こんにちわ♪

こんにちわ♪

日本の思い出♪大相撲


実は、大英帝国から帰国して、中国に来るまでの短い日本滞在期間中に、相撲を見に行ってたんですよぉ♪



相撲部屋01
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お相撲部屋です♪
相撲といえば、本場はどこかな?それはモンゴル♪
今や、日本の相撲の横綱もモンゴルフンですね♪



優勝カップお相撲さん♪
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朝青龍の優勝です♪カップに横綱の名前がどっちゃり♪
朝青龍、個人的にめちゃくちゃ好きです♪がんばれよぉどるじぃ♪



国技館♪
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東京・両国といえば国技館♪日本の国技の中心がここにあるっ。
大相撲は「日本の国技」と言われていますが、「国技」という言葉が登場したのはそう古い話ではありません。それ以前は明治39年3月に衆議院に提出された「大相撲常設館国庫補助に関する建議案」には「大相撲は国民的遊技」と記されています。これが国技に落ち着いたのは新しい相撲常設館の開館にあたり「初興行ご披露文」の中に出てくる「国技」という言葉がヒントになったといわれています。江美水蔭のご披露文には「事新しく申し亜しあぐるも如何なれどそもそも角力は日本の国技、歴代の朝廷之を奨励せられ、相撲節会の盛事は尚武の気を養い来たり・・・」と続くわけですが、ここに出てくる「国技」と「尚武」が候補にあげられ、明治の元勲板垣退助は「尚武」を推したが、協会関係者の尾車(元大関・大戸平)が強く主張して「国技」に落ち着いたと言われています。(お相撲雑学辞典より)




国技館02
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国技館
旧国技館が開館されたのは、明治42年。昭和25年の仮設のまま蔵前国技館が開館され、昭和59年9月23日秋場所の千秋楽で35年の歴史の幕を閉じました。昭和60年1月9日に新国技館が開館され、35年ぶりに国技館が両国に帰ってきたんですね。総工費はなんと150億円!なぜ一時蔵前に移っていたかというと昭和20年12月に旧国技館を進駐軍に接収され、神宮外苑の野天相撲でかろうじて本場所を開催。どうにか興行を続けてきたが、観客はまばら。神宮外苑での本場所は22年の6月、11月23年の5月と3場所行われこの後東京の浜町の仮設国技館で2場所しのぎ蔵前に本格的な建設を始めたのが24年の10月でした。69連勝を飾った双葉山の人気で連日満員御礼を続け、協会の懐が裕福だったときの恩恵が戦後の危機を救ったとも言えます。蔵前に本拠を構えてから朝鮮戦争の軍需景気で客足も好調になり、初和30年代の前半は栃若人気で大相撲の人気を不動のものとしていきました。そして蔵前の土地を東京都に売り新国技館の用地を国鉄から手に入れるなど総工費の150億円の国技館は多くの力士が裸一貫で稼いだ資金で完成したのです。(お相撲雑学辞典より)



大相撲♪
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お相撲の土俵の起源は、安土桃山時代。織田信長が作ったそうな♪





横綱~♪
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横綱~~~っ!!


はっけいよ~い♪
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はっけぃよぉおいっ!

国技館の食道♪
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国技館にはちゃんと食堂があります♪でもお相撲さんの姿はここには見当たりません。
まぁお相撲さんが押し寄せたら、一般人は入れないからな・・・・。


ちょうちん♪
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なんかちょうちんがいっぱい♪



そんな感じのお相撲でした♪


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