ブログ05

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私の学級の全生徒と御両親様への報告03



http://plaza.rakuten.co.jp/denki11111/diary/200810060001/
Re:倫風 会長のCDを聴く(10/06) トノ01さん
>私的にはそう聞こえてきましたが
>私が加工した情報なので(情報というものは情が入った報道であり本物ではない)
>すべてをうのみにしないでください
>メモしなかったので

>なにはともあれ 聞きたい人のを聴くのが本物
>本物を一番聴くことこそ 自分にとって効力がありますね

 女神様、私の思いを聴いて下さい。女も、自分を持って欲しいのです。秘書、相対者、パートナー以上の存在に成って欲しいのです。これを仏教では、女は皆、男に成って成仏致すと言っています。娘以下の存在ではなくて、妻以上の存在に成って欲しいのです。

 もう一つ、私は全て、本物であると思います。贋物は無いと。上から見ると、贋物ですが、下から見ると、本物であると。だから、「聞きたい人のを聴くのが本物」であると。自分のレベルに合っている物と一緒に生活致す権利、尊厳が皆に有る、上だからよい、下だから悪いというのには、私は賛成できません。私も言いたい事を1ミクロンも言っていないから。神様との友情生活、愛情生活を致し続けているから。相手が有るので、一方的に、自分の主張は言わない。下の地位を致し続けて、相手が100%悪となった時に、トドメを刺すと。ゴルゴ13のように。

 私の、神への投げかけを書き込み致させて頂き、感謝致します。貴女様も、神様の一つの表現だから。「ふーん、そういう生き方を致している者もいるのか、或いは、私もそういう生き方を致している。」という貴女様からの反射も勿論、受け止めさせて、頂きます。(2008.10.07 00:10:06)

http://plaza.rakuten.co.jp/sakurasaku1111/diary/200810050002/
Re:思い出した(10/05) トノ01さん
YURINONAMIDAさんはきっと母親になってみて初めて統一教会の間違いに気付かれたのかもしれませんね。無償の愛に気付いたからこそ文師の詐欺を見抜けたのかもしれません。愛に打算はありませんものね・・・。

私も早く気が付けば良かったのですが何せ世間知らずでしたので・・・。泣けるぜ!

※この文書を背負わせて下さい。よろしく御願い致します。文氏は、おそらく、私とは考え方が異なっている気が致します。形をやっている方と。しかし、中身の無い形に意味は無いと私は思っています。国際結婚は、一国の首相、大統領、大使、天皇、王級の人格が有る方々でないと、形だけになるように思われます。文氏からも、そういう人格は感じられない。天皇と皇后の役割を全うできていないと感じています。男尊女卑ではねえ。プール付きの豪邸に住む一国のリーダー、選挙で選ばれないと思われます。文氏の生き様のレベルが見えてきました。民主主義のハードルもクリアできない人格ではねえ。

 有難うございます。深謝致します。(2008年10月07日 01時44分48秒)

 H20.10.7.火 7:05。私の言葉:やはり、形、現実の幸福を得てしまってはいけなかった。私は、ひたすら為に生き続けるしかないと思って、ひたすら実践致し続けてきたのでしたが。為に生きると、内側に、愛を得られる。未来の者達の為に、ひたすら為に生き続ける、即ち、愛を実践致し続ける事が生きる目的であり、修行であると。いつか、この努力が実って、上からも自分の為に生きて下さる方の愛を受けられて、下の為に愛を注ぐ生き方、即ち、人と人との間の人間と致しての生き方ができる世の中に成るであろう。私はそういう世の中を創り出す為に、これからも、生き続けます。

 もう一言:女の肉体を踏むと、この世の現実を全て背負わされ返される。だから、女の肉体を踏む事は絶対に大損害、大被害にしかならない。男は、女に踏み返されてしまった分だけの現実支払いを致す、御仕事を致させて頂くだけでいいのです。女を踏める男は絶対に有り得ない。こんな事は、私の常識ですが、ついに、現実の言葉に致す事ができました。

http://ameblo.jp/kuro96217/entry-10148344250.html
夫婦の修行は菩薩行

 ここしばらく訪問できない状態になっていました。やっと、訪問できたので、私の分身達の為に、コメント致します。(私は私の分身達を結婚させて上げたいと思っているので。)私の2度の経験では、女との関係は、目を見る、ハートで言霊を聴く、外観から魂を感じ取るという生活でした。私は向かい合い続けていたのでしたが、向こうが降りてしまったので、終わってしまった関係と。対話ができない関係、損害だけなので、やる意味無いから、それでよかったと私は思っています。即ち、私の中には、1ミクロンの欲も無かったという事です。男女の修行というのは、私に言わせれば、欲を解脱致した阿羅漢が、愛の存在へ前進致す為に成す人間修行なのです。欲を満たす物は欲を満たした分だけ堕ちていく。即ち、人間は欲を満たす為に生きると損を致すのです。夫婦の修行というものは、おそらく、身体の欲からの解脱の為に有るのです。阿羅漢は、自らの心の欲から解脱できた存在、ところが、人間には身体も有るのです。だから、夫婦行を致し続けて、身体の欲からも解脱致さなければならない。その為に、結婚させられるのです。私の場合、結婚させられなかったと。相手の方が下だったから。私と向かい合って、修行を致せるレベルでは無かったから。(その相手とは、前世の女師匠と、不犯の妻の魂だったのです。おそらく、今世、再び、再会させられて、私の魂の中身を点検させられたと。それで、私の中に1ミクロンの欲も無かったので、結婚にならなかったと。世の中、その程度だった。前向きに創り上げていくレベルでは無かったのでしょう。) これが私の夫婦の修行のイメージです。御役に立てればと思って、書き込み致しました。(無欲&愛でやるしか無いのです、おそらく。)

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