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2018年5月29日(火) 中央アジアの旅 43日目本日は、旧市街を見に行こうと思っておりましたが、昨夜、同室で長い旅をしている、「あき」、と、新市街を見に行きました。「あき」、は、昨年のクリスマス頃、日本を出発し、東南アジア辺りから、ずっと旅を続けています。9月頃に、日本に帰る予定だそうです。彼が、「あき」です。アジアの星一番が、「ほっしー」と呼ばれているように、ニックネームです。実は、世界一大きい、ケンタッキー・フライド・チキンの店舗があると彼が言うので、探して探して、ここに来たのですが、残念ながら、閉店してしまったようであります。この後ろの建物が、世界一大きいKFCがあった所です。元々は鉄道の駅だったそうで座席数は300席あったそうです。昨夜は、「あき」と、「あき」の知り合いの、やはり同宿である、世界一周中の、ピースケご夫妻と、4人で食事しました。ピースケご夫妻は、旅に出て、まだ1ヶ月位だそうですが、あと2年位かけて世界一周するとの事であります。凄いですねー! 長いですねー!旧市街の近くのレストランに入りました。牛肉です。プロフです。中央アジアのプロフとは、違いますね。乗っている物も、味も似ていますが、やはり違います。マンティのような物ですが、水餃子が凄く小さかったです。これは、何ていうのか、聞き忘れました。食べ甲斐はありそうですが、中身が少なくて、腹には貯まりません。肉の入っておるもの、野菜が入っているもの、の2種類がありました。おひとり様、13マナト=830円です。貧乏旅人にとっては、豪華な夕食であり、散財でした。ですが、皆さん、旅人、世界の国々の旅の話を聞くのは楽しいものであります。あきの、ハマムでのホモ事件の経験談には、笑いました。新市街の見学出発前、宿でコーヒーを飲みながら、寛いでいるアジアの星一番です。髪も顔も、おかしいですね。完全に化粧失敗しております。載せなければ良かったかなー。ここ、バクーは、涼しいと言うか、長袖でも寒いので、ベストを着用しています。風が強い街です。新市街のメインストリート、ニザミ通りです。人は、少ないですが、歩行者天国です。昨日は、独立記念日で、休日でした。それで、多くの人が歩いていたのですが・・・。さらに、北のバザール方面へ歩いて行ったら、公園がありました。広い公園ですが、名前が分かりません。コーカサス3国だけの、地球の歩き方はなく、ロシアの中の一部に掲載されています。それで、情報量が少ないですね。この建物、変わっていますね。オペラ座ではないか、と「あき」が言いますが、後で、ネットで調べたら、オペラ座は、違う建物でした。「あき」が、スマホで、行き先を調べてくれるので、アジアの星一番は付いて行くだけです。とても楽ですね。一人だと、何度も何度も、人に聞いて行かねば目的地に辿り着けません。バザールに辿り着きました。入った辺りは、金物屋のような店が多く、このお店は、ドアの取っ手のようなものを売っていました。大きな魚も売っていましたよ。どこの店も、この魚が多かったです。この青い小さなものは、リンゴの小さいのかと思いましたが、桃の一種だそうです。味見させて貰いましたが、ちょっと酸っぱいです。「あき」は、これを、8個ほど買いましたが、ぼられたようです。8個で、4マナト=260円ですから、高すぎます。羊がまるまえる、吊り下げられています。市場の、食堂で食べました。現地の人が食べている物を指差しで頼みました。これは、鳥肉ジャガです。まぁまぁの味でしたね。これは、トマト野菜ですが、中央アジアならば、アュチクチュチュクです。しかし、中央アジアは、酢味でした。ここは、何の味付けもしてないです。素の味を楽しむのでしょうね。これと、さらに、パンをたらふく食べて、一人5マナト=320円ですから、「あき」が買った。、青い桃は、高すぎます。完全に、ぼられました。市場では珍しい事ですね。ここが、世界一大きいと言う、ケンタッキー・フライド・チキンのあった建物です。地下鉄駅、鉄道駅のすぐ近くで立地的には凄く良い場所ですね。28モールの中に、ケンタッキー・フライド・チキンはありました。鉄道駅の上にも、ありましたので、元からのお店は閉めたのでしょう。28モールの上から撮った写真です。鉄道駅も見えます。明日は、夜行寝台列車で、ジョージアに向かいます。丸1日あるので、旧市街を散歩したいと思っています。バクーの街ですが、ウズベキスタンのタシュケントのように無機質でもなく、ドバイを目指していると言う通り、大きな建物も多く、街もキレイで、悪くないですね。ただ、見るべきところは、そう多くはないです。丸2日あれば、十分、見所は見られると思います。
2018.05.31
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2018年5月28日(月) 中央アジアの旅 42日目タシュケントの宿、Topchan Hostel、にアジアの星一番の名前を書いて来ました。掃除と料理のおばさんに、書けと、サインペンを渡されたのです。(字が下手くそですなー。)キッチンの壁に、皆さんが書けるように、ブロック化しているのです。あんまり、細かい事書いても見ないよな、と思い、名前だけにしました。日本人の方も、アジアの星一番の他、二人書いていました。このホステルに泊まったら、探して見て下さいませ。キッチンの壁です。朝食は、8時半から。タクシーに乗って飛行場へは、7時45分位出発。従って。朝食は食べられず。と思っていましたが、「あなたは特別」と言って、前日の夜に準備し、名前を書いて、冷蔵庫に入れて置いてくれました。親切ですよねー!アジアの星一番より、はやく出発する人もいましたが、自分で準備したパンなどを食べていました。ですから、アジアの星一番が特別待遇を受けたのは、本当のようです。何故、特別待遇なのか、理由は分かりません。こんなに沢山の朝食を準備してくれました。申し訳なかったですが、食べ切れません。残ったのは、捨てました。タシュケント国際飛行場です。今回は、飛行機も遅れず、順調であります。ウズベキスタンの出国もお金を見せろとか、何にも言われず、スムースに出国出来ました。ウズベキスタンは、旅をしやすくなりましたね。聞いていたのとは、全く異なりました。タシュケントともお別れです。もう、来ないだろうなー、たぶん。特別な用事でもない限り。ウズベキスタン航空の、スッチーさんです。中央アジアでは、美人だなー! と思う人は、あんまり見かけなかったですが、このスッチーさんは、綺麗な方でした。定刻通り、飛び立ちました。いつもは、通路側の座席を頼むのですが、今回は、窓際にしました。カスピ海とか、景色を見たかったのです。それで、沢山撮りましたよ。窓も綺麗だったので、良く撮れました。街並を外れると、もう砂漠ですね。家は全く見えなくなりました。飲み物サービスです。ビールを頼もうと思ったのに、ないのです。アルコールを置いてないのですよ。仕方ないので、オレンジジュースにしました。ちと寂しいですね。砂漠が、ずっと見えていましたが、川のある所は、オアシスと言うのでしょうか、村か、街の家並みがあります。雨は嫌ですが、水は貴重ですね。水がなければ生きていけません。右側は砂漠、川下は、緑があります。ちょっと昼食には早いですが、機内食が出されました。上記の他に、ご飯もあります。朝食をしっかり食べたので、全部は食べきれません。2時間をちょっと過ぎた頃、カスピ海の上空に来ました。カスピ海を船が走っています。色が真っ青で美しいです。予定より早く、2時間半で、早くも、バクーに着陸です。市内が良く見えますね。アジアの星一番の泊まるホテルも見えそうです。バクーの街、結構大きいですぞ。アゼルバイジャンは、ビザが必要です。ですが、飛行機で入る場合、アライバルビザと言って、飛行場でビザが取得できます。情報によると、写真2枚とパスポートで取得出来るとありました。実は、アジアの星一番、写真を持っていないのです。もし、空港に写真を撮る店がないと困るなー! ビザが取得出来ず、タシュケントに戻されるか? とドキドキして飛行機を降りました。しかしながら、実際は、係の方が、タッチパネルで、全部操作してくれて、アジアの星一番は、メールアドレスと、電話番号を入力しただけ。それで、1ヶ月のビザを取得出来ました。写真も不要です。パスポートだけあれば良いです。親切だし、簡単だし、良いですねー、。アゼルバイジャン。群がるタクシーの運ちゃんを無視して、シャトルバスに乗ります。その前に、両替しました。、空港は、為替レートが悪いだろうと、バス代だけでもと、10US$を両替しました。1US$=1.65マナトです。市内に行ってから、両替屋で、両替したら、1US$=1.7マナトでした。やはり、市内で両替して正解ですね。空港から市内に走る道路ですが、広くて整備されていて、綺麗です。まるで、シンガポールを走っているのかと、錯覚してしまいます。石油が出て、お金のあるアゼルバイジャンらしいですね。何でも、ドバイのようになると、計画? 期待しているようですよ。さて、宿です。8人部屋の2段ベッドです。宿の名前は、Sahil Hostel。1泊6US$ですから、660円です。安いですが、清潔に保たれているし、ベッドにカーテンもあるし、客が多すぎるのが難点ですが、悪くはありません。アジアの星一番は、窓際の下段を選びました。いつもの通りですね。キッチンは、そう広くなく、客が物凄く多いので、ゆっくりとネットは出来ません。ネットする場所を見つけねばなりません。ベッドには、照明も電源もあるので、入力し難いですが、見るだけなら、問題はありませんが・・・。パキスタン人が、5人、長期滞在していて、彼らがうるさいです。バクーも、その他のアゼルバイジャンも、見所は多くはないようです。それで、2泊したら、その後、夜行寝台列車で、ジョージアへ向かおうと思っています。ジョージアと言えば、栃ノ心、惜しくも優勝を逃したようですね。でも、13勝を挙げて、準優勝ですから、大関昇進は間違いないでしょう。アジアの星一番が、ジョージアへ行く頃、栃ノ心が凱旋帰国しているかも知れませんね。
2018.05.30
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2018年5月27日(日) 中央アジアの旅 41日目いやー、参りました。ブハラの空港で、6時間も待たされました。ウルゲンチからの飛行機が遅れてしまって、タシュケントへ行けなかったのです。本件、後述致します。ブハラの、Rumi ホステルは、朝食付きです。さて、食事の時、これが置いてありました。はて、何でしょう?お茶を入れたポットが、冷めないようにカバーがかけてあったのです。気の利いた事をしますね。ご飯に、牛乳と砂糖を入れたようなものです。サマルカンドの、Amir Hostelでも、出ましたね。レストランでは、このような食べ物は、見つからないですが、この辺りの家庭では食べるのでしょうかねー?サモサです。これは、一般的に、どこでもありますね。チーズと小麦粉を揚げたようなものです。全部平らげましたが、結構なボリュームでした。大食いの白人達も大満足の朝食でしょう。きっと。昨日、夕食を食べに行こうとしましたが、まだまだ、人が多いです。まだと言うか、今から夜にかけて、もっともっと人が集まって来そうです。ステージのある近くにも、沢山の人がいます。指揮者もいる大がかりな楽団が演奏しています。食事時なので、地球の歩き方に載っているレストランに行きました。メニューを見ても、良く分からないので、いつもながら、プロフを頼みました。しかし、ここのプロフは、美味しかったです。今までで、一番、美味しかったです。お店によって味が違いますね。地球の歩き方さん、ありがとう、良いレストランを紹介してくれました。レストランの名前は、チナルと言います。4年前に取材した地球の歩き方では、7千スムでしたが、現在は、1.2万スムに値上がりしています。結構、激しい値上がりですね。夕食を食べて、19時半、まだ明るいです。街の中心の、ラビハウズと呼ばれる池です。この廻りに、食べ物はほとんどないですが、屋台が出ています。さて、昨日までの、出来事を掲載しました。本日は、ブハラから、タシュケントへ移動します。エアーチケットが安かった(3千円台)ので、飛行機にしました。タクシーで、順調に、国内線ですが、1時間半前には着きました。空港の壁に飾ってあった絵画です。アジアの星一番が撮った写真と同じ構図です。カラーン・ミナレットと、カラーン・モスクです。ここが、ブハラのメインなのでしょうね。確かにここは目立ちます。この辺りは、絵をみたりしながら、ルンルン気分で来ました。ところが、それからが大変です。9時45分には、空港に着いていました。チェックインカウンターは、まだ開いてない時間です。チェックインして、通関も通って、待合室に入ります。それから、11時5分に搭乗できるはずだったのですねー。しかしながら、11時半頃になっても、全く搭乗を開始する雰囲気にありません。アナウンスも何もありません。ですが、乗客も騒がず、大人しく待っております。待合室を間違えたか? と思いましたぞ。12時を過ぎたころ、待つのに耐え切れず、係官の所へ行きました。そしたら、飛行機は、ウルゲンチから来るが、まだ、ウルゲンチを出発していないと言うのです。13時には、着いて、13時40分には出発すると言うので、止む無くそのまま待ちました。しかし、13時半を過ぎても、何ら変化なし。またまた、聞きに行ったものの、まだ飛行機はウルゲンチにいる、何時に着くか分からない、と言います。遅れている理由は天候だ、と言うのです。突風で、飛び立てないと言うのですねー!確かに、ブハラの飛行場も、砂が舞って、遠くが見えません。困ったなー、明日の、タシュケントから、アゼルバイジャン行きエアーチケットを買ってあります。これが買ってなければ、本日のフライトが飛ばなくなっても、問題はないのですが、3万円ものチケットを無駄にしたくないです。何とか、飛んで欲しいなー。でも、事故も嫌だしなー。などと考えていたら、14時半、飛行機はウルゲンチを飛び立ち、15時に到着する、従って、15時半には、テイクオフとなる。と、係官が、マイクも使わず、説明しました。良かったー!これは、皆さん、うんざりしながら待っている写真です。この砂ぼこりです。曇っているのではないのです。だから、風が強いのでしょうね。ウズベキスタン航空ですが、座席は広いです。座ったら、飛び立つ前に、ドリンクサービスがありましたぞ。40分程、飛んだら、もう着陸態勢です。窓が汚れてているので、写真が良く撮れません。着陸したら、やはり乗客から拍手が起きました。強風の中、無事着陸したので、アジアの星一番も拍手しましたぞ。ここからは、2度目なので、タクシーの相場も知っているし、25000スム=340円に、きちんと値切って宿まで来ました。夕食は、お金も余っているので、中華料理を食べに行きました。こんな豪華な、中華レストランです。チャイナ・タウンと言うレストランです。メニューを見ましたが、ビールも飲まないので、あまり食べるものがありません。止むなく、蛋炒飯にしました。しかし、これが、結構、美味しかったですよ。前回、3夜連続で食べた、宿の近くのプロフより美味しいです。いよいよ、明日は、中央アジアを離れ、コーカサス3国に入国です。旅も終盤に入って来ました。今の所、アゼルバイジャン →ジョージア →アルメニア、で、今回は完結にするつもりでいます。しかし、アルメニアの南は、イランなのですねー。イランも仲々、良いと、シンガポール人女性に聞きました。安いし、安全だと。しかし、ビザも必要だし、ガイドブックもないので、行けませんよねー。
2018.05.29
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2018年5月26日(土) 中央アジアの旅 40日目暑いですねー! ブハラ。しかし、昔ながらの街角や、モスクや神学校、露天バザールなど、とてもいい雰囲気です。同じウズベキスタンでも、タシュケントや、サマルカンドと全く異なります。アジアの星一番は、ここブハラが好きですね。これが、ブハラでも、シンボル的な存在の、カラーン・ミナレットです。1127年に建てられたと言う事ですから、街の興亡を眺めて来たのですね。高さは、47mあります。カラーン・ミナレットと、その隣の、カラーン・モスクです。目立ちますね、この二つ。カラーン・モスクの中庭にも入って見ました。無料ですから。カラーンとは、タジク語で、大きい、と言う意味です。ですから、これは、大きいモスクっていう名前です。1万人の信者が礼拝出来たそうです。昨日も、この日も、多くの人が出て、音楽に合わせて踊っています。ここでも、衣装を揃えて踊っています。これは、間違いなく、何かのお祭りです。でなければ、これだけの人が集まらないです。この人達は、見ていたアジアの星一番を引っ張り出し、踊りの輪の中に入れた人々です。元々、踊りが嫌いでない、アジアの星一番、踊りましたな。そしたら、皆が踊るのを止めて、アジアの星一番の踊りを見ています。困りますよ。皆さん、踊ってよ!ディスコダンスか、クラブと言うのか、適当に踊り、阿波踊りの真似事までしましたぞ。拍手喝采でした。調子に乗りましたな。汗が出ました。露天屋台も沢山出て、売っていますが、シルクのお店が多いです。多いと言うか、シルクのお店ばっかりです。宿に帰ってから、確認したのですが、今、行っているお祭りは、シルクとスパイスのフェスティバルだそうです。道理で、シルクのお店が多いはずです。年に1度(3度と言う説もある)、ウズベキスタンの全国各地やキルギスからブハラに集まって、お土産の屋台を出します。そして、そのフェスティバルの名の通りシルクとスパイスのお祭りのようなものが行われるのです。そのお祭りには、国中から人が集まって、質のいいシルクやスパイスを買って行くんだそうです。ですから、人が沢山いて当たり前なのですね。スパイスの屋台も沢山ありました。観光に戻ります。これが、地下に埋もれているように見える、マゴキ・アッタリ・モスクです。実際、土砂に埋もれていたのを、1936年に、掘り出されたとの事です。右側の壁のてっぺんが、地上です。ウルグベク・メドレセです。現存する中央アジア最古の神学校だそうです、「知識こそ、モスリムになくてはならぬもの」と言う、ウルグベクの格言が、彫られているそうです。ブハラは暑いです。それででしょうが、冷たいコーラを売っている屋台が沢山あります。アルク城の近くまで来て、喉の渇きに耐え切れず、コーラを飲みました。コーラ1杯が、たったの、500スム=7円、です。安過ぎます。10杯飲んでも、70円しませんぞ。アルク城の正面側にやって来ました。おびただしい数の椅子が並べられております。たぶん、数千個の椅子ではないでしょうか?今夜、何か、催し物があるのでしょう。歌か踊りかファッションショーか?これが、アルク城の正面です。チンギス・ハーンに攻められた時、この城に立てこもった多くの人々が、モンゴル軍に殺されたそうです。次にやって来たのは、アルク城の近くにある、ボラハウズ・モスクです。ブハラ・ハン専用のモスクで、ハンが、来るときには、アルク城から絨毯を敷き、そこを歩いて来たそうです。中に入って、その美しさに驚きました。素晴らしい色です。跪いて、家族、親族の健康と幸せ、友人・知人の健康と幸せ、世の中の平和を祈りました。天井も、このように美しいです。池の前から見た、ボラハウズ・モスクです。ブハラでは、他に見られない、アイヴァンと言う建築様式との事。このような洋服を着て、多くの方々が、歩いています。如何でしょうか? このような風景? 異国情緒にあふれているでしょう?昼食ですが、プロフも、ラグマンも飽きたし、昼から、シシャリクは食べたくないし、サムサはあんまり好きでないし、食べるものがないなー、と思います。レストランも少ないのですよ。皆さん、外食はしないのかなー? 台湾や、ベトナムのような、屋台は見当たりません。それで、アジアの星一番にしてはめずらしい、ハンバーガーとコークの昼食となりました。現地の人達と相席になりましたが、日本人は珍しいのか、色々と話しかけらました。楽しい昼食となりましたぞ。ブハラの街は大きくはないです。見所をゆっくり回っても、3時間はかかりません。午後からは、宿でゆったりしていました。チャリで、世界中を回っている、日本人の方と、同宿で、しばし話をしましたが、アジアの星一番同様、ブログを書いておられます。「がんチャリダー」、で検索すると、出てきます。バスや、汽車でも、結構、大変だと思う旅ですが、チャリで回るってアジアの星一番には、信じ難いです。アメリカ横断や、南米大陸、欧州などなど、65歳で仕事を満了してからチャリに目覚め、世界各地を走り回っているそうです。今回も、4650mのパミール高原を上ったと言うのですから驚きです。アジアの星一番は、車でもきついので、行くのを諦めたのです。凄い方ですよねー!高山病にやられたと言っていましたが・・・。雨や風、登坂などなど、バスに乗る旅とは大違いですから。チャリで旅を続けるには、気力が一番、と言っていました。確かに、そうですね。旅に出たいと言う、気力が衰えたら、もう旅に出られませんよ。
2018.05.28
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2018年5月25日(金) 中央アジアの旅 39日目ブハラの街を早速歩きました。見所の多い地域は、明日1日かけて回る事として、本日は、ブハラに着いたばかり、見所から離れた所にある、チョル・ミナルへ行きました。学生さんに声を掛けられ、アジアの星一番は、スター並みの扱いです。「高校生だろう?」、と聞きましたが、曖昧な返事で、5年生まであると言っていました。良く分かりません。15歳と、16歳と言っていましたが、皆さん、英語が話せるのです。片言ではないですね。きちんと会話が出来ます。15歳、16歳と言えば、日本では、高校1年生でしょう?高校1年で、彼らのように、全員が、英語を話すって事は、出来ないでしょうね。ウズベキスタンに負けてますよ、日本は。やはり、終業式が終わったので、皆で来たようです。これが、チョル・ミナルですが、4本のミナレット、と言う意味だそうです。4本のミナレットが建っていますね。1807年に、トルクメニスタン人の大富豪が、神学校の門番小屋として建てたそうです。ブハラの横道は、こんな感じです。これでこそ、人が住んでいるって言う感覚になりますよね。タシュケントのような人工の街ではないです。アラブの街のような感じがします。詳細は、明日回って見ますが、さて、昨夜の夕食です。久しぶりに、ビールでも飲んでみようかと、ビールを頼みました。昨夜の夕食も、連続3日間通う、宿の近くのレストランです。もう既に、何を頼むか、店員さんも分かっていますよ。ビールは、4000スム=55円。たった55円で、ジョッキ1杯、飲めるのですから、ここは安いです。つまみは、野菜です。1500スム=21円。さらにつまみです。いつものシャシリクです。タマネギ酢もあります。このタマネギ酢を食べると、何故か、健康になれるような気がします。シシャリクは、7000ソム=96円です。飲み終わって、ご飯を頼みました。2000ソム=27円。この夜は、お茶は、別途注文になるのか、お金を取られました。今夜の合計は、15500ソム=212円でした。まぁ、ビール飲んで、このお値段ですから、安いですよね。本日は、サマルカンドから、ブハラに移動です。タシュケントで、既に、汽車のチケットは買ってありますので、余裕です。アジアの星一番は、タクシーを頼んでありましたが、同じ列車で、ブハラへ行く中国人の若者二人が、丁度、チェックアウトしていました。それで、タクシーをシェアして行きました。1万ソム=140円が、3.5千ソム=48円で済みました。ここが、サマルカンドの汽車駅です。定刻の5分前には、汽車はやって来ました。正確です。この駅で、隣に座って待っていた女性が、日本人でした。日本のパスポートを持っていたので分かりました。ほんのちょっと話したら、汽車がやって来たので、バイバイです。汽車の内部です。タシュケントからサマルカンドまで乗った列車とは、内部の色が全然違いますね。これも、ゆったり座って来られました。車窓の外は、やはり牧草地が続きます。車内販売があり、コーヒーを注文しました。アジアの星一番、コーヒーが好きですねー! 安物でも。1時間半で、ブハラに着きました。定刻通りです。日本人女性と、又、会ったので、アジアの星一番が頼んである、タクシーに乗って行かないか? と誘いました。一人でも二人でも、同じ値段ですから。彼女は、バスで行くつもりだったようです。そして、さらに、カナダ人女性も加わり、三人でタクシーに乗ります。2.5万ソム=342円で、頼んであったのですが、運転手は一人、1.5万ソム=205円だと言います。カナダ人女性、ハードネゴシエーターです。3人だろうが、1人だろうが、2.5万ソムだ! と運ちゃんに凄んでいます。で、結局、1人:1万ソム=137円で妥結しました。アジアの星一番は、誘った手前、日本人女性の分も払いました。気前が良いでしょう? 出す時は出すのです。安いですが。ドミのベッドです。下段が一つだけ空いていました。良かったー!ウズベキスタンに入ってから、3つ目のドミですが、どこもタオルを準備してくれますね。そして、どこも朝食付きです。ここがキッチン兼食堂です。狭いですが、この机の隣に電源があります。誰も使いそうもないキッチンなので、アジアの星一番の専用作業場になりそうです。こんな広い共有エリアもありますが、やはり電源が不足です。アジアの星一番の作業場にはなりません。もう一つあるキッチンです。ここは、広いですが、電源は一つだけしかありません。どこも電源不足ですねー。チョル・ミナルを見に行って、ついでに、昼食も食べました。ラグマンを食べました。1万ソムとメニューに書いてありました。しかし、支払いの段になって、1,5万ソム=205円だと言います。メニューには、書いてないのに、スープ入りだと、1万ソムで、スープなしだと、1.5万ソムと言うのです。何だか、騙されたような気持ちですが、きちんとメニューに書いておけ!と、ちょっときつい言葉で言いましたな。そしたら、「ソーリー」と、謝っていました。騙されたのではなかったのかなー?サマルカンドの話です。シャフリサーブスへ行く途中、ほとんどがブドウ畑でした。そしたら、地球の歩き方に書いてありました。サマルカンドにはワイン工場があると。宿のオーナーが言っていましたが、宿の近くにも、ティスティングが出来る工場があったのです。失敗したなー! 時間はあったので、行くのでしたよ。 残念!
2018.05.27
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2018年5月24日(木) 中央アジアの旅 38日目本日は、サマルカンドの市内の見学に出かけました。「青の都」、と呼ばれているらしいので、どのような青なのか、期待を持って、宿から、元気に歩いて行きました。宿から、20分ほどで、アミール・ティムール廟まで来ました。う~ん、確かに青い色で飾られていますね。ここは、天下の覇者、ティムールが眠る霊廟であります。彼の子供たちも、ここに眠っているそうです。立派な建造物ですねー。ここまで来る途中の道路は、ウルグベク通りで、メインの通りであります。タシュケントなどと異なり、外から、何の店か分かる所もあります。住んでいない旅の者には、この方が、親切ですね。ティムール像の前で、学生さんでしょうか、並んで記念撮影の準備をしています。アジアの星一番が、ティムール像を撮ろうと、カメラを構えたら、皆さん、勘違いして、自分達が撮られるものとポーズを取っています。止む無く、そのまま撮りました。その後、レギスタン通りを歩いて行きますと、レギスタン広場にやって来ました。神学校が3つ並ぶ、レギスタン広場です。真っ青な空と、青みがかった建物、しっくり合いますね。美しいです。これが、真ん中の、ティラカリ・メドレセです。1660年に建てられたそうです。これは、左側の、ウルグベク・メドレセです。1420年に建てられた、一番古い神学校です。ウルグベクとは、ティムール王朝、第4代の君主で、ティムールの孫に当たります。道路の名前になっていたり、王朝の為に貢献したのでしょうね。可愛い学生さんが、「ニイハオ」と声をかけて来ました。「違う、こんにちわ、だ」と言いますと、皆さん、「コンニチワ!」と声を揃えて言います。挨拶位は、皆さん、各国の言葉を知っているのですね。真ん中の娘さんなど、日本人の子供と言っても分かりません。可愛いですね。レギスタン広場で、神学校を見ながら、休息です。コーヒーも頼みました。インスタントです。5000スム=70円と安いです。さらに歩いて、ビビハニム・モスクにやって来ました。かつてイスラム世界で最大の規模を誇ったと言うモスクです。 ビビハニムとは、ティムールの奥さんの名前で、ティムールのインド遠征の凱旋に応えて、このモスクを作ったそうです。しかし、建築家の一人、美男子の彼が、彼女に恋をして、一度だけ接吻させて欲しいと願い、経緯を経て、彼女が許すそうです。しかし、その頬に接吻の跡がついて、凱旋帰国したティムールにばれて、建築家は処刑、奥さんは、生涯黒いベールで顔を隠さねばならなくなったそうです。浮気はいつの世代にもありますなー。モスクの隣に、バザールがあります。市場好きのアジアの星一番は見学に歩きましたな。ここは、チョコレート売り場です。ナッツとか、売っているお店です。売り子のお兄さん、クルミを味見しろ、干しブドウを味見しろ、と買うつもりはないのに、色々とくれます。それぞれ美味しかったですが、買っても、いつ食べれば良いのか分からないので、やはり買いませんでした。すいませんですなー、気のいい、お兄さん。このような帽子、ここでも売っていますが、被っている人は少ないですねー。市場の一角です。ここも整然としていますね。ベトナムとは違います。中央アジアの国々は、整理整頓がしっかりしているように思えます。こんな花も沢山売っていました。ここが、アフラシャブの丘に建つ、ハズラティ・ヒズル・モスクです。ここは、アラブの侵略や、モンゴル軍の侵略により、何度も壊されたりしたようです。海に囲まれた日本は、侵略されずに、単一民族で生きて来られて幸せだったのでしょうね。比較すれば。モスクでコーランを聞いていたら、又、子供たちがやって来ました。どうして、こんなに沢山の子供達、学生がいるのか、宿に帰ってからですが、聞いて見ました。そしたら、今日は、終業式だったらしいです。それで、沢山の学生や子供たちが、公園などに繰り出しているのですね。そして、記念撮影などもしているのです。因みに始業式は、9月1日で、3か月間の休みがあるそうです。アフラシャブの丘から見た、ビビハニム・モスクです。この敷地の中に、サッカー場がすっぽり入ってしまうほどだと言いますから、遠くからでも、良く見えます。帰り道です。レギスタン広場に戻って来ましたが、瓶から零れ落ちるように花壇が作られていました。面白いですね。「青の都」、と言われた、サマルカンドでしたが、街を歩くと、特に青の都とは、感じられません。青の街、と言えば、ブルーシティーと呼ばれている、インドのジョードブル、ここは街全体が青でした。写真をお見せしましょう。ほんと、こここそ、「青の都」、でしょう。近くには、ピンクシティーもあります。西インドまで、足を伸ばして見て下さい。昨夜、シンガポール人の、サラが言っていました。ビザなしで入国可能な国ランキングで、日本が1番だと。ランキングは、下記の通りです。1ヶ国か、2ヶ国差で、多くの国が続いています。日本に生まれて良かったですねー。簡単に海外の国へ行けます。1.189ヶ国 :日本2.188ヶ国 :シンガポール、ドイツ4.187ヶ国 :韓国、フランス、フィンランド、イタリア、スペイン、スェーデン因みにタイは、76ヶ国と少ないのです。
2018.05.26
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2018年5月23日(水) 中央アジアの旅 37日目昨夜、宿の共有エリアで話していて、急遽、サマルカンドから、90kmのシャフリサーブスと言う街に行くことになりました。一緒に行く仲間は、イタリア人のアンドレア君、シンガポール人のサラさん、日本人のみわさん、そして、アジアの星一番の4名です。出発前の、宿の朝食です。パンと、ゆで卵2個、ご飯の牛乳混ぜ。食べ過ぎかなー?このオンボロ車で行きます。2000mの峠を越えていくと言いますが、大丈夫かなー?と思いますぞ。ちゃんと走れるのかい?サマルカンドの街を抜けると、ブドウ畑が続きます。この辺り、ワインの産地なのでしょうか?イタリア人は、英語に、イタリア語、日本人女性は、日本語に、英語に、イタリア語、シンガポール人は、英語に、中国語、少しマレー語アジアの星一番は、日本語に、英語に、中国語に、少しのマレー語従って、英語が共通語ですが、スペイン語や、中国語も、日本語も、飛び交って、国際的でありますな。ブドウ畑を通り過ぎると、山が見えて来て、山を登り始めます。ここが、山の頂上です。2000m弱あると聞きました。見晴らしが良いですねー! 向こうの方に見えるのが、シャフリサーブスの街でしょう、きっと。10時に出発すると言うのに、イタリア人がお皿洗いを丁寧に行うもので、30分遅くなり、その後、予定を変更して、宿のオーナーの知り合いに、車の運転を頼んだもので、1時間遅れ、結局、出発したのが11時半。1時間半も出発が遅れました。で、シャフリサーブスに着いたのが、13時半近くになってしまいました。ここで、一悶着。アジアの星一番は、観光する前に、昼食を食べたいと言います。アンドレアとサラは、観光してから、山の頂上まで戻り、伝統的なお店で料理を食べたいと言います。そのように、車を頼んだ宿のオーナーと話をしたらしいのです。しかし、それは、スケジュール上、9時とかに出発した時の話でしょう。もし彼らの言うようなスケジュールにしたら、昼食は、午後4時を過ぎてしまいます。運転手は、英語を話せないので、宿のオーナーと電話しながら、どうするか、やり取りしています。仕切りに、日本人の男が、腹が減っていると言っていると、会話をしております。アジアの星一番一人が反対しているような雰囲気です。団体行動は、困りますなー! 午後4時昼食では、そんなに待てませんよ。アジアの星一番は、ほとんど黙っていましたが、結局食べてから観光することになりました。食堂的なお店で、アジアの星一番とみわさんは、ラグマンを食べ、アンドレアは、腹減っていないという割にサムサを2個食べ、それから、サラが持っていた、パンを沢山食べました。意見が合わなかったので、あんまりいい雰囲気の昼食ではなかったです。雰囲気をよくするため、アジアの星一番は、アンドレアに、世界の中で、料理の美味しい国、ベスト3を挙げるとしたら、どこか、と聞きました。彼の答えですが、イタリア人ですから、イタリアン韓国料理迷った末、中国料理、と言う答えでありました。気を使って、日本は、第4位だと言っていましたな。フランス料理は、どうじゃ? と聞いたら、あまり食べていないので、分からないと言う答えでした。韓国料理が、2位とは驚きました。人気あるのですかねー?お腹も膨れて、観光の開始です。ここは、ウズベキスタンの英雄、ティムールの産まれ故郷なのです。この町は、彼の建てた、巨大な建築群があったのですねー。その後の支配者に、その建造物は取り壊されて、残っているのは、わずかです。これが、アク・サライ宮殿跡のアーチです。これで、高さは、38mあるとの事ですが、壊される前は、50mあったとの事です。今でも、巨大なアーチです。アーチの下では、現地人の被る、帽子など売っていました。日本人も来るのか、小さなポーチなど、1ドル、1ドル、と日本語で言っていましたよ。これが、ティムール像であります。この辺りに、宮殿があったらしいですが、全て取り壊されてしまったようです。それにしても、後で作ったのですが、巨大なティムール像を作ったものです。ティムール像と、残っているアーチです。宮殿跡を歩いて進みました。あの大きな、ティムール像が、豆粒のようにしか見えなくなっています。大きな宮殿だったのですねー! 黄金期のティムールの力が計り知れないものであった事が分かります。青いドームが見えて来ました。これは、宮殿の南の方になりますが、コク・グンバス・モスクと言います。瞑想の家、と呼ばれているそうです。ここは、ティムールが、自分の廟にしようと建てたらしいですが、本人の遺骨は、サマルカンドに葬られたそうです。アンドレア君と、サラさんは、入場料を支払ってモスクを見に行きました。みわさんとアジアの星一番は、疲れたので、休むことにしました。これが、カフェなのですよ。面白い形ですよね。遺跡見たいです。カフェの内部です。出来れば、じゅうたんを敷いた、アラブ風、若しくはユルタの内部のようなカフェであって欲しかったですが、こんな椅子でした。アメリカンコーヒーを飲みました。1万スム=137円です。アンドレア君と、サラさん待望の帰りの食事です。しかしながら、運転手が寄ったのは、レストランではありません。掘っ立て小屋で、肉を売っているお店です。こんな肉を売っています。もう、17時半を回っています。サラさん、腹減っているでしょうねー!しかし、掘っ立て小屋で食べる所もありませんよ。彼らがどうするのか見ていたら、肉を買って、持ち帰り、宿で、食べるようです。二人で、0.5キロ買っていました。だから、昼食は食べた方が良かったのですよ。サラさん、昼食抜きです。掘っ立て小屋のある所は、こんな高所で、美しい眺めの所です。宿に帰ったのは、もう18時45分。アジアの星一番はベッドにちょっと戻って、すぐに夕食に出かけました。今夜も、シシャリクです。昨日は、7千スムで少なかったので、今日は、1万スム焼いてくれと頼みました。アュチクチュチュクのサラダも頼みました。地球の歩き方を見ていたら、名前が、アッチクチュチュクと書いてありました。どっちが正しいのでしょうねー?これで、5000スム=68円ですから、肉などに比べたら高いですね。これに、パンと、大きなティポットのお茶を飲み、お腹は一杯です。19時半頃、宿に帰って来たら、アンドレア君と、サラさん、肉を食べていましたなー。腹減った1日だった事でしょう。尚、11時半出発、18時45分帰着の車代、4人でシェアして、お一人様、5万スム=700円弱でした。安いですね。
2018.05.25
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2018年5月22日(火) 中央アジアの旅 36日目本日は、タシュケントから、サマルカンドへ移動だけです。サマルカンドに3泊しますが、ガイドブックを見ると、1日あれば、大方の見所は見られると書いてあります。3泊もする必要なかったですかねー。と言う事で、丸々、2日間あるので、本日は、昼前にサマルカンドの宿に着きましたが、出歩かず、宿で寛ぐことにしました。さて、朝です。朝食付きですが、8時半からしか食べられません。7時45分宿出発ですから、朝食を食べ損ね、損しました。奮発して、5US$を支払いタクシーで駅に向かいます。南駅って、行ったことがないので、バスでは、難しかったのです。これが、汽車です。汽車の内部ですが、ゆったりしています。また、内装も暖かい色で、寛げる雰囲気であります。タシュケントの地下鉄とは違いますね。チケットですが、車両番号が、6、座席は、40番でした。これで、チケットの見方は、分かりました。しかし、出発地とか、どこを見れば良いのか分かりません。アジアの星一番の座席です。椅子にカバーも掛けてあり、テーブルにもテーブルクロスが掛けてあり、テーブルには、テッシュまで置いてあります。居心地良いですよ。定刻の、8時53分、ぴったりに出発しました。時間に正確ですねー。少し走ると、町並みが消え、牧草地となります。車内販売がありました。コーヒーを頼みます。幾らかは、事前に確認しましたぞ。2000スム=27円です。安いですねー!お茶は、無料のようです。周りの方、飲んでいましたが、お金は支払っていませんでしたから。コーヒー飲みながら、車窓を流れる、緑の牧草地を眺めます。幸せを感じる時間です。旅に出て、良かったなー、としみじみと思います。心がゆったりしているせいか、ここの所、血圧は全く正常です。頭もすっきりしているので、気持ち良いですね。最近、プロフとか食べることが多いので、減塩は出来ていません。でも、血圧は上がっていません。塩分は気にし過ぎでしょうか?うつ病から来る、血圧の不安定ですかねー?まぁ、でも、塩分過多より、塩分を減らした方が、色んな意味で、健康にはいいはずなので、減塩の食事に努める事にします。定刻の、11時55分、ぴったりにサマルカンド駅に着きました。タクシーも200円と安いので、宿まで、タクシーで向かいます。15分位で着きました。Amir Hostel、です。ベッドです。下段ではありますが、入る所が、半分くらいしかなく、あんまり使いやすくないですね。中には、電源と、照明はありますので、パソコンは、ベッドで出来ます。屋外に、共有エリアがあります。しかし、ここも電源がありません。アジアの星一番には、使えませんよ。ここが、食卓兼共有のリビングです。ここには電源がありますが、1ヶ所しかないのです。誰か先客がいたら使えません。この宿、悪くないと思うのですが、電源コンセントが少ないですね。作業用の居場所に困りますよ。この宿の問題、電源だけでなく、WiFiが、物凄く遅いのです。これが、大きな問題です。宿替えを考えたほどですよ。ブログをアップするのに、30分以上かかります。困りましたよ。12時半です。宿のオーナーさんに聞いて、昼食に出かけます。食堂的なレストランですが、一応、囲いで仕切られています。宿の近くに、3軒のレストランがあるのですが、全部、プロフのお店ですね。串焼きなども昼間はやっていません。どっちかと言うと、プロフ専門店みたいなものです。ウズベキスタン人は、プロフが好きなのですねー!で、止む無くプロフを頼みました。ここは、アュチクチュチュクとか言う、トマトのサラダでなく、こんな野菜サラダです。お茶も付いています。プロフにお茶は、合いますね。プロフは、結構油を使って炒めているようなので、お茶は合います。合計で、13,500スム=185円でした。1食当たり、概ね、この程度の費用は必要なようです。本日は、これで、おしまい。夕食には、出かけますが、洗濯して、ネットして過ごします。共有エリアで作業をしていたら、中国語が聞こえて来ました。隣で、男女が話しています。中国のどこから来たの? と中国語で聞いたら、中国人なの? と聞き返されました。違う、と言ったら、じゃー、シンガポール人? と言われました。日本人、と言ったら、びっくりしていました。アジアの星一番の発音が良いですからねー。少し彼らと話しましたが、タシュケントから、サマルカンドまで、100US$を支払って、タクシーで来たと言うのです。お金持ちですねー! 汽車のチケットが買えなかったから、と言っていましたが、バスだってあるし、タクシーで来ることはないと思うのですがねー。男性は、学生なのですよ。親が金を持っているのでしょうねー。江西省出身と言っていましたが、今は、深圳に住んでいるとの事。大学が深圳なのです。深圳には、しょっちゅう、行っているので、何だか、懐かしい感じを受けました。
2018.05.24
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2018年5月21日(月) 中央アジアの旅 35日目いやー、歩きました。タシュケントの新市街。広い! でっかい! しかし、何にもない!それが、タシュケント新市街の印象です。人工の街ですね。自然を感じられません。ソ連の作った街です。1966年の地震のあと、再建されたとの事。従いまして、古くからの個性がありませんねー。広い道路、大きな建築物、どこにお店があるか分からず、食べ物の匂いもして来ません。面白くない街です。あの雑然、混沌とした、ベトナムが懐かしいです。ここに、又、来たいと思いませんね。今回1回だけで良いです。台湾や、ベトナムには、又、行きたいですけどね。今、現在の、心境です。今後、変わるかも知れませんが・・・。新市街の前に、汽車のチケットを買いました。タシュケントから、サマルカンド行きの、汽車チケットです。宿の綺麗な受付嬢さんにメモを書いて貰って、チケット売り場に行きました。しかしながら、特急は、もう売り切れです。メモを見せても、首を振るばかりで、チケットを売ってくれません。それで、たぶん、特急は売り切れではないかと思い、サマルカンド!サマルカンド! と何度も言いました。それで、サマルカンドに行きたいと言うのが伝わったらしく、チケットを売ってくれました。これがチケットです。5月22日、 8時52分発5月22日、11時55分着、と言うのは、分かりました。しかし、それ以外は、分かりません。チケット売り場のおばさん、なにやら一生懸命言っています。しかし、何を言っているのか、分かりません。「タクシー? タクシー?」、とかも言っています。チケットの裏に、何やら書いてくれました。宿に帰って聞くと、出発駅が、。タシュケント駅でなく、南駅であると分かりました。それを、おばさん、教えようとしたのですね。確認して良かったです。ここが、タシュケント駅です。ここが出発駅と思って、当日来たら、どえらい事になっておりましたな。メトロで、新市街のど真ん中に行きます。これは、メトロの壁の模様です。タイルで貼ってありました。仲々きれいじゃーないですか?ティムール広場まで行くのですが、地下鉄マップを見ると、タシケント駅の次で、乗り換えて、1駅で着きます。しかしながら、ティムール駅にマークを付けた地下鉄マップを見ていたら、次の、ミング・オリク駅で降りるな、と、隣に座ったおばさんが言います。よく分かりませんが、おばさんの言う通りにしました。4つ先の、パフタコール駅で、乗り換えても、行けるのです。おばさん、そのパフタコール駅で降りて、付いてこい、と言います。付いて行くと、ティムール行きの乗換ホームまで行きました。おばさん、にっこり笑って、この電車に乗れと言います。親切だったのですねー。それで、難なく、ティムール駅まで、やって来ました。駅を、降りると、大きなウズベキスタン・ホテルが見えます。こりゃー、5つ星ホテルでしょうねー。ティムール像です。ウズベキスタンのシンボルだそうです。広いティルーム広場ですが、ほとんど、人はいません。大きな広場に、ティムール像が、ポツンと立っています。ここが、ザイール・ゴフ通りです。ブロードウェイとも呼ばれているそうです。ネットを調べて見ますと、「ウズベキスタンの首都タシケント新市街の中心、ティムール広場の西側に伸びるサイールゴフ通りは、ブロードウェイと呼ばれる歩行者天国になっています。オープンカフェやオープンカラオケ、土産物屋、露店などが立ち並び、多くの人々で賑わっています。」とありますが、お店もないし、人通りも少なく、単なる広い道路であります。(夜は、混雑するそうです。ほんとかな?)緑の屋根の、ティムール博物館が見えます。面倒くさいので、行きませんでした。ブロードウェイへ行ったことがないので、比較が出来ませんが、ほんとに人が少ないですよ。お店もありません。かろうじて、屋台のアイスクリーム屋さんがあったので買いました。4000スム=55円です。アイスクリームを舐めながら、サイールゴフ通りを歩いていると、路上に沢山の絵が並べられていました。仲々、良い絵があるんですよ。アジアの星一番の好きな風景画です。山と木々と湖、良いですねー!秋の風景です。どうなのでしょう? 勿論売っているので、プロの画家なのでしょうが、有名なのかなー? こんな路上で売っているのだから、裕福な画家ではないですよね。アジアの星一番は、買えませんが、じっくり見させて貰いました。ほんと、良い絵が沢山ありました。絵をゆっくり見たら、コーヒーを飲みたくなりました。ちょっと、高そうですが、レストランがあったので入ります。アメリカンを頼みました。アメリカンと言えば、薄味で量が多いと思っていますが、少ないですねー、量が。喉の渇きを癒せません。これで、1万2千スム=165円です。昨夜の夕食、プロフと同じ値段です。さすが、ブロードウェイのお店です、値段だけは超高級です。サイールゴフ通りを、歩き切り、左に曲がります。シャラフ・ラシドル通りです。広い道路ですねー!しかし、道路の右も左も、何もありませんぞ。繁華街とは思えません。ソ連の作るものは、味がありませんなー。無機質です。本来のウズベキスタンは、こんな感じではないでしょう。ソ連=ロシアは、好きではありません。このタシュケントの街にも、日本人墓地があるそうです。第2次大戦の後、ソ連に抑留され、強制連行されて、厳しい労働を課せられて、ここで亡くなった、79名の日本人の墓地です。戦争ですから仕方ないですが、日ソ不可侵条約を突如、破棄して日本領土に攻め込んだのは、日本がヘロヘロになり、もう死んだも同然であった、1945年8月8日であります。その1週間後には、降参したのですから、ソ連も酷いですよ。その為に、殺されたも同然の、強制連行、強制労働ですからね。ロシア人は、信用出来ません。歩き疲れて、午後1時半です。あんまり腹も減ってないのですが、レストランに入りました。腹も減ってないのに、ラグマンの大盛りを頼んでしまいました。普通盛りと大盛りの値段が、そんなに変わらなかったもので、貧乏人根性が出てしまいました。これは、タシュケント駅前のレストランの看板です。ブロフや、ラグマンは、どこでもありますね。それから、シャシリクと言う串焼きも多いです。道路で道を聞いた、女子大生と暫く歩きながら話しましたが、彼女も、シャシリクを食べて見なさいよ、と言っていました。今夜は、シャシリクでも、食べて見るかなー?新市街の繁華街(?)から、タシュケント駅近くまで歩いて来ました。韓国のお店が多いですよ。韓国系の住人も多いようです。モスクがありました。ここは、もうタシュケント駅のすぐ近くです。1万7千歩、歩きました。しかし、そんなに疲れませんね。毎日、歩いているからかなー?移動のない日は、10時頃出発して、14時から15時頃、帰着。そんな観光の毎日を送っています。夕食は、近くの食堂へ行きました。まだ、食べた事のない、シャシリクを食べたいと思って来ましたぞ。これが、シャシリクです。タマネギのスライスと一緒に食べます。チェンマイでは、いつも食べている、タマネギ酢でした。串焼きですね。1本は、肉のまま、1本は、ミンチを貰いました。串焼きだけでは、何となく物足りないので、ご飯はないか? と聞くとないと言います。困ったなー、それでは、プロフを少々、下さい、と頼みました。ジェスチャーで、普通盛りの半分以下、と伝えたつもりです。しかし、前より少なかったですが、半分より多いですねー。結局、三分の一位しか、食べられませんでした。サラダも食べるか? と聞かれたので、食べると答えました。例の、アュチクチュチュク、と言う、舌を噛みそうな名前のトマトサラダです。トマトに、キューりに、タマネギを混ぜたものです。美味しいですよ。食べきれませんでしたが、腹一杯です。お茶が、美味しいですねー! こんなにお茶を美味しく飲めるって嬉しいものであります。ビール飲んでいるように、美味しいです。シャシリク、プロフ、アュチクチュチュクの3種類を食べて、2万スム=275円です。プロフは、半分ならば、5千ソム、シャシリクは、看板に、5千ソムと書いてあったので、合計、1万ソムと思って食べていました。しかし、会計は、その倍でした。食べる前に、きちんと値段は確認せねばならないですね。まぁ、良いでしょう。美味しかったし、腹一杯になりました。
2018.05.23
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2018年5月20日(日) 中央アジアの旅 34日目昨日、ウズベキスタンに入国しましたが、話に聞いていた内容とずいぶん違って、簡単過ぎて、気が抜けました。まず、ビザですが、これは、今年の2月から不要になりました。在日ウズベキスタン大使館にも確認したので、ビザなしでも、自信持って入国です。入国カードは、あるだろうと探しましたが、ないです。不要です。パスポートを提出するだけ。何の質問もなく、簡単にスタンプを押してくれました。問題は、税関申告カードです。これは、持ち金をきっちり申告しないと、出国の時に全額没収とか、問題になる、と、地球の歩き方にも、ネットでも、皆さんが書いています。税関申告カードに、お金、貴重品(パソコン、カメラまども)、を2枚に書く。2枚提出すると、1枚は、スタンプを押して返してくれるので、出国まで、絶対に無くさないように、と言う事でした。街でも、チェックされる時があるので、必ず、持っているようにと言う注意書きをする人もいました。申告書がロシア語で分かり難いと言う人もいます。それで、慎重なアジアの星一番は、地球の歩き方にある申告書をじっくり読み、お金も、書けるように、スペルも間違えないようしっかりと準備したのであります。しかしながら、申告不要と言うのです。心配なので、係官にしつっこく聞きましたが、2000US$以上持っていなければ不要だと言い張ります。さらに心配なので、別の女性係官にも、US$の他に、日本円も台湾ドルも、香港ドルも、タイバーツも持っている、と言いました。しかし、2000US$以下なら、不要と言われました。申告が緩くなったのですね。観光客誘致に踏み切ったのでしょうか?他の国より、簡単に入国出来ます。旧ソ連の国々は、ビザ他、規制を緩めて来ているのでしょう。本体のロシアは厳しいですが。カザフスタン、キリギス、ウズベキスタンは、ビザ不要。タジキスタンは、ネットでビザ取得可能。トルクメニスタンだけが、ビザの取得が必要です。ビザの問題で、旅がし難いと言われていた、中央アジアですが、簡単になって来ました。良い事でありますね。さて、Topchan Hostelは、1泊10US$=1090円ですが、朝食付きです。8時半からと、時間が遅いのが、早起きのアジアの星一番には、不満ですが・・・。パンは、ごっそり準備されます。ハムにチーズもあります。オムレツも焼いてくれます。まぁ、これで、十分な朝食となりました。フルーツもありますし。朝食を食べ、少しゆったりした後、10時前に出発。旧市街の見学をすることにしました。13番バスに乗り、タシュケント駅に向かいます。汽車駅の所に地下鉄駅もあります。バスは、1200スムですから、16円位ですね。地下鉄も同じく、どこまで乗っても、降りなければ、1200スム=16円です。安いですよ。地下鉄へ行く地下ですが、無意味に広いです。旧ソ連の仕業でしょうか?地下鉄の内部です。写真では分からないでしょうが、何となく暗いです。内装のせいですかね? 照明のせいかなー?旧市街は、チョルスー駅を降りて、チョルスーバザールの北にあると、地球の歩き方に書いてあります。このドーム状の屋根が、バザールですね。このドームの付近にも、沢山のお店が出ています。ついでに、タシュケントで一番大きな、チョルスーバザールを見学しました。キリギスでは、野菜が少ないなー、と思いましたが、ここには、新鮮な野菜が沢山あります。野菜が豊富ですね。こんな絵皿も売っていました。これは、リシタンと言う、土地の名産のようです。1000年以上前から、地元の土を使って作られて来たそうです。リシタンは、フェルガナ盆地の南端、キルギスとの国境に位置します。茄子に、大根、白菜も1枚単位に葉っぱで売っています。自炊用に買いたいですねー!今は、サクランボの季節のようで、大量に売られています。宿の朝食にも出されました。香辛料ですねー。実は、ベトナムで買った生姜が残り少なくなっているので、生姜を買おうとしたら、この乾燥粉にした生姜を教えてくれました。生の生姜が欲しいですねー。パン屋さんも、何十軒とあります。結局、生姜は買えましたが、苦労しました。「一人歩きのロシア語」に、生姜、と言う単語がないのです。その前に、現物を見て回りましたが、生姜が見つかりません。売ってないのです。ウズベキスタンでは、生姜を使う料理は少ないのでしょうか?それで、市場の人に、「ジンジャー、ジンジャー」、と聞きまくったら、その内の一人が、英語のジンジャーを、スマホで入力して、ロシア語にしてくれました。それを、紙にメモして貰ったのです。そのメモを見せて、聞きまわったら、最初は、乾燥粉の生姜を紹介して貰いました。しかし、生生姜が欲しいと言って、ようやく一軒のお店に辿り着きました。生姜2個で、5500スム=75円石鹸1個で、4500スム=62円でした。生姜は、ベトナムより、立派です。中国から輸入されているのでしょうか?その後、旧市街を探しましたが、どこが旧市街なのか、分かりません。探し当てたとしても、迷路のような街だと言うので、面倒くさいし、探すのを止めて、市場に戻り昼食です。スゥチュワラとか言う料理です。聞いた通りに書いてみましたが、合っているかどうかは、分かりません。水餃子をスープに入れたような料理です。調べてみましたが、チュチュワラ(チュチュバラとも言う)と言う、水餃子風スープのようです。スゥチュワラと聞こえましたが、遠からず当たっていましたね。材料ですが、下記を使うようです。 生地:(小麦粉、塩、水、鶏卵) タネ:(牛ひき肉、玉ねぎ、スープの素、塩、ひまわり油)トマト野菜も頼みました。これは、アュチクチュチュクと言う、ウズベク料理だそうです。トマト、キュウリ、玉ネギを適当に切って、塩で味付けしたもの。簡単で、野菜が美味しいウズベキスタンならではのサラダだそうです。チュチュワラは、8000スム=110円トマト野菜は、2000スム=27円、合計、137円の昼食でした。市場は安いですね。量は少なくて、夕食までに腹減ってしまいましたが、昨夜食べた韓国料理に比べると、三分の一以下です。ウズベキスタンの、お金は、ベトナム同様、単位が大きくて分かりにくいです。1円が、73スムほどになります。昨日、100US$を両替したら、79万7千スムになりました。5万スム14枚と、1000スムを97枚くれました。たった1枚の100US$が、束になっていて、財布に入りません。1000スムが14円ですから、100枚あっても、たったの、1400円です。夕食は、宿の近くの現地食堂に行きました。ウズベキスタンの伝統料理、プロフです。ウズベク人に、伝統料理は何か? と聞けば、まずプロフと言う答えが返ってくるそうです。ウズベク風のピラフ(炊き込みご飯)ですね。牛肉をメインに、干しブドウや、豆も入っています。ティポットの入った、お茶も付いています。これは、10000スム=137円に、入っていると確認しました。プロフと、お茶、美味しいです。今夜も腹一杯になりました。本日は、旧市街へ行けなかったですが、明日は、新市街の繁華街と言われている所へ散歩に行こうかと思っています。
2018.05.22
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2018年5月19日(土) 中央アジアの旅 33日目昨日は完全休養、鋭気を養いました。血圧も正常です。ビシュケクから、ウズベキスタンのタシュケントへは、バスで行く方法、それも2つあり、北の陸路、カザフスタン経由、と、南の陸路、オシュ→フェルガナ方面があります。どうするかな? と考えました。何れも、結構、時間がかかるし、乗換なんぞもあるし、ウズベキスタンの入国は、何やかや、荷物を全部出せとか、お金を抜き取られるとか、諸々、面倒くさそうなので、軟弱ですが、空路を選びました。飛行機ですな。1.6万円もの大金を支払っての移動です。そして、飛行場へもタクシーです。超高級バックパッカーですなー。空港への行き方は下見してあり、知っていますが、もう何度も書きましたが、マルシュルートカは、満席にならないと、出発しないのです。それで、空港に着く時間が想定出来ません。ですから、安全を見て、タクシーにしたのです。現地のお金、ソムも余っていますし。600ソム=960円と、1000円近いですが、仕方ないですね。ここが、アジアの星一番の3階の居場所でした。ずっと、ここでネットしたり、漫画読んだりしていました。これは、昨夜の夕食です。どうも、中央アジアは、肉ばかりで、肉に飽きます。それで、中華料理屋さんの、蛋炒飯にした次第です。今回は、お茶は、初めから断りました。120ソム=190円です。タクシーで空港へ向かう道路です。宿から空港まで、30分掛かりました。600ソム=960円ですから、宿の1泊分よりも高いです。ふんぞり返って、高いタクシーを味わいながら乗りましたぞ。空港内です。首都の国際空港とは思えない、静けさです。発着のフライトも、少ないですよ。滑走路は、空いているのに、アジアの星一番が乗る、ペガサス航空は、1時間半も出発が遅れました。こんなに遅れるならば、バスで来ても良かったですよ。MANASと言うのが、ペガサス航空のようです。飛行機は着いているのに、何かトラブルがあったのかなー?遅れると、何があったのか、心配しますよね。キューバでは、飛行機が墜落したし。14時10分、機内です。左右2列ずつの飛行機かと思いましたが、3列ずつあります。B737なのですよ。飛び立ちました。途中、雪山の上を飛んでいます。1時間も経たずに、降下を始め、着陸態勢です。着陸しました。何故か、乗客は、着陸したら、皆さん、大拍手でした。そう言う国ってあるのですよね。確か、イースター島に着陸した時も、拍手大喝采だったですね。タシュケント飛行場です。飛行場から、バス66番に乗って行こうと、検討していました。でも、66番が見つかりません。タクシーの運ちゃん、4US$で行くと言うので、又しても、タクシーに乗ってしまいました。宿は、市内の中心部から遠いのですが、Topchan Hostel、にしました。ネットで見ていたら、評判が良さそうなので決めたのです。1泊10ドル=1090円位で、朝食付きです。アジアの星一番は、一番右の奥のベッドを確保しました。ここが受付と、リビングです。ただ、ここには、電源がないので、パソコンは出来ません。キッチンです。コーヒー、お茶は、無料で飲めます。ここが、2階の共有エリアです。電源もあるので、他のお客さんがいなければ、アジアの星一番の作業場になる予定ですね。タシュケント鉄道駅まで、バスに乗って、汽車の運航のチェックに行きました。鉄道駅と、チケットを買う場所が違うので、うろうろしましたな。結局、チケット売り場のおばさん、英語が喋れず、せっかく行ったのに、何も分からず、チケットも買えず、引き返さざるを得ません。宿で、買いたいチケットを紙に書いて貰ってから、出直しです。タシュケント駅に行くときは、13番のバスに乗っていったのですが、帰りは、13番がそのまま帰って来ないようで、途中で降りされまた。22番に乗り換えるようにと言っていたようです。でも、乗ったのに、お金は返してくれたのですよ。親切ですね。歩かないと、道も覚えないので、バスに乗るのを止めて、宿まで歩くことにしました。何人もの人に聞きながらですが。そしたら、韓国レストランを見つけました。18時半だし、丁度良いと、入りましたよ。こんなに、前菜が出てきます。 8皿もありますよ。これが、メインです。豚肉野菜炒めです。ご飯が多いです。何だか、久しぶりに食べたなー! って気になりました。韓国料理、美味しいですねー! 塩分控えめにしてと、頼んだら、ほんとに塩分少なくって、ほとんど味なしでした。でも、前菜が沢山あるので、ご飯も、どんどん食べられます。お皿に、だいこんって書いてあります。日本のお皿を使っているのですね。韓国料理屋さんなのに。たっぷり食べましたが、全部は食べきれませんでした。残しても、食べ過ぎな位、量はありました。これで、39000スム=530円位です。いつも食べている物に比べれば、2倍から4倍はします。で、高いと思いますが、日本で食べたらラーメン1杯も食べられません。そう考えると、あんまりケチケチしないで、もっと食べようかななどと、貧乏旅人らしからぬ考えが浮かんで来ますな。「大長今」と言うお店のようです。何と読むのでしょう?腹一杯になり、幸せ気分で、宿に向かいます。夕日が沈んで来ました。今は、19時20分。日本時間より、4時間遅い夕陽であります。地球は丸いです。ウズベキスタンの入国は、色々と、問題があると聞いていました。しかし、結果は、超簡単、明日掲載します。
2018.05.21
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2018年5月18日(金) 中央アジアの旅 32日目本日は、どこにも出かけないで、宿でゆっくりしております。今回のこれからの、旅のスケジュールの見直しなどを行いました。ウズベキスタンは、タシュケント、サマルカンド、ブハラに行きます。しかし、数日前、ヒヴァへ行くのを止めたのですねー。ユルタキャンプで会った、フランス人たちに、ヒヴァは良いよー、って、言われたのです。でも、その前日、アゼルバイジャンへ行くエアーチケットを買ってしまっていたのです。もう、ウズベキスタンの、滞在期間は変更出来ません。ヒヴァへ行くために、飛行機代をパァーに出来ませんから。そうすると、残り期間は、20数日です。今日は、旅を始めて、32日目ですから、もう半分どころか、60%は、過ぎ去ってしまいました。早いですねー!昨日、サクラゲストハウスに戻りましたが、同じ6人部屋のドミです。客は、アジアの星一番一人です。個室と同じです。朝、3時半ころ、コーランなのか、このモスクから、大きな声が聞こえて来ます。信者には、嬉しいのでしょうが、関係ないアジアの星一番には、真夜中みたいな時間に、迷惑ですなー。まぁ、人の国に来て文句は言えませんがね。本日は、これしか、ないので、山川純一 43回を掲載します。=============================チェンマイに佇む男達 山川純一の場合 43回 ~あらすじ山川純一は、東北の寒村で生まれ、育ち、中学卒業と同時に東京へ。苦労しながらも、29歳で、念願の社長になる。26歳で結婚した糟糠の妻は純一が67歳の時に、医者の誤診から、あっけなく天国に旅立った。長女、長男はいるが、長女は結婚せず、長男は結婚したものの、子供は作らないと言う。子供との会話も少なく、純一の財産を貰いたい彼らに嫌気がさし、チェンマイに旅立つ。そこで、タイ人女性、フォンと出会い、純一の生活は一変する。=================================2013年も、9月に入った。フォンの日本語は飛躍的に上手になり、日常の会話には、不自由しなくなった。もっとも会話を交わさなくても、相手が何を考えているか、分かるようにもなっていたからかも知れないが。「あのね、今度ね、自動車の免許を取ろうと思うの。」「ほぉー、車の免許?」「そう、将来、運転する可能性もあるでしょう? 仕事を変わる場合も運転免許を持って車を運転できたほうが有利だろうし。」「そりゃー、いいね。」チェンマイの場合、自分で勉強したり、練習して、一発勝負で試験を受けるらしい。近年、自動車教習所なるものが、どこかに出来たらしいが、日本のように、何か月も教習するのでなく、数日で完了のようだ。フォンは、既に、勉強を始めているし、友人の車で、実地でも練習をしているとの事である。積極的になにかにチャレンジするのは良い事であると、純一も思う。そして、ついつい、言ってしまった。「そしたら、試験に受かったら、車買ってあげるよ。」、と。「ええー? 車、高いよ。」幾ら位するのか、知らないで、買ってあげると言ってしまった。まぁでも、200万円もあれば、買えるだろう、その位は出してあげても良いと思うのである。純一は、フォンのバイクに乗せて貰って温泉にも行った。ドーイ・サケットは30分から40分で着いたが、サンカンペーン温泉は、もっと時間がかかった。フォンは安全運転してくれるが、ヘルメットを被って、フォンにしがみ付き1時間以上もバイクの後ろに乗るのは、結構辛かった。チェンライや、メーホーソンにも連れて行ってあげたいと言われたが、何時間もかかるらしい。それで、遠慮したのである。しかし、もし車があれば、3時間でも、4時間でも問題ない。それに、フォンのお母さんや、プロイも一緒に連れて行ってあげられる。フォンの免許取得に関係なく、車があればなー、と思っていたのである。純一のチェンマイ生活も、8か月となった。その間、まったく日本に帰っていない。帰りたいとも思わなかった。日本へ行っても、誰が待っているでもなく、挨拶する人もいない。チェンマイにいれば、フォンに会えるだけでなく、ゴルフも出来る。ゴルフ仲間がいなくても、キャディさんと二人で回れる。一人で回っていると、やはり一人とか、二人で来ている人たちと新たに友達になれる。ゴルフしても、半日で帰って来られるのも、気楽に行ける要因である。日本のように、朝早くから、夕方遅く帰って来るのでは、心構えが必要だ。気楽に、朝起きてから、さ~て、今日は、ゴルフでも行くか!ってな訳には行かない。チェンマイは、それが可能なのである。時々は、娘や息子は、どうしているかな、と思うこともあるが、単にそれだけである。会っても、ろくに話もないので、わざわざ会いたいとも思わない。「チェンマイは良いなー。」、改めて、純一は思うのである。フォンは、1週間に1回から2回は、純一の部屋に泊まっていくようになっている。母親に何という言い訳をしているのかわからないが、純一は自然に任せている。愛人と分かっても、お互いが良ければ良いではないか、と開き直っているのだ。「あのね・・・」、フォンが、又、何かを言おうとしている。「何?」「この部屋は、幾ら払っているの?」「1ヶ月、1.2万バーツだよ。」「えー、私の給料と同じだ。高いよ。」「そうかなー、大体、こんな値段のようだよ。」フォンが言うには、ちょっとだけ市内から外れた所だと、一軒家でも、1万バーツしないで借りられる家があるとの事である。どうして、フォンがそんな話をするのか、純一は気になった。================================外出したのは、夕食を食べに出た、1度のみ。中華屋さんで、又、蛋炒飯を食べて来ました。今度は、お茶は要らん、と事前に言いましたぞ。完全休養の1日でした。youtubeでは、西城秀樹さんが亡くなったこと、ばっかりのワイドショーでしたね。藤井6段が、勝利して、7段になることもありました。大谷翔平が、6号ホームランを打ったのもありました。色んなワイドショーがあるので、時間はすぐに経ちます。映画やドラマを見る暇がなかったです。
2018.05.20
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2018年5月17日(木) 中央アジアの旅 31日目良く寝ました。22時半に寝て、7時15分に起きましたから、8時間45分も寝ました。本当は、6時前から目が覚めていたのですが、なんせ朝食が8時半からなのです。WiFiはないし、早く起きても、やる事がない。で、寝ていただけであります。これが、アジアの星一番の寝ていた、ユルタです。いやー、寒かったですぞ。掛布団2枚でも寒いので、隣のベッドから毛布を借りて、一番中に入れました。それで、何とか、暖かくなり、朝まで眠れた次第です。気温は何度位だったのかなー? ユルタの中の、布団です。やる事もないので、朝の散歩に出かけました。イシク・クル湖は、いつでも、静かです。ほんと気持ち良い湖です。何と表現すれば良いのかなー? 大きく包み込んでくれるような心の安らぎが得られるような気がします。散歩には、犬が付いて来ました。キャンプの犬なのですが、とってもフレンドリーなのですねー。夜は、アジアの星一番のユルタの前で寝ていました。起きだすと、すぐに近寄って来ます。決して吠えません。ですから、声は聴いた事がないのです。アジアの星一番が走れば走るし、歩けば、後ろを付いて来ます。とっても、良い犬ですねー。猟犬らしいですよ。足場はあまり良くないですが、犬と散歩をします。8時近くなって、ようやく宿の人が起きだして来たので、お湯を貰って、生姜紅茶を作りました。気持ち良いので、外で、ユルタや、湖を眺めながら飲みます。ポーランド女性は、コーヒーを飲んでいました。さて、期待していた、昨夜の夕食です。結果は、何と言う事はなかったのですなー。まずは、スープが出されました。そして、野菜サラダです。大皿にあり、取り分けて食べます。メインデッシュは、何と、昼食で頂いた、牛肉ジャガでした。これが、キリギス料理の代表的な料理でしょうか?そう言えば、ビシュケクで一番初めに、レストランへ行って、肉、ジャガイモ、と伝えて、メニューから選んで貰って食べたのが、これと同じ肉じゃがでした。あれは、肉が固くって、美味しいと言えなかったですが。ここの肉じゃがは、美味しいです。味付けは濃いですね。一緒に食べたのは、フランス人5名と、ポルトガル人。皆さん若いですが、男性二人に女性4名、とアジアの星一番。さらに、フランス人達の現地のガイドさんです。ポルトガル人の女性がユーチューバーだとか言って、一人でペラペラしゃべっていました。アジアの星一番も聞かれるまま、答えました。、 103ヶ国へ行った → ひゃ~、すご~い! 作家である 55冊出版した → ひゃ~、すご~い! サウジアラビアに、2年住んだ → ほんと!などなど、盛り上がりましたな。103ヶ国へ行ったと言うと、誰でも、どこが一番良かった? と聞かれます。でも、一つに絞るのは、難しいですよね。イエメン、ブータン、マダガスカルなどを挙げます。皆さん、あまり行ってないでしょうから。もう行きたくないなー、と言う国は少ないですが、ウルグアイは行きたくないですね。パラグアイと2文字違いですが、どえらい違いです。パラグアイは、何度も行きたい国ですけどね。それから、エルサルバドル、危険な臭いがプンプン、怖いです。良くバスに乗って行ったと思います。さらには、お金持ちの国、ブルネイ。面白くない国ですよ。行きたくない国の話は、しませんでした。旅の話で、盛り上がりましたが、デザートです。そして、朝食ですが、フランス人達、起きて来るのが遅いもので、何と、9時ですよ、朝食を食べ始めたのが。困ったものです。これは、極、普通の朝食です。デザートもありましたが、塩を振りかけてあるのでしょっぱいです。そう言えば、卵焼きにも、塩がたっぷりかけてありました。減塩生活者のアジアの星一番には、困りますな。朝食を食べて、準備をしたら出発です。タクシーを呼んで貰って、ボコンバエブ村のメインストリートに行きます。マルシュルートカだと、250ソム=400円と聞いていました。すると、マルシュルートカはない、タクシーしかない、とおじさん達が言って来ます。値段は、350ソムと言うではないですか。ダメ! マルシュルートカで行く、250ソムだ! と言い張ります。おじさん達、マルシュはない、タクシーしかないと、同じ事を繰り返しています。そうなのかなー? と思うものの、250ソム、とさらに言い張ります。そしたら、300ソムに負けると言うのです。それなら、たった50ソムの違いだし、タクシーで行くことに決めました。タクシーと言っても、バンですよ、これです。8人乗りです。ボコンバエブ村のメインストリートです。田舎ですから、何もありませんよ。このおじさん達ですよタクシーしかないって、言い張っていたのは。確かに、この辺りに、マルシュルートカはなかったので、彼らの言う事は正しかったのでしょう。気のいいおっちゃん達でした。それで、運賃なのですが、他のお客さんは、350ソム支払っていました。と言う事は、アジアの星一番は、正規料金を、値切っていたのですねー。驚きました、地元の人より、安く乗ってしまいましたぞ。隣の席には、おばあちゃんと孫が座ります。子供の席はありませんから、それだけ狭くなります。でも、この子供、3歳なのですが、ちょっかいを出して来て面白いのです。ボコンバエブ村から、ビシュケクまで、5時間もかかりましたが、この子と遊んだり、居眠りしたり、窓の外を見たりで、あっと言う間に着きました。朝食が遅かったので、昼食は食べたくなかったですが、何も食べないのも、夕食の時間がおかしくなってしまうので、休憩した所で買いました。アルゼンチンでは、エンパナーダと呼ばれていましたが、この辺りでは、ピロシキと、呼ばれるようです。これで、4泊5日の、イシク・クル湖1周の旅は、完了しました。天気予想では、ずっと雨だったので、それを、とっても心配していました。ですが、実際に行動中は、降られなかったので、幸いでした。高度が2000m近いので、寒かったのは、辛かったですが、天山山脈や、広大なイシク・クル湖、静かなイシク・クル湖を堪能できました。今回の旅では、ここがハイライトと思っていたのです。ここ以上に、良い所、あるかなー?ビシュケクに、2泊したら、次の国、ウズベキスタンに移動します。明日は、特にやる事はありません。ウズベキスタンの宿のチェックや、その次の、コーカサス3国の調査などをしたいと予定しています。
2018.05.19
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2018年5月16日(水) 中央アジアの旅 30日目今夜は、ユルタに寝ます。キリギスでは、ユルタと言いますが、モンゴルでは、ゲル、中国では、パオと言います。どれも同じです。遊牧民族の移動式の家ですが、ドロヤナギなどを材料として、円筒形の壁体を作り、その上に、傘のような円錐形の天井を乗せ、フェルトで覆うものであります。ユルタが、並んでいますねー。アジアの星一番の寝る、ユルタの中です。布団しかありません。キャンプですから、WiFiはないものと諦めていましたが、まさか、電灯も、電源プラグもないとは思わなかったです。しかも下に隙間がある。これが屋根です。 シンプルですね。最も、、元々は、移動式ですから、シンプルでなければなりませぬ。キャンプの方の説明で、夕食は、19時半からと言います。「遅い! 18時半にならないか?」、と聞きました。「どうして?」、と、逆に聞かれます。新婚さんの奥さんです。「腹が減る。早く食べたい。」、と言うと、「今、ティーを飲むか?」、と言います。「それって、無料?」、と確認しましたな、貧乏旅人。「フリーです。」このやり取りは、チェックインした、13時半過ぎでした。この大きなユルタに、案内されました。ここがリビング兼食堂のようです。ティーを出されましたが、その後、こんな食事を持って来てくれました。大サービスですよねー! レストランで食べたら、200ソムは、必要です。これって、無料だよねー? 後で、追加取られないよね?見た目より、量は多いです。通常の1食分あります。一緒に食べた従業員の方です。仲良さそうですが、他人ですよ。このキャンプで、今働いている人は、6名と言っていました。これが、トイレです。風通しが良いですよね。ここがシャワールームです。ここも風通しが良いです。寒い夜には、無理ですよ、ここでシャワー浴びるのは。それで、まだ、午後3時ですが、シャワーを浴びました。それでも、寒いです。隙間風が、吹き付けます。このようなシャワー、ナミビアのナミブ砂漠でのキャンプもそうでした。屋外で、屋根はなし、隙間風、多くあり、でしたな。それから、寒かったシャワーと言えば、タイのオムコイでした。バンブーハウスです。シャワーはありません。ドラム缶よりもっと大きな桶に水が入っています。それを、汲んで、身体にかけるのでしたなー。かけるぞ! と気合を入れないと、水をかけられませんでした。あそこも、竹で編んだ壁なので、隙間がありました。そう言えば、その隙間から、けい子さんを見てしまいましたな。見てしまったと言うか、見えてしまったのです。「見ないで!」、と、怒られましたが、見てしまったものは返せまい。シャワー浴びて、太陽の下で、暖をとり、散歩に行きました。イシク・クル湖です。穏やかですねー! 大きいですねー! 静かですねー!こんなに透き通った水です。砂浜ではないですが、湖岸がずっと、続いています。向こうには、岩肌の山が見えます。我が宿のユルタは、ちょっとした高台にあります。しばし、湖岸を散歩しました。静かです。心がゆったりします。波の音しかしません。それも静かな音です。今朝に戻ります。Karakol based Hostel、8人部屋のドミでしたが、お客はアジアの星一番、ただ一人、部屋も、リビングも、どこも専用で使わせて貰いました。従いまして、居心地は良かったです。ただ、夜は、寒かったですねー!オーナーさんが、電気ストーブを点けてくれたのですが、それでも寒くて、隣の布団を一つ借りてきて寝ました。咳は出るし、鼻は詰まって、口で息をせねばならず、苦しいし、散々でしたが、いつの間にか寝ていました。朝方は、暖かくなったのです。電気ストーブで暖まった空気が、下の方まで、降りて来たのでしょうか?まぁ、とにかく、眠れて良かったです。この日、移動のマルシュルートカは、310番です。公園の近くのバス停から出発します。満席になるまで出発しないと、宿のオーナーさんから聞きました。早く行っても、待たねばなりません。それで、頃合いを見計らい、10時に、バス停に着くよう出かけました。何人位待っているかなー、と楽しみに行きましたが、ご覧下さい。お客さんは誰もいません。又しても、アジアの星一番は、お客さん第1号であります。嬉しくない1号ですな。それでも、50分ほど待ったら、8人しか客はいないのに出発しました。10人ほど、空き席があります。珍しい事もあるよのー、と、驚きます。しかし、喜びましたな。2時間半は待たねばならぬと覚悟していましたから。又、大草原を見ながら走ります。これは、道路わきの民家であります。一般的な民家でしょう。(たぶん)。そして、何故、満席にならずに出発したか分かりました。途中での乗り降り客が多いのです。18人乗りなのに、座席が満席になり、多い時は、6人も立って乗っていたほどです。一時期、見えなかった湖が見えてきました。目的地が近づいたようです。ボコンバエブ村に着きました。カラコルから2時間20分です。地球の歩き方に載っている旅行社、CBTは、マルシュルートカが着いたバス停のすぐ近くにありました。そこで、今夜の宿の宿泊と、値段、夕食と朝食は付いているかなど確認しました。1250ソム=2000円で、ユルタ1泊2食付き、である事を確認した次第です。しかし、前述の通り、昼食まで、無料で御馳走になったのであります。高くはない、安いですよね。CBTの担当より、キャンプまで公共の交通機関はないので、タクシーで行って下さいと、言われました。貧乏旅人の行動にないタクシーでありますが、止むを得ません。250ソム=400円を支払いました。タクシーに乗る事、10数分、着きました。Bel-Tam Yurt Camp です。今夜は、キリギス料理でしょうねー! どんな料理か楽しみです。それは、明日のブログのお楽しみ。それから、ユルタですが、電灯と、電源プラグのあるユルタに替えて貰いました。初めに案内して貰ったユルタ、壁の下に隙間があって、風が入って来るのです。夜中から朝方は、3℃とか5℃とか、そんな気温になります。耐えきれませんよ。それで、何とかして、と泣きついたら、ユルタを移ってくれと言われ、そこには、電灯も電源もあったのです。初めから、そっちにしてよ。オフシーズンで、お客は、そんなにいないのだから。一緒に泊まる、フランス人5人、ポーランド人女性は、皆さん、電灯も電源もあるユルタです。彼らのユルタには、暖房設備までありました。 くっそ! 西欧重視か? あったま来るな。今、持っている物を全部着て、さらに毛布を被って、このブログの下書きを書いています。毛布を被って寒さを凌いでいます。それでも、出している手は冷たいですねー。ネットは、ないし、下書きは書いたし、何するかなー?夜は、長いぞ。何もすることがないので、パソコンに入っている、自分の作品を読み返して見ました。結構、面白いですな。特に、「黄山紀行」、これは、我ながら傑作であります。面白いですよ。是非、購入して読んで見て下さい。決して損はしないと思いますぞ。中国の名峰、黄山へ登った話です。「でじたる書房」で検索して、ホームページに入ります。そして、「アジアの星一番」で検索すると、作品名が出てきますが、作品名にアジアの星一番が入っていない、作品は出て来ません。「黄山紀行」にアジアの星一番は入っていませんので、作品の中の、「この著者の作品一覧」、をクリックすると、全作品が出てきます。「上海OL物語」も読んで見ました。中国人の4名のOLさん、今頃、何をしているかなー?と、まぁ、長い夜を、自作で楽しみました。長編恋愛小説、「宇超人」も、読みたかったですが、時間がなくなり、寒いし、寝ることにしたのであります。
2018.05.18
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2018年5月15日(火) 中央アジアの旅 29日目幻のイシク・クル湖は、1周700キロあります。何とか1周と言うのが、好きなアジアの星一番です。歩いて、ブレッド湖一周とか・・・。でも、700キロは歩けません。それで、そこを、ゆっくり見ながら、ミニバスに乗って、4泊5日で、1周するのであります。イシク・クル湖を、見ながら、ミニバスに乗っています。バスの中からなので、うまく撮れませんが、綺麗さはわかるでしょうか?大草原の牧草地を右手に見て走ります。その向こうが、湖です。朝食は、白菜卵焼きを作りました。昨日買った残りの材料ですね。それに、バナナとパンです。トマトもありますが食べられません。残ったパンとバナナとトマトは、次の宿に持って行きます。居心地の良かった、2LDKの部屋を出て、ミニバスに乗ったのです。昨日と同じですが、今日のバスは、遮光フィルムが貼ってないので、外が良く見えます。これでなきゃー、困りますよ。5分も待たないで、ミニバスはやって来ました。この辺り、昨日から、思うのですが、ポプラが多いのですよ。背が高くて、美しいですよね? ポプラ並木。向こう側が見えない位広い牧草地です。牛が点のようです。2時間で、カラコルの街に着きました。今回も運転手さんに、どこで降りたいか、住所を見せてよく説明しておきました。その時、助手席に座っていた若い男性が英語が話せて、運転手に説明してくれました。でも、簡単な説明で、大丈夫かなー、とも思っていたのです。カラコルに着いたら、全員が降ります。終着駅だったのです。何だよー、降ろしてくれなかったの? 困るなー、と皆さんの後に従っておりました。そしたら、助手席に座っていた人が、付いて来な、と言うではないですか。え? 宿まで、連れて行ってくれるの? 親切やなー、と思ったのですが、彼は、足を骨折しているのか、松葉杖をついているのです。これじゃー、案内して貰うにしろ、歩くの大変じゃろ、ですよね。しかし、彼の友人が、車で迎えに来てくれていて、その車で、宿まで送ると言うのです。親切な人に、いつも会いますねー!スマホで、マップを見ながら、案内しています。そして、何も間違えず、簡単に宿に着きました。ありがとさんです!部屋は、ドミです。8人部屋ですね。アジアの星一番は、片隅の2段ベッドの下段を確保しました。下段を確保できて、良かったー! と喜んだのですが、後で、知りましたが、今夜の客は、アジアの星一番、一人だったのですねー。昨夜、同様、貸し切りですぞ。ここが、キッチン兼食堂です。まぁ、ここも独り占めです。ですが、寒いですよ。 寒いので血圧上がります。丁度、昼食時。街の方向に向かって歩いていたら、女子高校生らしき、3人組に会いました。レストランを教えて貰いました。勿論、ロシア語でですよ。あの「一人歩きのロシア語」、を使いましてね。彼女たちは、スマホの翻訳機を使って、英語で答えてくれます。便利でになりましたよねー。その内、語学なんて不要になりますな。そして、レストラン。女給さん、英語が話せます。で、何か、この辺りのお薦め品を食べようと思ったら、勧められたのが、ラグマンです。いつも食べてるよー、と言えないので、それを食べましたです。しかし、量が少ないのですね。皆さんを見ていると、アジアの星一番が頼んだ主食以外に、パンを食べたり、お茶を飲んでいます。始めに、パンは要らんか? と、アジアの星一番も、聞かれました。だから、一般的に、ラグマンだけでは、量が不足なのでしょう。食べた後に、腹減ったなー、と思いました。おかしいですよね、この感情。買物もあるので、市場に行きました。市場ならば、何か食べる物もあるでしょうから。いやー、売ってますねー! 大きな市場ですよ。靴下売り場に行きました。3足持参した靴下の内、2足を交互に履いていたのですが、1足に穴が開いてしまいました。それで、買わねばならないのです。買いましたよ。1足30ソム=50円弱ですね。それに、電子辞書を多用するもので、もう電池切れになるだろうと乾電池も買いました。そして、市場を歩いていたら、麺がありました。他にも大きな串焼きとか、大きなマンティのような物も売っていたのですが、多すぎで、ラグマンを食べた後だし、適当でないのです。それで、又しても麺ですが、麺が良いか、と頼みました。30ソム=50円弱です。先ほどのレストランは、120ソム=190円もしたのですけどね。市場は安いですわ。ラグマンかと思って聞いたら、オクソスとか言っていました。結構、売れているようですぞ。オクソスで調べて見ましたが、出て来ません。発音が何か違うのか、有名でない食べ物なのかなー?買物はしたし、腹もいっぱいになったので、観光です。木造で作られた、ロシア正教の聖三位一体教会、と言うのが、街の中心地近くにあるらしいのです。市場から宿へ戻る方向なのですが、ロシア語で書いた名前がないもので、聞くにも聞けず、うろうろしながら、探しました。これです。う~ん、普通の教会とは、趣が違いますね。1本の釘も金具も使わずに、建てたそうです。現在も、現役で、1日5回の礼拝を行っているそうです。これは、アジアの星一番が撮った写真ではありません。絵葉書を転写しました。実は、絵葉書を買ったのです。海外から、絵葉書を貰うって、今の時代、少ないでしょう? メールや、ラインで連絡しますから、絵葉書なんて、面倒くさいじゃーないですか?アジアの星一番は、書きました。さて、誰に送るのでしょう? 貰った人は、喜んでくれるかなー?手間がかかっていますよ。1.絵葉書を買う2.住所を書く、文章を書く3.切手を買う4.郵便ポストに出す。今回は、郵便局を探し当てて、そこで、出しました。絵葉書10ソム、切手50ソム、合計60ソム=100円弱です。これで、喜んで貰えれば、有難いものであります。旅先からの絵葉書が欲しい人は、言って下さい。送ります。夕食は、どうするかなー? 面倒くさいなー? と思っていたら、ケバブを売っていました。ケバブじゃーないか? と声をかけたら、シュワルマ!って答えが帰ってきました。呼び名が違うだけで同じですよね?これです。量が多いですよー!昼食べた、ラグマンの2倍以上はあると思います。夕食で、温めて食べましたが、食べきれないほどでした。味も良し、肉も野菜も入っているので、良いですね、シュワルマ。これで、100ソム=160円です。これからも世話になります。ずいぶん歩きましたが、まだ時間があります。小さな動物園があると言うので、探しに行きました。大きな公園や競技場のある近くです。競技場の壁に、こんな看板がありました。空手ですよ。キリギスで、空手を教えているのですねー!動物園に来ました。特に珍しい動物がいる訳ではないですが、まぁ良いものですね。ライオンです、でかい顔していますぞ。こいつに齧られたら、一巻の終わりですな。小さい動物園とはいえ、沢山の動物がいます。写真を全部載せても面白くないでしょうから、少しだけ載せます。狼も沢山いましたが、動きが早いので、うまく写真に撮れません。ヤギ。優しそうな顔しているなー、と思います。草食系は、ほとんど、優しそうですよね。人間もそうかなー?これは、何でしょう? ヤマアラシですよね。こんな小さな、小鳥もいました。アジアの星一番も以前、大きな小鳥小屋を作って、沢山買いました。十姉妹、文鳥、紅雀、インコ、もっと飼ったなー、名前忘れました。鴨もいました。実は。鴨も飼ったことあるのですよ。畳5畳位の大きな鳥小屋を作りましてね。今も、庭にあります。最初、水がないと可哀そうかと、子供用プールを買って来て庭に置きました。水が好きですから、入って泳ぐのです。子供用プールでは、水入れや片付けも面倒なので、それでは、と、ブロックとか買って来て、本格的な、池を作ったのです。今では、邪魔なだけで、作るの止めればよかったと思っていますが、そこでも泳いでいました。鳥って、数年で死んじゃいますから、名古屋コーチンを飼ったり、シャモを飼ったり、いろんな鳥も飼ったことがあります。庭が広いと、そんな事も出来ましたね。動物園、そんな自分で買った鳥たちの事も考えながら、見ていたら1時間もいました。キリギスまで来て、思い出に耽る事柄ではなかったですね。そうそう、ここカラコルは、天山山脈の登山への基地なのです。海抜が、1900m位あるのです。だから寒いのですね。天山山脈の最高峰、ポベダ(勝利峰)、7439mへの登山口でもあります。1860年代に、ロシア人や、ウクライナ人が街を作り、その後、弾圧を逃れて、中国から、中国系モスリムの回族とウイグル人が移り住んだ街との事です。
2018.05.17
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2018年5月14日(月) 中央アジアの旅 28日目天気予報では、本日も雨でした。夜中から、朝方は、予報通り、雨が降っていました。5時半ころ起きて、生姜紅茶を飲んでいる頃、雨は小振りになり、7時半頃、朝食を食べていたら、雨は止みました。雨は天の恵み、雨がなくては、人々も、動物も、全ての生物も生きて行けない重要なものです。でも、雨振りは、濡れるし、面倒で嫌ですよね。本日のように、夜降って、朝止んでくれるのが、一番好ましいです。そして、イシク・クル湖の散歩に出かけました。後ろを振り返れば、山々が見えます。田舎道のように見えますが、ここがビシュケクから、カラコルへ行くメイン道路であります。舗装工事中で、このようになっています。道幅は広いので、舗装工事が完成したら、綺麗になりますね。メイン道路から、湖の方向へ歩きます。広い荒野があります。その向こうの方に、家も見えます。あの家は、別荘でしょうか? 住家でしょうか?道端には、タンポポの花がひっそりと咲いています。イシク・クル湖に着きました。広いですねー! 向こう岸が見えません。ソ連時代、イシク・クル湖は、外国人立ち入り禁止で、「天山山脈の山ひだ深く隠されている幻の湖」、だったのだそうです。中央アジアの真珠、とも言われているそうです。その素晴らしい湖の辺りを、アジアの星一番は、一人散歩しているのであります。大きな観覧車もあります。今は動いていません。これまた、大きな、滑り台でしょうか? 波を打って、湖に繋がっています。湖畔には、海の家のような建物があります。しかし、今は、誰もいません。シーズンになると、多くの人が来て湖畔浴を楽しむらしいです。オフシーズンは、何か寂しそうでありますねー。イシク・クル湖は、東西約180km、南北約30~70km、そして周囲は、約700kmもあります。琵琶湖の9倍と言う大きさです。歩いても、歩いても、観覧車は遠のきません。三蔵法師も、インドへの途中、ここを通ったそうです。シルクロードに強い関心を持っていた、作家・井上靖は、残念ながら、ここには来られなかったそうです。有名度も、作品も、内容も、全く異なりますが、作家・アジアの星一番が今、そのイシク・クル湖を、歩いております。作家風な、顔をして歩いて見ましたな。顎に親指と人差し指を当てて・・・。広すぎて、歩いても切りがないので、宿の方に戻ります。1万歩程度、歩きました。この辺り、レストランも少ないし、結構、高いですし、せっかく、2LDKの宿にいるので、自炊することにしました。食用油を持っていなかったので、昨夜も、迷ったのです。しかし、80円で、売っていたので、買いました。食用油 : 50ソル=80円白菜 : 45ソル=72円タマネギ2個 : 10ソル=16円ジャガイモと人参 :22ソル=35円卵2個 : 12ソル=19円トマト小5個 : 84ソル=135円バナナ3本 : 58ソル=93円トマトとバナナを除くと自炊用買物は、139ソル=265円でした。昨日の、マンティは、200ソルでしたから、それよりずっと安いです。これで、3回は作れるでしょうから。昼食用です。ジャガイモ、ニンジン、タマネギを炒めて、塩コショウで味付けし、水を少々入れて、煮込んで、醤油で味を整えました。美味しいですぞ。肉はいつも食べてるので、野菜だけで良いでしょう。ドンブリ1杯あって、腹一杯です。夕食用です。白菜とタマネギ炒めです。それに、トマトも入れて見ました。パンは、10個入りしか売っていなかったので、食べきれませんが、買って来ました。バナナもトマトもあるし、買い過ぎましたね。おまけの話ですが、ネットでキリギスを調べると、必ず出てきます。キルギスの方々の間では、「大昔、キルギス人と日本人は兄弟で、肉が好きな者は、西に渡って、キルギス人となり、魚が好きな者は東に渡って日本人となった。」と言うように、キルギスには、「日本人とキルギス人は兄弟」という言い伝えがあるのだそうなのですねー。じゃー、兄弟は、どこに住んでいたのかと言うと、エニセイ川の流域にいたと言うのです。ちゃんと場所まで、特定しているのです。エニセイ川とは、ロシアを流れる河川で、北極海に流れ込む最大の水系で、世界でも第5位の長さなのですねー。知らなかったなー! 日本人の祖先が、ロシアに住んでいたとは。確かに、日本人のような顔つきをしたキルギス人は多いです。キルギス人と日本人は兄弟だったのですか?あんまり、日本では言われていませんよね? 今回の旅で、初めて知りました。
2018.05.16
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今朝、起きたら、150万アクセスを突破しておりました。皆様が、覘きに来られているお陰様で、100万アクセスから、まだ1年が経っていません。今後とも、よろしく、お願い申し上げます。===================================2018年5月13日(日) 中央アジアの旅 27日目イシク・クル湖の、最も賑やかな避暑地、チョルポン・アタに来ました。今夜は、豪華な宿に泊まります。貧乏旅人としては、超珍しい事です。何故か? それは、後で記載することにして、まず、部屋をご覧下さい。ツインルームです。え? 軟派して、良い女をゲットしたのか? ですと?えええー! どうして分かりました?って、違うのですなー。 そうでは、ありませぬ。そして、もう一つ、ツインルームです。え? 3人も軟派して、連れ込んだのか? ですと?えええー! どうして分かりました?いやいや、違うのですよ、違いますなー。口下手で、超真面目で、誠意の塊のようなアジアの星一番は、軟派なんぞと言う事とは、無縁であります。キッチンです。冷蔵庫も、電気テーブルも、自炊用具も何でも、揃っています。リビングです。広いですねー! でも、ここは使いません。右手前に、テレビもあります。キッチンのテーブルが、ネットしやすいし、飲み物もすぐ飲めて、洗えますからね。キッチンを利用します。見て下さい。シャワールームにバスタブがあるのです。台北、ベトナム、カザフスタンと回って、初めてのバスタブです。熱いお湯をたっぷり入れて、お湯に浸りました。気持ち良いですなー! 日本人! てな、気持ちになりますな。この宿、一般的には、2LDKと言いますが、1泊19US$、概ね、2100円で借りました。その経緯は、後述しますが、良い宿が見つかりました。いつもより、2倍、3倍の値段ですが、まぁ、2100円ですから、この程度の贅沢は、ご勘弁願います。さて、朝です。天気予報は、雨、しかも雷のマークあり。何とか、長距離バスに乗るまで、雨は降らんでくれ、と祈ってました。希望通り、曇天ですが、雨は降っていません。宿から、マルシュルートカに乗ります。10円もしないで乗れるのです。西バスターミナルに着きました。既に、カラコル行き、チョルポン・アタ経由の、ミニバスが待っています。しかし、残念ながら、アジアの星一番が、お客様第1号、よって、満席になるまで、かなり待たねばならない事が明白となりました。、雨だと困ると思い、早起きして、8時には、西バスターミナルに着いたのにねー。このおばあさんかな? おかあさんかな? それと娘さん? かな?アジアの星一番の、電子辞書に入っている、「ひとりあるきのロシア語」とお姉さんの、スマホの翻訳した英語で、お話して暇をつぶしました。それでも、時間は、たっぷりあります。10分に一人来るかどうかと言う感じです。結局、1時間50分も待って、9時50分に出発しました。やはり居眠りして起きると、良い風景が続くのです。ですが、ミニバスの窓は、遮光フィルムが貼ってあり、良く見えないのです。ちょっと、これ、よろしくないですなー。中は薄暗いから、ガイドブックは読めないし、外の景色もフィルムを通すから、見難いです。ぼやけていますよ。座席は、カザフスタンから国境越えをしたミニバスを同じですね。18人乗りです。結構、高いのですよ。500ソル、バックパックを1個預けたので、50ソル合計550ソル=880円です。カザフスタンからの国境越えより高いです。3年前の、地球の歩き方にある値段の、2倍以上です。物価上昇ですかね。この辺り、ポプラが多いですねー!背の高~い、ポプラ並木が、ず~っと続きます。美しいです。そして、12時、昼食の時間です。運転手が、手で食事する真似をしています。この食堂で食べろって事ですよね。メニュー見ても分からないし、迷っている時間もないので、ラグマンを頼みました。同じミニバスに乗って来た、18名、誰も食べていません。アジアの星一番だけです。どうなってんの? 皆さん、食べないのかなー?パンとか、バナナ持っているのかなー?食べてミニバスに帰ると、皆さん全員が待っています。すぐに出発です。運転手さんに、ゲストハウスの名前と、住所を、見せて、その近くで降ろしてくれと頼みました。彼は、自信たっぷりに、セントロだ、とか言っていました。しかし、それが、違うのですよ。降りてから、歩いている人もいないし、どっちへ行ったら良いか、さっぱり分かりません。それで、お店らしい所があったので入って見ました。小さなスーパーでした。ここも、外からは、どんなお店か分からないのですねー。そのスーパーのおばちゃんに、やはり住所のメモを見せます。首を傾げています。どうも近くではないようです。運転手さん! 自信たっぷりだったじゃーありませんか?アジアの星一番、困った顔して、メモを見ています。そしたら、おばちゃん、メモを取り、携帯電話をかけ始めました。実は、そのメモに、宿の電話番号を書いておいたのです。仲々、繋がらず、5分くらい待ちましたが、おばちゃんが交渉し、宿から迎えに来てくれることになりました。いやー、良かった、良かった。良かったのは、これだけでなく、天気予想を覆して、曇天であった事。もし雨だったら、もうそのスーパーに来るだけで、ずぶ濡れですよ。こう言う時、普段の行いが良いからなー、などと言いますが、そうなの?アジアの星一番、いいこともしないけど、悪いこともしないって程度で、普段の行動が良いとはいえませんな。単に付いているだけでしょう。何は、ともあれ、スーパーで待ちます。結構な時間待ちましたが、おんボル車がやって来ました。これに、乗せて貰って、ブッキング・ドットコムで予約した宿に行きます。結構、乗りました。ミニバスの運ちゃんに遠い所に降ろされたのです。今夜は、8US$で、個室のはずです。見せて貰うと、小さな汚いベッドが3つありました。まぁ、汚いのは、我慢するにしても、WiFiがないと言うのです。そりゃー、困ります。ネット人間、アジアの星一番、WiFiが繋がらなければ何も出来ません。ここに2泊は無理。おかしいとは思っていたのです。ブッキング・ドットコムでは、WiFiあり、と書いてありました。しかし、宿への行き方を、2度もメールを送ったのに、返事が来ず。大丈夫かなー、と思いつつ、やって来たのです。WiFiがないから、ネットにも繋げず、次の宿の探しようがありません。足で稼ぐか? と思いましたが、「一人歩きのロシア語」に、「他のホテルを紹介して下さい」、と言う文章があり、それを聞かせました。又、おんボル車に乗せて貰って移動です。車を運転のお兄さん、どこかの店に入ります。おばさんを連れて来ました。1500ソム=2400円、でどうや、と言います。まぁ、それでも、良いのですが、両替したソムが足りません。それで、ソム、US$、と言っていると、もっと負けろ、と言っているのかとおばさん勘違いして、「1300ソルでどうじゃ?」、と言います。そりゃー、有難いけど、要は、問題は、ソムが足りないのです。「「幾らなら、泊まるんじゃ!」、とおばさんは言います。費用は、宿を見てから交渉ですよね、それで、又、電子辞書の登場です。「両替所はどこですか?」、とロシア語を聞かせます。それで、US$で支払いたい事を理解したようであります。それから、冒頭の、2LDKの宿を、見せて貰った次第です。気に入りましたし、2100円ですから、値切らないで、泊まる事にしました。2泊分、38US$を、気前よく、ポンと支払いましたです。ようやく、ほっとしました。人心地がついたので、ウィスキーで1杯です。あの、電話で宿の連絡してくれたスーパーで、何も買わないのは、申し訳ないと思い、120ソム=190円で買ったものです。つまみは、タマネギの生、辛いですなー!ウィスキー飲んで、ブログの下書きを書いて、のんびりした後、夕食を食べに出かけます。山に雪が積もっている風景が見えます。近くのレストランに行きました。雨でなくていいですねー。何かのパーティがあるようで、20名くらいの料理が並べてありました。ウイスキーも飲んで、ちょっとお腹が減ってもいないので、マンティを頼みました。羊肉(たぶん)が、ぎっしり入っています。200ソム=320円、田舎のレストランの割に、高いですね。サービス料のようなものが、10%も入っていました。何のサービスもなかったですけどね。本当は、180ソム+18ソム=198ソムで、領収書にもそのように書いてあります。でも、2ソム返す素振りなし。ダメですね、このレストランは。お釣り位、少額でも、きっちり返せ!ここが、2LDKの宿のある、アパートと言うか、マンションです。闇の宿なのでしょうか? 中国だったならば、やばいですが、キリギスは大丈夫かなー?今回の旅では、初めての個室、且つ、お湯をはれるバスタブもあり、ちと気温は低すぎますが、ふかふかの布団で、気持ちよく眠れそうであります。WiFiのない、宿をキャンセルして良かったです。雨も降らなかったし、今日は良い事だらけでした。明日は、イシク・クル湖の湖畔を散歩する予定です。雨が降らなければ、ですが・・・。
2018.05.15
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2018年5月12日(土) 中央アジアの旅 26日目宿の近くにモスクがあります。それで、朝早くから、夜まで、定期的に、コーランがスピーカーから流れてきます。歌のようなのも聞こえて来ますね。異国情緒たっぷりです。さて、本日は、昨日行けなかった、美術館へ行き、オシュ・バザールで、ズボンを買う予定です。宿の近くから、教えて貰った、4番トロリーに乗って出かけます。オシュ・バザールの近くに空港行きの、マルシュルートカ乗り場があるので、その下見も兼ねています。まず、4番トロリーを降りて、オシュ・バザールへ向かいました。バザールは、すぐに見つかりました。それから、空港行きの、マルシュルートカ乗り場が、仲々、見つかりません。人に聞けど、皆さん、方向が違っていて、どっちへ行ったら良いか分かりません。宿を出発してから、もう1時間以上過ぎています。マルシュルートカに乗ってからも、空港まで50分位かかるとの事ですから、2時間前に、空港に着くとすれば、4時間前に、宿を出ねばなりません。最終的に、とても親切な若い男性が、乗り場まで連れて行ってくれて、ようやく分かりました。親切な人がいるものです。でも、下見に来て良かったです。探し当てたのは、1時間半以上かかっていましたから、飛行機のチェックイン時間ギリギリになっていたかも知れません。タクシーで行けば、簡単だし、1000円もしないと思うのですが、貧乏旅人としては、現地の移動手段を使いたいのですねー。たぶん、100円位で行けると思いますので。やっと、空港行きの乗り場を見つけたので、オシュ・バザールに戻りました。アルマトイの市場よりも、若干雑然としています。寝巻用ズボンを買いました。実は、ホーチミンの兎家ゲストハウスで、無料で洗濯してくれると言うので、寝巻用のズボンも洗濯に出したのです。しかしながら、大勢の人の衣服を一緒に洗うため、自分の物がバラバラに、あちこちに畳んであるのです。そして、ズボンが見つからなかったのですねー。洗濯なんぞ、手洗いで自分で出来るので、自分でやれば良かったです。頼んだもので、無くしてしまいました。損しました。で、これから、イシク・クル湖に行くのですが、どうも寒そうなのです。役立つかどうか、分かりませんが、薄手のズボンを買いました。ズボンは、400ソムと言うのを、値切って300ソム=480円です。裾上げは、別のおばちゃんの店でやって貰い50ソム=80円。ついでに、ホーチミンで購入し、裾上げが短すぎて失敗したズボンの裾も少し長くして貰いました。これも80円でやってくれました。優しいおばちゃんで、ほつれていた部分も、ミシンで縫ってくれました。市場の中のレストランで昼食です。このメニュー見ても、何頼んで良いか、分かりませんよね。仕方ないので、写真にあった麺にしました。メニューの、一番上のが、写真の麺だそうです。マンティも頼もうと思ったら、ないとの事。お茶も、パンも、付いています。この前、宿の近くのレストランでは、別会計で追加でした。そこは断りましたが、ここは、会計に含まれているようです。これは、ラグマンですよ。名前を聞いたら、ラグマンと言いました。それなら、タクラマカン砂漠一周の時に、新疆ウイグルで、何度も食べました。汁なしの麺です。 中国語では、伴麺と言いますね。ウイグル語で、ラグマンです。どうも、このお店、新疆ウイグルから来た人が経営しているようです。久しぶりの、ラグマン、まぁ、美味かったです。4番トロリーに乗って、市内に戻りました。ここは、昨日も来た、ドゥボーヴィ公園です。この公園の辺りには、文化的設備が揃っています。キリギス国立美術館もありました。100ソル=160円、支払って、早速、入場です。ここは、写真撮影は、制限されておりません。また、絵にガラスなどもないので、光が反射せず、写真が撮りやすいです。山に、雪に、馬、キリギスらしい絵でしょう?馬は必需品だったらしく、馬の鞍も展示されていました。どこかの湖でしょうね。写真のように美しく描かれています。ユルタです。数日後には、このユルタに泊まる予定です。絨毯も展示されていました。ユルタの中には、このような絨毯が敷き詰められているのでしょう。この緑の丘、カザフスタンから、国境を越えて、キリギスに入るとき、見た光景です。馬に乗った人たちは見ませんでしたが、この光景です。あちこちに、こんな風景があるのでしょう。沢山の絵画がありましたが、「これは良いな!」と言うのは、見当たらなかったですねー。強いて言えば、この娘さんがモデルの絵は良かったかなー?こんな絵もありましたが、どう評価して良いか、分かりません。この風景画は、如何でしょうか? アジアの星一番は好きです。ちょっと寂しそうですけどね。しかし、あの家の中に暖かい家庭があるのです。国立美術館の道路を挟んだ前に、オペラ・バレエ劇場があります。その隣に、ハイアット・リージェンシーもありました。今回は、ホテルの利用はしませんでした。もう宿が近いので、トイレに行く必要も、休憩する必要もありません。。サクラGHですが、キッチンは屋外で、且つ、共有エリアも屋外にあり非常に使い難いと、既に記載しました。しかしながら、3階にあるテーブルを、本日までの所、独り占めしているので、生姜紅茶とか、コーヒーを持って来るのは、面倒ですが、それ以外、快適にブログ下書きしたり、ネットしたりしています。3階には、ツインルームが2つあるのですが、2日目以降、誰も入っていないので、それも、好都合です。庭にある、椅子を持って来て良かったです。ここが、なかったら、最低のゲストハウスと評価するところでしたよ。明日から、イシク・クル湖へ、4泊で出かけますが、天気が悪そうです。困りましたねー!そして、気温も低いようです。最低気温は、2℃とか3℃になるとの予想です。そんな冬支度はしていませんよ。あるもの全部着て寒さを凌がねばなりません。それから、タジキスタンのパミール高原へ、当初は行くつもりでいました。しかし、4000mを超える高原ですから、気温が低いです。完璧な、冬です。それで、タジキスタンへ行くのは、止めました。まぁ、無理はしないで旅すると、今回は決めていますので、それで、良いでしょう。ここの所、血圧も正常で安定しています。誠にもって、有難い事であります。生活は変えていないので(食事も含めて)、うつ病から来る、血圧の変化でしょうか? 血圧って、良く分かりませんねー。もう、今、午後6時半ですが、雨が降っています。それも強くなって来ました。雨でも夕食は食べねばなりません。レストランや食堂が少ないので、ほんと困りますよ、ここは。雨に濡れながら、中華屋さんを見つけました。蛋炒飯にしました。一番安いので。しかし、頼まないのに、お茶が出てきて、無料だろうと思って飲んだら、30ソル=50円も取られました。こう言うシステムって良くないですよね。120+30=150ソル=240円でした。
2018.05.14
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2018年5月11日(金) 中央アジアの旅 25日目朝はゆっくりして、10時頃から、市内をぶらつきに出かけました。市内には、屋台らしきものは、ほとんどないのですが、こんなのを売っている人はいます。何だろなー? と思って見ていると、コップに飲み物を入れて、お客に渡しています。どうも、ティーのようです。ほとんど、3種類置いてあります。コーヒーもあるのかなー?今度、試してみます。10、20、50って書いてあるので、コップの大きさで値段が決まっているように思えます。朝食はいつもの通り。この国は、何を食べても肉が多いので、朝はバナナとトマトです。それに、パンも食べます。多いですね。このパン、中にクリームが入っていました。柔らかくて、とても美味しかったです。明日も、あのおばさんの店で買って食べよう。こう言うパンは、東欧やこの辺りでは、珍しいのではないかなー?中国スーパーの、ゴーインから、南へ真っすぐ進みます。この辺りが、繁華街のはずなのですが、緑が多いですね。カザフスタンのアルマトイ同様、泥ノ木の綿状のものが、ふわふわと飛んでいます。高い時計塔がありました。ここが市内の中心のはずなのですが、分からないので、通り過ぎてしまいました。人に聞き聞き、メインストリートのチュイ大通りに戻りました。やはり、時計塔があった所が、チュイ大通りです。その交差点は、地下歩道になっていて、お店も出ています。この交差点を、東へちょっと進むと、ツム百貨店があります。その向かいには、昨年できた、大きなショッピングセンターがありますね。地球の歩き方は、ちと古くて、載っていません。ここが、ツム百貨店の中です。色んな物が売られています。銀行があったので、もう50US$を両替しました。国境で両替したより、少しレートは良かったです。ほとんどの場合、国境では、レートが悪いです。国境では、最低限、替えておくべきですね。チュイ大通りを西に進みます。大統領府に関係する建物のようです。大きな建物ですよ。噴水のある大きな広場に来ました。アラ・トー広場です。ここでは、国の祭典や、式典が行われるそうです。花時計もあります。11時10分、きちんと合っています。カザフスタン同様、キリギスも、綺麗好きで、整然としていますね。これは、地元の人に聞いたら、やはり大統領の何かに関係した建物と言う事です。ここで執務しているのかなー?まぁ、立派な建物であります。コーヒーをン飲みながら、のんびりしようと、カフェを探しながら歩きましたが、見つかりません。お店が、建物の中に入っており、看板も少ないので、この街は、とても探しにくいです。東欧の街も、こんな感じですね。お店が、外には出ていないのです。スタンドのカフェがありました。英語のとっても上手なお姉さんが、一人でやっています。スモールか、ラージか聞かれて、ラージと答えました。シュガーは不要、ミルクのみ入れて、と応答は簡単であります。これが、ロシア語か、キリギス語だけなら、困ってしまいます。スタンドのカフェなので、座る所がありません。丁度、道路脇にベンチがありました、そこに座って飲みます、コーヒーは、本格的な味で、美味しかったですぞ。いやいや、綺麗なお姉さんが淹れたからではありませぬ。本当に美味しいのです。ベンチで飲んでいて、ふと見上げると、向かいにカフェがありましたよ。失敗したなー、と思いましたな。ベンチで飲むより、室内の椅子に座って飲む方がコーヒーも美味しいはず。と、コーヒーを飲み終わって、お店を見学しました。おっさんが、一人でやっています。椅子もふかふかでなく、高いテーブルと丸椅子です。お姉さんのコーヒーで良かったです。美術館を探すべく歩いていたら、大きな公園の中に紛れ込みました。後で、調べて見ると、ドゥボーヴィ公園でした。あの高い時計塔があった所のすぐ傍です。因みに高い時計塔があった建物は、中央郵便局でした。公園の中に、KARAOKEがありましたぞ。こんな静かな所に、カラオケがあって良いものでしょうか?掃除している若いお兄ちゃんと少し話しました。まさか、彼は、カラオケって日本語とは知らないでしょうね。ツム百貨店の方へ向かいます。ケバブのお店があったのです。昼時なので、ケバブを食べる事にして歩きました。そしたら、ラーメンハウスがありましたぞ。勿論、中へ入ってメニューを見せて貰いました。ラーメンは、200円位で、高くはないですね。ラーメンハウスなのに、寿司もあります。寿司は、やはり高かったですね。現地食に飽きたら、1度、ラーメンを食べて見るかなー?はい、ケバブ屋さんに、やって来ました。先ほど、来て、冷やかして、又、来ると言って立ち去ったので、彼は、アジアの星一番を覚えていました。しかし、言葉が通じません。写真は、あったので、ケバブを頼みましたが、中に何を入れるか言わねばならないのです。先に頼んでいた、お姉さんが教えてくれて、頼めました。皆さん、優しいですねー。とても親切で、助かります。このケバブ、大きいのですよ。中には、ビーフ、チキン、トマト、白菜、キャベツなどが、入っています。写真で見えている、3倍の長さがあります。昼食1度で食べきれません。半分食べて夕食に残しました。あのお姉さん、アジアの星一番とおなじサイズのケバブを持って帰りましたが、1度で食べてしまったのかなー? 大食だー。久しぶりのケバブ、美味しかったです。最後に食べたのは、確か、「東欧南下の旅」のどこかの国でした。もう少し、肉より、野菜を多くして欲しいですが、この辺りの人達は、肉食ですから、仕方ないでしょう。美術館は、見つかりましたが、歩き疲れたので、明日にします。もう、1万6千歩、歩きましたから。
2018.05.13
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2018年5月10日(木) 中央アジアの旅 24日目アルマトイの宿で怖い事件がありました。それは、真夜中です。熟睡していたアジアの星一番は、ふと異様な雰囲気に目が覚めました。見ると、男がアジアの星一番のベッドの足元の方に座っているのです。な、なんじゃー! 何しとんのじゃ! と日本語で叫びました。そいつ、何語かわかりませんが、何かをしゃべっています。指を2本出したりしています。アジアの星一番の足元の毛布を、引きはがそうとしています。なんじゃ? こいつホモか? 襲われるのか? 怖いです。同室に宿泊していた、他の3人も、夜中なのに居ません。なんでやー? おかしいぞ?日本語と、英語で、出て行け! 馬鹿野郎! 色んな言葉で怒鳴りました。そしたら、そいつ、まだ、何かを言っていたのですが、ようやく、部屋を出て行きました。確か、アジアの星一番の、横のベッドに寝ていた奴です。その後、宿の女性を連れて来て、何か言っています。女性が来たので、取り合えず、ホモに犯される危険は去ったかのようでありました。女性が、あんたのベッドは、そこか? と聞きます。当たり前じゃ、昨日からここに寝てる、と言うと、女性は出て行きました。その男は、ぶつぶつ言いながら、電気を点けたり消したり、ベッドの下を覗き込んだり、意味不明の行動を繰り返していましたが、電気を消してベッドに入ったのです。何が起きたのか、さっぱり分からず、まんじりともしない夜を過ごしました。翌日、朝から、ずっと夕方まで、その男は寝ています。そして、夕食時に会うと、「昨日はすまなかった。」、と謝るではないですか。実は、病気で、何が何やら分からなくなり、アジアの星一番のベッドが自分のベッドだと思い、なぜ、他の男が寝ている? と思ってしまったと言う事なのですねー。又、今夜、あの男が、来たらどうしようと、不安に思っていましたが、その不安も解消され、やれやれです。でも、怖い、夜でしたなー! 変質者かと思いましたよ。さて、本日は、カザフスタンからキリギスへ移動です。早めに宿を出て、63番バスに乗って、バス停に行きます。どこで、降りたら良いのか、分からないので、宿の人に、降りる場所をメモ用紙に書いて貰っていました。それを運転手に見せます。さらに、途中、隣に座ったおばさんに、そのメモ用紙を見せて、この場所に来たら、教えて欲しいと、頼んでおきました。美術館に行った時、運転手に頼んでおいたのに、何も言ってくれず、乗り過ぎてしまったからです。その、おばさん、ここで降りなさい、と教えてくれました。(たぶん)何故なら、英語が通じず、ロシア語か、カザフスタン語で言うので、何を言っているのか分かりません。降りて見て、長距離バス停である事がはっきりしました。おばさん、ありがとう。そして、国境を越えて走るバスが、これです。バスと言うより、ミニバスですね。18人乗り位ですが、既に残り3席で、アジアの星一番が乗り、すぐに親子が乗って来て満席、8時40分、出発です。眠くてひと眠りしたら、草原を走っていました。牛たちが、のんびり歩いています。道路は、片側一車線ですが、舗装は整備されているのか、ガタガタとは走らず、スムースです。10時過ぎに、早めの休憩、運転手は昼食を食べていました。アジアの星一番は、パンとバナナを購入済であり、食べず。客は、皆さん食べていなかったですね。10時は早過ぎでしょう。20分ほど休憩して、出発。又、草原を走ります。この辺りは、ずっと、牧草地なのですね。羊の群れも時々、見えます。車内です。18人乗りです。休憩中に撮りました。座席は、狭いですが、特に苦になるような狭さではありません。エアコンが効いてないので、ちと暑かったです。広々とした、草原を走ります。気持ちいいですねー!この前も記載しましたが、バスの旅、嫌いではありません。景色を見ていると、時間がどんどん過ぎて行きます。景色が変わりました。丘です。バスが左へ曲がってからです。たぶん、キリギス方面へ舵を切ったのでしょう。11時50分、出発して、2時間10分、カザフスタン出国です。荷物は、セキュリティチェックへ通しただけで、イミグレも、何の質問もなく、簡単にスタンプを押してくれました。そして、ここは、カザフスタンを出国して、まだキリギスへ入国していない国境の小さな川であります。歩いて渡ります。キリギスの入国も簡単でした、何の質問もなく、書類の提出も不要です。簡単すぎて、気が抜けました。たった、10分で、カザフスタン出国、キリギスへ入国です。両替屋さんがあったので、残ったカザフスタン テンゲを両替しました。6300テンゲが、1260ソムになりました。およそ2000円相当です。カザフスタンに入国した時、70US$を両替しましたので、3泊4日で使用した金額は、およそ5000円でした。物価は、ベトナムより高いと感じましたが、宿代が安かったので、結果的に、ベトナムより、安く旅した事になります。ベトナムは、15日間で、3万円でしたから、1日2千円程度でした。US$も両替しましたが、今のレートですと、1ソムが約、1.63円です。その後が困りました。トイレへ行って、ミニバスを待ちましたが、仲々、来ないのです。タクシーの運ちゃん達が、仕切りに誘って来ます。そして、「車は来ないよ、カザフスタンまでだ」、と言うのです。そんなはずはないと待ち続けました。10分待ち、20分待った頃、ほんとに国境までだったのかなー、と心配になりました。タクシーは、500ソム=800円位と言います。もう、タクシーに乗ろうか、と思った、その瞬間、茶色いミニバスが見えたのです。遅いよ! 運ちゃん、どうして、そんない時間がかかるんじゃい!やれやれです。ミニバス代、1500テンゲ=500円と安いので、もしかしたら、国境までかも知れないと思いましたな。キリギスの一般家庭の家です。(たぶん)それから、2時間はかかるはずと、ゆったりしていましたが、40分も走ると、お客さん全員が降りました。ビシュケクの、西バスターミナルに着いたのです。早かったですなー! 6時間は掛かると聞いていましたが、4時間40分で着きました。あっけない国境越えです。その後も、タクシーには乗らず、現地の人に聞き聞き、マルシュルートカとか言うバスに乗ります。たった10ソル=16円で、宿の近くまで行きます。降りても、地元の人に聞きます。今は、皆さんスマホを持っているので、住所を見せると、グーグルマップで、探してくれます。その親切にお世話になり、難なく宿に着きました。Sakura Guest House です。日本人が経営のようですが、完全な日本人宿ではなく、どこの国の人も宿泊するようです。ベッドルームです。アジアの星一番は、左奥のベッドを確保しました。この宿は、共有エリアが、庭にしかないのです。これには、困りました。電源がないのですよ。ですから、ラップトップをここで、長い時間使う事が出来ません。不便ですねー!夜なんぞ、電気つけてネットしていたら、虫は来る、蚊も来ます。嫌ですよ、そんな所。ベッドの部屋には、電源はありますが、早起きのアジアの星一番が起きだす頃、他の人が寝ています。そこで、作業は出来ませんよね。ベッドの上だと、パソコンの作業も面倒ですし・・・。不便ですねー!宿を探し回ったら、3階のフロアにテーブルがあるのを見つけました。そこには、電源もあります。椅子さえあれば、ここで作業可能です。庭に、椅子があったので、鳥の糞で汚れているのを洗って持って来ました。宿の人に文句を言われなければ、ここで、作業可能です。(後で、宿の女性に、話しておきました。)キッチンは、建物の外にあり、靴を履かないと行けません。且つ、小さなキッチンで、切ったりするところがなく、自炊は無理ですね。日本人経営の割に、使い難い宿であります。3階フロアで、作業可能であれば、外庭のキッチンで、お湯を沸かし、生姜紅茶や、コーヒーを3階に運んで飲まねばならないです。面倒ですねー!良い所は、3階に物干し場がある所だけでしょうか?セーフティボックスもないし、物入もないし、不便ですなー。シャワー室に、ソープもシャンプーもないし、タオルもないです。カザフスタンのアルマトイの宿でさえ、タオルは貸してくれました。650円の宿だったですけどね。ここは、960円の宿ですが、な~んにもありません。こんな宿に、3泊する予定です。(こんな宿とは、書き方が失礼ですね。この宿と、訂正します。)夕食は、近くのイスラムの食堂に行きました。あんまり、高級そうではありませんな。メニューが全て、現地語でさっぱり分かりません。それで、電子辞書に入っている、「ひとり歩きのロシア語」を出して、肉ジャガイモ米の単語を聞かせて、さぁ、どれじゃ? と聞きました。そすると、3項目位を指さしましたな。どれが良いか、分からんので、さらに首を傾げていると、一つを指さすので、それにしたのです。一応、肉ジャガを頼んだつもりです。確かに、肉とジャガイモです。但し肉は、羊肉で、味は良かったですが、肉が固かったです。 ようやく、食い千切りました。ライスは、きちんと出て来ました。まぁ、美味いですぞ。その前に、頼みもしないのに、パンと紅茶が出されました。これは、何じゃ? 240ソル(肉200、ご飯40)に入っているんか?と聞くと、パンも25ソル、紅茶も25ソルと言います。そんなもん、要らん、と持ち帰らせました。紅茶はまだしも、ご飯を頼んでいるのに、パンは食べんだろう。お値段は、240ソルのはずが、サービス料か何かがプラスされて268ソル=440円でした。定価より高いと腹立ちますな。近くに、中国系のスーパーがあります。夕食の帰りに、明日の朝食を買おうとしたら、なんと、18時半で閉まっていました。早すぎるじゃろー! と言いたいですぞ。これでは、明日の朝食抜きじゃーないかい? と焦りました。しかし、小さなお店が開いていて、パンとバナナとトマトを買えました。この辺り、勿論、屋台はないし、食堂的なお店も少ないので、食事には苦労しそうです。
2018.05.12
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あらすじ山川純一は、東北の寒村で生まれ、育ち、中学卒業と同時に東京へ。苦労しながらも、29歳で、念願の社長になる。26歳で結婚した糟糠の妻は純一が67歳の時に、医者の誤診から、あっけなく天国に旅立った。長女、長男はいるが、長女は結婚せず、長男は結婚したものの、子供は作らないと言う。子供との会話も少なく、純一の財産を貰いたい彼らに嫌気がさし、チェンマイに旅立つ。そこで、タイ人女性、フォンと出会い、純一の生活は一変する。=================================すっかり御馳走になり、純一も酔っ払った。このままフォンのバイクの後ろに乗って、1時間も帰れそうもない。眠くなってしまったのだ。その旨、フォンに話すと、別室に連れて行ってくれた。どうも、フォンの部屋らしい。ベッドが置いてある。フォンの匂いがした。そのままベッドにあがり、横になると、すぐに眠ってしまった。気が付いた時は、午後3時を回っていた。頭はすっきりしている。1時間半以上寝たようだ。起きだして、先ほど食べた、ダイニングルームに入っていった。テーブルは綺麗に片付けられて、プロイが勉強していた。偉いねー、と頭を撫でようとしたが、以前、タイで頭を触るのはよろしくないと聞いた事を思い出して止めたのだ。誰に聞いたのだろう? 犬山だろうな、と思う。彼に、子供の頭には精霊が宿っているので、もし撫でたらタイ人はとても気分を害すると聞いた。本当かどうかは、分からない。彼は、最近の若い人たちは、気にしないとも聞いた。しかし、気分を害する行為ならば、特に外国人がタイ人の頭を撫でるのはよろしくないだろう。この件、後で、フォンに聞いてみようと思った。そんな事を考えていたら、フォンが来て、「コーヒー飲む」と聞いてきた。寝起きにコーヒーも悪くない。コーヒーを飲んで、お母さんに、日本語で丁寧にお礼を言った。帰ることにしたのである。気まずくもなく、居心地は悪くないが、話す事も出来ず、やる事もない。時間をつぶすことがないのである。小説でも持ってくれば、もっとゆっくりしても良かったのであるが。フォンに宿まで送って貰って、1000バーツを渡した。御馳走を作って貰ったお礼である。純一にとって、3000円ちょっとの金は、大した金額でない。しかしフォンにとっては、給料が1.2万バーツであり、大きいお金である。フォンは喜んで受け取った。純一は、フォンの家に招待されて、暖かい家庭を味わった。フォンと出会ってから、ここ数年の空しい毎日の生活から一変して、充実した毎日を過ごせるようになった。性関係も充実している。69歳の純一であるが、自分でも若返ったように感じるのだ。フォンに感謝している。もっとお金を使ってあげたいと思うのである。月々の手当てをあげようかと思う。元々ケチで渋い純一である。計算高い性格でもある。それで、幾ら位が妥当であるか考えてみた。今のところ、週に1回は交わっている。プロと過ごせば、1回、2500バーツは必要である。そう計算すれば、1か月1万バーツの手当てとなる。プロではないので、その半分の5000バーツあげようかと思った。フォンから、お金の要求はない。しかし、あげる時は、遠慮なく貰うようになっている。慣れて来たのであろうが、お金を貰うとき、ありがとうの感謝の言葉は忘れない。「あのさー、これから、毎月、お金をあげるよ。」「え? どうして?」「僕ら、歳は離れているけど、恋人だろう?」「ふふふ、恋人?」「違うのかい? だってセックスしているだろう?」「恥ずかしいよ、そんなこと言って。」「でさー、毎月、恋人の印として、お金を渡すよ。」「ええー、ほんと? 嬉しいなー。」フォンは、嬉しそうに笑って聞いている。「毎月、5000バーツでどう?」「そんなにー? 給料の半分位も?」「ああ、お金に変えられないくらい、幸せを貰っているからさ。」「それだけ、貰ったら、子供にも、お母さんにも、もう少し良い物を買ってあげられるし、生活も楽になる。」「じゃー、決まりだ。愛しているよ。」フォンは、純一にもたれ掛かって来た。嬉しいときに、必ず行う、フォンの仕草である。純一は、フォンを抱きしめて、優しく口づけをした。「俺は、幸せだなー、ほんとに、幸せ者だ。」、と思った。毎月、1万5千円程度で、こんなに喜んでくれて、フォン家族が、もっといい生活を送れるのである。================================旅の途中ですが、意外と時間があります。移動でない日は、昼、4~5時間、観光して、あとは宿にいます。それで、ブログの下書きをしたら、1日の用事は完了です。あとは、ネットを見たり、youtubeを見たりしているだけ。で、たまには、小説も書いています。一応、ブログは、1日1回と、決めていますが、本日は、あまりに暇なため、2回目のブログをアップします。楽天ブログも、150万アクセスまで、あと、もう少しです。1日多い時で、2千数百、少ない時でも、千数百のアクセスがあります。それでけ、皆さん、読みに来てくれているのでありますから、感謝に絶えません。
2018.05.11
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2018年5月9日(水) 中央アジアの旅 23日目まずは、この素晴らしい景色、天山山脈をご覧下さい。これは、雲ではありませぬぞ。山です。それも、高い山です。その高い山に、雪が積もっております。アルマトイの街は、街路樹が大きくて、木々の間からチラチラしか、この山々が見えません。しかしながら、この絶景、どこで見たのでしょうか?貧乏旅人・アジアの星一番は、考えましたな。お金のない分、知恵を使います。(ウフフ)実は、このビルから見たのです。この建物は、カザフスタン・ホテルであります。例の如く、宿泊者の振りをして、堂々と、ロビーに入ります。ドアボーイが、恭しく、迎えてくれますぞ。立派なロビーのカフェは、素通りですな。ここは、お金が必要です。そして、まずは、トイレに行きます。一流ホテルのトイレはきれいに保たれていますから、良いですな。そして、ほんとは用事はないのですが、エアー・アスタナのオフィスがあったので、入って見ました。キリギスのビシュケクから、ウズベキスタンのタシケントまで、行くフライトがあるかどうか、幾らなのか、聞きました。乗るつもりはないですけどね、暇そうにしていた、オフィサーが誠実に調べてくれましたぞ。そこで、暇をつぶして、エレベーターで最上階に行きます。絶景を見る為です。客室だけだったら、絶景が見られないなー、と心配しつつ、上がりました。そしたら、レストランがあったのですよ。レストランの、ボーイさんに、「ちょっと見せてね」、と言ったら、宿泊者と思ったのでしょうねー、快く、どうぞ、と言ってくれました。どうです? 絶景を独り占めです。しかも無料です。じっくり、美しい山々を見ました。堪能しました。そして、さらに、高台からアルマトイの市街を一望できるところが、このカザフスタン・ホテルの、すぐ近くにあると言うので、行きました。コクトベと言う所です。2000テング=650円位支払って、ロープウェイに乗ります。先ほど行った、カザフスタン・ホテルが、見えますねー!これが、アルマトイの街であります。緑が多いでしょう?アルマトイは、Almaty、と言うスペルです。ウキペディアでは、アルマトイと書いてあります。地球の歩き方では、アルマティと書いてあります。スカイスキャナーなどで、フライトを探す時、アルマトイです。地元では、アルマトイと呼んでいるのでしょうか?それを、スペルを英語読みして、アルマティと呼んでいるのかなー?分かりません。とにかく、ここから見える、あの辺りが、アルマトイの、繁華街であります。この、コクトベから見た、山ですが、カザフスタン・ホテルから見た方が、全景を見られて、良かったです。頂上には、子供が遊ぶ、用具も、揃っています。家族連れで来るのかなー?ここは、1070mの高さがあるとの事です。見る所の少ない、アルマトイ、ここに来るのは、お薦めです。コクトベも、カザフスタン・ホテルも、市内の南東にあります。又、歩いて、公園の方まで戻って来ました。アルマトイの道路は、碁盤の目のようになっているので、行き先を間違う可能性は少ないです。市内を歩き回るって、結構な運動になりますね。ここにも、制服を着た人たちが、警護のように立っています。何の日かなー? と調べて見ましたら、何と今、当地は4連休なのです。在カザフスタン日本大使館からの注意喚起、と言うのを見ました。下記の通りです。「5月6日から9日まで「祖国防衛者の日」および「戦勝記念日」の祝日に伴い4連休となり,各地で記念行事が開催されるほか,観光地を中心に多くの人出が見込まれます。」4連休のど真ん中に、カザフスタンに来たのでしたよ。道理で人が多いと思いました。それと関係ありませんが、朝の食事です。昨日の残りの、キンパプも豆腐も、食べきりました。街を歩いていると、こんな綿のようなものが、ふわふわと飛んでいます。纏まって、本当の綿のようなものも、落ちています。これって、泥ノ木に生るものなのですねー。もう10数年前に、中国事情と言うのを書いて、投稿していました。その時に、この、春の雪のような泥ノ木を調べて書きました。巻末に転載しますので、時間のある方は、読んで見て下さい。バスに乗って、国立美術館に向かいました。降りる場所を間違え行き過ぎてしまって、戻る途中、日本語を見つけました。ここ地球の歩き方にも載っている、「すもうさん」、と言う日本食レストランなのですね。喉も渇いているので、コーヒーを飲みました。高かったですぞ。770テング=260円でした。「すもうさん」から、歩くこと、10分少々、国立美術館に着きました。元々は、遊牧民の国、馬の鞍などが、各種展示されています。これが、カザフスタン国旗です。一緒に写っている、この男性は誰だ? って思いますよね。実は、「国立美術館はどこですか?」、と道路で聞いたら、美術館まで連れてきてくれて、さらに、入場料まで支払ってくれて、且つ、館内のガイドまでしてくれた人なのです。美術館を見たら食事に行こう、お金は要らない、とか、明日、キリギスへ行くなら、車で、国境まで送っていく、とか、とっても親切なのです。カザフスタン人、親切過ぎですよね。美術館を出た後、さらに誘われましたが、丁寧にお断りしました。アジアの星一番、恥ずかしがり屋なもので、長い時間の親切に耐えられないのです。困った性格ですね。日本に行きたいと言っていましたが、連絡先を交換出来ませんでした。何もお返しが出来ませんが、ありがとうございました。親切な青年には美術館内は、案内して貰いました。カザフスタン人の芸術家が描いたものであります。これは、移動式の小さい、ユルタだそうです。内モンゴルでも、このようなテントに泊まりましたが、ユルタでなく、確か、ゲルと呼んでいたように記憶しています。カザフスタンの西部地方を描いた絵だそうです。あちらの方は、砂漠だったでしょうか? アフリカと違い、この辺りは、フタコブラクダなのですね。サハラ砂漠で乗ったラクダは、ヒトコブラクダでした。美しい高原、ユルタに住む家族ですね。馬や犬も見えます。子供も遊んでいます。幸せそうですねー! 良い風景です。こんな所で暮らしたら、うつ病なんて、ないでしょうね。国立美術館、物凄い数の展示品で、さらには、親切青年のガイド付きで見て回ったので、時間がかかりました。しかし、充実した時間であります。何せ、日本一周した時の目的の一つが、美術館巡りであった位、絵を見て歩くのは好きなのです。遅い時間になりましたが、中央バザールへ戻り、レストラン直行です。食べて見たかった、マンティを3個頼みました。肉が少々と、野菜が入っています。まぁまぁ美味しいですね。さらに、サラダとパン、写真にありませんが、ジュースをも頼んで、700テング==230円位でした。 お腹一杯です。高層ホテルで、美しい山々を見たり、美術館で、カザフスタンの生活風景を描いた絵を見たり、充実した1日を過ごしました。==============================おまけ最近の :中国事情 第 51回 春の雪 2005年 5月 8日(日)前回号、第50回で、天津、西安などへ出かけたことをお伝えした。前回号で少し触れたが、各地域では、木々の新緑、花が、取り分け目についた。天津空港に降り立ち、天津市内に向かう途中である。太陽が出ているのに、何やら雪のようなものが舞っている。「何じゃ、これ!」、と思って運転手に聞くも、要領を得ない。僕は、群馬県生まれの群馬県育ちであるが、晴れた日に、雪が舞うこともあった。それを「ふっこし」と読んでいた。「ふっこし」とは、風の強い、いわゆる赤城降ろしが吹きすさぶ日に赤城山に降っている雪が、僕の住む里に飛んでくる現象を言ったものであります。因みに、標準語では、「風花:かざはな」と言うようで、「晴天にちらつく雪、風上の降雪地から風に送られてまばらに飛来する雪」と言う定義らしい。群馬県でも、地域によっては、「風花」と言う所もあり、「はあて」と言う所もあると言う。「吹越し:ふっこし」、と、「風花」、は何となく、イメージが湧くが、「はあて」、ってのは、群馬生まれの僕でも、イメージが湧かない。はあて、どうしたものか? 何て、「ふっこし」を見ながら言ったのかな~?さて、その「ふっこし」のようなものである。空調の効かないタクシーであるので、窓は全開に近い。その窓から、白いふわふわしたものが、車の中まで、入って来るのである。雪ではない。それを手で捕まえようとするも、するりと僕の手をすり抜けてしまう。仲々、掴めないのだ。何度か試みたが、やはりするり、ふわりと手の間をすり抜けてしまう。宮本武蔵ならば、簡単に掴めるのであろうが、剣道は多少習ったものの、僕の技術では、剣豪に、はほど遠い。故にするりとすり抜ける。まるで、好きになった美女に翻弄されているようなものである。気のある素振りゆえ、掴まえられるかと思うと、するりと逃げられてしまう。逃げたあと、又、近寄ってくるのであるが、又々、するりと逃げるのだ。う~ん、思い出したぞ! 彼女だ。そうだ、あの彼女だ! 翻弄されたものだ。今頃、どうしているか? きっと、ババアになっているに違いない。 間違いない!その彼女の話ではない。それは、どうでも良いのであるが、白いふわふわは、結局、摑まらない内に、ホテルについた。ホテル近くになると、白いふわふわも少なくなっていたし、何しろ、お客様との打合せが待っており、且つ、その打合せは、間違いなく、叱責を頂く目的のものであり、小心者の僕は、白い「ふわふわ」、どころではなく、そのまま、忘れてしまったのである。思い出したのは、三門峡の、とある工場へ行った時のことだ。工場の正門をくぐったら、そこは、まるで、「ふっこし」、なのである。しかし、「はあて」と、しばし立ち止まって、それを眺めていると、標準語の、「風花」と言った方が、美しいし、それらしいかな? とも思う、我が故郷の方言の「ふっこし」よりも、「風花」の方が、似合っているようだ。言うまでもないが、「はあて」の呼び名は、比較対象外である。少し、可哀想な気もするが、「はあて」では、やはり、イメージが湧かないのである。早速、このふわふわについて、地元従業員に聞くも、どうも要領を得ない。「ヤナギ」、じゃないか? と言う人もいれば、「いやー、ポプラの一種だよ。」、と言う人もいる。仕事もあるし、後で調べて見ようと、道路に枝ごと落ちていたふわふわの元を、写真に撮って来た。ご覧下さい。この綿のようなものが、ふわふわと、大量に空を飛ぶのであります。綺麗と言えば綺麗です。どうも、この木は、ドロノキではないかと思われる。ドロノキは、「白楊」と書く。ドロノキとは、ヤナギ科であるが、ポプラと同属であるとの事。初期成長が著しい木で、ポプラとの間に多くの交雑種があると言う。そう、早い話し、浮気者なのだ、このドロノキは。色んな種と交接しハーフを作ってしまう。世界各地で、やたらと種を撒き散らしている、そう誰やらと同じだ。まぁ、この祭、誰やらと言う、誰やらの、名前は伏せておくが・・・。成長が早いからか、材質が柔らかでさっぱり役に立たず、「まるで泥みたいだ」と言う事から、ドロノキと名づけられたと言う。幹や枝に白っぽい泥をなすりつけたように見えるからだとの説もあるとのこと。写真のように、白い綿毛が種子を包むようにしているので、キワタ、 ワタドロとも言われたり、ドロヤナギと言われたりもするらしい。この役立たずで、浮気者である、ドロノキも、この綿を実際に集めて綿の代用に使われた時期もあったと言うが、木はマッチの軸木程度にしか使い道がないようである。「風花」らしきもの、とても美しく感じる。そして、この木綿の舞っている所を見ると、確かに美しくも不思議な感覚がする。しかし、その真っ只中にいると、健康に良くないよなー、とも思うのである。やっぱり美しい物は、手に取るより、遠くで見ていた方が、健康に良いし、且つ、傷もつかない。あの彼女も同じだ。遠くで見ているだけにすれば良かったのだ。傷ついたよな、治らないほど。でも、いつの間にか治ったな。これも不思議だ。もう一つ、気になる木があった。例の桜のような花を持つ木だ。アオギリだと言う。青桐と書く。中国では「梧桐」と言うらしい。本当にアオギリであるか、自信はないが、次のような花です。辞書を引くと、夏に黄白色、5弁の小花を群生する、と書いてある。これは、黄白色と言うより、ピンクと言うか、桜色より少し濃い色である。この木が、街路樹として道路の脇に沢山植えられております。又、野山や、畑の中にも、沢山見えます。レンガで造られた家屋の近くにも、庭にも、あちこちに本当に沢山、あって、遠くから見ると、桜に見えるのであります。西安から兵馬俑を見に行く途中も、兵馬俑の廻りも、この花だらけでした。西安から三門峡、三門峡から洛陽、この辺りもやはり、この花が沢山、咲いていました。今回の主題と関係ないものの、西安付近は、レンガの建物が圧倒的に多い。レンガを積み立てたそのままなので、家もレンガ色である。この辺りの土は、レンガに適しているのか、日干し煉瓦工場、工場と言うよりも、レンガ置き場のような場所も何度も見られた。たぶん、この日干し煉瓦が使われ、建物を作っているのであろうが、このレンガ色の家々の間にアオギリの花が咲いており、レンガ色と、桜色の眺めも、仲々、良いものがありました。と言う、いつもながら、大したこともない、お話でありました。 完
2018.05.11
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2018年5月8日(火) 中央アジアの旅 22日目アルマトイの街は、郊外まで出かけなければ、あんまり見る所はありません。ガイドブックを見ても、中央バザール(グリーンバザールとも言われる)、と28人のパンフィロフ戦士公園、位で、後は、博物館、美術館です。それで、どこの街でも、行くのですが、中央バザールへ行くことにしました。その前に、本日の朝食です。台北や、ベトナムと異なり、道端に屋台など見つかりません。それで、昨日、パンとバナナとトマトを買って来ておきました。このような朝食は、「東欧南下の旅」、でも、「アドリア海の国々の旅」でも、屋台のないような国で、食べていましたね。ご飯があれば、ご飯の方が良いのですが・・・。そうそう、パンでなくて、餃子のデカいようなのがありますが、実は、昨夜、オーナー家族から、貰ったものです。しかし、もう夕食は食べて来たので、要らないと言ったのに、食べろ、食べろ、とテーブルに置いて行ったので、それを朝食にしました。これは、小麦粉の中に、ポテトが入っています。カザフスタン料理の、マンティに似ていますが、どうなのかなー?調べて見ると、マンティの中には、羊肉が入っているようです。しかし、食べた結果、ジャガイモだけのように感じるのですねー。まぁ、マンティの一種なのでしょう。後で、宿の方に聞きました。マンティの一種でなく、ピロシキと言う料理だとの事でした。ロシア始め、あちこちで食べられているようです。マンティは、明日の昼にでも、食べてみたいと思います。市場で売っていましたので。さて、中央バザールです。グリーンバザールとも呼ばれていると記載しましたが、ビルの外観も、グリーンですね。中に入って見て、驚きました。雑然としていないのです。整然としています。市場でないみたいです。どうですか? この綺麗な並べ方。ベトナムとは違いますねー!国が違うと、こうも違いますか?街を歩いても、ベトナムは、バイクが多くて、危なくて仕方なかったです。でも、この国は、バイクはないし、歩道もきちんとあるので、悠然と歩き回れます。市場も、通れないほどの、商品を置くと言うような事はしませんね。人種の違いだからでしょうか?カザフスタンは、領土が広く、日本の7倍もありますから、市場も余裕を持って作れるからかなー? まぁ、敷地面積の関係だけではないように思えます。人種の違い、生活習慣の違い、など?そうそう、市場で、枸杞があるか、探してみました。枸杞は、ここでは、ゴッジーと言うような発音らしいです。現物を見せたら、そう言いましたから。ですから、あるのは、あるのでしょうが、ここでは売ってなかったです。買い置きが無くなったら、食べられなくなりますねー。花もこのように、置いてあります。まだ昼食の時間には早いので、中央バザールを出て、公園の方へ歩きます。道路自体が、両側に木々が多くて公園のようであります。木々の間から、雪を被った高い山が、垣間見えます。しかし、木々が多すぎて、チラッとしか見えません。あれは、天山山脈でしょう。「28人のバンフィロフ戦士公園」にやって来ました。何を意味するのでしょう? 大きな像がありました。「28人のパンフィロフ戦士公園」は、大祖国戦争(第二次世界大戦での対ドイツ戦)の時、カザフスタン人が、出征してモスクワを防御し、それで戦死した、パンフィロフ将軍率いる28人の戦士を記念して作られたとの事であります。上掲の大きな像も、戦争の記念なのでしょう。公園内にある「ゼンコフ正教会」は、1906年頃建てられた教会です。今は、工事中で、このような姿しか見られません。56mある高さは世界第二位で、1911年にあった大地震で倒壊しなかったことでも有名であるそうです。工事中でなければ、明るい黄色をメインにしたポップでかわいい色使いと、絵本に出てきそうなお城のようなデザインがみられたのですよ。地球の歩き方の、写真を掲載します。このように美しいのです。この日は、何かの記念日のようで、制服を着た多くの人々が整列したり、歩行していたりしています。残念ながら、何なのかは、分かりません。大きな公園ですぞ。街の真ん中なのに、こんな森のような世界があります。これが、戦士の像です。もう午後1時になりそうなので、中央バザールに戻りました。昼食の為であります。又、昨夜、食べた、プロフにしました。色んな食べ物が、鍋(パン)に入っていて、選べるのですが、言葉が通じないので、頼むのが難しいです。どうしても、分かりやすい物を選んでしまいますね。ポテトサラダも頼みました。牛肉プロフが、650テンゲ=220円位ポテトサラダが、250テンゲ=85円位、合計、300円位でした。ここは、市場の中の食堂なのですが、やはり、ベトナムなどと異なり、食堂って雰囲気でないです。レストランのようでしょう?他のお店も、こんな感じです。カザフスタン人って、綺麗好きなのでしょうかねー?食べ物売り場を、見ていたら、「寿司、寿司!」って、言う声を聴きました。巻き寿司があるのですねー! 夕食用に、1本買いました。500テンゲ=170円位今夜の夕食は、日本風です。海苔巻き寿司に、豆腐ですぞ。全く日本ですな。豆腐は、半分だけ切りましたが、250テンゲ=80円位です。これで40円。しかし、これ寿司でなかったです。マグロのような物が入っていると思っていましたが、違います。野菜の何かです。これって、韓国の、キムパプですね。まぁ、寿司っぽいので良いか、と思って食べました。プロフより、キムパプの方が良いですね。それから、豆腐は、日本の木綿豆腐と全く同じ味でした。食べきれなかったので、明日の朝、食べねばなりません。と、まぁ、こんな感じで、アルマトイの1日が、終わりましたです。
2018.05.10
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2018年5月7日(月) 中央アジアの旅 21日目本日は、香港から、カザフスタンへ移動です。昨夜は、香港空港のベンチで寝ました。しかし、蚊がいて食われ、何度も目が覚めました。疲れましたよ。蚊に刺されなくとも、熟睡はしていませんね。30分に1回は起きてしまいます。バックパックは、鎖と鍵で、椅子に括りつけ、パスポートや現金の入ったショルダーバックは、枕にしました。ですから、心配不要で、ぐっすり眠れても良いはずなのですがねー。仲々、思うようには行きません。4時過ぎには、起きだしてしまいました。そして、出発は、少々遅れて、10時にテイクオフであります。これが、機内です。各座席に、映像画面がある飛行機なんて、何年振りでしょう?いつも、格安航空を使っているので、画面なんぞありませんよ。飴も配られました。イヤホンも配られました。サービス満点です。このフライトは、エアー・アスタナです。キャセイ・パシフックとのコード・シェア便です。袋も各人に配られました。何が入っているのか、興味深く開けましたが、スリッパと、歯ブラシとボールペンと、耳栓などでした。 サービス良いですねー!香港空港を飛び立ちました。二人席の窓際の隣は、花の高い、ロシア人風の美女です。乗ったとたんに寝ているので、その隙間から撮った写真です。そして、そして、禁酒解禁。32日間、アルコールは一切飲んでいませんでした。でも、無料ですからねー! 貧乏旅人は、禁酒中でも飲みますなー。う、美味いです。 とっても、う、美味いです。食事です。魚と肉? 肉を選びました。ワインも頼んじゃいましたぞ。無料ですからな。う~ん、酔っ払った。1ヶ月振りのビール、そして調子に乗って、さらにワイン。気持ちいいなー!忘れていましたよ、この気持ち良い、酔い。飲めない人は、人生の半分以上の楽しみを失っている、と思っておりやした。そう、そうです、飲んでいた時は。でも、この1ヶ月、旅に出られるか、出ても血圧との戦いで、飲もうと言う気持ちが、全くなかったのですねー。別に禁酒しようと思った訳ではないのです。なんとか、血圧を平常に下げて、旅に出たい、旅を続けたい、その一心だけだったのですねー。でもね、飲まなくても、人生の半分以上の楽しみを失ったとも思わなかったですね。不思議ですねー。血圧が正常になると、やった! 健康だ、と感じるだけで、物凄く幸せだと思ったのです。こりゃ、全く不思議ですよ。ビールを飲んだり、食事をしている間も、飛行機は飛んでいます。山の上を飛んでいるようです。飛行機は、砂漠の上を飛んでいるようです。どのようなルートを飛んでいるのか、知りたくなりました。格安航空でないですから、マップが出るのですねー!新疆ウイグル自治区の、ウルムチの上です。「タクラマカン砂漠一周の旅」で、この辺りを全部回りましたな。カザフスタンの国境まで行ったし、天山山脈を隔てて、キリギスやタジキスタンのすぐ近くまで行ったのです。香港から、広州の北を通って、重慶辺りの上空を飛んで、そして蘭州の、少し南を飛んで、ウルムチ辺りに来ています。もう後、2時間くらいで着くはずです。話は変わりますが、ここの所、飛行機があまり好きでなくなっていました。以前は、飛行機に乗るのが楽しみだったのですよ。その理由が、本日、分かりました。以前は、30万石の藩士であった故、飛行機と言えば、ビジネスクラス。だったのですねー。しかし、とある理由により、脱藩し、渡世人・亜州の星次郎になったのです。その後は、ビジネスなんぞと言う座席には、無関係。飛行機と言えばLCC、食事どころか、水さえ出ない。座席で映画を見られるどころか、全体での映画さえありませぬ。これが、飛行機嫌いになった理由なのですねー。 たぶん。本日は、エアー・アスタナ、キャセイ・パシフィックとのシェアコード便です。ビールは飲めるし、ワインは飲めるし、食事は出るし、スリッパも無料で出るし、映画は見放題。飛行機の旅は、これでなけりゃー。しかしながら、映画は、英語とロシア語ばっかりで、見ても分かりません。それで、オーディオです。聞いた事ないですが、有名な歌手の歌を聞きましたぞ。エリビス・プレスリーマイケル・ジャクソンボブ・ディランエルトン・ジョンピンク・フロイド皆さん、有名ですよねー!でも、ちょいと、共感があったのは、マイケル・ジャクソンだけですね。あとは、どうして、そんなに売れたの? と思ってしまいました。ビートルズを聞きたかったのですが、探しても見つからなったです。そんな事で、ずっと音楽を聴いてきたら、右手に山が見えて来ました。もう、アルマトイです。雪を被って、綺麗な山です。アルマトイ空港からは、タクシーに乗らず、バスです。92番バスに乗ると、中央バザール近く、即ち、宿の近くの、サヤハット・バスターミナルに着くはずなのです。地球の歩き方の地図では、そうなっているのですね。それで、92番に乗ったのです。バス停にいる時に、話しかけた、お嬢さん、英語が上手で、且つ親切で、ここが、「サヤハット、早く降りなさい」、と言ってくれました。降りた所で、どっち方面へ行ったら良いか、バスを待っていたおっさんに聞きました。そしたら、そこなら、まだ降りたらダメだ、とばかり、アジアの星一番の腕を取って、走り始めたバスを止めて、又、乗せてくれたのであります。その人、運転手に、降りる所を、説明してくれました。しかし、親切なお嬢さん、スマホのマップを見せて、ここが近い、と言っています。運転手さん、お嬢さん、おっさんの3人で、バスを止めて話し合っています。申し訳ないですよねー。運航時刻に影響しないのかなー? と思ってしまいます。とにかく、一番詳しいのは、運転手さん、彼の言う通り、降りたバスに、又、乗って移動します。宿のある通りまで来て、降りて、まっすぐ歩けば良いと、教えてくれました。皆さん、親切ですねー! 言葉は、お嬢さんしか通じないのでけど、難なく、宿に着くことが出来ました。教えて貰わねば、辿り着けません。バスは、こんな感じです。アルマトイの街は、街路樹が大きくて、緑が一杯です。ベトナムの街とは、全く趣が異なります。バイクが走っていません。バイクは、全くないですね。だからか、整然としている印象です。ベトナムは雑多、混沌でした。宿です。受付のおばさん、英語は少々です。ですが、下段をアジアの星一番に準備してくれました。カーテンもないし、開けっぴろげですね。1泊、650円位ですから、安いし、仕方ないですね。上段のベッドとの高さが低いので、座ると、よく頭をぶつけます。それが、困りますよ。キッチンです。経営者家族も、ここで料理して食べます。ここが食べる所ですが、アジアの星一番の作業場にもなります。ベッドルームには、机もありませんし、パソコン開ける場所がありません故。夕食です。宿の近くに行きました。料理が作ってあって、指差しで選んで、食べられるお店でした。ですので、減塩食料は作って貰えませんが仕方ありません。これは、ピラフ見たいですが、中央アジアやロシアでは、よく食べられているプロフと呼ばれるものですね。頼みやすいので、重宝します。ウズベキスタンの伝統料理のようですが、アルマトイでもありました。これで、850テング=280円ですからベトナムに比べると、高いです。2倍はするでしょうか? 宿代に比べても高いですよね?でも、プロフ、中央アジアでは、世話になりそうな、料理であります。最近は、野菜不足かなー、と思い、健康の為に、お金はケチらないで、野菜も頼みました。 400テング=130円です。昨夜から空港泊、そして7時間のフライトと、ちと疲れましたが、無事、102ヶ国目の、カザフスタンに入国出来ました。今年の3月から4月、血圧が高くて、旅に出られないかもと心配していました。体調がすぐれなければ、台北から帰る、若しくは、ベトナムを回って、中央アジアは諦めて、ホーチミンからチェンマイへ戻る。などなどと、考えていましたが、ようやく、今回の旅の名称、「中央アジアの旅」、の、中央アジアへ来ることが出来ました。今後も無理せず、ゆったり廻ろうと思っています。
2018.05.09
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2018年5月6日(日) 中央アジアの旅 20日目ベトナム、もっと居たいですが、ノービザで入国すると、15日間しか滞在出来ません。それで、出国しなければならないのです。次回、来る時は、ビザを取得して、ゆっくり来るかなー?本日は、香港へ移動します。何故ならば、カザフスタンのアルマトイへ、香港から直通であるのです。そして、ホーチミンから香港のフライト、安いのですよ。わずか、8800円で、行けるのです。安いでしょう?さて、宿からは、2万ドン=100円支払って、空港行きバスに乗ります。宿から、10分ほど歩いた所に、バス停留所があります。この黄色いバスが、109番で、空港へ行くのです。バスは40分で空港に着きました。日本からチェンマイへ行くのに、エアーチケットが、ホーチミン経由で、安いのがあれば、空港から市内まで100円だし、安宿に泊まれば、1000円だし、ホーチミン経由でも良いですね。1泊か、2泊、ホーチミンに泊まっても、飛行機代プラス2~3000円、見込めばいいのです。因みに、ホーチミン→チェンマイも直行があり、7千円台で行けます。飛行機は、VIET JET AIRです。さすが、8,800円、満席ですぞ。安いですからねー!水は、通関で取られてしまいますから、ありません。困りますね。(実は、空港内で、水は買っています。)喉が渇いたので、コーヒーを頼みました。2US$ですから、まぁ安くはないですね。でも、高くもないです。インスタントですから、美味しくもないですが、不味くもないです。2時間半ほどで、香港の上空へやって来ました。途中、ちょっと揺れましたが、それほどでもなかったです。最近、揺れると、怖いなー、と感じます。明日の、午前9時35分のフライトで、カザフスタンへ行きます。それで、ホテルに泊まるのも、タクシーか、バスで行かねばならず、面倒臭いし、お金もかかるので、今夜は、空港に寝ることにしました。それで、持ち帰り弁当を買って、夕食です。38香港ドルですから、どうでしょう? 600円位でしょう?まぁ、いつもの夕食より、ちょいと豪華です。野菜不足かなー? と思いますが・・・。野菜もちょっと入っています。今夜の寝床です。椅子と、荷物置き場と、椅子がつながっている場所で、横になって眠れます。ほかの場所は、肘掛けがあって、横になれないのですね。こんな所に寝ると思うと、何だか、惨めな気持ちになりますなー。いくら貧乏旅人とは言え、ホテル代位持っているのですが・・・。もし午後のフライトならば、深圳の教え子の所へ行くのですが、朝が早いので、行ったとしても、5時起きですから、きついです。眠れるかなー? こんな所で。バックパックは、一応、チェーンと鍵で、椅子に括りつけました。ショルダーバックは、大切なものが入っているので、枕にします。それでは、お休みなさいませ。
2018.05.08
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2018年5月5日(土) 中央アジアの旅 19日目ホーチミンの唯一の日本人宿と銘打っているのが、イージー・ステイです。露天風呂があると言うのも、売りの一つなのですね。最初、ここに泊まろうと思いました。ですが、高いのです。連休は特に高く、18US$なのですねー!通常のゲストハウスの2倍します。それで、イージー・ステイは諦めました。ブッキング・ドットコムで調べたら、見つけたのが、兎家ゲストハウスです。露天風呂はありませんが、朝食付きです。昨年の8月にオープンした、完全な日本人宿です。ですから、イージー・ステイの唯一の日本人宿と言う売込みは出来なくなりますねー。ここが、キッチンテーブルです、ここで朝食を食べたり、皆さんで歓談したりします。テレビは、日本のも見られますし、ゲームも出来ます。ここにも、皆さん集まって、歓談しております。ここは、4階のテラスです。この横の部屋に、アジアの星一番のベッドがあるのですが、まぁ、若者たち、飲んでいるのか、朝の4時ころまで、ワイワイガヤガヤとおしゃべりしていました。1階では、近所迷惑なので、23時以降は、自粛するようにと言う注意事項があるので、4階に来たのでしょう。4階でも、近所迷惑に、なっていると思うけどなー?アジアの星一番、ちと眠れなかったですが、旅を楽しんでいる若者たち、許してあげましょう。ベッドは、既に紹介しましたが、アジアの星一番も初めてと言う広さ、そしてパソコンが置ける折り畳み式の台もあります。これは、とても便利ですね。オーナーさん自ら設計したそうです。朝食です。昨日は、サンドイッチでしたが、今朝は麺を作ってくれました。これで、1泊10US$、1100円程度ですから、安いですよね。兎家ゲストハウス、お薦めだと思います。宿のお客さんは、全員が日本人ですが、アジアの星一番は、全く話はしなかったです。ベッドの中で、ネットが出来るので、ほとんどベッドにいた事が、大きな要因です。それと、禁酒中、減塩食事をしているので、一緒に飲んだり、食べたり出来ないのが、もう一つの要因。さらには、若い人たちばっかりなので、仲間に入りにくい雰囲気がありました。オーナーさんが、たぶん40歳代だと思うのですが、気さくな方で、みんなで食事に行ったり、バーベキューをやったり、お客さんの世話を焼いています。若者のバックパッカーには、最適な宿だと思います。昨日は、雨で、サイゴン・トライアングルを回り切れなかったので、本日、又、挑戦して見ました。別の店ですが、コーヒーを頼んだら、昨日同様、又、アイスコーヒーが出て来ました。ホットと言ったのですけどね。再度、確認したら、ホットコーヒーはないと言います。仕方ありません。アイスコーヒーを飲みました。バックパッカーが目指すと言う、ブイヴィエン通りにやって来ました。宿から、10分位で行けますが、レロイ通りに、並行してあります。この辺りには、世界中のバックパッカーが集まってくるとの事です。ファミマもありました。ミニストップもありました。その他、旅行社や、カフェや、レストラン、安食堂、コンビニなど、沢山並んでいます。デタム通りには、宿で貰った地図に大きく広告を出していた、そして地球の歩き方にも載っている、TNKトラベルのオフィスもありました。バックパッカーの通りの、ブイヴィエン通り、デタム通りを、プラプラと歩き、レロイ通りに戻りました。ベンタン市場は、後で行くとして、レロイ通りをさらに進みます。昨日、雨宿りで、2時間もお世話になった、シェラトンホテル辺りにやって来ました。昨日、雨の中、小走りで通り過ぎた、市民劇場です。本日は、ドンコイ通りに出てから、左に曲がり、サイゴン大教会を見に行きます。19世紀末に建てられたようですが、二つの尖塔があり美しいですね。その隣には、中央郵便局があります。これも、19世紀末、フランス統治時代に作られたとの事です。建築文化財としても重要らしいですよ。ドンコイ通りを、サイゴン川の方へ向かいます。サークルKがありました。例のダラットで会った若者の美容院を探しながら、ドンコイ通りを歩きましたが、本日も、見つからなかったですねー。サイゴン川に来ました。トライアングルの1辺、ハムギー通りをゆっくり歩いて、ベンタン市場にやって来ました。市場の中には、やはり食堂があります。海老チャーハンを食べて、腹ごしらえです。見えませんが、大きな海老が、5~6匹入っています。4万ドン=200円と、市場では高めです。ズボンを探しに、市場内を歩き回りました。買うのです。歩いていると、皆さん、声を掛けて来ますな。ズボンを1着しか持って来ず、もう一つ欲しいのです。ひざ下から、ジッパーで外せるのを探します。100万ドンとか、高い値段を言って来るお店は素通りです。袖を引っ張られて、引き留められますが、無視します。何軒も廻って、20万ドン程度の相場と言うのが分かりました。そこから、さらに値引きさせます。こちらは暇があります。とあるお店で、17万ドンで手を打ちました。さらに、3万ドンと言う裾上げ費用を、2万ドンにさせて合計19万ドン=950円で買いました。これです。どうです? 値段の割には良いでしょう? これで、暑い時は半ズボン、涼しかったり、寒い時は、長ズボンにします。裾上げの長さを失敗しました。短すぎたのです。何だか、不格好だなー? ま、仕方ない。いっか、ズボンと関係なくどうせ、不格好なんだから。市場は、見て廻っても面白いですが、実際に買う物があるともっと、面白いですね。
2018.05.07
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2018年5月4日(金) 中央アジアの旅 18日目ゆっくり起きて、生姜紅茶を飲むのはいつもの通り。朝食は、サンドイッチを、宿のお姉さんが作ってくれます。でも、食パン2枚に、卵焼きとほんの少しの野菜です。これでは、足りませんね、買い置きの、バナナを1本食べました。そして、ホーチミンの繁華街を散歩しようと出かけました。宿の受付嬢に、本日の天気を聞いたら、昼前から夕方まで雨と言います。しかし、オーナーの男性が、スコールだから、30分も待てば止む、と言うのです。じゃー、チェンマイと同じだなー、と傘も持たずに出発しました。これが、大失敗の元であります。宿を出て、空港行きのバス停とバスを確認し、レロイ通りを歩きます。(明後日、空港へ向かうための準備作業。)ホーチミンの中心地は、このレロイ通り、ドンコイ通り、ハムギー通り、を3辺とする三角地帯に囲まれた所らしいです。従って、もう少し歩いたレロイ通りも、ホーチミンの中心地となります。宿で無料のコーヒーを飲んでから出かけようとしました。しかしながら、10時を少し回っていて、「朝食の時だけ無料です!」と冷たく受付嬢にあしらわれて、すごすごと出発したのです。で、喉が渇いていますので、カフェに入ります。コーヒーを頼んだのに、アイスコーヒーが出てきました。ホットのつもりでした。違う、と言いましたが、替えてくれません。仕方ないです。ドンコイ通りに近づいた、レロイ通りであります。地下鉄工事を行っているようで、青い囲いがしてあります。歩きにくいですが、一応、歩いて進めます。レロイ通りに、高島屋がありました。ポツポツと、雨が降って来たので、高島屋の隣のデパートらしき建物に避難しました。兎家ゲストハウスのオーナーさんの言葉を信じてすぐ止むだろうと、気楽に考えていました。この時、12時半頃でしょうか?デパートの中を、見学していたら、ミヤマとか言う日本っぽいレストランがありました。そしたら、モダン東京レストランカフェと日本語で書いてあります。美山カフェと言うのですね。高島屋の隣のビルと思っていましたが、ここは高島屋の中でした。美山カフェ、結構、有名なようです。雨が小降りになって来たので、レロイ通りを、さらに進みます。そしたら、なんと、セブンがありましたぞ。今までの街では、コンビニらしき店はありましたが、パンとか売ってなくて、不便でした。中に入って見たら、ここには、アンパンのようなパンも売っていましたね。小降りだった雨が、又、激しく降って来ました。止む無く、ビルの庇の下で、雨宿りです。そしたら、バイクのお兄さんも雨宿り中で拙い日本語で話しかけて来ます。何でも、今月、日本へ出稼ぎに行くようです。日本のどこへ行くのか、聞きましたが、質問が分からないようで、へんてこな返事が返って来ました。一生懸命話すのですが、こちらも分かりません。下手くそな日本語です。そんな事で、時間をつぶしていましたが、雨が止みそうにないので、見えている、シェラトンホテルに避難しようと、小降りの時を見計らって歩きだしました。これは、雨宿りしていたビルの近くの、ホーチミン像です。市民劇場です。もうドンコイ通りに来ています。フランス統治時代の、1898年に建てられて、ベトナム戦争時代は南ベトナムの国会議事堂として使われていたそうです。夜はライトアップされるとの事です。美しいですね。こんな看板がありました。JICAですねー。清水建設と、前田建設のJVのようです。地下鉄工事の何かですかねー?調べました。やはり地下鉄工事です。地下駅となるのは、ベンタイン市場から現バーソン造船所のある. 区間までの計3駅です。このあたりは密集地のため、高架にできず. 地下になっています。こちらは清水建設と前田建設工業の共同企業体が工事を進めています。高島屋や、美山カフェ、セブン、清水建設$前田建設、日本の会社、頑張ってますね。小降りの雨の中、シェラトンホテルに着きました。客の振りして、ロビーのふかふかのソファーにそっくり返って座ります。もう雨が降り出して、1時間は過ぎますが、止みませんねー。2時間ほど、シェラトンホテルのロビーで雨宿りしました。時々、雨が止んでないか、ドアの所まで行くので、ドアガールさんと知り合いの仲になりました。アジアの星一番が行くと、にっこり笑って、まだ降ってますと言います。何度目かに行ったら、もう雨は止みますよ、と言うので、外に出ました。しかし、雨は降っているのですねー。 彼女、予想を言ったのでしょうか?しかし、ロビーを出てしまったので、歩き始めました。でも、雨です。2万ドン=100円支払って、合羽を買いましたぞ。それで、ドンコイ通りを歩きます。東京で言えば、銀座辺りに該当する、ドンコイ通りです。しかし、雨の為か、静かで繁華街のようには見えません。この通りのどこかに、先日、ダラットで会った青年の美容室があるはずなのですが、雨で探せませんでした。残念です。お店を見たかったなー。ドンコイ通りの突き当り、サイゴン川に辿り着きました。まだ、雨は止みません。さらに歩いて、サイゴン・トライアングルの、もう一辺、ハムギー通りまでやって来ました。しかし、もうここで歩くのは、ギブアップ。この雨の中、宿まで帰るのは、困難です。合羽は着たものの、膝から下は濡れています。雨の中、バイクタクシーを捕まえて、宿へ向かいます。10分程度で着くはずです。しかしながら、バイクのお兄ちゃん、全然、違う方向へ走ってしまうのです。アジアの星一番は、合羽着て、バイクの後ろなので、地図を出して、説明出来ません。道路は大混雑ですから、遠回りして行くのかなー? と様子を見ました。しかしながら、20分以上走っても、それらしい所へ出ず、全然、違う方向へ行っているように思えます。雨ですが、彼の肩を叩き、道路際に止めて貰いました。地図を見せて、間違ってないか、確認。住所もきちんと教えました。スマホに住所を入力しています。雨の中ですよ。アジアの星一番の地図は、雨に濡れて、ボロボロです。それから、走る事、10分、20分、まだ、彼は、場所が分からないようで、同業者のバイクに聞いています。もう一度、バイクを止めて貰って、宿まで行くのを諦め、近くの有名なバス停に行くように指示。(この頃、雨は止んでいました。)合計、1時間かかって、ようやくバス停の近くにやって来ました。絶対に、余分な金を要求されるだろうなーと、身構えましたな。しかし、約束の3万ドン=150円をだすと、苦笑い気味に受け取りました。いやー疲れましたねー。こんな時は、お金をケチらないで、バイクタクシーでない、普通のタクシーに乗るべきでしょうね。どうせ、大した金じゃーないのです。ケチは、疲れる。雨にも濡れました。 宿に戻り、疲れを癒し、いつもより少し遅い夕食です。詳細は、明日記載しますが、この兎家ゲストハウス、日本人宿です。ベトナム10数日で、4人しか日本人に会ってなかったですが、ここは、宿泊者16名全員が日本人です。皆さん、一緒に夕食に行くようですが、禁酒、30日目を迎えた減塩生活者ですから、残念ながら、ご一緒出来ません。一人寂しく、近くの食堂に出かけました。ご飯です。これは、カレーのように見えますが、カレー味ではありません。豚肉煮です。スープ付きです。全部で、2.7万ドン=135円。凝った料理より、こんなご飯の方が、今のアジアの星一番に合っています。本日は、雨で、えらい目に合いました。まぁ、こんな日もあるでしょう。明日晴れたら、又、サイゴン・トライアングルに挑戦しようと思っています。
2018.05.06
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2018年5月3日(木) 中央アジアの旅 17日目いよいよ、ベトナムの最終地、ホーチミンへ移動します。その前に、PI Hostelの、親切な受付のお嬢さんを紹介します。生姜紅茶を飲みたいと言えば、お湯を準備してくれたり、どこへどう行ったらよいか、懇切丁寧に説明してくれたり、食堂は、どこが安くて美味しいか教えてくれたり、ほんと、助かりました。日本語は全く話せませんが、英語は上手です。仕事が暇な時は、共通ルームに置いてある、ピアノを弾いています。眼鏡をはずすと、もっと美人なのですよ。ベトナムに来て、5つの宿に泊まりましたが、全ての宿の受付の方は英語が上手です。従いまして、ベトナム語が全く話せなくとも、何ら不自由はしません。そして、ネットの時代です。宿で次の移動のバスや汽車のチケットを予約してくれます。そして宿まで、迎えに来てくれます。少しは宿も手数料を取っているのかなー? ベトナムは、便利ですよ。進んでいますね。昨年行った、マダガスカルも、ポルトガルも、目的地に着いたら、まず次の移動のための、チケットを買いに、バス停を確認しに行き、チケットを買えるなら買いました。その手間が省ける分、ベトナムは楽です。ここが共通ルームの、アジアの星一番の指定席です。外出から帰って来て、ここに座ると、お茶を出してくれたり、気配りが行き届いていました。居心地の良い、PI HOSTELでしたよ。1泊朝食付きで、1000円です。宿まで、迎えのバンが来てバス停に向かいます。宿は、予約してくれただけで、チケットはバス停で買います。ホーチミンまで、21万ドン=1050円です。安いですね。このバスで行きます。乗って驚きました。昼間の移動なのに、あの寝台バスです。こりゃー、良いですねー! ゆっくり寝て行けますよ。どの位、座席が倒れるか? と思うでしょう?こんな感じで、寝て行けるのです。この方、アジアの星一番の隣の中央席の方です。6時間位、ずっと寝ていましたぞ。眠り姫かい?昼間なのに、良く眠れますね! 目を閉じているだけで、空想に耽っているのでしょうか? そんなの、余計なおせっかいですな。このバス、毛布もキレイで良かったですよ。前に2回乗ったバスの毛布は煮締めたような色の毛布で、使うのに躊躇しました。このように、毛布を掛けて、足をまっすぐ延ばして寝られます。2段ベッドなので、40人位は乗れますね。水も1本サービスされます。ダラットの街を抜けると周囲は山です。しかし、下って行きます。バスの旅、良いですねー!アジアの星一番は、大好きです。しかも、窓際の下段席、寝っ転がって頭を窓側に向ければ、外の風景がずっと見られます。そして反対側を見れば、美女の美しい寝顔が見られます。何十時間乗っても、飽きませんな。ホーチミンが始発だったようで、まばらな座席でしたが、途中で、どんどん乗って来ます。その時、ついでにトイレに行っておきます。トイレに行きたいのを、我慢するのは、辛いですからね。出来るだけチャンスがあったら、行って置きます。トイレ休憩は1回、昼食休憩が1回。7時間で、2回しかありません。このバス、土足厳禁で、靴入れ用に、ポリ袋をくれますが、休憩の時は、靴を持って行かなくてもいいように、このように、スリッパを準備してくれます。とっても、親切で、居心地の良いバスです。6時間半ほど走った頃、大きな川が出てきました。そろそろ、ホーチミン市に入ったのでしょうか?大きなビルです。間違いないですね。ホーチミン市です。まだ、まだ、明日の朝まででも乗っていたいような、バスですが、もうじき降りなければなりません。残念ですなー!降りてからが、大変でした。バスの中から、ホテルニッコーサイゴン、と言うのが見えました。それから、数分でバスは止まり、そこで降りたのです。宿は、そのニッコーホテルから、遠くありません。それで、法外な値段を吹っ掛けて来るバイクタクシーを振り切り、歩いて宿を探します。10万ドン=500円とか言うのです。バカか!そして歩くも、仲々、見つからないのですねー!宿の方向へ歩いていると思うのですが、自分がどこにいるのか、分からなくなって来ます。30分ほど歩いて、宿の近くに来ているはずですが、行き着くか不安になり、バイクタクシーに乗りました。1万ドン=50円に、値切り倒して乗ったのです。バイクタクシーのおっちゃんも、場所が分からず、行ったり来たり、反対車線を逆走したりするので、ほんと、怖いですよ。とある場所で、止まり、ここだと言います。確かに、住所の、189Bでは、あります。しかしながら、目指す宿の兎家ゲストハウスはありません。しかし、これ以上、バイクタクシーに探せと言っても無理だし、近くに来ていることは間違いないので、50円支払っておっさんは返しました。それから、地元の人に聞くこと、何回だったでしょうか?迷路のような道を、彷徨い歩き、バスを降りてから、1時間ちょっとかかり、ようやく、Usagiyah Geest Houseにたどり着きました。やれやれ、ほっとしました。辿り着かないのではないかと思いましたよ。こんな時、スマホがあれば良いのになー、と実感致します。スマホを、買わねばならないでしょうか? 今の時代、スマホは必須ですね。さて、宿のベッドです。下段にしてくれました。広いですねー! こんな広いベッドのゲストハウスは、初めてではないでしょうか?シングルベッドの横幅より、広いです。セミダブルですな。愛し合っている男女なら、二人で充分寝られますぞ。愛し合ってなくても、二人で寝られますな。嫌でなければ。何と、ベッドの中に、折り畳み式のテーブルがあり、そこにパソコンを置けるのです。快適ですなー。寝たり起きたり、ネットしたり、この空間で何でも出来ます。便利です。Usagiyah Geest Houseに関しては、別途、掲載しますが、宿代は、3泊で、69万ドン=3500円位です。1泊は、1150円ですね。朝食付きで、広いベッド、安いと思います。宿代を支払っても、ダナン空港で、250US$を替えたドンがまだかなり残っています。使い切れません。残ってしまいそう。それで、宿の近くにあった日本食レストランに行きましたぞ。貧乏旅人、気張りましたなー!どんな字を書くのか、分かりませんが、IKI SUSHです。お店の内部です。広々としていますよねー!お客さんは、一人しかいません。儲かっているのかい?トンカツ定食を頼もうと思ったら、ランチでしかやってないとの事で、かつ丼にしました。薄味で調理して、とここでも頼みましたぞ。お姉さん、にっこり笑って頷きました、分かったかなー? ちょっと不安。でも、薄味で、丁度良かったです、久しぶりの日本食、美味しかったです。何故か、寿司を食べたいとは思わなかったですね。係のお姉さんです。制服着て、きびきびしていますよ。ホーチミンには、3泊します。繁華街を散歩したり、市内のど真ん中にある、市場を散歩したりする予定です。ホーチミン、2回目ですが、全く覚えていません。郊外のツアーにも行ったのですよねー! そうだ、ブログが残っているので、見て見よう。思い出すでしょう。ブログ、読み返して見ました。もう、12年前です。5つ星ホテルに泊まり、全て送り迎え、毎度コース料理の、大名旅行でありましたが、全ての工程が完了したあと、一人、ホーチミンに残留。その後は、短い期間でしたが、普通の旅を経験しました。それで、ミトーと言うところへ行って、メコンクルーズに参加したのですねー!これは、うっすら覚えていましたが、ブログを読んで、鮮明に思い出しました。1日ツアー、12年前で、40US$でした。今なら、高いなー! って、目ん玉飛び出してしまいそうですが、大名旅行のあとだったので、そんなに高いと思わなかったですねー!まぁ、立場変われば、心も変わりますな。しかし、ブログって、記録には良いですねー!あの頃は、コメントを書いて下さる方が沢山いました。その頃からの、ブログ友達は、もう2人か3人になってしまいましたね。皆さん、どうしているのかなー?
2018.05.05
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2018年5月2日(水) 中央アジアの旅 16日目さて、日本の若者を紹介します。お二人とも、ホーチミンで働いています。連休で、ダラットに遊びに来ているとの事であります。こんな所では、会わないだろうってな所で、偶然の出会いです。写真の掲載の許可を得ていますので、トップでアップします。ベトナムに来て、3人目、4人目の日本人です。今度は男性でした。二人とも、ハンサムですねー!実は、アジアの星一番、夕食を食べようと、宿の受付に聞いたら、すぐ近くにあると教えて貰ったのです、しかしながら、見つからなくって、街の方へプラプラと歩いて行ったのです。そしたら、日本人なら絶対に食べないであろう、路上の屋台があったのですねー! 黄色い麺を売っています。ここですぞ。そこで、低い椅子に、よっこらしょ、っと、座ったのです。そしたら、隣から、日本語らしき声が聞こえるじゃーないですか?お互いに、「日本人ですか?」、と声をかけたのであります。まさか、アジアの星一番以外、路上の屋台で食べる日本人がいるとは思いませんでした。話を聞くと、二人とも、ホーチミンで働いていると言います、お一人は、美容師、お一人は、英語学校で働いています。日本の若者が海外離れしていると言われて久しいです。アジアの星一番は、旅の途中で多くの若者と会っているので、そう言う実感はなかったですが、一般的には、そう言われていました。話を聞いて驚きましたね。ホーチミンで、93会と言うグループを作っているようです。ラインの仲間のようですが、1993年生まれですから、24歳ですよね。その仲間が、20数名いると言うのです。多いじゃーないですか! 24歳ですよ。しかも20数名。旅人でなく、地元に根を下ろして働いている人達ですからね。仲間に入っていない人を含めれば、もっともっと多いでしょう。美容師さんは、ホーチミンの富裕層を狙って、美容院を日本人二人で行っているとの事ですが、チップなんて、3千円位、ポンとくれるって言うのです。ベトナムの金持ちは、ほんと大金持ちですよ。車も、高級な外車に乗って来るっていう事ですから、お金はあるのです。良い所に目を付けましたよね。狙いは富裕層。英語もベトナム語もしゃべれないけど、何とかなるだろうと、ホーチミンへやって来たと言いますから、豪胆ですな。日本語の通訳を雇って、お客さんの要望を聞くそうです。英語学校の方の話は、時間がなくて、詳しく聞けませんでした。何れにしても、心強いですね、こう言う若者たちがいると。話を聞くのに夢中になっていて、麺の写真を撮るのを忘れました。食べかけです。やっぱり、野菜も出ましたが、ピンボケです。屋台のこう言う所で、生野菜を食べられるのですから、胃腸は丈夫です。次に、もう1組の若者を紹介しましょう。宿で、パソコンをやっていたら、話しかけられました。中国の広州から来た、学生さん二人です。Wuさんと、LIさん。アニメで習った日本語を、ほんの少し話します。英語は堪能ですね、英文科かなー? 別の学科で、英語をこれだけ話せるなら、凄いですよ。聞き漏らしました。来年、卒業なので、卒業前に旅行したいと二人で来たらしいです。日本びいきで、日本には是非、行きたいと言っていました。前日の夜も、翌日の朝も、話しました、気さくで良い青年でした。こう言う青年が多いと、日中関係も、もっと良くなると思うのですが、共産党である限る、無理でしょうか?中国へ行くと、Facebookも、Youtubeも見られなくて、Googleも繋げず、とっても、不便だ、と言うと、VPNと言ったかなー? そのソフトを入れれば、問題なく見られると言います。そんな話は聞いていましたが、さすが、中国、抜け道はあるのですね。Facebookで、お二人と友達になりました。連絡、続くかなー?さて、宿ですが、ベッドを約束通り、下段に替えてくれました。やっぱり下段の方が使いやすいです。早速、下着も洗って、持参の洗濯紐を使って干しました。部屋から見える、ダラットの街です。ちょっと高台にあるのですが、その向こう側も高台なので、ここが高いようには見えません。左手がロータリーのある方向です。宿で、小説でも書くつもりでいましたが、クレイジーハウスなるものが宿から、そんなに遠くない所にあると聞いて、出かけました。歩いて、20分で着きましたが、こんな入場口です。大きな木をモチーフにした、奇抜な外観のホテルっていう事です。ダラットを代表する観光スポットって、地球の歩き方に書いてあります。地元のガイドマップにも書いてありますね。しかし、アジアの星一番には、全然、興味を惹かれません。気持ち悪いですよ。こんな絵が沢山あります。何を意味しているのでしょう?ホテルなら、気持ち悪くて眠れませんな。だから、クレイジーハウスなのでしょうか?一応、全体からすると、数は非常に少なかったですが、ベッドルームも公開されていました。ここは普通ですけどね。リビングのような部屋もありました。お土産を売っている部屋です。クレイジーハウス、行かなくても良い、観光スポットです。と、アジアの星一番は、思います。これなら、バイクや車の音がうるさいですが、スアンフーン湖の辺で佇んでいる方が、ましです。帰り道、コーヒー屋さんに寄りました。こんなのが、出てきましたぞ。どうやって飲むの?そしたら、ドリップコーヒーなのですよ。上から、下のコーヒーカップに、たらたらとコーヒーが落ちています。量が少ないし、あんまり、美味しいと感じなかったです。1.5万ドン=75円でした。歩いていたら、サロンパス、と言う聞きなれた看板を見つけましたぞ。HISAMITSU、と書いてあります。これって、日本の久光製薬の製品じゃーないですか?薬局の看板の上にありました。久光製薬。ベトナムでも頑張ってますねー。ちょっと調べたら、久光製薬さん、ベトナムに進出して長いのですね。1994年に久光ベトナムを設立し、1995年からビエンホア工場で生産を開始しました。2006年にはベトナムから東南アジア各国への輸出も開始し、2016年現在で従業員約400名を 抱える重要拠点となっていますと言う事でした。因みに、宣伝費は貰っていません。勝手に書いただけです。昼食は、宿の近くの食堂にしました。麺か、パンサンドばっかりのお店が多く、ご飯党党首のアジアの星一番としては、不満です。しかし、ここは、ご飯です。豚肉と竹の子のおかずを、薄味で作って貰いました。そして、これも薄味のスープです。昨夜も行ったので、女将さん、薄味で作ってくれと言うのは、分かっています。これは、昨夜の夕食です。魚にしました。アジアの星一番には、これで十分です。もう少し野菜を多く食べたいですが、一応、野菜も乗っています。本日は、クレージーハウスを見に行っただけです。後は、生姜紅茶用に、黒砂糖を買いに出かけただけです。暇はあります。で、チェンマイに佇む男達・山川純一の場合、を執筆していました。ずいぶん、進みましたぞ。しかし、ブログは、1日1回と定めているので、旅の途中では、掲載出来ません。旅が満了したら、連続でアップしたいですね。もう、そろそろ、最終回になろうって、場面まで来ています。本日は、ほんと、ゆっくりしました。移動して、翌日、観光して、又、移動して、と言うような旅なので、忙しないです。旅が長くなると、何もしないで、1日ゆっくりするとか必要ですね。1週間程度の旅なら良いですが・・・。これからも、何もしない日を、取り入れて旅しようと思います。
2018.05.04
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2018年5月1日(火) 中央アジアの旅 15日目外は雨、それもかなり激しい雨です。今は午後。ベトナムのダナンに降り立ってから、9日目、雨に降られ、傘を差したことはなかったです。ホイアンの夕方に、ちょろっと降ったのと、昨日、ホイアンからダラットへ来るバスが走っている時、降っただけです。午前、出かける時、「傘は持っているか?」、と受付嬢から言われました。晴れていたのですけどね。そう言われるほど、雨が多いのでしょう。受付嬢から借りて行った折り畳み傘、どこかを歩いている時に落として、無くしてしまいました。落としました、すみません、では、すまないので、新品を買って返しました。損したなー、自己責任ですが。 まぁ、400円程度の傘ですけどね。さて、PI Hostel、ですが、朝食付きでした。街を散歩しましたが、ぶっかけ飯のような物を売っている食堂や屋台は見つからなかったです。麺か、パンと肉汁のような物を売っているお店が多いですね。アジアの星一番は、ぶっかけ飯が好きなのですが、それがないと何を食べて良いか分かりません。ですから、宿に朝食が付いていると有難いです。パンと、野菜と、卵焼き(自分で焼く)、ハム、そして饅頭です。朝食としては、これで、十分です。ダラットには、街の中心に大きな湖があります。スワンフーン湖と言いますが、周囲は、5キロ位あります。散歩には、丁度良いので、見所も含めて歩いて来ました。宿から、5分も歩くと、湖に着きます。ロータリーがあるのですが、そこが、街の中心になります。建物のこちら側、真ん中の生い茂る木の向かって右手がロータリーです。宿は、真ん中にある木の向こう側の高台にあります。湖の周囲は、公園のようになっており、花も植えられて整備してあります。写真を見ると、気持ち良さそうですよねー。少し歩いたら、大きな建物がありました。階段も多いし、何だろうなー? と写真を撮りました。しかし、ガイドブックには、載っていない建物です。何でしょう?宿に帰って、受付のお姉さんに聞いたら、スーパーマーケットだと言う事が分かりました。大きなスーパーですねー! 何かの記念建物かと思いましたよ。湖から右手に折れて、ダラット駅に向かいます。そしたら、日本の文化、カラオケのお店がありました。カラオケは、世界共通語ですよねー! どこの国へ行っても、KARAOKE、です。 何となく嬉しい。これが、ベトナムで一番美しいと言われる、ダラット駅です。駅なのに、入場料を、5000ドンも取られます。外から写真撮るだけにしようかと思いましたが、わずか、25円なので、チケットを買って入りました。こんなSLのような汽車も置いてありました。観光用の駅かと思いましたが、一応、チャイマット村と言う7キロ離れた村まで、運行しているそうです。観光用らしいですけどね。 この列車かなー? ガイドブックには、赤と青の車両って書いてあるから、違うかも。又、同じ道を戻り、湖の辺りを歩きます。親子さんが、のんびり釣りを楽しんでいます。見ていましたが、全く釣れないようですぞ。写真を撮ると、静かで良い湖ではないか? と思うでしょう?しかしながら、右側の道路には、沢山のバイクが、がんがん走っています。車のクラクションは、うるさい位、鳴らして走っています。とにかく、うるさいのですよ。静かな湖畔なら良いのですけどねー。風情も何もありません。比較すると、スロベニアの、ブレッド湖は良かったなー!摩周湖のような、神秘的な面もあったし、静かで良い記憶が残っています。同じく、スロベニアの、ボヒニュ湖も、良かったですよ。それぞれ、歩いて一周しました。まぁ、うるさい、スワンフーン湖ですが、さらに歩きます。この日は、メーデー、昨日は、独立記念日、その前は週末の土曜、日曜で、4連休なのですね。それで、家族も湖畔で食べたり、飲んだり、楽しんでいます。丁度、半周しました。宿からブレッド駅を見たりしましたが、1時間40分です。あの大きな、スーパーマーケットも、遠くに見えます。この湖は、南北に細長いので、ここが丁度半周であるのが良く分かります。東西は狭いので、対岸が良く見えます。高原ですが、暑いので、ベストは脱いで歩きます。長袖シャツなのに、それでも、暑いですぞ。観光客用に、馬車も走っていますな。ダラット市ガーデンにやって来ました。湖の北側です。ダラット市最大の、フラワーガーデン、入場料は、3万ドン=150円です。綺麗な花壇の前で、皆さん、記念撮影です。園内には、350種類以上の花が植えられているそうです。又、湖畔に戻って歩きます。半周した後の道は、バイクも少なく少しは静かで、雰囲気が出てきました。コーヒーでも飲んで、寛ぐかなー、と思ったのですが、高級なお店が2軒あっただけなので、躊躇している内に通り過ぎてしまいました。道路沿いの安い店なら、2万ドン=100円高級なお店は、たぶん、5万ドン=250円そんな相場なので、250円だと、高いと思ってしまうのですなー。貧乏旅人は、基本的にケチであります。ダナンに降り立ってから、ベトナムは、9日目ですが、まだ1万5千円位しか使っていません。1日2千円以下ですね。ケチケチ旅行ですなー! 貧乏旅人の真価発揮です。アジサイが咲いていました。これは幾ら見ても無料ですぞ。ときどき、どっかで見た、雰囲気のある花だなー? と気になっていたのですが、これって、ジャカランダですねー! 葉っぱを見て気付きました。群れて咲いてないので、分からなかったです。間違いないです。ジャカランダです。春に咲くのですよ。アルゼンチンのブエノスアイレスでは、11月に咲いていました。ジャカランダの咲いている、ブエノスアイレス、美しい街でしたなー。日本でもジャカランダを見たくて、軽バンで日本一周中、日程を合わせて、九州、宮崎県の道の駅なんごう、に行きました。日本にもジャカランダは、各所で咲いていますが、道の駅なんごう、が一番本数も多く、見ごたえがあります。そんな事で、バイクや車で、周囲はうるさかったですが、2時間半かけて、スワンフーン湖を一周しました。およそ、2万歩でした。 良い運動になりましたな。ゆっくりした、ダラットの1日でした。
2018.05.03
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2018年4月30日(月) 中央アジアの旅 14日目ビーチリゾートの街、ニャチャン、アジアの星一番は、海に入るのが面倒くさくなってしまって、その入った後のシャワーだの、洗濯だの、そう言うのが、嫌なので、ビーチリゾートに合いません。ダイビングとか、シュノーケリングとか、好きで、良く海に行ったのに、どうしてですかねー? 旅の途中だからかなー? 歳かなー?もっと人が少なくて、ひなびた浜辺なら良いのですが・・・。元々、砂浜の海は、そんなに好きじゃーないのですよね。透き通ったサンゴ礁の海が好きです。それで、1泊しただけで、高原リゾートのダラットに移動します。しかし、バスは、昼過ぎ、時間があるので、又、市場に行きました。どこの街にも市場はありますね。同じような物を売っているのですが、活気があって、見るのは好きです。フォーとか、ブンを食べると、付いてくる野菜類も売っています。卵は、世界のどこへ行っても同じですね。アフリカの、南アフリカのどこかの街、そうそう、オーツホーンでした。ダチョウの卵に乗りましたが、割れないほど大きくて固かったです。あんなのは、珍しい卵であり、こう言うのが普通です。オーツホーンでは、ダチョウにも乗ったし(難しかった)、ダチョウの肉や、ワニの肉とか食べて、面白かったですよ。あんまり、日本人は、行かないかなー? オーツホーン何て、聞いた事ないでしょう。今回、塩分調整の為に、出来たら自炊をしようと、塩コショウと醤油を持参しました。しかし、設備の問題であったり、食堂があったりで、まだ一度も自炊していません。もし自炊したら、買いたいような、野菜が売っていました。スイカです。暑いですから、美味しそうですねー!でも、一人では、スイカを買う気にもなれません。海老です。この辺りで獲れるのでしょう。アジアの星一番は、あまり好きでないので、新鮮でも不要です。自炊する時には、米が必要です。ジャポニカがないかどうか、確認しました。 → ないです。細長い米しかないですよ。でも、市場などで食べるご飯、美味しいですけどね。この中の、どれかなのでしょうが、それは、分かりません。市場に食堂もありましたが、時間的に早かったので、普通のレストランで食べました。安かったので、ポークステーキにしました。4万ドン=200円です。味付けも薄くして貰って、しかし、美味しかったです。まだ時間があるので、試しに足のマッサージをやって貰いました。ベトナムマッサージ、まぁ、ダメですな。こちら、本格的な中国マッサージ、タイマッサージを経験しています。そちらに比べたら、足を撫でているようなもので、全く効きません。しかも、1時間と言うのに、50分で完了です。 バカ目! と言いました。小さい声ですけどね。もちろん、チップはあげません。チップなんぞ、あげる必要性を、全く感じないです。むしろお金を返して欲しいです。行きつけのチェンマイの店は、1時間の所、必ず、10分位、余分に揉んでくれます。チップあげたくなりますよ、少しですけど。あまりにもゆるいマッサージなので、アジアの星一番、カメラをとりだして、自分を写しています。暇ですな。まぁ、かったるいマッサージで暇をつぶし、バスがやって来る時間になりました。この宿、韓国人経営です。ですから、客も韓国人が多いですね。ブッキングドットコムでは、そんな事は、何ら書いてなかったです。ホイアンの宿では、ほぼ100%、白人でした。この宿は、半々くらいで、アジア系(ほぼ韓国人)と白人でした。韓国語は、受付でも、共通ルームでも、飛び交っています。まるで、韓国の宿に来ているようであります。バスの中で食べる昼食、どうしようかなー、と思って、宿の受付の人と雑談をしていたら、ショッピングセンターがあって、そこには、何でも売っていると聞きました。近くなので、早速、行って見ましたが、大きくて、綺麗な所でした。ここの中に、スーパーがあり、弁当のように、パックに入れてくれるのがありました。ご飯と、キャベツ炒めと、チキンを入れて貰って、2,1万ドン、100円ちょっとで買物が出来ました。ニャチャンですが、コンビニのような小さなスーパーはあるのですが、パンとか売ってないのです。勿論おにぎりなんてありません。ちょっと不便ですね。レストランも、ビーチリゾートだけあって、ちょっと高めです。400円位以上はしますね。アジアの星一番は、安い所を探し回って、200円位で、食べていました。ダレット行き、バスの中です。小さいバスですね。26人乗り位です。座席は、リクライニングで、座り心地は良いです。たまたま、アジアの星一番の隣には誰も来なくて、2席使えます。と思ったら、途中で、ビキニのブラジャーだけ付けた、白人のお姉さんが、何故か、自分の席から、アジアの星一番の隣に越して来ました。困りますよね。自分の席に行って下さい、と思いつつ、黙っていました。1時間位いたら、自分の座席に帰ったので良かったです。本件、何故、彼女が座席移動したのか、意味不明。これまでずっと海岸線を移動して、ベトナムを南下して来ましたが、今回は、山の中に入って行きます。こんな所を走ります。1回、休憩が、40分ほどありました。皆さん、昼食を食べていたようです。アジアの星一番は、食べてしまったので、暇を持て余していました。そして、又、山の中を走ります。うまく写真が撮れませんでしたが、この辺りは、赤土ですね。4時間ほど走って、湖の辺に来ました。ここがダラットです。どうやって、宿を探そうかと思いました。バイクタクシーの運ちゃんがやはりやって来ます。一緒に乗って来た白人さん達は、スマホを見ながら歩いて行きました。地図を見ているのでしょうねー。ほんと彼らは、スマホを持っているので、便利です。アジアの星一番は、プリントした地図を片手に、聞きまくります。どうも、バイクで行くような距離ではなさそうです。少し、歩いて、お店で聞いたら、とっても親切なおじさんで、スマホで、行き先を説明してくれました。すぐ近くのようです。何と、歩いて、数分で着きました。PI Hostel、と言います。1泊、1000円位で朝食付きです。やはり、2段ベッドの、ドミトリーです。ここは、カーテンがありますね。今回、初めて、下段が取れませんでした。上段です。上り下りが面倒ですよ、大きなバックパックもあるし・・・。下段はないの? って仏頂面で、案内してくれた受付の娘さんに言ったら、明日は、下段に変更しますって、言ってくれました。これは、ベッドルームのある2階から降りて来る時に撮りました。共通ルームと、受付のある部屋です。窓際に、一人用テーブルと椅子が、3つあります。コンセントも付いているので、空いていれば、使いやすそうです。ダレットには、3泊します。高原リゾートで、特に見るものも少ないでしょうから、湖の辺を歩いたり、疲れたら、コーヒーを飲んだり、ゆったりしたいと思います。さらに時間があったら、小説でも書くかなー?ベトナムの高原リゾート地で、小説を書く、何とも、優雅ではないですか?
2018.05.02
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2018年4月29日(日) 中央アジアの旅 13日目これが、夜行バスです。フエからホイアンまで乗ったVIPバスと同じですね。乗るまでが結構、時間がかかりました。宿には、予定通り、バンが17時に迎えに来てくれました。時間があったので、又、受付のスンさんに、日本語を教えていました。迎えの車が来たら、スンさん、ハグしてくれたのです。きついハグだったので、オッパイが、アジアの星一番の胸にぐっさりと来ましたな。いい感触の腰とお尻でしたぞ。 20歳だもんね。何とも、心悲しいと言うのか、心残りと言うのか、そんなお別れでした。それから、あちこちの宿に迎えに行き、どこかの道路で降ろされ、ここで待てと言います。あんまり、良い予感がしませんでしたなー。と言いますのは、夜行バスは、2段ベッドで、3列です。出来れば、窓際の下段ベッドを確保したいのですねー。しかし、道路で待たされると言う事は、もう他の客が先に乗っている可能性があるのです。ニャチャン行きが5人いるのに、担当のおっさん、3人、3人、とか意味不明な事を言っています。嫌な予感は的中しました。バスが来たので乗って見ると、もう満席ですよ。 窓際は満席、 下段どころか、上段も満席 真ん中の下段も、上段も満席。いったい、どこに、乗りゃーいいんじゃ?すると、係のお兄ちゃん、一番後ろ、と言います。どこじゃい? と一番後ろに行くと、ここでした。何と、5人席なんですよ。番号を、1から、3まで書きましたが、そのこちら側に、あと2席あります。これで、寝られるんかい? と言いたいところです。しかし、アジアの星一番は、窓際の席を確保したので、真ん中の3人よりは、まだ増しです。どうも、このバス、ホイアン発でなく、ダナンから来たのではないかと推察する次第です。ホイアンで、一番後ろの5席も含めて満席になりました。しかしながら、まだまだ、客は乗って来るのです。どこに乗るのかと言うと、この通路です。ここに、マットレスを敷いて、何人も寝ます。こりゃ、VIPバスではありませんなー。アジアの星一番は、ホイアンで凄く有名な、並ばねば買えないパン屋さんでパンサンド1個、そして、市場でバナナを買って乗り込みました。これが、正解でしたな。夕食で休憩したのが、9時を回っていました。もう寝る時間ですよ。しかも、どの位の時間、停車するのかも分からないし、夕食を注文して食べている余裕がないです。(言葉が通じない故)夜行バスに乗る人は、言葉に自信がない人ならば、食べ物持参が好ましいです。トイレ休憩は、1回あったのですが、夜中はありません。仕方なく、一番後ろから、運転席まで行って、トイレに行きたいと、伝えました。そしたら、道路端に止まって、そこにして来い、と言います。夜中に、女性は、トイレに行かなかった見たいですねー。この事より、バスに乗る前は、水分控えめにした方が良いです。そして、降りる人も、途中で、多いのですよ。午後6時に出発しましたが、2時半ころから、降りる人がいます。朝の3時過ぎには、5人席のお隣さん方も、全員降りて、アジアの星一番の専用席になりました。こりゃー、良いわいと思っていましたが、どんどん降りて行くので、乗り越ししないか心配になります。又々、運転席に行って、ニャチャン、ニャチャンと伝えて、時計を指さし、何時に着く、と聞きました。なんとか、4時に着くと言うのは確認出来たのです。そんな状況ですので、寝ている余裕もありません。その後も、何度も止まりましたが、4時20分、担当のお兄ちゃんがアジアの星一番の所へ来て、ここで降りろと言います。どうも、チケットを買う時に、どこで降りるか、連絡がしてあったようです。ならば、心配しないで、寝ていれば良かったですよ。と、まぁ、こんな具合で、朝の4時20分、街中の道路に降ろされました。さぁ、どんすんべ? と迷う必要はありません。バイクタクシーの運ちゃんが、群がって来るのですねー。10万ドン、とか、ベラボーに吹っ掛けて来ますが、大体、相場は分かっています。3万ドンまで下げて来たので、最後の一押しで、2万ドンになりました。100円です。しかし、支払いの段になって、2万ドンがないので、5万ドンを出すと、運ちゃん、うまい事に、2万ドンしか持っていないのです。朝も早よから、非常に見つけ難い宿を探し当ててくれたので、約束の2万ドンより、1万ドン多いけど、OKとしました。ここが、宿の受付です。4時40分頃でしたが、開いていました。ここがキッチン兼共通ルームです。最初は、午後2時チェックインと、受付のおっさんが言っていました。それは、仕方ないと思って、ビーチに行って、朝食を食べて帰って来たら、チェックインして良いと言う事になりました。有難いですねー! 夜行バスで、良く眠れませんでしたから、早くチェックイン出来れば、昼寝が出来ます。ベッドです。下段ですが、これは、日本で言えば、カプセルホテル式です。中へ入ると、結構、横幅があるので、荷物を中に置いたまま寝る事が可能です。頭の上に、照明もありますし、居心地は良いですね宿は1泊、1300円ですから、ちょっと高めです。しかし、今、ベトナムは、独立記念日の連休で、バスも宿も、高くなっていると言うのですね。ホイアンからのバスも、通常は、23万ドンですが、27万ドン支払わされました。これから行く、ニャチャンからダラットも、12万ドンの所、20万ドンと連休のお陰で、ずいぶん高く買わされました。宿に着いた後、チェックインが、午後2時と聞いたので、朝日でも見に、誰もいないであろう、ビーチでも散歩しようと出かけました。宿から、歩いて、7分で着きます。しかし・・・、しかし・・・、まだ、朝の6時前なのに、この人です。太陽が昇り始めた、早朝です。海に入っている人も大勢います。朝早くから、凄いですねー! そんなに遊びたいのでしょうか?誰もいない、静かな浜辺を、一人、テクテク歩きながら、人生の悲哀など、味わおうとしていたのに、その希望は儚くも潰えました。これが、朝の6時に見えますでしょうか?太陽が燦燦と差し込む、日中の風景ですよね?皆さん早起きで、凄いですねー! ビーチライフを満喫ですねー!ビーチから帰り、途中の屋台で朝食です。今まで、フォーとばかり思って食べていた麺、実は、ブンだったのです。これが、ブン リウ グア、と言います。ブンが麺で、リウ グアが、クラブミートらしいです。それで、ちょいと調べて見ましたが、フォーとブンは違うのです。ベトナムと言えばフォーとばかり思っていました。ブン 丸い米粉フォーは、平べったい米粉です。フォーは、米粉を水に溶いて練った物を蒸してから切った平麺。 ブンは、米粉を水に溶いて練ってから水に漬け、微発酵させてからところてんの様に穴に通して丸麺にして、茹でた麺。と言う事なのですねー!フォーは、きし麺見たいな奴なのです。ですから、今まで食べたのは、ほとんどが、ブンです。この屋台でも、野菜が出されました。全部食べましたぞ。朝食を食べて帰って来たら、チェックインして良いと言うので、早速、お昼寝タイムであります。ぐっすりと、1時間半は眠れました。そして、それから、ニャチャンの街の散歩に出かけました。一応、この辺りが、繁華街のはずですが、それらしくありませんね。どんどん、歩いて見ましたが、あんまり風景は変わりません。ニャチャンの街は、静かなものです。町並みは、特に何もないので、又、ビーチに行って見ます。ここは、広いですねー! 海岸が、延々と続いています。ビキニのお姉ちゃんも、沢山、いますなー!ニャチャンは、ビーチリゾートの街ですね。海に入るか、肌を焼くか、そう言うビーチライフを楽しむのでなければ長居は無用です。街を歩いていると、バイクタクシーが、ちょいちょい声を掛けてきます。ほとんどは、10万ドンで、市内観光しないか? と言う誘いです。中には、お姉ちゃん、どうや? と言うのもいます。50万ドンだそうです。2500円ですね。まぁ、アジアの星一番には、関係ぇ、ねぇ事柄でござんすが・・・。
2018.05.01
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