介子の徒然日誌
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新年早々インフルエンザで身内に死者がでました。(><) 父親の弟子で僕も小さい頃から遊んでもらっていた方です。 20年前に父親から独立して、逆に今は父親の会社の元請になってくれているやり手の経営者でした。両親はその方の結婚式の仲人もしました。。。。 「三宅島の突貫工事」に一緒に父と行ってます。休みなしだったのか疲れが溜まっていたんでしょうか。 朝方、 「風邪で声がでなくなっちゃったよ」 と言って病院に行ってたらしいのですが、すぐに訃報が・・・ 享年52歳!! 偶然、その日、またもや両親の引退後の生活設計について母と話しをしていて、亡くなった彼が税理士をしっかり雇って父親の会社の経理までも面倒を見てくれていることを感謝していた矢先だったのでショックが大きい。しかし、何と 死因は医療ミスでした! 午前中に点滴を打って良くなりつつあったので 大事をとって午後にも再度点滴を打ったのですが それが間違った処方だったらしく急変! 医者自らが119番通報して救急車に乗り込んで高崎市内の総合病院に行ったそうですが、あえなく死亡となったようです。 無念だったはず。意識が死ぬ前まであったらば・・・彼には26歳になる跡取りがいて、社長を引き継ぐことになったようです。去年三宅島に行っているときは関東の仕事は息子さんが会社を実質仕切っていたそうです。ですが、大学を卒業してまだ2、3年の若造。。。会社は継いで設計や施工などの技術的なことは経験者のサポートがあればできても会社の代表として信用第一の営業を取って来れるかどうか不明。 まだまだあと10年は一緒に仕事をやって息子の顔を業界で売って、十分なところで引継ぎたかったでしょう。 告別式に参加した親からの情報では・・・ なんと告別式の「前」に焼き場にて荼毘に付されたようで、それだけ何らかの毒物による遺体の損傷が激しく告別式での永久の別れの儀式には耐えられなかったことを物語っております。 そして刑事事件にはせずに医者側と和解が成立していたこともそういった事情の背景かもです。 さて・・・無くなった社長の告別式は、地元の名士が多数集まり、花輪もそれはそれはあふれんばかりだったとか。生前の彼の業績の素晴らしかったことが伺えます。裸一貫で九州の田舎(両親とほぼ同郷)から出てきて、僕の父の元で修行して、上手に父から離れて独立し、自らの頭脳と持ち前の器量で人脈を作ってコツコツと実績を積上げてきた彼の苦労は並大抵ではなかったかと思います。だからこその大成功の人生だったと思います。 ただ、仕事で一緒だった父はともかく、僕や母とは些細な思い違いで仲違いしたまま15年くらい交流がなく、そのまま別れてしまうことになってしまって残念でした。両親が田舎に越す前に一度一緒にお礼やお詫びを兼ねた挨拶に行ってケジメをつけようかと考えていただけに心残りでした。だからここで彼を褒め称えることしかできないです。これがせめてもの償いかもです。 奥さん母に曰く「いつも奥さん(=僕の母)のことを話していた」とのことで残念!両親を早くに亡くしていた彼にしても母代わりだったわけで、母も思うこと多々あったかも知れない。 ・・・・゚・(つД`)・゚・ 合掌
2006年01月26日
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