全37件 (37件中 1-37件目)
1

本日は、盛り沢山だったので、2回に分けました。日本人には、馴染みのないチバイの町へ行ったのです。アンデス山脈の高地に住む、アルパカを沢山見ました。=============================2009年11月28日(土) 66日目(ペルー9日目)ホテルにチェックインしました。20ソル(700円)です。ちゃんと、お湯のシャワーも出ます。ホテルからの風景。もう山の中で、小さな町です。早速、温泉へ出かけます。町の中心から、車で5分もかかりません。結構、きちんとした温泉ですよ。露天風呂が2つと、屋内風呂が1つで、寒いので屋内へ入って見ました。な、なんじゃー! 女子高生ばっかりやないか? どうしたんじゃ、この温泉は? と思いながらも、恐る恐る入って見ました。温度は、38度と書いてありまして、ちょっとぬるいですが、昨日のユーラ温泉のようなぬるさではありません。じっと入っていたら、女子高生たち、何を思ったか、温泉の中で踊りだしました。日本では、温泉で踊りませんねー! 唖然として見ておりました。どうも、修学旅行のような、団体です。夜の町でも、又、見かけましたから。嵐のような女子高生軍団が去ったら、あの騒がしさがあったとは思えぬ、夢のような静けさがやって来ました。温泉とは、こうでなくてはいけません。女子高生の、あのギャピギャピした雰囲気に着いて行けません。(歳かなー?)温まったので、露天風呂にも行って見ました。露天風呂と言うより、プールですね。どでかい露天風呂です。日本の露天風呂に比べると、風情と言うものが感じられませんが、山の中であり、空を見上げながら、入る温泉は、悪くはないです。露天の方は、39度に調整されているようです。もう一つ露天風呂があるのですが、湯あたりしても仕方ないので、見るだけにしました。3600mの高地で、温泉に入れるとは思いませんでした。温まりましたねー!入湯料は、10ソル(350円)です。追記ここは、夜は寒く、分厚い毛布2枚では、寒くて寒くて仕方ないので、隣のベッドから、さらに2枚持ってきてかけました。暖かくなりましたが、重くて重くて、夜中に、1枚外しました。ヒートテックも着用して見ましたが、何せ薄いので、暖かくはなるものの、極寒には、耐えられませんね。ウユニとかでは、何か買わねばならないかも。
2009.11.30
コメント(4)

2009年11月28日(土) 66日目(ペルー9日目)2335mのアレキバに3泊したので、もう、そろそろ、高度にも慣れた事であろうと、本日は、3600mの高原の町、チバイへ行くことにしました。途中まで、昨日行ったユーラの町方面へ行きます。途中、ゆったりしながら、2時間も走ったら、高度は、3700m位になりました。頭がボォーっとしてきました。いつもボォーっとしてますが、それとは異なる、ボォーです。ふらつく感じです。まだ慣れないのでしょうか? はげ山と、地に張り付いた草しかありませんが、動物が見えました。確かに、います。 しかも何頭もいます。ようやく、ズームして撮りました。これは、ピクーニャです。アルパカの親戚です。高山病が、ちょっと、ひどいようです。他の人も、やはり調子がよくないようで、途中、休憩を入れて貰いました。こんな所です。コカティを頼みました。このコカが、高山病の症状を和らげてくれるって言うのです。このテーブルクロスは、地元の織物ですね。コカの葉っぱが、そのまま入っています。このコカとは、コカインの原料です。葉っぱにアルカロイドと言う物質が含まれて、粘膜に対して強い局所麻酔作用を持っているとの事です。常用すると中毒を起こすので、麻薬に指定されているもの。これを飲んでから、確かに高山病の症状は、少し良くなったようでした。お店の前では、アルパカの織物を売ってました。この辺りは、アルパカが沢山居ます。このアルパカ、ヤギか、羊のように見えますが、ラクダ科なのですね。これは色が違います。アルパカの原種は、グアナコと言われているようです。グアナコの毛は全体に赤褐色と言うので、これは、グアナコの遺伝子が多く残っているのかも知れません。これは、アルパカですね、ラクダ科らしく、顔や全体の感じは、やはりラクダに似ています。この谷に見えるのは、チバイの町です。ここで、3600mあります、チバイの町の入り口です。ここへ入るだけで、35ソル(1200円)も取られます。チバイに入って、早速、昼食です。いつもは、超安い食堂ですが、本日は、ブッフェを食べて見ました。どうですか? 沢山あるでしょう? 20ソル(700円)です。お皿を置くクロス、 コンドルの絵です。ここから、さらに、2時間ほど車で行くと、グランドキャニオンより凄いと言う渓谷があり、コンドルが飛んでいるらしいのです。このチバイの売りものは、コンドルですね。スープを飲みます。いつもは食べられない、色んな物を少しずつ食べて見ました。さらに、もう一皿、食べましたが、写真を撮るのを忘れました。レストランの壁にも、コンドルの絵がありました。これから、ホテルにチェックインして、温泉へ行きます。
2009.11.30
コメント(0)

2009年11月27日(金) 65日目(ペルー8日目)昨日、アルキパの町を歩いていて、気が付いたのですが、ここの町、デブがいません! (少しはいますが、少ないです!)驚きです。メキシコ入りしてから、デブおばあさんに、デブおばさんと、デブお姉さんを見慣れてきたので、病気なんか? と心配になって来ます。スラリ、って言うのではなく、まぁ、肉感的ですが、仲々、よろしいですな。これなら、下腹見せシャツでも、半ケツもありって感じです。しかし、どこから、デブがいなくなったのでしょう?リマはどうだったかなー? えーーっと、思い出せません。少なくとも、中米までは、デブ盛りであったと、記憶しております。で、その肉感的な肢体を見る為に、温泉へ行くことにしました。こちらは、混浴なんですなー! (おほほ)ユーラ温泉と言うのが、ここアレキパからバスで1時間位の所にあるのです。宿で聞いても、バスはどこから出るか知らないと言います。旅行代理店へ行って聞いたら、ツアーで20ドルだと言います。んな、アホな! 高すぎじゃ!絶対バスがあるはずじゃ、と町の人に片っ端から聞きました。どうも、町の南の方に、乗り場があるらしいです。一番、正確に分かるのは、適当なバスを止めて、「ユーラ!」と言うのです。すると、「あっち」、だとか、「向こう!」、だとか教えてくれます。コレクティーボと呼ばれる、ユーラ行きバスを、難なく見つけて乗りました。居眠りしていたら、ほんとに、1時間で着きました。どこが、温泉じゃ? と外見からは、全く分からない建物です。この建物の、向こう側に、ちっちゃな、共同浴場的な温泉があるのです。入り口のドアを開けて、脱衣所で脱いで、さらにドアを開けると?おー! 居ました、居ました、肉感的女性陣!はい、はい! そこの人、もっと良く、写真撮らせて頂戴な!と、カメラを向けたら、恥ずかしいのか、温泉に潜ってしまいました。周りを見渡せば、おばあちゃんばっかりですな。これは、湯治場でしょう。観光客らしき人たちは、全く見当たりません。しかも、デブばっかりですぞ!町で見かけた、デブでない肉感的な女性は、どこにいるのでしょう? か?アジアの星一番も、入って見ました。ぬるい! ぬるい! ぬるい!しかも、これは、相当ぬるい。温泉とは言い難い。鉱泉ですかな?まぁ、日本の温泉の定義でも、25℃以下であっても、成分が適合すれば、温泉と言うらしいから、細かいことは気にせずはいっていました。温泉と言う場所は、人種を超えて、心を開くものなのか、スペイン語など、全く分からない、このアジアの星一番に、気さくに声をかけて来ます。それは、裸の付き合い、すぐに友達になりました。今度は、写真を撮らせてくれました。アジアの星一番さんも、気持ち良さそうですねー! 首から上がやけてます。風呂が写真の通り、4つあります。順番に移動して入れ、と言われて、温度が違うのかな? と思いましたが、どれも同じようにぬるいです。ぬるいので、皆さん、首まで浸って、ずーーーーっと入ってます。手はふやけますが、湯あたりとかしないでしょう。ユーラ温泉だけに、ユーラ、ユーラと揺れながら、僕も、1時間半ほど、ずっと、湯に浸っていました。湯がぬるいので、寒い位です。1時間半のうち、トイレへ2回も行きました。冷えます。温泉に入って冷えます、ってどう言うこっちゃ?ホンジュラスの、コパン遺跡から行った温泉とは、どえらい違いです。コパンの温泉は、山の中で、丁度いい湯加減の温度から、冷えたものまであり、湯の滝などもあって、贅沢すぎる感じでした。ここは、贅沢な感じはしません。湯治場ですね。こう言う温泉も、悪くはないです。が、もうちょっと、温度が高いと言いのですが・・・。外へ出て、暫くの間、太陽の下で、身体を温めました。そして、どこがバス乗り場か分からないんで、取り合えず、道路を歩きました。この谷の底のような所に、先ほど入った温泉があります。わずかな草を、牛がキレイに、削ぎ取るように食べています。牛なんて、滅多に見ませんよ、この辺り。この山が、ミスティ山です。アレキパとは、見る方向が違うので、別の山のようです。コレクティーボ(バス)が来たので、手を上げて乗りました。どこでも、止まってくれるので、有り難いですね。バス代が、片道、1.70ソルで、往復、3.40ソル。入湯料が、5ソルで、合計、8.40ソル。280円ほどで、温泉を楽しめました。元々、高山病予防で、ここに滞在しているので、最高の湯治でしょう。温泉で、心も豊かになったので、安食堂だけでなく、ちょいと洒落たレストランで、食べて見ました。ロコト・レジョーノです。左側のトマト見たいのが、トマトでなく、赤唐辛子なのです。この中に、肉が入っています。白っぽいのは、チーズと何かを混ぜたような奴で、中にポテトが入ってます。分かりやすく、切って見ました。ピリ辛味で、おいしいです。チーズも、何味って言うのかな? チーズだけでない味付けがしてあります。おいしかったですが、量が不足ですね。昼食にも、夕食にも。たまには、こう言うのも、食べながら旅しましょう。せっかく、異国に来ているのですから。
2009.11.28
コメント(6)

2009年11月26日(木) 64日目(ペルー7日目)ミラドールから地上絵を堪能し、ホテルへ帰っても、まだまだ、10時過ぎです。午前の10時過ぎです。小さい町ですし、やることもありません。これから訪れる、クスコ:3399m、マチュピチュ:2940m、プーノ:3855mなどの高所に適用する為に、一気に登るのではなくて、どこか途中で高所に慣らそうと、今までも日程に余裕を取るべく急いで来ました。高山病予防です。で、ナスカに、もう一泊しないで、先を急ぐ事にします。ナスカは620mあり、アレキバは、2335mで、丁度良い高さにあります。幸い、アレキバ行きのバスが、午後3時半に出発します。それに急遽、乗ることにしたのであります。ちょっと心配なのは、アレキバ着が、午後11時半、深夜だって事です。宿を探せるかいな? タクシーはいるのだろうか?その疑問を、オルメーニョ社のチケット売り場へぶつけると、「タクシーなんざ、捨てても捨てても、湧いて出てくるほど、おるわい」、と言う答えなんです。タクシーに関しては、それで安心しました。それでも、宿が心配なので、電話で予約しておきました。(電話で予約なんて、初めてです。これが大正解でした。)さて、昼食は、いつものローカル食堂です。これが定食です。いつも同じで、飽きて来ましたが、安く食べるには、これしかないのです。スープです。チキンライスです。鶏は、この辺りでも飼っているので、チキンと卵は安いようです。しかし、トマトがほとんど売られていません。リンゴも少ないです。だから、野菜は、少ないですね。バスの出発、30分前には、バス停に着いていました。午後3時です。定刻の3時半になっても、バスもないし、客も僕一人しかいません。ん~? おかしいなー?ってんで、チケット販売員のおじさんに聞きましたら、リマから来るので、まだ何時か分からん、って言うのです。え? 若しかしたら、昨日、乗ってきたバスと同じか?それなら、昨日は、午後4時50分に着いたのだ。こりゃー、参ったなー。そうだとすれば、アレキパへ着くのは、深夜1時ですよー。まぁ、昨日は遅れたのだろう。とのほほんと待っておりましたが、結果は、5時です。宿が起きないと心配なので、電話したら、今度は英語の分からない人が出て、話が通じない内に切られてしまいました。心配ですわなー。夜中に見知らぬ町に着くのですから。どんな所かも分からないし・・・。そんな事を心配しながらバスに乗っておりましたが、1時どころか、2時も過ぎ、さらに3時を過ぎても、アレキパに着きません。もしかして、寝ている間に、アレキパを通過してしまったか?と、そっちを心配するほどであります。結局、着いたのは、朝の3時15分でした。定刻より、4時間も遅れました。一応、タクシーもいました。宿は、問題でした。ブザーを鳴らしたら、起きて来たのですが、満室で泊まれないって言うのです。「何言ってんじゃ! 電話で予約してあんだぞ!」と言ったら、ノート見て、ようやく泊めて貰った次第です。もし、電話してなかったら、朝の3時半なのに、星空を見ながら寝る所でした。一応、トイレと温水シャワーが付いて、20ソル(670円)ですから、安いし、まぁ、良い方でしょう。悪いって言っても、他を探せませんが。寝たのは、朝の4時半。これなら、夜行バスで来た方が良かったです。ホテル代が、数時間の差で、1泊分、違って来ます。翌朝、ホテルの外観を見ましたが、外からではホテルかわかりませんね。屋上から見た景色です。向こうに見える山は、ミスティ山と言って、5821mもあります。ニッポン一の富士山も、並んだら、子供より小さいです。これも、屋上から見た、町の風景です。白っぽいですよね?ここアレキバの別名は、シウダード・ブランカ(白い町)だそうです。建物が、近郊で採れる白い火山岩で作られているので、白いのだそうです。そう言えば、インドの西の方に、ブルーシティのジョードプル、ピンクシティのジャイプルってのがありましたね。ミスティ山方面から、ちょっと右手を見ると、もう一つ山が見えます。ピチュピチュ山と言って、これも5665mもあります。面白い名前ですね、覚えやすいです。何か、ピチュピチュしたものでも、あるのでしょうか?昼食は、又もや、チキンライスです。我ながら、良く、同じのを飽きもせず、食べるなー、と思います。安さだけが、気を惹きます。 調べて見ますと、アレキバ名物の料理などもあるのですね。例えば、ロコト・レジェーノ :大きな赤唐辛子の肉詰め。ピリッと辛い。オコバ :ジャガイモ料理チャチャロネス :フライドポーク風の料理ポジョ・チャクタード :骨付きトリ肉をたたいてフライにしたものクイ・チャクタード :クイ(モルモット)を使った料理。山岳民族が食べる。などなど。(名物料理でも、モルモットは食べたくないです。)明日は、奮発して、何か食べて見るかなー?スーパーへ行ったら、惣菜が売られていて、こんな野菜もありました。これを買って、つまみに飲んでます。もう一枚、写真を。アルマス広場です。ここが町の中心です。向こうに見えるのは、カテドラルです。この辺りが、世界遺産なのです。
2009.11.28
コメント(2)

2009年11月25日(水) 63日目(ペルー6日目)ナスカの地上絵を見に行く事にしました。その為に、ナスカに来たのであります。方法は、3つあります。 1.45ドルを支払って、飛行機で、35分程度、空から見る。 2.20ドル払ってツアーに参加して、ミラドール(観測塔)から数個の地上絵を見て、 地上絵の 解明と保存に大きく貢献した、「マリア・ライヘ」博物館を見る。 3.ローカルバスに乗って、独力で、ミラドール(観測塔)へ登って飽きるまで、 一人で見る。上から順に、45ドル(4000円)、20ドル(1800円)、5ソル(170円)、です。さぁ、皆さんなら、どれを選ぶでしょうか?お金持ちで、時間の余裕のない皆さんは、きっと、迷わず、飛行機を選ぶ事でしょう。しかし、僕は貧乏旅人。まず、独力で行く方法を選びました。170円と言う安さも魅力的です。ミラドールで地上絵を見て、「こりゃー、空からも見たいわい!」って気持ちになればそれから、飛行機に乗っても、遅くはないからです。ナスカの中心から、地上絵まで、わずか15キロです。小さなナスカの町を、抜けると、すぐに砂漠の風景です。こんなローカルバスですが、ナスカの地上絵行きではありません。リマへ戻る方向に、イカって言う町があるのですが、それに乗って、途中下車です。砂漠の中を真っ直ぐに伸びる、パンアメリカン・ハイウェイを15分も走ると、着きますが、車掌さんに早めに、ミラドールで降りると言っておかないと、普通、誰もここで降りませんから、通過してしまいます。僕も、車掌さんが、切符切りに来て、切符を見せたら、すぐに運転手席に行け、と言われて、それから、わずか2分で着きました。車掌さんが、座席の前の方から、切符の確認しながら、後ろへ廻って来たのですが、彼がモタモタしていたら、通過してしまう所でした。これがミラドールです。観測塔で、マリア・ライヘ女史が、建設したそうです。1ソル支払って、早速、登って見ました。因みに、合計5ソルと言うのは、バス代が片道2ソル(70円程度)で、これにミラドール搭乗料が1ソルって事であります。おー! 見えましたぞ! 地上絵!と言いたい所でしたが、始めは、どれが地上絵なのか、分かりません。目を凝らして、周囲を、ずーーーーっと、見ますると、あ、ありました!た、たしかに、これは、ミステリアスな地上絵であります。う~む、むむむ?一体、これは誰が書いたもんじゃろ? 腕を抱え込み、額に手を当てて、1000数百年前の古代に、飛んで見たいものと思うのです。ですが、ミラドールの後ろを、車が通ります。出来れば、もっと静かな場所で見たいものですな。こう言う代物は。パンアメリカン・ハイウェイが、地上絵のある場所のど真ん中を突っ走っているのです。もう少し、分かりやすくお見せしましょう。この写真の、下側を走る、白い線が、パンアメリカン・ハイウェイです。真ん中辺に、ポチっと黒丸がありますが、それがミラドールです。拡大して見ましょう。ミラドールに登ると、見えるはずです。 白文字で薄くしか見えませんが、道路の上側に、「手」と「木」が見えます。道路の下側に、「トカゲ」が見えます。これが、木の葉っぱの部分です。見えるでしょうか?何やら、白い筋は見えますよね? これが「木」に見えるかは、別問題です。あの、木の葉っぱ側って文字は、地上に書いてある訳ではありません。このアジアの星一番が、分かりやすくする為に、書き入れたものです。(念の為)これが、木の根元側です。そのように見えるでしょうか?部分的に見たら、何が何だか分かりませんね? 分からない人は、上の図面を参照しながら見て下さい。これで、97mもの絵なんです。この地上絵、もう日本でも、数多く報道されているので、皆さんの方がご存知でしょうが、復習致しますと、 1.ナスカ地方には、紀元前900年頃からさまざまな文化が開花した。 2.6世紀頃までに、この地上絵は刻み込まれていた。 3.線となる溝は、黒い地表の小石を取り除き、明るい地肌を出したもの。 4.溝は、深さたったの10cm、幅もたったの20cmであります。 5.雨が、ほとんど降らないこの地方なので、1400年もの間、残っていた。こんなところでしょうか? そして、何故、これが書かれたのか? 宇宙人説、空飛人間説、などがあるようですが、この地上絵に半生を捧げた、マリア・ライヘ女史は、ナスカ人のカレンダーであったと理解したようです。線は、太陽、月、星の軌道、絵はナスカ文化の神だった星座を意味していると言う説であります。まぁ、いずれにしても、空からなど見られない年代に、これほど大きい絵を、正確に描いたのは、不思議ですし、それが、1000数百年経っても、残っていると言うのも、もっと不思議です、深さがたったの10cmm、幅もたったの20cmなのですから。さて、これが、「手」です。これは、45mと、小ぶりな方です。次が、どでかい、トカゲなのですが、残念ながら、胴体は、ぷっつりと、ハイウェイに、切断されております。187mもの巨大な絵なのです。しかしながら、僕には、トカゲの頭の部分しか、確認出来ませんでした。ここナスカの地上絵は、全部で30個ほどあるようです。3つ見ましたので、しかも、充分な時間をとって見ましたので、満足です。10%の実物を見ました。空から見るのは、テレビでも見たし、それを確認する作業でしかないと思い、45ドルの節約も出来るし、止めにしました。写真を見たかった方には、お許しを乞いたいと存じます。地上絵は、ナスカが有名ですが、この辺りには、他にも沢山あるようです。リマの近郊にもありましたし、パルパの地上絵が近年、有名になって来たとの事です。数年ほど前から、遊覧飛行するようになったそうです。(参考までに)バスでの往復、そしてミラドールに登って、地上絵をゆっくり堪能しても、1時間半ほどで、ホテルに戻れます。これが、宿泊したホテル、グアン・ゾウ(HOTEL GUANG ZHOU)です。外見は、建設途中のように見えますが、中は、快適です。屋上には、ティやコーヒーが飲めるようになっています。ここが屋上です。彼らが、受付の青年です。人懐っこくて、英語も話せるし、良い奴らでした。「日本女性は、きれいだ!」 を連発しておりました。僕は、全く褒められた訳ではないですが、日本女性を褒められると、何だか、悪い気はしません。いや、良い気分ですな。チップをあげたくなりました。(あげてませんが。)屋上からの眺めですが、どこも建設途中かい? って言うような外観です。テレビの映像ですと、どんな感じなものか、イメージが掴みにくいですが、実際に、この地に立ち、ミラドールから眺めて見ると、どの程度のものか、実感出来ます。無理して来て良かったです。ナスカからでした。
2009.11.27
コメント(8)

2009年11月24日(火) 62日目(ペルー5日目)まだリマに居たい心境です。宿:沖縄、共同シャワー、トイレですが、部屋数4つに二人の客、、大きなシャワールームとトイレ、全く不便を感じません。そして、3階には、いつでもお茶が用意してあり、日本語の小説や、漫画本が置いてあります。そこから見た夜景です。サン・クリストバルの丘が見えます。又、言いますが、まだここに留まりたい心境です。ですが、皆さんより、ナスカは行くべきと言うアドバイスに基づき、そして、としひでちゃんさんの、ご命令に背かないよう、ナスカへ移動します。バスチケットを購入する際、以前と同様、2席を独占するために、一番後ろの席を予約しようとしました。すると、チケット販売のおっさんが、41番を薦めます。この席はな、個室なんじゃ。隣の42番は、予約入れないようにしてやろう。もし、美人が来たら、42番に予約を入れておこう。個室だから、ちゅっちゅしても、問題ないぜ!ってな、内容の事を、ジャスチャーで言っておりましたです。ほんとなら、ええのー! と即刻、その41番の席にしました。ここまで、昨日の話です。そして、本日の当日、期待しないで、バスに乗って見ました。ほとんどの席は、2階にありますが、そこは1階でした。確かに、41番と42番の席の前後は壁です。どんな美人が乗って来るか、ドキドキしながら、発車を待ちます。乗って来ました二人連れ。しかし、通路の反対側へ座りました。客席6席の個室に、3名で出発です。しかし、女性との個室、嬉しくもありませぬ。ピーチクパーチク、うるさくて仕方ないのです。よくもそんなに話すことがあるもんじゃ、と思うほど話します。ほんと喧しい、と思っていたら、いつの間にか、静かになりました。見ると、熟睡しております。これだもん、女は男より、長生きするはずだよなー、と思いましたです。3時間も走った頃、男の人が一人乗って来ました。それで、写真を撮らせて貰いました。窓の外の景色は、相変わらず、砂漠です。ペルーの国土は、大きく3つに別れているそうです。 10%が砂漠地帯で、リマや、ナスカの海岸沿いがそうです。 30%がアンデス山脈地帯で、アリキバ、クスコ、マチュピチュなどです。 残りの60%は、アマゾン源流の原野だそうです。アマゾンと聞くと、ブラジル! と思いますが、ペルーが源流なのですね。アンデスに降った雨が、南アメリカ大陸を、東へ流れて、大西洋に注ぐのです。ここも時々、オアシスが現れます。エクアドルからバスでペルー、へ入ってから、何だろうなー?と思わされる看板を多く見ました。これです。KEIKOと書かれていますね?ビンボーとか、チンボーテとか、日本的な単語がありますので、これもその類のもので、会社の名前かなー? と眺めていました。でも、その数が、半端でなくあります。山の麓から中腹まで、全てKEIKOと書かれた場所もありました。間違いなく「KEIKO」ですよね?気になって仕方なかったので、写真に撮って、英語の話せるペルー人に聞いて見ました。そしたら、フジモリ元大統領の娘さんなのだそうです。KEIKOの隣に記載されている、ELIASとは、KEIKOさんの支援団体の名称だそうです。フジモリ元大統領は、ペルーに帰り、25年の禁固刑が確定したそうです。それで、娘さんが、今は大統領候補として担がれているようです。息子さんもいて、ケンジと言うらしいですが、この人は何をやっているのか、説明してくれませんでした。(どうも出来が悪いみたいです。)500年前に、スペイン人に侵略され、インカ国王が拉致、監獄に繋がれ、翻弄されたあげく、無理やりキリスト教徒に改宗させられ、インカの全ての金を略奪され、さらに解放するどころか、絞首刑で殺されて以来、白人にやられ続けて来たペルー。一般大衆の生活を少しでも良くするべく活躍した、白人系でないフジモリ元大統領は、今でも、支持率が50%を超えるそうです。白人の味方の現政権の支持率が、20%台である事を考えれば、如何に、一般大衆が、指示しているかが如実です。KEIKOさん、頑張って欲しいものです。さて、土漠の山々を超えると、ナスカに着きました。予定より、時間がかかり、8時間弱ほどの、17時前であります。同室のおじさんは、僕と一緒に降りましたが、女性お二人は、ボリビアのラ・パスまで、26時間かかって行くそうで、ここで、さよならです。おじさんが乗って来てから、電子辞書を頼りに、話をして盛り上がりました。うるさいなー、と思っていましたが、話して見れば良い人ばかりです。長距離バス停に着くと、客引きが沢山待っております。普段は、見向きもしないのですが、たまたま、行こうとしていたホテルの客引きがいたので、その車に乗りました。話を聞いていると、無線ランが使えて、25ソルがあるって言うので、そこに連れて行って貰いましたが、結構、良いホテルなので、ここに決めました。チェックインしてすぐに、ナスカ地上絵をどのように見るか、チェックする為に、ツアー会社を偵察しに行きました。 飛行機で見るのは、50ドル。安くして45ドル。近隣のツアーは、20ドルから30ドルです。まぁ、夕方も遅いし、一晩考えて決めようと、予約はしませんでした。町の中心の小さな公園です。ほんと小さい町なので、全部歩き廻っても、20分もかからない程度です。
2009.11.25
コメント(6)

2009年11月23日(月) 61日目(ペルー4日目)宿のご主人と話をしました。沖縄出身だと言います。日系人はペルーに7万人から8万人いるそうです。その70%が沖縄出身だと説明してくれました。沖縄で生まれ、戦争に負けて占領され、アメリカ人となってしまい、すぐに27歳で奥様とペルーへ移住。それから50数年が経ったと言ってました。その間には、7000倍にもなるインフレ時代や、テロ時代、その他、諸々の苦労を凌いで、何とか生き延びて、今の生活がある、とのことです。平和な日本に生まれ、のほほんと何も考えずに生きてきた、自分に比べると、その皺の中に、歴史が刻まれていると感じられます。それに、今の日本、そして沖縄の現状を、本当に良く知っています。こんな遠くのペルーにいて、且つ、50年以上前に、移住したのに、ご本人は、「私はペルー人だ」と言っているものの、生まれ故郷の国は、忘れ得ないものなんだろうなー、と思わされました。「リマは見るべきものがない」グアヤキルから同じバスで、27時間かかって当地へやって来た、日本人青年は、そう言い残して、市内へ行くこともなく、そのままバスを乗り継いで、ナスカへ行きました。僕には、見るべきもの多数だと感じます。リマ近郊にも、 カラル遺跡 有史以前から栄えていた漁港ピスコ 自然の動物達が沢山居るバジェスタス島 ナスカと同じような地上絵がある、カンデラブロなど、見所は沢山あります。時間があれば、カンデラブロなど是非行きたい場所です。しかし、時間も限られており、バスのチケットも買わねばなりません。(ここが個人の旅の、不便で、時間のかかる事由です。)それと、JALからメールが入り、予約の件で、電話を下さい、とのこと。JALは、メールでの質問を受け付けないのです。電話しても、混んでいる事が多く、長々と待たねばなりません。そんな状況なのに、海外からどうして電話出来るのでしょうか?その対応もせねばならないので、JALのリマ事務所へ行かねばならないのです。こんなお粗末な対応ですから、JALが大赤字になるのも当然です。お客第一で考えてません。 JALの件は、別掲します。JALのオフィスへ行き、一応の用事を済ませた後、どうしようかなー?どこへ行くかなー? 腹も減ったしなー? などと考えながら、「歩き方」を眺めておりました。そしたら、この近くに、「ノダジ」と言う、韓国レストランがあると分かりました。早速、急ぎ足で、韓国へ歩きます。そして豆腐チゲを注文しました。どうですか? うまそうでしょうー!実際に、うまいです。韓国料理、最高ですね。そう言えば、今年の6月、韓国へ9泊10日で行って来たのでした。食事に関しては、大満足でした。それを思い出します。韓国料理に付き物の総菜です。頼まなくても、こう言うのが付いて来るのですから、嬉しいです。一方、頼まないのに、付け出しとかを出して来て、サービス良いなーなどと思って食べると、あとで、金をふんだくる、どこやらの国とは違いますな。そうそう、食事の前に、「天野博物館」へ電話して、見学の予約を入れておきました。入場無料で、予約すると日本語で説明してくれると言うのです。午後3時半からです。豆腐チゲで腹はふくれ、満足です。天野博物館の見学まで、まだ時間はあるし、「歩き方」で調べて見ると、新市街のミラフローレス地区を歩いて廻れそうです。ミラフローレス地区の華やかな、「ラルコ・マル」へバスで行って見ました。ここは、写真のように、海岸沿いにありまして、レストラン、ショップ、ディスコ、映画館、そしてオープンカフェなどが立ち並ぶ、繁華街です。海の眺めも良いです。キレイに掃除が行き届いているし、どのお店も、洒落ていて明るく、歩いているだけでも気分が良いです。オープンカフェが多いです。昼間っから、ビールや、お酒を飲んでいる人たちも沢山います高級そうな、寿司屋さんもありました。でも、刺身定食で、1500円ほどでした。海岸沿いの岸壁を切り抜いたような所に作られているのですね。上の道路側からだと、展望台のようにしか見えません。食事は済んでいるし、ショッピングは旅の途中ではしないので、この海岸沿いを海を見ながら、ぷらぷらと歩いて行きました。そしたら、おー! 大胆なカップルを、木陰に発見しました!何をしてんじゃ? ずいぶんでかいカップルじゃのー!と近づいて見ますると、な、なんと、モニュメントでした。なんとも大胆な像を作るものです。ここは、「恋人達の公園」と名付けられ、有名なんだそうです。周りを見回すと、恋人達がベンチで寄り添い、芝生の上では、重なっていたりキョロキョロと見回せない状況です。こりゃ長居出来んわい、と早々に立ち去りました。このまま天野博物館へ行っても、まだ少し時間が余ります。で、天野博物館の近くに、「ワカ・プクヤーナ」と言うリマ文化の遺跡があるのでそちらにも足を延ばして見ました。日干しレンガを積み上げた巨大なもので、今でも発掘調査を続けているとの事です。土器やミイラ、織物などが出土されているらしいです。丁度、時間となりました。天野博物館へと急ぎます。新市街の西側を、ほぼ縦断した距離です。疲れました。天野博物館は、写真撮影が禁止なので、写真はありません。ここは、天野芳太郎と言う方が、自身の収蔵品を長年、観光客や、当地の文化に興味を持っている方に、無料で開放しています。集めた所持品は、3万点にものぼるそうで、その一部の300点ほどが、展示されております。1000年以上も前の、織物が、色鮮やかでくあり、非常に精密な織り方で、且つ芸術的なものなので、驚きます。ここは、来て見て、非常に良かったです。天野さん、中南米各国で、事業を展開してたようですが、第2次大戦でアメリカにスパイ容疑で逮捕され、財産は全て没収、日本へ強制送還されたそうです。それにもめげず、別の国の人になしすまし、密航で南米へ帰って来て、再び財を成したと言うのですから、すごい方がいたもんです。館内は、ボランティアの23歳の学生さんが説明してくれました。ペルーの歴史から文化から、良く勉強されていて、手際よい説明で良く分かりました。すぐに忘れてしまうのが、難でありますが・・・。記念撮影です。真ん中の人が、ボランティア青年で、左の人は、僕と同じ観光客です。始め見たとき、アントニオ猪木の親戚かいな? と思いました。(風貌が)しかし、とっても気の付く人で、且つ気前のいい人で、説明してくれた人にタバコやら、カロリーメイトやら、ポカリの粉末など、沢山あげていました。さらに、チップまであげてました。アジアの星一番の場合、貧乏で、且つ、ケチでありますから、貰うことはあっても、あげる事は滅多にありません。今回も、このアントニオ猪木の親戚風の方から、高山病の薬を貰いました。説明してくれた学生さんに、チップもあげていません。ここは、入場料は、無料なのですが、土産を買えって言うシステムのようです。土産は荷物になるので、買いたくありません。で、仕方なく、マチュピチュの地図、3ドルで買いました。これなら、入場料を取ってくれた方が、気楽ですね。
2009.11.25
コメント(4)

本日も、二つアップしました。これで、実際の旅に、ブログのアップが追いつきました。でも、あれですねー、その、毎日、旅してますと、1回では書き切れない出来事や、感想などが多いですねー。===============================2009年11月22日(日) 60日目(ペルー2日目)リマのセントロ、旧市街を、散歩しました。ここは、歴史的建造物が、世界遺産に登録されており、一見の余地あり。まず、町の中心である、アルマス広場へ、宿:沖縄から歩いて行きました。アルマス広場の前には、植民地時代に贅を尽くして作られたペルー政庁があります。さらに、その右手には、1535年に建てられたと言うカテドラルがあります。歩いていたら、中央郵便局にて、展示会が催しされていた。古い切手などが、展示されていたが、その中に、インカ人が笛を吹いている像もありました。サント・ドミンゴ教会・修道院です。これも、1549年建立され、過去の大地震にも耐え抜いたとの事です。サン・アグスティン教会です。ラス・ナサレナス教会です。狭い地域に教会が多いですねー!サン・マルティン広場へやって来ました。歩き始めた、アルマス広場と、このサン・マルティン広場をつなぐ通りがラ・ウニオン通りと言って、セントロのメインストレートです。これが、そのラ・ウニオン通りです。写真より実際の方が、ずっと街らしいです。色んな洒落たお店が多く、お店を見ながら歩いている人が多いです。中央準備銀行博物館に来ました。入場無料ですが、インカ時代以前の出土品や、植民地時代のコイン、絵画なども、多く展示されており、見ごたえがありました。一部の写真を掲載します。プレ・インカ時代の出土品です。 金や、織物なども展示されています。 プレ・インカ時代とは思えない、お皿などもありました。絵画も沢山ありましたが、この絵が印象的でした。写真がブレているのではないですよ。現物のままです。何を、表しているのでしょうか?セントロの主な見所は見たので、遅い昼食を食べに中華街へ行きました。あるのですよ、中華街が。この門、まさに中華街ですねー! リマにあるとは、さすが中国人。どこにでも進出し、どこにでも、自分らの文化を披露しています。有名(?)な、お粥を食べました。メニューなんぞなく、この一品しかありません。このパンも付いて来ます。これで、6ソルですから、200円くらいですね。宿の、沖縄ですが、日本人宿だけあって、泊まっているのは、日本人ばかりです。夕食は、彼らに誘われ、再び、中華街へ食べに来ました。一人は、世界一周、1年の終わりで、数日後に日本へ帰ります。一人は、ブラジルから入り、北上、明日、コロンビアへ向かいその後、帰国予定。一人は、7泊9日の短期旅行、ペルーのみ一人旅。それに、昨日、クスコへ向かった人もおり、既に2ヶ月もペルーの滞在し、山歩きしているご老人もします。追記 危うし「旅がらす3号」危うく、「旅がらす3号」、を、ダメにする所でした。何故かと言うと、ここペルーは、電圧が220ボルトなんです。今までの、メキシコ、中米7カ国と、そしてエクアドルも、110ボルトから120ボルトでした。「旅がらす3号」、には、120ボルトと、240ボルト使用時の切り替えスイッチが付いています。なのに、120ボルトのまま、ここペルーで使ってしまいました。コンセントに差し込んで、暫くすると、いつもと異なる、シュッ、シュッと言うような音が聞こえました。あれー? なんじゃろ? おかしいなー?その時、すぐにコードを引き抜けば良いものを、なんじゃろ?なんじゃろ?と思いつつ、様子を見たのです。その後、「あ!」っと気が付きました。(遅い!)大慌てで、コードを引き抜きました。あっちゃー! やっちまったかー! 参ったなー!と、焦りました。焦っても、何の対策にもなりませんが、これから、毎朝の生姜紅茶飲めないし、朝食用のコーヒーも飲めないし、午後の紅茶も飲めないし、夕食後のお茶も飲めない。カップラーメンだって作れない。あっちゃー! っちゃっちゃ! と再び、思いましたです。冷した後、恐る恐る、電源を入れて見ますと・・・、スイッチが入りました! 壊れてないようです! ありがとう! タンキュ! と声を出しました。本当に良かったです。因みにリマ市内の電気屋に行って見ましたが、勿論、「旅がらす3号」のような素晴らしい、電気ポットはありません。中に電気コイルが丸見えの、ごつい奴しかありません。こんなのは、ごろつきヤクザもんと同じで、「旅がらす3号」の比較にもなりません。こう言う事態に陥ると、普段の、「旅がらす3号」の、活躍に感謝です。今後も、頑張って欲しいです。大切に扱いますので。
2009.11.24
コメント(6)

2009年11月21日(土) 59日目(ペルー1日目)色んなお店を、バスの窓越しに見ていましたので、飽きません。そして、ようやく、ペルーの出入国管理事務所が現れました。結構、多くのボーダーを通過したと思っていましたが、ボーダーの間に大きな町があるのは、初めてです。エクアドルと、ペルーは、仲が良いのでしょうね、でなければ、こんなイミグレはないと思います。手続も簡単でした。袖の下を取られるような、雰囲気も全くありませんでした。二人分の座席を独り占めして、快適な夜行バスの旅であります。気が付いたら、もう朝です。7時でした。よ~く、寝ましたわい。ここは、どこだい? って後ろの人に聞いたら、「チンボーテ」って言いました。「え? 何て? チンボーィテー? チンボ痛いのか?」、と聞き直したら、「チンボーテ!」、と同じように答えました。おっかしいなー、と慌てて、我が下半身を見たであります。普通、男には、通常、朝立ちって奴がありまして、チンボって奴が、勝手に、言うことを聞かず、立ってしまう現象です。それを、指摘されたかと、思いました。しかし、そんな日本語を知っている訳がありませんな。違いました。これ、地名なのですよ! 「チンボーテ」って言う地名です。地図で調べたら、トルヒーヨと言う、大きな町を、もう通り過ぎていたのです。寝ている間に、ずいぶん、ペルーを南下しております。外を見ると、あれー? サウジアラビアに戻ったんかい? って言うような風景です。土漠です。ちょっと山があるのが、違いますが、サウジアラビアと同じような土漠です。途中、滅多にない休憩がありました。もう、10時を過ぎました。食事は3回出たので、もう終点まで出ません。それで、ここで、弁当とかを買うようです。アジアの星一番さん、高級アルメーニョバスの前で、記念撮影です。22時間バスの中です。座席2席を一人占めしても、ちょっと、お疲れのようですね。腹が出たとか言ってましたが、そんな風には見えません。スマートです。海辺に出ました。砂漠が海岸まで続きます。サウジアラビアと異なる所は、時々、このようにオアシスがある事ですね。向こうの山は土山ですが、こちら側は緑です。アンデス山脈に降った雨は、アマゾンへほとんど流れるのでしょうが、太平洋側にも流れて来るようです。ですが、チンボーテの辺りから、ずっとこんな風景が続きます。中東を行くようで、懐かしいですねー!わずかの水を求めるが如く、家々が立ち並んでおりまう。生きているんですねー。こんな厳しい環境の中でも。こんな場所で生まれたとしたら、例え、こう言う所であっても、懐かしい故郷になるのでしょう。産まれる場所を選べるなら、こう言う所でない方が良いですな。27時間。午後2時半、リマに到着しました。バスにしては、良く眠れたし、まぁ、60ドルもした最高級バス会社のバスですので、大きな不満はありません。しかし、乗客にはありましたな。通路を挟んで、隣の2席と、僕の前の2席も、空いていたのです。そしたら、ペルーのばか者カップル2組が、前から移動して来て、やりたい放題なのです。いえいえ、いちゃいちゃするのは構いません。僕も仲間に入れて下さいとも言いません。何でもかんでも、どんどん勝手にやってれば良いのです。腹立つのは、座席を、目一杯倒しっぱなし。寝る時は止むを得ませんが、食事の時もそうなんです。気が利きませんよねー!隣の奴は、彼女が窓際で、その彼女に頭を乗せ、通路を隔てた、僕の席に足を延ばして、乗せて来るのです。こいつには、頭に来て、3度、足をぶっ飛ばしました。それから、天井の窓を、勝手に開けるのです。寒いですわ。あいつら、燃えているから、暑いのでしょうなー。閉めろ! と言ったら、閉めましたが、又、開けます。そして、又、閉めました。アホでんな、あいつら。エアコンを入れろ、って何故乗務員に言えないのでしょうか?いつまでも、腹立てている訳には行きません。リマは広いです。大きいです。オルメーニョのバス停から、宿まで歩いては行けません。どうやって宿を決めるかが問題です。そして、宿の候補地同士が、5キロも10キロも離れているので、いつものように、何軒も見て歩く訳に行かないのです。これには困ります。日本人宿も、リマには多いです。ドミだと10ドル程度でありますが、個室だと、30ドル位します。結構、高いですね。その中で、旧市街、セントロと呼ばれる歴史的建造物が多い、ど真ん中に沖縄出身の方が経営している、アルベルグ・トゥリステ・オキナワがありました。電話して見ますと、ネットはありませんが、個室で、25ソル、850円程度です。ネットはないので、残念ですが、ここに決めました。タクシーで移動です。7キロ位ありそうですから、タクシー利用も仕方ありません。部屋です。シンプルそのもの。ベッド以外何もありません。おまけに、トイレ、シャワー室が、共同なんです。安いはずだよなー! どうしよう? 別の所へ行くかなー? と迷いましたが、タクシーに乗って、宿探しをしたら、タクシー代がバカになりません。1泊して様子を見ようと、ここに決めました。追記ネット屋さんは、近くにありました。スピードが凄く早いです。エクアドルの、ガラパゴスや、グアヤキルのネットは、遅くて、イライラしましたが、ここは、気持ち良いほど、速いです。100bpsの速さです。そして、利用料も、1時間、たったの30円位ですから、宿にネットがなくても問題ありません。さらに、その後この一軒のネット屋さんのみが、安くて、サービス満天であり、他は、ラップトップに繋がせてくれないとか、余分にお金を取ろうとしたりとか、ネット事情は、よろしくないです。ただ、スピードは、速いですね。やっぱり宿にネット必要です。
2009.11.24
コメント(6)

honjitu mo futatu up desu.nihongo ga kakmasen.hensin ha gojitu to iukotode suimasen.===================================2009年11月20日(金) 58日目(エクアドル9日目)メキシコシティへ降り立ち、テォティワカンとか、オアハカ辺りにいた、旅の開始、4~6日目の頃、あと、この30倍とか、40倍の日数の旅を続けるんだよなー! 長いなー!などと感じていました。ですが、本日は、もう58日目です。安全的に、不安があった中米も、無事、通り過ぎて、南米に入っているのです。そして、今回の旅の、ハイライトの一つであるガラパゴスも堪能しました。早いですね! あと、これまでの、2倍の日数しか残っていません。この1ヶ月なんて、たぶん、あっと言う間に過ぎてしまうでしょう。何故かと言うと、見所満載だからです。ペルーは、やっぱり、マチュピチュかなー?ティティカカ湖も見たいし、インカの中心地であったクスコとかも楽しみ。それから、ナスカの地上絵、行く予定にしているけど、見る価値があるのかなー?と、今、もう一度、頭の中で、葛藤しております。ボリビアは、何と言ってもウユニ塩湖ですよね?ここは、見逃せません。チリに南下すれば、イースター島が待っています。もう、ここでは、年末なんです。年末年始を、モアイと共に過ごします。それから、南極の拠点、プンタ・アナーレスへは行けないかも知れません。JALの帰り便、延長の予約入れてますが、ウェイティングリストの、ずっと後の方なので、3月3日には、帰国せねばならないような状況なのです。まぁ、そこへ行けなくても、イグアスの滝が待っています。ブラジルは、広大な湿原、パンタナール、それからアマゾンも楽しみ。そして、ベネズエラのギアナ高地見所が、ずっと続きます。あっと言う間に数ヶ月は過ぎてしまいますねー。ゆっくり廻るには、中南米で、1年は欲しいです。さてさて、長いバスの旅、ペルーへの夜行バスです。オルメーニョ社と言う、ここでは、最高級のバス会社にしました。値段も、60ドルです。高いですが、飛行機より、ずっと安いです。この下の写真が、私めの席であります。ゆったりしてますでしょう?本当の僕の席は、この後ろです。最後尾って席です。これ、座席確保の戦略でした。うまく行けば、隣が空き席となり、二人分の席を独占出来る可能性がある、座席確保作戦です。チケットを買いに行った時、座席予約状況を確認しました。すると、前の方から、座席が埋まっているのですね。70%程度、もう座席は予約済みでしたが、後ろの方は、まだ埋まってなかったのです。それで、一番後ろの席、38番のチケットを買いました。37番の隣には、満席以外、来ないだろうと、思ったのであります。しかし、居たのですよねー! ガックリでした。作戦失敗の巻、でした。ですが、客の数をおよそ数えて見ると、満席にはならないはず。チャンスあり、って事で、前の座席に座って、様子を見ることにしたのです。そして、大正解。誰も乗って来ません。途中での乗車もありません。隣り、空き席のままです。これは大きいです。夜行バスで、隣にデブでも来たら、堪んないです。しかし、空き席、作戦大成功です!食事は、3食付ってので、どんなのか楽しみにしてましたが、シンプルです。腹の足しにはなります。充分過ぎるほどに。味も悪くはないのですが、野菜が不足しませんか? こちらの人々は、野菜をあまり食べないような気がします。11時45分、グアヤキル出発。16時00分、エクアドル出国。順調です。その後、ペルーへの入国は、どこかいな? とキョロキョロして見回しましたが、それらしき所はありません。「バスの乗れ」って言うので、乗りました。しばらく走ると、町並みです。あれー? ここ、ペルーじゃーないの?トゥンベスって言う、町のように思うけどなー?でも、まだペルーに入国してないよなー? おかしいなー?路上には、沢山のお店が並んでいます。花屋さんです。子供服屋さんです。人形屋さんです。服屋さん、帽子屋さん、ぞうり屋さん、などなど、軒並みお店です。 一体、ペルーの入国はどこでするのでしょうか?このままでは、密入国になってしまいます。
2009.11.23
コメント(8)

2009年11月19日(木) 57日目(エクアドル8日目)さて、ガラパゴスを去る為に、飛行場へ移動です。問題がありました。飛行機が13時発です。2時間前に飛行場に着くとして、11時に着。移動に1時間として、10時に宿を出れば、いいや、と思っていました。スペイン語しか話せない、宿の女主人に確認すると、9時半と仕切りに言ってました。早く出発し過ぎても、飛行場で待つだけなので、当日、「おぉさか!」(大阪の意味)ばっかり言うじいさんの旦那と話していて、9時40分頃、宿を出発したんです。バス停までタクシーで行きます。小雨が降っております。しかし、バス停に着くと、飛行場行きのバスは、もう出発して、次のバスは来ないと言うのです。困りましたなー。タクシーの運ちゃんは、嬉しそうに、「飛行場まで行くだろ?」、と飛行機が飛んで行ってしまうぞってな、ジェスチャーしてます。15ドルも取るって言うし、このタクシーには乗りたくない。と、小雨の中。ヒッチハイクする事にしました。どの車も止まってくれませんねー。濡れて来るし、タクシーは帰ってしまったし、どうすんべ? と困っていると、満席のタクシーが止まってくれました。地元の客が、折り重なるようになって、僕の席を空けてくれました。これなら、15ドル支払っても仕方ないか? と乗り込みました。しかし、心配は、まだあります。バスは出てしまっているのに、一体、フェリーはあるのかい? って事です。ダメだったら、戻って、もう一泊するか、と腹をくくりました。しかし、その心配は、杞憂に終わりました。既にこの写真、バルトラ島へ渡っています。タクシーも10ドルで済みました。飛行場のあるバルトラ島より、今渡って来た、サンタ・クルス島の写真です。又、来る機会は? ないでしょうねー。よっぽどの何かがない限り。飛行場に着きました。10時35分。充分過ぎる余裕の時間があります。取り合えず、チェックインだけしようとすると、カウンターが閉まっています。係員が、事務所へ行けって言うような、素振りをしています。なんじゃろなー? 何か記念品でもくれるんかい? ってな軽い気持ちで事務所へ行きました。エクアドル人らしき、人達、7~8名が、事務員と声高に言い合いをしています。なんじゃろなー? とその隙間を塗って、チケットを見せると、エクアドル人達が、「マニャーナ! マニャーナ!」、と怒鳴っています。アエロガルは、1日に2便、10時40分発と、13時発があります。僕は、13時発となっています。話を聞いていると、13時発の飛行機はキャンセルされた、って言うのです。「ほぉー、キャンセル?」、 聞いたときは、慌てませんでした。しかし、考えて見ると、とすれば、本日の便はありませぬ。「おい! そりゃー、困る! マニャーナは、ダメダメ!」と、騒ぎの渦中に入って行きました。タクシー、合計11ドルも払って来たのだ。明日に変更なら、宿代含めて、50ドルよこせ!とか、色々と、エクアドル人と一緒になって、ワイワイやっておりましたです。こりゃー、もう一泊、せねばいかんかなー、と、心では諦めていましたね。これも、天の声、ガラパゴスに、もう一泊せい、と言っているのでしょう。と。そうこう、していると、係員が、僕のバックパックを、預けろと言います。それも、かなり慌てています。そして、あんたは、こっちへ来い、と別の係員が、僕の腕を取って、引っ張って行きます。どうするんじゃ? 何するんじゃ、いったい!どうなっているのか、さっぱり分かりません。パスポート見せろ?入島時のカードがあるだろ?早く行け?ん? んんん? どうなっているんじゃ?ベルトコンベアに乗っているように、次から次へ、荷物のように僕が担当者間を手渡されて行きます。荷物も持ってくれます。気が付いたら、飛行機に乗っておりました。それも来た時と同じ席、即ち、ファーストクラスです。おい、おい、どうなっているんじゃ? と質問する間もなく、飛行機は飛び立ちました。飛び立って、安定すると、食事が運ばれます。何だか、狐に騙されているような気分ですが、飯食ったら、目が覚めるのかなー?などと、考えながら、食べました。CAさん達、忙しそうなので、聞くのも悪いなー、と、隣のスペイン語しか話せない、おばさんに、ジェスチャー交えて、聞いて見ました。すると、10時40分発の飛行機が、何かのトラブルで、遅れたらしいのです。そう言えば、飛行機が飛び立ったのは、11時半を過ぎていたと思います。どうも、それで、次の便がキャンセルされたようなのです。でも、まだ、多くの乗客が、乗れずに待っていたのです。どうして、僕だけ、この便に乗せてくれたのでしょうねー? 不思議です。どこか、VIPの風格が漂っているのでしょうか? このアジアの星一番に!まぁ、何はともあれ、ファーストクラスです。又もや、ニタリと微笑みながら、長くない足を、精一杯延ばして、リラックスしている、アジアの星一番さんであります。で、グアヤキルの飛行場に着き、預け荷物も、何の問題もなく受領しました。全く、珍しい経験をしましたです。こりゃー、ついてるなー!飛行機乗りついでに、リマまで、飛行機で飛んじゃうかなー、と航空会社へ確認に行きました。確認すると、TACA航空 422ドル 但し明後日しか便がない。LAN航空 442ドル 本日の便あり。かなり高いですが、もうVIPになった気分で、これに乗って、本日、移動してしまうことにして、LANのチケット売り場へ行ったのです。そしたら、ここの担当のおばさんが、無茶苦茶な奴で、客のこの私が、待っているのに、どっかの作業員と、長々しゃべっているのです。日本語で、「何してんじゃ!」と、何度かブツブツいっていたら、「何か用?」とか言います。「アホか! この! チケット売り場に、おしっこしに来るか? チケット売り場に宿の予約に来るか? エアーチケット買いに来たに決まってるだろ!」と言った所、こちらの人との話が終わったら手続します、って言うのです。信じ難いサービです。長々と、無駄話が終わって、ようやく話を聞ける体制になりました。442ドルは、TAX込みで、他に支払うお金はないですな? と聞けば、ここの空港使用料が必要と言います。「いくら?」って聞くと、すぐそこで、売っているから自分で聞いて来いって言うのです。信じ難いサービスです。そんな事も知らないのか! って怒鳴ってやりたい気分ですが、我慢しました。27.6ドルも空港使用料が必要です。すると、合計480ドルもします。それでも、チケット買おうとしたら、コンピューターがダウンした、又、後で来てくれといいおるではないすか?「ったく、このくそババアめ!」 おばさんだから、ババアではないか?くそオバンとでも言うのでしょうか? 「この、くそオバンめ!」もうこれで、飛行機で行く気が失せました。これも天の声、貧乏旅人が調子にのって、飛行機で移動するな! と忠告しているのだろうと、予定通りのバス移動に変更しました。480ドルもの大金を何故使う気になったのか、不思議です。バス移動のためは、グアヤキルに泊まらねばなりません。バスの出発時間は分からないし、チケットも買わねばなりません。予定より早めのスケジュールになっているし、まぁ、ゆっくりするか、とあの、くそオバンに怒った心は、既に安定しておりました。ホテル・プラザ・セント・ラファエル、長ったらしい名前のホテルにチェックイン。無線ランが使えて、エアコンあり、お湯シャワーありの、高級バックパッカーに向いた宿です。これで、30ドル。値段も張ります。ちゃんとデスクもついています。バスチケットは買えました。高級バス会社、オルメーニョ社です。3食付ってことでした。このホテル、朝食つきです。朝、7時半、そのレストランへ行って見ました。普通のバックパッカーが入れるような所ではありませんな。バックパッカーに、その頭に、高級と言う名が付かねば入れませぬ。朝食です。あぁ~、質素ですなー!これなら、いつも僕が食べている朝食の方が、豪華です。僕の場合、これに、トマトが必ず付きます。リンゴも付く時があります。コーヒーは、おいしかったです。ここグアヤキルは、電力事情が悪いようで、停電が多いです。せっかくの、エアコン付きルームが、その用を足しません。そして、何故か、停電になると、無線ランも使えません。停電でなくても、ネットに接続が出来ないのに、困ったものです。と言うことで、明日は、夜行バスで、ペルーへ移動します。
2009.11.23
コメント(2)

本日も、二つ目のアップです。実は、もうガラパゴスから、旅立っています。=============================2009年11月18日(水) 56日目(エクアドル7日目)本日は、ダイビングです。ポイントは、シェイムールへ行くか、ゴールデンロックへ行くか迷いました。ゴールデンロックの方が、話を聞くと良いような気がしたのですが、もう一方の方は、写真を撮ってくれるというのです。写真、欲しいなー!と、それに惹かれて、シェイムールにしました。そしたら、夜遅く、インストラクターが宿にやって来て、ゴールデンロックでも良いか? と聞きに来ました。無論、反対する理由はありません。元々、そっちへ行きたかったのです。どうも、ゴールデンロックは、人が集まらず、中止になるべきところ、シェイムール組と一緒にしたのでは、ないかなー、と感じています。そうだとすると、本日の参加者は、6名となります。さて、出発です。申し込んだダイブショップのインストラクターは、このダイビングに行きません。なんでや? おい! 写真を撮るって言ってたよな!と、問い詰めると、今回行くインストラクターが撮るから大丈夫との事でした。ポイントまで、ボートで、1時間。結構、暇な時間です。浅瀬に潜ると、すぐにアシカがやって来ます。一緒に遊びたいのでしょうか?この日、曇りで天気も良くなく、海も荒れ模様です。透明度も、さほど良くなく、なにより、海水が冷たくて、おしっこ漏らしそうです。ダイバーは、大体、海の中で、おしっこしてしまいます。6~7時間の間に、トイレへ入ったのは、僕とカナダ女性だけですから、他の奴ら、海です。間違いない。ところどころに、魚影の濃い場所があります。すごいでしょう! こんな大群の中、魚のトンネルを潜るように泳ぎます。浅瀬に行くと、やはりアシカ君です。やっぱり、遊びたいのかなー?本日のメンバーは、 スペインから来た、男性2名と、女性1名。 カナダから来たカップル2名。 ドイツ人だけど、ベネヅエラに住む青年1名 そして、日本代表、アジアの星一番の、7名ですたぶん、カナダから来たカップルが、ゴールデンロックへ行きたいと言っていたのでしょう。だけど、二人だと中止になるので、僕を急遽、そこへ入れ込んだのです。(きっと)そしたら、その後、クルージングの客が、4名、さらに追加になったのですね。そう言う調整をしたようです。さて、水中ですが、カメも泳いでいました。マンタです。優雅ですねー、マンタ。ひと際、目立ちます。バラクーダの大群です。大体、バラクーダは一匹で泳いでいるのは珍しいですが、ここは、大群と言うのに相応しい、数でした。カナダの女性、船酔いしたようで、青い顔してました。そして、1本目を終わってから、寒がっていたのは、僕と彼女だけです。スペイン人、ドイツ人は、へっちゃらで、休む間もなく、シュノーケリングしてました。あいつら、怪物じゃ! と、またもや、思いましたです。それとも、あっしが、か弱いカナダの女性並ってことなんでしょうか?2本、潜って、昼食を船上で食べて、又、港へ帰りますが、カナダ女性、食事も採らずでした。きちんと2本とも潜ったので、ダイビングは楽しんだでしょうが、ちょっときつかったでしょうね。彼氏より、インストラクターとか、ドイツ人青年が、彼女に親切にしていました。きっと、彼女に、怒られて、今晩一緒に寝させて貰えませんよ。(ふふふ。)陸に上がって、散歩していたら、先日、大きな海老を売っていた所で、マグロが置いてありました。新鮮なようなので、刺身で食べられます。買って来ました。たった1ドルです。安いですねー!円高の今なら、たったの、90円です。こんだけの値段が日本だったら、嬉しいですねー。まな板もないし、ナイフも果物用なので、うまく切れず、ぶつ切りのようですが、キチンと切ったら、もっとおいしそうに撮れたと思います。ビールも、エクアドル産を買って来ました。こっちは、2.5ドルです。日本並でしょうか? 醤油は、前に買ったのがあります。ワサビはないけど、そう贅沢は言ってられません。 何しろ、大好きな、マグロの刺身で、一杯飲めるです。2ヶ月ぶりの、マグロの刺身。うまかったなー! 日本で食べるより、ちょっと、魚臭かったですが、それだけ、新鮮だってことでしょうか?これを知っていたら、昨夜も、マグロの刺身で、一杯やるのでした。
2009.11.20
コメント(8)

2009年11月17日(火) 55日目(エクアドル6日目)サン・クリストバル島は、ガラパゴス諸島で、二つ飛行場がある内の一つの島ですが、人口も少なく、ホテルも少なく、よって、ダイビングなどの手配もやや難しい。(人数が集まり難い為)で、サンタ・クルス島へ、戻る事にしました。見慣れた、と言ってもたったの一晩ですが、このサン・クリストバルの港を、去るのは淋しい気もします。バルコニーから見えた景色ですから。途中、サンタフェ島の横を通過します。この島へは、一昨日、上陸し、シュノーケリングで、アシカと一緒に泳いだ島であります。途中、こんな豪華船と出会いました。どうでしょうか? この位大きいと、揺れも少ないのでしょうね。金額も、5倍とか、10倍するのでしょうが・・・。サンタ・クルス島、宿は、前回調べておいた、ホテル・エリザベスにしました。お湯シャワーなしで、15ドル。お湯シャワー付きで20ドルです。テレビは、見ないから要らないと交渉し、お湯シャワー付きでTVなし、15ドルで妥結しました。さて、せっかくのガラパゴスですから、一度は、海の底へ潜って見たいです。ダイブショップを、廻って見ました。小さな町ですから、どこも同じ130ドルで、負けて120ドルです。協定してます。が、人数が揃わないダイブショップを狙って交渉します。3人揃うとツアーは決行なのですが、もう一人増えても、経費はそれほど膨らみません。で、そこを交渉するのであります。粘って、粘って、何とか、105ドルまで下げましたが、それ以上は下がりませんでした。この料金に、チップを含む、として妥結です。それから、遅い昼食です。ガラパゴス諸島では、生産物が、ほんのちょっとの食用の魚と、チキンと卵、程度しかないので、それ以外は、本土から運ぶのでしょう。運賃がかかるので、高いのは、止むを得ませんが、観光客用の、洒落たレストランは、面ん玉、飛び出るほど高いです。パスタが、10ドルもするのです。10ドルですよ!そんなレストランで、貧乏旅人は食べられません。かと言って、3食、BIMBOパンとインスタントコーヒーだけでは、ちと、淋しいです。で、どうしたかと言うと、ローカル食堂ですね。あるのですよ!そりゃー、地元の人、全員が、家で食べるのではないですよね?必ず、地元の人が食べる食堂があるはずなんです。それを探しました。パスタなんてものはありませんが、地元の料理です。チキンスープですそして、ビーフライスです。牛肉は、「カレネ デ バカ」って言えば良いのですが、相変わらず、「う~~~ンモ~~!」、とか、泣き声を真似て頼んでいます。その方は、お店の人、分かりやすいし、喜びます。この二皿で、2.5ドルです。パスタを食べたら、これを、4回も食べられます。やっぱ、地元食堂に限りますな。安く食べるには。
2009.11.19
コメント(2)

本日も、二つ目のアップです。まだ、実際の日にちに、追いつきません。=============================2009年11月16日(月) 54日目(エクアドル5日目)朝7時の朝食の後、サン・クリストバル島に上陸です。3泊4日コースの人は、もう、プリンセス オブ ガラパゴスに戻りません。2泊目は、ちときつかったです。船酔いする人には、この小さな船はお奨め出来ませんね。30万円ほど支払って、揺れない大型超豪華客船に乗って下さい。同室のエクアドル人に、いくらでこのツアー参加したのだ? と聞いたら、800ドルと言ってました、それに300ドルプラス云々で、1000ドルを超えるとかはっきり言わないものの、そう言ってました。僕が買うとき、760ドルだが、半額の380ドルにするとか、何とか言われ、嘘つけ! そんなに高いはず、ねぇだろ! と思ったものですが、あながち、嘘でもなかったのかなー?3万6千円程度で、4日間ですから、まぁ、高くはないでしょう。そうだ、シュノーケリングが10ドルで、チップが10ドルだったから、合計で、400ドルでした。静かな港です。この程度なら、船の上と感じない、眠りが得られます。何とかセンターって所へ行きました。ガラパゴスの由来が、多くは言葉で説明してありました。英語とスペイン語なので、読むのが面倒です。この説明なら、日本でガラパゴスのテレビでも見た方が分かりやすいなー、と思いました。そこから見た、町の風景です。ガラパゴス象ガメには、出会いませんでした。島が違うのでしょう。その代わり、この島で出会えました。でかいですねー!ホテル・アルバトロスに、チェックインです。10ドルです。ここの、主のおばちゃんが、きさくで、ケラケラ良く笑う、面白い人です。一緒の船に乗った、スイス人3人も、後で連れて行ったら、大喜びでした。部屋が散らかっていて、すいません。こうやって、バックパックから全て出さないと、次に詰め込むとき、うまくパッキング出来ないのです。だから、ドミは、好きでないのですね。部屋からの景色です。良いでしょう?道路に面して、海がすぐ側で、条件は最高です。エアコンはありませんが、涼しいので、不要、寒いくらいです。これで、10ドルだから、ガラパゴスとしては最安値ではないでしょうか?船から降りて、溜まった洗濯を全て終えました。バルコニーに座って、海を眺めます。多くのアシカが海岸で寝そべっています。あぁ、ガラパゴスにいるんだよなー!遠くまで、来たもんだ、と、なんだか目が細まるのです。
2009.11.19
コメント(6)

2009年11月15日(日) 53日目(エクアドル4日目)「プリンセス オブ ガラパゴス」これが今回のクルーズ船です。乗客16人の小さな船です。従って、客室もちっちゃいです。ここが僕が泊まった部屋ですが、相部屋で、相棒は、エクアドル人でした。通路は、靴を2足置ける程度で、荷物を置くスペースもありませんねー。ここがキッチン。一人のコックさんが、朝食、昼食、夕食、おやつも含めて全て作っています。この人が、ウェイター。いつも食ってばかりなので、太っています。乗員は、全部で6名います。 キャプテン コック ウェイター ガイド メインテナス ボート(小さいボートの運転)昼食です。何故か昼食にはスープが付きますね。今日の昼食は、魚です。これは、朝、釣ったものですね。針と糸。その針に餌を付けて、入れ食いです。1分で1匹釣ってました。昼食を食べている乗客の皆さんです。乗客は、15名でした。 ドイツのハイデルベルグから来た、老ご夫妻2組で、4名 同じくドイツのミュンヘンから来た、老ご夫妻で、2名 フランスの南部地方から来た、老ご夫妻で、2名 スイスから来た、ばか者、でなくて、若者3人組。 アメリカのミネソタから来たヨボヨボのおばあちゃんと孫の娘2名 エクアドルのグアヤキルから来た青年、1名 日本から来た、青年(?)、1名の合計、15名であります。国際色豊かですが、ドイツが圧倒的に優勢でした。皆さん、いい人たちばかりで、和やかな雰囲気で過ごす事が出来ました。アメリカから来た、おばあちゃんと孫の娘さんだけ、ちょっと、外れていた感じはします。食事もまともに採らないし、娘の方は、いつもキャビンに閉じこもっています。隣のキャビンで、ドアを開けっぱなしにしているので、出入りの度に、寝ているとか本を読んでいるとか、見えるのです。夕食です。これが、エクアドルの食事だ! と、いつもは静かなエクアドル青年が、声を大きくして、言ってました。ライスと、チキンと、マメです。デザートです。リンゴなんですよ。昼間、コックさんが、リンゴの芯を抜いているなー、何を作るのだろうと思って眺めていたのです。こんなデザートになるとは思いませんでした。今夜、プリンセス オブ ガラパゴスに1泊して、朝、サン・クリストバル島を見たら、この船とも、お別れです。部屋がエンジン室の隣で、音がうるさかったのと、小さい船なので、揺れが激しかったのを除けば、まぁ快適なクルーズでした。メンバーも良かったです。「船酔いせず」に、自信あったんですが、ちょっと気持ち悪くなりました。島にあがると、気分も戻ります。船酔いする人は、絶対にクルージングに参加出来ませんね。サン・クリストバル島は、飛行機も離着陸する島で、町もある島です。久しぶりのネオンを見ました。小さなボートで、島へ渡り、そして戻って来ます。ボートから見た、プリンセス オブ ガラパゴスです。サン・クリストバル島の港に停泊しており、揺れもほとんどないので、今夜は、良く眠れそうです。夕食の時に、明日、ツアーを完了する人達に、チップ袋を渡してました。チップをよこせ! って要求しているんです。ガイド用と、船員用の二つの袋を渡されました。こう言うのは、日本人の僕としては、損した気になりますね。ガイドなんて、ほとんど、僕には親切ではなかったと感じましたなー。
2009.11.19
コメント(6)

本日も、二つアップしました。三つ目に挑戦しようとしましたが、ガラパゴスのネット事情、サウジ並に悪いです。二つアップするのに、2時間かかりました。続きは、また、明日と言うことで。=============================2009年11月15日(日) 53日目(エクアドル4日目)午後は、サンタフェ島へ上陸です。イグアナと、アシカばかりなので、いささか飽きて来ましたねー。ペリカンでも、撮りましょう。フィンチも、ここガラパゴスには、13種類いるとの事です。(ガイドからの聞き取りが、間違ってなければ)ペリカンが海を見ています。陸イグアナも海を見ていますか?見ていませんねー。陸イグアナは海に興味ありません。興味あるのは、サボテンです。これですね。ここのサボテンは、背が高いです。又、いました。でかいです。オスでしょう。フィンチです。小さな島です。こんな所を歩いてきます。30分ほどで、1周して来ました。砂浜に、アシカ達が日向ぼっこしています。沢山いるのです。よちよち歩きの赤ちゃんアシカ、人間に興味あるのか、カメラに近寄って来ました。そして、シュノーケリングしました。ここは、アシカが一緒に泳いでくれて、楽しい場所でしたなー。陸から、潜って来ました。さすがに、泳ぎはうまいですね。カメも泳いでいます。魚影も濃いです。多すぎる魚と言えるくらいます。これだけいたら、アシカやペリカンがいくら食べても、魚達も生きていけるでしょう。又、アシカ君が近寄って来ました。あんまり近寄って来ると、やはり怖いですねー。何にもしないと分かっていても。見えにくいですが、マンタも泳いでいます。ここのシュノーケリングは、大変、楽しいものがありました。アシカが、沢山、一緒に泳いでくれたのが、何と言っても一番です。カメや、マンタがいたのが、二番です。魚影の濃いのが、三番です。海水が冷たいので、少し寒かったですが・・・、ガラパゴス、3日目、さらに続きます。
2009.11.19
コメント(6)

2009年11月15日(日) 53日目(エクアドル4日目)船酔いしない自信100%だったのが、昨日で、少し自信がぐらつきました。午後の移動時、大揺れの船で、パソコンに入力していたら、少し気持ち悪くなってしまったのです。夕方、5時半頃から、夕食の7時に起こされるまで、寝てました。しかしながら、夕食は、きっちり採りましたです。そして、又、8時には、ベッドへ。起きたのは、早朝4時50分。(合計、10時間も眠れるって、やっぱり船酔いですね。)一番乗りで、ダイニングへ行き、コーヒーと、湯沸し器のスイッチを入れます。しばらくすると、夜明けです。ここは、プラザ島です。アシカのコロニーがあります。アシカの天国です。親子して、呼び合っています。仲良く、寝そべるアシカもいれば、 赤ちゃんのアシカもいます。 一頭でいるアシカもいます。 陸イグアナが食べる、サボテンです。結構、多くあるので、陸イグアナも沢山いるのでしょう。いました! 海を見つめています。さて、問題です。この写真の、どこに陸イグアナがいるでしょうか?はい、ここでした。サボテンの木の根元にいますね?イグアナも、鳥も、共存しています。アシカが、ポーズをとってくれました。いつも、見学ルートを外れて、写真を撮り、ガイドに怒られているドイツ人、このアシカに、近づきすぎて、吼えられ、ガイドに、又、怒られていました。フィンチ類もいます。陸イグアナが、食料を食べようと、近づいてきました。ガラパゴス、3日目、続く。
2009.11.17
コメント(4)

二つアップしました。1日の写真の枚数の限りがあるようで、三つ続けては、アップ出来ませんでした。結構、制限が厳しいですね。=============================== 2009年11月14日(土) 52日目(エクアドル3日目)シェイムール島から船に戻り、朝食です。そして、9時から、すぐにシュノーケリングに出発します。僕も、マスクにフィンを借りて、ボートに乗って、ビーチへ行きましたが、砂浜のビーチであり、海水も透明でないし、寒いので、海へ入らないで、船に戻りました。そして、移動です。チャイニーズ・ハットと言う島へ行きます。移動中に、昼食となりました。スープです。海老とチャーハン。海老のタレの味がすごくうまくて、チャーハンと混ぜ合わせて食べました。これが、チャイナ・ハット島です。ソンブレロ・チナと船の人は言ってました。サンティアゴ島の南にある、小さな島で、まだ出来てから、700万年と言う若い島です。ウエットランディングとか、言って砂浜に上陸しました。そしたら、もう、アシカ君が、引き続き、上陸して来ました。火山岩ばかりですが、ここだけ、草がはえております。水の色もきれいですね。さて、問題です。ここに、あしかクンは、何頭いるでしょうか?当たった人には、賞金、100万円を差し上げましょう!残念ですが、数え切れませんでした。従いまして、賞金は、持越しとなします。(そんなに持ってねぇだろ!)海イグアナが、寝そべっています。海イグアナと、アシカ君です。仲良く、日光浴しています。海イグアナの大群がいました。マリンイグアナと言いますが、ガイドの奴、洒落を言って笑わせようと、マリワナとか言っておりましたど。誰も笑いません。激しい波が、打ちつける海岸です。キレイなので、皆さん写真撮ってました。赤っぽい、キレイなカニも沢山います。威厳のある、海イグアナですねー!足元にもたくさんいるので、うっかりしていると、踏んでしまいそうです。アシカ君親子です。後ろから、ちょろちょろ着いてくる、赤ちゃんアシカは、可愛いものです。ここでは、赤ちゃんアシカが、おっぱいを飲んでいます。シュノーケリングもしました。透明度は、そんなによくはないですが、まぁまぁって所でしょうか?ガイドが、何か叫んでいるので、何事か? と思ったら、ペンギンがいました。ペンギンさん、じっと海を見つめています。
2009.11.17
コメント(8)

2009年11月14日(土) 52日目(エクアドル3日目)クルーズ2日目の朝を迎えました。船から見る、夜明けです。誰も起きて来ず、運転手が暗い中、一人だけ起きて運転しています。僕は、5時に起きて、生姜紅茶を飲む為に、早起きしたのです。船で眠れるか? と問われれば、Yesと答えます。船酔いとは縁がありません。アルコールだとすぐに酔いますが、船には酔いません。美しい女性にも酔いますが、何度かえらい目に会っているので、もう酔いません。と思っても、ついつい、酔ってしまうのは、前世がイケメン、モテモテだったのでしょうか?それとも、その反対だったからでしょうか?朝、6時、カランカランと、鈴が鳴らされます。朝食前の、島の散策です。皆さん、準備していたのか、すぐに、それぞれのキャビンか出て来ました。昨日、膝を怪我したおばあさん、アメリカのミネソタから来てるようです。今朝も元気で出て来ました。船は近寄れないので、ボートで渡ります。シェイムール島と言って、飛行機が着く島の、北側にある小さな島です。上陸すると、すぐにアシカ君の昼寝を発見。そして、こんな所を歩いていきます。あ、そうそう、アメリカのおばあちゃん、歩き始めて、岩場ばかりなので、ガイドが、もう無理だから諦めなさいと説得し、おばあちゃんは、待っている事になりました。でないと、他の14人が迷惑します。ガイドの言動に賛成します。陸イグアナがいました。想像したほど大きくないですね。もっと大きいものと勝手に思い込んでいました。オスで13キロ位になるそうです。グンカン鳥がいました。オスが、下あごを膨らませ、赤くなっていますね。同じく、グンカン鳥が、卵を抱いています。ドイツ人のおっさんが、近づいて写真を撮ろうとして、ガイドに怒られてました。そうです。ここは、人間の通れる所は限られていて、厳しく制限されています。タバコも吸ったらいけません。食べ物を持っていってもいけません。ここら辺りは、鳥の天国です。鳥達で埋め尽くされています。又、いました。グンカン鳥。やっぱり下あごを膨らませてますねー。このアゴの大きな赤が、メスを惹きつける条件だそうなので、懸命に膨らませているのでしょう。因みにアジアの星一番が、グンカン鳥なら、ちっちゃい赤でしょうな。何しろ、もてませんから。このグンカン鳥のオス、しかも、アゴを膨らませて、赤いのを見せているのが、ツアー客には、大人気です。1番人気ですね。このグンカン鳥は、観光客を喜ばせる術を持っているのか、ずっと道の側でアゴを膨らませてました。時々、こうして、翼も広げてくれます。2番人気は、やはり雛です。どんな動物でも、赤ちゃんは、可愛いく、人種に違わず、人気がありました。この鳥の下に、孵化した雛が顔を覗かせています。さて、この写真、イモトはどこに、あ、違いました。アシカ君はどこにいるでしょうか? 「あ、い、う、え、お」、のどれでしょうか?当たった人には、記念品を差し上げます。(機会があればの、話ですけどね)これが、それを拡大した写真です。答えは、「え」でした。もう、大地に溶け込んでいるので、どこにいるのか分かりません。しかし、どこにでもいますよ。 ここに、海イグアナが、のっそりと、歩いています。なりは小さいですが、威厳のある姿です。怪獣映画に出てくるようです。船に戻り、移動を開始したら、グンカン鳥が船について来ます。それも、10羽近くが、付いて来ます。しかも、すぐ上を飛んでいるので、仲々、面白いですよ。見ていて飽きません。ガラパゴス、2日目、続く。
2009.11.17
コメント(4)

3泊4日の、ガラパゴスの、クルーズツアーを満喫し、島の一つ、サン・クリストバル島にて、揺れる身体を休めています。船酔いは絶対しないと自信満々でしたが、やられましや。揺れ過ぎでした。3連発で、アップし、リアルタイムに追いつきたいと思います。==============================2009年11月13日(金) 51日目(エクアドル2日目)バルトラ島の飛行機を降り、バスに乗って、10分弱、船着場に着きました。ここで、船に乗り換え、サンタ・クルス島へ向かいます。船で、わずか数分で対岸へ着きました。そして、又、バスに乗り、サンタ・クルス島の町、プエルト・アユラに向かいます。緑が全くないなー、と感じていたら、少し緑が出て来ました。30分近く走ったら、全く景色は変わり、緑一色になりました。40分で、プエルト・アユラの町に着きましたが、そこを素通りして、船へ行くようです。ここが桟橋です。船の上で、昼食です。パスタでした。ちょっと休んで、又、サンタ・クルスの島へ上陸です。そしたら、アシカ君が、桟橋で昼寝してました。さすがに生態保存の島です。人間なんぞ、何者だ? ってな顔して寝てました。大きな陥没した所があると言うので、バスに乗って行きましたが、先ほど、空港から来た道を、30分も戻っています。これなら、来る時に見たほうが、よっぽど効率的です。この陥没を見てから、意味のない山の中を歩きました。ここで、トラブル発生です。僕の目の前を歩いていた、おばあちゃん、足元が怪しいなー? と思っていたら、案の定、フラフラっとして、倒れました。でも、怪我もなく、ちょっと手を貸してあげただけで立ち上がりました。尚、このツアー、全部で15人です。その後、白人のおばさんが、手助けしながら歩きましたが、下り坂の岩場で、又、転んでしまったのです。今度は、膝に怪我して、真っ赤な血がだらだらと流れてます。ツアーガイドを呼び戻して、ドイツ人のおじさんと二人で、担いで先を急ぎます。もう、ここのツアーは中止にして、町へ戻り、病院へ行くことになってしまいました、何の為に、船から上陸し、山まで来たのか意味ありません。でも、おばあちゃん、打ち所が悪かったら、大変な事になっていたはず。膝の怪我くらいで済んで、ほんとに、良かったです。何しろ、岩場でしたから、頭でも打っていたら、天国行きだった事さえ、考えられます。そんな事で、時間があまったので、町を散歩してたら、ペリカンが海老屋さんの店の裏で、餌をねだってました。どこにでもいます。ペリカン。人間が、捕まえたり、何にもしなければ、こんなに近くても、平気で留まっているんですね。船に戻って、夕食です。これだけなんですが、白人達、足りるのでしょうか?
2009.11.17
コメント(10)

2009年11月13日(金) 51日目(エクアドル2日目)本日より、3泊4日のクルージングです。ホテルまで、迎えが来ると思いきや、空港まで、自分で行けってことです。昨日、着陸した空港へ、逆戻りです。空港待合室です。長距離バス停に比べますと、雲泥の差がありますね。やはり、何十倍も支払うのだからでしょうか?飛び立ちました。グアヤキルの町も、上から見ると、かなり大きいです。朝9時10分出発で、飛行時間も1時間半ほどですが、食事が出ます。実は、儲けたなー! と思うことがありました。日ごろの行いが良いと、こう言う事もあるのだと、記憶して頂きたく、写真をアップします。どうですか?このゆったりした席と、嬉しそうな、アジアの星一番さんは?どう見ても、エコノミーに席に見えませんね?そうなんです。何故か知りませんが、ファーストクラスにしてくれたのです。嬉しいではないですか!僕の隣に座っている、少しデブのお兄さんですが。5泊6日のクルーズで、な、なんと、3200ドル、30万円もする豪華客船に乗るそうです。すごいですねー! さすが、ファーストクラスの客です。一方の、アジアの星一番は、3泊4日で、たったの380ドルです。この差は、きっと、すごい居心地の差に表れるのでしょう。まぁ、でも、良いのです。豪華さを楽しみに、クルーズツアーに参加したのではないのです。あくまで、ガラパゴスの動物達に会いに行くのですから。などと思っても、ちょぴっと、虚しい気持ちも湧いて来るので、外を見ました。空と、雲と、海です。海と空の境が曖昧です。雲がなかったら分かりません。1時間30分ほどで、見えて来ました。ガラパゴス諸島。着陸態勢に入りました。ガラパゴスの島は、茶色です。無事、着陸しました。1時間40分かかりました。もう、ここは、南アメリカ大陸から、1000キロも離れた太平洋上であります。着陸した島は、バルトラ島と言って、下の写真の「ここ」と記載ある所です。何故か、本島の、サンタ・クルス島に飛行場があるのではないのですね。これも、自然の生物、動物を守るためでしょうか?ガラパゴス、1日目、続く。
2009.11.17
コメント(7)

2009年11月12日(木) 50日目(エクアドル1日目)もうエクアドルの、グアヤキルに居ます。南米です。飛行機に乗って、パナマシティから、一っ飛びでやって来ました。飛行機と言うものは、何と、贅沢なことでしょうか?チェックインカウンター、なんぞと言う場所も、久しぶりなので、初級の旅人の如く、写真に納めました。ここはパナマシティの空港です。もうパナマを出国しました。色んな、空港独特の高級なお店が並んでますが、ここに用事はありません。これが、パナマの飛行機会社、Copa Airlines です。1時間半も飛びますと、コロンビアの上空は、ずっと前に飛び越えており、着陸準備に移ります。エクアドルの海岸線が見えております。丁度、2時間のフライトで、着陸しました。ガラパゴスへ、自分でエアーチケットを買って行くか、ツアーで一式買ってしまうのが良いのか、この時点でも、もうエクアドルに着いてしまったのに分かりません。取り合えず、ガラパゴス・エアーラインへフライトの時間と料金を聞きに行きました。そしたら、並んでいる人が多いので、実際は、Tameエアーラインにて聞いたのであります。この二つの航空会社がガラパゴスへ飛んでます。365ドルで、毎日1本か、曜日によっては、2本飛んでいました。直接買うなら、市内でも買えるので、ツアーも確認してから決めようと、ここで買うのは、止めました。結果的に、これが正解だったのです。市内へ移動です。タクシーの運ちゃんが沢山声をかけて来ますが、無視です。ローカルバスで行きました。たったの25セントで、7分程度で、市内に着きましたから、バスで正解です。正解ばっかりです。ホテルに、チェックインして、ツアー会社を探しに行かねばなりません。3軒、見ただけで、7ドルのホテルにしました。ホテル・ニウンカンチェと言います。部屋は、全く問題ありませんが、ネットが使えないのと、水シャワーなのが、不便です。ツアー会社を探しがてら、市内を歩きます。沢山あると聞きますが、探してみると見つからないですねー。 探し物はなんですか♪市の中心にある、センテナリオ公園です。旅行代理店を見つけました。3泊4日で、380ドル。もっと探せば、安いのもあるかも知れませんが、概ね、この程度の費用はかかると覚悟していたのと、1週間に1回の出発が明日なので、即刻、購入です。そして、エアーチケットも一緒に買いましたが、10ドル、直接買うより安く買えました。4日間船上で過ごすことになります。ネットも使えないので、ブログのアップも出来ません。豪華客船ではなく、とってもちっちゃな船です。まぁ、貧乏旅人ですから、ちっちゃくとも、海イグアナとか、陸イグアナとか、映像でなく、自分で見れれば、いいや、と思った次第です。ホテルへの帰りのついでに、カテドラルも見て来ました。夕食は、またもや、中華系の店です。チャーハンですね。これに、肉とか、野菜とか、具が少ししか入ってないスープを頼みます。ここでは、コンソメとメニューに記載されていました。明日のガラパゴス行きが、早いので、この夜は、早めに就寝。
2009.11.16
コメント(2)
突然ですが、これから、船の旅に出ます。暫くの間、ブログも更新できず、メールも受発信出来ません。船から降りて、ネットに繋げるようになったら、2日分づつアップして、リアルタイムに近づけるようにします。それでは、それまで、御機嫌よう!
2009.11.13
コメント(6)

2009年11月 11日(水) 49日目(パナマ5日目)昨日、パナマシティからエクアドルのキトへ行く、エアーチケット予約しました。旅行代理店を探しに、新市街を走り回りました。(実際は歩いてですよ。)しかし、どこも閉まってます。何~んでか? と言うと、なんと昨日は、独立記念日で、休日だったのです。そんな事、知りまへんがな、あたしは。困ったなー! これでは、1日無駄になってしまうぞ? と暫く思案の後、超一流、五つ星ホテルへ行って見る事にしました。いつもの手で、宿泊客の振りして、チケットを手に入れようとしたのであります。エル・パナマ。五つ星ホテルです。案の定、旅行代理店は、開いていました。愛想の良い黒人のお姉さんがいましたが。残念ながら、エアーチケットは扱ってません。で、ビジネスセンターへ行って見ると、中には職員も、お客らしき人もいるのに、鍵がかかっています。どうもカード式の鍵が必要なようです。ここで、すごすご、引き返してしまっては、何の為に、ここへ来たのか分かりません。で、リセプションへ行きました。「エアーチケットを買いたいのだが・・・」、と言いますと、 「ビジネスセンターへ行って下さい」、との答え。「あ、鍵が閉まってましたが・・・」、と言うと、 「お部屋の鍵で入れます」、との答え。「くぅー」、と心の中で、叫び声がしましたです。 「帰ろうか?」、と弱気の声も出そうな、気分でありました。が、しかし、それでも、へこたれません。ここまで来たのです。 「ああー、僕は、その、ここに泊まっているのではないのです。」若いフロント、「はぁ~?」、ってな顔して、こちらを見ます。ここが、日本でしたら、「あ、あの、ぼ、ぼくは、び、びんぼうな旅していて、こ、こまったときは、い、一流ほ、ホテルへ行けって、お、おかあさんにい、いわれました。おわり。」って言う所なんですが、なんせ、日本語が通じません。で、「ガイドブックに、こちらの旅行代理店が扱ってるって書いてあったのです。それで、遠くから、タクシーに乗って来たのですよ!」、と帰る気配など、全く見せずに、堂々と言いました。そしたら、フロントのおじさんの方が、にっこり笑って、「気にしないで下さい」と言って、若いフロントに、何やら説明しています。どうなる事やら、待つこと、数分。若いフロントが、キーを持って出て来ました。結果的に、このフロントが、ビジネスセンターの鍵を開けて、職員に指示をするでもなく、自分で、パソコンと睨み合い、最終的に、Copa航空へ電話して、予約してくれたのです。さすが、五つ星のホテルですねー! おおらかです。僕が偉くなり、金持ちになった折には、泊まりにきますから、と心の中で、言って、感謝の気持ちのみ伝えましたです。(まぁ、こんなホテルに泊まれるほどの金持ちになるには、もう100年ほど必要ですが)そんな訳で、無事、エアーチケットの手配は出来たのです。あ、そうそう、コロンビアへ行くのは、中止にしました。コロンビアへ行くかどうか、迷いに迷っていまして、ブログで世話になっている、rokoさんには、コロンビア人にメールまで送って貰って、色々と、調べて貰ったりで、申し訳ないのでありますが、結果的に行くのを止めました。理由は、日程的な面と、金銭的な面、さらに安全面があります。パナマからコロンビアは、陸路ではいけない事が分かっていて、止む無く飛行機です。コロンビアからエクアドルは、バスで行こうとしましたが、夜は危険との事です。ですが、昼間だけバスで行くと、日数がかかります。一方、飛行機で移動する方法もありますが、お金がかかります。そんな理由より、ほんとは、行きたいのですが、中止にしてしまったのです。そして、今日、チケットを受け取りに行きましたが、エクアドルのキトでなく、ラパゴスに近い、グアヤキルへ飛ぶことに変更しました。ネットで、調べたら、どうも、ガラパゴスへ飛ぶ飛行機が混んでいるようなのです。早めに、グアヤキルへ移動し、それを確認したいと思ったのであります。と言うことで、チケットを受領してから「リベラニア国立公園」へ行って来ました。動物園かと間違えるほど、動物を飼育しています。サルですね。なんと言う、動物でしょう? 名前を忘れました。(アホやなー。)これも、なんと言う、動物でしょう? 聞きましたが、覚えられませんでした。(ほんと、アホとちゃうか?)こう言う若い女性、と言うより、少女のような人が、それぞれ交代で、案内と説明をしてくれます。こんな竹林の中などを歩きながら、話を聞くと、皆さん、女子高校生と言うことです。一ヶ月間、ここで実習をするのだそうです。日本で言えば、高校3年生で、今年の12月に卒業だそうです。今は、この国立公園に、15名の実習生が来ていると言ってました。動物の世話や、どのような生態か、などを実習しながら、お客さんが来ると、ガイド、説明、をしていると言ってました。こう言う所を歩きながら、さらに聞いたものであります。公園の中、。建物があります。国鳥の施設です。これが、国鳥の、ハーピー・イーグル(Harpy Eagle)と言います。精悍な顔つきをしていますね。大きいのだと、1mを越すそうです。(実物も、広い檻の中にいましたが、遠くて見えませんので、これ代用です。)生態やら、生息分布やら、色んな説明資料があり、子育てビデオなども説明と共に、見せてくれました。館内を見ていると、見覚えのある写真がありましたぞ。SONYと書いてあります。え? SONY創業者の盛田昭夫さんではないですか?この施設を建てたのが、盛田さんのようです。すごいですねー!世界的な仕事をする人は、儲けるだけでなく、還元もして、高校生が実習出来るようにもしているのですねー! 大したものです。話は変わりますが、ここ、パナマでの、車の人気は、 1.トヨタ 2.日産 3.三菱 4.現代だそうです。「アメリカ車は?」、と聞くと、「誰も買わない」との答えです。やはり燃費が高いので、人気がないようです。現代の車は、故障が多いと苦情があるらしいですが、4位にいるって事は、安いのでしょうね。昼食に、中華系レストランで、ワンタンスープを頼んだら、これが来ました。ワンタンは二つ入ってましたが、日本なら、何と呼ぶでしょうか?ラーメンですよね?新市街を歩いていたら、中国銀行もありました。旧市街には、チャイナタウンもあります。ガイドさんは、ちっちゃなスーパーは、みんな中国人がやっている。300万人の市民の内、100万人は中国人じゃないか? などと、自嘲気味に話してました。その数値は、どう考えてもおかしいですが、彼女からすると、その位、中国人は多いのだと言いたかったんでしょう。因みに、パナマ運河の、積載貨物の国別順位は、下記の通りです。 1.アメリカ 2.中国 3.日本 4.チリ 5.韓国 6.エクアドル 7.ペルー中国は2位です。たぶん、数年前までは、日本が2位だったのではないでしょうか?中国、大躍進ですからねー!頑張って、下さいよ、ニッポン!(こればっかり言ってる気がする。)
2009.11.12
コメント(4)

2009年11月 10日(火) 48日目(パナマ4日目)あー、今日のも、長くなりそう。書くこと、沢山あるのですねー、毎日が旅だと。これは、ホテルの洗面台の水道です。何かが違うと思いませんか?日本や、僕が訪ねた国では、概ね、左が水で、右がお湯でした。ここは、左がお湯で、右が水です。まぁ、これは、すぐに慣れました。慣れないのが、右の水のバルブが、反対廻しなのです。普通、左へ廻すと水が出て、右へ廻すと水が止まります。これって、世界的に特殊な場合を除いて同じなはずなんです。でも、ここは、反対です。始め、水が出ない? 故障か? と思い、何度も試して、ようやく反対回しだと気が付きました。いつも、水を止めようとして、逆にどひゃー、っと出してしまい、洗面台周りを、びしゃびしゃにしてしまってます。困りますねー! これ。そして、本日の昼食。チキンチャーハンです。量が半端でありません。これも、食べかけの写真ですから、実際は、もっとあります。且つ、これは、小盛りです。普通盛りは、さらに5割り増し位あります。パナマ人、どんだけ食べるのでしょうか? これで、2.35ドルですから、今の円高だと、200円少々、安いです。僕は、半分食べて、残りは持ち帰り、夕食にしました。私の食生活、やはり野菜不足と言う、皆様のご指摘であり、早速野菜を買って来ました。レタスです。レタスだけだと色合いが不足なので、トマトも乗っけて見ました。これで、ビールを一杯飲んでおりましたが、これでも、不足じゃなー、とチーズとゆで卵を乗せて見ました。どうです? 豪華な食生活になったでしょう?お皿と、醤油まで買ったのです。 荷物が増えるなー。ですが、ここパナマは、水道の水が飲めるほど、上水道が完備されています。レタスも、水道で洗って大丈夫です。ですから、食べられますが、中米の他の国では、水道の水が、茶色っぽいとかも在りますので、洗ったら、尚、汚れるって事もあります。生野菜は、食べ難いです。さてさて、本題です。パナマと言えば、運河です。その運河へ行って来ました。これが、パナマ運河の、ミラフローレス水門です。この写真が、パナマ運河の全容です。右の太平洋から、左のカリブ海まで、およそ80キロあるそうです。右下の、運河の上側が、パナマシティです。水門は、全部で、3箇所あるそうで、ミラフローレス水門は、太平洋側にあります。船が入って来ました。水面の高さを記憶して下さい。突然の豪雨で見難いでしょうが、ゲートが閉められ、水が抜かれました。船の位置が下がっていますね。多くの白人観光客がいましたが、あいつら体格はでかいけど、脳はあまり廻らないらしく、傘を持っている人は、ほとんどいません。大雨で、みんな、建物の中へ、逃げ込みました。しかし、日本代表、アジアの星一番は、傘持ってますから、ゆうゆうと一人で、運河の船を見ておりました。白人の中にも、日本人に負けじと、建物から出て来て、全身びしょぬれで、見ていた輩も数人いました。アホやな奴らじゃなー。ゲートを通り抜けた船です。これで、もう一段、水面を下げて、先へ進みます。水面が下がりましたね? 移動中です。雨も小降りになって来ました。そして、次の船が入って来ます。すごい人ですよ。観光客です。おー! 潜水艦が入って来ました。ガイドの人が、潜水艦がここを通るのを見るのは初めてだと言ってました。大変珍しいことのようです。どこの国籍か分かりません。たぶん、アメリカでしょうね。雨もあがったので、パナマシティの南にある、小さな3つの島へ行きました。ここから見る、パナマシティ、中米の国々の都市と比べると、大都市であることが分かります。豪華なレジャー船の向こうに、ビル群が見えまますね?あれが、新市街です。この風景、。どっかで見た事あるなー? と記憶を辿って見ますと、セントーサ島から見る、シンガポールでした。似てますね。旧市街へも行きました。ここは大変危険なので行くべきでないと、ガイドブックに書いてありますが、ポリスも多く、危険は感じません。新市街とは、全く異なる建物です。サン・ホセ教会です。金で作られており、豪華です。エンペラ族と言いましたかな? その民族衣装と同じものを、彼らが売っています。ここが、ポリスの建物で、その向こうに見えるのが、大統領官邸です。その他、カテドラル、パナマ政庁舎、国立劇場、パナマ運河博物館、フランス広場、パナマ・ピエホ、などなど、沢山見てきましたが、字数が一杯になってしまいました。残念ですが、載せられません。
2009.11.11
コメント(5)

2009年11月 9日(月) 47日目(パナマ3日目)ボケテにいると、静かでゆったりしているので、ほんとにボケテしまいそう。まぁ、元々、ボケテいるので、あんまり変わりはしないのですが・・・。スペイン語、10までの数が、ようやく覚えられました。今、99までの数を覚えるべく、努力中。既に、1ヵ月半が経過しているのに、この有様。早く覚えないと、スペイン語圏を通り過ぎてしまいます。やっぱり、ボケテいるなー。と言うことで、ボケ過ぎないうちに、パナマシティへ移動します。ほんとに、ボケテんなー、と思うことがありました。ここは、ボケテから、1時間かけてバスで移動した、ダビの長距離バス停です。パナマシティへのバスチケットを購入しました。出発時間が、10時半になっています。時計を見ると、まだ8時40分です。ん? ありゃ? おかしくはないかい?1時間に1本以上は、バスが出るって情報です。何で2時間近く待たねばならないんじゃ?行列が出来ているチケット売り場へ戻り、怒られるのを覚悟の上で、もっと早いバスはないのか? と、性格に似合わず、しつっこく聞きました。何を言われたのか、さっぱい分かりまへんが、10時半しかないと言うのだけは分かりました。せっかく5時起きして、ボケテ7時発のバスに乗って来たのに、困ったものだ、と思っていたのであります。詳細は、字数の関係上、略しますが、諸々の後、この待合室にいたおっちゃんの時計と、僕の時計が、1時間ずれている事が判明しました。な、なんと、コスタリカとパナマに時差があったのです。8時40分と思っていたのが、実は、9時40分だったのです。なんと、ボケテいるのでしょうか! ボケテで、僕は、皆さんより、ずっと1時間遅れた時間で過ごしていたのです。午後1時半で、少し遅い昼食だ、と思っていたのに、12時半だったのです。午後7時で、もう店閉めんのかよ! と思ったのは、午後8時でした。なんとボケテいたことでしょうか! 恥ずかしいですな。そんな事で、それ程待たずに、バスに乗りましたが、もう一つ、ボケテいた話があります。まぁ、これは、ボケテたと言うか、言葉の問題です。(言っときますが、僕は、ボケテいませんです。と思っております。)チケットに、46と書いてありました。で、46番の席に座っておりました。ほとんど満席になり、もう出発か? と言う時刻になって、家族ずれが、ぞろぞろと入って来ました。僕の席の前と、通路を挟んで、横の席に座りましたが、どうも怪しい雰囲気です。僕の方をチラチラ見ながら、何か言ってます。その内に、乗務員の体格の良い、お姉さんがやって来て、チケットを見せろ! と言います。僕としては、何ら悪い事としてないし、堂々と見せたら、えらっそうに、こっちゃ来い、って言うような態度なんです、その体格の良いおねえちゃんが!はっきり言えば、デブなんです。縦に歩いても、横に歩いても、通路を通るのが難しい程のデブなんです。あんた、そんなデブで、何でバス乗務員してるの? 歩き難いじゃろが?って聞きたい位です。でも、反論するだけの言葉の能力が皆無なので、バッグを棚から降ろして、エッチラオッチラ、前の方へ移動します。すると、「あんたは、ここ!」 と指差します。23番でした、腹立つやっちゃなー、何でここや! と聞こうとしましたが、24番の席を見ますると、うふふ、へへへ、何とも、美しくも、若い、デブでない、妙齢のお嬢さんが座っているではないですか!はは、へいへい、分かりやした!と、23番の席に、座ったとです。ありがたや、ありがたや。(もし、ジジィとか、ババァだったら、どうしたんでしょうなー?)バスが、暫く走ってから、隣のお嬢さんに、手真似で、46番の席なのに、ここに移動させられた、ってチケットを見せたら、教えてくれました。46番ってのは、このバスの番号だと。23番ってのが、あなたの座席番号だと。良く見たら、下の方の、欄外のような場所に、23と書いてありました。お恥ずかしい話で、バスの出発を、本件で、数分遅らせてしまいました。これも、ボケテにいたからでしょうか?彼女は、英語が話せます。僕より、言葉の数が少ない程度なので、、ほんの初級を始めたばかりって感じですが、一応、コミュニケーションは可能です。12時頃、彼女は、持っていた弁当を食べ初めました。周りを見ても、誰も食べている気配はありません、どっか、途中止まって、食べるのか、それとも、止まらないのか、分かりません。昼食は、出来るだけ、栄養価の高いものを食べたいので、どっか止まって、食堂で食べたいと思ってましたが、午後1時半が限界でした。パンと、ジュースと、トマトを食べてしまいました。丁度、食べ終わった時に、車内放送がありました。お嬢さんに聞くと、ランチ休憩だと言うではありませんか!「あなたと私は、もう食べたから、この30分は、関係ない」とか、説明してくれました。あっはん、ですなー。見てください。こんなに沢山の種類の、料理があるのです。おまけに、現物を見て頼めるのです。皆さん、ゆったりと、おいしそうに食べてますわ!そんなことで、又、バスは走り出しました。そうしたら、大雨になりました。スコールのような、豪雨と言うべきでしょうか?それでも、僕は居眠りしていました。目が覚めて、周りを見回して見ますと、隣のお嬢さん、何故か、フードを被っています。寝難いのかなーと思っておりました。暫くして、フードを取り外し、外を見ていましたが、突然、頭に手を持って行き、仕切りと撫でています。上も見ています。良く見ると、雨漏りがしているのです。先ほどの豪雨の影響です。僕は、バッグから渋谷駅で貰った、アコムのテッシュを取り出し、すばやく、棚の下に溜まった、水滴を拭き取りましたです。喜んでくれましたなー! その、お嬢さん。その後、水滴も大きくならず、従って、水滴が、お嬢さんの頭に落ちて来ることもなくバスは走り、そして、突然、海らしき、景色が見えて来ました。7時間の移動。パナマシティに着きました。隣のお嬢さん、どこまで行くのか? と聞いて来ます。取り合えず、新市街の安宿辺りを言いますと、「バスで行くのは危ない」と言います。「タクシーで行きなさい」と。「たった、2ドルだから」、とも言います。「あれ? 俺の財布、」、、見られたかな? と一瞬思いました。それで、タクシー乗り場まで、連れて行ってくれて、タクシーの運ちゃんに行き先を説明し、料金もキチンと交渉し、たったの2ドルで、安全に移動することが出来ました。アコムのテッシュが効き目あったなー、と、アコムに感謝しました。それからが、また、大変でした。「歩き方」に「書いてあった、16.5ドルのホテルが、な、なんと49ドルだと言うのです。その周辺歩き廻りましたが、エアコンなし、ネットなしでも、最低15ドル。諦めて、33ドルもする、ホテルに決めてしまいました。雑感中米各国は、WiHiと言われる、無線ランが普及しており、ちょっとしたホテルですと、どこでも、無料、若しくは、少ない金額で、使用可能です。まぁ、それが、旅行者にとって良いのか、悪いのか、分かりません。部屋にこもって、ネットしていたら、何の為に旅をしているのか? と言うことになります。それだけ、ネットは色んな事が出来るので、飽きないですね。友達なんていなくたって、一人で退屈しませんし、お金儲けだって可能です。非常に便利で、有難いことですが、パソコンや、ネットって、若しかしたら、人間の生活スタイルや、考え方まで、変えてしまうかも知れません。(既に、変わって来てしまっているでしょうか?)と思うと、ちと、怖い気もします。
2009.11.11
コメント(8)

2009年11月 8日(日) 46日目(パナマ2日目)貧乏旅人の毎日の食事なのですが、こんなようなのを食べてます。栄養が不足でしょうか? 偏ってますでしょうか?朝起きて、生姜紅茶を一杯。朝食は、インスタントコーヒーパン(その時によって、各種色々。要するにパンのみ。)トマト1ケ(トマトは、この辺りでは、最も入手し易い)ゆで卵1ケ昼食は、その町の、食堂とかで食べます。昼食が、一番、栄養を取るべき時なので、肉類も食べるようにしています。ですが、鶏肉が多いですね、結果的に。夕食は、外の食堂で食べる時もありますが、ネットが繋がるホテルの部屋ならば、缶ビール1本と、安物のウィスキーのお湯割で、つまみは、ピーナッツと、トマトと、ゆで卵でネットしながら、飲みます。その後は、カップヌードルか、パンを少々食べて、完了です。間食は、ほとんどしません。移動とかで食べようと、お菓子なん買っても、持ち運んでいるだけのようになってしまいます。どうでしょうか? 栄養失調にならないでしょうか?こんな食生活でも、腹が出て来ているようなのです。おかしいですねー?さて、ボケテは山に囲まれております。下記のような散歩コースがあります。 1周5キロコース 1周20キロコース 1周29キロコースそれに加え、温泉コースと言うのもありますが、一人だと30ドル位必要です。ホンジュラスで温泉は入ったことであるし、これは考慮外としました。で、20キロも歩くのは、ちと苦しいだろうと、5キロコースを選択しました。町は数分ですり抜けます。すぐにこんな景色となります。看板がありました。このコースを廻ります。ホテルが、1040mの高度で、ここの高い所で、1300mですから、大したことありません。散歩コースです。カフェ・ルイスがありました。町から歩いて、20分です。ここは、大きなコーヒー園で、農園ツアーもやっているそうです。農園見て、製造工場見て3時間で、30ドルも取るっていうのだから驚きです。横目で見て、通り過ぎました。ボケテの町の上流に、3本の川があり、町へ入る前に合流します。その3本の内の、1本です。この辺りを過ぎると、見渡す限り、コーヒー農園ばかりです。野うさぎも、農園脇で、餌を漁っています。のどかです。こんな別荘のような洒落た家もあれば、こんな、長屋のような家もあります。又、川がありました。さらに、もう1本あるはずです。川の水は、キレイですね。源流に近いからでしょう。上の方の木の下で、子供が手を振っています。コーヒー農園の上です。写真では、見えませんねー。坂道も全部、コーヒー農園です。因みにボケテは、パナマのコーヒー生産の70%を占めるそうです。コーヒー農園が多いはずです。コーヒー豆が、沢山成っています。コーヒーの木って、花が咲くのですね。ほとんどの木には、実が成っており、花は見られませんでしたが、たまたま、道路わきの1本の木に咲いていました。地元の子供二人が歩いて登ってきました。兄弟かな?将来が有望そうな、精悍な顔つきをしています。全コース、休みなしで、2時間35分。16,641歩で歩きました。散歩には、丁度良いコースです。ホテルに帰って、ハンモックに揺られながら、本を読んでいたら、宿の主人が、バナナを、持って来て、石の上に置きました。そしたら、小鳥達がやって来て、バナナを、啄ばんでおります。のどかな日で、ゆらゆらと、ハンモックに揺られながら、小鳥達を見ていると、自然に、とろとろと、眠くなって来るから不思議です。
2009.11.09
コメント(12)

本日は、2度目の更新です。何せ、70ドルのツアーに参加したもので、盛り沢山の見学先があり、1回では、書き切れませんでした。それで、1日、遅れてっしまったのであります。パナマへ入国しています。============================== 2009年11月 7日(土) 45日目(パナマ1日目)夜行バスにて、コスタリカから、パナマへ入国しました。もう、すっかり、お馴染みの、出国風景です。ここは、コスタリカのイミグレーション。前日の23時に、サン・ホセを出発し、ここへは、朝の5時15分に着きました。しかし、ここで、45分も立ったまま、待たされました。検査官が居なかったのです。6時から出国検査開始なら、バスをゆっくり走らせて、6時ぴったり位に着くようにバスを走らせるなど、工夫が必要ですよね? 眠いのに起こされて、待たされているのに、誰も怒りません。パナマ入国は、もっとひどかったです。入国手続は、規定の5ドルの他、袖の下を1ドル取られたものの、意外とすんなり、手続完了しましたが、荷物検査に、どえらく時間がかかりました。検査自体に時間がかかったのでなく、検査官が来ないのです。そんなこんなで、出国と、入国で、3時間もかかりましたよ!薄明るくなった、5時15分から、太陽がまぶしい、8時15分までです。疲れます。おまけに、この夜行バス、満席だったです。今までの、長距離高級バスは、半分も席が埋まれば、多い方でした。それが、夜行の今回に限り、ほぼ満席です。さらに、おまけに、隣がデブのおじさんです。さらに、さらに、おまけに、前は、座席を目一杯倒して、人の迷惑を考えない、これ又、デブのおばさんです。そう、足は長くない、アジアの星一番ですが、寝にくかったです。パナマへ入国して、45分で、ダビの町を通過します。ここで、僕は降りました。mixiで、ボケテの町は、静かでとっても良いと言う情報を得ていました。このダビの近くです。で、交通費は、かなり損をしますが、そのボケテへ行く事にして降りたのです。因みに、夜行バスで、そのままパナマ・シティへ行けば、37ドルで行けます。途中のダビで降りても、金額は同じです。よって、ダビから乗るバス、たぶん15ドルから20ドルは、余分な出費になるでしょう。ダビからローカルバスで、ほほ1時間。ボケテの町に到着しました。夜行バスで来たので、アジアの星一番も、ボケテいます。え? 言うと思った? ですと? そうそう、どこで言おうかと思っていたのです。ボケたのが、ボケテへ来たら、ダブルボケです。覚えやすい地名です。ここが、町の中心の広場です。宿探しの為に、歩きました。広場の通りから1ブロック歩いた、次の通りです。広場の通りと、上の写真の通りを、さらに歩き抜けると、もう田舎です。町を、たったの、3分30秒で、通り抜けてしまいました。こりゃー、今までで、一番、ちっちゃな町です。宿探しで、町を一周してしまいました。 ネットなしの、一番安い宿で、15ドル。 ネットありの、普通の安宿で、負けて貰って、27ドル。 ネットありで、ちと高級な宿で、55ドル。見るべき所も、なんにもないし、まだ、11時だし、このまま、ダビの町へ戻ろうかと、又、広場へ戻って来ました。そしたら、広場の反対に、もう一軒、ホテルがあったので、チェックしました。宿の主人が、愛想も良いし、部屋も清潔そうで、シャワー室も広く、使い安そうだし、ネットがないのは残念ですが、泊まることにしました。1泊15ドル。オスタル・パラシオスです。確かに、この町は、山の間に挟まれ、静かな町です。標高も、1000mあるので、涼しく、過ごしやすいです。もう1泊するかどうかは、今晩、決めようと思っています。追記ここパナマは、アメリカドルが、そのまま使えます。紙幣は、全くのアメリカドルが、この国の紙幣です。ただ、硬貨は、PANAMAと記載されたものがあります。両替する必要がないので、便利で良いですが、アメリカドルだと、他の国と比べて、余分に使ってしまいそうです。例えば、コスタリカは、600コロンが、100円です。でも、ここパナマは、100円と言えば、0.95ドルです。1以下と言えば、安そうに感じますよね?おまけに、硬貨が、いくらなのか、分かりにくく、卵2ヶ買って、86円も支払ってしまいました。これ、絶対に、損してます。卵2ヶが、86円もするはずありません。自分で、コインを出して支払ったので、文句言えた事ではないのですが、店のジジイ、多すぎるとか、何にも言わないのです。嫌なジジイです。
2009.11.08
コメント(2)

2009年11月 6日(金) 44日目(コスタリカ4日目)全く、何もしない1日でした。今夜、23時発の夜行バスで、パナマへ向かいます。丸1日あるので、どっかへ行こうかなー? とも思いましたが、本日も今後の旅程の検討を行っただけであります。昼飯は、食べに行きました。ホテルの目の前にある、中央市場の食堂です。鶏肉と、ご飯を頼みました。イメージとしては、ケンタッキーフライドチキンが二切れと、ご飯と、キャベツの切ったのが出て来ると思ったとです。しかし、こんなのが、出て来ました。チャーハンじゃ、ないの? これー?と文句言おうとしましたが、このご飯の中に、大きい切り身の柔らかい笹身が、沢山入ってました。ケンタッキーより、こっちの方が良かったです。(かなり食べてから、写真撮りました。もっともっと量が多いのですよ。)鍋のようなのが、あったのでスープか? と聞くとそうだと答えます。もうスープのこと、ソパって言うくらい覚えました。汁物、大好きですから、嬉しいです。行って、注文して、食べ物が来て、食べて、支払って、帰るまで、30分もかかりません。あとは、何をしてたかと言うと、ずっとネットしてました。日本の株、下がってますねー!円高は、そのまんまだし・・・。デイトレーダーとしては、このまんまでは困るのです。しっかり舵取りして下さいよ! 民主党! と言いたいです。
2009.11.07
コメント(2)

2009年11月 5日(木) 43日目(コスタリカ3日目)さて、70ドルの高額ツアー、「ランケステル植物園」にやって来ました。カルタゴの町から、たった6キロの位置にあります。この草、「インディアンの葉」と言われている由。ガイドが言ってました。表が緑、裏側が赤っぽいです。これを頭の後ろにつけると、インディアンだと言うのですね。ほんとかどうかは知りません。ガイドの話です。お? 何やら、中国的な? いや日本的な? ものが見えて来ましたぞ?漢字で書いてあります。えっと? 何て読むのでしょうか?うっうんとー・・・、あ! 分かりました!始めの5文字は、コスタリカでしょう! コスタリカ草堂ですね。おー、日本庭園です!ここの庭を作っていたのですねー、昨日、コーヒーをご馳走してくれた庭師の方。水の色が汚いのは、残念ですが、日本的な雰囲気は出ています。さらに歩くと、まだ日本家屋のようなものも竹林の向こうにあります。この庭園は、欄が有名で種類も多くあります。今は季節でないのか、あまり咲いていませんでしたが、それでも、ありましたので、紹介します。 ランケステル植物園を見終わったら、もう午後1時半です。ツアーには、昼食もついています。野菜が出て来ました。本日のツアー参加者は、下記です。 ドイツから来た、中年のカップル メキシコから来た、若いカップル ベネズエラから来た、父と子(?) 日本から来た、貧乏人、アジアの星一番この頃は、まだ打ち解けず、黙って食事してました。で、電子辞書を取り出して、ドイツ語で、どこから来ましたか? とか、これから、どちらへ行きますか? などと聞いたら、段々、話が盛り上がって来ました。メインデッシュです。ガイドが魚がお勧めと言うので、素直な僕は、魚にしました。旅に出て、初めての魚です。白身魚の、フライですかね?さっぱりして、食べやすいです。話し出してみると、ドイツ人が、話し好きで、又、酒好きなのですねー!テキーラの飲み方で、盛り上がりました。まず、テキーラを、クッと飲んで、塩をチョコッと舐めて、レモンをかじる。これが飲み方だそうです。ラム酒はどうだ? と聞けば、誰も知りません。そんな訳、ねぇーだろがー? ラム酒は、中米原産だぜ? 散々説明した所、発音が悪かったのです。ロムって発音するらしいです。ROMって書くようです。食後のコーヒーです。勿論コスタリカコーヒー。目の前で、淹れてくれます。味は、どうも僕の舌の感覚がおかしいのか、やはり、国立劇場の大理石のテーブルで飲んだコーヒーと同じ味で、僕には、おー! おいしい!って言うような感じではなかったです。勿論、不味いのではないですよ。インスタントコーヒーに馴れ過ぎていて、本物のコーヒーの味が分からなくなってしまっているようです。ツアーで一緒の皆さんです。もう完全に打ち解けました。皆さん、英語が母国語でないので、話しやすいし、分かりやすいですね。これに、気取ったイギリス人とか、フランス人が入ると、雰囲気は変わってしまいます。次は、オロシ渓谷を見て、サン・ホセへ帰ります。この吊橋を渡って、オロシの町へ行きます。オロシの町で、古い教会を見て、峠を越えます。景色は良いのですが、雨の影響か、水の色が土色です。番外編オロシの町は、とっても小さで、渓谷の中にある、静かな町です。教会へ行く途中、子供たちに会いました。カメラを向けると、こちらへ寄って来ます。中米では、子供たちもあまり、カメラに向かって、ポーズとったりしません。珍しく子供の写真を撮りました。
2009.11.06
コメント(8)

2009年11月 5日(木) 43日目(コスタリカ3日目)昨日、お会いして、コーヒーをご馳走になった、京都の庭師の方が、手がけたと言うランケステル植物園へ行く為に、現地ツアーに参加しました。70ドルです。思い切りましたねー。安宿だったら、10泊分以上です。貧乏していても、使うときは、使うんですぞ。 エヘン、オホン!旅行代理店で、8時出発、午後4時頃帰ってくると聞いたので、5時起きして、いつも通り、生姜紅茶飲んで、ゆったりと部屋で待ってました。そしたら、7時20分に、部屋をノックする人がいました。宿のおばさんです。もう、バスが迎えに来ていると言うのです。パジャマのまま受付へ出て行くと、ツアー会社の人が待っています。「何で、こんなに早いんじゃ! 8時だろうが!」、と怒りまくります。途中経過は省きますが、貰ったチケットには、7時20分と書いてありました。説明を聞いたので、チケットまでは確認してません。こっちが悪い事になりました。大慌てで、準備し、着替えて出かけました。バスでは、既に4名の人が待っています。別に怒ってません。良かった!さらに2名を乗せて、超高価なツアー出発となりました。サン・ホセの町、高いビルもあれば、路面電車も走ってます。中米の都市では、ここは、大都市ですね。途中の朝食休憩を挟んで、1時間も走った頃、急坂の、山登りとなりました。景色は最高です。サン・ホセの町が、中米のスイスと言われているらしいですが、このイスラ火山からの景色は、差し詰め、ユングフラウヨッホへの道とでも言うべきでしょうか?下の方に見えるのは、カルタゴの町です。ここをスイスと例えれば、レマン湖にあたる湖がないのは残念です。着きました。山頂です! サン・ホセを出発して、2時間です。ううう! ブルブル! 寒い! 寒いです! 標高3431mもあります。皆さん、準備が良いです。そう言う私、アジアの星一番も、ちゃんと、ブルゾンを持参しております。このイラス火山ですが、1963年に最後の噴火し、その後は沈静化しているそうです。だから、ここまで来れる訳ですが。カルデラです。水は、ほとんど溜まっていません。なんだよー! こんなのかよー!深い緑色の、カルデラ湖があるって言う話なんだけどなー?と、急ぎ足で、前方へ進みますと? ありました!これです! これが、超有名な(たぶん)、カルデラ湖です。水面が、ちょろっと見えますが、何とも言えない、色合いです。急いで歩いたからか、妙に激しい息切れがします。はぁー、はぁー、はぁー!高地だからです。それを忘れてました。1100mから、一気に3400mまで上がって来たので、身体が順応していません。く、くるしい! オーバーな言い方ではないです。ほんとです。く、くるしい! ゆっくり、ゆっくり歩きます。何しろ、貧乏人で、ケチなもんですから、苦しくたって、せっかく、70ドル支払って、来たのだからと、全部見ないと気が済みません。一番、端まで来ました。15分ほど掛かりました。ずっと、はぁー、はぁー、はぁー、の連続です。高度と言うのは、これほどまでに、身体に影響するのでしょうか?こんだけ寒くて、高山病を引き起こすような厳しい環境でも、生き物はりっぱです。けな気に生きています。見てください。赤い花です。頑張れよ! と、声を掛けたくなります。一方、こいつ、誰ですか? こんな所で、昼寝している奴は?寒さと、酸素不足により、はぁー、はぁー、息も絶え絶えに、何とか、ちっちゃな売店まで戻って来たら、いたのです。鎖もなんにも、付いていませんから、野生なのでしょうねー?人間にも慣れているようです。平気で寝てました。息が苦しいし、寒いので、早く出発してくれー、とガイドに頼みます。頭の重さも、坂を下るにつれて、軽くなって来ます。これって、完全に高山病になりますね。マチュピチュとか、ボリビアの首都ラパスや、ウユニ塩湖などへ行くには、この体調では、困ります。高度に慣れながら行かねばなりませんなー。などと思いつつ、耳抜きしながら、カルタゴの町へ降りました。ここでも、まだ高度は、1500mあります。ロス・アンヘレス大聖堂に着きました。ここの裏側に、足や、手や、その他、諸々、身体の一部をかたどったものが、飾られています。これは病気の回復祈願や感謝の為に、信者が奉納したものだそうです。大聖堂の中です。追記コスタリカの命名の由来です。むかし、むかし、あるところに、リカ姫と言う名の、美しく利発な娘がいました。年頃になるに連れ、美しさは益々輝き、この世の人とも思えぬほどです。近隣各国の王子様は、是非とも、リカ姫を、嫁に貰いたいと、願い出ます。悩んだリカ姫一族は、ある日、全員を一同に集めて、プロポーズを聞く事にしました。リカ姫と、お付のものは、その1ヶ月も前から、高原の湖の辺で、身を清め、心を沈め、その日を待っていました。いよいよ、その前日、慣れ親しんだ、湖ともお別れです。最後の散歩をしていると、今まで見たこともない真っ赤な木の実がありました。リカ姫は、一つ取って、味を見ました。おいしい!とてもおいしく、いくつでも食べられます。湖で手を洗おうとして、湖を覗き込み、リカ姫はビックリしました。口の周りが真っ赤です。手で擦って色を落としますが、仲々、落ちません。あまり強く擦ると、肌が荒れます。明日は重要な日、リカ姫は慎重に、擦り続けようやく色も落ちました。翌日、リカ姫は山のような貢物を持った各国の王子様達と会い、心のこもった、プロポーズの言葉を聞き入ります。そして、誠実そうな男性を選びました。その王子様は、その辺りでは、一番大きな国から来た人でした。その何年か後の、二人の会話です。「あの日の前日、口の周りが赤くなって、それを落とすのに大変だったの」「どのように、落としたのか?」「手で擦って落としました。」「手で擦ってのー?」「はい、手で擦りました。」「擦った、リカ姫か? 慌てたであろう?」「はい、ゆっくり、そっと擦りました。」「擦ったリカ姫 → 擦ったリカ → コスッタリカ」そうだ、この国の名を、「コスタリカ」に変更しよう!と言う由来だそうな。以上、作り話でした。相当、暇ですな。ですが、このコスタリカ。日本人が発音すると、コスタリカと、スとタが、上がります。地元の人たちは、コスッタ・リカ、とこのように聞こえます。擦ったリカです。COSTA RICAと書くのですが、擦ったリカ、に聞こえるのですねー。それで、想像力を働かせました。暇に任せて・・・。因みに、コスタは海岸、リカは、おいしいとか、金持ちとかの意味があり、金持ちの海岸、と言うような意味らしいです。
2009.11.06
コメント(4)

2009年11月 4日(水) 42日目(コスタリカ2日目)エアコンをかけなくても(部屋に付いてませんが)、暑くもなく、寒くもなく、丁度良い、気温です。気持ち良いなー、と感じるのですが、ここのホテル、市内の中央市場の隣にありまして、車の音がうるさいです。それと、部屋の照明が暗いです。歩きましたよー! 本日は。サン・ホセの市内を歩きまくりました。危険だとか、安全に注意だとか、この町も言われますが、お構いなしに歩きました。市内のど真ん中に、国立劇場があると聞けば、そこへ行き、北東に、動物園があると聞けば、そこにも行き、東に中華料理食べ放題があると聞けば、そこへも急ぎ足で行き、西の端に、TICAバスのチケット売り場があると聞けば、そこへも行き買って来ました。最も危ないと言われる、中央市場も、隅から隅まで歩いて見ました。でも、特に危険と感じる場所は、なかったですね。ヤバイですか?1万8千歩ほど、歩きました。写真も撮りまくりましたので、代表的な物のみ、紹介します。まずは、市内の真ん中にある、「国立劇場」です。パリのオペラ座を模倣して作られたって事です。これが、中央入り口です。そして、ジャ、ジャ、ジャァ~ン! 国立劇場の中であります。威厳がありますねー! グッと来ます2階席、3階席です。2階へ上がる階段も、全て大理石です。2階の特別席(?)から見る、1階の客席と、ステージです。1年を通じて、ダンスや、ミュージカル、バレエなどが演じられているようです。外を見れば、都会です。 トイレも大理石で出来てます。 庭には、ベートーベンの像もあります。 入り口の左手は、カフェです。テーブルも、やはり大理石で出来てました。ここで、優雅にコーヒーでも飲もうかと思ったのですが、高そうなので止めました。で、外に出て、次はどこへ行こうかと、「歩き方」を見ておりましたら、「何か、お探しですか?」って、日本語で問いかけられました。ここ、サン・ホセに住む、日本人の方です。しばらく、立ち話で、この町のことを教えて貰っていましたが、お茶でも飲みましょうって事になりまして、先ほどの、大理石のお店に行きました。僕は、やはり、コスタリカですから、コーヒーを頼みました。コーヒーは、ニカラグアの、ホテル・アメリカの朝食で飲んだ方がおいしいと思いました。おかしいなー? 舌がどうかしているか?声をかけて下さった方は、JICAで派遣されて、既に1年半、滞在されていると言う、庭師の方でした。この方、すごいんですよ! 金閣寺とか、平等院とか、あの辺りの庭師をやっていたと言うのです。お名前も聞きましたが、もし、何か、差しさわりがあるといけませんので、書きませんが、ボランティアであると、仕切りに言ってました。カルタゴから近い、ランケステル植物園も、手がけていると聞きました。それで、明日は、そちら方面のツアーに参加し、その植物園も見て来ようと思っております。見ず知らずの、この貧乏旅人であるのに、コーヒー、ご馳走してくれました。お忙しそうで、ティをささっと飲んで、支払いを済ませて、じゃー、と、立ち去って行きました。ありがとうございました。このお礼は、う~ん、心でしか出来ませんね。たぶん、もう二度と会う事もないでしょうから。よっぽどの縁がない限り。町の外れに動物園もあると言うので行って見ました。あんまり珍しい、動物はいませんが、動物を見るのは、楽しいし飽きません。サルたちです。 鳥も沢山、いました。 それから、太ったお母さんと、小さな子供たちが沢山いました。太ったお母さん達を見るのも(横目でですが)、楽しいです。「おー! 本日、最高のデブさん!」 とか、独り言を言いながら・・・。子供さんで、大デブは、ほとんど見かけないのですがねー・・・。遅い昼食です。中華のブッフェがあるし、安いとと言うので行きました。「安い」、と言う言葉に弱いです。いつでも、その言葉に釣られて行動します。これで、7種類くらい、入っています。ブッフェですから、好きなのを、。好きなだけ、持って来れます。このポット入り、チャイニーズティも、食べ放題に付いているのです。有難いですねー! 半分、飲んだら、腹がぽちゃぽちゃ、音がします。野菜と果物を食べようと、取りに行ったのですが、麺もおいしそうだったので、持ってきてしましました。これは余分です、食べすぎです。これだけ、食べて、飲んで、2300コロン(380円)です。驚きますねー!昨日の、ビッグマックより、ずっと安いです。明日は、ツアーに入るので、明後日も来よう! 朝食抜かして来るかなー?満足な1日でした。
2009.11.05
コメント(8)

2009年11月 3日(火) 41日目(コスタリカ1日目)涼しいです。ここは、コスタリカ。首都のサン・ホセです。標高1100mあります。ここで、訪ねた国は、56カ国目となりました。涼しいですが、ヒートテックを使用するには、ほど遠いです。出番はまだです。ニカラグアの、グラナダから、国境を越えて来ました。変わり映えしませんが、一応、日記ですので、途中の写真を掲載します。ニカラグアから、コスタリカに近い所に、風力発電が設置されていました。ニカラグアの出国。ここでも、TICAバスの係員が、4ドルを取って、手続をしてくれました。これ、ほんとに、必要な出国税なのでしょうか? 入国の時は、10ドルです。どちらも領収書はありません。 おっかしいなー? 損してんのかなー?コスタリカへ入国です。ここでは、自分で、入国手続します。待たされました。荷物検査も含めて、1時間45分もかかりました。ですが、お金を要求されたり、「歩き方」に書いてあったような、帰りのバスチケットを見せろ、とか、そう言う理不尽な事はなく、その点は問題なかったです。コスタリカ側も、中米各国同様、変わり映えしません。山です。サン・ホセへ着く、2時間前頃から、登り坂になりました。やはり、サン・ホセは、標高1100mある都市なのが、分かります。朝7時、グラナダ出発。夕方、15時45分、サン・ホセ到着。9時間弱のバスの旅でした。このバス、ずっーーーと、ラジオをかけっ放しでした。メキシコのどこやらで乗ったバスのように、各自の席の上にスピーカーがありますが、その音量を調整したり、消したりすることが出来ません。嫌でも、聞いていなければならないのです。これって、サービスでも何でもない、嫌がらせみたいなのです。メキシコのバスは、スピーカーの近くに、スイッチがあって、聞きたくなければ、オフにすれば良いのでした。きめ細かい心遣いに感激したものでした。ここでは、I-Podも聞けません。話は、変わります。バックパックです。バスでの、取り扱いが乱暴なのか、もう寿命なのか、愛用のバックパックに、又、又、又、穴があきました。 破れました。緊急補修をしましたが、他にも弱そうな部分があったので、2箇所もついでに、補修しました。何とか、旅の完了まで、もたせねばなりませぬ。針と糸と、隠し金を縫い付けて置いた、布地が役に立っています。そして、自分自身の、手先の器用さに、感心しております。裁縫屋さんになれば良かったかなー?食事(夕食)に出かけました。食堂も、どこにあるのか、分からないので、MACにしました。僕は和食党なので、日本に居たら、まず、こう言うのは食べません。ヨーロッパへ行った時は、何を食べて良いか分からず、食べた事はあります。ビッグマックです。これで、2900コロン(約500円)です。高いですねー! コークが多すぎます。こんなに飲めません。こんなに飲むから、こちらの人は、相撲取りみたいに、腹が出るのです。ビッグマックですが、皆さんは、どのように食べているのでしょうか?僕は、あんまり食べた事がないので、しっかり両手で掴んで、大きな口を開けて、こぼさないよう、そして、上と下と真ん中がずれないよう、ガブッと食べました。でも、それでも、上のパンと、下の肉と、その又下のパンと、さらにその下の肉とまだまだその下のパンが、ずれてしまいます。これが、ずれると、「くっそー!」、と思ってしまい、今度こそ、ずれないように! と食べますが、やっぱりずれます。それも大幅に。「くっそ、くっそー!」、と思います。そうなってしまったら、やけになって、ぐしゃぐしゃのまま食べるのですが、どうも、優雅に食べてないなー、トホホ、と思うのです。ビッグマックを、優雅に食べる人がいたら、僕はその人を尊敬するでしょう。サン・ホセの町は、大きいです。ホコ天もありました。暗くなると急に人通りが少なくなり、お店も閉め出しました。明日、ゆっくり、市内を散策する予定にして、本日は、早々にホテルへ引き上げたのであります追記ホテルですが、中央市場の隣にある安宿にしました。宿の人は、スペイン語しか話せません。丁度、ドイツ人の奥様がいたので、通訳して貰いましたが、その人の話では、始め高く言ってくるが、5000コロンまで負けるから、そこまで行かないなら、妥協しないようにって親切に教えてくれました。で、最終的に、5000コロン(約830円)になったのであります。又々、ドイツ人に感謝です。ところが、その先の話があります。部屋を見たら、シャワー、トイレ共同の、シングルベッドが一つ置いてあるだけの全くシンプルな部屋です、高級バックパッカーには、似合いません。で、お湯シャワー付き、トイレ付き、洗面台付きの部屋にしました。始めは、14000コロン(2300円)だと言ってましたが、8000コロン(1300円)になったので、それで手を打ったのです。しかし、しかし、その後、ドイツ人の奥様とあって話を聞いたら、僕よりいい部屋に泊まっているのです。部屋も見せて貰いました。ベッド二つで旦那さんといました。勿論、お湯シャワーも、全て付いています。それで5000コロンです。やられました。宿のおばさんの勝ちです。決めてしまったものを、ひっくり返すほど、僕も、非常識ではありませんので、仕方ありません。きっちり、8000コロン支払います。知らなきゃー、良かったなー・・・。
2009.11.05
コメント(4)

2009年11月 2日(月) 40日目(ニカラグア4日)ホテル・アメリカ。 中庭付です。いい雰囲気でしょう?僕の部屋は、左手前にあります。ホテル・アメリカ。 朝食付です。コンチネンタルだとか言ってました。コーヒーと、食パンだけです。ちょこっと見える、ゆで卵は、僕が持参しました。いい雰囲気の中庭を見ながら、一人で食べます。そうそう、コーヒーはおいしいです。さすが本場。僕のインスタントコーヒーとはかなり違います。ブラックで飲みました。コンチネンタルって、食パン三角にして4枚ですから、実質2枚、あの大食いの白人たち、絶対に足らないと思うけどなー?僕は、持参のゆで卵と、リンゴ1個を、さらに食べて、丁度良かったです。本日は、チャリを3ドルで借りて、グラナダの町を散策しました。これが、ホテルの前の通りです。朝は、このようにすっきりしています。が、夜は、多くの人で賑わいます。ニカラグア湖の船着場です。ここから、コスタリカに近い所まで行きます。15時間くらい、かかるらしいですが、それに乗りたかったのです。ですが、月曜と木曜しか運行していないとの事で、乗れませんでした。(手前にあるのは、遊覧ボートです。これで遠くへは行けません。)南東へ、ほんのちょっと、チャリで飛ばすと、こんな看板です。観光公園と言うことなので、5コルドバ(25円弱)を支払って入りました。きれいな、まっすぐな道路が続いてました。湖水浴を、楽しんでいる人たちもいます。あんまりキレイな水でないので、僕は、誘われても遠慮したでしょう。(誰も誘ってくれませんが。)牛さんたちが、湖畔でのんびりと草を食んでいます。借りたチャリと、牛と、ニカラグア湖畔です。木の枝越しに見た、ニカラグア湖です。(特に意味ありません。)西の方へ、チャリを飛ばしました。広場で、野球をやっています。ここニカラグアは、野球がポピュラーなようです。空き地でやってました。ピッチャー構えて投げようとしています。バッター構えて・・・、打ちました、大きい! 大きい! これは、大きい!レフト、オーバーのホームランです!かなり長い間、見てましたが、「一緒にやらんか?」、とは誰も言ってくれません。僕もですねー、地元のソフトボールチームの、サードで、1番を打っていたのです。打たせてくれれば、ホームラン打ったなー!何しろ、サードの頭を越せば、ホームランって広場なんです。夜は、晩酌をしています。あのエルサルバドルで、金くれ!って言われた、ミルトン君が、これがこの国で、一番、飲まれているんだ! と薦めてくれた、この酒です。これには、cane spirt と書かれています。そうです、ラム酒ですね。サトウキビを原料とする、当地原産の酒です。これは、30度ですが、それでも強いので、お湯で割って飲んでます。このラム酒には、面白い話があります。ご存知でしょうねー? 皆さんは。ラム酒の発祥はバルバドス島とか、プエルトリコ島とか、説もあるらしいですが、いずれにしてもカリブ海原産は、間違いないようです。サトウキビが原料ですが、サトウキビ栽培地域の拡大に伴いラム酒も広まって南北アメリカやアフリカでも作られるようになったそうです。で、日本人の皆さんに質問があります。「グロッキー」とはなんでしょう? か?広辞苑によれば、 1.ボクシングで強いパンチを受けてふらふらになること。 2.へとへとに疲れること。となっております。この「グロッキー」、ラム酒に関係するのですねー!僕は、知りませんでしたねー! 今、知りました。18世紀になるとラム酒は、イギリス海軍の支給品となったそうです。ですが、ラムは強い酒だったため、エドワード・バーノンという提督が水割りラムを支給することにしたのだそうです。部下たちはこの薄いラムのことを、グログラムという生地でできたコートを着ていた提督のあだ名からグロッグと呼ぶようになったそうです。現在でも水割りラムはグロッグと呼ばれ、泥酔することはグロッギーと言うそうです。この「グロッギー」と言う言葉が、なまって、日本では、「グロッキー」と使われているのだそうです。ほぉー! 勉強になりましたなー!エドワード・バーノンという提督が水割りラムを支給することにした。 → そいつは、グログラムと言う生地で出来たコート着ていた。 → で、兵隊達は、水割りラムをグロッグと言った。 → 今でも、ラムの水割りはグロッグと呼ばれているそうな。 → 水割りラムを飲みすぎて、泥酔することをグロッギーと言った。 →日本では、それが訛って、「グロッキー」となったのだそうな。
2009.11.03
コメント(8)

2009年11月 1日(日) 39日目(ニカラグア3日)雨です。朝から雨です。今まで、旅の旅程に影響する雨は、全くなかったですが、本日は影響するのでしょうか? 近くの町、マサヤへでも行って、国立公園にも指定されている、標高934mの、マサヤ火山にも行って見ようと思っておりました。もう10時になりましたが、雨は、止みそうで止みません。止みました。11時を少し廻っています。でも、出かける事にしました。旅の途中です。出来るだけ見たいです。民芸品の町と言われるマサヤと、マサヤ火山国立公園の火口展望台へ行くのであります。後で、分かった事ですが、地図上の並びは、下記の通りです。グラナダ → マサヤの町 → マサヤ火山入口 →首都マナグアですから、首都マナグア行きのバスに乗って、途中で降りれば良いのです。本数は、これが多いのですから。地元の人々に聞きながら、町を歩きバス停を探します。マナグア行きのバス停で、「途中で降りればいいのだから、これに乗れ!」 とか言われましたが、「嘘つけ! この!」、とか思って、マサヤ行きのバス停を探しました。ようやく見つけて、乗りました。50分で、マサヤのバス停に着きました。12時半です。このバス停のすぐ脇に市場があります。ここに有名な民芸品も沢山売っていると言うことです。ですが、腹減ったので、取り合えず、昼食です。これが、この辺りの、一般庶民の定番昼食ですね。チキン、マメ、野菜、ライス、それに、ここでは、焼きバナナが付いてました。これで、35コルドバ(170円)です。トイレに行きたくなって、食堂で聞いて行ったら、なんと有料です。小は2コルドバ(10円)もします。「なんだよー、金取るのかよー!」と思いながら、マサヤ火山へ行く為に、バス停へ向かいます。この時、民芸品を見るのを、すっかり忘れていました。二つの目的の内の、一つを忘れてしまうのですから、10円とは、大きなお金ですなー。又々、オンボロのローカルバスに乗り、火山へ向かいます。車掌さんは、大声で何か怒鳴っています。インドと同じですね。リズムがある怒鳴り声なんで、気持ち良いです。バスに乗るときに、マサヤ・ボルカノ? ときっちり聞きました。従って、もう火山展望台へ行くものとばかり思っていました。しかし、こんな所で降ろされました。「あぁー? ここ、単なる、道路じゃん? どこに火山はあるの?」しばし、呆然としました。道路の脇を、見回すと、入り口らしき建物が見えます。ここが、マサヤ火山の入り口でした。トコトコ歩いて、中へ入って行こうとしたら、呼び止められました。「え? 何?」って気楽に聞いたら、80コルドバ払え、って言います。さらに聞くと、ここから、火山展望台まで、5キロあるそうです。「えぇーーー、5キロ? それも登り? じゃー、1時間半とか、2時間かかるじゃん!」って言うと、「そうそう、歩くのが嫌なら、もう100コルドバ払えば、車で乗せて行ってあげるよ。」「そう簡単に金よこせって言うなよこっちは貧乏旅人じゃ」、と頭の中で、計算しますと、 入場料、80コルドバ(400円) 車が、100コルドバ(500円)「な、なにー! ふざけな! そんなに払えん、高い!」 って言いました。係員、「高いだろ?」、と言いながら、ニヤニヤしています。忌々しい奴ですねー。どうしようっかなー? 歩いて行くには、時間も時間だし、明るいうちに、グラナダに帰れるか分からんなー? しかし、180コルドバ払うのも、癪だなー、と頭を抱え込んでおりました。そんな時、車から降りて、一人の白人がやって来ました。何やら、ペラペラと、スペイン語らしき、言葉で係員としゃべっています。そして、404コルドバを支払っています。どうも、頂上まで車で行くらしいです。すかさず聞きました。「あのさー、頂上まで行くの?」、と。支払いなどしている間、全然、返事をしてくれません。「なんじゃ、こいつ、白人だと思って、バカにしてるな、ふん!」と思っておりやした。ですが、支払いが終わったら、「頂上で、10分位しかいないけど、それで良いなら、乗せていくよ。」って言うのです。どうも係員が、乗せて行ってあげなよ、と言ってくれたような気配です。「おー、おー、オーケー、オーケー! そんでいい、そんでいい!」もし、景色も良くて、もっと居たいなら、下りの5キロくらい歩けばいいと、思いました。頂上に着きました。この車に乗せてくれた方、ドイツ人でした。お母さんと一緒に、ニカラグアの観光に来たようです。聞かれたので、中南米18カ国を廻っていると言ったら、お母さん、「グレイト!」とか言ってました。 どう言う意味?この登り坂を見て、「30分ここにいて、帰ります。」って、彼は方針を変えました。望むところです。そう言う方針変更、歓迎です。見えました。噴火口です!硫黄の臭いがしますねー。それもきついです。温泉タマゴ、食いたくなります。その周囲にも、以前、火口であったようなところもあります。反対側を見ると、雄大な景色です。写真では、湖が見えませんが、地平線上に、大きな湖が見えるのです。これは、ニカラグア湖であろうと思っておりましたが、ホテルに帰って聞くと、それは、マサヤ湖だと言います。地図にも載ってないほど、小さいマサヤ湖。でも、大きく見えます。因みに、ここニカラグアには、大きな湖が二つあります。マナグア湖。面積1049Km2ニカラグア湖。面積8000Km2でかいですねー! 8000Km2と言えば、100Km×80Kmですよ。東京から、箱根まで、ぜ~んぶ、湖みたいな大きさです。地図で見ますと、ホンジュラスとコスタリカに挟まれた、ニカラグアの、三分の二ほどは、湖でした。と言う事でありまして、100コルドバ支払う事なく、マサヤ火山見学は完了いたしました。ドイツ人に感謝。さすが第2次世界大戦の同盟国。もし、あんたらが、もっと頑張っていたら、今の世界は、全く違う地図になっていたんだぜ! 感謝しながらも、そう言ってやりたかったです。ま、歴史に、もし、はありませんけどね。
2009.11.03
コメント(10)

2009年10月31日(土) 38日目(ニカラグア2日)レオンの町は、1851年まで、200年以上この国の首都でした。しかし、もう一方の町、グラナダとの対抗心が大きく、抗争、対立を続けたのだそうです。それで、その真ん中に位置する、現在のマナグアを首都にしたと言う経緯があるそうです。レオンは革新的な町。本日行く、グラナダは、伝統を重んじる保守的な町。と言われます。昨日は、カテドラルを見ただけなので、世界遺産と言うレオンの町を散策して見ました。どこが世界遺産なのかと。ぐるぐる、市内を廻って見ましたが、どこが世界遺産に相当するのか分かりません。外観では、ないのでしょうかねー? この町が世界遺産なら、日本でも、相当数の町が、世界遺産になるのではないでしょうか? 昨日、外観のみを見たカテドラル、ここはさすがに、内部も見ごたえはありました。教会も多いです。雰囲気のある教会です。18世紀に建てられたと言う、レコレクシオン教会です。大きなスーパーもありました。品揃えも豊富です。ここで、例の如く、果物類を、大量に買ってしまいました。買物を済ませてしまいましたが、市場へも行きました。中米のどこの国とも同じように、活気があります。これだけ多いと、売れ残ったのは、どうするのかなー? と人ごとながら、いつも心配になります。買物して、オスタル・クリニカへ帰りました。トマトを洗っていたら、あの強引な引きとめをした、おばはんが来て、何を思ったか、そのトマトをくれ! と言います。冗談でなく本気です。アホとちゃうか?やっすいトマトを、何でくれ! と言うのでしょうか? しかも客にですよ!無視しました。そして、チェックアウトの時の精算、10コルドバ高いのです。(注:ニカラグアの通過は、コルドバです。1コルドバが略5円です。)宿泊料:150コルドバ、ペットボトルを頼んだので、17コルドバ、合計、167コルドバのはずなのに、177コルドバ、支払えと言います。「何でや?」、と聞けば、「あんたは、朝、ポットで、お湯を沸かしたろ? あれが、10コルドバじゃ!」と、言いおります。実は、部屋のコンセント差込口が、天井からぶら下がり、高い位置にあります。で、電気ポットのコードを差し込むと、テーブルまで届かないのです。それで、止む無く、ポットを持ってキッチンへ行き、お湯を沸かしたのです。なんで、これが、10コルドバなんでしょうか?当然ながら、断固抗議しました。(日本語で。)無茶苦茶、言ってやりました。まぁ、おばはんも、何を言われているかは、ジェスチャーも含めた日本語で言いましたから、分かったことでしょう。結構な時間を無駄に使いましたが、最終的に、「部屋へ来い! コンセントがどこにあるか見せてやる!」、と言ったら、しぶしぶ、3コルバドのお釣りをよこしました。ったく、こんなホテルは、今まで聞いた事も、見たこともありません。絶対に泊まっては、いけないホテルです。オスタル・クリニカです。記憶して下さい。むかっ腹立てたら、空まで曇って、雨まで降って来ました。昼間、雨が降るのは、旅立ち以来、珍しいです。で、タクシーでバス乗り場まで行き、ミニバスで首都マナグアまで向かいます。このミニバス、満席になり次第出発します。空き席はありません。マナグアで、どうやってバスを乗り継ごうと心配していましたが、着いた所からグラナダ行きがありました。スムースな乗継です。小さい国ですから、3時間かからずに、レオンからグラナダまで移動しました。グラナダについて、驚きました! カテドラルが美しいのです。おとぎの国のような色合いです、好みもあるでしょうが、レオンのカテドラルとは、全く異なります。このカテドラルからのみ見れば、逆にレオンの方が保守的って感じがします。こちらの方が明るいですね。その周辺も、垢抜けている感じがします。レストランも、洒落たお店が多く、英語の話せる人が多いので助かります。ここでは、チキンスープを頼みました。チキン、ポテト、キャロット、などが沢山入っています。中米の味ではないです。パンとご飯も付けて貰って、45コルドバ(220円くらい)です。十分、昼食になる量もありました。ホテルは、レオンで懲りたので、本日は、じっくり5軒ほど見ました。安くて、清潔で、エアコンがあり、ネットが出来るのが条件です。エアコンなしのファン付きで、25US$が相場です。エアコン付きですと、ほとんどが、35US$以上で、30ドル程度で手を打つか?と、観念しました。が、見つけました。ネゴもしましたが、23US$でありました。ここは快適です。ネットもフリー、朝食も付いてます。「ホテル アメリカ」、と言います。落ち着いた静かな町並みだと思っていたら、夕方から、騒がしくなりました。フロントに聞くと、本日は、ハロウインなのだと言うことです。そう言えば、本日は、10月31日でしたね。町中、人が沢山出て、生バンドも演奏していました。 追記レオンもグラナダも、同名の都市がスペインにあります。レオンは、スペインの北西部。カスティリア・レオン州、レオン県の県都。グラナダは、スペイン南部、アンダルシア州東部の県都。ざくろの木を、スペイン語で、グラナダと言うそうです。道理で、聞いたような名前だと思いました。スペイン人が、当地に乗り込み、勝手に故郷の地名を付けたのですね。
2009.11.01
コメント(8)

2009年10月30日(金) 37日目(ニカラグア1日)昨日は、サン・ペドロ・スーラの町を散歩したも、同然でした。道に、さ迷いながらでしたから、散歩の気分からは、程遠かったですが、町を見れたのは、確かです。高層ビルはなく、ごみごみした、田舎の町と言う感じでした。飛び込みで泊まったホテル・エコノミーは、エアコンもあったので、快適な睡眠を得られました。但し、4時起きです。昨日に引き続き移動だからです。中米の国際バス、TICAバスに初めて乗ります。早朝の5時出発。ホンジュラスの中央を、北西から南東へ大移動です。首都、テグシガルパで、乗客がさらに乗って来ました。政情不安なので、この首都は通るだけにしましたが、拘束され、国外へ追放された、元大統領と、クーデターで政権を得た、現政権が和解したようです。それも、昨日、29日に。もしそうなら、デモや両派の衝突は、暫くはないでしょうから首都に1泊しても良かったかも知れません。ま、和解は良い事です。平和な国家を創って下さいよ、と願いつつ、バスは走ります。途中、頭が重いなー、調子、悪いのかなー? などと感じました。貧乏旅の途中では、健康でなくてはなりませぬ。病気が一番、怖いです。昨日は、温泉に入り休養もしているし、体調万全のはずなのに・・・?そしたら、問題は高度差でした。テグシガルパは、高度1000mの高所にあり、ニカラグア国境近くは、平地です。で、耳抜きをしたら、頭の重さは完璧に取れました。良かった、良かった!8時間20分で、ホンジュラスの出国場所へ着きました。ここがそうですが、パスポートのチェックも、検査も何にもありません。ホンジュラスとニカラグアの国境も、川でした。ここを渡ると、ニカラグアです。ニカラグアの入国事務所。TICAバスの社員が、全員のパスポートを事前にバスの中で集めて、イミグレへ行きました。入国料が10ドルだと言うので、ほんとかなー?と思いながらも渡しました。乗客は、イミグレの反対側で、食事したり、タバコ吸ったり、おしゃべりしたりしながら待ってます。ここは暑いです。非常に暑いです。うんざりしながら、45分も待たされました。10ドルの領収書もなく、パスポートのスタンプもなく、あの10ドルは、正しく、ニカラグア政府へ渡ったのか、はたまた、誰やらのポケットに入ったのか、分からず仕舞いでした。このTICAバスは、ニカラグアの首都、マナグアまで行きます。「歩き方」に、こう書いてあります。「マナグア市内では、日本人が被害者となる強盗事件が日常的に発生している。マナグアには、宿泊せず、その日のうちに、比較的治安の良い、グラナダ、レオンへ向かうのも安全対策だ。」と言うことなので、途中の、レオンで降りました。このレオンの町は、町自体が、世界遺産なので、寄って見たい町でもありました。TICAバスから降ろされても、やはり、そこがどこか分かりません。タクシーが待っていて、仕切りに誘いますが、そう言うタクシーに乗りません。ぼられるだけです。暫く歩いて、地元の人に聞くと、町の中心まで、かなり距離がありそう。反対側から来た、タクシーが誘うので、それに乗りました。車だとすぐですが、歩いたら、相当、時間がかかったでしょう。と言うことで、バックパッカーにあるまじき、タクシー乗車ですが、お許し願いたい。町のど真ん中、中央公園でおります。中米最大の規模と言う、カテドラルを、まずは見たいのです。仲々、雰囲気はあります。青空にマッチしていますねー。しかし、中米最大の規模なのかなー? と思います。もっと大きいカテドラルどこかの町で何度も見た気がします。周囲を歩くと、どうも中央公園ではなさそうです。またもや、タクシーの運ちゃんに、別の場所で降ろされてしまいました。言葉が通じないと、間違いが生じるものですなー。又々、バックパック背負ったまま、歩き廻って、見つけました。これは、さすがにでかいです。変に塗装してないのが、好ましく、重厚さを増しているような気がします。宿は、750円の安宿にしました。ここで、アップ出来るような代物でないので、止めておきます。別のホテル探そうとしたんですが、宿のおばさんの、強引な引止めにあって、疲れてもいたし、決めてしまいました。「歩き方」にも載っている、オスタル・クリニカです。これが、とんでもないホテルでした。食事に行きました。ニカラグアのビールです。ニカラグアと書いてありますね。このビールは、あんまりうまくなかったです。昨夜の、超おいしいスープに味を占め、今夜も海鮮スープを頼みました。しかし、中をかき混ぜて見て、昨日とは全く違うことに気が付きました。なんと、ラーメンじゃー、ありませんか!昨日のスープを想定していたので、その面ではガッカリです。しかし、ラーメンは食べたいですから、その面では、嬉しいです。複雑です。まぁまぁ、おいしく食べられました。さて、宿です。絶対、蚊が攻めてくるぞ! と言う部屋でした。窓には、金網もありません。それを言うと、おばさんは、扇風機かければ、蚊なんぞ吹っ飛んでいく、とか、いい加減なことを、ジェスチャーで言います。実際は、案の定、夜中にやって来ました。念の為、蚊取線香を焚いていました。が、それが、きれた、夜中の3時。3箇所も刺され、眠れません。
2009.11.01
コメント(8)
全37件 (37件中 1-37件目)
1
![]()

