POOhさん日記

POOhさん日記

発病


でも、その年の雪は毎日、毎日、降り積もり、明けても暮れても雪かきの毎日。当時、家のとなりはおじいさん、一人暮らしだったということもあり、お隣さんの分も半分、雪かきをしていた。そのせいで、腰痛があるとしか思わなかった。でも、ちょっと、しつこいかな??くらいにしか・・・
そのうち、熱が出てきた。ちょっと、普通の腰痛じゃないかも知れない。と、思ってきた。旦那さまに打ち明けたら、病院に行ってこい!・・・と。

のことでも、今から思ったら理由はなんだったかはわからないけど、どうしても他の用事があり2~3日、病院に行けなかった。でも、熱は下がらず、明日は行こう!と、思った矢先、次男がインフルエンザで高熱が出て次男を自動車に乗せ病院に連れて行って、点滴やら何やらしてもらっていたら、私が病院に行く時間がなかった。仕事から帰ってきた旦那さまに、いきさつを話をしたら、次男の病院より、お前が先やろ!と、叱られた。・・・・・・でも、母親としたら、そういうものではない!やっぱり、子供の事が先。40度もある息子をほっといて、自分が診察なんて行けない!旦那さまが、私のことを心配してくれる気持ちは嬉しいけど、私は母親。やっぱり、息子が心配。

で、次の日の朝。旦那さまは会社に電話をしている。嫁さんがの具合が悪いので病院連れて行くし、午後から出勤する・・・と。
また、何かがあったら行かないやろし、自分で、連れて行くとでも、思ったのかもしれない。

いつも診てもらっているかかりつけの先生に腰痛があること、熱があることを話した。「じゃ、腰のレントゲンを撮ってみましょう。と、レントゲンを撮ってもらった。
その、写真に、怪しいものが写っていたらしい。
「右の腎臓のあたりに何か写ってます。電話で連絡してありますので、○○病院に行ってください。」
旦那さまは午後から出勤だったので、一人で先生の言われる病院に行き、もう一度、CTだったか、MRIだったかを撮り、先生のもとに・・・・あっさり・・
「腎臓ガンですね。組織検査をしないと普通ははっきりしたことは言えませんが、こういう場所にある場合は95%悪性です。今日、入院してください。」
ガンの告知って、もっともっと、ドキドキするもんじゃないの?!テレビなんかで見ると、もっと、え~って言う感じやん!
で、夕方、旦那さまが帰って来てから荷物をもって来ますと言って、帰りました。
後日、右腎臓の摘出手術を受けました。
この、腎臓ガンの発病で障害者になったわけではなく、それは、おおまか順調に回復し退院しました。

夏の暑い日、大きな花火がたくさん上がるお祭りの日。我が家の物干しから、その花火がかろうじて見る事ができる。家族みんなで、見ていた。その頃から、右足がだるく、重く、痛みもあり、何か、おかしいなあ?でも、長い間、入院していて足、使わなかったし、筋肉痛なんやろなあ?としか、思わなかった。でも、なかなか、すっきりしない。思い切って、最初に診てもらった医師の診察を受けた。血液検査の何かがひっかかったのか、また、入院になってしまいました。レントゲンを撮ると大腿骨に腫瘍が映る。いったい、病名は?
病名の確定のため、大腿骨の組織検査を希望した。病名がわからないけど、腫瘍らしきものが映るため、抗癌剤を使ってみようと言われたから・・抗がん剤の辛さは、亡くなった母の時も、旦那さまの時も、兄の奥さんの時も見て来ているので分かる。副作用もある。もし、抗癌剤とは関係のない病気だったとしたら、副作用だけでなく、悪影響も残す。だから、組織検査をしてもらえないか、こちらから希望した。
一人の先生は、大出血を起こす可能性もあるので、出来ないと言われたけど、一人の先生はしっかり検査をして安全を確かめられたらしますと、言って下さった。

手術室でまるで大工さんのような音がする。のみとかなづち?????みたいな??
途中、先生~麻酔がきれたのと違う???痛いけど~
と、言う私の問いかけに、「そんなはずはないと思う~右足、動かないやろ!動かしてみて!
あれ!動いてる!切れてるわ!痛いやろ!でも、今から追加したら中途半端やし、もう少しやしこのままで行きます。」
え~なんで~恐怖の痛みでした。ま、なんやかんやで、無事??終りました。
それから、いろんな戦いがあるなんて、この時には想像もしていませんでした。

この時点で、主治医から、車椅子を使うように、体重や足に負荷をかけたら骨折のおそれがあると言われ、とにかく、自分の足をガラスででも出来ているかのような生活が始まった。車椅子の申請をするため、障害者手帳の申請をするように言われたのもこのときだった。

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