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ひでわくさんさんComments
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宿のご主人
と話をしました。
沖縄出身
だと言います。日系人はペルーに 7万人から8万人
いるそうです。
その 70%
が沖縄出身
だと説明してくれました。
沖縄で生まれ、 戦争に負けて
占領され、 アメリカ人となって
しまい、すぐに27歳で
奥様と ペルーへ移住。
それから 50数年が経った
と言ってました。
その間には、 7000倍にもなるインフレ時代
や、 テロ時代
、その他、諸々の
苦労を凌いで、 何とか生き延びて、
今の生活がある、とのことです。
平和な日本
に生まれ、 のほほんと何も考えずに
生きてきた、自分に比べると、
その 皺の中に、歴史が刻まれている
と感じられます。
それに、今の日本、そして沖縄の現状を、本当に良く知っています。
こんな遠くのペルーにいて、且つ、50年以上前に、移住したのに、
ご本人は 、「私はペルー人だ」
と言っているものの、 生まれ故郷の国
は、
忘れ得ないものなんだろうなー
、と思わされました。
「リマは見るべきものがない」
グアヤキルから同じバスで、27時間かかって当地へやって来た、日本人青年は、
そう言い残して、 市内へ行くこともなく、そのままバスを乗り継いで、ナスカへ
行きました。
僕には、見るべきもの多数だと感じます。リマ近郊にも、
カラル遺跡
有史以前から栄えていた 漁港ピスコ
自然の動物達が沢山居る バジェスタス島
ナスカと同じような地上絵がある、 カンデラブロ
など、見所は沢山あります。時間があれば、カンデラブロなど是非行きたい場所です。
しかし、時間も限られており、 バスのチケット
も買わねばなりません。
(ここが個人の旅の、不便で、時間のかかる事由です。)
それと、 JALからメール
が入り、予約の件で、 電話を下さい
、とのこと。
JALは、 メールでの質問を受け付けない
のです。
電話しても、混んでいる事が多く、長々と待たねばなりません。
そんな状況なのに、 海外からどうして電話出来るのでしょうか?
その対応もせねばならないので、JALのリマ事務所へ行かねばならないのです。
こんなお粗末な対応ですから、JALが大赤字になるのも当然です。
お客第一で考えてません。 JALの件は、別掲します
。
JALのオフィスへ行き、一応の用事を済ませた後、 どうしようかなー?
どこへ行くかなー? 腹も減ったしなー?
などと考えながら、「歩き方」を
眺めておりました。
そしたら、この近くに 、
「ノダジ」
と言う、 韓国レストラン
があると分かりました。
早速、急ぎ足で、韓国へ歩きます。そして 豆腐チゲ
を注文しました。
どうですか? うまそうでしょうー!
実際に、うまいです
。韓国料理、 最高
ですね。
そう言えば、今年の6月 、韓国へ9泊10日
で行って来たのでした。
食事に関しては、 大満足でした。
それを思い出します。
韓国料理に 付き物の総菜
です。
頼まなくても、こう言うのが付いて来るのですから 、嬉しいです
。
一方、頼まないのに、 付け出しとかを出して
来て、サービス良いなーなどと
思って食べると、 あとで、金をふんだくる
、どこやらの国とは違いますな。
そうそう、食事の前に、 「天野博物館」
へ電話して、見学の予約を入れて
おきました。 入場無料
で、予約すると日本語で説明してくれると言うのです。
午後3時半
からです。
豆腐チゲ
で腹はふくれ、 満足です
。天野博物館の見学まで、まだ時間はあるし、
「歩き方」で調べて見ると、 新市街のミラフローレス地区
を歩いて廻れそうです。
ミラフローレス地区の華やかな 、「ラルコ・マル」
へバスで行って見ました。
ここは、写真のように、 海岸沿い
にありまして、レストラン、ショップ、ディスコ、
映画館、そしてオープンカフェなどが 立ち並ぶ、繁華街
です。
海の眺めも良いです。

キレイに掃除が行き届いて
いるし、どのお店も、 洒落ていて明るく
、歩いている
だけでも気分が良いです。 オープンカフェ
が多いです。昼間っから、ビールや、
お酒を飲んでいる人たちも沢山います
高級そうな、寿司屋
さんもありました。でも、刺身定食で、1500円ほどでした。
海岸沿いの岸壁を切り抜いた
ような所に作られているのですね。
上の道路側からだと、 展望台
のようにしか見えません。
食事は済んでいるし、ショッピングは旅の途中ではしないので、 この海岸沿いを
海を見ながら、 ぷらぷらと歩いて
行きました。
そしたら、おー! 大胆なカップル
を、 木陰に発見しました!

何をしてんじゃ? ずいぶん でかい
カップルじゃのー!
と近づいて見ますると、な、なんと、 モニュメント
でした。
なんとも 大胆な像
を作るものです。
ここは 、「恋人達の公園」
と名付けられ、有名なんだそうです。
周りを見回すと、 恋人達
がベンチで寄り添い、 芝生の上
では、 重なっていたり
キョロキョロと見回せない
状況です。
こりゃ 長居
出来んわい
、と早々に立ち去りました。
このまま天野博物館へ行っても、まだ少し時間が余ります。
で、天野博物館の近くに、 「ワカ・プクヤーナ」
と言う リマ文化の遺跡
があるので
そちらにも足を延ばして見ました。
日干しレンガを積み上げた巨大
なもので、今でも発掘調査を続けている
との事です。 土器やミイラ、織物
などが出土されているらしいです。
丁度、時間となりました。 天野博物館
へと急ぎます。
新市街の西側を、 ほぼ縦断した距離
です。疲れました。
天野博物館は、 写真撮影が禁止
なので、写真はありません。
ここは、 天野芳太郎
と言う方が、 自身の収蔵品を
長年、観光客や、
当地の文化に興味を持っている方に、 無料で開放しています。
集めた所持品は、 3万点に
ものぼるそうで、その 一部の300点
ほどが、
展示されております。 1000年以上も前の、織物が、色鮮やか
でくあり、
非常に 精密
な織り方で、且つ 芸術的
なものなので、驚きます。
ここは、来て見て、 非常に良かったです。
天野さん、中南米各国で、事業を展開してたようですが 、第2次大戦
でアメリカに
スパイ容疑で逮捕
され、財産は全て没収、日本へ 強制送還さ
れたそうです。
それにもめげず、別の国の人になしすまし、 密航で南米
へ帰って来て、再び財を
成したと言うのですから 、すごい方がいたもんです。
館内は、ボランティアの 23歳の学生さん
が説明してくれました。
ペルーの 歴史
から 文化
から、良く勉強されていて、 手際よい説明
で良く
分かりました。 すぐに忘れてしまう
のが、難でありますが・・・。
記念撮影です。
真ん中
の人が、 ボランティア青年
で、 左の人
は、僕と同じ 観光客
です。
始め見たとき、 アントニオ猪木の親戚かいな?
と思いました。(風貌が)
しかし、とっても 気の付く人
で、且つ 気前のいい人
で、説明してくれた人に
タバコやら、カロリーメイトやら、ポカリの粉末など、 沢山あげていました。
さらに、 チップまであげてました。
アジアの星一番の場合、 貧乏
で、且つ、 ケチ
でありますから、貰うことは
あっても、あげる事は滅多にありません。今回も、このアントニオ猪木の
親戚風の方から、 高山病の薬を貰いました。
説明してくれた学生さんに、 チップもあげていません。
ここは、 入場料は、無料
なのですが、 土産を買えって言うシステム
のようです。
土産は荷物になるので、買いたくありません。
で、仕方なく、 マチュピチュの地図、3ドル
で買いました。
これなら、入場料を取ってくれた方が、気楽ですね。
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