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2010年 1月 30日(土) 129日目(パラグアイ5日目)本日は、終日、日本語教室を、見学です。昨日は、半年ほど、勉強済みのクラスでしたが、午前は、ほんとの初級、まだ、3回の授業を受けたばかりの、クラスです。男性10名、女性5名の、15名の生徒が勉強しています。ですが、半年後に、この内、何名が残って、勉強しているでしょうか?こんなハゲ頭のおっさんも、勉強しています。年齢もバラバラです。一番の年少者は、11歳。年長者は47歳でした。20歳以下が、10名ですから、やはりこのクラスも若い人が多いです。本日は、この地で、日本語の教師、3年の経験のある、N.H先生も一緒に、授業に参加してくれました。この学校を紹介してくれたのも、この女性です。写真を載せて良いか、確認を取りませんでしたので、顔アップの写真は、お見せ出来ませんが、上の教室の写真の中に、居ます。生徒は、まだ、ひらがなも、完全に覚えていないので、先生は、ローマ字で書いて、発音とか、文章を教えています。僕らが、授業参観に参加したので、生徒が全員、自己紹介してくれました。習いなじめて、わずか、4回目ですが、皆さん、名前、年齢、初めまして、よろしく、お願いします、などなど、きちんと自己紹介したのには、驚きました。昼食は、パラグアイ人の先生と、N.H先生と、3人で近くのレストトランで食事です。写真を撮るのを忘れましたが、色んな種類の料理を自分でお皿に取り、重量で値段が決めると言う、方式です。肉も、野菜も、値段は同じ重量でした。3人で、飲み物を含めて、70000グアラニーですから、1500円弱です。現地の人の収入からすれば、かなり高いと思います。味は、仲々、よろしいです。中南米では、あんまり、おいしいって味の料理に出会うのは、数少ないですが、ここは、その数少ない料理に入れて良いかと思います。さて、午後の教室。「みんなのにほんご2」を教材にしていますので、既に日常会話は出来るクラスですね。やはり、ここも、わざわざ、時間を取って、自己紹介をしてくれました。カルロス君です。 何歳だったかなー? 聞き漏らしました。ルケ国出身と言ってまして、そんな国あったか? と頭の中の地図を探しました。どうも、ルケと言う地があるらしく、そこに住む人たちは、独立心旺盛で、我らは、ルケ国の国民だ、と自称しているらしいです。ウラシェラさんです。33歳で、既に13歳の子供がいると言ってっました。そして、はるかさんです。19歳学生。日系のハーフで、日本語は、ほとんど不自由なく話すように思えました。他の生徒の日本語能力からは、図抜けています。同じクラスで、良いのかなー? と、思うほどです。夢は、日本の大学院へ行く事だと言ってました。夕方から、N.H先生が個人レッスンする授業があると言うので、それも見学させて貰うことで、待っておりました。生徒は、アルゼンチンからバスに5時間も乗って、授業を受けにやって来ます。すごいやる気ですよねー!どんな人がやって来るのかと、楽しみにしていましたが、定刻になっても現れません。結局、30分以上待ちましたが、来ませんでした。良くあるらしいです。来たり、来なかったり。この人に限らず、どのクラスでも、遅刻は、まず毎回だそうです。時間の概念が、日本人とは違うようで、注意したり、怒っても無駄だとN.T先生も、パラグアイ人の、エクトル・メンドーサ先生も言ってました。夜は、何度も、何度も、メールで連絡をさせて貰って、授業見学を実現して頂きました、N.H先生と、日本食を食べに行きました。「スキヤキ」と言うお店です。先日、カツ丼を食べたお店ですね。店名になっている位ですので、まずは、「スキヤキ」を注文しました。若干、薄味ですが、さすがにおいしいです。おでんも、頼みました。 あ、その前に、冷奴と、酢の物も注文しましたが、写真撮ってません。冷奴は、木綿豆腐だったのが残念でした。まぁ、でも、ちゃんとした、豆腐です。おいしく、頂きましたよ。好きな、茶碗蒸しです。これは、ちょっと、味が濃すぎましたが、充分な、おいしさです。N.H先生、遠慮しているのか、ほとんど注文しないのです。貧乏旅人、ケチで超有名な、アジアの星一番ですが、使う時は使います。お世話になった方には、キチンとお礼を、伝えておきたいのです。何でも、食べて下さい! って、何度、言っても、小食なんです。って、言うばかりなんですよ。ようやく、頼んでくれました、魚のフライです。N.H先生に、色んな、話を聞きましたが、日本で聞いていた通り、日本語教師の報酬は安いです。1時間、講義して、17500グアラニーと言いますから、350円位です。仮に、1日1コマ、土曜に3コマ、教えるとすると、月に32コマです。これでも、たった1万1千円にしかなりません。これでは、とても現地の生活すら出来ないので、別の場所で、個人授業をしたりして、3万円程度は、稼がないとやっていけないと言うのですねー。厳しいです。僕が、デイトレで稼ぐ、金額の半分を稼ぐのに、物凄い労力を要します。今回、授業見学して、思ったことは、 教えると言うことは、難しい。 日本語教師の給料は、聞いていた以上に、薄給である。この2点ですね。 どうするかなー? 今後?生涯の仕事として、海外での日本語教師を行うのは、相当の覚悟が必要ですね。別に稼ぐ方法を持っていて、日本語を教える! と言う情熱を持ち、現地で生活する事に、喜びを得られないと、長期に渡り、この仕事を行うのは、無理そうです。因みに、N.H先生は、貯金も底をつくので、数ヵ月後には、一旦、日本へ帰り、資金を稼いで、その1年後位に、又、こちら、南米へ帰って来たいと言ってました。心が痛みます。
2010.01.31
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2010年 1月 29日(金) 128日目(パラグアイ4日目)部屋移動です。18US$の部屋だったのですが、15US$の部屋へ移動しました。何が、違うかと言いますと、テレビなし、冷蔵庫なし、だけです。そんな所ですので、貧乏旅人には、全く問題ないのです。ですが、高級に慣れてしまうと、貧乏旅人には、もったいないほどの部屋であっても、不満を感じるのですねー。不思議です。 全くもって不思議です。この心の動き。15ドルの部屋でも、完璧和食朝食、食べ放題は、食べることが出来ます。タクアン、梅干、キムチ、野菜のお浸し、その他、諸々。ふぅー! ほぉー! うまそうやなー! 食べる前に、お皿を眺めます。小さい魚のフライに、玉子焼きに、肉じゃが、その他です。ゆっくり食べながら、菊川怜主演の、松本清張のミステリーを2時間も見てしまいまいした。(暇だねー! 朝から、テレビ見ちゃって!)さて、中南米の旅の、目的の一つ、日本語教室の見学です。昨年、420時間日本語教師養成講座へ通いました。理論編は無事、卒業し、4月からの実習を残すのみの状況にあります。で、実際に海外で、どのように日本語を、教えているか、是非とも、見学したいと、希望していたものです。パラグアイ日本都道府県人会連合会の事務局の方が、とても親切で、メールを送ったら、見学をアレンジしてくれました。ここが、Centro Paraguayo Japones です。りっぱな建物です。ここの受付の人達、スペイン語か、グアラニー語しか、通じないようで、全く会話が通じません。誰か少しは、日本語話せる人がいても、良いと思うのですが・・・。勝手に、館内を見て廻りました。色んな器具のある、ジムもあります。それに、体操選手でも、育成しているのか、吊り輪や、平行棒、マットなど、本格的な、器具と広さを持った、体育館もありました。何の部屋か、分かりませんが、日本的な和室らしき部屋もありました。鍵がかかっていて、内部は見られません。さて、日本語クラスが始まる時間です。本日の授業は、16時から18時までで、勉強を始めて6ヶ月と言うクラスです。みんなの日本語1の、10課と、14課を勉強しております。ここの、生徒は、14歳、16歳、19歳、20歳、21歳と若い人ばっかりですねー。1回2時間、週に3回、これで、6ヶ月勉強した割りに、結構、日本語を話します。19歳の女性の学生が、とっても面白い娘で、教室の場を盛り上げていました。帽子かぶって、メガネかけた人が、その人です。先生は、後列真ん中の人で、パラグアイ人です。楽しい雰囲気で、日本語を、勉強してました。
2010.01.31
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2010年 1月 28日(木) 127日目(パラグアイ3日目)今朝も、幸せな朝食です。小さいですが焼き魚2切れ、タマゴ焼き、タクアン、白菜の漬物、梅干、ハム、キムチ、などを、自分で皿にとって来ました。この他に、生玉子、ジャガイモや人参や鶏肉の煮物を食べました。食事し終わって、お茶を飲んでいたら、僕の前のテーブルで食べていたオカマ風の日本人に声をかけられました。ち、ちがいます! (何が? 何が違うんや? 訳分からん?)ごつい顔つきなんですが、何となく、オカマ風なんですね。「官公庁は、何時から働いているのでしょう?」って質問だったのです。知りませんよ。僕は、官公庁に用事なんてありませんもの。しかし、心とは別に、愛想を振りまく、アジアの星一番の答えです。「午後早く帰って来るようですから、早く始まるのではないでしょうか?」聞いていると、ブラジルのビザを取りに行くらしいです。アメリカに居て、パラグアイに来たらしいので、エアーチケットも持っているし、ここでのビザ取得は問題ないでしょう。しかし、このオカマ男さん、良くしゃべりますぞ。こっちの事など、オカマいなしです。(なんじゃ? 洒落か?)インドネシアへは、良く行くようで、 インドネシアは、景気が良い。 中国系が、5%もいるから、中国景気なのだ。 (僕の記憶では、600万人で、3%なのですが・・・) ここのホテルは高い。バリでは15ドルで泊まれる。 インドネシア人より、パラグアイ人の方が、愛想が良い。などなど。インドネシアとの比較オンパレードです。昨日、パラグアイに着いたらしいですが、もうパラグアイ人は愛想が良いと、決め付けています。(確かに、僕もそう感じましたけど・・・。)こう言う旅人、いるのですよねー!自分の知っている事ばかり並べて、しゃべりまくる人。例えば、もし、僕が、10年インドネシアに住んでいたとしたら、どうなのでしょう?この知ったかぶりめ! と思ってしまうでしょうねー。まぁ、僕の場合、実際、たった2年半ほどしか、仕事で行ったり来たりした経験ないから、彼ほど、ペラペラしゃべれません。合計しても、インドネシアには、100泊程度しか、泊まってません。早々に部屋に引き上げ、アスンシオンの町の散策に出かけました。ホテル内山田は、市中心の地図から外れていますが、歩いても充分、中心部へ行けます。(散歩に丁度良い程度の距離です。)ここが、メインストリートの、パルマ通りです。首都とは、思えない、趣ですよね。この通りに、国立美術館があります。早速、入ってみました。僕の好きな、風景画も、多くありました。 この絵の人々は、白人が侵略して来る前に、住んでいた人たちでしょうか?たぶん、グアラニー族でしょう。現在のパラグアイの住民は、このグアラニー族とスペイン人の混血、メスティーソが、98%を占めるそうです。98%を占める混血のメスティーソですが、多くの人は、自分は、グアラニーだ! と称し、自分の祖先は、スペインより、グアラニーを、誇りにしていると言う事です。僕が、メスティーソだったとしても、きっと、そう思うでしょう。因みに、パラグアイのお金の、単位も、グアラニーです。ビール大瓶1リットルは、7000グアラニー、と呼びます。アスンシオンの町は、パラグアイ川に面した、国際貿易港があります。町の北東へ向かう道路を歩くと、パラグアイ川にぶつかります。このパラグアイ川は、ブラジルのパンタナール湿原方面と、ボリビアからの川が合流して出来た川です。そして、アルゼンチンへ流れ、バラナ川と合流して、バラナ川となり、さらに、ウルグアイ川と合流して、、ラ・プラタ川と名前を変えて、大西洋へ流れ出ます。長い川ですよ。でも、イグアスの滝の流れとは、関係ないようです。パラグアイ川沿いにある、カテドラルです。中心部を、ざぁーっと、廻って、2時間位だったでしょうか?旧市街は、そんなに広くありません。ですが、首都アスンシオンには、全人口の25%が住んでいるとのことでして、町自体は大きいのです。ここアスンシオンには、韓国ショップがあります。日本のインスタントラーメンとか、インスタント味噌汁あるかなー? と期待して、行って見ました。ですが、日本の製品は、ほとんど、全くありませんでした。止む無く、このカップラーメンを、買って来ました。1リットルの、大瓶ビールと、ほぼ同等の値段です。高いですが仕方ないです。って言うか、ビールが安過ぎでしょうか?ついでに、テニスをするので、靴下も買いました。ちょっと、可愛い過ぎですか? ピンクが入っちゃってます。短パンも買いました。こう見ると、下着のパンツ見たいですねー。でも、サイドもバックにも、ポケットついているし、下着では、ないですよ。本日も、午後4時から、Kさんと、Tさんと、こうじ君と、テニスしました。運動するって、気持ち良いですねー! 買っても、負けても・・・。そして、その後、湯船にお湯を満たして、半身浴します。気持ち良いですなー!そして、その後、1リットルのビールを飲みます。気持ち良いですなー!テニスして、気持ち良し!半身浴して、気持ち良し!ビール飲んで、気持ち良し!気持ち良しが3つ。気持ち良過ぎです。そして、ここ内山田ホテルでは、日本のNHKと、フジテレビが見られるのです。12時間の時差がありますので、こちらの、午後7時は、目覚ましテレビをやってました。今は、午後8時。日本では、朝8時。とくダネをやってます。朝青龍の暴行事件を報道しています。こりゃー、朝青龍、ダメですねー!クビですね。 朝青龍、もう絶対に、解雇でしょう。これで、処分しなかったら、国技の大相撲も、おしまいです。遺憾ですな。気持ち良さが、3つありましたが、少し引けてしまいました。日本のテレビ、見ない方が良いのかなー?
2010.01.29
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2010年 1月 27日(水) 126日目(パラグアイ2日目)昨日、チェックインした、ホテル内山田ですが、部屋のエアコンが、不調で、仲々冷えて来ません。廊下の方が涼しい位です。ずっと我慢してましたが、このままでは、モンテビデオと同じで、寝苦しい夜を過ごさねばなりません。たぶん、フロントへ行っても、すぐには直らないと思いましたが、明日にでも、直してくれればいいや、程度の気持ちで、言って見ました。そうしたら、フロントの笑顔の素敵なおばさまが、すんごく、申し訳ない素振りで、パソコンを操作しました。ノートを見ました。そして、暫くすると、部屋を移って欲しいと、キーを渡されました。この部屋です。ツインルームです。エアコンのスイッチを入れると、ほどなくして、部屋は涼しくなりました。申し分ありません。この部屋は、20ドルの部屋ではありませんね。冷蔵庫もあるのです。(20ドルの部屋にはありません。) NHKが映るテレビもあります。(20ドルの部屋にはありません。) 勿論、湯船もあり、湯量も、ドバッーです。 そして、朝食です。 感激ですなー!旅に出て以来、初めて、こんな日本的な朝食を食べました。鍋で炊いたご飯に、生タマゴで感激したのが、イースター島でした。カラファテで、たわれめもおみわさんが、作ってくれた朝食にも感激しました。、それは、それで、極めて、おいしかったのです。しかし、ここ、ホテル内山田の朝食は、完璧なる和朝食です。ご飯に、味噌汁に、玉子焼きに、煮物に、まだまだありました。お替りも自由です。おかずも食べ放題です。ご飯は、2杯食べました。2杯目は、生タマゴで食べました。何と言えば良いのでしょうか? 言葉が見つかりません。あぁ、もう、ここに、沈没しそうです。そして、ロビーです。すごいでしょう? このソファー。ここで、ネットします。ほとんど、誰も来ないので、いつでも、アジアの星一番、貸切状態です。(と言っても、まだ2日目で、いつも、そうなのかは分かりません。)ブログ書いて、MIXIも見て、facebookも見て、アメーバも見て、そして、株価もチェックして、為替もチェックしました。又々、円高になって来ましたねー! 90円を割りました。私めの、為替差損が、拡大しています。(これは、ちょっと、ガックリです。ま、でも、長い目で、見れば良いのです。)皆さんのブログも、ゆっくりと見させて貰いました。メールも、充分に、見直しました。3時間も、ラップトップを見ていると、疲れます。ソファーに寝そべって、居眠りです。気持ちいいですなー。エアコンも効いているし、サイコーですなー。何にもしないで、ネットだけして、居眠りしていても、そして、あんなに朝食を食べたのに、腹は減るもんですね。ホテル内山田は、日本レストランも経営しています。「スキヤキ」って、お店です。ホテルから、外へ出ないで行けます。いいー、お店でしょう?スキヤキってお店ですから、ほんとはスキヤキを食べたい所です。が、まだ、真昼間です。スキヤキには、ビールですもんねー。後の機会に。カレーライスが、お奨めらしいです。ですから、カレーライスを、食べようと、レストランへ向かったのです。メニューを見ていたら、モンテビデオで、食べ損なったカツ丼があります。僕は、カレーライスを食べようとしたのに、記憶力の悪い脳の奴が、勝手に、「カツ丼」、と注文してしまいました。全く、覚えるべき時に、活躍しないで、こう言う時には、活躍する脳の奴め、困ったものです。残念ながら、僕は、そいつに支配されているのです。 もぉー。本物のカツ丼です。ちゃんと、ドンブリに入っています。味も全くのカツ丼です。味噌汁もついてます。僕が持参したインスタント味噌汁に居なかった、豆腐さんが、チョコンと、汁の中に、鎮座しております。久しぶりですなー! 豆腐さん!日本では、毎日、毎夜、お世話になっておりました。あなたは、味噌汁に入れても、冷しても、温めても、ひき肉と一緒に炒めても、どんな風にしても、おいしいですねー。僕は、あなたが、大好きです!こんな遠くで、あなたに会えて、僕は、ほんとに幸せです。これまで、生きてきて、良かったです。(あれ? どっかで聞いたセリフやなー?)貧乏旅人をしていると、日本に居たら、感じられない、「喜び」、言い換えれば、「幸せ」、を、簡単に感じられます。僕は、たびたび、聞かれるのですよ。なんで、貧乏旅をしているのか? と。何でって、あんた! そりゃー、金がないだけですよ。他に理由なんてありませぬ。勿論、見知らぬ町を訪ねたい、異種の人種の方々と触れ合いたい。そう言う理由はありますよ。でも、質問した人は、その答えでは、満足してくれないのですね。何しろ、元30万石の藩士でしたから、金持っていると思われているのです。(確かに、幾分かは貰ったけど、色々、使っちまって、いくらも、残ってませんよ!)本日、その答えを、見つけました。「幸せ」これを、感じられるのです。この答えで、質問した人が、満足してくれるかなー?どう 思います?
2010.01.28
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2010年 1月 26日(火) 125日目(パラグアイ1日目)暑くて、一晩中車の音がうるさい、モンテビデオのホテル、リオ・デ・ラ・プラタをチェックアウトしました。受付は、良い人ですけどねー。長居するには、厳しいです。モンテビデオも見る所なし。重い荷物を担ぎ、肩にかけ、両手にぶら下げて、エッチラオッチラバス停へ歩いて行きます。高いホテルに泊まったし、何しろ、どえらく高い、エアーチケットを購入してしまいました。節約せねなりませんので、タクシーなんぞには、当然ながら乗れませぬ。バスで、空港まで、45分ほど、かかりました。これだけ乗って、120円程度ですから、市バスは安いのですね。空港は、立派ですぞ。 見学場所もあります。 空港で、腹立つこと、一つと、二つ、あり。一つ。荷物を預けるのに、な、な、なんと、お金を取るのです。それも、20US$もですぞ。ぶったまげましたなー。こんな事は、世界のどこでも、経験したことも、聞いた事もありません。エコノミーは、20キロまで無料ってのが、世界の常識だと思ってました。あんなに高い料金、262ドルですぞ、それを取っておきながら、尚且つ、さらに、荷物代を、20ドルも取るのです。その悪名高き(僕が言いました)、航空会社の名は、プルナ航空です。二つ。手荷物のセキュリティチェックへ。ここで、問題発生!(空港税は、36ドル)食べ物は、一切持ち込み禁止だって言うのです。乾燥しているパスタや、インスタントラーメン、バナナ、ゆで卵、トマト、などなど、全てダメだと言うのです。水物とか、機内持ち込み禁止って理由は分かります。果物なども、国を越えての移送禁止ってのも分かります。荷物代20ドル、空港税36ドルも取られて、ムカムカしている所なのに、乾物もだめだなんて言われて、もう完全に、あったま来ました。「何でや! 理由を説明せよ!」「・・・」「世界中、どこへ行っても、こんな事言われたことがないわい!」「・・・」英語の話せる係官が、やって来ました。「規則です」、それのみ。まぁ、理由を説明せよ、と言われても、知らないのでしょうなー。一担当者には。諦めて、又、航空会社の荷物カウンターへ戻りました。又、20ドル、よこせって言われて、ここでも、怒りまくり、何とか、最初の20ドルで、二つの荷物を預ける事が出来ました。まったく、どうなっているのでしょうか? ウルグアイ。悪名高き、ウルグアイの、プルナ航空の飛行機です。派手ですな。半分位の席が、空席です。バスは1週間先まで、満席なのに・・・。そりゃー、そうでしょうなー。こんだけ高い価格では、乗る人も少ないでしょう。乗客が少ないから、価格を上げる、価格を上げるから、客は少なくなる。これを、悪循環と言います。機内でも、腹立つこと、一つと、二つ、ありました。一つ。席が、空いているので、足元が、広い、緊急出口席に移動して、ゆったりしておりました。そしたら、意地悪そうな、スッチーがやって来て、「そこに座ったら、ダメ!」、と言います。何でや? と言っても、ペラペラ、スペイン語らしき言葉で、しゃべりまくられ、「泣く子と、ペラペラしゃべりまくる女性には勝てない」って諺があるので、(あったか? そんな諺?)諦めて、すごすごと、自分の席に戻りました。おっかしいですよねー。空いているのだから良いじゃーないですか!その後、白人が、二人、僕と同じように、移動して来て座りました。そしたら、同じように、スッチーに言われて、そいつらは、かなり抵抗していましたが、結局、元の席に戻りました。それでも、なんだかんだ、と文句を言ってまして、飛行機が、滑走路に移動しし始めても、スッチーと口論しております。飛び立ちそうになった時、別のスッチーがやって来て、口論は中止になりましたが、白人が文句言っていた心は、良く理解出来ます。飛び立ちました。モンテビデオよ、さようなら! 2度と来る事はないでしょう!そして、機内で腹立つこと、二つ目。飛行機に乗っての楽しみは、ビールとか、ワインとか、ブランディーとかの飲み物と、簡単ではあっても、食事でしょう。この飛行機、12時に離陸でした。安定飛行に入ったら、意地悪スッチーが、ワゴンを運んで来ました。おいしそうなサンドウイッチもありました。でも、不揃いなのですねー。機内食らしくありません。飛行機代が高いだけあって、食事のサービスはええのかい? と、頬が緩んで来ましたです。が、が、ですが、それは一瞬のこと。メニューを見ろ、と意地悪スッチーが言います。な、何? メニュー? 免税品の販売じゃーないだろ?と席の前の、書類を引っ張り出しました。えー! ランチは、10ドル! 信じられません。こんな高い機内食を売る、航空会社ってあるのでしょうか?腹減っているけど、食事は諦めました。そうか! 分かったぞ!セキュリティチェックで、何故、食べ物を厳重にチェックしたのかです。国策ですな、これは。貧乏国ウルグアイの国策です!食べ物を機内に持ち込ませないで、腹減る、昼頃、出発して、どえらく高い昼食を、機内で売るって言うのは。バーカ!餓死したって、お前のところの高い機内食など食うもんか!と、やせ我慢しましたです。で、水とか、飲み物くらいは、ただでくれるんじゃとな?と、言って見ると、別のメニューがありました。水さえ、金取りますぞ! 2ドルもします。しかも小さいボトルです。ぼったくり飛行機です。喉も渇いているが、我慢です。(水のペットボトル没収されてしまったし。)参りましたなー。こんな飛行機があるのでしょうか?ビーマンとか、飛行機代を物凄く安くして、その代わりに機内サービスも最小限にするって、聞いたことあります。それなら、それで、それを選択できるので、よろしいと思います。しかしながら、ここは、飛行機代も極端に高いのです。信じ難いですな。プルナ航空って会社名ですが、これって、クルナ航空の間違いでしょう。プルナ →クルナ →来るなウルグアイには、来るな! 来て欲しくないって言う事なんでしょう。来てくれと言われても、絶対に来ません。何にも良いことありませんし。二度と乗らない、クルナ航空、いや、プルナ航空の飛行機の中です。まぁ、見た目は、他の航空会社と同じなんですけどねー。1時間50分後、アスンシオンの町が見えて来ました。高層ビルは、見えません。屋根が同じように茶色いのが印象的です。空港に降り立つと、暑いです。モンテビデオより、さらに暑い模様。気温の表示を見ると、39℃です。暑いはずですなー。バスで、市内へ行く気が、失せそうですが、タクシーだと、20ドルほどかかるらしいので、やはりバスで行きます。(55円位で行けますから。)ここは、首都の国際空港なのに、バスの始発がありません。空港から、右手に歩いて歩いて、一般道路へ出なければなりません。そこで、一般バスを待ちます。市民に聞くと、30番のバスに乗れと教えてくれました。すぐにバスは来ました。いつも、そうなんですが、どこで降りたら良いか分かりません。聞く以外にないです。言葉も分からないので、目的地の場所を、連呼します。大概、やさしい親切な人がいて、教えてくれます。ここでもそうでした。まだまだ、先だから、ゆっくりしていろ、と態度で教えてくれます。30分も走った頃、「ここで降りろ!」と教えてくれます。え? とした顔をしていると、「ここ降りてまっすぐ歩け!」、とジェスチャーで教えてくれました。それから、何度も、聞きながら、汗を拭き拭き、歩くこと、30分、蒸し風呂のような30分でしたが、目的地、ホテル内山田に着きました。15ドル部屋は、満室で空いてなかったです。その上の、20ドルの部屋です。もう、別のホテルを探す元気もなし。ここに決めました。部屋です。清潔です。机も、ちゃんとあります。うわぁー! 湯船もあります。お湯出してみました。ドッバーと出てきます。これなら、すぐにお湯も溜まるでしょう!エアコンも付いてます。 和食の朝食付です。これで、20ドルなら、チリ、アルゼンチン、ウルグアイなどに、比べたら、ずっと安いです。ロビーでは、無銭ランも、無料で使い放題です。ネットやっていたら、テニスに誘われました。このホテル、テニスコート、プール、サウナなどもあるのです。そして、JICAなどで派遣されている日本人の長期滞在の方もおられます。その方々にテニスを誘われたのです。お一人は、電子工学の専門家お一人は、日本語教育の専門家もう一人は、日系2世4人で、少し打ち合い、そしてゲームです。1時間ほどプレーしました。サウジへ行った頃、少しやって以来ですから、3年ぶり位でしょうか?2勝1敗でした。3年振りにしては、まぁ、動けたし、ボールもコントロール出来たようです。気持ち良いですなー!同じ汗を流すのでも、重い荷物を持って歩く汗と、テニスして流す汗では、気持ちの良さが違います。ウルグアイの空港や、プルナ航空での、嫌な、腹立つ出来事は全て忘れました。スカっとした気分です。
2010.01.27
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2010年 1月 25日(月) 124日目(ウルグアイ3日目)ここウルグアイの次は、パラグアイへ行きます。国際バス停に着いた時、確認しましたが、パラグアイの首都、アスンシオンへのバスは、火曜日、水曜日、土曜日しかありません。週3回です。新婚3年目位の、ちと飽きて来た位でしょうか? (何言っとんじゃ! アホ!)13時発で、20時間かかります。値段は? ベラボーに高いです。2206ペソですから、1万1千円もします。どうして、こんなに高いのでしょう?エル・カラファテからブエノスアイレスへの飛行機は、1万8千円程度でした。もし、その程度の費用で済むなら、飛行機にしようと考えました。(ダメですか? 良いですよね?)1日1便はあるって言うのですが、どこの航空会社でしょうかねー?何とか調べると、ウルグアイの航空会社は、プルナ航空と言います。取り合えず、そこへ行って見ることにしました。312US$です。 ひぇー! たけぇー! ダメです! 止めです。如何に、高級バックパッカーでも、これは高すぎです。ぼったくりですなー。ウルグアイって、周辺諸国に比べて、小さいし、物価も安く、素朴な人たちが多いと思って、ブエノスアイレスを早めに切り上げてやって来ました。しかしながら、人間は、まぁ良いのですが(と言ってもホテルのおばちゃんしか知りません)、物価は無茶高いです。町自体は、静かな雰囲気ですが・・・。急ぎ、EGAと言う国際バス会社のオフィスへ行きました。「明日の、アスンシオン行きのチケット下さい」パソコン操作して、なにやら見ています。「ありません」「え? 明日は、火曜日でしょう?」「ありません」どうも良く分からない回答です。満席なのかなー?じゃー、水曜日は、どうですか?「ありません」えー! どうなってんの? 困ったもんだ。「土曜日ならあります。1月30日です。」えー! 今日は、まだ月曜日。1週間近く待たなくてはならないの?止めてくれー! モンテビデオは、1日半で、全て見終わりました!ホテルは高いし、暑いし、煩いし、蚊は来るし、もう居たくありません。極力早く、別の町へ移動したいです。どうしましょう? トボトボと、町を歩きます。昨日の日曜日とは、打って変わって、人通りもあり、露天商もいます。トボトボと歩きながら、計算しました。電卓がないと計算難しいですねー。ああや、こうや、と計算しながら歩いていたら、おばあちゃんに、ぶつかってしまいそうになりました。5日間、泊まると、ホテル代が、120ドルはします。それに食費も必要です。そうすると、バス代110ドルとホテル代足して、230ドルです。諸々の費用を考えると、飛行機代に近くなってしまいます。あ、そうだ!パラグアイでは、日本語学校を見学することで、お願いしてあるのです。遅くとも木曜日に着くと、連絡してあります。選択肢はありません。 決定です! 飛行機にしました。超高価で、こんな高いチケット買うには、勇気がいりますが、止むを得ません。どっかに旅行会社はないか、捜し歩きました。買いました。何故か旅行代理店の方が安く、262ドルで買えました。飛行機だと、これにバス代や、空港利用税などなど、エアーチケットの、さらその上必要です。心が重いですなー。再び、三度、トボトボです。どこやらから、軽快な音楽が聞こえて来ました。どっちや?あっちです。バイオリンと、なにやらの路上コンサートです。しっかり聞くと、バイオリンのケースに、お金を入れねばなりません。せこいですが、遠くで、お店を見ている振りして、聞いてました。ほんと、せこいなー、と自己嫌悪に陥ります。くっそ、食ってやるっぞ!実は、昨日、韓国レストランを見つけてあったのです。きっと高いだろうから、どうすっぺ? と、迷っていました。ですが、我ながらの、せこさの自己嫌悪を、振り払うべく、又々、昨日の、アサードに引き続き、大散財、しようと思い立ったのであります。歩きました。 着きました。 ありゃー。 トホホ。 閉まってます。 韓国料理店。うまそうな、ちげ鍋の写真が並んでいるのに・・・。 休みか?なんだよー、トホホの連続じゃーなかと? どうすんだよ! ちげ鍋。もう、チゲ鍋食うぞ、と脳へ指令を出してしまっています。そうだ! 中華料理店があったぞ。 そこへ行って見よう!汗ボトボト流しながら歩きます。暑いですなー! モンテビデオ。パタゴニア地方の寒さが懐かしいです。着きました。中華系と思しき、おじちゃんと、おばちゃん二人の経営のようです。メニューを見ますると、日本語のページがあります。おー! カツ丼、があるじゃーないですか?何で、中華屋さんに、カツ丼があるんじゃ? 不思議です。 が、有り難い事です。怒っていた、脳も、機嫌を直しています。記憶力の悪い脳さん、我がままやなー、カツ丼が好きらしいですぞ。早速、おばちゃんに、カツ丼を頼みました。「ありません」え? 今日は、良く、その言葉を聞く日です。本日は、モンテビデオの記念日、「ありませんデー」なのですか?と、聞きたくなりました。(そんな日あるんかい?)メニューのカツ丼のその下に、トンカツもありました。試しに、それを指すと、「ありません」。やはり、本日は、「ありませんデー」、かのー?さらに、その下に、親子丼ってのもありました。試しに指して見ると、今度は、「ある」と言いました。さらに、その下の、中華丼ってのもありました。試しに指して見ると、これも、「ある」と言います。メニューにカツ丼、トンカツがあり、実際はない。親子丼はあると言うものの、この調子では、紛い物に違いない。ここは中華屋です。で、中華丼にしました。これって、中華丼でなく、中華皿ですよね?ドンブリ売ってないのですかねー?ま、入れ物の類は、気にしないアジアの星一番です。インスタントラーメンは、大体、鍋のまま食べます。エコ崇拝者ではないですが、ドンブリ洗う手間が省けます。どっかのドミで、鍋のまま食べようとしたら、「ダメ!」って怒られました。なんでや? って聞いたら、鍋は共用だからとの答え。え? しかし、ドンブリも共用ですぜ? どっちも、キチンと洗いますよ? ここのキッチンで。と思いましたな。よう分からん、思考回路のバックパッカーもいるもんです。(その人、日本人の男性でした。)まさか、僕の思考回路が、普通と違うのでは、ないですよね?それと同じような話を思い出しました。小学校5年の頃の、とある日、弁当を持っていく日がありました。僕の隣は、学年で一番美しい、色の白い、お人形さんのような娘だったです。当番の女の子が、「食事の前に、手を洗いましょう!」、と、言いました。僕は、小さい声で、「箸で食うのに、何で、手を洗うんじゃ?」ついでに、さらに小さい声で、「みうら、お前、手で食うんか? 箸忘れたんか?」と、つぶやきました。因みに「みうら」とは、お転婆の、くちうるさい娘です。(今は、相変わらず、口うるさいおばさんになってます。)そしたら、その美しいお人形のような隣の娘が、「プッ」と吹き出しました。笑いが、止まらないようです。お? 俺、サイコーの、ギャグ言ったか? その夜は、興奮して眠れませんでした。因みに、その後、美しい娘さんが、「プッ」と拭き出すような、ギャグ思いつきません。「アホか?」、と言うような目で、見られるのが、常です。あぁ、話がそれてしまいました。中華皿。味は上々、結構いけます。やはり、中華屋さんは、中華に限ります。紛い物の親子丼にしなくて良かったです。(と、思います。)上の写真は、フラッシュ焚きました。料理の写真を撮るとき、いつもフラッシュ焚くかどうか迷います。何故かと言うと、光り過ぎるのです。明るすぎて、本物らしくなくなるのです。フラッシュなしの写真です。どっちがいいですかねー?
2010.01.27
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2010年 1月 24日(日) 123日目(ウルグアイ2日目)ツインの部屋、トイレ、シャワー付きの部屋で、寝苦しい朝を迎えました。とにかく暑いです。車の音がうるさいです。蚊が来ますです。このホテル、メイン道路の、7月18日大通りに面している、Rio de la Plataと言います。スペイン語以外、全く通じません。何故、このホテルにしたかと言いますと、一番安かったのですね。昨日、重い荷物を背負って、汗びっしょりかいて、ホテルを探し回りました。どこも、30US$以上します。なのに、エアコンはありません。しかも、満室ってホテルも、結構ありました。ここも、エアコンはないし、WiFiも、ネットもありまえん。500ペソ(2500円)と、他より安かったので、ここにしましたが、モンテビデオのホテルは高いですねー!暑いですが、早速、町の散歩に出かけました。7月18日通りを西へ歩くと、独立広場があります。空が青いですねー!独立広場の西側が、旧市街で、その東側が新市街です。この町も、スペイン侵略後、作られた町なので、碁盤の目のようになっていますが、新市街と旧市街の道路は、どうですかな? 15度くらいずれているでしょう。二つの町の道路はまっすぐ繋がっていません。それでも、さらに歩くと、カビルド憲法広場にやって来ました。写真に見える高い建物は、マトリス教会です。どんどん歩いて、右へ曲がり、さらにどんどん歩くとフェリー乗り場です。ブエノスアイレス直行フェリーは、ここから出ます。このすぐ近くに、カルナバル美術館があります。どんなものか、覘いて見ましたが、有料なのに、大したものがなさそうなので、入場は止めました。人形や、お面のようなものがあるだけです。腹減りました。 もう午後の1時過ぎました。このモンテビデオにも、市場があります。このフェリー乗り場の近くです。久しぶりに、安くてうまい地元の、飯を食おうと思ったのですねー!しかし、イメージがちと違います。チリのサンティアゴの市場と似ています。洒落たレストランなのです。 値段を見てビックリしました。とても、市場の食堂ではありません。きちんとしたレストランより、もっと高いです。ですが、高級バックパッカーであり、アルゼンチンで一度は食べろ! とメンドーサで言われて、食べてなかった、アサードを食べたかったのです。アサードとは? 骨付き牛あばら肉のグリルです。頼みましたねー! 思い切りましたねー! 200ペソ(1000円)です。その前に、せっかくなので、ビールも大瓶1リットルを注文しました。こんなキレイなお姉さんが、お酌してくれます。飲めるようになりました。どうしたのでしょうか?昼間っから、1リットルのビールなんて、飲んだ経験がありません。これで、夜も、ワインとか飲めるのですから、信じ難いです。まぁ、飲めるってことは、健康な証拠であり、有り難いですけどね。うつ病と診断されて、3年間も飲めなかったですから・・・、さて、焼きあがりました。アサードです。シンプルですねー! 肉以外なんにもありません。普通は、ポテトが付くって聞いてましたが、ここは何にも付いてません。切れの良い、ナイフでチョキリ。 良く切れます。うまいなー! うまい! うまい! うまいです!見た目より、ずっとうまいです。焼くのを見ていると、肉を取り出して、何かを振り掛けます。たぶん、塩コショウのたぐいでしょうか?それで、単に焼くだけなのです。下ごしらえで、味付けているのですかねー?うまいですよ。そして、味が均一でないのです。濃い味のところもあれば、薄味のところもあります。それが、又、飽きさせません。野菜付きです。 まぁ、これは、普通です。ライスも頼みました。これは、別途料金です。45ペソ(220円)もします。肉と野菜だけでは、昼食になりませんから頼みました。ビール1リットルを、飲み干すまで、1時間以上を必要としました。気持ち良いですねー。 ほろ酔いを通り過ぎてますが、気分上々。〆て、350ペソ(1750円)貧乏旅人としては、大散財ですが、アサードが食べられ、そしてうまかったからよしとしましょう。プラプラと酔いに任せて、旧市街を歩きます。誰もいませんねー? どうしたんでしょうか?ブエノスアイレスと異なり、確かに、落ち着いています。誰もいませんから、喧騒な雰囲気になるはずもありません。お? 通りの向こう側に、海が見えます。行ってみましょう!海ですねー。お? 釣り人もいますぞ!酔っていて、足がふらついていますが、岩の上を、フラフラと釣り人の居る場所へ移動しました。釣れてません。小さい魚が掛かりましたが、これは食べられない、と又、放流しました。あんたも、釣って見るか? と問われる事を期待しましたが、その期待は、満たされることはありませんでした。新市街の方へ歩きます。やっぱり、だれーもいません。モンテビデオのランドマーク、サルボ宮殿です。独立広場にあります。高さ95m、海からも見えました。ここを目指して来れば、迷うことはありません。泊まっているホテルは、ここから数分、絶好の位置にあります。暑いのが、困りもんで、それ以外は、サイコーです。
2010.01.25
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2010年 1月 23日(土) 122日目(ウルグアイ1日目)えー、っと、この写真ですが、トイレの便器です。え? どうして、そんなものの写真を、アップするのか? ですと?ふ~ん、やっぱり、そう思うでしょうねー!実は、前々から、時々コメントを書いて貰ってます、まめまめさんから質問がありまして、いつでも、宿で確認して来た事なんです。それは、何か?水が、流れる時に、時計廻りか、反時計廻りかって、ことです。どうも、北半球では、時計回り、南半球では、反時計廻りってのが、既に、もう、理論的にも確認されていると聞いております。で、この写真、如何でしょうか?間違いなく、反時計廻りでしょう?水の流れ方の定説が、ここブエノスアイレスのホテル、そのトイレで実証されました! やった!と思いきや、これでは、実証されたことにならないのですねー。同じホテルの、洗面です。写真の問題で、見え難いでしょうが、これ時計回りで流れているのです。と言うことでありまして、水が、排水されるとき、北半球と、南半球では、流れ方が、違うって事を、実証出来ませんでした。 ざんねん。完全な真丸でないと、どっちに廻るか確認したことになりませんね。さて、ブエノスアイレスですが、あまりにも大きい町で、見るべき焦点を定められず、静かで、哀愁の漂う(のではないかと、勝手に思う)、ウルグアイへ移動することにしました。バスで移動する予定でいました。しかし、エル・カラファテにて、カンザシの遠静から、フェリーが出てまっせ、と言う情報を入手したのであります。ホテルのフロントが、ウルグアイ人だったので、聞いて見たら、確かにBUQUEBUSと言う会社が、フェリーとバスを乗り継ぎ、ブエノスアイレスから、ウルグアイの、モンテビデオまで行くチケットを発売していると言います。フェリー乗り場ですが、すごい人です。前日にチケットを買ってあったので、良かったですが、もし買ってなかったら、乗れたかどうか? チケット買う列は、何百メートルもありました。ここが、貧乏旅人・アジアの星一番の、座れる船室です。すご~く、豪華なんですよ!貧乏旅人が居るには、ちと場違いな感じがしないでもないなー?とチケット見ますると、ESPECIALと書いてあります。なんだか、スペシャルに似てます。ん? スペシャルって事は? ちょっと待てよ! どえらく高い席を買ってしまったってことでっか?そう言えば、昨日、チケット買いに、フェリー乗り場に来た時、どうも良く分からん英語をしゃべる、チケット売り場のおばはんに、翻弄されたのを思い出します。旅行者用の、特別室のような部屋でした。一人一人、椅子のある窓口へ呼ばれます。僕は、席に座るなり、一番安いチケットを下さい、って言ったのです。そうしたら、一番安い席はありません。と言います。僕は、売り切れかと思い、その翌日は、どうですか? と聞いた記憶があります。すると、9時半発、12時45分コロニア着、モンテビデオ着17時着 265ペソもう一件、285ペソのチケットをメモ紙に書いてくれました。すったもんだはあったのですが、ないと言っていたチケットはあって、結局、、265ペソ(6600円)もするチケットを買わされたのでした。「歩き方」を詳細に見ますると、 展望の良い2階席のファーストクラス 1階席のツーリストクラスと記載がありました。ツーリストクラスの席がないと言ってたのかなー?う~む、むむむ、どうもファーストクラスのチケットを購入してしまったようです。確かに、展望は良い。天守閣から、庶民を見下ろすようなのであります。買ってしまったものは、仕方ありません。ガイドブックを調べたりしていたら、ブエノスアイレスは、もう遠ざかっています。あれー? この光景って、セントーサ島から見る、シンガポールそっくりではありませんか?せっかくなので、庶民の席を見て廻りました。将軍の心持です。一般庶民の、短パンの女性が、男性の上に乗って寛いでおりました。将軍はと言えば? 独りやなー! 淋しくないかい?この上の、特等席が、天守閣に相当する、ファーストクラスです。貧乏旅人・アジアの星一番に相応しいのかどうか? 疑わしいですなー。短パン姿で、男性に跨っている女性を見たら、何故か、喉が乾きました。こんな豪華な船で、コーヒーなんぞを飲んだら、どえりゃー高いのだろうなー、と思いましたが、喉の渇きには勝てません。コーヒーショップへ行って、ちとオタオタしながら、「カフェ」と言いました。そして、おもむろに、「おいくらで、ござろうか?」、と聞いたのでござる。そしたら、チケット見せろと言います。 ん? その態度は、将軍様に許されるのか? 取次ぎを通して、もの申せ!と思いましたが、もしアジアの星一番が、将軍様ならば、数え切れないほど、将軍様が居ることに気が付いたのであります。オタオタ、オドオドしてましたから、仲々、チケットが出てきません。ようやく見つけて渡すと、チロッっとそれを見て、スタンプをポンとおしました。それから、コーヒーと、頼みもしないのに、パンまで揃えております。どんだけ、高いのか不安になった、拙者、「おいくらでござろうかのー?」と、余裕を持った態度で聞きました。内心、ビクビクものです。なんせ、元々、貧乏人の上に、アルゼンチンペソは、いくらも持ってません。一言、二言、三言、なんか言ってましたが、勿論、分かりません。それでも、コーヒーとパンを乗せたトレイを、こちらに渡しました。狐に化かされたような心もちです。良く、分かりませんが、ファーストクラスですから、食事も含まれていたのでしょう。そんなら、早く言ってくれよ! ドキドキした分、損したじゃーないか!と思いましたが、多分、アナウンスがあったのだと思います。2時間半ほど、揺れのほとんどない、快適なフェリー、ファーストクラスを心ゆくまで、楽しんでおりました。見えて来ました。ウルグアイ。いやー、ずいぶんと、ブエノスアイレスとは、異なる風景ですねー。飛行機と違って、ものすごい人数の客ですが、荷物受け取りの回転寿司のようなテーブルは、飛行場より小さいです。大混雑です。僕が、小さいバッグを取ろうとしたら、隣の爺さんにちと触れてしまい、その爺さん、回転寿司の稲荷寿司のように、転がって上に倒れてしまいました。いっせいに周囲の非難の目が、僕に注がれます。な~んにも、悪いことしてないのになー、と思いましたが、「すまん、すまん」皆さんに、お辞儀をしましたです。爺さん、コンベアに乗って動きました。8mほど動いたところで、ようやく降りて来ました。どえらく怒っていますが、何を言われているのかわかりません。こっちも、えらい災難です。ここは、コロニア・デル・サクラメントと言う、世界遺産の町です。乗り継ぎのバスが待っているので、ここは素通りします。バスからの風景は、緑一色。豊かな地に見えます。2時間20分ほどで、首都のモンテビデオに到着しました。
2010.01.25
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2010年 1月 22日(金) 121日目(アルゼンチン14日目)昨日、エル・カラファテから、アルゼンチンの首都、ブエノス・アイレスに移動しました。飛行機です。バスでも移動出来ますが、42時間かかります。そして1万2千円ほどかかります。飛行機は、1万7千円ほどです。普通のバックパッカーは、5千円をケチってバスで移動します。しかし、アジアの星一番は、言わずと知れた、高級バックパッカーでございます。ですから、飛行機なんですねー!これが、エル・カラファテの町です。ほんと小さな町でしょう?大きな湖は、アルヘンティーノ湖と言います。町の前にある小さな湖がニメス湖と言って、チリフラミンゴなどがいるのです。飛行機に乗って、2時間半ほど経ちました。もうじき到着します。まだ、午後8時半なのに、日が沈みます。世界の最南端、ウシュアイアは、夜の11時頃、暗くなり始めました。エル・カラファテは、夜の10時頃でした。もう、ずいぶん、北へ移動したのですねー!ブエノス・アイレスの夜を、飛行機の上から撮って見ました。大きい町です。どえらく大きいですね。サンティアゴ以来の大都市です。翌日、1月22日ですが、大都市を散歩しました。大きなビルが立ち並んでいます。ここは5月広場です。左のビル、右半分が透かしのように見えますが、そうではないのです。こう言うビルなんですよ。サン・ニコラス地区の、コルドバ通りです。日本レストラン、「いちそう」で、カツ丼を食べようと思ってました。でも、結構遠いのです。5月広場からは。で、中華食べ放題にしました。ウシュアイアに次いで、又もやってことですが、食べ放題ってのが、貧乏旅人にとっては、魅力です。まずは、肉類。そして、1リットルのビール。昼間っから、ビール飲みたくなりました。「たわれめのおみわ」のせいでしょうか?因みに、「たわれめ」とは、「戯れ女」と書きます。次は、野菜類と思いましたが、春雨や肉団子のようなのも持って来てしまいました。このナスとかブロッコリー、酸っぱくて食べられません。仕上げです。もうかなり、お腹は膨れてますが、なんせ、食べ放題です。このノリ寿司のようなのは、甘すぎで、ダメです。フロリダ通りです。道沿い、ずーーーーっと、露天売りの人たちで、一杯です。歩いている分には飽きません。宿は、TURISTA HOTELに泊まっています。5月広場の近くです。100ペソ(2500円)ほどしますが、トイレ、バス、エアコン付きで、勿論タオル、バスタオル、セッケンなども付いてます。ゆったりしております。バスタブにお湯を満たし、くつろぎました。どこかで、一度、バスタブにお湯を満たしましたが、今回の旅では2度目です。エル・カラファテの藤旅館が、とっても楽しい夜の連続だったので、こんな孤独の夜は、久しぶりって感じです。でも、どうなのかなー?色んな旅の仕方があって、どんな旅であっても、僕は否定もしないし、その人が満足出来れば良いと思っています。僕の場合は、どうか?日本人宿を、ずっと泊まり歩くのは、快適過ぎて、外国の国を旅している気分が減じてしまう気がしてなりません。ですから、少しは高くなってしまっても、地元のホテルに泊まったり、時には、レスポンスの良い、日本人宿に泊まったり、組み合わせて行くのが自分に合っているかなー、と思うのです。どうでしょうか?
2010.01.23
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2010年 1月 21日(木) 120日目(アルゼンチン13日目)つれねぇ話をしなければならないのでござんす。亜州の星次郎、中東ってぇところを徘徊しておりやしたが、今は、南米ってニッポンからは、ずっとずっと遠い所を、旅しておりやす。世界の果てでござんすなー。雪が降って、それが溶けもしねぇで、積み重なって、氷になるのでござんす。重てぇもんで、そのでっけぇ氷が、岩を削りながら、ゆっくりと流れて来るのでございますよ。全く、流れ者のあっしには、似たような者同士ってぇような親しみを感じやす。どでかい氷河ってぇ奴を、じっと見ておりやすとな、そのどでかい氷の塊が、どど~んと崩れ落ちるのでございやす。そりゃー、ぶったまげる程の、光景ですな。音もでけぇのなんのって、まぁ、書いても分からんでしょうが。あぁ、いやいや、その話では、ねぇんです。別の話をしたいのでございやす。無宿・渡世人になって以来、いつもの事ながら、安宿に泊まっておりやす。同じよう流れもんが、泊まる宿でござんすが、そこの、カラファテってぇ村には、藤旅館ってぇ、安宿があるのでござんす。へぇ、あっしが、その宿に着いた時には、「絵師のおゆみ」と、「カンザシ職人の遠静」が、泊まっておりやした。絵師のおゆみさんは、色白で、出は良い所のように思えます。立ち居振る舞いも、落ち着いておりやしてな、素晴らしい絵を書きなさるお方でございやす。どうして、こんな世界の果てへ流れ着いて来たのか、聞いて見たい思いに駆られやすが、渡世人同士の掟、そこには触れやせんぜ。野暮な奴には、なりたかぁありやせん。ふけぇ訳があるんでございやしょう。そして、「カンザシ職人の遠静」ってぇ奴なんでございやすがね、こいつぁ根っからの渡世人でしてな、狭いニッポンなんぞには住んでられねぇって、ニッポンを飛び出してから、もう5年目になるそうでございやす。こいつぁ、女ッ垂らしでござんしてな、行く先々で、女といざこざをおこしているってぇ、噂の奴なんですよ。その「カンザシの遠静」が、稼ぎに出かけた、数日間は、平穏でございやしたな。絵師のおゆみさんと、ずっと1日、朝から夜まで、一緒に過ごしやすした。絵師の話を聞いたり、村を散歩したり、まぁ、渡世人がすべきでない出来事なのでありやしたなー。旅の空、まして世界の果てで、強い風と、うす寒い空の下におりやすと、何故か、人恋しい気持ちになるのでごぜぇやす。きっと、絵師のおゆみも、そんな気持ちではなかったかと思うのでござんす。でなけりゃー、こんな世捨て人の亜州の星次郎と、一緒に村は歩かねぇはずでございやしょう。歩いている時に、腕や、手が触れたりすると、ドキッとしやす。慌てて離れますがな、狭い村の道、又、触れてしまいやす。平穏無事に、穏やかな心をもって、絵師のおゆみと過ごしておりやした。そのおゆみさんが、旅立つ前の夜。「たわれめのおみわ」が、その宿に辿り着いたのでござんす。着くなり、飯を炊いて、食べだしましてな、よっぽど腹が減っていたんで、ございやしょう。どんぶり飯を2杯、ぺロリと平らげやした。それからでございやす。宿の雰囲気が、ガラッと変わりまして、色っぽい、艶やかな雰囲気になりやした。たわれめのおみわ、って女衆は、まぁ、食いっぷりもいいのですが、飲みっぷりも、気風もよくって、廻りの男衆を明るくさせやす。その夜、おみわが持ってきた、酒をみんない振る舞ったことから、翌日は、他の客も、酒を持ち寄って、宴会でござんす。絵師のおゆみは、出立しやした。「諸国を見て廻って、良い絵を描いておくんなせぇ」、と送り出しやした。「はい、きっと便りをだします。星次郎さんも、元気に旅して下さいませ」と、色白の顔を微笑ませて、手を振りながら、出ていきやした。淋しいもんですな。別れとは。一瞬の出会いであっても、別れは淋しい。おみわは、夕刻より、稼ぎにでかけやす。どこで稼いでくるのでござんしょうか? 亥の刻をしばらく過ぎた頃、宿に戻ってめぇりやす。それからが、宴会でござんす。まぁ、寝るのも遅くなりやすわな。子の刻を過ぎ、丑の刻など盛りで、寅の刻を過ぎてもまだ、飲んでやす。まぁ、それは、盛大です。この安宿、毎日、旅人が入れ替わりやす。宿の女将がやさしい人で、満室でも、遅く辿り着いた旅人を追い返すことはしないのでござんす。ですから、男衆も女衆も、同じ部屋で雑魚寝いたしやす。毎夜、毎夜、飲んで、朝方に寝るのですが、その、たわれめのおみわが、まぁ、いい女衆でしてな。親しいんでござんす。優しいんでござんす。いい気風なんでござんす。朝は、みんなより早く起きて、朝ごはんを作ってくれるのですぞ。しかも、ニッポンの味、飯を作ってくれるのでござんす。嬉しいですなー。うまいですなー。旅の空におりますとな、こんな優しさが、心に沁み入るもんなのでござんしてなー。だんだんと心にも染み入って来るのです。おみわのやさしさが、星次郎の心の片隅に入り込んで来た、その頃、カンザシの遠静がけぇってめぇりやした。女ッ垂らしの遠静でござんす。気風のいい、色っぽい、たわれめのおみわを、見逃すはずがありやせん。見ておりやすとな、じわじわと、幅を狭めて行くのが分かりやす。あっしには、関わりのねぇことでござんすが、気にはなりやすな。あっしが、書き物をしておりやしたらな、カンザシの遠静が、なにやら道具を取り出しやした。たわれめのおみわと、楽しそうになにやら話しておりやす。どうも、カンザシを作って、おみわにあげるようでござんす。おみわも、喜びましてな、はしゃいでおりやした。その夜、宿は満室で、小さい部屋に、あっしと、カンザシの遠静、たわれめのおみわが、同室になりやした。雑魚寝でござんす。次の朝、あっしは、二人が寝ている間に出立しやした。疲れているのか、二人は手を握り合ったまま、すやすやと寝入っておりやす。たわれめのおみわは、言ってやした。「あたし、早く嫁いで赤子が欲しい」、と。その日は、いつ来るのでございやしょうか?あっしには、関わりのねぇ事でございやすが、おみわには幸せな家庭を持って、良い母親になって欲しいと、願うのでござんす。無宿・渡世人にしては、気を入れ過ぎでござんしょうか?寒いパタゴニア。風の強いパタゴニア。そこを後に、下を向いて、独り、北へ北へと向かいやす。だんだん、暖かくなってめぇりやした。ブエノス・アイレスってぇ、江戸みてぇな、でっけぇ町に辿りつきやした。いつまで、旅が続くのでござんしょうか?注記久しぶりに、亜州の星次郎を登場させました。実在の場所、実在の人物をモデルにしておりますが、全てフィクションです。実在の、カンザシの遠静は、女ッ垂らしではありません。 (本当のところは、分かりませんが・・・)実在の、たわれめのおみわは、たわれめではありません。 (本当のところは、分かりません・・・)実在の、絵師のおゆみは、この物語のイメージに似ています。 (本当のところは、わかりません・・・)え?亜州の星次郎の、心の動きは、どうなんだ? てぇ事ですかい?どうなんでしょうねー?今度、会ったら、聞いておきましょう。
2010.01.23
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2010年 1月 20日(水) 119日目(アルゼンチン12日目)エル・カラファテの、韓国人及び日本人宿の、藤旅館。毎夜、毎夜、楽しんでおります。え? 何を楽しんでいるのか? ですと?え? 同室の韓国女性と楽しんでいるのか? ですと?え? 良からぬことを、するな! ですと?何を言っとりゃーすか! 清純路線を走り続けるアジアの星一番です。妙齢の女性が、同室であったとしても、心が乱れることなど、ありませぬ。心など、など微動だも致ししませぬ。なぬ? 微動だもしないのは、君の下半身だろ? ですと?むむ、怒りましたぞ。もうこの話は、おしまいです。バイバイ!話が脱線しました。すいませんです。この日は、同室の、キムさんが、管理人のバイトを満了し、ブエノス・アイレスへ移動する前夜なのです。それで、宿をあげて、送別会が開催されました。そして、何を隠そう、はい、なんにも隠していませんが、実は、ここの宿のご主人が、若い頃、バンドを組んで、ビンビンやってたようなのです。それで、今でも、指の動きなど、プロ並であります。見てくださいませ! この方が、オーナーの島藤さんであります。ブエノス・アイレスにも、「日本旅館」と言う宿を経営しています。で、ギターの伴奏で、ナマオケ合戦が始まりました。ニッポン対韓国の、歌合戦です。まずは、オーナー夫人と、兵庫県から来た日本女性です。韓国男性も、ギターが弾けます。かなり、盛り上がって来ました。今の所、日本が劣勢です。韓国勢は、日本勢より、大勢です。伴奏はなしでも、ガンガン歌います。珍島アリランを唄ってくれました。すごーく、調子の良い歌ですねー、この唄は。ニッポン勢、押され気味と言うか、完全に土俵外へ、突き出されそうであります。そこで、出ました、アジアの星一番。一応、ギターも弾けるので、思い出しながら、唄いました。拍手喝さいですな。結構、場の雰囲気に合わせた、盛り上げ方を知っているようです。(自己自讃)日本勢、これで、若干押し返しましたが、まだまだ、かなり負けています。アジアの星一番の写真、残念ながらありません。(いつも通りですが)次も、韓国勢。サビの部分は、かなり盛り上げ、場慣れしてますな、この方々は。もう、この頃、朝の3時半です。 皆さん元気ですなー!既に、ワインを、6本ほど空にして、皆さん、まだ飲み足りません。で、アジアの星一番、秘蔵の安物ウィスキーも、提供しました。保管してあった、氷河の氷で割って飲んだのであります。うまいですなー!結局、お開きになり、片付けてベッドに倒れこんだのは、明け方の5時でした。疲れもした。
2010.01.21
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2010年 1月 19日(火) 118日目(アルゼンチン11日目)エル・チャルテンは、エル・カラファテから、220キロにある、トレッキングに多くに旅人が、出かける小さな町です。ここへ行くバスチケットを買って持っていました。昨夜は、いや、もう既に、今朝になっていましたが、寝不足です。たった4時間しか寝てません。その前の日も4時間の睡眠。何故かと言うと、飲んで語って、語って、飲んで、そして唄って、気付けば午前様、2時って時間になってしまうのです。朝が早いからと、部屋へ帰ろうと思っても、バスの中で寝てけ! とか言われて、結局、遅くなってしまいます。眠い、ねむ~い!バスは、湖の辺を走ります。しかし、その後は、3時間、爆睡です。すぐに着いてしまった感じです。エル・チャルテンの町です。ほんと、小さい町ですねー。シーズンの今で、こんな感じですから、冬は誰も訪れないのでしょう。冬は閉鎖するホテルがほとんどらしいです。11時にここに着き、帰りのバスは、午後6時半出発です。この間は、どのように過ごしても良いのです。あんまり遠くない、カプリ湖へ行く事にしました。ちょっと登り始めました。エル・チャルテンの町が、段々と小さくなります。ラス・プエルタス川も、ゆったりと流れています。1時間半ほどで、カプリ湖へ着くようですが、ここが半分の所です。お花畑のようです。写真では、穏やかな天気のようですが、物凄い風と、小雨です。こりゃー、ちょっと無理かなー? 引き返すかなー? と思った位です。フィッツ・ロイ山は、この天気では見えそうもありませんが、せっかく来たので、カプリ湖まで行きたいと、さらに歩きます。丁度、ぴったり1時間半、カプリ湖に着きました。美しいですねー! フィッツ・ロイ山です。実は、天候が悪く、フィッツ・ロイ山は、見えませんでした。上の写真は、ガイドブックより、借用しました。へぇ、すんませんです。3泊しても、天候が悪く、トレッキング出来なかった人達もいるらしいですから、まぁ、行けるだけ良いかも知れませんね。本日、ここも、小雨が降っています。休む場所もないので、早々に同じ道を、戻りました。相変わらず、小雨は、ぱらついていますが、町に近くなると少し天気も良くなりました。まだ、時間があるので、滝を見に行くことにしました。歩いて、1時間くらいの場所にあります。落差は、大したことありませんが、滝は、何故か落ち着きますね。帰りの川の辺に、水鳥の親子が、餌を食んでしました。親子で、仲良さそうです。本日は、3万歩を越える、トレッキングでした。睡眠不足でしたが、バスの中で、ぐっすり眠ったので、山歩きにはほとんど影響は、なかったです。結構、体力ありますね。過信は禁物ですが・・・。
2010.01.21
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2010年 1月 18日(月) 117日目(アルゼンチン10日目)藤旅館。ご主人が日本人で奥様が韓国人の方が、経営しています。僕が泊まっている部屋です。この部屋を一人で、使用すると、80ペソ。2000円で、手を打ちました。シャワー、トイレ付です。しかしながら、この部屋に入って見ますと、若い女性が居ましたのです。あんりゃ? どうなってんじゃ?と聞いてみますと、その人は、韓国人で、バイトで、管理人をやっているのです。約束が違う! って、言おうと思いましたが、女性と二人で一室? だよなー。 ま、いっか。 と同意してしまったのであります。男女混合ドミっでは、客が少なく、男性一人、女性一人って場合もあるようですが、ツインルームで、見知らぬ同士の男女二人ってのは、聞いたことありません。でも、ま、いっか、とこの部屋に荷物を降ろしたのであります。4泊か、5泊、を共にしている女性です。さぁ、どっちの方でしょうか?で、この日は、何にもする予定はありません。日本女性で、世界を旅する方と、朝から、ずっとこのキッチンでゆったりしておりました。二人で、ブログ書いたり、世界の国々の話をしていましたら、奥様がつまみを作ってくれました。家庭的なんですねー、この、お宿。昼食は、僕が雑炊を作って、少しずつ食べて、町へ散歩に出かけました。ここアルゼンチンは、アイスクリームがおいしいって言われてます。一人ならば、絶対に入らないであろう、お店に入ったのであります。彼女は、バニラです。僕は、カラファテです。カラファテ、ご存知ですか? 棘のある小さな木なのですが、ブルーベリーのような実がなるのです。それから作るらしいです。バニラは、僕にはちょっと甘すぎる感じはしましたが、両方ともおいしかったですよ。ただねー、一人では、ちょっと、こう言うお店には、入りにくいです。朝から、翌日の朝2時まで、ずっと一緒にいた女性を紹介します。漫画家です。これは、その人の描いた本の表紙です。上手ですよねー!写真をアップしてよろしいって許可を得ました。この方です。漫画家っても、プロではないのですね。プロになるつもりはなくて、旅の記録を、漫画にして残しているって言ってました。それも、良いですよね? とっても良いと思います。僕の場合は、旅の記録を本にして出版しているので、似たような事をやっています。彼女は、この日の朝、2時半頃、ウシュアイアに向かって出発しました。
2010.01.20
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2010年 1月 17日(日) 116日目(アルゼンチン9日目)氷河探検デーです。氷河を見る為に、ここエル・カラファテに来ました。8時30分、バスターミナルを出発します。45分ほどバスが走ると、公園の係員が、バスに乗り込んで来て、入園料を徴収します。75ペソ(1800円)ですから、高いです。そして、さらに、10分も走ると、湖が見えて来ます。いつ、氷河が、どのように現れるのか、ドキドキします。氷の塊らしきものが、湖に見えました。と思ったら、湖の向こうの方に、氷の壁が見えました。あれだ!バスを降りて、勇んで、湖畔を歩きます。小雨がポツポツ降っていますが、かまう事はありませぬ。氷河を早く見たいです。見えました! 氷河です!崩れ落ちた氷河の塊も、大きいのが見え出します。湖の廻りには、このような歩道が作られており、安全です。しかし、氷河を手に取る事は出来ません。一人の日本人が、この柵を乗り越えて、湖へ降りて行き、氷河の氷を手にとって小走りに戻って来ました。何をするのかと思ったら、ウィスキーを取り出し、コップに注ぎます。そして、取ってきた氷河の氷を、コップに入れております。あんまり、褒められた行為ではありませんなー。まぁ、アジアの星一番は、見知らぬ降りをして通り過ぎました。さらに、先を急ぎます。来ましたぞ! ペリト・モレノ氷河です。すごい迫力ですなー!見てください、このデカさ。言葉で説明するのは、、難しいです。どこからか、パァーン、パン、パン、と言う音が聞こえて来ます。なんじゃろ? と、氷河を見回します。しばらく、耳をすましていると、ドドーン! パーン! と言う音も聞こえます。これ、氷河の氷が、湖に落ちた時の音なんです。すごい迫力ですぞ。この氷河、何年前に降った雪が、ここまで流れて来ているのだろう? と疑問が湧きましたです。現在は、貧乏旅人なるも、元技術者の、アジアの星一番、優秀な頭脳を駆使して、計算を始めました。(但し、記憶力は、よろしくない。はっきり言えば悪い。)1.10年で、氷河になる。 降った雪が、自重でどんどん固まり、水に近い比重にまで、押しつぶされるのに 10年の年月が必要です。2.1日1mの速さで、氷河は移動する。 氷河が、移動する速さは、中央の早い所では、1日2m、端の方では、 30cmとか言われています。ここでは、1日に1mとしました。3.この氷河の全長は、35km上記のデータより、計算すると、1年に動く距離が、365mですから、35キロ動くには、96年必要となります。降った雪が、氷河になるまでに、10年が必要で、それをプラスすると、106年となります。よって、この氷河の先端は、100数十年前に降った雪と言う事になります。長い期間を経て、この雪が、ここまで移動して来たのですねー!ここで、見ている人たち、全世界のほとんどの人たちが生まれる前に降った雪なのです。ここで、大迫力のある、氷河の崩れるのを、6時間見ていました。じーっと、待っている時間。6時間は長いと思われるでしょうが、釣りと同じで、いつ、氷河が倒れ落ちるか分かりません。緊張して、その時を、待っていますと、あっと言う間に、時間は過ぎ去ります。高さ、60mの氷河の柱全体が、ドド-ンと崩れ落ちるのを目撃しました。たぶん、重量からすれば、400トンとか、500トンの氷の塊だったでしょう。どえらい、迫力でした。近くにいたら、氷の破片で死にます。(で、柵を越えて、近くに行くのは禁止なのです。)中程度の落氷河は、2度。そして、小さい(とは言っても、何トンと言う氷です)のは、何度も見ました。不思議ですが、小さい氷の塊でも、落ちると大きな音がします。80ペソ+75ペソ=155ペソ(3800円)と高いですが、それだけの価値はありました。満足の1日でありました。
2010.01.19
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2010年 1月 16日(土) 115日目(アルゼンチン8日目)世界最南端の町、ウシュアイア。風が強いと聞いていたものの、穏やかな日和が続き、居心地は悪くはなかった町です。4泊しましたが、もう移動の日がやって参りました。4泊目は、60US$の、僕にとって超高級ホテルを追い出されてしまったので、町をさ迷い歩いて宿を探しました。そしてホステルを見つけました。ホステル ロス・ルピナスです。この宿、ドミでバックパッカー専用です。受付で、値段を聞いてみますと、60ペソ。今のピークシーズンで、且つ場所が町の中心ですので、まぁ、リーズナブルな宿です。受付嬢の隣に、アジア系、韓国人か、日本人か、はたまた、ベトナム人か、と思われる、ご老人もいましたが、一言も言葉を発しません。よって、美しい受付嬢とのみ、言葉を交わして、部屋へ入ったのであります。キッチンは、とっても広く、清潔で使いやすいです。で、何気なく、そこの壁に貼ってある、説明や、ゲストが書いたコメントを見ておりましたら、先ほどの、じい様、日本人なのです。「あつし」さんと言うらしいです。日本人宿があるとは、どこからも聞いてませんでしたし、宿泊客も日本人は誰もいません。どうも、日本人を相手にしていないようです。色んな、日本人の方が、海外で活躍しているのだなー、と思わされました。さて、今回は、飛行機で、リオ・ガジェゴスへ移動です。飛行機が離陸すると、ビーグル水道と、雪を被った山々が見えます。本来は、プンタ・アレーナスへバスで帰り、そこから、パイネ国立公園へ行く予定でした。しかしながら、バスで12時間かけて、且つ、60ドルもの高いバス代をかけて同じ道路を戻るのが、嫌になってしまったのです。で、飛行機にしました。目的地は、氷河のエル・カラファですが、そこまで一気に飛ぶと、値段が高いので、マゼラン海峡を越えた、リオ・ガジェゴスで降りて、そこから、バスで、エル・カラファテまで行くのです。ファグナノ湖が見えます。30分ちょっとで、もうリオ・ガジェゴスが見えました。この町から、バスに乗り換えるのですが、バスのスケジュールは分かりません。12時、14時があると言います。今は、11時です。それで、12時は、満席で、14時しかないといいます。困ったなー。こんな所で、3時間も待つのかよー。と渋い顔をしていたら、係りの人が、どこやらへ電話して、結局、12時のバスに乗れることになりました。何故、乗れるようになったのか、理由は不明ですが、良かったです。このバスです。このバスは、市内のバスターミナルから、空港を通って、行くのですが、確かに、バスの席は、一つしか余ってませんでした。こんな道路です。荒涼とした風景です。ウシュアイア近辺より、世界の果てと言った感じがあします。エル・カラファテに着きました。ここも小さい町ですね。メイン道路から1本南の通りですが、この通りです。日本人宿、「藤旅館」です。ここは、基本的にドミなのですが、個室も二つあります。ドミ 30ペソ:750円個室(トイレシャワー共同) 70ペソ:1750円個室(トイレシャワー付き) 80ペソ:2000円高級バックパッカーである、アジアの星一番は、迷わず、シャワートイレ付きの個室にしたのであります。ですが、そこは、個室ではなかったのです。その詳細は、次号以降で・・・。
2010.01.18
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2010年 1月 15日(金) 114日目(アルゼンチン7日目)ビーグル水道へ船で行きました。ツアーがあります。165ペソで、プラス入場料が6ペソで、4300円ほどしますので、安くはないです。港を離れると、ウシュアイアの町の様子が分かります。山が、すぐ後ろにあり、海と山の間の狭い土地にある町ですね?25人乗り程度の小さなボートです。皆さん、寒いのに、外へ出て、見物してます。島が見えました。何かが沢山居ます。何だと思いますか?何だと思いますか? この2枚の写真で分かった人は、ウシュアイアを訪ねた人か、若しくは、ここに詳しい人でしょう。ペンギン?残念でした! ペンギンではありません。写真で見ても、実際に見ても、ペンギンにそっくりなのですが、ウミウなのです。空へ飛び立たなければ、分かりません。アシカも、ウミウと一緒にいます。走行中、キャプテンが、マテ茶をご馳走してくれました。ビタミンやミネラルの含有量が極めて高く、飲むサラダとも言われており、野菜が少ない、この辺りでは、重要な栄養らしいです。そう言えば、野菜食べてないなー。すごいウミウです。これ、ぜ~んぶ、ウミウです。この向こうに見える山は、アルゼンチンでなくて、チリです。このビーグル水道が、国境になっています。島に上陸して、花を見ました。これが、エーデルワイスであると、説明を受けました。この花、沢山咲いていましたが、名前は分かりません。この名前は、Prickly heath と聞きましたが、日本名は何と言うのでしょうか?無知ですねー。僕には分かりせん。コケですが、Calafak と言います。Fashine と言う名の花です。9時に出発して、13時には、港に帰りました。昼食は、最近食べてないなー、と胃が要求している、肉にしました。ついでに、ビールも注文。最近、チリに入ってから、アルコールが強くなったような気がします。大枚、60ドルも支払っているホテルですが、今夜は満室で、出て行けと言われています。淑女お二人は、ツインルームを、一部屋づつ使用しているので、一部屋空けるから、使って良いと言ってくれました。その旨、フロントに昨日、話して了解を得ていると思ってたのです。そしたら、朝、出かける時に、60ドル支払えと言われて、一悶着となり、結局チェックアウトする結果となっています。支払いは淑女さんが済んでいるのに、何故、ダメなのでしょうね? 理解不能です。そして、僕の荷物は、淑女さんの部屋に置いてあります。お二人は、ツアーに参加しており、午後3時半頃、帰って来ると言う事であったので、昼食後、ホテルへ向かい、ロビーで待っていました。そしたら、日本人の若者が、やって来て、話しかけられ、その後、延々と、4時間も話していました。(淑女のお二人は、ツアーが遅れたらしく、帰って来たのは、午後7時)彼は、ブラジルのサンパウロに留学中で、南極ツアーへ参加する為に、ウシュアイアに来たとの事です。(色々と、面白い話がありますが、省略です。)その後、淑女さん達が帰って来て、一緒に夕食に行くことになりました。中華料理の、ブッフェです。昼も、ばっちり食べて、夜もそれ以上に食べて、そして、飲みました。で、その夕食は、淑女さんに、ご馳走になってしまいました。バックパッカーで、ご馳走してくれる人は、滅多にいません。やっぱり、立派なホテルに泊まっている方は、お金持ちで気前が良いですね。有り難いことであります。栄養つきました。昼、ホテルのロビーで話している時、サンパウロからの青年が、ビールを買って来てくれて、飲んだので、昼から飲み通しでした。それで、ブログを書く暇もなかったのであります。中学生の日記のようになりました。
2010.01.18
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ウシュアイアで、淑女の方と、出会い、そして、サンパウロに留学中の青年と、出会い、午後から、夜遅くまで、語り合ってしまい、ブログ書く暇がなくなってしまいました。そして、その翌日も、世界一周中、5年目の人と、出会い、これまた、語りあって、時間が、全く足りません。後日、まとめて、アップします。
2010.01.17
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2010年 1月 14日(木) 113日目(アルゼンチン6日目)ウシュアイアの町から、すぐ近くに氷河を見られる場所があると言います。マルティア氷河と言います。昨日の淑女のお二人と、本日も一緒に出かけました。バス乗り場から、コレクティーボのような車が、マルティア氷河の入り口まで行きます。20ペソ(500円)スキー場のリフトと全く同じような、リフトで、登ります。歩いて登っている人もいます。貧乏旅人:アジアの星一番より、さらに貧乏か、若しくは、歩きたい人たちです。リフトを降りて、ちょっと歩くと、こんなに寒いのに、タンポポが咲いています。タンポポと、雪解け水の川と、ビーグル水道。タンポポの美しさ、可憐さ、逞しさに、負けまいと、アジアの星一番も、雪渓に立って見ました。タンポポに、勝っているでしょうか? (聞く方が無理? でっか?)氷河です。マルティア氷河です。ここ氷河って言いますが、氷河と、雪渓の違いが分かりません。で、調べて見ました。氷河とは、 万年雪が、その上層に降り積もる雪の重みで圧縮されて氷塊となり、低地に 向かって徐々に流れ下るもの。雪渓とは、 雪や氷が夏でも残っている高山の谷。従って、この雪が、氷河なのか、雪渓なのか、僕には区分が出来ませんです。雪の塊が、重さに耐え切れず、低地に向かって流れて来たのか、知りませんものね。まぁ、でも、氷河って言っているのですから、氷河なのでしょう。これは、雪の橋です。この上を歩いて、氷河へ行けます。この雪の下を、雪解け水の川が流れています。お? 誰だ、君は?今日は、良く出演するのー。秘蔵、ヒートテックは着ているのか?アルパカのマフラーはしているが、セーターも着ているのか?アルパカの手袋もしてるなー!なんだ、かんだと、ずいぶん登りました。淑女の、お二人も、がんがん登ります。僕も負けてはいられませぬ。頂上でも、1500mなので、息が切れることもありません。振り返れば、ウシュアイアの町も見えます。ビーグル水道の向こうに見える山々は、チリ領なんですよ。氷河へ登って降りて、2時間程度でしょうか?良い運動になりました。丁度、1万歩くらいです。リフト乗り場まで降りたら、コーヒーショップがあったので、ここで一休み。薪のストーブがあり、とっても暖かいです。なんか、ほっとしますね。快い疲れと、暖かい店内で、カプチーノを飲みながら、ふーっと息を吐き出しました。
2010.01.15
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2010年 1月 13日(水) 112日目(アルゼンチン5日目)世界最南端の町、ウシュアイア。海から、すぐ山があり、その海と山の間にある町です。宿から、山の方向を撮りました。そして、宿から、海の方向を撮りました。港の方まで歩いたら、ルピナスが沢山咲いています。確か、この花は、南欧原産のはず。昔から、ここで咲いていたとは思えないので、スペイン人が、持ち込んだのでしょう。ビーグル水道です。太平洋と、大西洋をつなぐ水路で、320Kmあるそうです。町のすぐ近くが、雪を抱いた山で、この風景を見ると、海辺って気がしません。スイスに居るようです。昨夜のドミに連泊は、高級バックパッカーには、ちと無理があり、宿を探しました。ありませんねー! 安いドミか、その上のクラスは、70ドルとか、100ドルです。思い切って、貧乏旅人:アジアの星一番にとって、超高級ホテルに決めてしまいました。なんと、1泊、60ドルです。6000円也ですよー。入り口のドア開けても、ベッドが見えません。部屋もベッドも超清潔です。安宿とは、違います。気持ち良いですねー!湯船にお湯を溜めて入りました。温泉以外では、このたびに出て、初めてです。こんな良いホテルに泊まると、その後が、困ります。(かなー?)さて、世界の果てに来たので、「世界の果て号」に乗ることにしました。これが、「世界の果て号」です。この線路幅が、たったの60cmしかない、小さな列車に乗って行きます。世界の果ては、もっと寂寥感のある光景かと勝手に思ってました。しかし、緑は多く、湖もあり、美しいです。途中の駅で、降りて、見学しますが、小さいですが、滝もありました。 そして、又、列車は進みます。ゆっくりと。山と湖。馬もいます。終着駅、国立公園駅です。追記ここへは、日本の淑女お二人と一緒に来ました。高級ホテルなので、バックパッカーでない、方々です。僕がチェックインする時に、丁度会って、挨拶だけしましたが、その後、フロントで、又、お会いして、一緒に、この世界の果て号に乗ることに相成りました。この夜は、ワインとビールを、部屋でご馳走になりました。酔った!
2010.01.15
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2010年 1月 12日(火) 111日目(アルゼンチン4日目)世界最南端の町、ウシュアイアへ向けて出発です。昨日は、小雨模様であった、プンタ・アレーナスでしたが、この日は、青々とした空です。昨日より、淋しい感じは少なくなりましたが、風が冷たく、強いです。朝9時、予定通りにバスは、出発し、快調にバスは走ります。僕の席は右側の窓側。太陽の直射日光を受けています。あれー?おかしいなー? 南へ進むので、太陽は、左側から受けなければなりません。南のの果てへ行くのに、これでは、北へ向かっています。地図を確認すると、確かに北へ向かっています。マゼラン海峡を渡る場所がプンタ・アレーナスの近くには、ないようで海峡の狭まる北方へ移動しているようです。バスが、走るとこと、2時間、フェリー乗り場に着きました。マゼラン海峡を渡ります。乗客の皆さんが、一斉に、反対側の海を見るために、立ち上がりました。、なんじゃ? なんじゃ? 野次馬根性丸出しで、見ようとしましたが、出足遅く、皆さんの背中しか写真に撮れません。うわぁー! 歓声があがります。人種を問わず、見たいものも同じだし、、喜んだ時の声も同じですね。イルカが船の後を付いて来ているのです。人並みを掻き分け、写真を撮りましたが、見えませんか?フェリーに乗っている時間は、45分ほどですが、バスが乗ったり降りたりするので、合計、1時間半かかりました。ここが、もう、フエゴ島です。フエゴ島も、風が強いですよ! 凄い風です。周囲は、牧場ばかりで、家並みは見えません。フエゴ島の東を南下します。14時38分、出発して、5時間半あまり、チリの出国です。写真で見ると、青空で、穏やかなのですが、風は突風のようです。こんな時、デブは、良いですな。どっしりしてます。吹き飛ばされません。ここのイミグレ、旅行代理店見たいに、色んなステッカーが貼ってあります。そして、驚いたのが、荷物検査の機械です。見ると、漢字で書いてあります。ニッポン、車だけでなく、こう言う所でも活躍してるなー、と、ニッポンの技術に優越感を覚えたのであります。ん? なんじゃ?漢字では、ありませぬ。中国語です。ん? って、言う事は? 中国製? 中国の技術、そこまで上がったか?驚きましたねー!小物類や衣類は、全世界、中国製に取って代わられましたが、こんな機械まで中国製が、しかも世界の果てにまで、進出しているのです。中国、恐るべし!いつ、ニッポンは、中国に降参するのでしょうか?リオ・グランデと言う町で、一休みです。でっかい、カルフールがありました。そんなに人が住んでいるんかい?ってな町のように見えますがねー? フランス人も商売やってるんですね。牧場ばかりだった風景が一変しました。湖がありました。えー! ここが世界の果て、地球最南端の町へ向かっているのかい?湖と森だぜ?標高は低いのに、且つ、夏の真っ盛りなのに、山々には、残雪があります。よっぽど、ここはさむいのでしょうねー!20時45分、まだまだ、夜には程遠い、明るさですが、ウシュアイアに着きました。ほぼ12時間のバスの旅です。曇りで、風も冷たくて、なるほど、最南端の町やな、と、ちと感じさせてくれました。宿は、京都の女性二人組みに、教えて貰った、クルス・デル・ソルにしました。ドミです。 60ぺソです。 安いです。しかし、安いだけのことはあります。ここに、3泊は、無理やなー、と思いつつ、シャワーを浴びる気持ちにもならず、2段ベッドの上に、這い上がりました。追記本日は、時間がなくて、太字や強調文字に出来ませんでした。読み難いですかねー?
2010.01.14
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2010年 1月 11日(月) 110日目(チリ21日目)雨です。朝から雨です。ホテル・ブルー・ハウスの、レッド・ルーム。この僕の部屋、窓がありません。代わりに天井の一部が、ポリ板で灯りとりになっています。そこが音がするので、雨かどうかも分かります。昨夜は、夜の10時過ぎまで、そこが明るくて、あれー? これは、イミテーション灯りとりで、蛍光灯でも入っているのか? と思ったものです。よく、日本の怪しいホテルなんぞに、ありますよねー?(聞いた話ですが・・・。)しかしながら、ここは、もう南も南、相当南です。白夜ではないですが、真っ暗になるのは、11時過ぎです。そして、朝は、5時頃から明るくなり始めます。イミテーション灯りとり天井ではなかったのであります。小雨ですが、せっかく来たので、プンタ・アレーナスの町を歩いてみました。 結構、大きなビルもあります。 皆さん、雨なのに、傘を差している人いません。 平気で、歩いていますね。傘差してる僕が場違いな感じです。 海沿いに行きましたら、大きな船がありました。あれが、行きたかった、南極クルーズ船ですかねー?安くても50万円くらいするらしいですから。断念するより仕方ありません。さて、ペンギンツアーです。飛行場の方へ向かいまして、30分ほど走った後は、未舗装道路をガタゴト走ります。 道路の周りは、牧場です。突然、運転手が車を止めて、空を見ろ! と言いました。お! 空飛ぶペンギンでも、現れたか? と、慌てて車から出ます。本物の鳥です。コンドルです!えー? 崖もないのに、コンドルが、こんな所にいるのですか?(ガイドは、コンドルだと言ってました。)ペンギンの営巣地に着きました。風が強いですねー! 吹き飛ばされそうです。この看板の通りに歩いて、ペンギンと懇親しながら歩くと、1時間15分は必要であると言われました。(ガイドに。)早速、ペンギンさんがいましたぞ!親子ですねー。もう赤ちゃんと呼べるほど、小さくはないです。大きさは、親と変わりません。海から戻るペンギンさん達です。風が強く、小雨なのか、それとも海の波が風で飛ばされてくるのか、水滴が顔に当たります。痛いほどです。秘蔵のヒートテックを穿いて、着て、さらに、アルパカのセーター着て、その他、持っているもの全部、身に付けてますので、寒くはないです。冷たくて、痛いのは、顔だけです。この寒いのに、海に入っているペンギンもいます。(当たり前か? な。)どうです? 見えましたか?陸を見れば、あちこちにペンギンがいます。人間を怖がりません。保護されてますからねー。柵の外には人間は出られません。言って見れば、檻の中を歩いているのが、人間で、それを見物しているのが、ペンギンなのです。ジーーーツと、こちらを見ている暇なペンギンもいますな。こんな穴が、彼等の邸宅です。安上がりで、良いですね。高いお金出して、マンション買う必要もないです。人間も、見習って、こう言う所に、居心地良く住めれば良いのに・・・。親を先頭に、2匹の子供が付いて歩いています。どこへ行くのでしょうか?この親子は、通路のすぐ脇で、何か話してます。もう産毛も抜け始めて、大人になりかけですねー。「分かりましたか!」「もう、赤ちゃんではないのだから、自分の事は、自分でしなさい!」とでも、言っているのでしょうか?よーーーく、聞いてましたが、言葉が分かりません。スペイン語か?いや、あれは、ペンギン語でしたな。分からないはずや。ここで、問題です。この写真の中に、ペンギンは、何頭いるでしょうか?顔が冷たいので、予定より早く、1時間で戻って来ました。海も、イースター島とは、全く色が違いますね。同じ海なのに。ツアー費用は、車の送迎が、8000ペソ、入場料が、6000ペソで、合計14000ペソ(2800円)です。16時半出発、帰着は、20時。手頃なツアーです。ちと高いですが。ペンギンツアーは、オーストラリアのメルボルンで見て、2回目です。メルボルンは、夜、6匹位から、10数匹の集団が、次々に海から上がって来て、子供のいる巣へ、ピョコピョコ歩いて行きます。朝方、餌を取りに海へ出かけて、餌を沢山お腹に入れて、腹を空かした育ち盛り、食べ盛りの子供にあげる為に、夜帰って来ると聞きました。その集団で、歩く姿が、何とも、可愛いんですねー! それが。ここは、海から帰って来るペンギンには出会えませんでした。が、一見の価値はあります。
2010.01.12
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2010年 1月 10日(日) 109日目(チリ20日目)パタゴニア地方へ行きます。ここ、チリとアルゼンチンの南部を、それぞれの国とは、別にして、このように、パタゴニア地方と、言うようです、面倒ですねー。そんなんなら、パタゴニアって国にしたら良いじゃーないでっか? と思うのですが、でも、国土って奴は、そんな簡単にいかんのですなー。誰でも、欲張りですからなー。「左の頬を叩かれたら、右の頬を出しなさい。」って誰が言いましたか?そんな言葉を持って、侵略して、やりたい放題やった奴らが、この国を作った訳ですから、強欲同士なんです。その彼らが、戦って領土を決めたのだから、変えられんですわな。さて、寝不足の目を擦りながら、サンティアゴの飛行場へ向かいます。又もや、飛行機です。今回の旅で、4回目ですよ。 パナマからエクアドルへ(片道) グアヤキルからガラパゴス島へ(往復) サンティアゴからイースター島へ(往復)上記は、それぞれ、理由があって、飛行機に乗らざるをえなかったのです。ですが、今回は、「遠い」ってだけで、飛行機に乗ってしまいました。バックパッカー失格でしょうか?ラン航空です。隣には、明らかに、バックパッカー、しかも世界一周しているだろうと思しき、日本人でした。席に着くなり、すぐに居眠りこき始めたので、話しかけるの悪いと思っておりましたが、すぐに食事が出されます。話しかけたら、なんと、となり町の蒲田の人だったのです。同じ大田区です。近いですねー! 我がアパートのある池上から、歩いて20分位です。まぁ、言って見れば、地元同士って感じなほど、近いです。もう、1年ほど、世界を廻り、本来なら、帰国時期らしいですが、世界一周の帰国便のチケットは捨てて、もう半年ほど南米を廻るそうです。羨ましいですなー!あら? この言葉、良く聞きましたぞ?そうそう、ドイツ人やら、南米人やらと、話をしていて、半年間、旅をしていると言うと、このアジアの星一番が、言われた言葉でした。聞けば、昨夜は、ほとんど寝てないそうです。フライトの変更で、日本のJALと3時間も交渉したそうです。え! 3時間も電話で! ビックリしましたぞ! 金持ちのボンボンか?大田区の社長の息子か? こりゃー、仲良くしとくか? 良いことあるぞ!ってな、おいしいこと考えていたら、skype で話したらしいです。スカイプだと1分2円程度。1時間話しても、60円、3時間でも、180円です。そうでしたなー。そう言う手がありました。僕も、スカイプのソフトを、パソコンに入れてた時期もあったのですが、話す相手もいないので、削除してしまったのです。今、WiHiがこれだけ、世界各国で、普及してくると、スカイプとか、利用するべきですねー。そうすれば、宿などへも、連絡が取れます。徹夜明けと同様な、蒲田在住青年と、缶ビールを飲みながら話し続けて3時間、プンタ・アレーナスが見えて来ました。この間、CAさん、缶ビールの追加は認めて持って来てくれましたが、食事のお替りは、持って来てくれませんでした。プンタ・アレーナスの町です。なんか、淋しそうな町ですねー。天気も悪いからか、今までの町の風景と一変して、くら~い感じです。小雨も、ポツポツ、降っています。久しぶりに、傘を取り出しました。この町には、椎名誠の本にも出てくる、安宿、モンテカルロと言う宿があるらしいですが、「歩き方」では、25ドルほどします。それでも、ここが、一番安いのです。もっと安い宿にしたかったので、ネットで調べました。ブルーハウスってのが、見つかりました。アルマスホテルから、歩くこと、7~8分で着きました。ドミ:5000ペソ(950円)個室:8000ペソ(1500円)個室にしました。シャワー、トイレは、共同です。タオルもありません。石鹸もありません。何にもありません。部屋を見ると、ブルーハウスって言うより、レッド・ルームって言った方が、よろしいようです。本日は、移動だけの1日でした。
2010.01.11
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2010年 1月 9日(土) 108日目(チリ19日目)メンドーサですが、街路樹が多く、故に緑が多く、日陰も多く、さらに街中に公園も多く、ビールも安く、ワインもおいしくて、もっと長居したい町です。しかしながら、パタゴニアへ行く、フライト決まっています。サンティアゴへ帰らねばなりませぬ。宿のWndsor(ウインドソル)も、値上がりして、80ペソ(2000円)になってましたが、WiHiは使い放題で、エアコン付きで、朝食つきで、親父さんは英語も話せて、親切だし、良い宿でした。朝の9時50分、到着した長距離バス停から出発です。イミグレの手続を1時間見ても、夕方5時には着きます。(はずだったのです。)この棚段式でない、ブドウ畑、これで見納めかと思うと、写真を撮りたくなります。このポプラもそうです。バスは快調に走り、すぐに、こんな山になります。本日は、来る時よりも、雲が少なく、アコンカグアの頂上も見える可能性が高いです。雪を被った山が向こうの方に見えますぞ。おー! 見えて来ました。 アコンカグア! 雲がかかってません!ちょこっと頭しか見えませんな?おい! バスのスピード緩めろ!日本語で言いましたが、伝わる由もありませぬ。さっと走り去りました。隣の席に座る、車掌券運転手に、手真似で、写真を撮るからと、伝えて置いたのです。見逃しました。 残念!しかし、反対側の席の、ブエノスアイレス人が写真撮ってました。それを、コピーして貰った写真が、これです。名峰アコンカグア!どこが名峰? なのか、分かりませんなー?ネパールのポカラから見る、ヒマラヤなどの方が、ずっとずっと、美しいです。山のとんがりもなく、なだらかだからでしょうか?一瞬でしたし、山って、見る方向から、全く印象が異なりますし、名峰と呼ばれているので、名峰なんでしょう。どこから見ても、同じように見えるのは、我がニッポンが誇る富士山だけです。富士山は美しい!ニッポンの女性は美しい!日本人らしい感想を心の中で、呟いておりましたです。名前は知りませんが、とんがっている山もありました。雪解け水が、山間を流れています。雪のように見えますが、あれは、小さな川です。雪解け水です。順調に、快調に、アコンカグアが見えても、ぶっ飛ばして走ったバスは、3時間もかからず、イミグレに到着しました。なが~い列、車もバスも、渋滞状況です。これは、時間がかかるー! と、ガックリしております。昨日の1日のブログの原稿をバスの中で書き終わっても、居眠りして、そして起きても、9月から訪ねた都市の名前を手帳に書き終わっても、まだまだ、バスは、仲々、前へ進みません。もう2時間半待ちました。外を散歩しました。雪解け水が集まった川が流れ、残雪のある山も見え、景色は悪くないです。おっそいなー! ほんと、どうなってんのや? おっそいなー!などと、ブツブツ言うこと、何十回でしょうか?手続が終わったのが、17時45分。本来ならば、とっくにサンティアゴに着いている時間です。4時間45分、かかりました。イミグレの手続時間は、ここが、過去最高であります。信じ難い時間です。何とか、せぇや! チリにアルゼンチンさんよー!イミグレを過ぎると、すぐにイロハ坂のようなクネクネした坂道をおります。そして、チリ側のブドウ畑です。こちら側は、見慣れた、棚段式ですねー。そんな事で、宿に辿り着いたのは、夜の9時を廻ってしまいました。おまけに、狭い部屋に替えられて一悶着。土曜日の夜で、お店も閉まっており、買物さえ出来ず、ガックリです。サンマの缶詰と、カップラーメン買ってあったので、それとワインで侘しい夕食でした。
2010.01.11
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2010年 1月 8日(金) 107日目(アルゼンチン3日目)ワイナリー巡りです。車でのツアーは、午後2時出発です。午前中は、宿で、ゆっくりしました。最近、良くゆっくりしてますねー。「歩き方」に、アルゼンチンのワイン生産量は、世界第4位と書いてあったので、他にどんな国が上位にいるのか、調べて見ました。2004年の統計しか見つかりませんでしたが、下記の通りです。1.フランス2.イタリア3.スペイン4.アメリカ5.アルゼンチン6.オーストラリア7.中国8.ドイツ9.南アフリカ10.ポルトガル11.チリ12.ルーマニア上位の、1位、2位のフランス、イタリアは、毎年、トップ争いです。3位:スペイン、4位:アメリカの順序も、変わってない見たいです。ここで、中国が、7位って言うのが驚きますね。中国人の皆さん、白酒や、黄酒だけでなく、ワインも、結構、飲んでいるのでしょうか?チリは、ベストテンに入ってませんが、ギリギリの位置にいます。ツアー開始です。50ペソ(1250円)で、入場料も試飲も含まれています。12名の参加ですが、全員をピックアップするのに、1時間もかかりました。時間の無駄ですなー。これは、何の木じゃ? ブドウじゃなかろう?ん? こりゃー、オリーブじゃないかい?ワインツアーなのに、なんで、オリーブの木や実を見なければならないのだろう? と思いましたが、ここメンドーサは、ワインの産地で有名ですが、オリーブの産地でもあるらしいのです。それで、ツアーのコースに入っているのです。オリーブを絞る機械ですが、アルファーラバルってメーカーです。特殊機器では、有名なんですねー。本社はドイツでしかた?これは、イタリアから来た機械のようです。 オリーブです。言うまでもないですね。 オリーブの各種製品です。 来ました! ワイン工場です。ブドウ畑も目の前にあります。ここは、棚式ではありませんねー。試飲です。これが楽しみなんですなー! まずは白。そして赤。色の見方や、匂いの嗅ぎ方、飲み方、などなど、説明があります。言葉の比率が、スペイン語3分、英語10秒程度の説明なので、分かりません。まぁ、でも、ワインの飲み方くらい、知っておるわい! と余裕しゃくしゃくです。ここの白ワインが、ソフトで、おいしかったですねー。赤は、ちょっと渋めです。ここは、VISTANDESと言うワイナリーですが、製品です。 貯蔵庫も見せて貰いました。こんな美しい方が、案内してくれます。次のワイナリーへ向かいます。メンドーサの郊外も、やはり街路樹が多いです。ポプラもあります。姿勢が良いですねー! ポプラは。 見ていて気持ち良いです。次のワイナリーに着きました。貯蔵庫ですが、3ヶ月から2年ほど、貯蔵するそうです。樽で保存するのかと思ったら、瓶でも保存するのですね。そう言えば、サウジアラビアで、ワインを密造した時、瓶で保管してました。それでも、味がマイルドになります。(密造ってのは、内緒ですよ!)このワイナリーの保存庫は、地下にあります。長い階段を降りて行きますが、さすがに、飲料の会社、ホコリ一つない感じで、キレイです。そして冷やかです。お待ちかねの、試飲です。Cormine Granta これが、メーカー名です。赤ワイン。ここの赤も、渋みがありますねー。(ま、赤ワインは渋みなんでしょうけど)値段を聞くと、試飲しているワインは、概ね、500円位のものでした。皆さん、ウンチク並べながら、飲んでいます。(たぶん)ブエノス・アイレスから来た人が多く、他は、ブラジル、アメリカです。これが、ここで、最も値段の高いワインだそうです。特別に、出して貰って、写真を撮りました。飲ませてはくれません。さて、いくらだと思いますか?そんなに高くないのです。280ペソと言ってましたから、7000円程度でしょう。最も高いもので、この値段です。良く見ると、このワインは、4200本しか作られてないそうなんです。誰かと一緒だったら、買って飲んだのですがねー。一人では、飲みきれないし、勿体無いので、買えませんでした。次は、ワインでなく、リカーショップです。色んな材料で、酒を造っている会社です。ここでも試飲させてくれます。僕は、ローズの酒を味見しましたが、甘かったです。食前酒かな?ここでも、キレイなお姉さんが、お酌してくれます。もう、帰りかと思ったら、まだ寄る場所がありました。教会です。1840年に作られたと言ってましたが、この背の高い木が一本あるのです。この木の名前、オープンマウスと銘々されているようです。何故かと言うと、見上げる時、みんな、口をポカ~ンと開けるからだそうです。ほんまかいな? その木の名前? (ガイドの話です。) 教会です。ワインツアー、仲々、良かったですな。ですが、自転車で自分で廻るツアーもあるのですよ。ワイナリーの入場料は、10~20ペソ(250円~500円)くらいですが、自転車は、50ペソ(1250円)で借ります。ツアー会社で、受け入れてくれるワイナリーを探してくれるので、地図を頼りに、1日がかりで、3社か4社か5社廻ります。よっぽど、こちらにしようかと思ったのですが、ワインの酔っ払い運転で、排水溝にでも、落っこちてしまったら、大怪我すると思って、止めました。追記ワイン製造の機械は、ほとんど全てが、イタリア製でした。生産量では、1位、2位を争う、フランスと、イタリアです。何故、フランスから買わないのでしょう?僕が、思うに、イタリアの方が、ずっと安いのだと思います。どう、思いますか?
2010.01.10
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2010年 1月 7日(木) 106日目(アルゼンチン2日目)暑い夜を過ごしました。おまけに、腕と手の甲に、湿疹が出来て、痒くてなりませぬ。鼻の頭も、皮がむけています。イースター島。暑いとは思わなかったですが、日差しが強かったのですね。紫外線にやられたようです。いつも、7時間は寝ないと、寝不足なのですが、暑いので、6時間で起きてしまいました。この宿、悪くはないのですが、繁華街に遠いです。長距離バス停には、近いですが、ネットにも繋げません。で、宿を探しに、チェックアウトしました。この街、街路樹が多いです。って言うか、どこの道路も街路樹です。そして、その街路樹の下には、レストランやカフェがオープンしてます。宿、何軒か廻り、部屋も見せて貰いましたが、シングルで100ペソ前後です。WiHiが使えるのを条件に、さらに探しました。ありましたねー! 80ペソ(2000円)です。ホテル:ウインドソルと言う、一つ星のホテルです。WiHiも使えます。パソコン用に、机と椅子は、特別に運んで貰いました。昼食は、有名なブッフェレストランです。食べ放題ですね。まずは、肉類を、集めました。次は、野菜類です。これで、もう16種類は食べたでしょうか?なんせ、150種類も、料理があるので、何を食べて良いのか分かりせん。 デザートです。もっともっと、沢山食べようと思って来ましたが、仲々、そんなに食べられるものでは、ありませんね。この食べ放題、30ペソ(750円)です。お得ですねー!ですが、わずかちょっと前は、17ペソ(425円)だったらしいですよ。ここ、メンドーサ、全てが値上がりしています。腹一杯になったので、街を散歩です。街路樹ですが、この街では、プラタナスのようです。マロニエと、プラタナスの区分が、僕には難しいのですが、この葉っぱを見れば、プラタナスだと分かります。街中でも、こんなですよ!夕食に、ビールを買って来ました。1リットルもあるビールですが、わずか3.79ペソ(95円)です。こ安さに惹かれて買ってしまったのです。アホやなー!そこは、ワインの名産地じゃろが? 何でビールなんじゃ?と言うなかれ。アジアの星一番は、アルコールに強くないのです。で、ワイン1本は、飲みきれません。ワインは、明日、ワイナリーへ行って、試飲します。ですから今夜はビールなのです。しっかし、ビール1リットルは、飲みきれませんなー!酔っ払ってしまって、一寝入りして、又、飲んでます。こんな幸せな、日々を過ごして、よろしいのでしょうか?追記この宿、ホテル:ウインドソル、WiHiが繋がり、使い放題です。で、株や、為替を、ずっと、チェックしてましたが、株価も上がって来ました。そして、為替。嬉しいですなー! 93円台になりました。菅副総理兼財務相が、「90円台半ばが、好ましい」と発言したらしいですね。それで、株価は上がり、円も安くなって来ました。僕は、200万円を、7口、合計1400万円、ドルを買ってます。一時期、100数十万円の、損失で、どうなることやら、ひやひやでした。ですが、今や、な、、なんと、損失が10万円を切ったのであります。菅財務相、様さまですな。今のところ。今の日本の状況より、円は、1ドルに対して、100円が良い所でしょう。アメリカが、弱すぎるのです。97円位まで、我慢しようと思ってますが、どうかな?95円まで我慢して売却した場合、たった10万円の儲けです。97円なら、38万円の儲けですから、又、どっかへ行けます。今の僕の肩書きは、貧乏旅人兼デイトレーダーなんです。ですが、旅に出てから、デイでトレードしてません。ハーフイヤートレーダーになってしまいます。
2010.01.08
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2010年 1月 6日(水) 105日目(アルゼンチン1日目)アルゼンチンへ入ります。チリから、アンデス山脈を越えて。ブラジルビザ問題が、発生する前は、ここへ行く予定はなかったのです。ブラジルへ入れない場合、日程に大幅な余裕が出るので、ここメンドーサと、パタゴニア地方が入りました。このアンデス山脈を越えるとき、名峰アコンカグアが見えると言うのですねー。見たいではないですか! かの、植村直己、長谷川恒男、今井道子、三浦雄一郎など、著名な各氏が、登っている山なのです。で、著名(?)な、アジアの星一番も、登ることは無理でも、一目、その姿を見たいのであります。7000mもあるのですよ!購入済みの、TUR BUS のチケットを見れば、発車時間は、13時41分。1分単位まで書いてありますから、これは、正確に、時間ぴったりに、出発するのであろう、と、早めに長距離バス停に行きました。そしたら、1分単位どころか、出発は、14時05分です。25分も遅れました。そんなんなら、41分発なんて、中途半端な時間は止めて欲しいです。13時40分とか、13時45分で、良いじゃーないですか?ま、25分程度の遅れで出発してくれるのは、有難いですがね。ペルーの、ナスカでは、2時間も遅れましたし、クスコ行きでは、バスのせいではないですが、夜中の3時に起こされて、寒い中歩かされるし。でも、もう一つ、腹立たしい事があるのです。荷物を、預ける時の、荷物運搬労働者が、小銭を要求するのです。TUR BUS には、何度も乗りましたが、お金を堂々と要求されたのは、初めてですなー。見ていると、払う客と、払わない客がいます。え? アジアの星一番は、どうしたか? ですと?そりゃー、そのー、言葉が不自由ですから、お金を要求されていることすら、分かりません。(分かってんじゃん!)従いまして、支払いしていませんです。はい。こう言う時は、スペイン語を話せない日本人は、便利です。因みに、降りる時も、要求されました。預けたバックと引き換えです。しかし、ここも、支払ってません。こう言うお金は、小銭であっても、絶対に払いたくありません。さて、文章が長くなりました。悪い癖ですね。指が勝手に、文字を叩き出してしまいます。サンティアゴの町を抜けると、こんな道路です。快適な舗装道路ですねー。イースター島に分けてあげたいほどですわ。ほどなくして、山も見えて来ました。1時間ほど、走ると、ブドウ畑も見えます。まだ、ここは、チリなんです。メンドーサの真似でしょうか? なんと言っても、メンドーサは、アルゼンチンのワインの名産地なのです。道路脇の山すそから、雪を被った山も見えます。こんな山や、 こんな山や、 こんなチェックポイントを快調に、走り抜けます。 残雪のある山が、ずっと見えます。雄大ですねー!トンネルを抜けると、そこは、アルゼンチンだった。と思ったのですが、まだまだ、チリです。トンネルが多いのですよ!むむ? これが、名峰アコンカグアか?違いました。今度こそ、これが、名峰アコンカグアであります。バスは、観光バスでないので、せっかっくの名峰があっても、何のガイドもないし、バスのスピードを緩めるでもありません。残念ながら、雲がかかっていますねー!サンティアゴを出発し、3時間と少々で、イミグレに到着です。ここは、ちっちゃなブースが見えますが、左側がチリの出国で、右側がアルゼンチンの入国です。非常に便利で、早く通過出来ると思うでしょう?そう、ここの手続は速かったのですが、待ち時間が、何故か異常に長く、荷物検査も含めると、1時間25分もかかってしまいました。バスの出発、18時40分です。ここから、メンドーサまで、200キロはあります。 おい、おい! 暗くなってしまうぞ! 着くのが。宿探しもあるし、バス停は、町から遠いし、困ったなー!と思っておりやした。アルゼンチンへ入っても、相変わらず、良い道路です。でも、砂漠ですねー。水は、アンデスの雪解け水があるのに、高度のせいでしょうかねー?突然、緑満々の、オアシスが現れます。オアシスなのか、灌漑用水なのかは、分かりませんが、緑は、心を、ほっとさせる効果があるようです。湖もありましたよ!もう、メンドーサも近いようです。車掌さんが、そわそわして来ましたから。21時10分。思ったよりも、早く着きました。バスを降りて、強欲荷物運搬労働者に、チップを要求されて、気付きました。両替してないじゃん!アルゼンチンの金ありません! バス乗れません! 困りました。長距離バス停内に両替所がないか、隅から隅まで探しました。しかし、ありません。バスを降りたとき、ホテルの客引きがわんさと、押し寄せて来たのに、無視してしまいました。それも失敗でした。時間は、どんどん過ぎます。真っ暗です。止む無く、目指すホテルまで歩くことにしました。町の中心です。「独立広場」を目指します。何人もの人に聞きながら、ようやく目指す方向の道に出ました。暗いし、強盗に出会いはしないか、心配です。ふと、見ると、こんな看板がありました。ホテルですねー!目指すホテルは、まだまだ、ずっと先で、20分は歩かねばなりません。しかし、時計を見れば、22時を廻っています。このホテルにするか? 値段を聞いて見れば、70ペソ。ん? 一体、いくらだ? 両替率が分かりません。事前に見た、「歩き方」では、1ドル=3.1ペソとありましたので、2000円程度です。ここにするかー!そして、言いました。「あのー、お金持ってないのですが、支払い明日でいいですか?」、と。無銭宿泊と思われてもいけないので、ドル紙幣と、チリペソを見せました。「あー、ええよ、ええよ!」 気の良さそうなおっちゃんです。「両替も、してあげるよ」、聞けば、1ドル=3.78ペソです。両替屋より、レートは悪いのでしょうが、現地通過を持っていないのは不安です。50ドル両替しました。部屋です。大した部屋では、ないですが、泊まれる安心感に包まれました。アンデスを越える時は、すごく寒かったですが、ここメンドーサは、暑いです。部屋も蒸し蒸ししています。もっと寒いのかと思ってましたが・・・。取り合えず、今夜は寝ます。
2010.01.08
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2010年 1月 5日(火) 104日目(チリ18日目)本日は、何の予定もない、サンティアゴの1日です。万が一、イースター島からの飛行機が、遅れたら? と言う心配をしてここで、1日余裕を持っただけなのです。この余裕のお陰で、次に向かう土地のことが調べられます。そして、ここの宿、無線ランが、使い放題です。良いですねー! このWiFiとか言う奴。いつでもネットに繋げると思うと、心が、何故か、ゆったりします。ウシュアイアの日本人宿、「上野大学」と呼ばれる宿ですが、メールを出しましたが、返事が来ません。満室のようです。でも、僕の行く先々を行く、京都のお二人から、ウシュアイアの宿情報を貰っていますので、「上野大学」に泊まれなくても、問題はないのです。満室って、聞くと、泊まれなかったら? 高いホテルしかなかったら?などなど、心配になりますものね。サンティアゴでは、恒例になった、市場での昼食。本日も、かなり遅い昼食でしたが、やっぱり、出かけました。ウニのように、あまり現地の人が食べないものでなく、一般的に食べると思われる、海鮮料理にしました。パイラ マリナです。色んな貝と、魚が入ったスープです。生なら、絶対に中るか、ジンマシンでも出来そうな、各種、色んな貝が入っています。ライスも少し入れて貰いました。食べても、食べても、貝は尽きる事ないように、鍋の底から湧いて来ます。これで、ウニの半額の値段、2500ペソ、500円しません。お得です。いつもの通り、でっかい、レモンの切ったのが置いてあります。しかし、このレモンで、味を壊しているので、今回はレモンは使いません。案の定、このパイラ、おいしいですなー!貝の味です。レモンは、不要です。惜しむらくは、時々、ジャリっとします。砂吐きが、充分、なされていないようなんです。夜は、イースター島へ渡る前に買ってあった、白ワインを飲みました。つまみは、スーパーで買った惣菜です。ハム、チーズ、ブロッコリー、キュウリ、ラッキョウのでかいの、などが入ったものです。先日も食べました。野菜類は、酸っぱしょっぱいので、あんまりおいしくないですねー。こちらの人は、味付けを濃くしないと食べられないのかなー?こんなの食べてたら、舌の味覚が狂いそうです。白ワインに、合う、つまみではなかったですが、ワインはおいしかったですね。安物ですが、高級ワインと言われても分かりません。どうですか? この色? おいしそうでしょう?平地に降りた、チリに入ってから、ビールや、ウィスキー、ワインなど、アルコールに強くなったようです。お酒が、おいしく飲めるって事は、すっごく有難いですね。うつ病で、寝込んで、病院通いしていた時、3年も飲めなかったですから。
2010.01.06
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2010年 1月 4日(月) 103日目(チリ17日目)三が日も過ぎ、楽しかったイースター島生活とも、おさらばです。本日は、朝から、大雨です。空も、僕がこの島を去るのを、淋しがって泣いているのでしょうか?12月は、半分くらい、このような雨だったようです。それで、宿のオープンが遅れたと、川口さんが言ってました。昨夜は、4人で話が弾み、2時過ぎまで、話し込んでしまいました。ですが、本日出発。7時には、起き出しています。出発前の、準備時間が、僕には、普通の人より長く必要なのです。こう言うのを、関西辺りでは、「どんぐさい」、って言うようです。「どんぐさい、やっちゃなー! はよーせい!」、とか、言われたことありますから。東京近辺では、のろま、に当たる言葉でしょうか?ロスアンゼルスからやって来た、カップルさんは、松本さんと言います。結婚、5年位と言ってました、ご夫妻です。そして、川口さんと、記念撮影です。真ん中が、川口さん。両サイドが、松本さんご夫妻です。フライトは、12時15分です。タヒチから来る便なので、大幅に遅れる可能性もあると言うので、遅れも覚悟していましたが、時間通りに飛行機は、タヒチからやって来ました。空港に着いても、まだ、大粒の雨です。飛行機まで、歩いて行かねばならないので、雨に濡れます。こりゃー、困りますねー!ブラジルから来た、日系ハーフの人と、帰りも、又、同じ便です。お母さんとも会いました。リオのカーニバルが、2月14日頃らしいです。その頃のちょと前に、サンパウロへ着く予定です。すると、カーニバル、最盛期にぶち当たりそうですねー!ビザが取れればの話ですが、せっかく、年に1度の、お祭りに、旅のスケジュールが合致するので、見に行くかなー?カーニバルって、リオだけでなく、各都市でやるらしいですね。サルバドールが、良いって、お母さんが言ってましたが、この情報は、京都から来た、女性二人組みの方からも、メールで教えて貰いました。昼食です。欲張って、VINO(ワイン)と、ビールも貰いました。牛肉は、南米だから、硬いのかと思いきや、意外に意外、柔らかくて美味しかったです。ビールにワインを飲んだもので、トイレに近くなります。通路側の隣に座っているのは、ヨボヨボのおじいちゃんです。前の座席につかまって、ようやく立ち上がる有様なので、申し訳ないです。ですが、我慢の限界ってのが、ありますので、何度も立ち上がって、頂きました。気の良い、おじいちゃんで、迷惑そうな顔はしません。こんな、海と空を見ながら、飛びましたぞ。帰りは、速くて、4時間ちょっとで、陸が見えて来ました。サンティアゴです。翼の向こうには、アンデスの山々が見えます。明後日、あのアンデスを越えて、アルゼンチンの、メンドーサへ行きます。単に、アンデスを越える為に、国境越して行くのですから、贅沢ですねー。空港に着陸しました。イースター島へ着陸した時は、何故か、乗客の皆さん、拍手してました。しかし、ここサンティアゴ到着時は、拍手なしです。どう言う、意味でしょうか?4時間20分の、空の旅でした。
2010.01.06
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2010年 1月 3日(日) 102日目(チリ16日目)昨年の12月30日に、この島へ来て、早や、5日目、もう明日は、サンティアゴへ移動です。明日の、フライトは、正午ですが、実質的に、本日が最終日です。で、何をしたかと言うと?な~んにもしてません。宿の、Hare Kaponeで、ゆったりしておりました。いやいや、昨日借りた、ほとんど何の役にも立たなかった、チャリを返さねばなりません。20ドルも支払ったので、少しは使わねばならぬと、村内を一周しました。この花が目に付きます。この花、赤と黄色の2種類の、色を持っているのです。この花は、七変化(しちへんげ)、ランタナと言う花であります。(まめまめさんが、コメントで教えてくれました。で、本文に追加挿入しました。)村の外れの、夕陽が美しいと言われる、アフ・タハイへも行きました。ここにだけ、モアイに目が入ったのがあるのです。中南米の旅も、道中、半分以上が過ぎ、現金も必要になって来ました。バックパックに縫い付けた、お金を出します。ここに、入っているのですよ! 見ただけでは、絶対に分かりません。端だけ、縫い取りを切って、ほら、出てきました。100ドルの束。ちゃんとラップに包んであります。万が一、バックパックが濡れたりした時の為です。3500ドル入ってました。おー、でかい金ですねー。この現金で、チリ、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジル、そして、ベネズエラの途中まで、もたせねばなりません。夕方、夕陽が最も美しいと言われる、アフ・タハイです。(実は、ここ、昨日行ったものです。)夕陽が、水平線に傾き始めた、夜の8時45分頃の時間です。太陽が沈むのが、遅いですよねー!このモアイが、アフ・タフハイと呼ばれていて、このモアイだけ、目が入っています。手前のモアイが、アフ・コテリクです。向こうの5体が、アフ・バイウリと呼ばれるものです。だんだん、夕陽が沈んで来ました。日本人のカップルを発見。どうも、昨年末、一緒にダイブした人達のようです。雑談している内に、Hare Kapone に泊まったら、どうですか?と、ハレ・カポネ宿泊第一号の、栄えある職務、客引きを始めました。好感触です。これは、絶対に、今の宿を引き払って、当宿に移って来るであろう、と確信を持ちました。先日は、韓国人の女性グループを勧誘してしまい、失敗したなー、と反省していたのです。ここ、ハレ・カポネは、日本人客専用宿です。でも、感覚的に、この人たちは、来ないだろうなー、とは思ってました。(で、やっぱり、韓国女性達は、来なかったです。)雑談している内に、太陽は沈み、ほんの少しだけ、夕焼け模様です。ここまで、昨日の話ですが、本日、このカップルさん、実際に宿を移って来ました。客引き大成功です。やりましたねー! 2泊するそうです。 やった! やった!新たな仕事を受注した時のように、嬉しいものです。そして、今夜は、僕の得意の、たった一種類しか作れない、野菜炒めを奮発しました。何せ、僕が勧誘した、お客様ですから、接待ですね。キャベツとベーコンの炒め、人参とタマネギ、ハムの炒め、スープに、冷しトマト、それに、ピーナッツをつまみに、ビールで乾杯です。オーナーの川口さんが、ソバをご馳走してくれました。サンティアゴの韓国スーパーで、日本食が買えるそうです。僕もサウジに居た時に、バハレーンの韓国スーパーには、ずいぶん、お世話になったものです。カップルさん、アメリカのロスに住んでいまして、世界各国をアチコチへ行っています。川口さんと、4人で話が弾み、何と、夜中の2時過ぎまで、話し込んでしまいました。いやー、楽しい夜でした。
2010.01.05
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2010年 1月 2日(土) 101日目(チリ15日目)モアイは、サンドイッチ食べないので、ここへ来た事の証拠の為に、記念撮影しました。いつも一人なので、あんまり自分自身を撮る頻度は少ないですが、本日は、ガイド兼運転の、川口さんが気を使ってくれて、結構、撮ってます。モアイの切り出し場、ラノ・ララクへ来ました。ここにも、沢山の製作途中のモアイがあります。300体以上あるようです。地中に埋まってます。斜めを向いてます。ここにもありました。ゴロゴロ置いてあるって感じです。始めは小さいモアイだったらしいですが、部族の象徴と言うことで、段々と大きくなっていったらしいです。大きくなるに連れて、顔も長くなって来たみたいです。これが、初期の頃の、モアイです。土の中に眠っていたそうです。顔が違いますねー!初期の頃は、祖先の顔に似せて作ったのではないか? って事です。これは、切り出し途中のもので、現存するモアイでは、一番大きく、21mあるそうです。立てられたモアイの最大は、10m程度らしいので、このモアイは、大き過ぎます。この大きさですと、立てる技術が、その当時なかったはずなので、立てる目的ではなかったようですねー。元この島のガイド、そして現在、イースター島、唯一の日本人宿、ハレ カポネのオーナー、川口さんと、貧乏旅人・アジアの星一番、記念撮影です。川口さんにも、お化粧して貰いました。 ラノ・ララクの切り出し場を降りて、トンガリキの15体を、もう一度カメラに納めました。モアイと、海と、空と、仲々、壮観ですねー。もっと、いつまでも見ていたいような気持ちです。改めて、日本のタダノさん、ありがとう!って、気持ちです。ラ・ピト・クラへ来ました。この島へ、最初にやって来た、ホツマツア王が故郷のヒバからカヌーに積んで持ってきた、磁場がある、不思議なパワーを秘めていると言う、石があるのです。馬が、その、ラ・ピト・クラを見つめております。注:故郷のヒバとは、色んな説があって、特定出来ていないそうですが、タヒチの近くの島が、有力であるそうです。この海岸のすぐ、裏にあります。これです! 霊力のある石です。川口さんが、方位計を持って試しましたが、磁力があるので、方向がフラフラと、揺れ動きます。この石に、手とおでこをつけると、ご利益があるとのことで、やって見ました。どんな、ご利益があるでしょうか?アナケナビーチにやって来ました。メイン道路のある村の中心から、丁度、反対側に位置します。ここにもモアイがありまして、ここのモアイは、プカオを被っています。砂浜に埋もれていたので、傷みが少なく、原型をとどめているようです。但し、目は残っていません。さて、本来の1日ツアーコースならば、行かないアフ・アキビに向かいます。7つのモアイが、海を向いているのです。チャリを借りて行く場所だったもので、川口さんの特別なサービスで、ここにも連れて行って貰いました。最初に、この島に辿り着いた、7名だと言う説があります。トンガリキの15体のモアイが立てられる前は、ここがこの島の観光のハイライトであったそうです。これが、イースター島の全図です。本日、車で廻ったコースを、オレンジ色の線で示しました。車で、全周は回れませんので、ま、一周したのと、同じですね。青い線で示した所は、昨日、歩いて登った、所です。以上、その1、その2、に分けて、イースター島、を紹介しました。尚、このイースター島と言う、名称は、最初の頃、ここへ辿り着いた白人が勝手につけた名前で、本来の名前は、Rapa Nui、ラパ・ヌイって言うそうです。ならば、イースターなんて、名前は捨てて、ラパ・ヌイにした方が良いよなー、と思った次第です。
2010.01.05
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2010年 1月 2日(土) 101日目(チリ15日目)イースター島の滞在、後2日間しかありません。考えて見ると、まだ、モアイ像を見ておりませぬ。アホやなー!イースター島って言ったら、モアイでしょう!はよ、見に行けや!と言っても、そうは簡単に見には行けない事情があるのです。この島、小さいと言っても、周囲は58キロあります。ここを、どのように廻るか? 方法はいくつかあります。タクシー →バックパッカーに、この乗り物は禁物。よってダメ。レンタカー →60ドル位する。一人で借りるには高すぎる。よってダメ。レンタバイク →30ドル程度。運転免許証を忘れた。よってダメ。じゃー、いってぇ、どうすりゃー、良いんじゃ!レンタサイクルって言う手もありました。しかしながら、この島の道は悪路。誰も、この手は推奨しません。行けるもんなら行ってみろ! と言われます。(チャリで廻った日本人、多数らしいです。後で聞きました。すごいっすね! 日本人)じゃー、どうすりゃー、良いんじゃ!ツアーって言う手がありました。昨日は、1月1日でしたが、開いているツアー会社がありました。1日コースで、40ドルだそうです。こっれきゃないな。一人でここに来て、且つ、運転免許持って来ないと、島内見学にも一苦労であります。免許証は忘れずに持参しましょう!そのツアーは、滞在最終日の、1月3日しかありません。それで、本日は、チャリを借りて、往復20キロ程度のところにある、7体の、モアイを見に行くことにしました。その前に、朝食です。2回目のご飯炊き。うまく炊けました。おかずはハムで、三分の一食べ、残りのご飯は、生卵で食べました。うまかったすなー! で、チャリを借りて、飲み物、食べ物を持って行こうと一旦宿へ帰った、11時頃、宿の前に見たことのある、車があります。オーナーの川口さんの、共同オーナーであるイースター人の車です。あっりゃー! ありゃりゃりゃ! 車、借りられたの?実は、昨日も、車借りられたら、島内の見所の、1日コースを案内(勿論有料です)してくれるって事だったのです。ですが、結局借りられずに、オロンゴへ登ったのでした。本日、10時頃まで待ったのですが、車を借りられるかどうかも分からないし、残り2日間しかないので待てません。本日は、チャリで島内の近場を廻り、明日は、ツアーで島内一周にしようと決めて、大枚、20ドル支払って、チャリを借りて来たのです。困りましたよねー!チャリの金は、支払ってしまったし、せっかく、車を借りてきてくれた川口さんの案内を断るのも拙いし・・・。迷いました。チャリの20ドルは、無駄になります。が、泊り客第一号であることを優先しました。 ねー、せっかく、無理をして車を借りてきてくれた川口さんの、努力を無にすることは、出来ませぬ。で、早速、島内観光へ出発しました。まずは、アフ・ハンガ・テエです。こんな海辺のところです。ここのモアイは、全て倒されています。僕は、勉強不足、調査不足で、ほとんど知識なしで、当地へ来ています。で、全く知らなかったのですが、モアイって、この島の部族の権力や霊力の象徴だったようであります。そして、多くの部族があり、モアイを作ることによって、森林破壊や、農作業の停滞が起こり、その他の影響もあって、結果的に食料不足となって、モアイを作ることを止めてしまったようです。そして、乏しい食料を巡って、争いが起きて、部族の象徴であるモアイを倒す、モアイ倒し戦争が起こったのだそうです。顔を下に向けて、モアイは倒されていますが、目に霊力があるので、モアイを倒した敵の部族は、目を下に向けて倒したのだそうです。頭が、こちら側です。分かるでしょうか?この島、馬の放し飼いが多いです。持ち主はいるらしいですが、ほとんど面倒見ないで放し飼いだと聞きました。以前は、馬が移動手段だったらしいですが、今は、車だし、馬を食べるでもなく、どうするのでしょう?モアイ像のハイライト! アフ・トンガリキに来ました。日本のクレーン会社、高松のタダノって言う会社らしいですが、クレーンの提供と1億円に及ぶ援助によって、倒れていた15体のモアイ像をここへ立てたのだそうです。すごい事しましたねー! タダノ! 高価なクレーンと、1億円も提供して、大したものです。これ、「世界不思議発見!」の番組が発端らしいです。当時の島の責任者が、倒れているモアイを立てたいけど、技術がない、とか何とか番組で言ったのを、タダノの社員の方が見ていて、じゃー立てる、お手伝いをしようじゃないか、ってな事になったらしいです。(関係者の方、間違っていたら訂正のコメントお願いします。)この15体のモアイ像が立つ入り口に、もう一つのモアイ像があります。このモアイ像、日本へ行って来た、この島、唯一のモアイです。海外旅行をした、モアイなんですねー! 日本の何かのイベントに参加したと聞きました。モアイ像が、海に背を向け、山の方向を見ています。ご先祖様の、霊力がこもっていて、部族を守ってくれるのですから、海の方向を見たら、不味いです。部族民、村人を見ていなければなりません。圧巻ですねー! 右から5体目が一番大きいですが、それで8mだそうです。もっと、大きいように感じられます。近くで、見ましょう。 どうでしょうか? じっと何かを見ているように思えます。彼らの目の先には、この山があります。ここは、モアイの切り出し場で、95%のモアイは、この山から、切り出されたそうであります。確認された、モアイだけで、小さいのから、大きいもの、古いものから、新しいもの、作りかけのものまで、含めて、900体ほどあるそうです。昼食時です。持参のハムサンドを、モアイにも食べさせようとしましたが、食べませんねー!食べたそうに、唇が突き出ているモアイもあるのですよ。続く
2010.01.05
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2010年 1月 1日(金) 100日目(チリ14日目)イースター島より、新年のご挨拶を申し上げます。昨年中は、皆様には、一方ならぬ、お世話になりまして、お礼の申し上げようもございません。拙いブログなのに、毎日のように、コメントを下さりました、Sさん、Rさん、Sさん、たまにコメントくださる方々、こっそり見てくださる方々、ありがとうございます。本年も、昨年にも増して、よろしく、お願い申し上げます。昨夜は酔いました。大晦日の夜でした。ん? と言うことは、本日は、新年? 当たり前ですなー。今、新年の、ご挨拶したばっかりでございます。酔ってますなー、まだ。 すいませんです。正月早々。午前中は、年賀状を書きました。元旦に年賀状を書くって珍しくないですか? 日本では、元旦に届くように、11月頃から、書き始める人もいるのでしょう。まぁ、ここは、静かです。大晦日は、皆さん、家族で遅くまで、話したりして過ごすので、まだみんな寝ているのでしょう。ニワトリの鳴き声と、そよ風の音しか聞こえません。さて、完全自炊生活に入りました、イースター島生活。ご飯なんぞを炊いて見ました。この旅で、初めての試みです。炊飯器以外で米を炊くのも、初めての経験です。如何でしょうか?ちょっとだけ、早く、火を止めてしまったようですが、うまい事炊けてます。しかし、そのまま食べるには、今一歩の努力が必要だよなー、と、自覚しておりまして、オジヤにしました。オヤジではありませんぞ!ネギ、ハム、卵入りで、栄養は充分でしょう。そして、昼は、インスタントラーメンに、残りのご飯をいれて、ラーメンライスを食べました。腹一杯になった所で、トレッキングに出発です。宿から、メイン道路へ出て、南へ向かいます。とあるホテルの入り口です。モアイをデザインしたものが、入り口にありました。ここが、オロンゴへ行く、トレッキングの入り口です。宿から、ここまで、35分も掛かってしまいました。こんな道を登ります。大した坂ではありません。マチュピチュのワイナ・ピチュへ登ると思えば、ここは、散歩道のようなものであります。ふと、振り返れば、ずいぶん、登ってきた事が分かります。木々が生い茂る林の道に差し掛かりました。大きな木はありません。頂上が近いようです。「ずいぶん」から、さらに登ったのが、この写真で分かるでしょうか?火口湖に着きました。宿を出てから、1時間15分でした。速いですね。この火口湖、名前は、ラノ・カウです。これで、直径、1600mもありますが、水深は、たったの11mです。ここは、ラバ・ヌイ国立公園です。10ドル支払わねばなりませぬ。火口湖の外輪を歩いていたら、国立公園の裏の入り口に出くわしました。ここから、しらばっくれて入れば、10ドル支払わずに済みます。一瞬、心の葛藤がありましたが、如何に貧乏でも、支払う必要のある場所では高くても支払います。(おー! 立派ですなー! アジアの星一番!)10ドル支払って、少し歩くと、昨日、潜った島が見えて来ました。今日は、波が穏やかです。これが、鳥人儀礼に使われたとされる、住居です。鳥人とは? (説明略) 要は、当時の偉い人です。で、岬の先端の岩に、鳥の頭を持つ、鳥人のレリーフが刻まれています。その向こうに、モトゥ・カオカオ、モトゥ・イテゥ、モトウ・ヌイの島が見えます。風の強いこの場所で、けな気に咲く花です。下山は、登りより楽です。しかしながら、ワイナ・ピチュでは、油断して、滑って転んで、尾てい骨を打ち、未だに後遺症が残っています。楽であるとは言いながら、慎重に一歩一歩、降りてまいりましたです。下山後、日本人バックパッカーが、良く泊まると言う、キャンピング・ミヒノアへ見学に行きました。ちょっと遠回りになりますが、Naoko♪さんや、最近では、マサ&マミさんも、泊まりました。そのミヒノアの前の海岸です。波が高く、岩にぶち当たり、豪快な波しぶきを立てています。キャンピング・ミヒノアを外から撮りました。ドミで、6000ペソ。テントで5500ペソ。(確認した価格)キッチンも人数が多いからか、洗い場、ガステーブル共に、2セットありました。しかし、収容人数からすると、混むときは、かなり使用に制限があるように思えます。物価の高いこの島で、5500ペソとか、6000ペソは、確かに魅力的ですでも、どうでしょうかねー?僕の泊まっている宿の、この落ち着いた雰囲気で、日本人専用、他国の人は泊めないと言う、ハレ・カポネ、2500ペソを余分に支払っても、僕なら、ハレ・カポネにします。因みに、この宿の名前、「Hare Kapone」 ですが、「日本の家」、と言う意味だそうです。夕食は、肉野菜炒めです。キャベツに、タマネギ、ポークです。正月元旦に相応しい料理では、ありませんが、貧乏旅人の私目には、充分過ぎる、ビールのつまみです。この後、さらに、トマトソース味のスパゲッティを、200グラム平らげました。追記今回の旅に出て、この元旦が、丁度、100日目でした。もう、3ヵ月半近く、旅しているのですねー? そんなに長い期間であると思えません。始めのメキシコの頃は、先が長いなー! と思っていたのですが・・・。
2010.01.04
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2009年12月31日(木) 99日目(チリ13日目)2009年も、本日のみとなりました。イースター島での大晦日であります。盛り沢山の、1日でした。まずは、ダイビングです。ここは、魚影は濃くないと、清花さんから、聞いてました。カンクン、コスメルで会った、例のおっさん殺しの清花さんです。今頃、スペイン、ポルトガル辺りにいるはずなんですが、ブログの更新も滞っています。あの辺りのおっさんを、手中に収めているのでしょうか? すいません、勝手な想像を膨らませて、話が横道へそれました。魚影が濃くないとの話ですが、ここは、あの宇宙を感じさせる、ふか~い、こ~い、あの青~い、吸い込まれるような海の色なのだそうです。その色と、宇宙遊泳感が、好きなので、お金もないですが、、1ダイブだけでも、楽しみたいと申し込みました。ダイブショップは、メイン道路の一本海岸側で、夕陽が美しいと言われる、タハイ遺跡へ行く途中にあります。ここにも、モアイがあります。ポイントは、オロンゴ遺跡のある、ラバ・ヌイ国立公園から見下ろせる3つの島の周辺です。ここがオロンゴです。ボートで、15分ほどで着きました。海の色が、何とも言えません。インストラクター、ヒョウキンですなー。写真慣れしてるのでしょうか?海の中は、期待を損なわない美しさでした。写真がないので、お見せ出来ないのが、残念ですが、やはり深い青です。宇宙を漂う感覚を味わいました。本当は、この日、定員一杯です、と断られたのです。ですが、このイースター島に、一番長く住んでいる日本人と言う、ガイドの最上さんが丁度、そこに居合わせておりまして、頼んでくれたのです。でなければ、本日は潜れず、元旦は休みなので、2日になってしまい、且つ、僕が潜りたい、ドロップオフでない場所だったのですねー。最上さんに感謝すると共に、何だか、ツイテいるよなー、と思った次第です。この右側の大きい方が、モトゥ・ヌイと言う島で、左の方が、モトゥ・イティ。この周囲を潜ったのです。3つある島がありますが、これが、モトゥ・カオカオです。帰りのボートは、波がまともに顔にぶち当たり、海に潜っているより、冷えました。しかし、ショップに戻れば、温水シャワーがあり、非常に気持ちよく、ダイビングを完了する事が出来ました。ワンダイブで、60US$でした。本日は、大晦日。ここ南米は、クリスマスの方が、盛大なようですが、1月元旦も祝日です。そして、本日も、午前中で、お店が閉まってしまうと言う事なので、食料を大量に買い込みました。午後は、大きな一軒家に一人で、ゆったりしておりました。ドミですが、客は一人なので、まぁ、ほんと、自宅にいるようなにくつろげます。そして夜。オーナーの川口さんの計らいで、イースター島の家に夕食を呼ばれに行きました。川口さんが寿司を作っくれるとの事なんです。ただ今、準備中。夕食つくりの舞台裏です。食事場所は、外に設営されました。料理の前に、ビールとワインで、歓談です。ここのご主人、奥様は亡くなられ、娘さんが5人いるそうです。二人は、アメリカに住み、一人はサンティアゴに住み、残りの二人が、この島に住んでいます。この父娘、仲良しなんですよ!娘さんが、父親に抱きついて、泣いていました。感謝の涙なんですねー。日本の娘さんは、そう言うこと、心で思っていても、実行しないでしょうな。さて、料理です。これは、ポークのリブロースですな。それとソーセージ。うまいですぞ! 娘さんが作ったのかな?そして、お寿司です。良く作りました。本物のお寿司です。川口さん、やりますねー!この他にも、沢山の料理です。 さらに、握り寿司 ポテトサラダ ライス 缶ビール2本飲んで、VINOの赤ワイン飲んで、そして、「悪魔の蔵」と言うこの白ワイン飲みました。酔っ払っちまいやした!26歳のお姉さん、お色直しで、着替えて来ました。この島では、繁華街と言っても、店が立ち並んでいる訳でもないし、田舎の村道程度ですから、着飾って歩く所もないです。こう言う時に、着るしかないのでしょうねー。綺麗な姉妹です。妹さんは24才で、ドイツ人の彼氏がいます。アジアの星一番も、記念撮影です。やっぱり、化粧しないと、この姉妹の横に立てません。おい! アジアの星一番! 怒ってんのかい?もっと、ニッコリせんかい!そんなこんなで、すっかりご馳走になり、足取りもおぼつかなくなっちまった正月元旦まで1時間前の頃、タイミングよく、川口さんが、ドミまで、送ってくれました。川口さんは、、早く帰れたら年越しソバを食べましょうと、言ってもう一度、その家まで戻って行きました。ドミに帰った、僕は、もう、ビールと、赤ワインと、白ワインを、飲みすぎて、フラフラであります。起きているのか、寝ているのか、分からないような状態で、一応、歯磨きをしたら、もう起きてられません。ベッドへ直行です。追記お呼ばれしましたので、手ぶらでは行けません。缶ビールを1ダースかったら、20ドルもしました。高いですねー!小缶ビール、1本160円って、高すぎですよね?本土から運ぶので、止むを得ませんが、店も儲けすぎです。他の店で値段聞いたら、1本、130円でした。くっそ! 損したー!ですが、お金では買えない、現地の人との、楽しい大晦日の夜を過ごせましたので、大満足でした。
2010.01.03
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2010年、明けましておめでとうございます!イースター島より、新年の、ご挨拶を申し上げます。昨年より、皆様の暖かいご支援もありまして、中南米、3ヶ月強、多少の問題はありましたが、元気に、旅を続けて参りました。まだまだ、南米旅は続きます。引き続き、本年もよろしく、お願い申し上げます。尚、、イースター島は、まだ、12月31日で、新年まで、8時間ほどあります。明日、1月元旦は、当地にて、絵葉書の年賀状を書く予定です。年賀状が届いたら、嬉しいなー! と思われる方は、こっそりと住所を教えて下さいませ。へたくそな字ですが、美しい絵葉書を送付申し上げます。=================================2009年12月30日(水) 98日目(チリ12日目)イースター島に着きました。午後12時半です。ここは、サンティアゴより、2時間遅れています。従いまして、本日は、2時間得しました。それでは、サンティアゴからの、空の旅を、ちょびっとお見せします。これが、飛び立った直後、サンティアゴの町と、海岸です。機内です。映画の本数も多いですが、スペイン語か、英語か、フランス語を選ぶシステムになっております。どれを選んでも、ストーリーが解るほどの語学力がありません。(そんで、良く世界へ行けるなー! 君! 誰のことだ? 俺のことでした。)南太平洋の、ど真ん中です。海の色も、深く、青いですねー。サンティアゴを飛び立って、5時間、イースター島が見えて来ました。南海に浮かぶ孤島です。ついに、やって来ました!僕の隣の女性、中国人かなー? と思っておりました。食事の時、CAさんの言葉が分からず、「えぇ~?」 と言う振りをしたら、「ハムとチーズ」って、教えてくれました。あらー? それって、日本語だよなー?と、思いましたが、どうも、日本人に見えないので、そのまま、ゴルフのゲームに熱中しておりました。ハーフで、30台が出そうだったのに、惜しくも、5オーバー、41になってしまいました。(ゲームですよ)島が見え始めた頃、隣の人に話しかけたら、日本人とブラジル人のハーフということです。日本語は、日本人とほぼ同等に話せます。お母さんが、神戸出身の日本人だと言ってました。お母さんとは、日本語で話しているらしいので、うまいはずです。これが、乗ってきた飛行機です。荷物を受け取ち、外に出ると、宿の川口さんが、レイを持って迎えてくれました。(この辺りも、レイって言うのか知りません。ハワイではレイって言う花輪です。)せっかく頂いたので、記念に、写真に納めました。この宿は、イースター島の繁華街から、かなり近い場所にあります。が、このように、広い庭があり、廻りはバナナなどの木々に囲まれて、とっても、雰囲気はよろしいです。宿の名前は、「Hare Kapane」 と言います。何と、昨日オープンしたばっかりなのです。そして、僕が記念すべき、泊り客第1号なのでございます!バウチャーも、メールで送って貰いましたが、番号が、00001号なんです。オープン初めての客になんて、なりたいと思ってもなれませんよね?僕が、ツイテいるのか、それとも、僕のような客が第1号で、この宿が、ツイテいるのか?ふ~む、むむむ・・・。両者に幸運が、舞い込むでしょう。(何で、僕が初客だと、宿がツイテいるのか? 疑問でしょうか?)ベッドルームです。 僕が眠るベッドです。 窓側から撮ったベッドルームです。 入り口から見た、ベッドルームです。 男性用ルーム1部屋で、4ベッド。女性用ルーム1部屋で、4ベッド。合計8ベッドのこじんまりしたドミです。コスメル島の、先日、1周年を迎えた、カサ・コスメレーニャが6ベッドですから、そこより、ちょっと大きいってところですが、雰囲気は似ています。違うところは、お国柄、場所柄の違いによる、ネット事情で、イースター島ですから、宿にてネットはつなげません。ちょっと残念ですが、南太平洋の孤島ですから、止むを得ません。カサ・コスメレーニャでは、夜、宿泊客6名中、5名が、ラップトップに向かって、キーを叩いていました。今は、パソコンなくして旅は出来ません。(残りの一人は、例の外見は仙人、内面は、極、普通の俗人おっさんでした。)キッチンです。鍋、フライパン、包丁、箸まで、何でも揃ってます。油、塩、コーヒーなども、自由に使って下さいとの事です。至れり尽くせりって言葉が、ありますが、その言葉を使いたいです。リビングを、キッチンから見た写真です。ひろ~い、庭がチラッとみえますね? こんだけ広いと、ゴルフの寄せの練習が、充分出来ます。女性用の部屋も見せて貰いました。(勝手に入り込んで見ました。すいません。)どうも、女性優先ですな、このお宿。何故かと言いますと、女性用は、表庭に面しておりまして、お風呂、トイレも、部屋の中にあります。一方、男性用は、裏庭に面しておりまして、お風呂、トイレは、部屋の外にあるのです。まぁ、女性専用車両があっても、男性専用車両はない、今の時代ですから、これは、当然のことなのでしょうか?僕は、一応、男の端くれに位置しておりますので、ちと、くやしいですな。尚、カップルで来たとしても、部屋は別々で寝て頂きます。僕の場合、その可能性が、限りなくゼロ%に近いですから、全く問題はございません。と、そのように、言い切るのも、若干ながら、淋しい気がするのでございます。今夜は、いつもの夕食とは、違います。この素晴らしいキッチンを有効に使わないと、せっかく準備したオーナーの川口さんのご意向に逆らう事になります。どうでしょうか? 得意の野菜炒めですぞ。 塩と、コショウと、醤油は持参のものを使用しました。醤油の使用は久しぶり。レタス1ケ、300円です。タケー!(これは、凄く値段が高い!って意味です)そして、いつもの、トマトです。(写真撮る必要ないですな。)因みに、このお宿の、お値段ですが、ネットで予約し、バウチャーをメールで送信して貰って、それを持参すれば、8500ペソ(1600円)です。イースター島で、日本人だけが泊まれる宿と言ったら、破格の値段です。直接、宿へ行った場合は、割引はなく、1万ペソ(1900円)との事です。本日は、お客第一号、アジアの星一番、たった一人です。あまり宣伝していないとの事ですが、口コミで、数ヵ月後には、たぶん、予約も出来ないほど、多くの客が溢れて困っているのではないでしょうか?未来を予想可能な、アジアの星一番の目には、その光景が見えます。追記宿の、ホームページです。参考にして頂きたい。http://www.harekapone.cl/
2010.01.01
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