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先般、新聞に英一蝶の展覧会が案内されていたので、行ってみた。場所は板橋区立美術館。成増からバスで10分ほどのちょっと地味目なところにある。 以下、リーフレットから一部抜粋引用 ”本名を多賀朝湖(たがちょうこ)といい、都市の人間模様を生き生きと描いた元禄期の江戸を代表する画家です。しかし、幕府の怒りを買って三宅島へ流罪となり、そこで足かけ12年を過ごします。宝永6年(1709)将軍代替の大赦によって江戸へ帰ることができ、その折に英一蝶(はなぶさいっちょう)と画名を改めました。2009年は、その一蝶御放免より300年にあたります” ということで、今年は御放免300年を記念し、企画されたとのこと。 平日の昼間なので、それほど人はいないのではと思って行ったが、結構なにぎわいを見せているのには驚いた。やはり、シニア世代が圧倒的に多い。うち女性が6~7割か? ちょうどNHKの日曜美術館でも取り上げたばかりなので、その影響も多少あるのかもしれない。なお、再放送は10月11日の20時からとのこと。 狩野派の画風に始まり、浮世絵的な風俗画に変化していく。題材が身近でウィットに富んでいて、見ていても思わず笑い出しそうになる。若い時は芭蕉との交流もあったとされ、文化芸術に対する多彩な才能を感じさせる作品の数々である。不自由と想像される三宅島でも作品を結構作っていたらしい。江戸に戻った時が57歳。それからもなくなるまでに精力的に書いていたようだ。本当に表現するのが好きだったのだろう。と想像される。 こんなに面白い絵の数々を残していたとは‥‥。新たな発見だった。 今回の作品群、もし買うとしたら‥‥? ‥‥ だいぶ大きいが、「雨やどり」さいきん見られなくなった、雨やどりの情景がうまく表現されていて何ともよい。 それにしても英一蝶(はなぶさいっちょう)、エレガントな名前である。
2009年10月09日
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駅でのポスター広告をみて興味がひかれ、成田山書道美術館へ「手紙」の展覧会を見に行ってきた。 以下、あいさつ文から、一部抜粋引用 ”肉筆の手紙は独特の感情がこもっています。それが毛筆で書かれたものならば、さらに増幅することは間違いないでしょう。王義之や空海、藤原佐里といった書の名人の手紙は、古来、書の古典としても尊重されてきました。それを受け取る相手のためだけに執筆される手紙には、詩幅などには見られない差出人の表情を垣間見ることができます。‥‥ ‥‥パーソナルな部分にも活字部分が入り込むと同時に、電子メールの一般化などによって、手書きの文字を目にする機会はめっきり減ってしまいました。これを機に、肉筆文字の温かさを再認識していただければ幸いです。” 展示品は、与謝野蕪村、池大雅、頼山陽、佐久間象山、富岡鉄斎、橋本関雪、安田靭彦、梅原龍三郎、下田歌子、尾崎紅葉、吉田茂、原敬、尾上柴舟、犬養毅、勝海舟、日下部鳴鶴、日比野五鳳、などなど。 手紙の内容と運筆の関連などが垣間見えてそれぞれの手紙がその味を醸し出していた。 手紙の封筒の住所や宛名などが紙面いっぱいに自由奔放に書かれているのも面白い。 書いてある字も解説をみないとわからないが、このような字も読めるようになりたいし、こんな手紙もたまには書いてみたいが‥‥。 図録の最後に高橋利朗氏が「手紙の鑑賞」という題で文を寄せている。そこから、一部抜粋 ”「見ぬ世の友」と名付けられた国宝手鑑がある。そこに貼り込まれた古筆切の筆者のありし日の姿を髣髴とさせるこの名称は、「手」すなわち筆跡に人格を鑑みようとする姿勢を端的に示している。古来、「筆跡=人」という概念は書の鑑賞の基本姿勢のひとつなのである。そのなかでも手紙の鑑賞は、差出人の人柄を垣間見るための最高の装置であるといえるだろう。” ======================= 成田山新勝寺 ======================= ======================= 成田山新勝寺 =======================
2009年09月27日
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昨日、会社の帰りにちょっと遠回りをして、横浜高島屋で開催されている~光の振動~藤田新展を見に行ってきた。 最近は高島屋で隔年で開催しているようであり、すっかりその一角に溶け込んでいる感じがする。 主催者は50半ばを迎えて、雰囲気全体から芸術家という匂いが漂ってくる。 見に来ていた人は女性が多かった。幼稚園時代の先生という品の良い老婦人も来ていて、「プラーナ」お試しコースの絵の前で、楽しげに手をかざしていた。 光の振動「プラーナ」に魅せられて名前も「新」に改名したとのこと。その一途に打ちこむ姿勢が素晴らしい。 作品はシンプルなものが多いが、神秘に光り輝く美しさを持っている。「光の振動」という解明されていないものが多い世界?を考えさせられる機会を持てたひとときであった。 これからのますますの活躍を期待したい。
2009年07月28日
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前からず~っと気になっていたが、この方のブログを見て、また思いを強くした。 昨日、休みを取って出かけてみた。 東武東上線で池袋から1時間以上電車に揺られ、武蔵嵐山駅へ。結構、乗りごたえがある。近づくに連れて牧歌的な風景になっていく。 駅から歩くこと15分くらい。国道254号線を渡ったところにうっそうとした森が見える。 その菅谷館跡(畠山重忠の館)の一角にある記念館。昭和の初めに日本農士学校を開いた場所でもある。 記念館の中に、検校(校長)先生の「帰郷後の心得一束」と題した書があったので、その一部を手帳に走り書きした。 ・教育とは「自分が自分で自分を自分することだ」これを忘れては いけない。 ・ここの卒業生には名誉欲や物欲はなくても道欲というものがある。 之を無理に押し付けようとしてはいけない。道の押し売りは絶対に するな。 ・地下水となれ。地下水の有無はこの目ではわからぬが、‥ 様々な樹木の‥‥吸い上げられててっぺんまで上っている。 この方の薫陶を受けた人が戦後各界のリーダーとして活躍した。その拡がりを見るや、実に多大なものである。 歴代の総理の指南役としても良く知られたところであるが、最近はこのような役目をだれが担っているのだろうか?ふと気になってしまった。杞憂に終わればよいのだが‥‥。 安岡正篤記念館の見学、その功績をあらためて感じさせられたひと時であった。
2009年07月11日
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昨日は会社の特別休日であったが、午後から仕事が入っていた。その前の時間を利用して、山種美術館で、没後60年記念という名目で開催されている上村松園の展覧会に行ってきた。 平日の昼下がりということで、しかも小雨。会場は人も多くなく、絶好の鑑賞日和。 以下、展覧会情報のHPから一部抜粋引用 ”「女性は美しければよい、という気持で描いたことは一度もない。一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところのものである」―松園は自らの理想をこう述べています。このような真摯な態度が作品に凛とした美しさを与えているのでしょう。 今年は松園没後60年の節目にあたります。「東の鏑木清方、西の上村松園」と並び称され、美人画の巨匠として、また、女流画家の草分け的存在として、松園は大きな功績を残しました。本展では当館所蔵作品を通して松園の画業を振り返るとともに、清方や伊東深水が描いた美人画、そして近現代日本画・洋画の個性豊かな美人たち、また喜多川歌麿や鈴木春信などの浮世絵もあわせて、およそ50点をご紹介いたします。 当美術館は本展覧会を最終回として、千鳥ヶ淵にほど近い三番町から現在新築中の渋谷区広尾の新山種美術館へ本移転いたします。この最後の展覧会に、皆様お誘いあわせの上お越しいただければ幸いです。” 松園の特徴は淡い緑色であろうか?柔らかくて品を感じさせる。 また、蛍を愛したという松園。蚊帳と蛍を題材にした絵が印象に残った。
2009年06月06日
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以前から駅のポスター広告などで気になっていた、川端康成と安田靫彦の展覧会「大和し美し」が開かれている千葉市美術館に行ってきた。 GW期間中とはいえ、人出も少なく、鑑賞するには絶好の状況。 安田靫彦が川端全集の表紙画を描いたことが契機となり、二人の交流が始まり、その絆を深めていく共通点に古美術の収集や、良寛など日本のよきもの、美しきものへの思いがあったようである。 約1時間半をかけて鑑賞したが、川端のどっしりした書、安田が見出した良寛の書の魅力などを垣間見ることができた。 また、二人を写した写真家の林武彦や土門拳の名前にも思いがけずめぐり合うことができた。 特にその中で、先の大戦を省みて、日本文化の世界への発信不足が要因のひとつであると考え、戦後、その流布活動に努めた川端に今まで以上の理解と尊敬の念を感じた。 そして、ノーベル文学賞を受賞した際の受賞講演では、良寛の以下の句に触れて、その心の世界を発信したというくだりに感銘を受けた。 形見とて 何か残さぬ 春は花 山ほととぎす 秋はもみぢ葉 巡回途中、少数の方々を引き連れている団体とぶつかり、その話し声にいっとき興を削がれたが‥何とか先にやり過ごし、見終えることができた。 文化の香りを体験できる場所が近くにあること、そのような時間が持てることに多謝!
2009年04月30日
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マイミクの方から紹介をいただいて、上野の森美術館で開かれているレオナールフジタ展に行ってきた。 日本を早くに飛び出してフランスで修業を積んだだけあって、作風がピカソやモジリアニ、ムンクなどを思い起こさせるものもある。 独特の乳白色の画法がやはり特徴的か? 近年フランスの倉庫で発見されたという大作の「構図」と「争闘」は見ごたえがあった。 晩年はキリスト教の洗礼を受け、宗教画と礼拝堂の建立に力を費やしたというレオナール。 アトリエ風景を含めて、レオナールの生涯が展示されていた。 全てを捨てて異国の地で絵に打ち込んだ数奇な画家レオナール。 今までは藤田嗣治という名前をちょっと聞いたことがあるくらいで、その人がレオナールであることも知らなかったが、初春から引出しを一つ増やすことができた。Andymamaに多謝!!
2009年01月11日
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同窓の方から日本画の作品展の案内をいただき、先日、銀座のギャラリー近江で開かれている展覧会を訪ねてみた。 芸大時代の仲間との開催ということで、二人の力作がたくさん並んでいた。 話が弾んで、大学時代に面白かった授業の話になった。二人とも口を揃えて「美術解剖学」が何と言っても最高だったとのこと。 教授はT大から教えに来ていたとのことで、芸大では反応が良く、教えがいがあったようである。 授業中、あるときは、自分の10年後、20年後の顔を書かせたりしたとのこと。 筋肉などの構造をよく考えた上での創作ということで、イマジネーションを養う上で、非常にためになる学問らしい。 なるほど! 新春早々から、美術鑑賞する上でためになる知識がちょっと増えたうれしいひと時であった。 双樹会 日本画展
2009年01月07日
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今年は知人の個展などを含めて展覧会には10数回行ってみたが、記憶に残った展覧会を挙げてみると以下、 ・書の名宝展(蘭帝序) ・フェルメール展 ・生誕100年東山魁夷展 ・田村能里子展 ・モジリアニ展 やはり、筆頭は書の名宝展(蘭帝序)である。悠久の時間を経てきたとはとても思えないほどの、新鮮な感動と臨揚感、書の素晴らしさが今でも忘れられない。 東山魁夷の緑もそして一頭の白い馬もいい、田村レッドもいい。モジリアニも何回目かであるが、人物の表情も魅せられると癖になりそう。 あとは相田みつお美術館もいい。喧騒な東京の真ん中にあって、心を落ち着かせるにはもってこいの憩いの場所でもある。 来年も機会も見つけて、展覧会や美術館めぐりをしたい。
2008年12月30日
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知人にお誘いいただき、浅草公会堂へ日本舞踊の発表会を見に行った。 初めての舞台鑑賞である。三舞台あり、最初が5人での優雅な舞、二つ目が3人での舞台喜劇、三つ目がシェークスピアの夏の夜の夢を縦軸にしたという多人数による楽しい舞台。 都合、昼の部だけで3時間半ほどであったが、それぞれの舞台の趣向が違い、いろいろな変化があり、素人でも十分に堪能できる楽しい舞台であった。 鑑賞中、いきなり隣に座っていた人が、タイミングよく、「やまとや!」「ご両人」「カツトモ!」とか、張りのある声を発する。他の場所からも声が上がり、舞台を盛り上げていてとても臨揚感があった。 後で調べてみると「大向こう」というらしい。そうか、「大向こうをうならせる」とはこういうことかと納得。 幕の引き方や降ろし方も大変にスピーディかつダイナミックで、舞台を引き立たせる一助となっていた。
2008年10月11日
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前の上司が大変な田村ファンでそれ以来、彼女の存在が気になるようになった。 その田村能里子展が日本橋高島屋で開かれているというのでお墓参りを済ませた足で寄ってみた。 予備知識としては主にアジア女性をテーマに描き続け「タムラレッド」と呼ばれる赤の使い方が特徴というくらい。 今回の展覧会は壁画50点目で今までの集大成とのこと。 「風河燦燦 三三自在」と名打った京都天龍寺の「宝厳院」の本堂の再建にあたり描かれた奉納を前にした58枚の襖絵を中心に展示されている。 禅寺の襖絵を女流洋画家が手掛けるのは初めてのこと。 洋画の面を主体にした中に東洋的な線を組み合わせた画法で、独特の線タッチによる特に顔や手、足の表情にインパクトがあり、赤主体の襖絵に突如表れる鮮やかなブルーの空も衝撃的であった。 百年、千年と生き続けるにふさわしい襖絵であると思う。
2008年09月23日
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江戸東京博物館で開かれている北京故宮「書の名宝展」に行ってきた。 目当てはあの「永和九年‥‥」で始まる王義之の「蘭帝序」である。 今回展示されているのは唐の皇帝太宗が作らせた「八柱第三本」である。 蘭帝で開かれた宴の様子や人間の普遍的な感動を表した文面、その中で同じ文字が幾度も使われているが、その場面場面で文字の形が文意と調和してそれぞれ違うことを初めて知り、あらためて感動した。 また、この書を愛した方々が押した落款の数々にも思いを馳せることができた。 悠久のときを経ても、凛とした空気が伝わってくるこの美しさはいかんとも言葉に変え難い。
2008年07月28日
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市川の住宅街の中に、ともすれば見過ごしてしまいそうな佇まいの東山魁夷記念館に行ってきた。 房総の山並みを描いた出世作の「残照」、氏の人生観を思わせるような「道」、「白い馬」などに関する作品を垣間見ることができた。 ほとんどの作品に人間や動物が存在しない。 風景を中心とした静寂と落ち着き、グリーンの素晴らしさ。心が透き通っていくようである。 ドイツ風の建物の周りにある庭の、豊富な樹木や草花も美しい。 折りしも東京国立近代美術館で生誕100年東山魁夷展を開催している。今度のゴールデンウィークにでも行ってみよう。 気が向いたときにこんな展覧会にふらりと出かけられる。 人は恵まれた環境にあることに気がつかないで過ごしていることがたくさんある。
2008年04月05日
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以前に相田みつを美術館が良かったとの記事がマイミクの方の日記にあり、機会があったので行ってみた。 道元禅師の「正法眼蔵」を愛読していたということで、赤線がいたる所に引かれた、ぼろぼろの文庫も展示されていた。 様々な展示品の中でもひときわ眼を引いたのが「不」という一文字の大きな書。 本人が一番自信があったのはこの作品では?と相田一人氏もコメントしていた。 解説には、「’不’は私の一生のテーマ。般若心経にたくさん出てくる’空’や’無’と同じように、相対分別(比べる)を越えるという意味も含めて使っている。’不’は私の基本的な生き方であり、一生のテーマである」とある。 写真撮影可の作品があったり、喫茶店もあり、いっとき、静かに心を鎮められる空間の演出があり、喧騒な都会の真ん中にあるおすすめスポットである。
2008年03月08日
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千葉県立美術館で書家の種谷扇舟の企画展があったので見に行った。早いもので没後丸3年になる。 氏との出会いは、高校での書道の授業を教えていただいたもう40年ほど前の話に遡る。 書家として独特の雰囲気を漂わせ、静かに書いては進め、語りかけるような授業だった。 氏は、書の学習方法として、中国の古典から直接学ぶことを勧め、中国や日本の碑文を写し取った拓本をもとに指導してくれた。 特に唐初めの三大家といわれる歐陽詢、虞世南、楮遂良について臨書の基本として教わり、今でもすぐに筆法が目に浮かぶほどである。 また、顔真卿の独特の筆法も印象深く記憶に残していただいた。 吉田茂元総理の国葬時は、ちょうど書道の時間であった。授業を中断し、何も語らずに静かに黙祷をした。 何を思っていたのか?何が去来したのか?今でも何となく気になっている。 種谷扇舟氏の訃報に接して
2007年12月08日
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東京都美術館で開かれているオルセー美術館展にいってきた。 昨日で入場者数が40万人を突破したとのことで、混雑が予想されたため、早めに9時半ごろに入場した。 19世紀を代表する著名な画家たちの作品が約140点展示されている。 展示会は以下の5部に分かれていて、各々のテーマに対しての特徴的な作品が並んでいて納得がいく構成となっていた。I 親密な時間 『幼少期に始まり、生涯にわたって芸術家を囲む家庭的な人間関係は、制作活動に決定的な影響を及ぼします。ここでは親しい人々との関係のなかではぐくまれた作品を通じて、創作の秘密を探ります。』 II 特別な場所 『創作活動の実際を決定付ける土地の魅力。ノルマンディーやブルターニュなど、芸術家が選んだ制作の場の多くは、自然の生命力あふれる野趣豊かな土地でした。しかし同時に、彼らの発表の場である都会とどこかでつながっているという二重性をもっていたことも注目されます。』 III はるか彼方へ 『ロマン主義以来、ヨーロッパの人々は遠い異郷・異国への夢と希望にとりつかれます。そして19世紀の画家たちは、実際に未知の大地に向かって旅をはじめました。ゴッホ、ゴーガンなどはそうした作家の代表例といえるでしょう。』 IV 芸術家の生活 『芸術家にとってアトリエは最も創作に密着した空間です。そこを訪れるモデルや友人たちとの親密で飾らない関係性は、公式な場では見られない表現を通して示されます。』V 幻想の世界へ 『芸術家たちの中には、アトリエでの秘めやかな制作を通じて幻想的な内面の世界に深く沈潜していく人々もいました。現実の都会の喧騒の中にありながらも、そうした場所は彼らだけに開かれた特別な世界となっていったのです。』 今回は初めて音声ガイダンスを借りてみた。主だった27点の作品に対して手ごろなボリュームでわかりやすい解説があり、理解を深めることにつなげられた。何もないと展示物の解説を読まなければいけないが、人が多くてこれを読むのも難儀である。以下所感 「アルルのゴッホの寝室」は予想以上に明るい作品、光の撮り方がうまい、黒色が上手にが生きている。人物画は内面までもが描き出されている。など 終わって出るときは入場制限が行われていた。早めに行って正解! 「書は見るもの、絵は読むもの」と言われるが、少し時間を置いて、また、反芻できる機会を持てればと思う。
2007年03月31日
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先日、上野の東京国立博物館で開かれている中国国宝展に行ってきた。古代文明と仏教美術への理解が深まった。悠久の遺産である。
2004年11月01日
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今日は同僚にもらったチケットで大丸で開かれているフラワーデザイン展に行ってきた。様々な感性での多様な作品。後で準備の裏話を聞いたところ予想している花が手に入らなかったとかおもてでは予想できないことの苦労があったことを知った。
2004年04月18日
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今年の初めに星野道夫の写真展に行ってきた。アラスカなどを取り続けたピュアな写真家。写真を見ているとわずらわしいことの全てを忘れさせてくれる。クマに食べられて亡くなるまで短い生涯であったが充実した写真が大変に新鮮である。市川出身の同世代の写真家。
2004年03月12日
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