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昨日の朝、社員全員と全体会議。最近は、会う人来る人口から出る言葉は「一体どげんなっとると?」とか、良い話はなかなか聞かなくなりました。どこそこが週休3日だの、助成金をもらっているだの、製造業の未来がまるでないような・・・。いえいえ、製造業だけでなくどの業界も一緒でしょうね。しかし、今更ジタバタしてもどうしようもありません。我が社は、経費削減をして将来のために踏ん張るつもりでいる。家賃などは値下げ交渉をして、それでも駄目なら移転も視野に入れている。年間300万が200万になれば、100万浮きますからね。そして、聖域の給料も例外なし。私の役員報酬は当然としても、さすがに躊躇したが、社員も納得してくれました。その時、こんな話をしました。「辞めてもらったら困るけど、辞めると言ったら・・・あっ、そうね、と言うしかないな(笑)」それまで、重たい空気だったのが、この一言で皆大笑い。こんな時は、笑うのが一番ですね。いや、もう笑うしかないような(笑)。それから、あるメーカーとの代理店契約も取り止めました。契約の条件として、在庫の購入があったが、元々「それいけドンドン」の私ですので、契約書は書いていました(笑)。やらないで後悔するよりやって後悔したほうが良い「やってかませっ」で生きてきた私なので、やるつもりでした。しかし、今回は弱気になったのか・・・いや、冷静になりました。ちょっとは、過去の経験が生きてきたかな?(笑)。会議では、ざっくばらんに話し過ぎたかもしれないが、社員が付いてきてくれるので、安心した。彼らを、路頭に迷わすことだけは、できませんね。自分で言うのもおかしいかもしれないが、今まで窮地になればなるほど、異様?とも言える力が湧き、周囲を驚かせてきた鍛冶屋の息子であります。今、アドレナリンが血液の中で爆発しそうです(笑)。こうしてブログに書くのも、自分を鼓舞するため。今日は、昭和の日。昭和天皇の誕生日ですね。トップに書いている敗者復活戦の第4ラウンドに突入の日としましょう!。不景気なんかブッ飛ばしてやれ。大笑いしながら生き残ってやるぜっ。オガチは、必ず空を飛ぶ!(笑)。それではまた。不思議と冷静な自分がいる。5月は、幸運の女神が舞い降りてきそうだ・・・ほらっ、すぐそこに?。どこまでも楽観的とは言わないでね???クリックしていただけると励みになります!!!夢を諦めるのは早すぎるぜ!『オガチの会』無意味に熱いバカ男バカ親父+違いが分かる粋な女たちの会!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2009/04/29
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『敗者復活戦』《凡人の独立編》 第21話(メルマガ敗者復活戦保存版)訪問販売、そして店頭販売での経験は、大学へ行くより貴重なものでした。しかし、故郷に帰ってその経験を活かすことが出来るのか?。現実の壁の前では立ち往生するしかないのか?。鉄筋屋に入ったと思ったら、30人に職人さんから口を聞いてもらえず、それは勇気を出して懐?に飛び込んで話せるようになった。しかし、今度は社長に暴言で現場へ飛ばされる始末。一体、どこまでバカなのか?。そして、現在の生業となる会社へ転職・・・そこでもまたもや?。第22話スタート!●敵は本能寺にあり!味方のサーブが後頭部を直撃?鼻の穴から狼煙(のろし)を上げる受付嬢?の話は前回書きましたが、男性人もなんか風変わり人たちがいましたね。まずはワンマンな所長Aさん。元々地元出身ですが、高校を卒業してから直ぐに大阪本社勤務で、20代後半で地元の営業所所長になった社長の秘蔵っ子です。後々、所長Aさんとは事あるごとに対立することになります(笑)。次に先輩のPさんとZさん。二人とも所長より年上でしたが、入社してから一度も所長と二人が飲みに行ったのを見たことがありません。10人弱の営業所ですから、皆で行く時だけは一緒でしたが、後は、なんか殺伐とした雰囲気でしたね。このPさんは、売上はいつも良かったのですが、客からは余り良い評判は聞きませんでした。一言で言えばいい加減で、担当の客が売上が上がりそうな時は、頻繁に通うのですが、これはしばらく出ないなと思ったら全く行かないんですね(笑)。そのくせ客から怒られるとニコニコしながら謝って、最後には悲しそうな顔をして、本当に反省していると言うものですから、客もころっと騙される?わけです。結局、この繰り返しなんですが、終いにはあのPだったらしょうがないとお客さんが笑っていましたから、これも人徳かもしれません(笑)。 あれは、忘れもしません。二人の先輩女性から受けたスパルタ?研修が終わり、私が漸く外回りを始めた時でした。初めから新規営業を遣らされましたが、電話でアポイントを取っての訪問ですから、訪問販売で飛び込み営業の経験がある私にとっては、とても楽に思えました。やはり人生には無駄がありませんね。O社、M社、F社、その他大手メーカーの販売店と言えば、その業界の人は変な断わり方もしませんでしたね。しかし、敵は本能寺にありました?。新人の私が訪問した会社と担当者の名前をPさんがしつこく聞いてくるんですね。私は、もう一人の先輩Zさんの下で動くことになっていました。別の若い社員は、Pさんの下にいるわけです。Pさんは当時主任で、10数年の営業経験があるベテランです。私が訪問した客の情報は、大体把握していたはずです。Pさんは会社全体の事を考えて、当然、私のフォローのために担当者の名前を聞いていたんですね・・と思っていた・・信じて疑わなかった?(笑)。ところがどっこいです。Pさんは、な、なんと、自分の客にする気だったんですね(笑)。何故分かったかというと、お客さんから直接こっそり教えてもらいました。このメルマガを初めから読んで頂いている方は、覚えておられるでしょう。訪問販売時代に、新人の私をセッチン詰にして潰そうとした元キックボクサーのIさん。(第4話 所長Iさんの究極の営業戦略は、新人潰しのセッチン詰め!) まさか、完全歩合制でもない会社で同じような奴?がいるとは。私は、完全に無防備でした(笑)。正に、敵は本能寺にいたわけです(笑)。訪問販売時代が明るい仁義なき戦いなら、これは、テニスのダブルスで味方が打った弾丸サーブが、相手コートを見て背中が無防備な前衛の後頭部を直撃したような感じと言えば分かっていただけるでしょうか(笑)。なんか前途多難を暗示しているような気がしましたね。続きをお楽しみに!。それではまた。メルマガ敗者復活戦を過去の書いていない日に書き込んでいます。時々アップしますので、気が向いたら読み流してください!。クリックしていただけると励みになります!!!夢を諦めるのは早すぎるぜ!『オガチの会』無意味に熱いバカ男バカ親父+違いが分かる粋な女たちの会!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2009/04/03
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『敗者復活戦』《凡人の独立編》 第21話(メルマガ敗者復活戦保存版)訪問販売、そして店頭販売での経験は、大学へ行くより貴重なものでした。しかし、故郷に帰ってその経験を活かすことが出来るのか?。現実の壁の前では立ち往生するしかないのか?。鉄筋屋に入ったと思ったら、30人に職人さんから口を聞いてもらえず、それは勇気を出して懐?に飛び込んで話せるようになった。しかし、今度は社長に暴言で現場へ飛ばされる始末。一体、どこまでバカなのか?。そして、現在の生業となる会社へ転職・・・そこでもまたもや?。第21話スタート!●なんやこの会社?くわえタバコでで鼻から狼煙(のろし)を上げる受付嬢!父の危篤で横浜から帰ってきて、しばらく鉄筋屋で働いた後、学歴も何もない私が、20社近く面接を受けて、やっと入った会社は電子制御機器の販売会社でした。ちょっと分かり易く言えば、工業用の電機部品、制御盤や分電盤、工場や建物の電気設備の部品、この販売です。これでも分かり辛いですかね(笑)。大阪が本社で、地元の営業所は十人程度の小さな会社でした。私にとっては、真っ当な仕事に付いたのは、初めて?だったと思います(笑)。3ヶ月は、社内で研修です。2階建ての1階に、営業アシスタントの女性が二人いて、その後ろは、すぐ倉庫になっています。狭い事務所ですから、ドアから入って直ぐカウンターがあり、その女性たちが受付も兼ねているわけです。初日から、ちょっと驚きましたねっ~?。女性二人とも、くわえタバコで鼻の穴から狼煙を上げて仕事しているんですね(笑)。女性がタバコを吸うのは珍しくもないですが、まさか受付嬢が・・・。なんとまぁ~自由な会社だこと(笑)。来客があっても、下手をするとそのままで、客の方が気を遣っているほどでした(笑)。30代前半のSさんと30代後半のMさん。二人ともベテランで、男をアゴで使っていましたね(笑)。当然、研修期間の3ヶ月、私も二人からアゴで使われることになってしまったのですが、短気な私は事件?を起こしてしまいました。一度だけ頭に来て怒鳴り返したら、二人とも目を点にしてギョッとした顔で驚いていましたね。所長以外文句を言う人はいませんでしたから、まさか、新人がという思いだったんでしょう。それ以来、しばらく口を聞いてくれず、女性の怖さを嫌と言うほど思い知らされました(笑)。この二人からは、その後数年経っても事あるごとに「新人の鍛冶屋さんから怒鳴られた」と言われましたが、それは私がこの会社を辞めるまで続いたのでした(泣)。後々、二人にはお世話になるのですが、学歴も何もない私が、中途入社できるのは、こんなもんか(会社)と正直ちょっと落ち込みましたね。身の程知らずもここまでくると、救いようがありません(笑)。後に経理担当になるMさんでしたが、この女性から私の運命を変えるような名言?を聞くことになるとは、この時は想像も出来ませんでした。男たちも、訪問販売の世界とは違った、個性的な人たちが働いていました。お楽しみに!。それではまた。メルマガ敗者復活戦を過去の書いていない日に埋めていこうと思ったら、書けるのは先月だけなんですね。時々アップしますので、気が向いたら読み流してください!。クリックしていただけると励みになります!!!夢を諦めるのは早すぎるぜ!『オガチの会』無意味に熱いバカ男バカ親父+違いが分かる粋な女たちの会!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2009/04/02
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『敗者復活戦』《凡人の独立編》 第20話(メルマガ敗者復活戦保存版)訪問販売、そして店頭販売での経験は、大学へ行くより貴重なものでした。しかし、故郷に帰ってその経験を活かすことが出来るのか?。現実の壁の前では立ち往生するしかないのか?。鉄筋屋に入ったと思ったら、30人の職人さんに口を聞いてもらえず・・・。それは勇気を出して懐?に飛び込んで話せるようになった。しかし、今度は社長に暴言で現場へ飛ばされる始末。一体、どこまでバカなのか?。第20話スタート!●バカは死ななきゃ直らない、またも孤立で・・!建設現場に行きましたら、私は何もできませんので、当然と言えば当然のこと、もちろん下働きです。重い鉄筋を肩に担いで、職人さんたちの仕事の流れに合わせて、言われた場所に置いていきます。かなりの重量ですが、元々体力には自信がありましたので、何とかこなせました。しかし、肩が痛いのには、参りましたね。それに、夏の暑さは堪えました。鉄筋工事は、工事現場全体の流れの中で、型枠の壁に囲まれた日陰がなく風もない状態で作業することが多く、その暑さは相当なものです。もし、減量で汗をかきたい人がいたら、夏の建設現場に行って働かせてもらうのが一番です。但し、食べないと絶対もちませんから、具合が悪くなるだけかもしれませんね(笑)。そんな暑さのなかの仕事ですから、10時と3時には、近くの店へ冷たい飲み物を買いに行きます。それは、当然下働きの私の役目。お昼も、職人さんたちが使った湯呑みを全部洗うのですが、たまには、他の若い職人がやっても、おかしくはないだろう、と思ってしまったんですね(笑)。ある朝、同年代の職人に声高に文句を言ってしまいました。社長に暴言を吐いた話は職人さんたちの話題になり、不思議と好感を持たれたんですが、今度は違います。また、口を聞いてもらえない状態に戻ったわけです(笑)。あれだけ気を遣って、職人さんたちに溶け込んだというのに、「たった一言」でパーです。元の木阿弥とはよく言ったものですね。後々、私は何回となく、この「たった一言」をやってしまうのですが(笑)。朝令暮改という言葉があります。私は一日で白旗を上げて、夕方皆に謝り、翌日から笑顔で買い物や洗い物をやっていました。・・・涙しかし、私の見栄と驕りのような当時のプライドですから、耐えられなくなり、とうとうその年の年末に逃げるように辞めさせてもらいました。社長、専務、職人さんたち本当にお世話になりました。今思うと感謝という言葉しかありません。会社を辞めて運転手や土方でもやるか、とよく言われる人がいます(最近はあまり聞かなくなりましたが)。本気か冗談か知りませんが、簡単に口に出してはいけません。余程の覚悟がないと持ちませんよ。年が明けてから、また職探しです。20社近く面接し、やっと2月後半に決めたような記憶があります。その会社は、工業用電機部品の販売会社です。そこで覚えたことが現在の生業となっているのですから、訪問販売にしろ鉄筋屋にしろ、それまでの経験は遠回りとは言え無駄ではなかった、ということでしょう。・・・工業用電機部品の販売会社でまた一暴れ?。お楽しみに!。それではまた。前回から一月以上空いてしまいました。続けて書かないとなかなかリズムに乗れないですね。勝手気ままに書いているとは言え、もっと詰めて書くことにしましょう!!!・・・・クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/10/24
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『敗者復活戦』《凡人の独立編》 第19話(メルマガ敗者復活戦保存版)訪問販売、そして店頭販売での経験は、大学へ行くより貴重なものでした。しかし、故郷に帰ってその経験を活かすことが出来るのか?。現実の壁の前では立ち往生するしかないのか?。第19話スタート!●社長に暴言、あっという間に現場行き!・・・『志』なき者の末路? ある日、私が加工場で溜まったゴミを燃やしている時でした。ゴミを燃やしているくらいですから、気が緩みボーッとしていたのかもしれません。すると、いきなり大きな怒鳴り声がしました。「なん、だらだらしとるとか、ちゃんと燃やさんか」いきなり、背後から怒鳴られたので、ビックリしたのと同時に、一瞬頭に血が上ってしまいました。相手が誰かは分かっていましたが、上ってしまった血は直ぐに下りてきません(笑)。「せからしか、ゴミ燃やすくらいで文句言われる筋合いはなか」こんなことを、瞬間的に言ってしまったんですね。私は、父親譲りの短気なところがあり理不尽なことを言われたりすると、上司やお客さんでもよく口論になることがありました。単なる生意気で単細胞のバカなのですが、よくよく考えれば世の中理不尽なことだらけですから、組織の中で生きていけるわけがありません。ただ、誤解しないで下さい。私は、本来大先輩の方に敬語で話さないようなことはありません。たまたまカッとして言ってしまっただけです。しかし、言い訳にもなっていませんね(笑)。この性格は現在まで、短気は損気ということを実践しています。・・・涙それと、実はいつ辞めてもいいなという気持ちもあったと思います。今の鉄筋工事会社は、現場で働く女性が少なくないような環境のようですが、当時はあまり良い職場環境ではありませんでしたし、何よりも鉄筋工という職業は、アウトローと言われるような人もいました。元アウトローと言った方が正確ですが。当然、尊敬されるような職業ではなかったんですね。もちろん、会社によって違いますが、日雇いの会社には、どうしてもそういう人たちが多かったようです。当時の私の心の底には、正直なところ差別的な気持ちがあったと思います。今になって、なんと愚かなことか、とは思いますが。そんな気持ちの私に追い討ちをかけるようなことがありました。なんと、中学時代の同級生の父親と一緒だったのには参りました。私は、田舎の少人数の学校でしたが生徒会長をやったりしていましたので、その人から「○○君、なんでおまえが、こんなところで働くのか」と聞かれたりして落ち込みました。ある職人さんから「○○高校まで出て、何でここに来たのか」と言われた時には、これまたショックでした。特に、高校時代の同級生と建設現場で偶然に会った時は、プライドはガタガタになってしまいましたね。彼は、元請けの現場監督として事務所の2階から私を見つけたのですが、その時の私は職人さんたちの下働き。自他共に認める男の中の男?鍛冶屋の息子は、声を掛けられると、冷静を装い一言二言話しただけで、その場から逃げました。何が男の中の男でしょうか。プライドでも何でもなく、あるのは見栄と驕りだけでしたね。一流の職人になる、とか何の『志』もなく、ただ給料をもらうことしか考えず、私自身が軽蔑されてもおかしくないような人間になっていました。気の荒い職人さんたちも半分は兼業農家で、他の人も真面目な人が多かったですので、それに比べれば何をか言わんやですね。但し、酒を飲んだ時の喧嘩の時なんかは、まだまだ元気な人たちがいましたので、間に入って止めるだけでも一筋縄では行きませんでしたけどね(笑)。話が逸れてしまいましたが、私は首にはならずに、社長の娘婿の専務の計らいで現場で修行ということになりました。今思うと、何と寛大な処置でしょう。叩き上げで、今まで数えきれない職人を使ってきた社長からすれば、私のようなやんちゃ坊主?なんか可愛いものだったのでしょうね。社長にも専務にも感謝しかありません。しかし、現場でまた一騒動?。・・・続きをお楽しみに!。それではまた。現場監督をしていた同級生の会社は、バブル崩壊後に倒産したことを知った。あれから一度も会っていない。あの時、逃げずにもっと話をしておくべきだった・・・クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/09/01
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『敗者復活戦』《凡人の独立編》 第18話(メルマガ敗者復活戦保存版)訪問販売、そして店頭販売での経験は、大学へ行くより貴重なものでした。しかし、故郷に帰ってその経験を活かすことが出来るのか?。現実の壁の前では立ち往生するしかないのか?。第18話スタート!●職人さんたちと飯を食う、そして汗をかく! 30人の職人さんたちから口を聞いてもらえず、話せるのはパートの事務員さんだけ、というのは辛いものです。何とか、職人さんたちに口を聞いてもらうには、と始めたのが昼の弁当を一緒に食べることでした。そんなくだらない、と思われるかもしれませんが、こんな些細なことが大切なんですね。・・・と偉そうに言える立場ではありません(笑)。私自身、すべて後から分かったことでした。それまで、プレハブの2階の事務所で事務員さんと一緒に食べていました。ある日、昼になって弁当を持って下に降りて行き、1階の休憩所に入ったのですが、皆のきつい視線は今でも鮮明に覚えています。引きつった顔で「今日から下で食べます」と作り笑いをして、部屋の奥に座り食べ始めました。すると、強烈な一言が。「あんたは、上で食べんね。上の方が良かろうもん」喧嘩を売られているわけではありませんが、ちょっとカチンッと来ましたね。気まずい雰囲気になり、部屋の中がし~んと静まり返ってしまいました。すると、職長が「まあ、よかたい。下で食べたかと言よるなら、それでよかじゃなかか」と助け船を出してくれたのです。それからは、徐々にではありますが打ち解けて、皆さんから口を聞いてもらえるようになりました。そして、時々加工場の後片付けや掃除も手伝い、気軽に話せるようになり、会社へ行くのにやっと苦痛を感じなくなりましたね。横浜時代、若い連中ばかりの職場で和気あいあいとやっていましたので、人に気を遣うこととか人間関係など勉強になりました。しかし、どうしても我慢ができない男が一人いました。それは、年は60代後半で、たまに出て来ては人を怒鳴り散らすのです。お分かりだと思いますが、この会社の社長です。正に叩き上げで、気が荒い職人達を使ってきたのですから、並の「じいさん?」ではありませんでした。ある日、私が加工場に溜まったゴミを燃やしていると、いきなり後ろから怒鳴ってきました。その時は私も、ゴミを燃やすくらいですから、気が緩みボーッとしていたのかもしれません。 私は、いきなり怒鳴られたので・・・我を忘れてしまいました。そして、社長に向かって・・・・。・・・続きをお楽しみに!。それではまた。見掛けによらずシャイ?な私は、かなりの人見知り???クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/08/26
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『敗者復活戦』《凡人の独立編》 第17話(メルマガ敗者復活戦保存版)久しぶりの『敗者復活戦』です。以前発行していたメルマガを一部手直ししながら進めていくつもりです。読み流していただければ嬉しいです。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!それでは、始まり始まり!訪問販売、そして店頭販売での経験は、大学へ行くより貴重なものでした。しかし、故郷に帰ってその経験を活かすことが出来るのか?。現実の壁の前では立ち往生するしかないのか?。第17話スタート!●仕事を探して、鉄筋屋へ就職! 故郷に帰って来てからは職探しです。数ヶ所面接を受け、家から然程遠くなく、給料も中では一番良かったので簡単に決めてしまいました。田舎の高校の普通科卒で、大学は夜間部に行っていたものの中退でしたので、何の資格もなく、一流の会社など無理でした。おっと、夜学中退と書きましたが、正確には学費未納のため除籍となっていました。情けない話ですね。やはり楽あれば苦ありで、何も考えずに横浜で仕事をしていた報いだったのかもしれません。故郷に帰って来て、初めて自分の立場を認識できたわけです。さて、皆さんは鉄筋工事を御存じでしょうか。建設現場で生コンを型枠に流し込むわけですが、それだけですと非常に弱い。強度を増すために型枠の中は、鉄筋が縦横に組んであります。阪神大震災で、倒れた高速道路から鉄筋が剥き出しになった映像は、覚えておられると思います。あれですね、あの工事を遣るわけです。最近では、構造計算書偽造問題で有名?になりましたので、説明の必要なしと言われる方も多いでしょうが念のため。最初に工場、いいえ工場ではなく鉄筋加工場に行った時は驚きました。野晒しなんですね。クレーンと鉄筋を曲げて加工する機械はありましたが、雨の時などはカッパを着て遣るわけです。私も幼き頃は鍛冶屋の息子、後には時代の流れで鉄工所の息子でしたから、鉄筋加工の仕事に抵抗はなかったのですが、一人で経営していた父の工場も屋根らしいものはありましたので、ちょっとショックでした。それに、職人さんのなかには背中に彫り物があるような人もいましたので、当時の気持ちを正直に言えば「地元に帰って来て、俺は何をしてるんだ」と惨めな思いになったのは事実です。しかし、よく考えてみれば大型クレーンを覆うような屋根付の工場では、莫大な費用が掛かるでしょうから、無理なのは当たり前の話だと納得もしました。それに、現場では雨の中作業を遣る事も多いわけで、合理的と言えば、これほど合理的な話はないわけです。私の場合は、営業見習いで事務所の仕事の手伝いしていましたので、プレハブの2階とは言え環境は良く、優遇されていたと思います。しかし、30人位いた職人さんから中々口を聞いてもらえません。職人さんたちは日当制で、休めば当然金が入ってこないわけです。給料制の若造が優遇されて面白いわけがありません。何とか口を聞いてもらいたい、職人さんたちと溶け込もうと、自分なりに努力しました。これは、後々良い経験になりましたね。・・・続きをお楽しみに!。それではまた。当時の気持ちを正直に書いていますが、ネット上で検索すると、鉄筋加工会社も私が知る四半世紀前と様変わりしています。女性も現場に出ている会社もあるようです。この変化は凄いです!!!クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/08/25
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『敗者復活戦』《凡人の独立編》 第16話(メルマガ敗者復活戦保存版)訪問販売、そして店頭販売での経験は、大学へ行くより貴重なものでした。しかし、故郷に帰ってその経験を活かすことが出来るのか?。現実の壁の前では立ち往生するしかないのか?。第16話スタート!●故郷に帰っては来たけれど!それは、横浜での生活が5年を過ぎようとしている頃でした。文字通り青春を謳歌していたのですが、そんな時に突然父危篤の知らせが入り、慌てて帰郷し某大学病院へ駆けつけました。担当の医師の説明では、石原裕次郎と同じ病気だということでした。裕次郎はまだ肝臓が丈夫なので手術できたようだが、父の場合は肝臓がかなり悪いので、手術はできない。大動脈瑠?が、1週間から1ヶ月で破裂する。そして・・・ということでした。(記憶に間違いがなければ、このような説明だったと思います。)大きな瘤が出来ているように見える動脈の画像を見ながらの説明でしたので、疑う余地はありませんでした。そこまで言われれば、母一人では不安でしたから、長男である私は、横浜での仕事や生活をすべて整理して福岡に帰る決意をしました。当時私は、訪問販売の会社で工事をやっていたのですが、社長や先輩に可愛がられ優遇して頂いておりました。家に仕送りしながら、歓楽街で遊ぶことも出来るような生活でした。あんな生活は、あれから今日まで残念ながら味わえないままです(笑)。父は、私が幼い頃は鍛冶屋を生業にしていましたが、時代の流れで食べていけなくり、その後幾つかの会社で鉄骨建築を覚え、自営ではありますが鉄工所をやっていました。昔気質の頑固者でしたので、商売は下手で儲ける術を全くと言っていいほど知りませんでした。しかし、現在零細企業とは言え経営者となった私から冷静に見て、昔の尋常小学校しか出ておらず、新聞の字も半分も読めなかった父が、よくぞ独立独歩の道を歩んだものだ、と感嘆という言葉を使いたいほどです。大正生まれで戦地にも行った世代の気骨、そして胆力は、現代人が失ってしまったものだと思います。見習うべきものがありますね。それでも、いよいよ食べていけなくなり、鉄工所を諦め、病に伏せるまでは運送会社で働いていたようです。もうじき60歳に手が届くという年齢でしたので、若い頃は力自慢だった父も、さすがに応えたのでしょう。私が、横浜で青春を謳歌している間に、こんなことになっていたのですから、家業を継ぎもせず、親不孝なことをしました。・・・ここまで書くと、なんと素晴らしいお父さん、と誤解されそうですね。実際は、暇があれば真っ昼間でも酒を飲む、というしたい放題でしたので、商売しても儲かるわけがありません。ぐうたらで、憎たれ口をきく、どうしようもないオヤジでもあったわけです(笑)。話が逸れてしまいましたので、帰郷してからの話に戻しましょう。さて、辞めたくない会社を辞めてまで、帰って来たのですから、後は、父が天国に逝くのを見届けるだけ、のはずでした。ところがどっこいです!。な、なんと、後一月以内に大動脈瑠?が破裂する、と画像を見て大学病院の先生が、御墨付、否、太鼓判を押した (こんな時適切な日本語は・・・笑)父でしたが、それから、なんと約10年生き延びたのです(笑)。入退院を繰り返しながら、体調の好い時は、近くの川に釣りにまで行って、マガママ放題で、病院からは、「お父さんに、文句をあまり言わないように、言い聞かせてくれ」と何回呼び出しがあった事か。「ダマサレタッー!」「俺の青春を返せ!」と言いたいくらいでした(笑)。皆さん、ご家族が余命・・・・と言われても、希望を持ちましょう。それにしても、大学病院に半年後に検査に行った時、先生が目を白黒させていたのは忘れられませんね(笑)。・・・続きをお楽しみに!。それではまた。父は、最後に入院する時、初めて「俺は死ぬとか?」と言った。余りにワガママ放題なので本人に告知しても、全く聞く耳を持たず、死ぬことなど考えてもいなかったようだ。この意志?が10年生きさせたのか???・・・クリックよろしく!。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/07/02
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『敗者復活戦』《凡人の独立編》 第15話(メルマガ敗者復活戦保存版)奇人変人?が集う訪問販売の世界を卒業し華麗なる転身を遂げるはずが、今度は店頭販売の世界へ。溺れる者は藁をも掴むと言います。その掴んだ物は一体なんだったのか?。第15話スタート!●故郷に帰る前の、ひと時の休息?店頭販売の会社が騙されて倒産してからは、営業が嫌になり、しばらくは肉体労働の毎日でした。夜の仕事が金になるので、深夜の倉庫内作業をしたりして食いつないでいましたね。会社が倒産してからは、なんかやる気がなくなり其の日暮らしのような生活でした。苦学生を気取って大学の夜学に行っていたのに、「行っても意味がない」と中退して仕事をしていたものですから、それが駄目になって余計に投げ遣りになっていたのかもしれません。店頭販売の会社のKさんが、「あなたは学校まで辞めて・・・」と言ってくれましたが、辞めたのは私の意志ですから、Kさんに何の責任がありましょうか。しかし、中退したのが家にばれて、母に泣かれた時だけは参りましたけどね。親不孝なことをしてしまいました。そんな日が続いていた夜勤明けに、横浜の下宿で寝ていると、突然ドアを強く叩く音がして起こされました。誰かと思ったら、訪問販売時代に一番仲が良かった四国生まれの色黒のNさんでした。色黒だったということは強く覚えています(笑)。当時電話もなかったですから、何の前触れもなく突然来て、そのまま連れていかれて、太陽熱温水器の販売をやることになったわけです(笑)。この会社は、知らない間に太陽熱温水器の販売を始めていたんですね。しかし、この時の心境は、正に『捨てる神あれば拾う神あり』でした。やっと其の日暮らしから抜け出せるのと、それも以前の仲間と一緒に仕事が出来るのですから、こんな嬉しいことはなかったですね。但し、私は営業はやる気がなかったので、今度は工事部の所属になり、水道工事の経験がある色黒のNさんの下で主任として働くことになりました。慣れないことばかりで、最初は大変な思いをしました。怪我もしましたし屋根から太陽熱パネルを落とす事故等々色々ありましたが、一番困ったのは人の問題でした。予想外に台数が売れ始めたのはいいのですが、やってもやっても工事が追い付きません。もうくたくたでした。そしてまたここでも私の悪い虫が出てしまい、「人を増やして欲しい」と社長に食って掛かったのですが、予想外に「わかった、わかった」と怒りもせず認めてくれたのは、嬉しかったですね。嬉しかったのはいいのですが、『捨てる神あれば拾う神あり』なんて言った舌の根の乾かぬうちに、この有様ですから、「バカに付ける薬はない」・・・ですね(笑)。それにしても、訪問販売時代は売れないセールスマンで、おまけに出戻りの私だったのに、その社長からは本当に可愛がっていただきました。待遇も良くしていただき、今から約25年前に5万円から10万円毎月実家に仕送りしながら、10万円前後のお金を歓楽街で使っていました。お人好しの私は、一人で使うより煽てられて年上の人にまで奢ったりしていたんですね。もし、あの当時よびりんさんのように『半分の法則』でお金を貯めていたら、私は20代半ばで会社を興していたかもしれません。やっぱり「バカに付ける薬はない」・・・ですね(笑)。ただ、訪問販売の会社だけあって、出入りする男たちは奇人変人ばかりで楽しかったですね。当然揉め事も耐えませんでしたが、どれもこれも、今ではやろうと思ってもできない、若さでエネルギーがあり余っている時代でした。貴重な経験をさせてもらったことに感謝です。しかし、そんな生活が1年続いたころ、父危篤の知らせがあり、長男である私は仕事も生活もすべて整理して、福岡に帰ることになったのでした。・・・続きをお楽しみに!。それではまた。訪問販売の会社、店頭販売の会社。今思えば、大学へ行くことよりも本当に貴重な経験をしたと思います。その後、武骨者の私が選んで営業職をやったのは、この原点とも言える経験があったからだと思いますね。・・・クリックよろしく!。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/06/27
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『敗者復活戦』《凡人の独立編》 第14話(メルマガ敗者復活戦保存版)奇人変人?が集う訪問販売の世界を卒業し華麗なる転身を遂げるはずが、今度は店頭販売の世界へ。溺れる者は藁をも掴むと言います。その掴んだ物は一体なんだったのか?。第14話スタート!●騙すより騙される方がいいなんて、嘘だ!あの演説会?から3ヶ月が経ったというのに、今までと変わらずスーパーで店頭販売の毎日。あの夢のような全国展開の話は、どこに行ったのでしょう?。指導員として全国を飛び回っているはずなのに、今までと何の変化もない。仕事に身が入るわけがありません。ある日、マネージャーのKさん、いや、総務課長のKさんから呼び出しがありました。京橋の事務所に、スーパーが閉店したら必ず来るように・・・。高田馬場の新事務所ではなく、京橋と聞き悪い予感がしましたね。Kさんの声も元気がありませんでした。本来なら合併する前の本拠地に用はないはずです。京橋の事務所には、H社長、奥さん、Kさん、他の社員のNさんとIさん、それに私の合併する前のメンバーが揃いました。おもむろに社長が困惑の表情で口を開きました。「会社を閉める事になった。おまえたちには申し訳ないが、私の不徳が原因としか言いようがない。」あまりに驚いて、社長が何を言っているのか全くわかりませんでした。若い社員は、狐につままれたようで呆然としているだけでした。この言葉も記憶が曖昧です。そして、冷静になってよく聞いてみると、合併した時、あの社長と本部長の会社は、すでに破綻していたようです。合併して、直ぐに地元にちょっと帰るから100万円用意して欲しいという話から始まったようです。ある地方出身だったその社長は、地元にも親族と共同経営の会社を持ち、それも倒産寸前だったのです。慌てて帳簿を見てみると、もはや破綻状態。財布の中身も殆んどカラッポだったのです。負債は、約25年前で数千万。何故、そんなことに気付かなかったか?。社長もKさんも、それほどバカではなかったと思いますが、仲を取り持ったコンサルタント会社のM先生に、全幅の信頼を寄せていましたので、何の疑いも持たなかったと言うのです。「あのおっさんの責任じゃないですか。あの男から金を取りましょう。」私は、一人で興奮して社長やKさんに訴えました。もちろん、こうなるまでかなりの修羅場があったようです。コンサルタント会社のMも騙されていた、と社長もKさんも言うのです。そんなこと、信じられるわけがありません。私だけでなく他の社員も納得出来きませんでした。すると、それまで黙っていた奥さんが目に涙を浮かべて・・・。「○○君、もう何もかも終ったのよ。ごめんなさいね」こんな意味のことを言われたものですから、私は、もう言葉が出ませんでした。これ以上話しても、奥さんを苦しめるだけになってしまいます。もちろん、当時20代前半の私ですから、興奮しているだけで何の役にも立たなかったのは間違いないですね。何の相談もなかったのは、当然のことでした。こんなことになっているのは露知らず、能天気にフランチャイズの指導員の夢を見ていたのですから、情けないとしか言いようがありませんね。結局、社長は家も土地も手放すことになったようです。一度だけ、自宅で奥さんの手料理を御馳走になったことがありました。その一戸建ての家は、確か山の手線の内側か?、記憶が曖昧ですが、とにかく直ぐ近くに山の手線が通っていました。バブルの頃だったら、どれくらいの値がついたんでしょうね。 社長は全てをなくしましたが、誰にも迷惑は掛けていません。凄いことだと思います。そんな社長ですから、旧くからの友人の方からのお誘いで、その方の会社に就職。女性マネージャーのKさんは、優秀な女性でしたから、やはりお誘いがあり再就職。同僚のNさんは、人柄も良かったので、Kさんのご主人の会社に就職。そして、Kさんが私に言ってくれました。「あなたは、どこに行ってもやっていけると思うわ・・でも」でも、なんだろう?・・・・。Nさんのようにどこかに紹介は?・・・ないの・・・でしょうか?。「あなたは、S急便に入ってお金を貯めて何か自分でやりなさい。その方がいいと思うわ」ガッ~ンと来ましたね(笑)。確かに当時のS急便のドライバーは、大変なお金を稼いでいました。Nさんと違って、私は、組織の中でやっていくのは、無理だろうと思われたんですね(笑)。しかし、今考えると、よくそんな私を我慢して使っていただいた、と感謝しかありません。仕方がないので、その後しばらくは、どこにも入らず肉体労働で食いつなぐことにしました。この店頭販売の会社に勤めたのは、たった1年でしたが、KさんとNさんとは今でもお付き合いがあり、私が平成14年に首の手術した時は、メールや電話で励ましてくれました。社長とは、その後私が父の病気で福岡に帰ることになり、帰る前に一度お会いしただけです。今、どうなさっているか知る由もありませんが、お元気で平穏に余生を送られていますように祈るしかありませんね。それにしても、何か、夢を見ているような1年でした。・・・続きをお楽しみに!。それではまた。あの社長は、逃げもせず全ての責任を全うしました。騙されはしましたが、今世間を騒がしている社長たちに比べたら遥かに立派な方でした。徳が高い、とはあんな人のことを言うのかもしれません。・・・クリックよろしく!。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/06/22
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『敗者復活戦』《凡人の独立編》 第13話(メルマガ敗者復活戦保存版)奇人変人?が集う訪問販売の世界を卒業し華麗なる転身を遂げるはずが、今度は店頭販売の世界へ。溺れる者は藁をも掴むと言います。その掴んだ物は一体なんだったのか?。第13話スタート!●悪の演説に酔いしれて・・そして、乗っ取られ?合併話が舞い込んだのは、突然でした。実は、もう1社同じ商品を売っている会社があり、その会社がコンサルタント会社を通じて、合併を申し込んできたのです。知らない会社ではありませんでした。コンサルタント会社が同じでしたので、紳士協定と言おうか、無駄な競争はしませんでしたね。しかし、何故突然にそうなったのか?。私が勤めていた会社は、社長、奥さん、マネージャーのKさんと社員3人。社員は全員、例?の怪しい英会話教材の会社のOBです (笑)。全員、あの管理職からの紹介です。(↑第7話 訪問販売から華麗なる転身?・・その前に! を読んでください。)合併話を持ち込んできた会社は、3倍位の規模でしたので対等合併?には何のメリットもなかった筈です。社員は、スーパーと自宅の往復だけで殆ど会社に行くことがなかったものですから、聞いたのは決定した後でした。合併した会社は、確か高田馬場辺りだったと思います。結局その会社に行ったのは、ほんの数回だけでしたが・・・。最初に、その会社の社長と本部長に会った時、私は胡散臭いものを感じました。若かったですが、訪問販売時代に色々な人間を見ていましたので、悪の臭い?が分かるようになっていたのかもしれません。早速会議です。しかし、胡散臭いと思っていた本部長の演説に、私は圧倒されました。全国展開の構想を聞いたのですが、その話の中で、商品を九州のB電気にも卸すと言うのです。B電気は、今では当たり前になった全国展開の大手電気店の先駆けです。今でも、年商3千数百億の大企業です。B電気に卸す、という話を聞いて、福岡出身の私は舞い上がってしまいました。他にも、全国フランチャイズ構想、などなど・・・。私達は、その指導員として全国を飛び回るのです。何が悪の臭いが分かるとか偉そうなことを言っているのでしょう。私は、その本部長をいつの間にか尊敬の眼差しで見ていました。そして、合併する前の会社のH社長は会長に、女性マネージャーのKさんは総務課長に。私は、その人事さえも当然と思うくらい本部長の演説に酔いしれていました。頭がキレル男とは、こんな男のことだろうと、もう前が見えなくなっていました。本当にバカでしたね。この本部長が合併に際してのH社長の決断を「大英断」と持ち上げた場面は、今でも強烈にまぶたに焼き付いています。何もかもかっさらいに来たハゲタカが言った「大英断」、忘れようにも忘れられませんね。要は、完全な乗っ取りでした。私のようなはみ出し者でさえ優しく見守ってくれていた、本当に人が好かったH社長は、おそらくこの話術に会社の将来を託すことになったのでしょう。そして、たった3ヵ月後に・・・。・・・続きをお楽しみに!。それではまた。ハガタカは、お人好しの臭いを簡単に嗅ぎ分ける。人から「好い人ね」と言われているあなた?油断したらやられますぞ???・・・クリックよろしく!。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/06/21
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『敗者復活戦』《凡人の独立編》 第12話(メルマガ敗者復活戦保存版)いつの間にか、休んだままになっていた『敗者復活戦ブログ』でしたが、再開することにしました。波瀾万丈や壮絶とは言い難い内容ですので、ちょっと自己満足過ぎるかな、とも思ったのですが、このままだと欲求不満のまま終わってしまいそうで、どうせならとことん自己満足を追求して、また書いてみようと思った次第です。それに、自分探しをしている若者や今から起業しようとする人にとって、為にはならなくても参考にはなるかもしれません。とにかく楽しみながら書き続けることにしましたので、今後ともよろしくお願いします。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!さて、始まり始まり。奇人変人?が集う訪問販売の世界を卒業し華麗なる転身を遂げるはずが、今度は店頭販売の世界へ。溺れる者は藁をも掴むと言います。その掴んだ物は一体なんだったのか?。第12話スタート!●短気は損気・・・今日も反省の色なし!前回は、店頭販売の実際の売り方についての話でした。それでは、商品を売っていただいたお金は、どうするのでしょう。現金、クレジット、二つの方法です。低周波治療器が35,000円、アルカリイオン水製造器が、40,000円?だったでしょうか。現金の場合は、そのままスーパーに入金するわけです。それから2割をスーパーに取られて、後で8割が会社に入金されることになっていました。 前回書きましたが、商品の性質上初日から売れることはありません。最初の1週間位は売れませんので、スーパーの売り場担当者や店長、副店長などから当然白い目で見られます(笑)。 ある大手スーパーで販売している時でした。私は、お客さんが警戒しないように背中を向けて本を読んでいました。本といっても専門書ではなく、私の好きな時代小説です(笑)。やってはいけないと思いつつ、お客さんが寄って来るまでの間だけと思い、読んでいました。読んでいた、というより没頭していました。すると、ようやく背後にお客さんの気配がしたのです。私は、本を置きいつもの調子で「何か、お困りですか?」と言おうとして、後ろを振り向きました。すると、な、な、なんと、副店長が仁王様のような顔をして私を睨んでいるではありませんか。内心「しまった」と思ったのですが、平静を装い「なにか?」と言ってしまったんですね(笑)。「君は何をしているんだ、本なんか読んでやる気があるのか」・・・副店長「すみません。呼び込んで売れる商品じゃないんで、チョッと・・」・・・私「何がチョッとだ。好い加減なことを言うな、本部に言って出入り禁止にするぞ。いいのか、分かってるんだろうな」・・・副店長私は『出入り禁止にするぞ』という文句に、カチンッときてしまいました。元来直情径行的な性格で、短気で生意気な男でした。この時20代前半、22歳位だったか。バカと言おうか、何と言えばいいのでしょうか。40代と思われる副店長に向かって・・。「出入り禁止、本部に言う、なんやそれは。言いたかったら勝手に言えばよかでしょう。俺の知ったこっちゃなか」こういう時は、福岡弁が出てしまいます(笑)。当然、副店長は怒りで顔は紅潮して「よし、わかった。君は、このまま会社に戻れるのか」と言い残して、その場を去って行きました。 私は、しまった、またやってしもうた、という気持ちで閉店まで落ち着きませんでしたね。夕方、会社に電話して社長とマネージャーのKさんに事情を話し、本部から電話があったら謝っといてくれと勝手な事ばかり言っていたのを覚えています。さすがに、会社に迷惑が掛かったらどうしようと思い、落ち込みましたね。しかし、不思議と社長とKさんは「またか?」と笑ってひどくは怒りませんでした。日頃から同じようなトラブルを起こしていましたし、会社の同僚と飲みに行って隣の客とケンカしたりと、正にトラブルメーカーだったと思います。おまけに、社長やKさんにも食って掛かったりしていましたので、わたしの性格をよく理解してくれていました。小さな会社であればこそですが、私のようなはみ出し者を、手のひらの上でころがすように使って頂いた、と今思えば感謝という言葉しかありませんね。そして、その副店長も本部には言わず、自分の胸の中だけに留めてくれていました。これも、私の人徳が成せるところでしょう(笑)。当時は、私のようなものを活かしてくれる大らかさがまだあったと思いますね。皆さんに感謝です。その店での販売も後半になると、一日10万とか20万とか売れる日がありましたので、その時は、本当に副店長も喜んでくれました。私も、その喜んでくれる顔を見て、やっと餌を与えられたブルドッグのような顔で笑っていました(笑)。その後、この会社に合併話が舞い込み、破綻へと向かっていく事になります。・・・続きをお楽しみに!。それではまた。あの時代に比べたら身体は随分ま~~るくなったけど、性格も丸くなったかな???・・・クリックよろしく!。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/06/20
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『敗者復活戦ブログ』《凡人の独立編》 第11話奇人変人?が集う訪問販売の世界を卒業し華麗なる転身を遂げるはずが、今度は店頭販売の世界へ。溺れる者は藁をも掴むと言います。その掴んだ物は一体なんだったのか?。第11話スタート!●天使の笑顔はブルドッグ?さあ、一人立ちです。ご存知のように、スーパーは土日はともかく平日の午前中などはガラガラです。私のコーナーに座ってくれる人などいません。最初は勝手が分からず、檻の中の熊のようにウロウロしていました。たまに座って、ひたすら誰か『さくら』になってくれそうな人を待つわけです。これは、ある意味訪問販売よりも辛かったですね(笑)。そして、やっとやっと「本当に、痩せられるの?」と声が掛かります。この時です、この時が問題なんです。笑顔は必要ですが、決して嬉しさを表に出してはいけません。ポーカーフェースじゃないと駄目なんです。特に私の場合は、嬉しさが顔に出ると、やっと餌を与えられたブルドッグのようになってしまいます(笑)。これでは、お客さんが警戒して逃げてしまいます。「どうぞ、座ってください。まずは耳のつぼで健康チェックしますね」不思議な事に、耳のつぼを押していると(綿棒状の治療器の先端で)、弱っていたり悪い所は痛いんですね。これは、お客さんを騙しているわけではありません。「○○が反応出てますけど、何か言われたことはないですか?」・・私「すご~い、何で分かるの。耳にもつぼがあるのね」・・客「痩せるつぼは、耳にあるんですよ。胃のつぼなんですけど、これを刺激してやれば食欲が落ちてきますからチョッとやってみましょう」・・私数分胃のつぼを押して刺激した後に、ごま粒大の磁気粒が付いてるテープを胃のつぼに貼ってあげます。そして、ついでに肩を刺激し凝りを取ってあげるのですが、この間30分以上ただただ奉仕あるのみです。すると、「私も肩こり取ってもらいた~い」とか「お金掛かるの?」とか声が掛かってきます。手抜きせずにやっているのを、見ていますのでチョッと待ってくれと言っても待ってくれます。「奥さん、この耳のテープ明日来てもらえれば、また貼ってあげますから」「いや~明日は、来れないは」・・客「じゃ~、これ余分にあげましょう。良かったら、また、来てください」とテープをサービスして帰ってもらうわけです。その人は、二度と来ないかもしれませんが、それはそれで構わないんですね。その人は『さくら』の役目になったわけですし、お客さんを騙すようなことをしたら、スーパーとの契約ができなくなります。訪問販売をやっていた私には、目の前の客に奉仕だけして帰らせることは、始めは納得できず難しかったですね。しかし、肩や腰の痛みが少しでも和らぎ凝りまで楽になったら、次第に今でいうリピーター出来て、まるで病院に行くように通って来るようになるんですね。アルカリイオン水も、欲しい人には無料で差し上げていました。水筒持参の人も多かったですね(笑)。 そして、当然のですがそろそろ売らなければ話になりません。しかし、通って来ているお客さんに押し売りはできません。どうするか?。1ヶ月の滞在中10日ごとに区切って、1週間位経ったら『○○日まで』と紙に大きく書いて貼ります。そして、ここからが勝負です。紙を名刺の半分位の大きさに切って、『○○さんお買い上げ』と書いて貼ります。10枚程度はるんですが、田中さんでも鈴木さんでも誰でもいいわけです(笑)。これは、決して騙しているのではありません。ふるいに掛けるわけです。それを見て、欲しい人は買ってくれます。もちろん買わない人の方が多いのですが、タバコやお菓子持ってきて「お世話になったね」と言ってくれる人もいました。ちょっとズルイ?と思われている方、これ位は許してください。生きていくための知恵なんです(笑)。毎日、汗を流しながら一生懸命やってあげるのですから、1台も売れないなんて、こんな辛いものはありません。そして、ひと区切りがついた翌日は、紙に『好評につき、延長します』と大きく書いてお客さんを待つわけです(笑)。「あ~ら、またやってるの?」顔なじみになったお客さんから声を掛けられます。「そうなんですよ、お店からもう少し遣ってくれと言われたんですよ」そう応えた私の顔は、たとえ餌を与えられたブルドッグに似ていても、きっと天使?のような笑顔だったに違いありません(笑)。・・・続きをお楽しみに!。疲れている時や悪い流れの時、この『敗者復活戦』の物語を書くと気分転換になる。読んでいてもなるよね???・・・クリックよろしく!。会社のサイトです。こんな仕事をやっています。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!
2006/10/05
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『敗者復活戦ブログ』《凡人の独立編》 第10話奇人変人?が集う訪問販売の世界を卒業し華麗なる転身を遂げるはずが、今度は店頭販売の世界へ。溺れる者は藁をも掴むと言います。その掴んだ物は一体なんだったのか?。第10話スタート!●待つことは、攻めることなり!店頭販売と大雑把に言っておりますが、実際店の外でも中でも色々な商品が売られています。雑貨、衣料品、食料品、稀に占いコーナーなどもあり見ていて楽しいものです。店頭販売(実演販売)の「カリスマ」マーフィー岡田さんは、今やテレビショッピングや講演などで、その活躍をご存知の方も多いと思います。マーフィー岡田式で呼び込み話術で売る人もいれば、黙ってても珍しい商品に惹かれて客が買ってくれるような場合もあります。健康機器(治療器)は、どうでしょう。20数年前で数万円していましたから、お客さんは警戒して呼び込みなどしても座ってくれません。実際にお客さんを相手に実演するのですから、座らせるまでが大変なんですね。最初の数日は、コンサルタント会社のTさんが付きっきりで指導してくれました。 社員といっても彼一人なんですが(笑)。20代後半ですでに髪が若干薄くなっていて、初めは30代後半位に思っていましたね(笑)。私も19歳の時に30代に見られていましたので似たようなもんです。老けているということは、治療器などを売る場合はプラスにこそなれマイナスにはなりません。生まれて初めてでしたね。自分の顔が良いように役立ったのは(笑)。さて、先ずは仮設の売り場作りです。階段の踊り場に机を置き、椅子を並べ、壁には宣伝用のパネルを貼ります。『3ヶ月で10キロ痩せる、耳のつぼ』『肩こり、腰痛でお困りの方・・・』『健康の水、アルカリイオン水』・・・『無料です。お試し下さい』。パネルの中には耳のつぼの拡大図もありました。そうそう全身のつぼが一目で分かる50センチ位の人形もありましたね。なかなか本格的でした。ちなみに、今もその人形は何故か持っています(笑)。 Tさんはひょっとすると、私を京橋の会社で指導してくれた彼の会社の社長M先生より専門的なことは詳しいのでは、と思わせる勉強熱心な人でした。それもその筈です。彼は、その後苦労して鍼灸師の国家資格を取り、現在東京で治療院を開業し、そこには数人の鍼灸師が彼の指導のもと働いているようです。そんなTさんが教えてくれたことは、ひたすら待つ事です。治療器を売り付けられるんじゃないかと警戒して、なかなか座ってくれません。しかし、本当に肩こり腰痛で困っている人、痩せる耳のつぼに興味のある人は、こちらから声を掛けなくても、いつのまにか近くまで来て、パネルなどを見ながら、声を掛けてくれという顔をしているわけです(笑)。それを、しばらく気付かないふりをして、後ろを向いて説明書などを読んでいるわけですね。そして、おもむろに「なにか、・・お困りですか?」と声を掛けるのです。こうなると、殆んどの人が椅子に座ってくれます(笑)。訪問販売で経験した攻めの営業ではなく、売る商品によっては、こういう遣り方もあるのを知って驚き、勉強になりましたね。一人が座れば、不思議と人が嘘のように寄って来ます。俗に言う『さくら』というのはこういうことか、と実感しましたね。そして、一人立ちしてひたすら待つことになるわけです。待つというのは、攻めるよりも精神的に堪えました(笑)。・・・続きをお楽しみに!。『3ヶ月で10キロ痩せる、耳のつぼ』・・・知ってて何でやらないの?、直ぐにでもやりなさい、とはいいっこなしよ???・・・クリックよろしく!。会社のサイトです。こんな仕事をやっています。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!
2006/09/30
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『敗者復活戦ブログ』《凡人の独立編》 第9話奇人変人?が集う訪問販売の世界を卒業し華麗なる転身を遂げるはずが、今度は店頭販売の世界へ。溺れる者は藁をも掴むと言います。その掴んだ物は一体なんだったのか?。第9話スタート!●えっ、ここでやるの?・・・店頭販売は場所より度胸!待ちに待った?現場での実践です。住所と地図を頼りに電車でスーパーまで行くと、そこには女性マネージャーのKさんと、コンサルタント会社の社員Tさんが待ってくれていました。車から、商品と折り畳み式の長机、そして折り畳み式の椅子を降ろし、荷物の搬入口から中に運びました。途中で店長や店の人に挨拶です。私は、スーパーの中のテナントのように、どこか専用の場所で遣らしてもらえると思っていました。ところが、様子がおかしいのです。「どこが・・・いいかな?」店長とマネージャーのKさんが相談しているではありませんか。人の目に付きやすい、立ち止まって覗き易い場所は?。1階の食料品売り場は、所狭しと商品が並べられて、長机と椅子それに商品を置くスペースなどありません。無理やり置いても、逆にお客さんの流れを止めることになってしまいます。これは、スーパー側は絶対遣らしてくれません。2階の雑貨衣料品売り場はというと、確かに場所は奥の方にあるのですが、それではお客さんが見てくれません。そうこうしているうちに、やっと最適の場所が見付かりました。そこは、な、なんと1階と2階を結ぶ階段の踊り場だったのです(笑)。確かに広い階段でしたから、お客さんの流れを止めることはありません。しかし、テナントのような雰囲気で遣るものだと思い込んでいたものですから「ここは、あんまりじゃないですか?」と思わず言ってしまいましたね。すると、女性マネージャーのKさんが、鬼のような形相で「だったら外で遣る?雨が降ったら大変よ。あなたは濡れてもいいけど、商品は絶対濡らしちゃダメよ」と、のたまうではありませんか(笑)。「場所は、契約しているから大丈夫よ」と優しく微笑んでくれたあの?Kさんの姿はそこにはありませんでした。『釣った魚には餌を遣らない』・・・俺は魚か、と叫びたかったですね(笑)。もう逃げられません。私は、階段の踊り場に長机と4脚の椅子を並べ、机の上を白い布で覆い、デモ用の商品を幾つか並べました。「訪問販売よりも、コリャ~大変かもしれんなあ」と始まる前から落ち込みましたね。本当に逃げようかと思ったのですが、それを察してか女性マネージャーのKさんは、その日一日会社に戻らず私のそばから離れませんでした(笑)。女性というのは役者やなあ、とこの時ばかりは思い知らされました。あの時のKさんの顔は、今でも忘れられません(笑)。・・・続きをお楽しみに!。『氷の微笑』という映画があったけどKさんの笑顔は『凍りつく微笑』だったかな???・・・クリックよろしく!。会社のサイトです。こんな仕事をやっています。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!
2006/09/24
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『敗者復活戦ブログ』《凡人の独立編》 第8話奇人変人?が集う訪問販売の世界を卒業し華麗なる転身を遂げるはずが、今度は店頭販売の世界へ。溺れる者は藁をも掴むと言います。その掴んだ物は一体なんだったのか?。第8話スタート!●東京のど真ん中、嬉しさの次に暗さあり?健康機器の販売会社は東京の中央区京橋、東京駅から歩いて10分~15分位だったと思います。初めて行った時は、東京のど真ん中にある会社と聞きチョッと嬉しかったですね。皆さんお笑いかもしれませんが、田舎から出て来てなにか出世したような気がしました(笑)。ところが、場所は京橋でもビルの狭間にあるほんとに小さな古い雑居ビルの一室が事務所でした。50歳位の社長と奥さん、40歳位の女性マネージャーKさん、そして初老のコンサルタント?Mさん。この4人が出迎えてくれたのですが、中に入った瞬間帰ろうかと思いました。怪しいとは思いませんでしたが、地味で暗い雰囲気でしたからね(笑)。マネージャのKさんとコンサルタントのMさんから、販売する健康機器の説明を受けました。一つは、低周波の電子針治療器。これは、全身のつぼを刺激する治療器で、特に耳での診断?、そして治療も出来るようでした。綿棒のような針の先を耳のつぼに当てると、弱ったところは微妙に痛いんですね。電池式でしたが強弱の調整が可能で、一般の方にも使えるように出来ていました。もう一つは、アルカリイオン水製造器。 水を電機分解して、酸性とアルカリ性に分けるものです。コンサルタントのMさんは先生と呼ばれていましたが、名前だけの先生ではなく、専門的なことを本当に丁寧に分かり易く教えてくれる先生でした。体のつぼの知識、二つの商品の知識。自分も現場で売っていた人ですから説得力がありました。社長もマネージャーのKさんも、誠実な方で商品も胡散臭いものではないと思いましたので、その会社にお世話になることに決めたわけです。しかし、よく考えてみると、どこでこの商品を売るのでしょう。また、訪問販売かな?。女性マネージャーのKさんが、微笑みながら「大手スーパーと契約して場所を借りてるから、飛び込み営業の必要なんかないわよ!」。それを聞いた時は、俺も大手で仕事ができるんだ、と内心ニンマリとしていました。それが、顔に出ないよう苦労しましたけどね(笑)。 しかし、そう世の中甘くはありません。大手スーパーは間違いなかったですが、場所は・・・?・・・続きをお楽しみに!。逃げ場がなくなったら、自分に合ってるとか合ってないとか関係なくとにかくやるしかないよね???・・・クリックよろしく!。会社のサイトです。こんな仕事をやっています。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!
2006/09/23
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『敗者復活戦ブログ』《凡人の独立編》 第7話若き日の訪問販売の経験は、武骨者の私が今日まで営業を生業としてきた原点となりました。奇人変人?が集う常識を超えた世界は、プライドを何回ズタズタにされたことか。そして、その世界を漸く卒業し華麗なる転身を遂げるはずが、またもや?・・・。ちょっと間隔が空いたけど第7話スタート!●訪問販売から華麗なる転身?・・その前に!訪問販売の会社は、2年弱で限界を感じて辞めましたが良い経験になりました。武骨者だった私が、その後どこに行っても営業という仕事をやるのは、この経験があればこそですね。今度は、一度東京で仕事をしてみたいと思い、新宿駅前のビルにオフィス?があった、英会話の教材を売る会社で働くことにしました。働くことにした、と言うより、直ぐ採用してくれるのはそんな会社しかありませんでした。研修の時から、何か怪しい雰囲気、怪しい人ばかりのような気がして、これは「やばい」と思いましたね。1セット20万弱の教材を売って、営業マンに4万円?位の手数料だったと思います。そして、数人を管理するマネージャーも、営業マンが売るごとに手数料が入り仕組みになっていました。マネージャーを管理する管理職にも、同じように手数料が入り、支店長までいくと年収数千万と言っていた記憶があります。まるでネズミ講じゃないか、と思いましたし、こんな奴らのために汗水たらして働くのは「真っ平御免」と思いましたね(笑)。電話でのアポイントのやり方も「あなたに○○が当たりました!」とか言って、大学生を呼び出すんですね。私も数人の大学生に売り込みましたが、こちらが怪しいと思っている商品が売れるわけはありません。それでも、基本給が貰える1ヶ月間は、外回りと称して喫茶店で本を読んだりしていたのですから、我ながらずるい男です(笑)。また、大声を張り上げての朝礼も、こんなことしたからといって売れるもんじゃない、と訪問販売の経験で思っていましたので、この1ヶ月は本当に長い1ヶ月となってしまいましたね。私がいた訪問販売の会社も、一般の方から見れば怪しいかもしれませんが、その私が怪しいと思うのですから本当に怪しかったですね(笑)。 東京で仕事をしたいという夢は、1ヶ月で破れてしまいました。破れた、と言えばかっこ好いように聞こえますね。実際は「逃げた」というのが当っていました。こんな窮地に陥った時、思いがけず救いの手が差し伸べられたら、あなたならどうしますか?。「逃げた」会社の管理職の中に、孤立しているというか窓際族のような人がいたんですが、その人は密かに?辞めていく人に、転職先を紹介していました。たとえ会社のなかでの立場がなくなっても、辞めていく人に職を紹介し、その会社から斡旋料をもらっていたんですね。人間、切羽詰ったら生きる知恵が出てくるもんだ、と勉強になりました(笑)。その後、風の便りに、辞めさせられたという話を聞いた時には、「ばれたな」と思うしかなかったですね(笑)。溺れる者は藁をも掴むと言います。私は、その人の紹介で東京の京橋にあった健康機器を販売する小さな会社に入る事になりました。どこでもいいから仕事をしないと金が無くなっていました。選ぶ余裕などありませんでした。ここでは、大手スーパーの店頭や階段の踊り場で健康機器を売ることになってしまいました。訪問販売とは違った面白い経験をさせて頂きました(笑)。・・・続きをお楽しみに!。腹がへってどうしようもない時、差し伸べられた手に握り飯があったら食らい付くよね???・・・クリックよろしく!。会社のサイトです。こんな仕事をやっています。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!
2006/09/21
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『敗者復活戦ブログ』《凡人の独立編》 第6話若き日の訪問販売の経験は、武骨者の私が今日まで営業を生業としてきた原点となりました。奇人変人?が集う常識を超えた世界は、プライドを何回ズタズタにされたことか。その奇人変人?の中でも特に異色だったのはTさんでした。第6話スタート!●あのバンドの解散コンサート番組を制作した薔薇族?のTさん!生まれて初めて見たフンドシ姿の筋肉質の男性が載っている薔薇族という雑誌。それを愛読していたピンクのズボンを履いたTさん(笑)。初めは、どういう人か判断できませんでした。鎌倉に住んでいていつも遅れて出て来ますが、それなりに仕事をこなして帰っていきます。子供はいましたから、男好き?がどの程度かは分かりませんでしたが、慣れてくると不思議なもので殆ど気になりませんでした。但し、皆で座って弁当を食べる時などに、ピンクのズボンで横座りになって食べるものですから、「それだけは止めてくれ」と言われていましたね(笑)。普段は男っぽいところもあり、今から20数年前、長身で体格のいい男がピンクやアカのズボンに冬であれば古い革ジャンを着こなしていました。それがまた似合うんですね。天才Mも古い革ジャンは真似していました。恥ずかしながら不肖鍛冶屋の息子も、古い革ジャンを着て真似していました。おっと・・・ピンクのズボンだけは、真似はできませんでしたが(笑)。親しくなってから、彼の前職を知り驚きました。東京のテレビ番組の製作会社にいたんですね。そして、今を時めくスパースターで、ロック界の第一人者のYがいた伝説のバンドCの解散コンサート番組を製作したと言っていました。。コンサートの最後、ステージ上のセットが燃えてしまう凄い内容の番組でした。彼はその番組のプロデューサーだったと言っていましたが、それが本当だったかは分かりません。後に、彼はその会社に戻るのですが、会社に電話したこともありますし、数年後、たまたまその番組を見た時に、最後に会社名が出ていましたので、作り話ではなかったようです。現在、その解散コンサートがDVDになっています。印象的なのは、バンドの当時の親衛隊の中に、後々大河ドラマに出演する奴?がいるのですが、今日の姿を一体誰が想像できたでしょうね(笑)。その前職を知ったから言うわけではありませんが、Tさんは頭の回転が速くとにかく弁が立つ男でした。天才Mも理屈では、否、屁理屈では彼には敵いませんでしたね(笑)。私は、その後2年弱で転職するのですが、所長Iさんを始め天才M、薔薇族のTさんなど一癖も二癖もあるような人ばかりと付き合っていました。そう言えば、有名お坊ちゃま大学のK大学を出て、一流企業、世界放浪、帰国後、トイレの換気扇のセールス、こういう変人もいましたね。今考えれば、あんな人たちじゃないと完全歩合制の世界では、生きていけなかったのかもしれません。そんな中で、『セールスマンらしくないセールスマン』と客から同情されるような売れないセールスマンの私が、2年近くいたのですから、これは若さゆえの特権?と考えるしかないですね。今だったら絶対できません(笑)。ノルマも、大声を出す朝礼もない代わりに会社は何の保障もしない。そんな自由奔放な環境は、苦学生?を続ける興味をなくす体験となってしまいました。しかし、学生生活では得られないような貴重な勉強?となったのは事実です。それではまた。薔薇族なんて日陰の身だったけど、今は大手を振って歩いている。誰でもあのくらい開き直ることができたら人生楽しいだろうな~~~???・・・クリックよろしく!。会社のサイトです。こんな仕事をやっています。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!
2006/09/09
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『敗者復活戦ブログ』《凡人の独立編》 第5話若き日の訪問販売の経験は、武骨者の私が今日まで営業を生業としてきた原点となりました。奇人変人?が集う常識を超えた世界は、プライドを何回ズタズタにされたことか。今日のよびりんさんの日記『過去を振り返り、現在をよりよく生き、未来を切り拓こう!』・・・正にこの物語の意味はこの言葉です。第5話スタート!●天性のセールスマンMは、天才か詐欺師か?人には向き不向きはない、と言われる方もおられるかもしれません。強い願望があれば実現するという成功哲学は、間違いではないと思いますが、それは自分がやりたいこと(天職?好きな事?)への強い願望ですから、すべてに当てはまることはありません。私がどんなに気合を入れて人一倍の根性を出して何軒セールスしても、天才Mには絶対勝てませんでした。長身でカッコよく女性との接し方は、素晴らしかったですね。当時20歳でしたが、その話術は天性のものがありました。今やブログランキングなどでも上位を占めるホストの世界ですが、彼がもし今のような時代のホストになっていたら、間違いなくトップになれたと思います。Mはそんな男でした。私などは、まず顔で警戒されますから、そもそもスタートラインが違います(笑)。最初、Mと組んでセールスに回った時、私はMの後ろでどういう話し方をしているか、聞かせてもらいました。訪問した家のドアが開き、奥さんが顔を出したところから、私と全く違います。「こんにちわぁ~~」とMが笑顔で声を高くして話しかけると、なんと微笑む奥さんもいるではないですか。私の時の相手の顔が引きつるのと天と地の差です(笑)。話し言葉は、福岡で育った私にとってはオカマ?が喋っているように聞こえました。だからといって、変ないやらしさは全くないんですね。奥さんが微笑みだしたのを見計らって、外の脱臭筒の前に来させて本格的な説明開始です。口八丁手八丁というか、とにかく脱臭筒の構造の欠点を指摘して、不安を煽る、とにかく煽る。そして最後の決めゼリフは「ほうっておいたら○○になっちゃうよ」。ほんとかよぉ~~?、そばで聞いていた私は目が点になりました。話しも上手いが、創作(嘘?)も上手い。正に天才か詐欺師か?Mの本領発揮です。取付が終わりお金を頂くまで、終始このペースでした。私が同じことをしたら、間違いなく警察を呼ばれたと思いますね(笑)。しかし、Mはこれだけの男ではありませんでした。家の中から奥さんを外に出して説明をするやり方は皆が真似しましたし、この家は「ダメだ」という判断も早かったですね。無駄な時間は使いませんでした。喋りの上手さと判断力、度胸、どれも素晴らしいものがありましたね。もちろん、やって良いことと悪いことがありますが、当時こんな男が世の中にいる、と知ったこは良かったと思っています。後のいろいろな経験を踏まえてではありますが、元々の天の邪鬼な性格もあいまって、どんな有名な人でも言葉だけではなかなか信じなくなりました。その人がやっていることを、よ~く観察?しないと分からないことが多いですからね(笑)。それにしても、Mは30年近い前に訪問販売で月収100万位稼いでいました。彼は今何をしているのでしょうか。遊び癖、浪費癖が凄かったですら、それさえなければ、もしかしたら大実業家になっているかもしれません。人を欺くような仕事だけはやっていないことを祈るばかりです。それではまた。「ほうっておいたら○○になっちゃうよ」・○○って何だ???・・・クリックよろしく!。会社のサイトです。こんな仕事をやっています。過去を悔いるのではなく、過去を振り返り、現在をよりよく生き、未来を切り拓こう!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!
2006/09/04
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『敗者復活戦ブログ』《凡人の独立編》 第4話若き日の訪問販売の経験は、武骨者の私が今日まで営業を生業としてきた原点となりました。奇人変人?が集う常識を超えた世界は、初めからプライドがズタズタになりましたが、それはただの序の口にすぎなかったのです・・・。第4話スタート!●所長Iさんの究極の営業戦略は、新人潰しのセッチン詰め!最初は、所長のIさんとばかり組んでいました。後で分かったのですが、Iさんは皆から嫌われていたんですね(笑)。東京に住んでいたIさんは、横浜の営業所まで派手なスーツを着て颯爽と外車で通勤していました。この人からは営業は戦いだ、ということを学ぶ?ことになります。稼いだ時など、財布を机の上に叩きつけて「どうだ!」と言うのが、彼の楽しみでもありました(笑)。元来金に無頓着で執着心がない方でしたので、それを見る度に不快な気分になっていましたが、この考え方は、決して美徳とまでは言えません。寧ろセールスをやる上では、マイナスになることの方が多いと思います。財布を見せびらかすことは別にしても、目的を明確にするは勝利への近道です。・・・ここでお金のために生きるべきではない、という当たり前の話は横に置いて読んでください(笑)。そんなIさんですから、注文が中々取れない時など機嫌が悪くなり、断わられたら家の玄関先に唾を飛ばしたり怒鳴ったり、一緒に回っていると大変な時がありましたね(笑)。そんな唖然とするしかない状況の中でも、初めて売れた時は本当に嬉しかったのを覚えています。「バンザーイ!」心で叫んでいました。これで、飯が食える!、そういう心境でしたね。その家の奥さんが言ってくれました。「まじめそうで、セールスマンじゃないみたいだったから、買う事にしたのよ」・・感激。しかし、これは致命的な欠点だったかもしれません。どんなにやっても、セールスマンらしいセールスマンに最後までなれませんでした(笑)。そして、ある日奇跡的にIさんより先に注文を取り、喜んで脚立を持って行って商品を取り付けていたところに、Iさんが戻ってきました。さあ、Iさんの本領発揮です。何をするかと思って見ていたら、商品を4台抱えて私が取り付けていた家の周りを取り囲むように、周囲の家の玄関先に置き始めました。次に、4軒の家を片っ端から回り、私が取り付けているのを見せて、取り付けは半分義務のような言い方をして注文を取っているではないですか。私は当時19か20歳の新人です。売れておりませんでした。当然お金もありませんでした。所長であるIさんは、私のために無理にでも『注文を取ってくれているんだなあ~』と有り難かったですね。目がウルウル?しそうなくらい嬉しかったですね。ところがどっこいです。Iさんは、自分のためにそこまで汚い?ことをやっていたんですね・・・絶句(笑)。人が好いと言われればそれまでですが、まさかこんなことがあるとは。田舎から出て来て半年あまり、人を疑うことなど知りませんでしたね。完全歩合制の怖さを思い知らされました。後に、この所長とは乱闘騒ぎに発展するのですが、ここまで行動が明快だと付き合い方も決まってきますので、その後は明るい仁義なき戦い、だったかもしれません(笑)。皆がIさんと組みたがらない訳が分かったのはいいのですが、別名『新人潰しのI』と呼ばれていたのは後から知りました(笑)。こんな人が、所長でいいのかな?・・・否、それでよかったのかもしれません。『敵を騙すには先ず味方から』ですからね(笑)。それではまた。*初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!仁義なき戦いでも、皆底抜けに明るかったのは、全く管理されない自己責任の世界だったから???・・・クリックよろしく!。会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2006/09/01
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『敗者復活戦ブログ』《凡人の独立編》 多くの皆さん?のリクエストにお応えして、メルマガ『敗者復活戦』がブログとして再スタート! ●第3話 質実剛健剛毅朴訥、九州男児初仕事で撃沈! 20数年前、日1万以上可能!の怪しい広告を疑いもせず、訪問販売のセールスマンとなった私を待ち受けていたものは、奇人変人が集う異次元の世界?でした。いよいよ出陣です。最初は、所長のIさんと二人で組んで出発です。先ずはガソリンスタンドに寄って、自腹でその日使う量しか入れません。殆んどが10リッター程度で、その金額を乗っている人数で割るのです。稼ぎが多いとか少ないとか関係ありません。新人は、最初の2週間位は出してくれますが、後は出せなければ辞めるしかありません。ですから、殆どの新人は1日か2日で辞めていきます(笑)。完全歩合制の厳しさで、皆お金にはシビアでしたね。稼ぎが多い人ほど余計に徹底していました。そして現場へと向かったのですが、商品説明も車で走りながら聞く程度です。こんな物売れるかな?と不安でした。もうちょっとちゃんと説明してくれよ、と言いたかったですね。金に目がくらんだとは言え、逃げて帰りたい心境でした。当時の私は硬派を自認していましたし、スポーツ刈で19歳の時に30歳に見られていたような顔でした。5歳を境に可愛いと言われなくなった悪相です(笑)。おまけに質実剛健剛毅木訥の九州男児です(本当は、小心者です・・カッコだけ)。そんな営業とは無縁の世界にいる男がなにを間違ったか、今から訪問販売をやろうとしているのですから・・・。30分程走って住宅街で車を停めて、そこを拠点に右と左に別れて、と言いたいところですが、新人ですからしばらくは後について話を聞いていましたね。そして、とうとう見よう見まねでやることになったわけです。横浜に来て半年、横浜弁も覚えた浜っ子?のつもりでしたから、カッコよく決めたいと柄にもなく思っていました。ある家のドアをトントンと叩くと、中から「ハ~イ」と奥さんの声、私は生唾を飲むように緊張していたのを覚えています。ドアが開いて、奥さんと目と目が合った瞬間、その奥さんは口を少し開いて「ギャッ!」と声にならないような声を発したような気がしました(笑)。私は緊張のあまり顔が強張って、まばたき一つせず小さい目を見開いていました。客観的に見れば睨んでいるようにしか見えなかったかもしれません。しかし、ここは男は度胸、横浜弁で・・・そのつもりでした?。「す、す、すいまっせんばってんか、奥さん、トイレは臭かでしょう。カ、カンキセンはいらんですか。工事代はいりまっせん!」・・・あぁ~~涙。次の瞬間、何故か真っ赤になって顔を引きつらせている奥さんが、「うちは、いりませんっ」言葉と同時にドアがドッ~ンと勢いよく閉められました。 私はなすすべもなくその場に立ち尽くすだけでしたね。デビュー戦とは言え、私のプライドはズタズタになってしまいました。惨めで情けなかったですね。その後もなかなか売れず、お金もなくなり大変だったのを思い出しますね。それにしても、やはり人間には向き不向きがあります。後に私は、会社相手の営業ですと人に負けない位やれておりましたので、自分にあった仕事を選ぶべきだったんでしょうね(笑)。いよいよ次回は、元キックボクサーI所長の究極の営業戦略です。それではまた。20歳の頃は悪相でも今や愛くるしい個性派???・・・クリックよろしく!。会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2006/08/26
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『敗者復活戦ブログ』《凡人の独立編》 昨日は遅くなったので何も書かずに帰ろうとしたのですが、ちょっとだけと思い久しぶりに自分が書いたメルマガを読み始めたら面白くなって止められませんでした。自画自賛(笑)。・・・おっと前置きが長くなったらいけませんね。それではスタート!。 ●第2話 私の原点!・・・訪問販売は奇人がいっぱい! 私は自分で言うのもお恥ずかしいのですが、中学までは優等生で田舎の学校ではありますが生徒会長をやったりしたことがあります。ところが、高校に入ると脳ミソ?が勉強を拒否するようになり、気が付けば劣等生の烙印を押されるような有り様でした。それでも態度のでかさから秀才たちを差し置いて級長をやらされたりしていましたので、その御蔭か?落第間違いなしと噂されながらも、お情けで無事卒業。しかし、そんな劣等生が家の経済状況だけを考えて国立大学を記念?に受験。当然記念?にはなれど行くところがなく、それでも諦めずもがいていたら、横浜の大学の夜間部に滑り込むことが出来たわけです。この選択が私の運命を決め、エリートと一度も言われることなく今日を迎えました(笑)。横浜では、当初昼仕事をして、夜は大学の夜間部に通うという、絵に描いたような苦学生でした(笑)。警備員、倉庫内作業など経験した後、生活が厳しいものですから何か良い仕事がないものか、と探すことにしました。そんな時、日1万以上可能!の怪しい広告を疑いもせず飛び込み面接を受けてしまったんですね。当然なにも考えず即決です。今から20数年前の1万円は魅力的でしたね。雇う方も、ざるで水を掬って、それでもへばり付いているような最後の一滴が残れば良いのですから、誰でも良かったんですね(笑)。その会社は、マンションの一室が事務所で、ボロのライトバンが3台ある程度の会社でした。千葉県に本社があり、そこは営業所ということです。数人の社員しかいませんでしたが、なかなかのクセモノ、否、個性的な人ばかりでした(笑)。素人を殴った話を、嬉しそうに話す元キックボクサーの所長Iさん。本気を出せば売上で敵う者なし、天才兼詐欺師のMは私と同じ歳でした。生まれて初めて見た、フンドシ姿の筋肉質の男性が載っている薔薇族という雑誌を愛読していたピンクのズボンを履いたTさん(笑)。有名大学のK大学で化学を学び、一流企業に就職した後、何を思ったか世界を2年間放浪し、帰国後この会社に入ったRさん。色の黒い、四国生まれのNさんは、人が好く一番気が合い可愛がってもらいましたね。その他、元暴走族から、元麻薬の売人?と思われる男、などなど色々と入って来ましたが、不思議と本当のワルは直ぐ辞めましたね。訪問販売というと怪しいところもありますが、私が仕事をした会社は、健全さの中にチョッと怪しさがブレンドされたような会社でしたね(笑)。さて、売っている商品は、トイレの換気扇です。換気扇と言っても、ポットン便所の脱臭筒の天辺に取り付ける、お釜を逆さまにした形のファンです。販売価格9,800円で、手取りが4,500円。5,300円会社に入金すればいいわけです。いったい原価は幾らだったのか(笑)。読んで頂いている方の多くは「なあ~んだトイレの換気扇か」とバカにされておられるでしょう。そう思われた方は、経営者には不向きです。紹介した、天才兼詐欺師のMは、当時(20数年前)月に100万円以上の収入があったのです。今だったらどれくらいでしょう?。稼ぎが多いから偉いとは言いません。只、イメージで判断すると何事も本質が見えません。偉そうに言っていますが、私も今だからそう思うだけですけどね(笑)。若かったからこそ出来たことかもしれませんが、この経験は武骨者の私が今日まで営業を生業としてきた原点となりました。・・・続きをお楽しみに!。・・・元キックボクサーIさんの究極の営業戦略は?。それではまた。これからの物語は究極のバカ丸出しなれど恥じることは何もない???・・・クリックよろしく!。会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2006/08/24
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『敗者復活戦』《凡人の独立編》 第1話 皆さんお待たせしました・・・誰も待ってない?。今日から多くのファン?のご要望にお応えして、メルマガ『敗者復活戦』がブログとして復活です。これは来るべき『新・敗者復活戦』のプロローグです。おっと、プロローグとしては長すぎますね。『敗者復活戦』が前編で『新・敗者復活戦』が後編となります。 メルマガをそのまま載せるのではなく一部修正し順番を変えて書いていきますので、一度読まれた方も是非読んでください。 それではスタート!。 ●ベンチャーとはほど遠い凡人の行き当りばったり独立物語 あるコンサルタントのメールマガジンに、ベンチャーと中小企業の違いについて書かれていました。『ベンチャーとは、ユニークな技術やノウハウを持っており、大企業が一目置き、大企業の下請けから脱した中小企業をベンチャーと言う』バカヤロ~~~、そんな会社どこにあるんだ。負け犬の遠吠えかもしれないが、言わずにはいられない。戦術、戦略、資金、計画的に考えて独立する人が、起業した100人の中に何人いるだろうか。私のように一匹狼で、会社が嫌になり独立した人が多いのではないだろうか。何の芸もなく、あるのはその場の勢いだけ。戦術とか戦略とか全く考えていなかった、否、何も知らなかったというのが真実です。現在の原点とも言える若き日の勢いだけの経験。 そして退職することになる会社での出来事や独立してからの貴重な経験、その後の失敗と挫折、自分の体験を元に物語風にフィクションとして進めていきます。 ベンチャー本や戦術戦略本とは違う人生の応援本として読んで頂ければこんな嬉しいことはありません。 週に2回か3回書いていきますので、どうぞご期待ください。 数年前に急逝してしまいましたが、経理をやっていた先輩の女性がよく皆に言っていました。 「会社が悪いんじゃないと、こんな会社にしか入れなかったあんたたちが悪いと」 すべては、この名言から始まったのかもしれません。(笑)それではまた。とうとう始まった!もう逃げられんぞっと???・・・クリックよろしく!。会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2006/08/22
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将来を恐れるものは失敗を恐れておのれの活動を制限する。しかし、失敗は成長に続く唯一の機会である。まじめな失敗は、なんら恥ではない。失敗を恐れる心の中にこそ、恥辱は住む。ヘンリー・フォード(フォード・モーター創業者)失敗は終わりではない。それを追求していくことによって、はじめて失敗に価値が出てくる。失敗は諦めたときに失敗になるのだ。土光敏夫(実業家)最近メルマガはあまり読まなくなったが、「20世紀の名言」は時々読むことがある。中身も然る事ながら、長くても数行なので読み流すことが出来るので気楽でいい。その名言の中に『失敗』について書かれたものがあり目に付いた。考えてみれば、3年前に楽天とメルマガを始めた時の主題は『失敗は成功のもと』だった。私がやったことがヘンリー・フォードや土光敏夫の『失敗』とは比較にならないが、二人の言葉には『失敗は成功のもと』の本質が語られていると思う。今月の初めに約束したメルマガ『敗者復活戦』ブログ編をいよいよ連載開始です。ちょっと大袈裟?(笑)。日頃コメントの返事もまともにしていない不義理ばかりの超マイペースなブログ生活?ですが、こうなったらマイペースを貫いて勝手気まま書くことにしましょう。益々不義理になるかもしれませんがお許しください!。こんなことを書いている今日8月21日は私が独立した日です。思い起こせば平成2年8月21日に、取引先の工場の2階の休憩所の机をお借りして、そこを拠点?としての出発でした。ただ無我夢中の出発でしたが、あれから16年が経ち17年目となりました。今の心境は、とてもじゃないが祝何年などと言える気分ではなく、ただただ来るべき躍進(20周年を予定)のために頑張るだけですね。『失敗は諦めたときに失敗になるのだ』この言葉を私が証明してみせます(笑)。それではまた。連載開始って、いつから開始なの?。これじゃ~亀田の世界戦にモンク言えないよ???・・・クリックよろしく!。会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2006/08/21
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