POOhさん日記

POOhさん日記

試練



三男が産まれて間もなく、授乳をしていても三男と視線が合わない。上、二人の子育てをしていた私は、その事が不安になり、早々にかかりつけの小児科に走った。
脳のCTや、MRI、いろいろな検査をしてもらい水頭症であることがわかった。でも、それは、様子を見ていても大丈夫な範囲であることを聞き、ちょっと、安心した。
その頃、旦那さまにガンが見つかり、手術をし入院中。でも、三男、同様、発見が早く転移の心配もなく退院した。

その後、順調に一日一日が過ぎ、三男もそろそろ離乳食にと成長した。でも、離乳食をちょっと進めると、まるで、噴水のように食べたものを吐く。母乳やミルクの時は大丈夫だったのに・・・またまた、心配になり小児科に・・・・何回か続いていくうちに小児科医も心配になったのか、入院しての検査を勧められ入院、上、二人は実家に預け、実家の両親が世話をしてくれた。三男は、食事が入らないことで衰弱していって地元の病院から自動車で2時間ほど離れた京都大学付属病院の小児科に転院となった。旦那さまの運転する自動車に荷物を積み、3人京大病院へと向かった。京大病院には、亡くなった母の妹にあたる叔母が大阪から心配して来てくれていた。
本当なら、父親である旦那さまが主治医と話をし、今後の事やいろいろと相談するのが当たり前だと思うけど、ちょうど、そのとき、旦那さまのお父様が肺がんの末期でもう、意識のない状態で母一人にしておけない状態だったので、私達を病院におろすと叔母に後のことは託して、医者との話もそこそこに、父のところに飛んで帰った。
地元を離れる前に、父の状態を話し、告別式等がすんでから京都に・・と言う話をしたら、そんなことをしたら、二つお葬式を出さなくてはいけなくなると言われ私達は、三男の病状も大変、緊迫したものであるということを思い知らされた。
大学病院での生活が落ち着くまでの期間、叔母は再々、私達のところに来てくれて私は、精神的にも体力的にも大変助かった。
大学病院の高度な最新医療のお陰で、三男は一命をとり止め、そこの病院の院内学級に元気に通う毎日になり、ちょっと、ホッとした。

北は北海道、南は九州、九州からヘリコプターで搬送された赤ちゃんもいた。外国から来た赤ちゃんもいた。大学病院だけあって、白血病や小児ガン、肝臓移植やとにかく、死と隣り合わせの戦いをしている小さな戦士ばかりが、病気と戦っていた。
私も、最初はお友達もなく不安で仕方がなかったけど、次第に、付き添いをしているお母さんと話ができるようになり、一緒に食事をしたり。子供の体調のいい時は子供も交えて遊ぶようにもなってきた。
ただ、子供達の暗黙の了解というのか、昨日までいた子の病室が次の朝、起きたらからっぽになっていても、「○○ちゃん、どうしたの?」と、聞く子はいない。子供達はどんな思いで毎日いるのかと思うと、せつなくて仕方がなかった。今度は、自分かもしれない?という、不安な思いを皆、持っているのであるとしたら、それは、どうしてあげることも出来ない。
ほんと、元気になってよかったね!と、病棟から送りだせる子供は数、少なかった。

我が子も、それから何年か後には、病棟から出るときはまるで、検査のためお薬で寝かされているようにストレッチャーに乗せられて、自動車に乗せる地下に行くエレベーターに乗ったとたん主治医が頭からすっぽりと、シーツをかぶせた。昼、日中の出来事だったけど、気がつく子供はいなかったように思う。
移植などで、体に大きな傷をもって、皆、生きてきている。体だけじゃなく、心にも見えない傷となってあることをそのことを知ってる私は忘れてはいけないといつも、思っている。

私が最初に経験した大きな試練は、大事な息子との永遠の別れだった。

前後するかも知れないけど、旦那さまのガンの再発があった。14~5時間にも及ぶリンパ節切除の手術だった。その時は、小さな子供を抱えた私は、心配でしかたなかったけど、あれから、25年。今、元気で輪つぃのそばにいてくれる旦那さまがいる。あの時の、辛かった気持ちはもう、忘れた。今、元気にいてくれるから・・・・・

私が試練だった・・試練と思えるものは、長男の事。もともと、優しい性格の長男。私が三男の付き添いをして家を離れている何年か、長男、次男は失火の両親の愛情で心配なく生活してるものと信じていた。でも、それは、違った。思春期を迎えたころの長男。寂しいのを我慢して、そして周りからも、お兄ちゃんやし・・・って、言われると、我慢しなければいけないと頑張っていたのかもしれない。
精神的に、弱ってしまっていた長男を気がついてやれなかった。
精神科のお薬が必要な病気になってしまっていた。もっともっと、私が気持ちを長男に向けていることが出来たなら・・・と、後悔ばかりが先に立つ。
ほんとに、苦しくしんどい思いをしたのは、長男。何にもしてやれない自分を私ははがゆく感じた。長男の人生を変えてしまったのも、私。

でも、そんな中で長男は長男なりに、悩み苦しみ、自分の生きる道を探し見つけた。可愛い彼女を見つけ(顔も、性格も、)、結婚し、今、子育てをしている。しんどいことがあっても、今は、お嫁さんも一緒になって話を聞いてくれる。私は、ただ、見守っている。
そんな自分が経験してきた苦労を、どこかの大学に呼ばれて話をしたりしている。そして、今、私の支えにもなってくれている。まだまだ、心配な長男だけど、どうにか、自分の道を見つけてくれた事に感謝している。

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