毎日大変生活

授かった生命(前)


阪大の不妊科にもかかった。遺伝子まで調べた。
どこにも異常はなかった。でも、いつも流産。

もう、子供を授かるのをあきらめかけていた。

授からないと思っていた命を教えてくれたのは、主人の祖父の仏壇からの線香の煙だった。

お正月だった。

10畳2間続き(もっと広いかもしれない。。)のふすまを開け放し、家族で寄っていた。

途中、部屋が暑いからと廊下側両方を開け放した。

私は寒くて部屋の端に寄っていた。

?ヾ(゜ー゜ヾ)^?。。。ン?

なんだか、お腹に変なものを感じた。。


下を見ると、煙のすじがある。


隣の部屋の私の対角線上にあるご仏壇から線香の煙が3筋まっすぐに私の下腹部に入っている。

私は、びっくりして動けなかった。

大きな声で、「これ何!?」と言った。

姑も舅も主人もびっくりして、線香の煙のすじから、飛び退いた。
「なんや、、これ、なんや!」

冬に開け放している部屋で、線香のすじが3本。
静かに進んでくる。

姑はすぐにお経をあげはじめた。

亡くなった主人のおじいちゃんは、霊験あらたかな人で、
白い装束を着て、山に修行に行ったりしていた。

私を高校のときから気に入ってくれていたおじいちゃんだった。

姑は一晩中、お経をあげていた。

私は、
何か、変な気がして、
すぐ次の日に自分たちの家に戻り、医師の診断を受けた。
生理だと思っていたら、妊娠5週目で、流産しかけていた。

私は、お腹の中の赤ちゃんが死にそうだなんて、何も知らないで、自転車に乗ってお買い物とかしていた。。。

ジーンズのまま、家に帰らずに緊急入院。
3ヶ月間、絶対安静。
ベッドから起きられるのは、1日に2回だけ。

「身体を動かさないように!」と言われ、その言いつけを守りました。
白い天井にも見飽き、自分の手のひらばかり見ていた。
つわりもひどく、毎日、点滴だけの生活。

隣のベッドの人は、私がひどいつわりで入院しているのかと思っていたらしい。

これが最後だと思った。

でも、8週目近くなっても、妊娠反応は出るのに、心音が聞こえない。胞状奇胎の可能性が高くなり始めた。


胞状奇胎だと、ガンになる確立が高いので、一刻も早く掻爬手術をしないとダメだということだった。

ベッドの上で、お腹に手を置き、どうか、無事に着床し、生きていてと、一日中祈っていた。

院長は

「もう、とっくに、手術しなければいけない時期なのですが、。僕は、どうしても、胞状奇胎だという気がしないんですね。これは勘なんですが。。」

と言っておられた。

ある日、院長が病室に入ってきて、

「あと、1日、今日だけ、待ってみましょう。」

「そして、明日、心音が聴こえなかったら、そのまま手術になります」

と言われた。

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