波のささやき
ひとつの大きな岩に、波が何度も打ち寄せるのを
眺めていた。
男はさっき、恋人と別れたばかりだった。
悲しみに打ちひしがれた心で波を見つめていた。
男にはやるべきことがあった。
立ち上げたばかりの事業を成功させなければならなかった。
悲しみに涙を流している場合ではなかった。
自分自身を叱咤激励し、心を奮い立たせてその場を去った。
しかし、男の事業は成功する事もなく、
男はこの世を去っていった。
５百年後・・・
同じ海辺に、一人の男がたたずみ、
ひとつの大きな岩に、波が何度も打ち寄せるのを
眺めていた。
男は、事業を大成功させて大金持ちになった。しかし、
重い病におかされて、悲しみに打ちひしがれた心で波を見つめていた。
男にはやるべきことがあった。
事業を後世に残すために、重い病を克服しなければならなかった。
悲しみに涙を流している場合ではなかった。
自分自身を叱咤激励し、心を奮い立たせてその場を去った。
しかし、男は自分の病を克服することなく、
男はこの世を去っていった。
５百年後・・・
同じ海辺に、一人の男がたたずみ、
ひとつの大きな岩に、波が何度も打ち寄せるのを
眺めていた。
彼は事業も成功し、病気ひとつしない健康な体だった。しかし、
さっき、実の弟を亡くしたばかりだった。
悲しみに打ちひしがれた心で波を見つめていた。
そして、止めどもなく流れてくる涙をおさえることが
できなかった。
来る日も来る日も涙を流し、
大きな岩に波が打ち寄せるのを眺めていた。
男にはやるべきことがあった。
家族を養うために、働かなければならなかった。
ふと顔を上げると、涙でかすむ男の目に、
波が打ち寄せる大きな岩がかすんで見えた。
・・・いつか、何処かでこれと同じ光景を
見たようなそんな気がした。
この波は、遠い昔からいつの日も絶えず繰り返し繰り返し、
押し寄せてはひいていく。
もし、この世でやり残した事があったとしても、
もう一度生まれ変わった時には、できるかも知れない。
でも、今亡くなった弟の死を悲しむことは、
今でなくてはできないのだと、男は思った。
大きな岩は、打ち寄せる波に少しずつ少しずつ削られ、
その姿を変化させていた。
© Rakuten Group, Inc.
