせるわけです。なんたって、鶏のごとく朝5時台には、おきてるくーにゃんですからね。月曜日は、キャンプ疲れもあるかな~?と思って、近所の買い物に一緒に行っただけでした。火曜日は、近くの図書館併設のカフェに連れて行き、ランチさせました。くーにゃんのお気に入りの場所のひとつです。障害者が働いてます。今回新顔君がいました。イケメン君で、てきぱき注文をとったり働いてました。見た目何の障害を持ってるのか?わからなかったけど、普通の会社には、入れない何かを持ってる人なのでしょうね一昨日水曜日は、くーにゃんは、ヘルパーさんと、上野に。お気に入りの若い可愛い女の子がヘルパーさんです。本人は、デート気分のようで、この子と一緒だと、まず、わがまま言わないです。上野の博物館、美術館を回ったようです。上野に行くと毎回寄る韓国料理屋さんがあるらしく、そこでランチをしたそうです。 くーにゃんが出かけてる間、私達は、母の家に例年通り、お坊さんが来るので、集まりました。晩ご飯後、ピピは、アパートに戻らずに、こちらに帰ってきたので、昨日の御昼は、ピピの要望で、久々、回らないおすし屋さんに行きました。 息子達二人は、大盛り寿司~ くーにゃんも満足だった様子。今日は、近所に県立の博物館があって、この夏は、プラネタリウムが見れるようなので、誘ってみたんだけど、頑固に行かないというので、さて、どうしようか? 暑いし、私一人なら、ダラダラしていたいんだけどな~?・・
2014年08月15日
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今日は、くーにゃんの歯医者。実は、何度か書いたか知れないけど、くーにゃん乳歯が残ってたのです。それが、困った事に、虫歯になってしまったのが、わかったのは、高等部卒業後数年たったころ。 学校時代は、少なくても、年に一度は、学校で歯科検診があったので、チェックできてたけど、卒業後は、自分から歯医者に行かなくてはよっぽどの虫歯でないとわからない。 2年間歯医者に行かずに、市から来た20歳の無料歯科検診のときに、その虫歯を指摘されました。その後、3年間。どうにか進行止めを塗ってもらったりしたけど、虫歯は、大きくなってしまいました。 前回のクリーニングからひと月たった今日、治療をしようということだったのですが、先生が、やっぱり、抜こうと言う判断をされました。 くーにゃん、今日のことをずっと気にしていて、特に昨日は、緊張で「心臓が痛い」とまで言ってました。 こちらまで緊張。特に先生は、前回は、削って埋めようと言ってたので、そのつもりでいたので、私まで、急な変更にとまどいました。 予約時間に行ったけど、40分程度待たされて、くーにゃんはしだいにイライラしてくるし・・・直前に仕方なしに、安定剤を飲ませました。 そのせいか、治療時には、ちょっと気持ちも落ち着いてて、本人が、「アイマスクを持っていく」と言ったので、それをして、万全の体制で臨みました。 先生もくーにゃんには、わからないように器具を下から衛生士さんからもらったりして、もちろん「歯抜くよ」とは言わず、「痛くなくするからね」だけ言って、どうにか本人には感ずかれないままに終わりました。でも、麻酔が切れたら痛くなるのかな? 先生もかなり、慎重に時間をかけて抜いてました。乳歯で根がもろくなってる場合は、途中で折れてしまう事があるからだそうですが、抜いた歯を見ても乳歯なのに、根がしっかり残ってました。 私は、ものすごく血に弱く、今日も抜いてるのを脇で見る時も顔を手で思わず覆ってしまいました。胸もドキドキしちゃうし・・終わったときは、くーにゃんともども、ふ~っと息がもれました。 先生もほっとされたようです。ですが、今日一度で治療は終わりかと思いきや、何と、心配してたとおり、乳歯が重なるように生えてたので、両隣の永久歯が少し虫歯になってしまってたので、次回、もう一度、その治療があります。あ~。その前に自分の歯の治療もあるし、なかなか親子3人歯医者とは、縁が切れません。夫は、1年がかりで、通院中。 終了後、お約束の〇タヤにより、毎週お決まりのレンタルDVD.ですが、オンラインクーポンが私のカードのでなくて、くーにゃんのカードになってました。 家に戻って設定を変えようとしても、くーにゃんのパスワードをすっかり忘れてる始末。何にしたんだろう。 yahooアドレスもくーにゃんのをすっかり忘れてて、何と1時間も掛かってようやくyahooIDを探しました。ふ~。でも、オンラインクーポンにしないと、半額にならないんですよね。 先週初めて知ったのだけれど、ツタヤも店舗ごとに料金が違うのね。駅近くのところにいつも借りるけど、駅から遠い店舗の方が50円安いです。 私のご褒美に1本借りてきました。何のご褒美って、それは、くーにゃんの通院の付き添いは、とっても疲れるんですもの。これぐらい、いいでしょ?借りたDVDは、こちらです。ドラマの感想は、姉妹ブログ、ドラマあれこれ の方に書きますね韓国ドラマ☆私たち結婚できるかな?10枚組 1-20話 BOX1+2 DVD-BOX韓国ドラマ☆私たち結婚でき...価格:2,200円(税込、送料別)
2014年05月23日
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本当に気持ちの良い朝ですね。気持ちは、がっくりなんですが。 実は、昨日、くーにゃんは、ぐっすりと、昼寝しちゃいました。起きたら、耳が詰まったというの。 よく休みの後は、作業所を休みたくて、そういう大げさな事もいうので、それかな?と思ったのだけれど、明後日から、障害者と健常者と一緒に行くというキャンプがあるから、耳鼻科に連れて行きました。 いつも耳鼻科は混むから先にいったん一人でいって、診察券をだすのだけれど、今日は、病院が空く15分前についたのにも関わらず、既に私は、9人目でした。 いつも丁寧な先生だからとゆっくり出ようと思ってました。いく前に病院に電話したら、いつもよりも進みが速くて慌てて走らせて、耳鼻科に。間に合ったけど、耳診て貰ったら、今までにないほどに、重症化してました。年末だし、切開しましょうと言われて、切開。明後日からのキャンプは当然キャンセルにしました。私の方ががっかり~。 返金はしてくれるようですが。 やっぱり、前厄だからかな~?今年、ちゃんと厄払いをしてもらってあったのに。 次男のショートステイが全く取れない状況なので、本当にこのキャンプを楽しみにしていて、明日は、送った足で中学時代の友人達とプチ同窓会の予定でした。全部私がセッティングしたのにも関わらず、行かれません。 研太の弱点は、やっぱり、耳です。もう一度年内に耳鼻科に連れていかなくちゃいけないのだけれど、その日は、くーにゃんの誕生日。誕生日に病院で過ごすのも、もう何回目?1歳のお誕生日は、10日近くも高熱が下がらずに、病院で年末を過ごし、その後、3歳のお誕生日も、風邪から気管支炎で入院。耳鼻科に通って薬飲んでたのに、病院の年末年始休み中に、もう片方の耳が中耳炎になっちゃった時もありました。 耳の耳ろう孔が膿んで、手術待ちをした年末もありました。本人も辛いだろうけど、私も本当に、大変だわ。一人で、病院行かれないのですから。やっぱり、12月は、鬼門だわ。このまま、薬が効いてくれて、早く治ってくれるといいんだけど、病院が休みに入るので、とても、心配です。 大人になると普通は、切開するほどの中耳炎ってならないはずなのにね。いつまでも、心同様、体も子供並みのようです。 フィギュアスケート、高橋君、選んでも選ばなくてもブーイングが出るだろうな~と思ってましたが、怪我が治るのか?心配です。充分な練習しないままオリンピックに出たら、今回の二の舞にならないかしら? 小塚君も充分に、出られるだけの実力持ってるのにね。 日本の男子は、今は層が厚くて、連盟も悩むでしょうね。せめて世界選手権は、小塚君、むら君出してあげたいのにね。
2013年12月24日
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またもや、映画ではなくて、今日の予定です。 午前は、くーにゃんの歯医者の定期健診。連れて行くだけで本当に疲れます。本人も緊張してたけど、私の緊張も半端じゃない。 自閉症者特有なのか、くーにゃんのこの痛みへの過敏さってどうにかして欲しい。歯医者って誰でもが嫌だけど、普通の大人たちは、仕方なしに我慢してるのよね。痛い処置が嫌ならば虫歯を作らないようにしたらと思うけど、一所懸命ケアしてるつもりなのに、上手く歯磨きできてないのよね。 本人がした後に、私が毎晩仕上げ磨きをしてるのに、やっぱり、それでも、磨き残してるようです。 おまけに、どうしても抜けない乳歯が一本残っててその後ろに永久歯が生えてしまったので、まるで八重歯のようになってるの。その乳歯が虫歯。ぽっかり孔開いてる。 だけど、絶対に、抜くのは嫌だといいはるので、そのまま、進行止め塗ってます。 他にも今は虫歯とはいえないけど、グレーゾーンの歯や、歯肉炎ぽい歯茎などなど。 1時間半もの間、クリーニングとその処置でくーにゃんも私も汗びっしょり。 最後、先生のチェックの後、フッ素を塗ってもらう時、「ええ~?!まだなの?いい加減にしてよ!」と大声で叫んだあとは、観念したように、大人しく処置を受けてました。 しかし、まだ一ヵ月後、再度同じ処置をして、くーにゃんの嫌いな歯茎のチェックもしようとのこと。これは、無理だろうな~。これをすると、次回がこれなくなっちゃう。 さて、この後、残る予定の1つは、韓国語教室。あ~、今日もグテグテに疲れそうです。
2013年09月07日
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札幌旅行の続きは、ちょっとおいておいて、今日の事。今朝起きると、すっきりしないお天気ではあるものの、まだ雨は降ってなかった。良かった!と思った。週明けの雨は、くーにゃんが不安定になる元だから。 しかし、夫が出かけて少したった7時半ごろになると土砂降り。案の定、くーにゃんは、心配しだした。「雨止むかな~?バスの時間遅くする」 嫌な予感。 このまま出してしまう事も可能だったけど、ちょうど、今日の午前中、私は、くーにゃんの通う作業所とは違う生活介護型の作業所の見学の予約してあったので、くーにゃんも休ませてこちらに連れて行く事にした。 通所に使ってるバスで大声出してしまうとの報告の後、生活介護型に移る事も考えて、生活介護型に空きがあるのか?を問い合わせをしたら、相談に乗ってくれて、一度見学する事になったのだ。 老人の場合もいろいろとした、介護施設があるけれど、障害者の場合もその程度によって、いくつかの作業所の形態があるのだ。大まかにすると3つで、就労移行型というと、一般就労を目指す為の訓練型、就労支援型・・ある程度の工賃(月にたったの1万からよくて3万程度)をもらって、仕事を中心にする作業所。生活介護・・ほとんど、仕事はしないで、日々の暮らしを豊にすることを中心にするもの。 当然、生活介護に通う方の方が程度が重くなる。 くーにゃんが通う施設は、この3つとは、また違うもので、地域活動支援センターというものに、位置づけられる。 就労支援に似てるが、送迎がない。 送迎付きなら、バスで騒ぐという心配はない。でも、くーにゃんは、それなりに、バス通所を楽しんでるようで、日によって、乗る場所を変えたり、降りる場所を変えたり、帰り道に、コンビニに毎日寄って、おやつや、雑誌を買ってくる。ただ、バスは、日によって、とても道が渋滞するのが、時間にこだわりのある彼には、いやな事なんだろう。 今日、見せてもらった施設は、新しいので、綺麗で、まだ、定員の半数しか通所者がいないこともあり、支援員体制も充実してる様子。複合型の施設なので、もしも生活介護で通っても、B型の中にスペースを作ってもらうこともできるかもとの嬉しい話もあった。何よりも理事長他、視線員さんたちが、本当に、こちらの身になって、最善策を一緒に考えてくれる姿勢がとても嬉しかった。 ここに通わせようか?とも思ったが、くーにゃんにとりあえず、体験実習をしてみないか?と聞いてみても、頑としてノー。首を横に振り、「僕はM(今行ってる作業所の名前)に通う。」との事。通うなら、バスがいくら混んだり、道が混んで動かなくても騒ぐ事はいけないのだと言うと「うん。」と言う。 なんてたって、本人の意思が一番重要。でも、きっと、初めての場所が苦手だから、不安でそういってるというのも大きいと思うけど。 これで作業所を移るという道はとりあえずは、保留。このまま一人通所。バス会社に一言、今後の事を考えて、くーにゃんのことを伝えたら?と理事長さんの話。あ~、また面倒な事が増えたよ。とも思う。 本当は、道が混みそうな五十日だけでも、送迎を頼めるのが一番安心なんだけど、送迎を朝お願いできる事業所がないようで・・・ とにかくコスパで言ったら、断然、くーにゃんみたいな人達は、コスパ悪い。人手が掛かる。 自分の選んだ道なんだから、明日から、グズグズ言わないでよね~と思うけど、きっと、そんな事忘れてしまうんだろうな
2013年07月29日
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夕べの6時半ごろ、ちょうど、夕飯を作ってる最中に、くーにゃんの通う作業所の所長から電話がありました。それは、ショックな内容でした。 くーにゃんの使ってるバスに乗り合わせた作業所近くの中学校の先生から作業所に電話があったというものでした。くーにゃんの卒業した学校に、くーにゃん在学中にいた事ある先生だそうです。私は、ちっとも覚えてない名前ですが。くーにゃんが通勤中に、たびたび、車内で、奇声をあげてたのを他の先生が見たという報告だったそうですその先生が直接みたわけでなく、他の先生からの又聞きだそううです。さらにそこから所長にとなったので、またまた聞き。知りたい内容が良くわからず、逆に心配ばかりふくらみました。夕べは、そんなわけで夕食も食べても何だかまるっきり、美味しくもなく。くーにゃんは暑さに弱いし、渋滞が大嫌いなので、それが重なった時になったのかもしれないけど。一昨日は、ずる休みで、おとといは、急な雷雨。「雷が怖いよ~」ってバスの中で言ったとは言うんだけど、今日は騒いでないというし・・ 月曜日は、朝頓服を飲んだので、いまいち調子が良くなかったのもあるので、その日は騒いだのか?今朝は、仕方ないので、どんな様子か、一緒にバスに乗ってみました。静かに乗ってました。普段一緒に公共の交通機関を使っても、中で騒ぐ事はないです。ただ急に人身事故などで電車が動かなくなった時や、バスが渋滞の時は確かに少々、うるさくしつこくは、なります。「大丈夫大丈夫?」って 昨日電話くれた先生に、くーにゃんと乗り合わせることが多い先生を紹介して欲しいとお願いしてあったら、帰宅するなり、電話ありました。 図書室の司書の方みたいです。詳しく話しが聞けました。やはり、独り言が多いのだそうです。それが、渋滞になると自分の席から、大声で「運転手さん、渋滞ですか?間に合わないよ。遅れちゃう。何時に着きますか?」と聞くことがここひと月ほど多くなり、周りの人が振り返る事が多く、見ていて辛いのだそうです。 特殊学級などがあったり、身近にこういう障害者がいれば、これが特徴だと思うけど、精神的な問題で、各種の事件を起こす人もたまにいるので、そういう目で見られやしないか、心配だというのです。確かにね。だからといって、一緒に毎日付き添うわけにもいきません。そうなってる時に、声かけしていいか?とも親切心で言ってくれましたが、知らない人から急に注意を受けても果たして聞きうけられるか?多分、自分に話しかけられてるとは思いもよらないと思う。それをお伝えして、来週、同じバスに乗ったら、声をかけてもらい顔合わせだけしておくことにしました。またこちらの電話番号も知らせて、問題行動があったら、連絡もらう事にもしました。が、危険な事は、別として、そうでない独り言をずっと言ってる程度の迷惑行動(著しく大声の場合は、ともかく)は、できたら、耳に入れたくないのも正直なところです。だって、くーにゃんときたら、やっぱり、独り言多くて、はたからみたら、変な人なんですもの。苦笑。それをいろいろと言われても多分障害だから、ゼロにはできませんから。【中古】 光とともに・・・~自閉症児を抱えて~(文庫版)(5) 秋田文庫/戸部けいこ(著者) 【中古】afb【中古】 光とともに・・・~自閉症児を抱えて~(文庫版)(8) 秋田文庫/戸部けいこ(著者) 【中古】afb
2013年07月11日
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今朝、食卓に座ったくーにゃんが「針がささった」というので キッチンにいたのだが、慌てて駆け寄ってみるとお尻を押さえてる。お尻に何かが刺さったらしい。 見たくはないが、お尻を出させてみてみると、確かに血がにじんでる。イスを確認してみるとイスに置きっぱなしにしたままだった私のエプロンが、あった。 ポケットをさぐると鉛筆が入ってた。その芯が刺さったようだ。あれ~! 朝は慌しく朝食の用意をするのだが、おなかが空いてるくーにゃんは、待ちきれずに、全員が食卓につく前に、勝手に座って食べだすのもしばしばだ。 エプロンの上に、無造作に座ってしまい、その鉛筆の芯が刺さってしまったのだろう。 くーにゃんも不注意だが、元々は、私の不注意がまねいた事で・・だらしなくしてたことを多いに、反省。エプロンも鉛筆も所定場所に、ちゃんとしまってなかったからいけないのね。 どどっと朝から疲れました。芯は折れてはないようですが、 痛いですよね。消毒、抗生物質の軟膏。抗生物質の飲み薬を 飲ませましたが。化膿しないといいのですが・ それにしても、22歳という年だけは重ねてはいても、くーにゃんは、やっぱり、幼児並みに気遣わないといけないと再認識。最近、そういう気遣いをさぼりたくなるし、とても、神経が疲れる。 こういうことがあると、どどっと疲れてその後、パワーがなかなか出てこない。 自己嫌悪と、一生、こういう気苦労があるんだな~というモヤモヤとした気持ち。 気持ちが後ろ向きになる。 幸い、今日は、友達と出かける予定。パワー充電しなくちゃ。
2013年05月14日
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雨の土曜日です。夫は、休日出勤のため、くーにゃんと二人。今日は、くーにゃんを床屋さんに連れて行きました。千円床屋です。なので、いつもいるスタッフが違います。ちゃんとした町の床屋さんみたいなところなら、きっと、おなじみさんになって、くーにゃんでも、一人で行けると思うのですが・・安いところは、そうもいきません。待つことはできますが、髪形の説明とかが無理だと思うから。 先週、くーにゃんとの買い物の帰り、スーパー内の本屋へ。くーにゃん、ざざっとコミックを探した後で、大きな声で「〇〇ありませんか?」とレジの人に聞きました。それは、どちらかというと女の子向けのコミック。だからなのか?大きな声だったから、一瞬で知的障害があると思ったからなのか?店員さんの対応は、良くありませんでした。それは、ないっていうようなことをごちゃっと言っただけで探してもくれませんでした。 被害者意識というか、私は、一瞬、知的障害があるから、馬鹿にしたなと思いました。私が、くーにゃんがその言葉で、くーにゃんが怒らないかも心配だったから、「くーにゃん、〇〇っていうのは、ここにはないんだって」と、まるで通訳のように噛み砕いてくーにゃんに言って聞かせてました。それを見たレジの人は、急に、保護者がいるからと思ったのか、態度が変わりました。 コミックを探しに来てくれて、「こちらにあります」と丁寧になりました。ますます、私は、嫌な気分になりました。人で判断するのか?と と言いつつも、私にそういうところがないか?といわれたら、自信ありません。例えば、ホームレスのように、汚い格好をしてる人がいたら、ちゃんとした態度を取れるか?ただのひやかし で来てると思うかもしれません。 ホームレスといえば、昨日、くーにゃんの作業所の総会と保護者会があったのですが、その帰りに、ゴミ箱をあさってる人を見ました。年は、さほどいってないと見えました。ボロボロの服着てました。なんとなく、知的障害もあるようにも見えました。 家族はいないのか?どうしてそうなってしまったのか?一瞬で去ってしまいましたが。気になりました。 先日、生活保護の不正受給をTVのニュースの枠でレポートしてました。毎日働いてるのに、お給料がたったの2,3万だとか。くーにゃんもそんなものですが。 その人も軽度の知的障害者のようで、TV局のレポーターが雇用主に、最低賃金を守らないで働かせてる事についてのモラルの言及をしてました。ようやく雇用主は、自分の非を認めて、その人の給料を上げることにしたようです。こういうのは、とても腹立たしいです。 知的障害者や、お年よりを食い物にしている悪いヤツラ、そういう人達へは、もっと罰則を厳しくして欲しいですね。 モラルを持ってと訴えても、そういう人達には、なかなか通じないでしょうね。昨夜見た録画をしてた旅番組。スペインを行くもの。街角で復活祭を祝う歌を良い声で歌ってたのは、ダウン症の成年のようでした。周りの人達は、ごく普通に、彼の歌声を称えてました。 ごく普通に、障害を持ってる人もそこにいる。普通に街で暮らせるってそういうことですよね。
2013年05月11日
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一般の人は、あまり見ないであろう番組「ハートネット」。障害者などのマイナーな人達の悩みや、情報、を得られる番組なので、時々見てる。 さて、先週放送の再放送、録画録りしてあったので、視聴。今や、もう既に我が家の息子達は、大学生でもないので、あまり関係がないといえばそうだが、最近の障害者、特に発達障害者を取り巻く環境を知りたくて見てみた。 最近になって、発達障害と言う言葉は、かなり聞かれるようになったが、でも、まだまだ周辺にそういう人がいない人には、なじみのない言葉だろう。 主に、知的には、平均か、また、それ以上の知能を持ちながらも、ある困難さを発達に持った人と言ったら、いいだろうか?過去、天才と呼ばれてきた人達も、今のような診断基準があれば、これだったろうと思われる人達は、多いですね。社会性がないけど、天才的な頭脳の持ち主。アインシュタインとか、エジソンとか、アンデルセン? ドラマに出てくる人達も私などは、ついついそういう目線で見てしまうので、昨年放送された「梅ちゃん先生」の松岡先生もアスペルガーでは?と思ってしまいます。 さて、放送では、最近の発達障害者への大学の支援体制、取り組みを紹介してました。紹介された大学は、3つで、どれも、国立大学。京都大学、鳥取大学、もう一つは、どこだった? どこも一流と言われる国立大学。もっと、ごく普通の私立大学での取り組みも見てみたかったな。 数年前からセンター試験でも、発達障害者へ、配慮した試験を受ける事ができるそうで、番組に出てた鳥取大学生はアスペルガーなので、そういう配慮をしてもらって合格。今も授業には、書き取りが上手くできないので、パソコンでの板書と雑音を遮断する為のヘッドホンを許可してもらってるそうだ。 理路整然とこのようなことを話す彼は、ヘッドホンしてなければ、どこに障害があるかわからないと思う。 このように自分の難点を他人に話して、なおかつ、それを認めてもらえる人はいいが、なかなかそういう発達障害者ばかりとは限らない。 自分が何か他人と違うと思いつつも、専門家は少ないし、なかなか専門家までの道のりさえ、長く、ようやく診断名がついても、そこから、孤軍奮闘の人も多いだろう。 大学での支援体制がそのまま、また、就職まで、就職後の支援体制に繋がるともいえず、まだまだこういう発達障害者が、世の中で生き易い世の中が定着するまでには、時間がかかるだろうな~。 まずは、社会的認知度を広げる事が必要なんだろう。10年後、世の中の理解は、どの程度、広がるか? トム・クルーズだって、発達障害の一つディスレクシア(読字障害)を持っててもあんな才能があるわけで、世間一般の人の関心を持ってもらうには、、彼のような人がもっと、発達障害についてや、障害者理解にも発信してくれると認知度が上がるだろうとも思う。
2013年02月28日
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今日はくーにゃんが通所してる作業所の保護者会でした。 20歳を過ぎても保護者会があるのが、障害者の親なのです。 さて、今日の冒頭で所長から「実はショックな事があります」とのこと。 そういう出だしで、今まで作業所に空き巣が入った話や、職員が急に辞める話、いろいろなあったため、一瞬身構えた。 「ハイエースが盗まれたんです」 このハイエースというのは、所長のお母さんから、ポンと2年前?1年前だったかに寄贈されたものでした。 作業した内職品を納品したり、しいたけの販売などに使ってた業務用の車です。 ないと大打撃。仕方ないので、今度は、軽自動車のバンを所長が自分で買って、それを作業所に貸し出す形にするということでした。 まだ1年とか2年とかしか経ってないそうで、8千キロも走ってないとか。その走行数が大きいのか、少ないのか、私にはよくわからないが。 なんだって、こういう弱者のところから持っていくんでしょうか?腹がたつことこのうえないです。同じ日に近所でも、やはりハイエース盗難があったそうですが。 きっと今頃には、どこぞの港へ運ばれているのでしょうね。 もっと、パトロール強化でもしてほしいです。もちろん、鍵は、掛けてあって、ハンドルが動かないようにバーがあったそうです。でも、作業所は、夜間は、無人なので、作業所としても、もう少し防犯対策をしたほうががいいようにも思いますが。とにかくショックな出来事です。
2012年12月07日
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今日は久々くーにゃん、トランポリンサークル。本人、大好きというわけでもないが、行けばそれなりにすっきりするようで、終わるといつも満足そうだ。 それに、咳喘息の医者からもなるべく定期的な運動を薦められてることもあり、行かせてる。親同伴なのだが、夫婦共にぎっくり腰をしていらい、ほとんどヘルパーさんに同行してもらってる。今日は、いつもトランポリンに同行してもらう事業所でないところのヘルパーさんにお願いした。 朝、くーにゃんはいきたくないとグズグズ。いつもこれが面倒だ。どこでも、ほとんどの場合、自分から行きたいと言わない場所に連れ出そうとするとグズグズ。 今日は、他の事で夫と揉めてたこともあり、くーにゃん久々爆発。そんなこともあり、持ち物の点検がちょっとおろそかになってた。 終了時間を過ぎた頃に、サークルの先生から連絡。「くーにゃん君、帰ったのですが、ジャンパー忘れて行ってしまいました。ヘルパーさんに連絡取れますか?」 慌てて連絡を取ったら、すぐに気がついて、取りに戻った後だった。 ほっとしたのもつかの間。その20分後ぐらいに、今度はヘルパーから電話。 「持って行ってたスイカを失くしたと本人が行ってて、ジュースを買った場所に戻ろうと思うのですが」 横でくーにゃんが騒いでたので、パニックになってるようだった。 スイカには、バスの定期も入ってるはず。大体、スイカは使わないので、持っていく必要ないのに。持って出てたのを私は気がつかなかった。バス定期、まだ2ヶ月分、残ってたのに。バス定期高いんだよね。 でも、くーにゃんもっと、パニックになりそうだから、とりあえず、見つからなかったら、そのまま帰宅するように伝えたが・・・あ~私も悪かったが、ヘルパーさんもしっかりしてよ!ベテランのヘルパーさんなので、安心してたんだけど。 こういう日は、行かせないほうがいいのだろうか?全く、気分が悪い一日となってしまった。
2012年11月24日
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昨年は、震災の影響で開かれなかった市内のくーにゃんの作業所があるG地区でのお祭り、終了しました。 今回は、前回は売り子はしなかった夫も売り子でお手伝いだったため、写真は、一枚も撮ってないです。 実は、行くときのルートでくーにゃんは、地下鉄を使って行きたかったようで、却下していつもどおりにバスルートで行くと言ったら、くーにゃん爆発。 くーにゃんの行き方にこだわるのは、ますます酷くなってます。 くーにゃんのパニックは暴力的にはならずに、とにかくくどくどと同じことを私に向って延々と大声で言うんです。「お母さん、地下鉄は、事故になっちゃったの?地下鉄ではいけないの?」 こんな風にです。 このくどさ、経験してる人ならわかるでしょうが、結構きついです。それに、外だと人目があるので、困るんです。が、それがわかってて、わざとするんです、くーにゃん。 とにかくどうにかおさまるまでじっと我慢の子。で、放っておきます。が、夫は人目が気になって仕方ないようで、文句をぶつぶつ。そうすると余計にくどくなるんです。 行く前にどどっと疲れました。 ちょうど、出る1時間ほど前に雨も降ってきましたが、つくと結構な人。 今回はほとんどのお宅のお父さんたちも助っ人として、売り子さん。私も大声張り上げて、「しいたけいかがですか?ダイエットにいいですよ」と。ダイエットできてない私が言ってもあまり説得力なかったですが。 前回は、しいたけを横で七輪で焼きながらの呼び込みでしたが、今回は試食用に所長のお母様がしいたけ煮て下さってました。 くーにゃんは1時間弱はただいるだけ状態でしたが、途中から俄然張り切ってました。 トランポリンの先生がわざわざ江戸川越えて買いにきてくれました。有難いことです。 前回は売り子しないで、ただ写真を撮ってただけの夫も売り子をやたり、しいたけ運んだりと活躍しました。そのためか、今回は写真を撮ってるゆとりがなく、写真一枚もなし~です。写真は、前回(一昨年)のものです。 ようやく大行事が終わりほっとしました。
2012年10月28日
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良いお天気ですね。秋らしくて。 くーにゃんは夫とウオーキングクラブに久々出かけました。今日の行き先は、県立特別支援学校。 くーにゃんが卒業した学校ではなく、市内の南側にあります。そこのお祭りなんです。 ですが、久々のウォーキングが嫌らしく、朝からごねごね。頓服飲んでおさまりました。そこまでして、行かせるのも面倒だと思うことしばしばです。自分をさておき、くーにゃんは、基本、障害者が苦手なんですね。自分が大声だしたりするくせに、大声出してパニックになる人が特に苦手のようです。 さて、先月からピピはそれまで打って変わって、急に仕事が忙しくなったようです。 夏までは定時帰宅で夜7時には一緒に夕飯食べてたのに、先月からは、ほぼ毎日残業で一緒に夜の食卓を囲むことはなくなりました。 夕べは12時近くの帰宅。さすがに連日だと体もきついようで、特に毎日横浜市まで通勤となると我が家からでは、毎日小遠足をしてるようなもので。 夕べは、珍しく愚痴というか、そろそろ引越しを考えなくては、とつぶやいてました。 だからといって、具体的にどうやって動いていいのかわからないのだそうです。 一緒にアパート探しもしてもいいよと言っておきましたが。 私も毎日こんなでは、ただ家には寝るだけに戻るようで、心配でもあります。 それで夕べは私も遅く寝たのです。寝しなに偶然見たテレビがNHKの福祉の番組で「大人の発達障害」の番組の再放送、一挙放送でした。 見るつもりでなかったのに、見たら2回分、そのまま見続けてしまいました。すごく切ない内容でした。私のように、くーにゃんのような障害者が家族にいる場合は、発達障害という言葉も、またそれがどんなものであるのか?を大体は知ってはいることが多いでしょう。しかし、普通の人達は、その言葉も、またそれがどういう障害なのか、知らない人も多いのでは。くーにゃんも発達障害者ともいえます。知的に遅れがないが、特にコミュニケーション能力など、限られた部分の発達に障害があるのを発達障害と言って、特に最近大人になってからその障害が見つかる人が多いようで、社会的に問題になってるようです。。 【送料無料】 大人の発達障害 アスペルガー症候群、AD / HD、自閉症が楽になる本 / 備瀬哲弘 【単行本】つい最近、新聞で、ジョージ・ルーカス監督が自分が読字障害者であると公表したとありました。診断は、それほど前でなくて5年前。60歳の時ですね。それまで自分が障害ということがわからずに、特に学校時代は、辛かったようなことが書いてありました 番組では当事者を取材してました。 横浜の支援センター?の人の話では、大人になってからいきなり、支援を求められても、支援策が本当に少ないという話でした。が、だからといって、子供の時に自分自身、何か違和感や、おかしいなと思っても、子供に対してもさほど、大きな支援は得られるか? くーにゃんが小さな頃はそうでもなかったです。学校時代はともかく、社会に出てからつまづいて、まずは、医者にかかろうとしても、専門家がいなくて、ドクターショッピング。友達のお子さんの場合も未だ医者探しをしています。どこでも、診察は、数ヶ月待ち。医者によって、診断も様々。診断して、薬だして終わりでなく、どこで、どういう支援を受けたらいいのか?それをみんな知りたがってるのに、そういう情報は縦割り。あちこりたらいまわし。辛いですよね。ルーカス監督のように何か障害をカバーするほどの才能がある人はともかく、普通はそこまでの才能はない人達ですから。社会から落ちこぼれていく。 見ていて、特にかわいそうだと思ったのは、親、家族からの理解も得られてないと話してた方です。年は出てなかったと思うけど、結局今は生活保護を受けての生活だそうです。 親がわからないというのは、納得できません。 親は育てていて、育てにくさや、他の子供たちとの違いを感じなかったはずはないと思うんだけど。特に母親は。 アスペルガーだと診断されたという人達は、みんな理路整然と話しができてたので、余計にアンバランスさを親さえも、頑張りが足りないって思ってしまうのかしら? もっと、どんな人でも、生き易い世の中ならいいのにね。 ますます、時代は、インクルージョン(障害者も一緒に生きる)からは遠ざかってるように思えてなりません。
2012年10月13日
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